国際芸術祭に関わること +5メディアプログラム vol. 6 「海外で国際芸術祭を鑑賞すること:シャルジャ・ビエンナーレ16を通して考えてみる」レポート

国際芸術祭に関わること +5メディアプログラム vol. 6「海外で国際芸術祭を鑑賞すること:シャルジャ・ビエンナーレ16を通して考えてみる」レポート

+5(plus five)
2025.12.12
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+5メディアプログラム vol.6 「海外で国際芸術際を鑑賞すること:シャルジャ・ビエンナーレ16を通して考えてみる」
Kiten, 2025年8月9日

1993年から続き、中東地域を代表する現代美術の祭典であるシャルジャ・ビエンナーレ。第16回目となった2025年は、2月から6月にかけて約200名のアーティストが17会場に650点以上の作品を出展した。

アラブ首長国連邦で第3の規模を誇るシャルジャ首長国を舞台とするこの芸術祭は、近年にわかに注目を集めている。その要因のひとつに、ディレクターを務めるフール・アル・カシミの存在がある【※1】。フールさんは今年開催された国際芸術祭「あいち2025」の芸術監督を務めたほか、ArtReview誌の「Power100」ランキング2024年版の1位となるなど、目下業界の最重要人物のひとりであり、シャルジャ首長国を中東の、ひいてはグローバルな文化的ハブとするための中心的役割を担ってきた。

グローバル・サウスの美術への注目は年々高まっている【※2】。西洋中心的でない美術のあり方を模索する動きが各地で勃興するなかで、特に同芸術祭における30年あまりの蓄積は、西洋と非西洋という二項対立的な視点を再考する参照点としても脚光を集めている。西洋とも東洋とも異なる歴史文化的背景をもつ中で、その蓄積は、私たちが当然視してきた欧米の美術史や博物館学的アプローチの前提を相対化する契機をもたらす。

この芸術祭の特筆すべき点は大きく2つある。ひとつは、2009年に設立されたシャルジャ・アート・ファウンデーションの文化機関としての幅広い取り組みだ。作品展示のみならず、研究や教育、アーカイブなどを含む活動を積極的に展開しており、それは芸術祭のプログラムにも反映されている。そしてもうひとつが、アジアとヨーロッパ、そしてアフリカの結節点として機能してきた地域の歴史的文脈をふまえたポスト・コロニアルな企画姿勢である。こうした特徴は、後述するような多声的なキュレーションとして結実している。

本稿では、2025年8月9日に開催された+5メディアプログラム vol.6 「海外で国際芸術際を鑑賞すること:シャルジャ・ビエンナーレ16を通して考えてみる」のイベントレポートとして、筆者の考えも交えながら、同芸術と国際芸術祭への関わり方について記載していく。そしてイベント内で話されたシャルジャ・ビエンナーレのユニークな活動について、この芸術祭を異なる立場で訪れた3名の経験から考えていきたい。インディペンデント・キュレーターの2名、池田佳穂(いけだかほ)さんは今年のシャルジャ・ビエンナーレ16のキュレーター交流プログラムに参加し、大倉佑亮(おおくらゆうすけ)さんは芸術祭の作家選定業務の一環で前回のシャルジャ・ビエンナーレ15を訪ねている。そして純粋な鑑賞者に近い存在としてシャルジャ・ビエンナーレ16を訪れた+5の桐さんのモデレーションのもと、鑑賞者や地域にも開かれた美術の実践を志向するこの芸術祭を日本から鑑賞しに行くことの意義や意味について、それぞれの経験を確認しながら会は進んだ。

本稿ではイベントの全てには触れないが、イベントはシャルジャという都市とアラブ首長国連邦の特性をまずは読解し、シャルジャ・ビエンナーレの歴史とスタンス、そして今回の16がどのような位置付けなのかが話され、後半は実際に桐が巡った会場の写真を用いながら、国際芸術祭を鑑賞することの意義などが議論された(編集・桐)。

シャルジャの文化政策とビエンナーレ


シャルジャを理解するために、まずこの芸術祭を支える歴史的・制度的基盤を確認しておこう。ドバイ、アブダビに次ぐ国内3番目の経済規模をもつシャルジャ首長国は、大学や博物館などの文化教育施設に早くから積極的に投資してきた文化的背景をもつ【※3】。

本芸術祭も、こうした文化政策の延長にある。1993年に開幕したシャルジャ・ビエンナーレは、その土地の特性を反映した国際芸術祭の先駆例のひとつである【※4】。当初は政府主導で、そのキュレーションは必ずしも地域的な批評性を強く意識したものではなかったが、フールさんのディレクター就任以降、シャルジャ・アート・ファウンデーションの設立などハード面での発展はもちろん、内容も植民地主義や環境問題を主題にしてキュレーター主導の企画を継続的に展開してきた。こうした30年あまりの蓄積が、現在のシャルジャ・ビエンナーレの独自性を形成している。

さて、大倉さんは「森の芸術祭 晴れの国・岡山」の作家選定を前提とした視察の一環【※5】で、30周年記念でもあった前回のシャルジャ・ビエンナーレ15【※6】を訪れた。イベントではその時の印象深かった作品として、ハジュラ・ワヒードの《Hum II》(2023)を挙げた。女性のハミングや息遣いが円錐形の空間にこだまする本作は、各地の運動のなかで歴史的に抑圧されてきた歌を主題にしている。このマルチ・チャンネルのサウンド・インスタレーションはシャルジャ・ビエンナーレ賞を受賞するなど、シャルジャ・ビエンナーレ15を象徴する作品となった。政治社会的な文脈を持ちながらも、多様な鑑賞体験を許容する作品は、このビエンナーレの志向するところを示しているようだ。


大倉:上から光が差し込む独立した空間に、靴を脱いで上がって寝そべるなど、休みながら自由に過ごすことができました。空間内にはアーティストのコンセプトブックが置いてあって、自由に読むこともできました。こうした空間の使い方というか、自由な姿勢で鑑賞できる作品が、「Thinking Historically in the Present(現在という時間の中で歴史的に考えること)」という15のテーマの下で、心地良く経験できたことが印象に残っています。


かつて海上交易と真珠産業で栄えたところから、現代の文化・工業都市となるまでのシャルジャの歴史は、アラブ首長国連邦という国を再考するための重要な要素であり、現在進行形で都市としてのあり方が問われている。会場となる建築や、美術館のコレクション作品とあわせて、ビエンナーレのためのコミッションワークを鑑賞することは、土地の記憶と現代の実践を接続すると同時に、シャルジャの歴史と他の場所の経験を重ね合わせて受容する機会となる。

Hajra Waheed, Hum Il, 2023
上記リンクから作品の全容をみることができる。

経験を共有しあうこと、道筋を探し直すこと


続いて今年のシャルジャ・ビエンナーレ16について見ていこう。今回のビエンナーレは2つの大きな試みがあった。ひとつは5人の女性キュレーターによる共同キュレーションだ【※7】。フールさんディレクションのもと、バックグラウンドの異なるキュレーターがそれぞれ呼応するように企画を展開した。そしてもうひとつは、4月中旬の3日間にさまざまなイベントプログラムを集中的に開催する「エイプリル・アクト」である。

こうした取り組みは、地域の文化的自律性を構築する役割と同時に、トランスローカルなネットワーク形成を志向する近年のアジアの国際芸術祭の潮流とも符合する。「to carry」という今回のテーマはこうした文脈を象徴するものだ。「運ぶこと」について問いかけるさまざまなプログラムからは、複数の時間軸を多声的に重ね合わせようとする強い意図が感じられる。

シャルジャ・ビエンナーレ16における共同キュレーションは、それぞれのキュレーターがその経験をひとつの空間に結集しあうという共同性の密度において類例のないものだった。


池田:これまでのシャルジャビエナーレでも、複数のキュレーターが参加していましたが、各キュレーターごとに担当会場をある程度振り分けた上で、各自キュレーションをするものだったようです。それが今回は、異なる背景を持つキュレーターたちが「共同」キュレーションに挑戦し、まず作家を選定する前段階で、候補作家について共有し合う時間をたっぷりと確保して、その過程で作家・作品同士がどう響き合うか丁寧に検討していたそうです。その結果、複数のキュレーターが同じ空間のなかでキュレーションを行い、ひとつの大きなナラティブを編み上げている会場もありました。ルアンルパのような既存のコレクティブがキュレーションを担うのではなく、個々に異なる実践をしてきたキュレーターが今回のために集まり、そこでどのようにコレクティビティに/集団的にキュレーションを編み出せるのか、というチャレンジが先進的だなと思いました。

キュレーター・プログラムの詳細に関しては参加者の一人である王裕玲(Jo-Lene Ong)さんが自身のサイトに体験をレポートをされている。
Unpacking Infrastructure: to carry change(Jo-Lene Ong 王 裕 玲)

このような時間をかけたディスカッションをベースとしたキュレーションは、必ずしも効率的とは言い難い。異なる出自のキュレーターたちが時間をかけて議論を重ね、異種混交性を担保しながら丁寧にすり合わせていくやり方は途方もなく映る。5名のキュレーターの各地での豊富な経験や真摯な態度、長年開催を継続してきた芸術祭としての成熟、そしてフールさんのマネジメント手腕のいずれかが欠けてしまえば実現しえないことのようにも思える。

池田さんが参加した若手キュレーター交流プログラムも、この共同キュレーションの過程から誕生したものだ。これは当初、共同キュレーターのひとりであるアリア・スワスティカによる自主企画として始まった。というのも、今回の共同キュレーションのプロセスがアリアさんにとっても学びの多いもので、自分たちの知らない地域や次の世代にも再共有したいという思いから、「自費でもやりたい」とスタートしたプログラムである。最終的にはエイプリル・アクトのプログラムのひとつとなり、中東、北アフリカ、東南アジアを中心に参加者を招聘した。そのなかで、東アジアから唯一の参加となった池田さんは、以前インドネシアを中心に活動していた縁もあり、越境的な立場から参加する機会を得るに至る。「Unpacking Infrastructure」をテーマに掲げた7日間のプログラムでは、それぞれの地域における社会制度基盤を再考する活動を共有し、時間をかけてディスカッションが続いた。


池田:「to carry」というテーマから、移動や継承にまつわる視点を通じてインフラを再考するディスカッションの時間が多く設けられていました。キュレーターチームがさまざまな問いを用意していて、その問いに対して議論を深めました。キュレーションは「Wayfinding」、つまり集合的な道探しだという考えのもと、みんなでひとつの問いに対してああだこうだ言いながら、どうしたら制度として構築された文化のインフラを解きほぐし、柔らかい形で編み直せるのか考え、そのプロセスをキュレーションとして示そうとしました。

池田佳穂さん
インディペンデント・キュレーターとして、直近は共同スタジオ「山中suplex」の共同プログラムディレクターに加え、アートセンター「BUG」のゲストキュレーターを務める。

このプログラムは、受講者が受動的にキュレーションを学ぶのではなく、参加者同士でそれぞれの実践を共有しあうことを目的としているのが特徴的だ。それぞれの地域ごとに抱える社会課題があり、そこでアートやキュレーションの実践が果たす役割もまた異なる。ひとくくりに国際芸術祭といっても、日本では完成された状態の作品や展覧会を見せる場としての印象がまだ強いが、ところ変わればそれを成立させる関係性やプロセスにより強い焦点が当たる。池田さんにとっても、他の参加者が語るキュレーションとラーニングの位置付けにはギャップを感じたという。


池田:自分たちの歴史や文化が奪われた経験がある国では、今も不安定な状況下で芸術活動をしている地域もあります。そこではラーニングが非常に重要な要素になっていて、ラーニングによるネットワーキングやプラットフォームづくりの上に展覧会や芸術祭が成立する状況が生まれているようです。そんなプレゼンテーションを聞くと、日本との違いを実感し、参考になりました【※8】。


さて、このキュレータープログラムを含むさまざまなイベント企画を集中的に開催したのがエイプリル・アクトである。会期中盤にあたる4月の3日間に、シンポジウム、トークセッション、ワークショップ、パフォーマンス、ライブなどが朝から晩まで続くシャルジャ・ビエンナーレ16の新たな試みである。池田さんはその特徴について、単なる作品鑑賞機会にとどまらないあり方にも目を留めていた。


池田:3日間朝から晩までみっちりのスケジュールのなかで、単にアーティストの実践を開くだけでなく、それを地域、海外からの観客との関わりをどのように設計し、交差させるかということが試みられていました。なかでも子ども連れや家族での参加者もそれなりに来場しており、地域の人たちが鑑賞者として集まっているのを目の当たりにしました。ビエンナーレ期間外にも財団が絵画やセラミックの教室を運営したり、映像作品のスクリーニングやブックマーケットのようなイベントを企画したりしているらしく、そうした日常的なところで関係性が作られているのかなと思いました。


また大倉さんは、会期の中盤にイベントプログラムのハイライトを設定する珍しさを指摘していた。


大倉:大きな芸術祭や展覧会も、いざ走り始めるとほっとして気持ちが途切れてしまうこともあります。特に僕のようにインディペンデントでやっていると、オープンした展覧会の開催地にずっといれないことも多い。開いた後の展覧会がどう走っているか、どのように鑑賞者に受け取られているか、どうアーカイブされているか、そこまで十分にケアできないこともあります。せっかく繋がった地域の人たちと会期終了後もどう繋がっていくかとか、次回に向けて議論したいが、なかなか機会を設けることができないことも多く、シャルジャの事例は参考になりますね。

大倉 佑亮さん
インディペンデント・キュレーターとして、直近は「岡山芸術交流 2025」総合ディレクター補佐、周遊型アートイベント「Lightseeing Kyoto South」のキュレーター、そして京都大学経営管理大学院では、キュレーション理論・実践とマネジメント寄附講座の非常勤研究員を務める。

国際芸術祭におけるイベント企画はオープニングにあわせて開催されることが多い。遠方のアーティストや関係者も含め一同に会しているタイミングであることがその主な理由だ。その点、「to carry new formations」とテーマを掲げた今回のエイプリル・アクトは、会期スタートから一定の時間を経るなかで得られた知見を振り返り、再構成し、前進させる契機となっているようだ。

海外で国際芸術祭を鑑賞すること


異国の地での鑑賞体験は、単に作品を見る以上に、異なる文化的文脈のなかで他者の視点を体験する実践でもある。日本国内での美術館や芸術祭での鑑賞体験とは根本的に異なる環境に身を置くことは、システムの違いを感じとり、自らのアイデンティティや世界の見方を問い直す契機となる。

筆者もいくつかのアジア圏の国際芸術祭に足を運んできたが、作品だけでなく構成や仕組みの違いにも発見がある。シャルジャ・ビエンナーレについても、ガイドブックや鑑賞パスポートも無料で、それゆえ会場のスタッフも少なく、監視の目も緩やかだったことも共有されていた。他方個人的な経験としては、海外の国際芸術祭では前提知識の薄い他者の物語が次々に続く展示構成に戸惑いを覚えたこともある。その点、今回のイベントで語られた3者の対話からは、文脈や背景を異にする他者の眼差しをアートによって解きほぐすためのさまざまな試行錯誤がシャルジャでは続けられてきたことが見えてくる。芸術祭は数年に一度のハイライトであるだけでなく、会期外の普及施策も含め、シャルジャの文化施策全体のなかに組み込まれ機能している様子だ。

会期中の鑑賞者との接点構築や会期後のアーカイブを積極的に進めるには、意識的な制度設計が必要だ。大倉さんは、展示以外の部分にまで配慮が行き届くことに制度設計の成熟を見ていた。


大倉
:キュレーターのアートディレクションの方向として、ラーニングもディレクションの一部として考えるべきかどうかについて、日本の地域アートの文脈ではまだあまりきちんと議論されていないのかもしれません。鑑賞プログラムなどは外部に委託されることも多く、特に新しい芸術祭の場合は、まず人が来るのか、楽しんでくれるのかという心配が先立ちます。
シャルジャ・ビエンナーレが素晴らしいのは、16回にわたる継続と蓄積によって、ラーニングをキュレーションに組み込み、そのために予算を確保している点にあると思います。今日のお話を伺いながら、そこに至るまでには、ディレクターや事務局が学びの重要性を深く共有し、芸術祭そのものが成熟していなければ実現は難しいのだと改めて感じました。


シャルジャのユニークな価値は、芸術祭を通じて得られた理論と実践を主客の壁を超えて共有し、新たな価値を蓄積する取り組みまでを視野に入れた運営と資源投入によって創出されていることがわかる。
また桐さんは、海外の国際芸術祭を他者として鑑賞する価値と理解の深化を語っていた。


:この国際芸術祭に参加して、他者の視点でこの世界を見る実践ができたことを改めて感じました。そこで語られるナラティブがほぼ他者のもの【※9】であるという状況を体感して、改めて日本人としての自身のアイデンティティや世界の見方などを再考するいい機会になったように思います。

海外での芸術祭鑑賞は、作品そのものだけでなく、その場所の気候や文化的制約をも含めた体験となる。夏の盛りに訪れた桐さんには、日本では経験することのない厳しい自然環境の中での強烈な鑑賞体験となった。


:生まれて初めて50℃の砂漠地帯で作品を鑑賞する体験をしました。実はこれが一番記憶に残っているんです。でもその長い道中もふくめてひとつの鑑賞体験として成立していて。忘れられない鑑賞となりました。


不案内な土地をめぐる経験もまた芸術祭をめぐる醍醐味だ。多くの場合は美術館のような順路はない。土地勘がわかってきた頃には旅の終わりが近づいている。会場はペルシャ湾側の都市部を中心としつつも、一部は砂漠地帯やオマーン湾岸にも広がっており【※10】、限られた日程ですべての会場を巡るのが難しいのはシャルジャも例外ではない。オフィシャルの会場巡回バスもあったようだが、桐さんは滞在中にはその存在を認知できず、タクシー移動を中心とすることとなった【※11】。特に砂漠地帯の会場へのアクセスは時間と方法も限られるため、現地での交渉によって移動手段を確保することとなる。しかし日本とは異なるコミュニケーションの連続のなかで、そこでの出会いや体験がその土地の印象深い記憶とも結びついてゆく【※12】。作品の体験は、どこで、誰とともにするかによって大きく左右されるということに改めて気付かされる。


:じつはたまたま美術館で出会って話したインドの女性アーティストに「明日砂漠に行くんだけど、タクシー代が高いから一緒に行かないか」と誘われたんですが、反射的に断ってしまって。でも行けばよかったと後悔しています。もし他国のアーティストと話をしながら回ることができていたら、おそらく自分とは異なる視点を交換でき、鑑賞体験がまた違うものになっていた気がしています。そういうことができるとなおいいですよね。


大倉:僕は「森の芸術祭 晴れの国・岡山」のアート・ディレクター、長谷川祐子さんと視察というかたちでシャルジャを回りましたが、やはりディレクターの視点や感想をキャッチしながら展覧会をみることは新鮮でした。


シャルジャは日本とは異なる文化的背景をもちながら比較的訪問しやすい海外の国際芸術祭のひとつかもしれない。シャルジャへの旅路はドバイに降り立ち陸路で向かうのがメジャーなようだが、他都市を経由してシャルジャの空港に直接向かうこともできる。いずれにせよ往復10万円前後から渡航可能だ。

他者の土地をめぐり鑑賞すること


今回登壇した3者は異なる時期にシャルジャの地を踏んだ。大倉さんは15のオープニングだった2月に、池田さんは今年4月のエイプリル・アクトに参加した一方で、桐さんは会期終盤の6月にシャルジャを訪れた。それゆえ、灼熱の環境下での鑑賞を強いられることとなった。2月にオープニングがあり、4月に公式プログラムを開催する時期の設定は、気候と文化が無関係でないことを再認識させる。

しかしこのような困難も含めた体験全体こそが、海外の国際芸術祭の鑑賞体験を価値づける。桐さんは、こうした一連の移動と鑑賞の体験を旅と接続してまとめていた。


:鑑賞とは、他者の生きている世界にある種入る、身体的・文化的な「関係構築の実践」なのだということを、個人的には感じていました。そして他国での芸術祭は、その経験を拡張させる場なんじゃないかと。見知らぬ土地を歩き、鑑賞を通して自己(自国)と他者(他国)が歩んできたバラバラの糸を手繰り寄せながら編んでいくことこそ、国際芸術祭が持つ社会的な意味を強化していくのではと考えていました。


また大倉さん、池田さんはそれぞれ、国際芸術祭を含む大きな展覧会の可能性について以下のように話した。


大倉:展覧会をキュレーションする際には、何を鑑賞者に持ち帰ってもらえるかということはこれからも考えたいですが、どうしても作り手と受け手にばかり着目してしまいがちです。やはりそれとは別視点で、体験=旅を誰とどんな風に共有するかという視点も忘れないでいたいですね。展覧会鑑賞だけでなく、会場から次の会場へと至るまでの風景や、あるいはその道中の食事体験など、それらをどんな関係値の他者と経験し共有しえるのか。さまざまな要素が複雑に絡み合いながらアナログな体験をできるところが、海外で国際芸術祭を鑑賞することの可能性だと思います。


池田:インドネシアで “Exhibition as a social playground(社会的な遊び場としての展覧会)” という言葉に出会って以来、私はキュレーションの際にこの考え方をずっと大切にしてきました。展覧会そのものをゴールとするのではなく、遊び場としてどのように場を開き、他者と共有し、コミュニケーションを生み出していくのか。会期中にさまざまな人々とともに展覧会を「育てていける」ように設計することが重要だと思うのです。
最近はシャルジャ・ビエンナーレでの経験もあり、展覧会をSocial Playgroundとして機能させるために、ラーニングプログラムを通して来場者や社会との関係性を築くことに大きな可能性を感じています。大規模な芸術祭であれば、より長期的な視点で関係を育むことができそうですし。


海外で国際芸術祭を鑑賞することは、単なる文化的消費ではなく、グローバル化した世界における自分自身の立ち位置を問い直し、異なる価値観や歴史認識と向き合う貴重な機会なのだ。このメディアプログラムは、独自の発展を遂げるシャルジャの取り組みについてその学びを持ち帰り、また新たな交流につなげるものだった。これは単に先進的な事例を輸入するものではない。シャルジャ・ビエンナーレ16のテーマとして掲げられた「to carry」は、動詞に焦点をあてているが、この不定詞は、私たちが意図を持って主体的に「運ぶ」ことを問うものだ。日本語に訳しづらいのが歯がゆいのだが、主語を曖昧にしがちな日本語話者のアイデンティティを問い直し、透明化されがちなモビリティの責任の所在を突きつけるものだと筆者は受け取った。

3者ともに、そもそもはこのビエンナーレなしにはシャルジャとは縁遠い存在だったという。しかしそれぞれに縁あってシャルジャを訪れ、こうしてイベントの場でそれぞれの体験を共有したことは、「シャルジャ」を「運んだ」ことにほかならない。すなわちイベント参加者やこの記事の読者は運ばれたなにかを受け取ったことになるのだが、では私たちはそれをいかに運び直すことができるだろうか。

ディネ(カナダ北極圏及びタイガに居住する先住民族)のアーティスト、Raven Chacon(レイブン・チャコン)によるサウンドインスタレーション《A Wandering Breeze》が設置されたれたゴーストビレッジ。この場所はシャルジャとオマーンの国境付近にある無人地帯で、1970年代に公営住宅プロジェクトとして設立されたが、現在は無人地域となっている。この場所に着いた頃は太陽が西に傾き始めていたが、気温は50℃を超えていた。熱風吹き荒ぶ砂漠地帯の中、半分砂に埋まった廃墟のそこここからは、先住民の抵抗や主張を表した詩が断続的に聞こえ、この場所とかつてそこにいた人、アーティストの持つ歴史や自己同一性、そして鑑賞者である自身が時間と空間を超えて重なりあう錯覚のようで確かな手触りを、朦朧とする意識の中で感じた。(編集・桐)

関連情報

Sharjah Biennial 16: to carry

過去のシャルジャ・ビエンナーレについてはこちらを参照

April Acts 2025


注釈

【※1】Hoor Al Qasimi
フールさんはほかにも国際ビエンナーレ協会の会長や、来年のシドニー・ビエンナーレの芸術監督など、数々の要職を務めており、日本では、今年開催された「あいち2025」の芸術監督でもあった。

【※2】2022年のドクメンタ15でインドネシアのコレクティブであるルアンルパがアジア出身者として初めてディレクターを務めたのは近年の代表的な事例と言える。世界各地のアーティストやコレクティブを「友人たち」としてドクメンタに招聘し、最終的には1500名以上が参加したというアーティスト選定は西洋の伝統的なキュレーションとは一線を画すものだった。ドクメンタ15におけるルアンルパのディレクションはここ30年の現代美術領域における社会的な実践の盛り上がりと脱欧米中心主義という2つの潮流を象徴する出来事だったが、その評価には賛否がある。

【※3】アラブ首長国連邦は産油国ではあるものの、首長国ごとに埋蔵資源の分布には差があり、資源収入を連邦として再投資することで産業を多角化してきた歴史がある。シャルジャ首長国は1971年の連邦としての独立時には石油収入をほとんどもたず、経済基盤を第1次産業に依存していた。それが1970年代後半に大規模な石油・ガス資源の商業生産および開発が進み、産業を多角化すると同時に文化投資を積極化した。不動産や金融を中心とした富裕層向けのサービスを充実させたドバイ首長国、最も豊富な石油資源を基盤とした化学や金属産業を発展させるアブダビ首長国に次ぐ経済規模を誇るシャルジャ首長国は、文化産業と製造業を中心とした政策をとってきた。工業地区を設定して多様な産業を展開するほか、「UAEの文化首都」としてイスラム文化の普及と文化交流にも注力している。

【※4】中東地域では1987年に始まったイスタンブールビエンナーレに次ぐものであり、日本で大地の芸術祭(2000年-)や横浜トリエンナーレ(2001年-)が始まるよりも先立つ。

【※5】なお長谷川さんはシャルジャ13のディレクターを務めた縁もある。国際芸術祭にはこのように他国の芸術祭関係者が足を運び、自分たちの芸術祭にあう作家がいないか視察することも多い。大倉さんは当時、作家選定のために何人もの作家にインタビューし、情報をまとめ、ディレクターと数多く協議したが、結果、コンセプトや地域・土地との相性などでシャルジャ・ビエンナーレ経由では選定には至らなかったそうだ。


【※6】当初は長く協働関係にあったオクウィ・エンヴェゾーによる企画を予定していた。しかし、同氏が2019年に他界し、さらにはコロナ禍による延期も経てついに2023年に実現した。「Thinking Historically in the Present」という生前に構想していたテーマをフールさんらが引き継ぎ、それまでの30年間を振り返った。

【※7】 5名がそれぞれのエリアを担当したが、本文の通り明確に地域を区切るというよりは、またがって担当しているため、同会場でふたりのキュレーションが重なることも多かった。

・Alia Swastika(インドネシア出身:シャルジャ市を中心に担当)

・Amal Khalaf(シンガポール出身でロンドン拠点:Al Hamriyah、Al Dhaid などを担当)
・Megan Tamati‑Quennell(ニュージーランド出身:Kalba や Al Madamなど)

・Natasha Ginwala(インド出身:シャルジャ湾沿岸や水辺空間)
・Zeynep Öz(トルコ出身:シャルジャ市全域のギャラリーなどを担当)
キュレーター各人のプロフィールについては以下を参照。
Sharjah Art Foundation announces curators of Sharjah Biennial 16

【※8】ちなみに池田さんのプレゼンテーションは、池田さんが以前から関与してきた「素人の乱」の活動や高円寺の再開発をめぐる問題や、キュレーターとしていくつかのプロジェクトに携わっている「山中Suplex」や「BUG」でのラーニングを中心としたプロジェクト設計をめぐる試みを紹介するものだった。

【※9】今回のシャルジャ・ビエンナーレにおける日本人作家として確認できたのは、現在はニューヨークを拠点に活動する池添彰1名のみであった。

【※10】シャルジャ・ビエンナーレ16では、美術館が集まる中心部の広場周辺だけでなく、オマーン湾岸にある郊外の沿岸部にあるかつて氷工場だった建物や、シャルジャ北部のアラビア湾沿岸工業地区にあるのスーク(市場)跡地に建設された施設などもも含まれていた。それぞれ財団がスタジオ兼レジデンシー施設として芸術祭の会期外も運営しているようだ。

【※11】タクシードライバーは北アフリカ出身者が多いことも会のなかで触れられていた。大倉さんはスーダン出身と記憶している現地の友人を得て、ドバイまで車を出してもらったことも紹介していた。現在のアラブ首長国連邦の民間部門のほとんどは移民が担っており、人口のおよそ85%が移民であるとされる。

【※12】大倉さんは現地の人と交流するなかで、シャルジャの人たちの「ドバイとは比べるな、あそこはアラブじゃねえ」という発言や、現地でできた友人(ソマリア出身でシャルジャ在住)がドバイのモールに入る前にはナメられないような服に着替えていたエピソードを紹介し、ドバイに対する愛憎入り混じった感情や自分たちの文化的なアイデンティティに対する誇りを垣間見ていた。

(記事内の全URLの最終確認は2025年12月12日)

REPORTER|山本 功(やまもと いさお)

1992年広島市生まれ。京都大学文学部を卒業後、(公財)福武財団にて直島コメづくりプロジェクトを担当。その後、2018年より地元広島に拠点を移し、アートマネジメント事業や調査事業等を手掛ける。2021年からは「タメンタイギャラリー鶴見町ラボ」を運営し、美術だからこそのやり方で場所性、空間性へのアプローチを行う企画を中心に、実験的、挑戦的な展示を定期的に開催している。タメンタイ合同会社代表社員。