JR京都駅のすぐ南。地下鉄九条駅からは徒歩5分ほどの好立地に、京都の老舗アートホテル、 HOTEL ANTEROOM KYOTO(※以降「アンテルーム」と表記)がある。同ホテルはUDS株式会社が2011年4月に、築23年の学生寮をリノベーションしてオープン。蜷川実花や名和晃平をはじめ、70組以上のアーティストが客室に関わり、現在128室の客室と50室の長期滞在型ホテルを有している。アートホテルという特性上、館内のそこここで作品を鑑賞することができるが、同ホテルには「GALLERY 9.5」という現代アートを中心に取り扱う本格的なギャラリーも組み込まれており、年間約5~6本(開業から2023年3月時点で計104回)展覧会を開催している。
同ホテルの支配人である上田聖子(うえだまさこ)さんは、ホテルの立ち上げ当時からアート事業に関わり、当時はまだ一般的でなかったアートホテルの可能性を、ギャラリーの設計をしながら追求し、形にしてきたひとりである。今回はそんな上田さんのキャリアを紐解きながら、アートホテルだからこそ提示できるアート体験の可能性について話を伺った。
–– 上田さんは日本でファッション系のことを学ばれてから、渡英してイギリスの大学へ進学し、そこで初めて美術を学ばれていますよね。まずこの経緯からお話を伺いたいです。
日本でも進学自体は最初、美大で考えていたんです。小さい頃からひとりで絵を描いて過ごすことが多く、美術館も大好きでしたし、そう思うのは自然だったのかもしれません。
ただ日本の多くの美術館では、海外と比べると作品までの距離がロープやらガラスやらでかなりあって、ずっと違和感がありました。そして何より息苦しく思えたのは、自由に模写ができないこと。美大へ進学をする同級生はアトリエに通う中、この違和感を抱えたまま私はこの環境の中で美術をどう学んだらいいんだろうと思っていて。
そこで進学先を選択するとき、迷っていたこともありますが、いちばん興味のあったファッション系の短大に進学しました。美術をするしない関係なく、本当は高校をでてすぐに留学をしたかったのですが、家族に日本でもう少し学んでからでもと言われて、とりあえず2年、日本で当時好きだったファッションを勉強しながら留学の準備をしようと。手に職をつけることや世界へ目を向けることを教えられていたので、海外で学びたい気持ちはずっとありました。
–– なるほど。海外にいくこと前提だったんですね。そこからの流れで、どうしてイギリスに?
最初はアメリカ留学を考えていました。ただ短大を卒業する年に9.11があって。アルバイト先で見た9.11の映像を今でも覚えていますが、自分の中ではすごい衝撃でした。それで今まで決めていた進み方を一旦フラットにしたくなって。その時に、英語を教えてくれていたイギリス人の写真家の先生が、イギリスを勧めてくれたんです。
それでまずは短大卒業後の夏、サマースクールでロンドン近郊のサリー州に行きました。1ヶ月大学に通いながらポートフォリオを作るコースだったんです。その時にイギリスが、肌に合っているなと思いました。1番大きかったのは、ロンドンの美術館を巡るツアーがプログラムの中にあって。テート・モダンとかヴィクトリア&アルバート博物館に行ったのですが、無料で見れる常設展示も多く、写真を撮ったりデッサンをしたり……美術館の中がすごい自由で、改めてそれが衝撃でしたね。
–– その経験があって、再度美術を学ぶということが現実的になったんですね。どんな大学に行かれていたんですか?
私が通っていたのが、グラスゴー芸術大学【※1】という総合芸術大学です。私はファインアート学部の、ペインティングとプリントメイキングコースに在籍していました。
–– アートを学ぶにあたって、そのコースを最終的に選ばれたことには、何か理由があったのでしょうか。
まだ日本にいた時に、家族旅行でバンクーバーにいく機会があって。その時、現地の美術館でアンディ・ウォーホールの大回顧展がやっていたんですが、そのスケール感や複製の可能性に圧倒されたことは大きいかもしれません。
ファッションは自己表現でもあるけど、所有する人のステータスや性別、体格とかで制限されてしまいますし、沢山の人に届けたいと思ってもファッションでは表現できないことも結構あるんだなとその時気づいて。ウォーホールはヴェルヴット・アンダーグラウンドのアルバムカバーやアーティストのプロデュースなどすごいコマーシャルなこともやっているけど、ファクトリーという場所を自分で作ったり、色々やってて、なんなんこの人と。それが、彼が当時やっていたシルクスクリーンと繋がって、プリントメイキングに興味を持ったきっかけかもしれないですね。
–– イギリスではどのようなことを学ばれていたんでしょう。
まず学んでいたこととしては、作品制作を伴う実技が7割で、残りが美術史です。美術史の中では講義を学びながら所属するコースを超えたグループ構成でディスカッションしたり、論文を書いたり。そこでデザインからアート、社会情勢との繋がりまで、多角的に美術を知る機会がありました。大学はとにかく進学するのが大変で、必死でしたが週2回程度は地元のライヴハウスに行ってました(笑)。
–– ちなみに制作していた時は、どのようなコンセプトでされていたんですか?
言語化が難しいんですけど、自分を取り巻く社会に溢れている情報を扱っていて、最終的には版画のフォーマットに落とし込んでいました。版画は人に何かを伝える伝達の機能があって、そこに着目していて、そこからテレビや新聞などメディアとの掛け合わせをしたいなと思っていて。メディアが発信している情報には裏にはこういうメッセージがあって。その中にある闇みたいなものを、自分なりの手法で表現するということをしていました。
–– なぜメディアとの掛け合わせをしたいと思われたのでしょうか。
実は人生レベルで見ると、伯父と伯母の影響は大きいかもしれません。伯父は放送局に勤めていて、考え方も含めてすごいエッジの効いた人でした。海外にも旅行や仕事で行っていたこともあって、私の海外思考はふたりからもらっていますね。私もその影響で新聞、雑誌にも興味を持っていたのですが、実はそれらから流れてくる情報のほとんどは嘘やという話をよくされていました(笑)。
あとはイギリスと日本を往復する中で見えてくるものもあって。例えば私が面白がって取り上げていたのが、電車の吊り広告や、ポケットティッシュの中にある広告。そういう日常の中にある情報が日本には多いなと。それでポケットティッシュの中の文字情報を取っ払って、色彩情報だけで何が伝えられるのかなとか考えたり。日本語という言語を超えた視覚情報は広い意味での共通認識、それをヴィジュアル・アートとして再定義し、情報として届けることができないかなとか、制作している時は考えていました。
–– 情報の編集のような側面は、今の上田さんのキュレーションにも影響していそうに思います。イギリス在住時は、卒業後の進路について、どう考えられていたんでしょう?
具体的なイメージは持てていかなかったと思います。イギリスに残るか残らないか、くらいでしょうか。結局卒業後に約2年、イギリスにいたのですが、理由としては大きくふたつのことが影響しています。
ひとつは卒業するときにヤングパーソンズ・タレントビザ【※2】という新しいビザの制度が試験的にはじまったんですが、有効期間2年で、審査に通って就業規則さえ守れば、何をやってもいいという魔法のビザを手に入れて(笑)。後は卒業制作展で賞をふたついただいたこと。そしてそのうちのひとつが、グラスゴー・プリント・スタジオ【※3】という歴史ある版画のスタジオで、1年間無償でスタジオを利用できる権利と1年後に個展ができるっていう賞だったんです。それを家族に伝えたら、残ってやってみたらって。
–– 作品制作も続けながら、他にはどのようなことをされていたんですか?
お世話になっていた先生のほとんどが、現役のアーティストだったんですけど、繋がりのあるギャラリーに推薦文を書いてくださり、そこでインターンをすることになりました。
あと大きな仕事としては、地元のアーティストや自身での制作が困難な学生の為のシルクスクリーン作品の制作を請け負っていました。ひとつは元々友達づたいにきた仕事の話なんですけど、Alan Michael【※4】というグラスゴー拠点で活動する現代アーティストのお手伝いを3ヶ月。当時、エディンバラ大学に併設するタルボット・ライス・ギャラリーで出品する予定の新作だったんですけど、シルクスクリーンを使った大判のものを構想されていて。アランは写実派のペインターだったこともあり、技術的なサポートが出来る誰かを紹介してほしいと。同学年でシルクスクリーンをメインでやっていたのが私ひとりだったこともあり声がかかりました。
そんな感じで過ごしていましたが、同世代のアーティストと同じように、制作のためにカフェやギャラリーでアルバイトをして生きていくってなった時に自問自答はありました。家族からサポートされてギリギリ成り立っている状況で、本当にこれがやりたいんかな?って。まずは経済的にも自立した上でやりたいことをやることが、本当の意味でのスタートだと常に考えていましたね。
–– 上田さんが元々作家として活動されていたことはよく分かりましたが、キュレーションをするということについては、どのように慣れていかれたのでしょうか。
ひとつのターニングポイントとしては帰ってきた時かなぁ。日々手を動かして制作していた生き方に対して、帰国して仕事をはじめて少しずつ作らなくなり、そのギャップを埋めるのにすごく時間がかかりました。作らない日常に慣れてきても、同時に慣れ出した自分に怖さや焦りもあって。
入社当時は、私ひとりしかアート担当がいなかったのですが、当時はキュレーターと呼ぶには経験も少なく、ただアート周りを担当しているスタッフという感覚でした。
立ち上げ時、ホテルにはアートディレクターとして彫刻家の名和晃平さんの他、外部キュレーターとしてデザイナーの原田祐馬さん、様々なソリューションデザイン事業を展開する松倉早星さんなどがいらしたのですが、彼らをサポートするようなことを意識していました。でも一方で自分の自我がどちらかといえばまだ出ていましたね。私もあわよくばグループ展に参加して作品を見せたいという気持ちがめちゃくちゃ強くて。他の作家が出展することを羨ましく感じたり、自身の作品をプレゼンしてみたり(笑)。 1〜2年はそういう期間だったかもしれないです。
–– 今思うと、そうそうたる人たちが立ち上げに関わられていたんですね。
立ち上げから約2年は外部キュレーターの企画を中心に運営していました。その後、運営をどうするって話になったときに、自分にやらせてくださいと当時のGMに伝えました。外部キュレーターのような経験やコネクションがなくても、ホテルの事業の方針や時代のムードを取り入れて、絶対に存続させるみたいなことをたぶん言ったと思います。彼らがいなくても、アート事業が持続できる仕組みを作ろうと思っていて。そこからは少しフェーズが変わって。自分はアート業界を支えるひとりとしてホテルをキュレーションをしていくんだという気持ちが強くなりました。
だからコーディネーションよりも、キュレーションをしたいといつも思っています。展覧会のキュレーションって、コンセプトを決めて、作家を決めて、あれこれしてっていうことだけじゃなくて、場づくりでもあるんです。そこも含めて作家がやろうとしている世界観をどれだけ維持できるか、浸透できるかみたいなことをすごく考えてやっている……つもり(笑)。それはスタッフへの投げかけとかお客様の巻き込みとか、例えばイベントの設計も含めて一体だと思っているので、そこへの意識が自分の姿勢を変えていったように思います。
–– そういう意味で、前回の展覧会「問題のシンボライズ ー彫刻・身体・男性性ー」(2022年11月28日〜2023年2月9日)【※5】の開催前に、作家の熊谷卓哉さん、小笠原周さん、米村優人さんを誘って行かれた「石仏ツアー」はかなり面白いイベントでしたね。
あれはまぁ私の興味関心もあるんですけど(笑)。自分が知るっていう体験も含めて、作家と一緒に同じものを見て、空間時間を共有するっていうのはひとつ大きい目的ではありました。そこにみんなの意識を向けていくとか、彼らが興味を持っているものに接続するっていうのは、自分の中での場の設計としては重要だったなと思います。
一緒に同じものを見る体験って、すごい泥臭いですけど、やっぱり私がホテルの現場で学んできたこととも、すごく繋がっていて。同じ釜の飯を食うっていうか(笑)。私が違う業界(ホテル)に入ってこのみち何十年とかの人と同じ現場で、例えば彼らがやらなくていいんじゃない?何でアート?っていうことをやろうとするって時にやれるかどうかは、本当にお互いの信頼関係しかなかったと思うから。ホテルの仕事を覚える体験とともに、自分から歩み寄るっていう姿勢は、大事だと思っています。
–– 問題のシンボライズ展では企画者の熊谷さんが「男性性」をもとに、かなり意識的にテーマを設定されていましたし、構成も含めてある程度彼らが自由に展覧会を設計していたように思います。会期中に開催された、展覧会に関するインスタライブの公開収録やトークイベントも、作家の意向を大事にされていましたね。
熊谷さんの中にある明確な問題意識に、小笠原さんも米村さんも自分を乗せて、彼らにしかできない緩やかな調和が取れた空間を作っていましたね。私は作家活動もしていたからか、おそらくコントロール欲みたいなものが、あんまりないんですよね。
今回彼らとはコミュニケーションをとりながら進めてきたつもりですが、お互いの状況が許さなかったりして、さっき言ったような歩み寄りができないこともあります。そういう時は状況に合わせて線を引くのですが、私の微妙なスタンスは結構見えづらい部分かもしれません。
–– 今までキュレーションされた展覧会で特に思い出に残っている展覧会ってありますか?
体験の設計も含めて、自分の中ですごく苦労したし、難しかったし、できてよかったのは、2021年11月の「デジタル・オーガニック展」【※6】という展覧会で。それは前段としては、Panasonicさんと共同で実証実験をした「(MU)ROOM」【※7】っていう瞑想体験をする宿泊プログラムの延長として、館全体でどういう体験を提供できるかっていうことを考えて、1から企画した展覧会です。テーマ性としては現代社会における身体性や五感で体験することを改めて考えること。意識的に身体感覚を伴う体験に重きをおく作家を集めました。視覚や聴覚、嗅覚など知らず知らず無意識に反応してしまうような五感を扱うような作品を意図的に配置し、展覧会の企画をしました。私のチャレンジとしては、(MU)ROOMで表現される五感で体感する瞑想体験を、視覚表現としての鑑賞体験としてどういう形で提供できるのかということ。それがひとつ大きなテーマとしてはありました。
–– アーティストはどう選ばれたんですか?
ずっと一緒にお仕事をしたいなと思っていた小松千倫くんに最初にお声がけして。このデジタルオーガニック展のコンセプトを考えたときに、小松くんがまず、現代における身体性とか五感を想起するような作風をいちばん捉えている作家と思っていたので。そこから身体性を軸に、視覚聴覚嗅覚などいろんな文脈から捉えられるように選びました。結果、4組のグループ展ではありますが、現代アーティスト、音楽家、写真家みたいなジャンルのばらつきが出ました。作家の中にはこの企画の中で新しい挑戦をしてくださる方もいて、キュレーターとしての満足感というか喜びを感じる瞬間でしたね。
–– テーマがテーマだけに参加されているみなさんも、自分の視覚表現を問い直すいい機会になったんではないでしょうか。
そう言ってくださる方も多く嬉しかったです。デジタルデバイスに囲まれた現代、つまり私たちの日常をある種切り離すカウンターとしての身体性というのが必ずあって。私たちはインターネットで遠くにいる誰かと繋がったり、宇宙と繋がったり、対象物との距離や感覚もネットに影響されていると思います。情報から、なんでも見知ったような気になりますけど、そういうことって美術鑑賞にも影響していて。例えば展覧会の情報や、バーチャル上で会場を回れる3Dウォークスルーとかも容易に手に入るので、誰かがポストしてくれた情報だけで、なるほどなるほどって知ったような気持ちになるとか。
私自身はやっぱり同じ釜の飯を食うとか、自分の足でいくとか、身体的な感覚を伴わないと実感できないタイプだと思うんです。それを自身のキュレーションでも大事にしたいと思っています。
–– 準備も結構大変だったんじゃないですか?
(MU)ROOMに関してはパナソニックさんからご相談をいただいてから、足掛け2年くらいだったのですが、始まる矢先のコロナで。1年を通して2回緊急事態宣言とまん防が出てホテル運営も大変な時期でした。自分含め関係者の方々と時間をかけて準備をした事業をそういう形で迎えることになったんですけど、逆説的には閉塞感が立ち込める社会のニーズとマッチしメディアの反響も予想以上でした。20代〜50代まで幅広く利用いただき、満足度も9割を超え、稼働としても7〜9割と成果もありました。ギャラリーでの展示も含め、五感を使ってお客様が体験するホテルのプログラムとしては、アートと混じり合う新しい可能性も提示できたかなと。自分としても新境地でした。
–– アートホテルは宿泊体験と鑑賞体験が連動していることが面白いですよね。ただそれゆえにキュレーションには特殊性があるように思います。
そう思います。それも含めて自分の仕事を見てもらえたら、より仕事への理解に繋がると思います。やっぱりギャラリーの仕事だけを見てもらうと評価しづらいと正直思います。評価という言葉が正しいかはわからないですけど。でも自分の特異性って、そこにあるのかなって。
ちょっと話していて思い出したのは、作家が展覧会をするとき、ホテルに(遠方の場合)泊まってくれるんですよね。で、泊まるから家にいるような感覚に少しずつなり、アトリエにも近いから寝るまでは部屋と空間を行き来する。こういう体験ってなかなか出来ないことだから、作家にとってもかなり稀有かなぁって。展覧会の時間って限りがあるじゃないですか、例えば10時から18時とか。でもホテルであれば、時間の制約を超えて展示している作品と対話をするってことが可能で。それってホテルだから起こりうるめちゃくちゃ面白い体験ですよね。展示会場も当然、光の入り方が時間によって違いますし。自分自身の作品の捉え方ももしかしたら時間によって変化するかもしれないし、時間の設計をするではないけど、光のコントロールも含めてお客様に様々な作品の見え方を提供できたらすごい面白いなって思う部分があります。
–– アンテルームはギャラリーがあるので、部屋やホテルのそこここで発生する偶発的なアート体験と、ギャラリーでの本格的な鑑賞体験の両方が味わえるところがいいですよね。ある種美術館にいるような気持ちで作品と相対し、そこに宿泊体験という食住を伴う日常がのってくる。こういうのはアートホテルならではの時間のように思います。
美術館で生まれる時間よりは、物理的にもかなり長いですよね。朝昼晩、ムードの違う体験を楽しめるから。体験価値は時間によっておそらく全く違っていて。そしてそれがちゃんと提供できているってことが大事なんでしょうね。
私が入社した当初、ホテルの目的はやっぱり宿泊、お客様にとっての仮の住まいとして安心安全を感じる場所を作ることを第一条件として考えるよう教えてもらいました。それだけを考えるとセキュリティや駅からのアクセスなど、ホテルとして変えられないことも多い。そこにアートの体験が入るより複合的で豊かな体験の組み合わせを考えて、チャレンジできるのはアートホテルだからこそ語れるものかなと。体験との深さとも言えるかもしれません。階層の深さを設計できるのは、アートとホテルの掛け合わせで生まれると思っています。それに先ほどの話にも出てきましたが、アートホテルは美術館やギャラリーではない作品鑑賞も出来る場なので、泊まることに特化したホテルならではの体験を、皆さんに味わっていただきたいなと考えています。
–– 最後に上田さんが今後、挑戦したいことなど、あれば教えてください。
まずはアンテルームをさらに育てていくことのお手伝いです。おかげさまで2020年に那覇とソウルがオープンし【※8】京都以外の場所でアンテルームの可能性を拡張し、そこにギャラリーを作ることでその土地の魅力を発信するホテルができたと思います。
その達成感と同時に、アンテルームの魅力は、京都だけじゃなくて、他の場所でも展開できるんじゃないかと感じるようになりました。それもあり、実はこれからは、私はUDSの外部パートナーとしてアンテルームのブランド認知向上に関わることになります。ゆくゆくは那覇とソウルのアンテルームとも関わりながら、それぞれで展覧会を企画したり、あるいは連携させたプログラムを作ったり出来たらと。
アンテルーム以降、京都にもアートホテルがたくさん出きて、アートホテルという形態が、アーティストの表現の場としても認知されてきたと思うんです。
数年前には、オリンピックに向けてホテルの開業ラッシュも相次ぎ、アンテルームや私が担っていた役割がそこここで果たされるようになってきて。その中で改めて自分の役割を問いただす機会がありました。
–– そうなんですね。特に京都ではBnA Alter Museum,Kyoto、河岸ホテル、node hotelなど、アートホテルが2019年以降に次々に開業しましたよね。2019年は京都市内の外国人比率も過去最高になるなど、観光ラッシュも後押ししていて、アートホテルだけでなく、ホテル業界全体が盛り上がっていたように思います。
はい。だからこそ京都における自分の役割を問い直したいというのもそうですし、京都の外でも色々と挑戦をしたいと思っています。10年を自身のひとつの目標にしていましたが、今年で12年目を迎えたこともあり、ここで学んだことを生かして色々な方の役に立ちたいなと。実はアートホテルを作りたいという方からの相談も受けますが、どういう組織体制で、どうスタッフの育成をしたらいいかわからないという声も聞きます。そんな方々のアドバイザリーとして並走することも出来たらと思います。アンテルームを中心として、アートやデザインを通して宿泊体験を拡張するお手伝いをしたいと考えています。
–– とても素敵ですね。宿とアートの掛け合わせは、今では普通になっていますが、マーケットがまだ小さかった頃から12年経験された、上田さんだからこそできる提案がありそうですね。
そうですね。これからはフリーになりますが、気持ち的には後ろ盾がなくなる不安よりも、留学を決めた時の気持ちと似ていて、わくわくしています。
ちょうど今、仲間と屋久島に小さな宿とヴィレッジを作り、誰かにとっての1.5拠点を作る「東京屋久島計画」を進めているのですが、私はそこにアーティストが滞在制作ができて居場所となるようなことを考えています。プロジェクトの仲間には、コミュニティやパートナーシップについて考えていたり、島の地杉でサウナを作ろうとしているメンバーもいたりします(笑)。自分に何ができるのか、手探りなところもあるんですけど、今まで経験させてもらったことや繋がりを生かして、アートやホテル、地域の魅力を伝えていくことで、業界にも還元できれば素敵だなと思っています。
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関連情報
(2023年3月28日15時20分最終確認)
(2023年3月28日15時20分最終確認)
注釈
【※1】The Glasgow School of Art (通称GSA)
スコットランド最大都市であるグラスゴーにある国公立美術大学です。イギリスで初の国際的に認められた芸術高等教育機関。
(2023年3月28日15時25分最終確認)
【※2】現在は、Global Talent visaというものになっている。
(2023年3月28日15時25分最終確認)
(2023年3月28日15時26分最終確認)
【※4】Alan Michael
JAN KAPSギャラリーから引用。
(2023年3月28日15時26分最終確認)
【※5】「問題のシンボライズ ー彫刻・身体・男性性ー」(2022年11月28日〜2023年2月9日)
(2023年3月28日15時27分最終確認)
【※6】デジタル・オーガニック展
(2023年3月28日15時28分最終確認)
【※7】(MU)ROOM
(2023年3月28日15時29分最終確認)
【※8】
ANTEROOM NAHA
(2023年3月28日15時30分最終確認)
(2023年3月28日15時30分最終確認)
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INTERVIEWEE|上田聖子(うえだまさこ)
1982年滋賀県生まれ。元・ホテル アンテルーム 京都・支配人 / Misenoma インディペンデントキュレーター / ホテルアドバイザリー
10代で見たアンディ・ウォーホールの展覧会に衝撃を受ける。後に渡英。グラスゴー美術大学でファインアートを学ぶ。現地ではアートに対する敷居の低さや、ホテルとアートが密接に関わっている状況を目の当たりにした。帰国後は、伝統工芸を海外へ発信する仕事に就き、当時の同僚がアンテルーム京都の開業に関わったことをきっかけに、UDSへ転職。2016年アンテルーム増床では企画を担当し、「GOOD DESIGN AWARD 2017」「楽天トラベル ゴールドアワード2017」を受賞。GALLERY 9.5では、David Bowieの写真展やウルトラ・ファクトリーとの共同企画展など、数々の展覧会を担当。主な展覧会に「ANTEROOM TRANSMISSION vol.1 ~変容する社会の肖像」(2021年)、「デジタル・オーガニック」展(2021年)、「問題のシンボライズ ー彫刻・身体・男性性ー」(2022年)など。
2017年4月〜2023年3月末までHOTEL ANTEROOM KYOTOの支配人を務め、現在はMisenomaとしてアートやデザインを通して宿泊体験を拡張する事業やアートホテルの人材育成に従事する。
INTERVIEWER|桐 惇史(きり あつし)
+5 編集長、ART360°プロジェクトマネージャー。
1988年京都府生まれ。京都外国語大学英米語学科卒業後、学習塾の運営に携わりながら、海外ボランティアプログラムを有する、NPO法人のプロジェクトリードに従事。その後、ルーマニアでジャーナリズムを学び、帰国後はフリーランスのライターとして経験を積むかたわら、大手人材紹介会社でコンサルティング営業、管理職として組織マネジメントなどに携わる。現在は360°映像を通した展覧会のデジタルアーカイブ事業「ART360°」の推進に関わる。