「かめおか霧の芸術祭」は2018年から京都府亀岡市で始まり、2021年度に4回目を迎えた。同芸術祭では芸術の定義を、広義に生命や魂を輝かせる「技術」にあると考え、その技術を参加者が体験できる取り組みを数多く生み出してきた。芸術作品のみに焦点を絞らない空間づくりや活動は、多くの協力者を得て亀岡の資源となり、その根を毎年広げている。
亀岡市文化資料館で開催された「線を引き続けるためのアーカイブ」展は、先述した「技術」を視覚化するような芸術資料(制作物だけでなく道具や写真、作家が所蔵する機器や本まである)を展示のメインとし、そこから芸術家たちの日々の営みを明らかにするものである。鑑賞者は展示された資料を恣意的に組み合わせながら芸術のあり方を考え、地域ゆかりの作家を通して亀岡という土地を再考する。同展覧会には、そのような芸術と土地の循環作用が見え隠れしていた。社会情勢やデジタル化の波から芸術資源のあり方が問い直される現在、我々は資源を単一的に捉えるのではなく、複合的且つ循環的な流れの中で捉え直さないといけないのかもしれない。
今回はアート・メディエーターのはがみちこさんに、博物館法の改正案を見据えつつ同展覧会を紐解いてもらい、これからの芸術資源のあり方について再考していく。(+5編集部)
「線を引き続けるためのアーカイブ」――ネットワーク型資料展示の試み
2022年2月に閣議決定され論議を呼んだ、博物館法の一部を改正する法律が4月の国会で正式に成立した【1】。発表された改正案には、昨今の文化行政における博物館・文化財保護制度の「保存から活用へ」という変革の潮流が凝縮されている。奇しくも、これにやや先駆けて開催された「かめおか霧の芸術祭 霧の芸術舘2021」のプログラム「線を引き続けるためのアーカイブ」展が、ミュージアムの扱う資料のあり方について再考をうながす機会を提供していたことは特記しておくべきだろう。
この展覧会は、亀岡にゆかりのある芸術家や芸術実践にまつわる資料、テキストや写真・映像などを資料館の展示室に大胆に配して構成されていた。展示されている作家は、古くは江戸時代の絵師・円山応挙から、現代にかけては彫刻家・山口牧生、陶芸家・出口鯉太郎、現代美術作家・ヤノベケンジにいたるまで。加えて、亀岡に拠点を置く障害者支援施設「みずのき」で開かれた「みずのき絵画教室」の資料も合わさり、時代やジャンルを超えて紹介することで、亀岡という土地に脈々と伝わる文化的土壌を可視化しようという試みである。こうした資料の発掘調査・展示構成に関わったリサーチ・チームには、副産物産店(矢津吉隆+山田毅)、辰巳雄基、川勝真一(RAD)、やまねかおりが名を連ねており、フィールドワーク的な実践を継続してきたアーティスト/研究者たちの手がけた企画であることがわかる。
展覧会タイトルの「線を引き続けるための」という一節は、前年度の同芸術祭の中で開催された「霧の芸術舘 〜線を引き続けるためのプラクティス〜」から引き継がれている。こちらの展示は、亀岡に関わりをもつ同時代の若手作家を招聘し、文化資料館の所蔵資料と彼らの作品を掛け合わせる趣向となっていた。「線を引き続けるための」というネーミングには、「現在進行形で活動している彼らの作品を「現在」と捉えて、亀岡について資料が物語る「過去」、そしてこれからの未来に向かって線を引き続ける(=作品を作り続ける)ことを作品で示していくというコンセプトが込められている」という。この態度が、今回の「線を引き続けるためのアーカイブ」の根底にもあるわけだ。現代の実践者たちの視点を取り入れることで、過去〜現在〜未来へと「線を引き続ける」、つまりは土地の歴史を紡いでいくことが狙われている。
「大胆」な、と先に述べたが、展示の設えはいわゆる資料館の通常のフォーマットに則って、備え付けの展示ケースの中に収まってはいた。個々の作家の作品が独立した展示ケース内に展示されているものの、実のところ、これらの作品は作家ごとのサンプルとしての要素が強く、むしろ主役になっているのは壁面の展示ケース内の「芸術資料」群だ。そこには、リサーチ・チームが各アトリエを訪ねて発見した道具や素材、それらが収納された棚そのものなど、制作現場の一部を切り取るようにして持ち込まれた資料群の数々が飾られていた。使い込まれた道具類、テストピース、アトリエに置かれていたオブジェやポスター、蔵書などが、目を見張るほどの密度で配置されているのである。(なお円山応挙については、アトリエ資料に替えて、小僧時代を過ごし晩年に障壁画を手がけた亀岡の金剛寺と応挙にまつわる資料が集められていた。)
それらの物品ひとつひとつに「有形芸術文化調査票」なるオリジナルの調査カードが作成され、現物と一緒に展示されている。現状や昔の様子を写した記録写真、作家本人や関係者へのインタビュー映像もある。また、アトリエの3Dスキャニングを二次元出力した画像と、その3D空間をウェブ上で体験するためのQRコードも用意されている。鑑賞者と展示資料を隔てる展示ケースのガラス面には、これらの二次資料とキャプションが所狭しとレイアウトされていた。視線が縦横に、あるいはガラスの表面から奥の展示物へと誘導されるその鑑賞体験は、スマートフォンやタブレットで、スワイプして画面を切り替えながら能動的にウェブ上の複層的な情報を次々に得ていく、現代の情報感覚に通じる部分がある。通常であれば、保護のためのこのガラス面は、いくら透明であっても鑑賞者にとっては単なる遮蔽物にすぎないものだが、ここでは情報の投影されるモニターとしての機能を与えられているというわけだ。こうして高度に情報化された展示空間は、さらに360度3Dカメラ「Matterport」を用いてオンライン上で3D-VR空間として再現され、その中にも個々のキャプション、写真、映像、調査カードなどの個別データがマッピングされて連結されている【2】。
このように幾つもの芸術資料とメタ情報をネットワーク的に統合し、一揃いの組み合わせの中で提示していく展示方法は、単体の資料が順番に並べられているオーソドックスな資料展示のスタイルでは成しえないほどの高解像度で、対象――芸術家の制作の現場が醸し出す質的な価値をこそ伝えている。本展で目指されているのは、著しく価値の高い作品を抜き出して見せることではなく、それらの作品が生み出される芸術的営みの総体を、ミュージアムという枠組みの中で有形物によってどのように伝達可能かという問いに答えることだ。
そのために、また別の手法が試みられていたことも追記しておこう。展示前半部が視線優位の複合的情報空間として構成されていた一方、後半部では、作家たちのアトリエから集められた芸術資料の一点一点を、鑑賞者自身の手で資料保存箱から取り出してじっくりと観察できるスペースが設けられていた。こちらでは、実際にリサーチ・チームがアトリエでその資料を発掘し、手に取った時の実感を追体験することができるインタラクティブな仕掛けだ。数多の情報からそのものにまつわるストーリーを学習した上で、自らの手で出会う一点の実物資料には特別なアウラが備わるのではないだろうか。
「文化資源」がもたらした改革
さて、冒頭で改正博物館法の話題を挙げておいたが、この改正で注目されるのは第三条「博物館の事業」に新設された第三項【3】の中に登場する「文化資源」なる語だ。「有形又は無形の文化的所産その他の文化に関する資源」一般を指す言葉として用いられているが、「これまで価値付けが明確でなかった未指定の文化財や文化財と一体性を有する周辺環境など」を含むとされており、「指定」や「登録」による選別を前提とした既存の文化財概念を、より緩やかなスペクトラムへと変容させるよう意図されている。
「文化資源」という用語は、東京大学大学院人文社会系研究科に設けられた文化資源学研究専攻において初めて用いられ(2000年)、文化資源学会が設立される(2002年)など、当初は学術分野が文化財保護制度のオルタナティブを模索するなかで使用してきたものだ。文化資源学会の設立趣意書では、「文化資源とは、ある時代の社会と文化を知るための手がかりとなる貴重な資料の総体」つまり「文化資料体」として、単品ではなく複数の資料を集合的ネットワークとしてとらえる概念とされている。この概念には、従来の保護制度では充分にカバーされていなかった建物や都市の景観、伝統的な芸能や祭礼などの無形物も含まれている。また「文化資源」は、価値あるものを「保存」のために選別するというよりは、むしろ「埋もれた膨大な資料の蓄積を、現在および将来の社会で活用できるように再生・加工させ、新たな文化を育む土壌として資料を資源化し活用可能にすること」とされており、広義の「活用」のビジョンを見据えたものでもあった。
こうした学術分野の動きが文化行政にも影響を与え「文化的景観保護制度の創設」・「民俗文化財の保護範囲の拡充(民族技術を保護対象化)」といった内容を含む、文化財保護法の改定(2004年)を準備したと言えるだろう。その後、文化審議会が提唱した「歴史文化基本構想【4】」(2007年)、文部科学省・国土交通省・農林水産省による共管法として施行された「地域における歴史的風致の維持及び向上に関する法律(歴史まちづくり法)」(2008年)と続き、各地固有のストーリーと紐づけられた「文化資源」的な資料体の活用モデルは、アベノミクスの「地方創生」と足並みを揃えながら、文化財の「活用」=観光資源として読み替えられていったきらいがある(その最たるものが、インバウンド急増中の2015年に文化庁が創設した「日本遺産」だ)。2020年には「文化観光拠点施設を中核とした地域における文化観光の推進に関する法律(文化観光推進法)」が施行され、文化施設にもこの激流が流れ込み始めているようだ。
文化行政の動向に目を向ければ、世は「保存から活用へ」の大変革の只中にあることが見て取れる。その中心に位置づけられる「文化資源」モデルが、今回の改正案で博物館法にも接続されているわけだ。これまで博物館法は、第一条「目的」で定められているように「社会教育法」のみとの関係下にあったが、改正案ではそこに「文化芸術基本法」が追記されたことが、まずもってその地殻変動を表している(「文化芸術基本法」の方も、同様に「文化芸術そのものの振興にとどまらず,観光,まちづくり,国際交流,福祉,教育,産業その他の関連分野における施策を本法の範囲に取り込む」ため、2017年に法改正されている)。
「活用」へと偏重していくこうした法整備には、ミュージアムのミッションのひとつ、「保存」原則の軽視に繋がるのではないかと懸念の声が挙がるのは当然の流れだろう。しかしながら、保存容量に上限がある以上は、何を残し/何を残さないかという選別の力学とミュージアムがこれまで無縁でなかったことも確かである。「文化資源」モデルは、すべての資料を等価に扱い、国宝を頂点とする文化財保護制度のようなヒエラルキーを無効化するポテンシャルも備えているだろう。博物館に収蔵されず、あるいは文化財指定を受けられず、これまで関心を払われてこなかった無数の名もなきドキュメンテーションにも「光」を当てることが正当化されたとも言える――とはいえ「光」は、あらゆる資料にとって多分な劣化リスクを孕んでいることも忘れてはならない。「保存」と「活用」とは常にジレンマを引き起こす関係にあり、いきすぎた「活用」にブレーキをかける「保存」(暗闇に仕舞い込むこと)の役割もまた、一層重要となるはずだ。
「芸術資源」の照らす射程
「線を引き続けるためのアーカイブ」に話を戻すと、そこで展示されていた芸術資料群もまた、ある意味では「文化資源」的な、作品以前の創作実践を知るための手がかりとなる資料の総体であった。リサーチ・チームの中心となった副産物産店は、京都市立芸術大学出身の矢津氏と山田氏の2名のアーティストによるユニットであり、2023年の京都市立芸術大学キャンパス移転に向けたリサーチの中で、新しい芸大のゴミ置き場のあり方を検討する中で結成されたという。芸術家の制作過程で生み出され廃棄されるものを「副産物」と名付け、それらを利活用するスキームを提案していく実践をおこなっている。2021年末には、京都市立芸術大学ギャラリー@KCUAで「副産物産店の“芸術資源循環センター”展」をおこない、これら「副産物」こそが「芸術資源」であるとパラフレーズさせた【5】。
京都市立芸術大学には、筆者も属する「芸術資源研究センター」という研究機構があり、彼らの言う「芸術資源」はこのセンターの定義に由来している。2014年の設立時の専任研究員であった加治屋健司氏は、上述の東京大学・文化資源学研究専攻と文化資源学会による「文化資源」の語用を参照しながら、「芸術資源」について下記のように述べている。
「芸術家の仕事場には、制作の過程で生まれたもので、作品とは言えないが創造的な価値をもつ有形無形のものがあるし、社会に存在する様々な事物に、芸術的な価値をもつものもある。また、芸術大学の教育の場において作られる無数の物と形も同様に考えてよいかもしれない。それらは、従来の芸術史においては、考察の対象とならないことが多かった。だが、新たな作品を生み出し、新しい芸術の歴史を紡いでいくためには、こうした作品や事物に改めて目を向けることが必要なのではないだろうか。【6】」
「芸術資源」の語にもまた、過去の芸術的実践の残滓を、新たな芸術に循環させていくことで、作品至上主義の芸術史に対するオルタナティブを提示しようとする態度が込められている。
加治屋氏が続けて示している「芸術資源という考え方が可能にするのは、従来の芸術を新たな創造のために活用することだけでなく、芸術の再解釈や芸術史の再編を通して過去の芸術を再賦活化すること、社会の様々な事物を芸術の観点から捉え直すこと」という視座は、「芸術資源」の「活用」の先を見通すために多くの手がかりを与えてくれるものだ。何らかの目的に資する「活用(application)」というよりは、そのもの自体の「再賦活化(re-activation)」に重点を置くこのような態度は、「文化資源」モデルが導入される今後の日本のミュージアムにとってひとつの参照項ともなるだろう。副産物産店をはじめとする現代の実践者たちの視点から、亀岡という土地のそれぞれのアーティストにまつわる数多の芸術資源を情報ネットワーク的な複合体として提示した本展の「線を引き続けるための」作法は、改革に揺れるミュージアムに一石を投じたと言えるかもしれない。
「かめおか霧の芸術祭 霧の芸術館 2021」についてはこちら
注釈
【1】この博物館法改正案は、2017年の日本博物館協会および日本学術会議による提言を受けている。提言で指摘された問題のうち登録博物館制度については改正されているが、学芸員資格制度の是正に関する内容は盛り込まれていない。日本学術会議による提言「21世紀の博物館・美術館のあるべき姿 ―博物館法の改正へ向けて」はこちらで閲覧可能(最終アクセス:2022年5月26日)。
【2】「線を引き続けるためのアーカイブ」展3Dバーチャルツアーはこちら(最終アクセス:2022年5月26日)。
【3】「博物館は、第一項各号に掲げる事業の成果を活用するとともに、地方公共団体、学校、社会教育施設その他の関係機関及び民間団体と相互に連携を図りながら協力し、当該博物館が所在する地域における教育、学術及び文化の振興、文化観光(有形又は無形の文化的所産その他の文化に関する資源(以下この項において「文化資源」という。)の観覧、文化資源に関する体験活動その他の活動を通じて文化についての理解を深めることを目的とする観光をいう。)その他の活動の推進を図り、もつて地域の活力の向上に寄与するよう努めるものとする。」文部科学省「博物館法の一部を改正する法律案(新旧対照表)」より抜粋。こちらにて閲覧可能(最終アクセス:2022年5月26日)。
【4】2018年の文化財保護法の改定時には、「歴史文化基本構想」を受けてその拡張版ともいえる各都道府県の「文化財保存活用大綱」、各市町村の「文化財保存活用地域計画」が制度化された。
【5】本展に際して筆者が副産物産店の二人おこなったインタビュー記事がウェブメディア「AMeeT」にて公開されている。記事はこちら(最終アクセス:2022年5月26日)。
【6】加治屋健司「芸術資源研究センター概要(2015年3月)」『COMPOST vol.1』京都市立芸術大学芸術資源研究センター発行, 2020年, 資料編pp.15-16.(初出『芸術資源研究センターニューズレター創刊号』2015年.)こちらにて閲覧可能(最終アクセス:2022年5月26日)。
CONTRIBUTOR|はが みちこ
アート・メディエーター。1985年岡山県生まれ。2011年京都大学大学院人間・環境学研究科修士課程修了。2019年『美術手帖』第16回芸術評論募集にて「『二人の耕平』における愛」が佳作入選。主な企画・コーディネーションとして「THE BOX OF MEMORY-Yukio Fujimoto」(kumagusuku、2015)、「國府理「水中エンジン」再制作プロジェクト」(2017〜)、菅かおる個展「光と海」(長性院、Gallery PARC、2019)など。京都市立芸術大学芸術資源研究センター非常勤研究員。浄土複合ライティング・スクール講師。