前編に引き続き、カルドネル島井佐枝さんの記事をお送りする。後編では、島井さんが関わってこられたプロジェクトの話に加え、そこで芽生えた問題意識や考えについても詳しくお話を伺った。
いっぽう子育ては、島井に別の役割も与えるようになる。
「世界中にリセ(フランス人学校 Lycée français international)のネットワークがあって、長女が2004年に京都国際フランス学園【※1】に入ったときは世界に300校くらいだったんですけど、18年後に子供達が全員出るときには600校になっていました。京都国際フランス学園も他の国の地方のフランス人学校同様、現地にいるフランス人をうまく“使って”学校運営をしているんですが、同時にリセの存在はフランスのアピールにもなるし、現地のエリートも入ってくるんです。そこで子供たちのネットワークも生まれ、将来ビジネスパートナーになることも全然あり得るんです。それを本国にいたら学校の先生や企業の広報なんかをやっている優秀なお母さんたちを学校運営に参加させて、夫の駐在で来ていて時間があるから何かしたいと思っている人たちをうまく使うんですね(笑)。これがまた選挙で選ばれるんです。だから小さい村と同じなんですね。フランスという国は世界中にアンスティチュ・フランセとリセを設置していて、文化と教育によるネットワークを張り巡らせています。このイニシアティブがもたらす国家横断的な影響力はなかなかの脅威です(笑)。」
そこで島井は、何期も連続で理事を務めるという、日本人の中ではかなり珍しい例になる。
「保護者が立候補して投票をして選ばれた人が理事になるんですが、日本語も喋れる人がほしいということで、日本人の保護者も何人か必要で出てよと頼まれたんです。夫にはお前なんか選ばれないだろうと言われましたが(笑)、選ばれてからは再選に次ぐ再選で、結局子供達が卒業するまでの15年間続きました。学校のロゴの考案から、広報活動、労働争議があれば副理事長にされ、弁護士とやりとりしたり、校舎移転があれば、京都市に空き校舎の賃貸を交渉して、移転費用を掛け合うためにパリの外務省海外教育庁(AEFE)本部まで単独で送られたりしました。オランド大統領が東京に来た時は、理事会で大使館に招待されて挨拶をする機会もありました(笑)。」
京都国際フランス学園は、1992年に保護者が運営団体をつくり、補習校としてスタート、1997年にフランスの外務省海外教育庁と協定を交わして学校を設立する。教育内容についてはフランス本国と同等だが、加えて現地の言語と文化の教育が推進されている。教育省から定期的に監査を受け、問題がなければ外務省からの認可が継続される。学費収入から算出された上納金を納め、AEFEネットワークの公式のロゴを付ける仕組みだという。教職員の給与や手当の分担等、細かい条件はすべて外務省と交渉する必要がある。なかでも島井は、初期に行った日本語教育のプログラム整備の際は、内容を教員と一緒に考えたという。フランス語圏にルーツを持つ京都の子供たちが、できるだけ日仏バイリンガルになるように配慮をしたそうだ。島井は理事になることで、保護者に加えて、行政との連携などさまざまなネットワークを築いていく。
「日本の文科省下の高校で美術を教えながら、フランス外務省と教育省管理下のフランス人学校の運営を長年していたわけですが、日本で私のような教育を比較した経験がある人はそんなにいないのではと思います。先生のやり方もかなり見てきましたし。だから、本当は研究を続けたいんですよ。美術教育に絞ってでもいいから、国をまたいだ教育の違いを調査したいですけどね。気が付いたら今になっていました(笑)。」
映像作家やフランス人学校の理事という立場が島井を新たなステージに導いていく。
「2009年にブリュッセル国際女性映画祭に招待されたり、2010年にパリ日本文化会館で上映されたりすると、知人から文化イベントをやるから実行委員になってくれないか、などと依頼があり、映像作家やフランス人学校の理事という立場で運営に参加させてもらうようになりました。」
実は京都のフランス系の文化祭の運営チームは、フランスの保護者のネットワークで構成されているところがあるという。
「京都市内に拠点がある、関西日仏学館、ヴィラ九条山、フランス国立極東学院、KYOTOGRAPHIE関係者も結構フランス人学校の保護者が多いんですね。学校を取り巻くコミュニティって結束がすごいんですよ。だから子供のことに関しては、お互い助け合いますし、みんなでみんなの子供を育てました。今日お迎えしとくし、ご飯とお風呂までしとくわってお互いに言ったり。家の上に10人くらい子供がいる時もありました。有志の家族で直島アートサイトに連れて行ったりもしましたね。今はみんな学校を出て、アーティストやアートマネジメントをやったり、うちの子供も演劇やったり、映像やってたりしますね。」
子供の学校運営を含めた日仏の文化的ネットワークによって、「KYOTOGRAPHIE」【※2】や、「KG+」などへの立ち上げにも関わるようになる。
「友人のコリーヌ・アトランからある日、写真家のルシール・レイボーズ(KYOTOGRAPHIE共同創設者、共同ディレクター)を紹介されたんですね。東日本大震災後に、子供を連れて東京から引っ越して京都に住むようになったんです。原発事故の影響で当時、フランス人学校がある京都にはそういう関東からの“移住組”が多かったですね。それでアルルのフォトフェスティバルのようなものを京都でもしたいと彼女が言っていて、私も夫の親戚の家がアルルの近くに数軒あるので、帰省した時に見にいったりして知っていたので応援していました。ただ、二条城を会場に使いたいと言っていたんですけど、京都は“よそさん”が正面から行くと交渉が難しいところもあるので、普段お世話になっている市の重鎮たちを紹介してあげたりしたんですね。」
それがきっかけで島井も「KYOTOGRAPHIE」の実行委員となったという。
「同時に私はもう少し幅広いジャンルを含めたみんなが参加できるサテライトイベントをやりたかったので、同じく震災を機に京都に引っ越してきていたギャラリストでアートディーラーのフィリップ・ベルゴンゾと一緒に「KG+」立ち上げの“仕込み”をしました。若手のアーティストがフェスティバルに参加できるように街中を自転車で回ってたくさんの会場を確保したりしたんですね。その後も、たとえば昭和初期の建築が美しい市立淳風小学校は廃校になる前から市に交渉して、廃校後、京都にツテがないアーティストがフェスティバルの際、展示会場として使えるように調整していました。小学校跡地や廃業した銭湯など、誰もが通過したことのある場所に敢えて作品を展示することは、芸術に対する敷居の高さや、美術館やギャラリー、芸術祭で起こりうるキュレーター(企画者)とアーティスト(表現者)の支配関係を緩和する効果があると思って積極的に取り組んでいます。」
島井は、教職と芸術祭や国際学校の運営をしながら、子供の手が離れ始めた2014年頃からヴィラ九条山のレジデンスアシスタントや京都の現代美術ギャラリーのヨーロッパ担当の業務も掛け持ちしてアート業界の全体像を掴む努力をする。そして、アートプロデューサー業も職業になっていく。その中で、大学時代の友人の紹介がきっかけで、DMG森精機株式会社から支援を受けるようになり、幾つかのプロジェクトを手掛けるようになる。
「「ニュイ・ブランシュKYOTO」は2019年に関西日仏学館の文化担当者が、任期中に帰国することになり、前任者のイザベル・オリヴィエ(Black cat day dream 共同主宰)に誘われ、一緒にプロデュースをすることになりました。それ以来、何件かスポンサーを知っていたので、そのまま私がプロデュースをするのが定着して今に至ります。偶然が偶然を呼んで、どんどん人が繋がって、気が合うもの同士盛り上がっているという感じですね(笑)。」
コロナ禍では、学生向けのアートの展覧会「ARTAOTA」とシニア向けの写真の公募展「FOTOZOFIO」、女性アーティストの展覧会「Red Line」、京都の鴨川にアートの橋をかけるプロジェクト「カモガワ・ランデブー」の第1弾「川俣正 夢浮橋 ワーク・イン・プログレス」を始めた。
「元銭湯「九条湯」で毎年開催している「ARTAOTA」の、動機は恨みですね(笑)。大学の時に日本画の先生方にはかわいがっていただきましたが、闇雲に描けって言われていたので目的がわからなくなっていたんですよ。また、日本の美術、特に日本画って先生を差し置いて、個展や販売がしにくいんです。技術が伴うので、工芸的な側面があって、それがすごく腑に落ちなかったんですね。「学生でも才能があったら作品を売ってもいいのでは?」ということで。芸能界だって音楽界だってスポーツ界だって、十代がどんどん活躍しているのに、「美術だけ駄目なのか? 駄目ってことは美術は表現でなく年功序列のアーティザン(職人)って言っているようなものだし、それじゃアートではないのでは?」という問いかけのなかで、「遠慮せずにここに来て売りなさい!」みたいな、そういう動きですね(笑)。京都には芸術系の大学がたくさんあるのに横のつながりがないので、同時代に生まれた芸術家の卵たちのコミュニティを作る目的もあります。」
逆に「FOTOZOFIO」は50歳以上の作家のための公募の写真・映像芸術プロジェクトだ。
「これもまあ恨みかな(笑)。青年海外協力隊とかワーキングホリデーみたいに30歳まで、とか45歳までとか言われて、すでにその歳を過ぎていたら絶望的になるでしょう? でも50歳からと言われたら、50歳になるのを待ちながら頑張ろうかな、みたいな。実のところ、ここ数年、国外に出るたびに、高度高齢化社会の到来で日本の存在が薄れ、価値が落ちていくのを実感していました。教職をしていたのでわかってはいましたが、若者や子供の存在が年々目に見えて減っていくことがショックでした。1990年代前半は教室に50人近くの生徒がいて机間指導1巡で2時間の授業が終わってしまっていたのが、2020年には15~20人しかいなくなった。」
そこで目を付けたのが急増している高齢者層だ。
「こうなったら今この国に溢れている高齢者をいかにクリエイティブに見せるかを考えようと思ったんです。コロナ禍でお年寄りの存在を守ろうという動きをきっかけに「KG+」のシニアバージョンを作ろうと当時出回った文化庁の補助金獲得に動いたのが最初のアクションでした。「KG+」も最初の2、3年でいいかなと思っていたのが、結局愛着が湧いて8年くらいやっていましたが、さすがに少しルーティーンになっていたので新規のプロジェクトを京都の写真祭の時期に独立した形でやることにしたんです。このような同時開催プロジェクトは欧米の大きな芸術祭やアートフェアではよく見られる形ですよね。今年はカナダ東部のケベック州のガスペジー国際写真祭とFOTOZOFIOの交換プログラムを展開しています。家族ぐるみで親しくしてしている友人、パスカル・ボース(キュレーター、CNAP【※3】写真部門責任者)に紹介されたモントリオールの写真家セルジュ・クレマンをこの春、 FOTOZOFIOで京都と奈良で紹介して、夏には京都の伝説の写真家、甲斐扶佐義さんにガスペジー半島の写真祭に参加していただきます。」
そして、奈良のMOMENT Contemporary Art Centerをオープンする。
「以前からうちのアートイベントを支援していただいているDMG森精機さんに奈良に使っていないスペースがあるからギャラリーでもしては、と提案されました。非日常的な瞬間を生み出すさまざまな企画ができるアートセンターにしたくて、MOMENT Contemporary Art Centerとして、DMG森精機さんの財団と共同で今年2月に開設しました。」
オープンに際し、奈良県立美術館ギャラリーとの同時開催で奈良在住のアーティストの今西真也の展覧会を行い、関連のトークイベントも行った。また、レジデンス施設でもあり、海外からもアーティストを招聘している。オープンしてすでにさまざまなトークイベントを開催し、新しい流れを呼び込んでいる。ガラス張りにして外からも中の様子が見えるようにした。
「MOMENTでの仕事は、私のこれまでの、教育、芸術祭の運営、アーティスト・イン・レジデンスの管理、ギャラリーの業務など全ての経験の集大成といえると思っています。」
これから芸術教育や国際交流についてどのようなことが必要だと感じるのだろうか?
「俯瞰して見たときに、私は日仏のコミュニティしか見れないですけど、日本と何が違うって子供たちを学校から美術館やアートフェアに連れて行くということをフランスではよくしていて、日本では全体的に少ないし徹底されてないですよね。ポンピドゥー・センターには教育普及担当が何十人もいるんですけど、日本だとそこまでいないから受け入れがまずできないんですよね。だからまず思うのは、学校と美術館が連携して鑑賞者を増やすことなんですよ。私は現場を知っていますが日本の教育現場では教えてないですからね、絵の見方を教えてません。日本はアートのマーケットがないと市場関係者はよく嘆いているけど、鑑賞者を育ててないから当然ですよね。先生自身が教わってないから生徒にも教えられないんです。フランスの学校を覗いたらちゃんと見せて説明してますね。うちの子供が中学の時の宿題でクリスチャン・ボルタンスキーの作品の写真があって「この作品について述べよ」という課題がありました。ボルタンスキーはホロコーストをテーマにした作品で有名ですが、美術と同時に歴史も勉強できるんですよね。芸術鑑賞は歴史や現代社会について思考をめぐらせる機会になるんです。」
日本の美術の授業では、一つの答えがない現代アートの作品の解釈を考えさせるようなカリキュラムはまだまだ珍しい。
「教えていた高校の授業では、古代から現代までの世界中の美術を猛スピードで紹介して、国内外の現在活躍しているアーティストのドキュメンタリーフィルムをいくつも見せていました。また、作家がどんな意図で作品作りをしているかを分析するために、例えば、歴史のある学校だったので先のボルタンスキーとジャン・カルマンの《最後の教室》(2010年)の画像やビデオを見せて、グループに分かれて校内で特定の場所を見つけ、インスタレーションをする課題や、オラファー・エリアソンのテートモダンのタービンホールの《ウェザー・プロジェクト》(2003年)の作品画像を見せて作家になりきってエスキースを描かせる課題や、自分が回った海外の芸術祭やフェアの報告なんかをしてたんですが、生徒のアンケート結果を見た学校側から「あんまり難しいこと教えんといて」とクレームが来ました(笑)。求められているのは、生徒の教養を引き上げる教育でなく、レベルに合わせる教育だと実感しました。生徒や保護者は顧客なんだと(笑)。」
しかし美術教育は、国際的には思考や対話の訓練へと変化していっている。
「実は美術作品を使って言語能力を身につけることもできるんです。ニューヨークのMoMAが開発し以前から普及が呼び掛けられている対話型鑑賞【※4】というのがあるのですが、作品をコミュニケーション能力向上に使うものです。作家が誰なのか、制作の背景などは置いておいて、見せられた作品の色や形、描かれているテーマを観察し、それについて言葉を発する。観察力や思考力、自己分析力、言語表現能力、即興性も身につきます。美術作品を使って、国語、社会や演劇の授業にも活かすことができるんです。また、みんなで作品についてあれこれ言い合って、芸術の専門知識を持ったファシリテーターの誘導に従って、結局は作家の制作の意図の核心に近づいていくのが面白いんですよ。ここ(MOMENT Contemporary Art Center)は一応、ギャラリーではなくセンターという名前をつけているので、子供達の鑑賞教育にも力をいれていきたいですね。先日、ここの向かいがゲームセンターのせいか、入り口近くに中学生くらいのヤンチャそうな子供達が座っていたんですね。「ちょっと君たちこっちにおいで!」と、中に入れて展示中のカナダの写真家セルジュ・クレマンが撮った作品を見せたら目を丸くして眺めていました。帰り際に「また来ていい?」って言ってくれました。敏感に何かを感じ取ったんですね。家庭の状況で美術館やギャラリーに行く機会のない子供達を芸術に触れさせるには学校が頑張るしかないんですよね。」
対話型鑑賞は、徐々に普及してきているが、日本の場合、図画工作ではつくることを優先しており、芸術作品の見方などの教育は重視されてこなかった。「FOTOZOFIO」が駅の地下道で展示するようにしているのも美術館に来ないのなら、外に出向いて見せようという意図だという。美術教育に関しても、そのような転換点に来ているといえる。
「図画工作で真っ当に制作に取り組めたらまだ良い方で、最近聞いた話では、小学校の先生には絵を描いたことがないのに図画工作の授業をしなければいけないというストレスに悩んでいる人も多いそうです。だから制作キットが出回っています。この教育体制では子供たちの想像力や表現力は伸びようがないですよね。子供は与えられたキットで作品(?)を作ることがやっとで、作品を見ることは教わってないので、何が面白いのかわからない。美術館は教育施設なのにエンタメと区別がつかず、富裕層の道楽やインスタ映えのするところだと思っている。個人的には、次世代を育成する教育と文化は公金を投入して国の威信をかけて充実させるべき部門だと思っています。兵器以上に効果を発揮する国の武器となると思っています。ビジネスは後からついてきます。目先のことに囚われて、教育と文化自体がビジネスになったら、もうその国はおしまいですね(笑)。」
すでに大人になったシニア世代はどうだろうか?
「シニア世代については、まずは表現を続けてもらうために受け皿をつくらないといけないと思っています。FOTOZOFIOは参加者がすごく喜んでくれていて、今年もカナダやフランスからわざわざ自主的に京都に集まってくれました。このような国際的なアートコミュニティづくりを大切にしています。高齢化社会だけど、高齢者がみんなクリエイティブで、日本もまだまだ捨てたもんじゃないよと国際社会に訴えることも重要だと思っています。日本のこの高齢化社会は戦後のベビーブームから端を発しているわけで、個人的には戦後の続きだと考えています。第2次ベビーブームも含めて、これらを乗り越えることが先に参加した戦争の最後の清算だと思っています。」
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【※1】京都国際フランス学園
(URL最終確認2025年5月22日)
【※2】「KYOTOGRAPHIE 京都国際写真芸術祭」
(URL最終確認2025年5月22日)
【※3】CNAP[Centre national des arts plastiques](フランス国立造形芸術センター)
フランス革命直後からある国のコレクションを管理。文化省の下部機関で、現代美術や視覚芸術の振興・支援を行う公的機関。
(URL最終確認2025年6月12日)
【※4】対話型鑑賞
美術鑑賞には異なる2つの方法があり、一般的な鑑賞では、作品や作者の時代背景、作家のメッセージを読み取り、発見や感動を得る。MoMA(ニューヨーク近代美術館)で始まった。対話型鑑賞では、鑑賞者の思考を促し対話を重視する。作品の背景(作者、時代、画材など)に一切触れず、目に映るイメージについて観察、分析し言葉を発する。美術の導入や、国語、社会や演劇の授業に活用できる。
大阪生まれ。アートプロデューサー。京都教育大学 教育学部 特修美術学科 日本画専攻 卒業。日本画家、映画監督、文化イベント運営、現代美術ギャラリー、仏政府公式文化機関での勤務等を経て2018年MUZ ART PRODUCEを設立。ニュイ・ブランシュKYOTO、ARTAOTA、FOTOZOFIOなどのアートイベントを手がける。2024年より一般財団法人森記念製造技術研究財団 地域・文化事業部門 研究員。2025年一般財団法人 森記念製造技術研究財団と共同でMOMENT Contemporary Art Centerを設立する。
文筆家、編集者、色彩研究者、美術評論家、ソフトウェアプランナーほか。アート&ブックレビューサイトeTOKI共同発行人。独自のイメージ研究を基に、現代アート・建築・写真・色彩・音楽などのジャンル、書籍・空間・ソフトウェアなどメディアを横断した著述・編集を行なっている。美術評論家連盟会員、日本色彩学会会員。