トランスカルチャーの中へ ジャーナリズムから考える文化の広げ方 <後編>

トランスカルチャーの中へ ジャーナリズムから考える文化の広げ方 <後編>

ジャーナリスト、アートプロデューサー|小崎哲哉
2021.10.21
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フランスやニューヨークの経験から、トランスカルチャーを意識し、メディア運営に関わる中で独自の視点を形成してこられた小崎哲哉さん。

記事の後半では文化の産物であり、近年小崎さんが特に力をこめてそのあり方を問うている、アートへの向き合い方について話を伺った。『RealTokyo』や『ART iT』を通し、小崎さんが『現代アートとは何か』を執筆されるまで、ご自身の中でどの様な変化点や出会いがあったのか。後編では小崎さんが実践してきた現代アートを理解するための行動と、世界と歴史への向き合い方から、芸術を観ることの意味や可能性について考えていく。

アートを観る目を養うために

ーー小崎さんは現代アートに対するご知見が、言わずもがな非常に豊富でいらっしゃいます。そこに至るまで、アートシーンをどう理解し、どのように自分の中に消化していかれたのでしょうか。

小崎:まずは単純に展覧会をたくさん見に行きました。時間がある時は、周囲でやっている展覧会は全部見ましたね。全国でも、行けるところには行きましたし。そのうち『ART iT』という媒体があるから、取材をする中でたくさんの人と知り合いになりました。その他、時間やお金はかかるけれど、ヴェネツィア・ビエンナーレに毎回行くとか。そういう日々の経験が積み重なっていったように思います。

2012年、オランダのスヘフェニンゲンでの小崎さん。
翌年のあいちトリエンナーレ2013に新作を委嘱した振付家イリ・キリアンと主演ダンサーのサビーネ・クップファーベルクとともに。
写真:小崎さんご提供

ーーメディアを持つことによって情報がそこに集まってくるし、その中で体系づけられていくということですね。『現代アートとは何か』[1]の中でも現代アートシーンを知るには、ヴェネツィア・ビエンナーレやドクメンタに行くことを推奨されていますが、ご自身もそうされてきたということですね。その中でも、アートを見る中で、見方の変化点のようなものはありましたか?

小崎:一番大きいのは、マルセル・デュシャンの関連書籍をまとめて読んだことでしょうか。作品はもちろん見ていましたが、レディメイドの知識くらいしか最初はなくて。伝記を読んで、レディメイドのレプリカが展示される時はそれを観に行って、そしてまた本を読んで改めて思ったんです。やはりアートシーンを大きく変革した人はこの人なんだと。

理論的な部分で、デュシャンが考えたこと、唱えたことを改めて考察してみると、それがよくわかります。それと同時に、それこそドクメンタでもヴェネツィアでも、日本に来ている優れた作家の展示でもよいんですが、やはり優れたアーティストはデュシャンの考えたことをちゃんと血肉化して、その上に自分の作品を築きあげていることが明快に見て取れるわけですよ。良いアーティストは、ちゃんとデュシャンを吸収していると思います。

以前、別のところに書きましたが、デュシャンの『泉』から100年以上経っているから、現代アートでないものがそろそろ出てきてもいいと思っています。デュシャンがルールを定めているから、現代アートというフィールドでやっている以上、ルール上、誰も彼を越えられない。

それくらい彼は、決定的に違うルールをアートにもたらしたんです。すごいですよね。


ーーだから『現代アートとは何か』では、デュシャンをある種神格化されたところから論じておられるんですね。

小崎:神格化したつもりはありませんが(笑)、ある意味では「神」だと思いますよ。現代アートという世界と、その世界のルールを作ったんだから。それは知っておいてよいことだと思います。実際、デュシャンのことは、芸術大学でもなかなかちゃんと教えていないようなので。

ーーそういったお考えを、本にまとめようと思われたのは何か動機があったんですか?

小崎:元々、ニューズウィーク・デジタル版の連載だったんです。編集部長が古い友人で、彼にアートのことを書いてくれって頼まれたんです。クレイジーなマーケットなど、業界のさまざまな側面を切り取って、一般の人にアート界の新たな面を見せることを期待してくれていたんだと思います。だから業界のことを入れつつ、合わせて現代アートとは何かってことを、改めて伝えようと考えました。アート界にいる人すら、実はわかってないことがかなり多いんじゃないかとずっと思っていたこともあったので。

これは歴史的に必然なんでしょうが、欧米よりも非欧米の人の方が、わかっていない人が多い。特に日本は相当、アートの理解において危機的なんじゃないかと思っていました。


ーー書籍を読ませていただいて率直な実りとして感じたのは、自分の背景などを鏡としてアートに向き合う楽しみ方と、歴史や社会など、さまざまな側面をベースにしてアートを考えるという楽しみ方があると理解ができたことです。

小崎:そういうことです。一般の人はデュシャンを知らなくてもいいんですよ。美術史を学ぶ必要すらなくて、まずは楽しみ方を知ってもらいたい。ただアートの業界で、キュレーターやギャラリストになりたいとか、批評家になりたいとか、そういう人はやっぱり知ってなくちゃまずいと思います。

作品鑑賞に関しては、評価は自分で行うものだということを伝えたかった。正解が最初からあるわけではなく、作品のコンセプトを自分なりにどう読み取っていくかっていう話なんですよ。現代アートというのは、見るものではなく、読むものなんです。テキストなんですね。

僕はこういう仕事をしていますから、よく「小崎さんはどういう作品を買われるんですか?」と聞かれます。ほとんど買わないと答えると、みなさん驚かれます。自分の好きなものは買って、そばに置いておきたくありませんかって。ただ個人的にそれは、アートの本質と関係ないんじゃないかってずっと思っています。手元にあれば日々新しい発見があるかもしれませんが、作品が目の前になくても、頭に思い描き、鑑賞した時のことを思い出すだけで自分が変わってくる。それがアートだと考えています。つまりアートは、体験の媒体であり、テキストなんです。『現代アートを殺さないために』[2]でも取り上げたあいちトリエンナーレの展覧会内企画「表現の不自由展・その後」の問題もそうですが、ものすごく馬鹿馬鹿しい誤解がはびこっているのは、アートが読むものであって見るものではないということが理解されていないから。アートは多義的であればあるほど優れていて、それを読むのがアート鑑賞です。せめてそれくらいはみんなで共有したいなと思っています。


ーー答えを探すのではなく?

小崎:答えを探すのは構いません。でも唯一の正しい解法、読み方というようなものは存在しない。僕はよく「誤読上等」という言葉を使いますが、自由に読んでいくことがまずは重要です。デュシャンも言っていますが鑑賞者が見ることによって作品が完成するんです。


ーー本の書き方として、非常に多面的な側面からアートを分解されています。これはアートを理解する上でそう言った多様な視点が重要だと伝える意図があるのでしょうか。

小崎:そうです。当たり前ですが、アーティストは自分たちとは違う人間で、自分と違う経験をこれまでの人生で経てきていて、自分と違う本を読み、自分の聞いていないことを聞いて、自分の知らない人と出会ってきて、心の中に生じたいろんな考えを作品にこめているわけです。だからそもそも、作品を100%理解できるなんてことは絶対にあり得ない。子供が粘土で作った作品だってそうです。子供がどんな思いをこめて作ったのかなんてわからないわけです。ましてや優れたアーティストとなればいろんな思いをこめているので、理解するにはいろんな経験を積み、視点を多様化するしかありません。100%理解しろと言いたいのではなく、多様な視点を持つといわゆる「とっかかり」が増え、よりアートを楽しめるということが言いたかった。


ーーアート鑑賞において、作品側に難解さがあるとしたらどんな場合でしょう。

小崎:一つは経験の少ないアーティストが陥りがちなことですが、コンセプトを読み取らせるための技巧の問題があります。例えば展覧会に行って、作家が作品の説明をしてくれる。で、見てすぐわかるものと、説明されないとわからないものがあるんですが、「わからない」作品の多くの作者が、自分の個人史がここにこめられているとか言うわけです。それって普通はわかりませんよね(笑)。もちろん個人史をこめてもいいし、これまで生きてきた以上は当然入ってくるものですが、それを読み取らせたいなら、ヒントを入れたり補助線を引いたりしておかないといけない。それが僕の言うレイヤー[3]であり、作家が技巧を凝らすべきところです。そのあたりの案配は、やっぱり手練れはすごいですよ。有名なアーティストになると、自分のことが世間に知られているってことも織り込み済みでやる場合もあります。


ーー現代アーティストは、鑑賞者と密接に関わる宿命のようなものがありますから、それぞれが伝えようという視点と、理解しようとする視点が必要ですよね。

京都から届ける批評とは

ーー小崎さんが美術批評で意識されていることはありますか?

小崎:展覧会や作品をまだ見ていない観客に向けて書くレビューと違って、批評は作家に届けたいと思って書くものだと思います。つまり、建設的な提案が入っているのが誠実な批評です。僕は『REALKYOTO FORUM』にも寄稿していただいている浅田彰さんや清水穣さんの批評が大好きなんですけれど、それは彼らの批評にそういうものが必ずあるからです。逆に、批評家を称する人でいやだなぁと思うのが、作家論や作品論にかこつけて、実は自分の言いたいことだけを書いている人。批評の形をしたそういう言葉には辟易します。


ーーキュレーターが批評文を書くことも多いですが、キュレーターの言説についてはどう思われますか?

小崎:キュレーターは立場的に書くことが難しいと思います。だって悪く言えないじゃないですか。その後の活動にも差し支えるし、アート界の政治的な立場があるから、バイアスが多かれ少かれかかってくる。それには問題があると考えています。


ーー批評の中で難しいと感じる点はありますか?

小崎:これは日本だけの問題じゃないけれど、作品についての批判が、人格攻撃みたいに受け取られることってありますよね。近年、ますますその傾向が強くなっていますが、批評には本来、人格攻撃という要素はないんです。例えば○○の個展が最低だったって書いた時に、それがイコール作家の人格否定では全くない。でもそう受け取られる状況が残念ながらあります。けなしあっているように見えて、互いにプラスになっている関係が理想ですよね。


ーー少し話はそれますが、小崎さんは関東のご出身で、アート業界を東京からずっと見られていました。どうして京都に身を置くことにされたのでしょう。

小崎:京都に移ってきてもう12年になりますが、ここはいろんなことが起こっていて面白い。芸術大学も多いし、特に京都市立芸大は本当にユニークな学校だと思います。変な人がたくさんいて、面白いことをたくさんやっています。みんな言ってますけれど、京都は規模もちょうどよくてね。派閥もそんなにないし、みんな知り合いじゃないですか。京都市京セラ美術館がリニューアルオープンしたことも京都を面白くする要因の一つです。今まで現代アートをちゃんとやる美術館は、あまりなかったから。KYOTOGRAPHIEも9回目になるし、KYOTO EXPERIMENTも、一昨年開館したTheatre E9も挑戦を続けて頑張っている。そういう意味で、健全なカルチャーシーンが育まれている京都にいるとすごく楽しいですね。現代アートに関しては、常々言っているように80年代以降、圧倒的に西高東低です。マーケットの中心はずっと東京ですけれど、それはなんら面白いアート作りに寄与していない気がします。


ーー作家に関してはどうでしょう。東西にかかわらず、今は早い段階で自分のスタイルを決めてしまう人も最近は多いようです。売れるアートのためのスタイル決めというか。

小崎:あれは全くよくないですよね。現代アートのルールを定めたデュシャンは、存命中からずっとマーケット批判をしています。デュシャンは、図書館で司書をやったり、ニューヨークに行った時は富裕層相手にフランス語の家庭教師をやっていたりしました。その一方で、実はディーラーをやっていたんです。ただし作品には、リーズナブルな値段しか付けなかった。クレイジーな市場については、晩年のインタビューで強い批判もしています。50年前、アーティストは賤民だった。それが今はみんなマーケットにうつつを抜かしておかしいと。


ーー確かにそうですね。価格の上昇については近年凄まじく、作品売買のあり方については、引き続き話し合っていかなければならないように感じます。

歴史と向き合い、現在を見直していく

ーー+5は、これからアートに関わろうとする人に向けても記事を作っています。そのような方たちに向けて、現代アートに向き合う姿勢としてのアドバイスなどをいただけますか。

小崎:まずはいっぱい見ること。それからあと、できるだけ読むことですね。京都工芸繊維大学教授の平芳幸浩さんの本は大変参考になりますよ。『マルセル・デュシャンとは何か』というわかりやすい本があるんですが、ああいうのは目を通しておくといいんじゃないかな。


ーーアートライティングという観点ではどうでしょう。重要なスタンスなどあれば教えてください。

小崎:アートライティングも含め、執筆を専門とするのは大変ですよ。当然ながらアート史も知らないといけないし。あとは表現の幅ですかね。ある作品のことをわかりやすく人に伝えるときには、良質なたとえというのが有効だと思います。小説なんかでもそうでしょう。村上春樹の卓抜な比喩とかね。それは批評においても同じで、これは映画におけるなんとかであるとか、そうした読む楽しみに繋がる比喩があるとわかりやすいんじゃないでしょうか。

そのためには、アートだけじゃなくて映画や音楽のことも知っておくといい。今日のアーティストには、ものすごいシネフィルとか、文学好きとか、パンク音楽マニアとか、アート以外のジャンルに精通している人がいっぱいいます。彼ら彼女らを理解して、文章で表そうとするなら、多ジャンルへの興味関心が大切です。


ーー多様な視点でアートを見ることが大切だということですね。現在、京都芸術大学でもクラスをお持ちですが、授業の中で意識されていることなどはありますか。

小崎:そうですね。僕のクラスではその週のニュースをよく取り上げています。ニュースは知っている方がいいし、今の社会を知らないと作品の背景がわからないから。とりわけ21世紀に入ってから、政治状況がひどく、アーティストはそれに反射して作品を作っているのでなおさらです。例えばウクライナの現代アーティストの作品を鑑賞する時に、ウクライナの政治情勢を知らないと理解できないことがある。本来は近現代史なども知らないと複雑な背景がわからないかもしれませんが、ネットでもニュースを読んでいれば、多少わかることもあります。

21世紀に入ってからと言いましたが、現代アートって最初からそういうものです。デュシャンのレディメイドから100年くらい経っているわけですが、彼がいた時代には多くの革命と世界大戦があり、ひどいことが本当にたくさんあった。それが20世紀なわけです。そういう時代に生きている人が作った作品ですから、その時代のことをわかっていないと50%もわからないかもしれません。だから現代に生きる我々は、過去の事象をふまえ、現代の事象をきちんと理解しながら作品と向き合うことが、非常に重要だと考えています。その意味では、NHKオンデマンドで『映像の世紀』を見るのもおすすめです。いま見てもよくできている。タイトル通り、20世紀は映像の世紀でしたしね。


ーー最後にこれから小崎さんが挑戦されたいことがあれば、教えてください。

小崎:教育にはできれば、さらに関わっていきたいと考えています。アート教育に限定しているわけではなく、リベラルアーツです。リベラルアーツは今、世界中でないがしろにされています。どの国も経済効率を求め、理系と、金になる文系の教育にしか力を入れていない。それを変えたいと思っています。昔からそういうことを思っているアーティストもたくさんいて、バウハウスとかはまさにその代表的なものですよね。あれはデザイン系ですが、クレーもカンディンスキーも関わっていた。ナチスが政権を掌握したあとには、モホリ=ナジ・ラースローらがアメリカに亡命してニュー・バウハウスを作ったりもしています。あるいはジョン・デューイの教育論をもとに創設されたブラック・マウンテン・カレッジでは、ヴァルター・グロピウス、バックミンスター・フラー、ジョン・ケージ、マース・カニンガム、ジョセフ・アルバースらが教え、ロバート・ラウシェンバーグやサイ・トゥオンブリーらが学んでいました。

デュシャンによって「何でもあり」になった現代アートは、そうであるがゆえにリベラルアーツ全般を基盤にしています。そして、教育がこんなにだめになってくると、アートも含めて我々の生活自体が楽しくなくなっていく。

20世紀は多くの悲惨な出来事があったのに、昔のアーティストや芸術関係者たちは、僕にはどこか楽しく見えるんです。だからかつての状況を、最初は小さくてもよいから、自分の周囲に作っていきたいなと考えています。


注釈

[1]小崎哲哉『現代アートとは何か』河出書房新社, 2018

小崎さんは著書の中で、現代アート業界を構造的に分析し、批評している。本の中で小崎さんが提起されている、現代アートの作家が抱く7つの動機については必見。 

[2]小崎哲哉『現代アートを殺さないために——ソフトな恐怖政治』と表現の自由』河出書房新社, 2020

現代アートと社会(国内外)の関係性についてより深く切り込んだ本作では、欧米のアート市場の現状や、アートのプライシングについても言及している。社会問題となったあいちトリエンナーレに関しても独自の視点で調査、分析しており、アートをベースとして、現代日本の社会構造を多様な視点で理解できる内容となっている。

[3]レイヤーについて

著書『現代アートとは何か』の中で、小崎さんは現代アートの3大要素として、「インパクト、コンセプト、レイヤー」を提示し、分析している。


INTERVIEWEE|小崎 哲哉(おざき てつや)

ウェブマガジン『REALKYOTO FORUM』発行人兼編集長。京都芸術大学大学院芸術研究科教授。同大舞台芸術研究センター主任研究員。愛知県立芸術大学非常勤講師。同志社大学非常勤講師。2003年に和英バイリンガルの現代アート雑誌『ART iT』を創刊し、編集長を務める。2000年から2016年までウェブマガジン『Realtokyo』発行人兼編集長。展覧会のキュレーションも行い、あいちトリエンナーレ2013ではパフォーミングアーツ統括プロデューサーを担当。編著書に『百年の愚行』『続・百年の愚行』、著書に『現代アートとは何か』『現代アートを殺さないために——ソフトな恐怖政治』などがある。2019年にフランス共和国芸術文化勲章シュヴァリエを受章。
京都ではゲストハウス、レストランもご夫婦で運営されている:http://kyoto-yoshidaya.jp/


INTERVIEWER|桐 惇史(きり あつし)

ART360°プロジェクトマネージャー、+5 編集長。1988年京都府生まれ。京都外国語大学英米語学科卒業後、学習塾の運営に携わりながら、海外ボランティアプログラムを有する、NPO法人のプロジェクトリードに従事。その後、ルーマニアでジャーナリズムを学び、帰国後はフリーランスのライターとして経験を積むかたわら、大手人材紹介会社でコンサルティング営業、管理職として組織マネジメントなどに携わる。現在は360°映像を通した展覧会のデジタルアーカイブ事業「ART360°」の推進に関わる。