パブリックドメイン化した作品の記憶 搬入プロジェクトから見える新しい記録の形

パブリックドメイン化した作品の記憶 搬入プロジェクトから見える新しい記録の形

「搬入プロジェクト 山口・中園町計画」
2021.09.24
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はじめに | 寄稿記事掲載にあたって

 文化の記録について考えるとき、中心にいるのはいつも「伝える人」と「引き継ぐ人」である。
 記録は正しい情報を形式的に残す受動的な取り組みと思われがちであるが、本来は創造性の高い極めて能動的な行為であり、その手法によって、後世に「どう伝わるか」が決定的に変わってくる。
 現代アートの領域は、その拡張性において記録の形式と手法について再考していくことが、近年ますます重要となってきている。中でもインスタレーションやプロジェクトの形をとる作品などは一過性が強く、記録の再現が難しい。こと作者が不在となれば、記録という形を持たない作品の記憶は、ある種永遠に失われてしまうと言えるだろう。一時的にしか形を有さないそれらの作品群は、その恣意性も相まって、制作手法やコンセプトだけではなく、作品を取り巻く環境やその他複合的な記録要因が求められると言っても過言ではない。

ではそれらの作品を、オリジネーターとそれに関わる人たちはどのように残すべきなのだろうか。また受け手側は、伝達者の記憶と記録にどうアクセスし、どのように次の受け手にパスするべきなのだろうか。

本記事の寄稿者である白石晃一(しらいしこういち)氏は、技術伝承におけるシステム開発、共創活動の持続的組織構造の構築について、自身の表現活動やアートプロジェクトの中で考え続けてきた美術家であり、研究者である。記録がその形式と伝達の中でどう変化していくべきなのか。氏の純粋な問いに一つの答えを与えるのは、パフォーマンス集団「悪魔のしるし」による『搬入プロジェクト』である。

+5初となる寄稿記事として今回は、白石氏による搬入プロジェクトへの体験レポートと、その考察について紹介する。(+5編集部)


搬入プロジェクトとは?

”時が経ち、どこか遠くの知らない村の祭りや行事などとして定着したらそれはこの作品の最長到達地点なのかもしれない。今はまだこの作品は完成していないのではないか。”

 この一文は2017年に「危口統之(きぐちのりゆき)蒐集計画 実行チーム」が行ったクラウドファンディングの発起人(石川卓磨)からのメッセージの抜粋である。[1]
この言葉からもわかるように、搬入プロジェクトは建物にギリギリ入る物体を搬入するという明快なコンセプトにより、コミュニティを軸とした横方向のつながりと時間を軸とした縦方向のつながりの中で、遠くまで届く可能性を持った稀有なプロジェクトだ。本記事は、2021年7月24日に山口情報芸術センター[YCAM](以降YCAM)で、「搬入プロジェクト 山口・中園町計画」で再演されたことをきっかけに、アーカイブとそれを用いた伝播の可能性について考えてみようと思う。

 搬入プロジェクトとは、悪魔のしるしが発案した演劇プロジェクトだ。会場となる建物内にかろうじて入る大きさ・形状に設計された巨大な物体を、人力で館内に搬入する様子を一種の「演劇」として提示するという彼らの代表的な作品のひとつである。2017年に団体主宰者の危口統之が逝去した後に、パブリックドメイン(PD)となり公有化され、公開後多くの場所で再演、翻案が行われている。YCAMでは2019年から実施に向けての準備を開始し、本番までの途中経過は、artscapeに詳細の記事として掲載されているので、そちらを一読してほしい[2]。

京都市立芸術大学 芸術資源センターで行われた搬入プロジェクトの様子
撮影:吉見崚
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス(表示 - 継承 4.0 国際)
Photo by Ryo Yoshimi
Licensed under CC BY-SA 4.0


遠投するためのアーカイブ・そのための配慮

 2021年7月25日から始まった、「搬入プロジェクト 山口・中園町計画ドキュメント」は、YCAMのホワイエをメイン会場とした展覧会形式で展開されていた。これは2020年にも開催された同名の展覧会のアップデート版となっている[3]。
 展覧会会場は6つのセクションに分かれており、それぞれ、「1 模型を制作する」「2 物体を設計する」「3 物体を制作する」「4 物体を搬入する」「5 山口の開催に向けた実験」「6 未来の搬入プロジェクト」という立て付けで、会場の中央に位置する大階段には展覧会開始前日に搬入された物体が鎮座しており、本番では筆者も運び手の一人となり物体を搬入した。
 展覧会の会場を一望すると、見慣れた日用品が多く陳列されていることに気づく。これは搬入を行うための前準備として作成される模型制作に必要な道具や、物体そのものを作るために使われた工具、ビール、日本酒のケースが置かれているためである。そして、スタイロフォームで作られたおびただしい数の物体の模型群が会場側面部分に展開されており、これは悪魔のしるしが行ってきた搬入プロジェクトの制作方法を愚直にトレースした結果でもあるという。建物の1/20の模型とそこに入れる物体を物質的に設計することで、舞台における演出を決めていくような行為だ。その結果として戯曲としての物体が完成されるのだが、中園町計画では、設計(演出)の工程をワークショップ化し、そこで起きたトライアンドエラーが物量によって示されている。
 これらの展示物が陳列されている背景は、制作過程における記録の公開という役割と同時に、他者による搬入プロジェクト再演のための足掛かりを作ることが目的とされていることを強く感じた。展示台に置かれている、家にもありそうな普通のカッターひとつをとっても、そのキャプションには搬入体験に結びつくエピソードが細かく記されており、読み進めていくと搬入プロジェクトに向かうための態度がインストールされていくような感覚があった。
 また、「5 山口の開催に向けた実験」のセクションでは、中園町計画まで複数回行われた搬入プロジェクトの制作段階から実施当日までの様子を見ることができる。この映像の中では、搬入困難な物体を真面目に設計し準備をする人たち、搬入を自身の持つ建物でやっても良いという大それた決断をした素敵なオーナー、重たくて持ちにくいものをわざわざ持とうと集まった運び手たち、そのほかプロジェクトの成功に向けて進む全ての人たちの群像劇を見るような仕立てになっている。視聴している側もつい力んでしまうほどの肉薄した映像は、身体性という共感のための強力な回路が備わっているからだろう。
 これらの展示物は今後他者の手で再演が行われる際の大きな助けとなるはずである。使い方や方法論だけの簡素なドキュメントだけでは、やり方はわかっても何か重要なものが抜けて落ちてしまうかもしれないからだ。
「搬入プロジェクト」の山口での実施を目指す会の代表で、YCAMアーキビストの渡邉朋也は、この展示キャプションを作成するにあたり、悪魔のしるしが搬入プロジェクトをまとめた書籍「CARRY-IN-PROJECT 2008-2013 DOCUMENT」を参考にし、その拡充を目的に書いたそうだが、それと同時に展示された日用品のプロジェクトにおける再解釈などを「如何わしく」伝わるような記述を目指したそうで、このことは筆者にとって新しい気づきを与えてくれた。
 パブリックドメインとしてオープン化されたもの全てに言えることだと思うが、権利を開くことはできても、再演や再現などに繋げることは困難だ。搬入プロジェクトは建物にギリギリ入る物体を搬入するという明快なコンセプトによって、多くの人たちの共感を得て、さまざまな場所で再演されているが、熱量を持った成功事例が生まれた場合、その方法が「正しい」と認識され、そこにうまれる正当性を重視する硬い世界に囚われてしまう可能性がある。
 その懸念から、胡散臭い偽書のような振る舞いを施すことで後世の人たちが書き換えるための余白を設計しようという試みは興味深く感じられた。またこのスタンスは会場構成やデザインにも反映されており、仮設感を全面に出しオーセンティックな印象を与えないような工夫もなされている。

「搬入プロジェクト 山口・中園町計画ドキュメントの展示風景」
撮影:渡邉朋也
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス(表示 - 継承 4.0 国際)
Photo by Tomoya Watanabe
Licensed under CC BY-SA 4.0

労働≠搬入・飽きない工夫

さて、話を展覧会オープン前夜、「搬入プロジェクト 山口・中園町計画」の本番当日に戻そう。

 YCAMに隣接している中央公園の一角で対象となる物体は制作されていた。日本酒のケースをベースにスタックされ、関節部分を「サトルシステム」といわれる、(ビールケースの取手部分に引っかかる棒をつけた板で挟む)ユニークなネーミングの補強パーツで接続されており、近づいてみるとかなり大きなことがわかった。

「中央公園内で制作された物体」
撮影:吉見崚
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス(表示 - 継承 4.0 国際)
Photo by Ryo Yoshimi
Licensed under CC BY-SA 4.0


時間一杯となり渡邉から物体搬入に向けて、「しんどくなったら、誰でも止めてください、誰でも止める権利があります。怪我のないようにいきましょう」と重要なルール説明を受け、早速物体に取り付く。持ってみると、当たり前だけれど重い、しかしもてないほどの重さでははなく、20名近い参加者が一斉に動くとゆっくりと物体が動き出した。筆者は美術作品の搬入作業などで、巨大彫刻のインストールなどの経験もあるが、大きなものを動かすという行為はいつでもちょっとした高揚感があり、この物体を持ち上げ、動いた瞬間に同じような興奮があった。 しかし一般的な搬入作業と決定的に違うのは、段取りを踏まずに即興的に行われる点である。これは本番を楽しむ工夫でもあるとのことで、模型で試行錯誤した経験を物体の大きさと重さで吹き飛ばす通過儀礼のようにも思えた。 計画することと、しないことのバランスは、本番に至るまでの2年間にソフトウェアの開発手法の一つであるアジャイル開発を下敷きに、反復(イテレーション)を繰り返すなかで自然と生まれた楽しみ方なのだと想像できるが、こういった「飽きない工夫」が随所に見られる点が今回の取り組みにおいての一つの成果なのだろう。 これ以外にも、慣れから生まれる効率化が、搬入プロジェクトを義務感が伴う労働に変化させてしまうことに抗うため、毎回新しい人を巻き込むことで、フレッシュな好奇心と達成の素直な喜びを現場に持ち込むなどの工夫がなされており、人の流動性の担保することで望ましい状況を維持していたようだ。今回の搬入では筆者がその役割を担ったのだが、現場に新しい風を興せていたら幸いである。

「YCAMに運び込まれる物体」
撮影:吉見崚
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス(表示 - 継承 4.0 国際)
Photo by Ryo Yoshimi
Licensed under CC BY-SA 4.0

惜しむらくは、感染症対策のための無観客開催となったため、観客からの突発的な参加が生まれなかったことだが、その代わり配信という新しい試みにより、新たな形で観客を創造したともとれる。突発的な観客の参加は、搬入プロジェクトにおいては頻繁に起きることらしく、それも舞台上でなく平場で起きている出来事だからこそ起こり得るのだろう。今回の搬入についても指揮権が流動的に変わる様は、即興の演劇に参加しているようで、もしこれが仕事の現場だとしたら混乱を産むだけなのだが、搬入プロジェクトにおいてはこの混乱(エラー)こそが見どころなのだ。

「運ばれれる物体と配信の様子」
撮影:塩見浩介
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス(表示 - 継承 4.0 国際)
Photo by Kosuke Shiomi
Licensed under CC BY-SA 4.0

そもそも、参加者は搬入できなくてもなんの支障のないものを搬入するために能動的に集まっているので、素人・玄人関係なく、どうにかしようという前向きな姿勢に自ずとなる。理由を見つけづらい行為だとしても、一丸となり目的に向かっている姿勢が生む、観客への伝達力は強い。山口での搬入プロジェクトの反復の中で生み出されたバンドによる生演奏も、オペラで言うところのオーケストラのように、運び手、観客ともに気分を高揚させ、一体感を生むための仕掛けになっていた。音楽が入ることで行き詰まってしまい立ち往生している時ですら演出的に空間になる。入口の石碑が邪魔とか燕の巣があるから気をつけてという、日常的なことがスペクタクルへと変化するのもこれらの力のおかげなのだろう。

「搬入の進行に合わせたバンドの演奏」
撮影:谷康弘
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Photo by Yasuhiro Tani
Licensed under CC BY-SA 4.0

幕間の休憩時間にも水を飲みながら、運び手たちが雁首揃えて次の一手の話している姿は、渡邉がいう「疲れて極限な状態になった時ほど、本音で話せる。魂の会話がしたい」という思いがかたちになった瞬間なのだろう。筆者にとっても、遠隔コミュニケーションツールを常用している昨今で、コミュニケーションの中心点ができてしまうことに慣れていたため、平場で対等に話すということが貴重な体験として立ち上がってきた。声を掛け合うという行為が久しぶりに感じられ、無自覚に抑圧的な環境にいることを実感した。 物体は2時間30分かけてホワイエの階段に設置された。ヒヤリとする瞬間はあったが、人、建物ともに大きな損害はなく、無事に設置できて安堵し、運び手たちが三々五々日常に戻っていく様に少し寂しさを感じたが、それも含め充実した時間であったことは確かだ。

「ホワイエ階段に物体が担ぎ込まれるクライマックス」
撮影:吉見崚
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス(表示 - 継承 4.0 国際)
Photo by Ryo Yoshimi
Licensed under CC BY-SA 4.0


ネットワーキングの方法・健全なコミュニティ

 本番翌日、改めて展示を見ると、目線が明らかに当事者のものになっていることが実感できた。模型の一つ一つをどうやって搬入するのか?という「搬入脳」にアップデートされたようだ。この変化はオープン化された作品の理想的な引き継がれ形なのだと思う。搬入プロジェクトの反復でネットワーキングされたコミュニティは、ドキュメントを見ずとも搬入を実践できる運び手たちが生まれているという状況からもそのポテンシャルを感じる。
 渡邉は、2015年に逝去したアーティストの三上晴子[4]の作品の再制作に関わっており、その経験から「アーティストがいなくなっても作品は時代に合わせアップデートできる」というスタンスで搬入プロジェクトに望んだと言う。
 中心的な人物がいなくなった時こそ作品の強度が問われるが、その強度が担保されれば、受け継いだメンバー自体も入れ替わることが可能になるだろう。搬入プロジェクトでも、三上作品の再制作に関わったメンバーが役割を変えて参加しており、新しく入った人もいる。おそらく関わらなくなった人もいるのだろう。しかし、その新陳代謝こそが歳月の風雪に抗うための一つの方法なのだと思う。入るものも去るものも拒まない姿勢が重要であり健全なコミュニティはそういう性質を持っている。
 また、伝播の過程で敬意を損なわないよう配慮は必要だが、この敬意には二つの方向性があるように思う。作者に向かうものと、作品性に向かうものだ。どちらも蔑ろにしていいものではないし、不可分な場合も多々あるのだが、オープン化された作品に対しては、作品性に向かうものに重心があるべきだろう。

横の広がり・縦の繋がり

コミュニティの広がりという横方向の広がり確認できたが、時間方向への縦の繋がりはどうなるのだろうか?
長い射程を意識するということは、難しい。搬入プロジェクトの記録はオリジネーターの悪魔のしるしからも多くの記録・記述が公開されている。そしてこの中園町計画もその一翼を担うだろう。
 しかし、書籍やウェブで公開された情報はボトルメールのようなものだ。文明が一瞬で滅びるほどのカタストロフィは起きないと信じたいが、コロナウィルスの感染拡大の状況を見ると、緩やかな衰退の可能性が頭をよぎる。書籍は数が限られるし、物質としての寿命もある。ウェブもサーバーを維持ができなければ、ドキュメントは失われるため、ウェブ上のプラットフォームも永遠ではない。時が経てば忘却は避けられない。この展示も1年の延期があったのだが、そこでも細かな忘却はあったようだ。歳月の風雪に晒されるというのはそういうことだ。
 時代を超えた情報の欠損や忘却に対し、搬入プロジェクトの道具や技術に対する独自ネーミングは、失われた部分の代替可能性を残すと言う点での有用なのかもしれない。未来には失われてしまうもの、変わっているものを私たちが予想することは困難だ。移り変わる可能性のある価値や尺度を意識的に削ぎ取ることで、時代を超える可能性を秘めることができるかもしれない。

「指示を出す搬入メンバー」
撮影:吉見崚
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス(表示 - 継承 4.0 国際)
Photo by Ryo Yoshimi
Licensed under CC BY-SA 4.0


「文化でなく文明を作るべき」

これは、メディア芸術クリエイター育成支援事業で、『「搬入プロジェクト」を山口で実施する』の初回面談でアドバイザーの久保田晃弘が荒川修作の言葉を借りて話した言葉だ[5]。
「文化」「文明」どちらも人工物に使われる言葉だが、文化は精神性を軸とした表象であり、文明は物質性を軸とした構造の話と解釈すると、搬入プロジェクトにおいてはパフォーマンスの実施に向かう態度で文化を繋ぎ、アーカイブは興隆と淘汰を繰り返しながら文明として構造化されるべきなのだろう。運び手のコミュニティは精神性を担保し、アーカイブはアーキテクチャ的物質性を担保する。そのためには多様なあり方を模索する必要があると筆者は捉えた。
 多様性を担保するため、寛容であろうとする姿勢はオリジネーターやその周辺の人々にとって苦しいものだろう。筆者も『國府理「水中エンジン」再制作プロジェクト』[6]という作者不在の美術作品の再制作に取り組んだ経験があり、変化の受け入れと判断の難しさは心得ているつもりである。またオリジネーターに対する敬意をいかに伝えるかという問題も含むと、最適解などは存在しないようにも思える。
 しかしパブリックドメインだからこそ、翻案などの多様性のなかで比較が可能になるという点は意義深いだろう。搬入後雑談のなかで、渡邉は手書きの写本を例に中園町計画[7]においての翻案の解釈を話してくれた。
「過去行われた有名な作品の手書き写本も、記述者の手癖は隠すことは難しい。文字の書き方や誤字脱字が残り解釈の余地を増やす可能性がある。単に情報として捉えればそれ以上にならないが、誤字脱字を表象として捉えると解釈が変わる可能性がある。中園町計画は搬入プロジェクトを手書きで複製したようなものだ。」
 では、今回の搬入は山口のコミュニティの手癖を感じるものになったのだろうか?筆者は他の搬入プロジェクトを映像でしか知り得ないが、おそらく手癖は残された。人が変わる以上、中身が変化することは必然とも言える。それらを比較するためには、ひたすら搬入をし続けるということが理想なのだろうが、それは不可能なのでさまざまなメデイアを駆使して肩代わりしていく。この場合運び手も一つのメディアなのだ。
 そして、また運び手のコミュニティの誰かが、生活を営んでいる環境と地続きな平場で搬入プロジェクトという演劇を立ち上げる。その多様性の中から構造が立ち上がる未来を筆者は見たいと思っている。搬入プロジェクトに限らず、再制作の現場では敬意を持ち、思い切った翻案が必要が必要になる場合もあるのではないだろうか?今、断絶を創造性に転換する回路が求められているような気がしてならない。


注釈

[1]「なにかを劇にする」危口統之 とはなんだったか?蒐集計画始動

[2]搬入プロジェクトを山口で実施する

[3]搬入プロジェクト 山口・中園町計画デモンストレーション

[4]三上 晴子

[5]初回面談レポート#6:「搬入プロジェクト」の山口での実施を目指す会

[6]『國府理「水中エンジン」再制作プロジェクト』

[7]搬入プロジェクト 山口・中園町計画 


CONTRIBUTOR|白石 晃一
ファブラボ北加賀屋 共同設立者・美術家・京都芸術大学 情報デザイン学科クロステックデザインコース 准教授。
造形学修士(工芸・鋳金)・ファブアカデミー 修了。
金属造形やデジタルファブリケーションの技術を使い機械やコンピューターを組み込んだ彫刻を制作、自身でパフォーマンスを行ったり、観客参加型のイベントを仕掛け、国内外の公共空間を中心に発表を行う。
あらゆる人たちと共にプロジェクトを実践する場を求め、デジタルファブリケーションを使い誰もが共創できる市民工房、ファブラボ北加賀屋(2013〜)を共同設立。
近年はインターネットを使った知識・技術伝承システムの開発、共創活動の持続的組織構造の構築と実践、公共空間における芸術表現を実現する方法論とその影響について研究を行っている。

September 24, 2021