前編に引き続き、山本佳奈子さんによる「シェアミーティング2」のルポをお送りする。(+5編集部)
筆者は山中町でのテント泊を舐めていたかもしれず、寒さで深い眠りにはつけなかった。朝食時、他の参加者に眠りについて訊くと、多くが「あまり眠れなかった」と苦笑する。これは決して主催の山中suplexに文句を言っているわけではない。朝、顔を見合わせたお互いが、「眠れなかった」「予想以上に山中町の夜は寒かった」と眠れなかった自慢をすることで、2日目の朝の妙なグルーヴが生じていた。過酷な環境からくる睡眠不足も、山中suplexが意図していた演出だったのでは?と、本気で考えてしまうほど、朝食時の参加者たちの会話は(睡眠不足なのに)弾んでおり、キャンプという仕掛けで丸裸にされた参加者らの姿が頼もしかった。
2日目のプレゼンテーションはまだ始まらないにもかかわらず、朝食では、互いの経験や考えが共有され盛り上がりをみせていた。1日目は資金調達やお金の話が具体的に出てこなかったこともあり、リアルなお金の話をシェアしてみたいという意見も出た。そんな会話のなかで、ひとつ取り上げられた矛盾が興味深い。
昨今、文化従事者の待遇改善がもっぱら話題だが、インディペンデントで予算が少ないプロジェクトでは、誰かに仕事を依頼する際、どのような条件だと可能になるのか? 実際、ここにいる面々は、自身のポケットマネーと、自身の無償の労働力を注ぎ込んでいるケースが多い。手伝ってくれる人や関わってくれる作家を搾取しないことを前提に、金銭以外での謝礼の実例についても情報交換がなされた。話を聞いていると、お礼として食事を提供する例は多いようだが、一方で、食事程度のお礼でお願いできることはどこまでだろうか。また、私たちは貨幣経済で成り立っている社会にいながら、その中で、金銭的利益を生み出さない非営利の文化活動を行っている。この矛盾から生まれる悩みや摩擦について、議論が絶えないのは当たり前だ。プレゼンテーションが始まるアナウンスでやっと議論がいったん止まり、プレゼンテーション会場である母屋へ移動した。
「Baan Noorg Collaborative Arts and Culture(以下バーン・ノーク)」は、タイの首都バンコクから南西に車で2時間ほど走った位置にあるラチャブリー県を拠点とする、分野横断的なコレクティブで非営利組織である【※1】。2011年が設立年とのことで、今回参加したオルタナティブ・イニシアチブの中では最も歴史が長い。共同ディレクターで作家でもあるJi(ジラデート・ミーマーライ)とYin(ポーンピライ・ミーマーライ)が、ミッションから取り組みまで、丁寧に説明した。
まずはふたりの背景(トークでは、タイ北部からの「ディアスポラ」の歴史があるタイ・ユワン族にルーツを持つことが話された)、バーン・ノークという言葉(田舎を意味する)について説明があり、創設者でもあるふたりがタイのマジョリティではなく独自の文化背景を持っていることが示された。そして、バーン・ノークのそばには大きな通りがあり、さらにはメークローン川流域でもあることから、多様な文化の交わる地である。これらの前提のもとに、バーン・ノークでの具体的な実践の数々が説明されていく。
スタジオでのレジデンス運営、展覧会、インターンシップ受入れ等、多岐にわたる活動の中で、グローバルとローカルとを接続させる試みを積極的に行っている。海外からのインターンにはスタジオでの生活で地域と関係を築いてもらう。また、これまで4回開催した芸術祭「Baan Noorg Bienniel」【※2】も、地域に開いてきた。「地域発展」がバーン・ノークのミッションのひとつでもあるため、そこに芸術実践を加えてアプローチしていく。
そしてバーン・ノークが子供向けに行っているプロジェクト「ノーンポー・キッディー(NongpoKiDdee, NPKD)」【※3】では、社会的企業も立ち上げた。子供のための映像ワークショップから発展して、子供たちがデザインしたパッケージの牛乳石鹸を開発、販売している。
地域社会に開いてきたバーン・ノークの場合、展覧会やイベントにおける観客のうち、アート関係者は3割程度にとどまるという。多くのミッションがすでに達成したかのようにみえるバーン・ノークだが、Yinは最後に、「私たちの“知識を耕して収穫する”というミッションは永遠に続いています」と語った。
山梨県富士河口湖町に位置するコテージ6軒を、アーティストである今野誠二郎(筒 tsu-tsu)が借り受けたことが「6okken(ロッケン)」のはじまりだ【※4】。今野はかつて東京でシェアスペースを運営していたが、そこで出会った人物がこのコテージ群の持ち主で、今野に運営を提案した。現在十数名のメンバーがおり、うち5名が6okkenに居住。レジデンス施設としては40名程度の大合宿が可能だ。Google Earthを使って今野が6okkenからの富士山の眺望を見せる。まさに絶景だ。
メンバーは美大出身者でアーティストを肩書きとする者もいれば、編集者、広告代理店勤務、庭師、写真家等、さまざまだ。今野は、アーティストとは職業ではなく「態度」だと捉えており、ダブルワークや生業が別にあることも今のアーティストにとっては当然のことなのではないかと問う。そして資本主義を否定せず、社会や世間とうまくやる、「with資本主義でいく」と表明する。普段から生活費のためのバイトと掛け持ちしてライターをやっている筆者も、背中を押された気分だ。
6okkenの活動には3つの柱がある。ひとつ目は施設の運営、ふたつ目に6okkenで開催される合宿プロジェクト、そして最後は周辺地域も使って開催する芸術祭「ダイロッカン」【※5】の実施だ。合宿プロジェクトについては、担当している山口みいな(アーティストでドローイングを用いた作品をつくる)から説明があった。美大を卒業した山口は学生時代から、完成した作品だけが重要視されることに違和感を感じていた。そこで創作プロセスやアイディア段階を少人数で共有することをプログラム化し、1〜2週間の合宿プロジェクトとして実施している。ひとりずつ時間をかけて行う自己紹介から始め、ワークショップを持ち寄って実施、そして食事の時間も共有する合宿には、これまでペインターやダンサー、詩人、そして創作活動を普段行わない人も参加してきた。合宿の最後には外部からの参加者も呼んで成果発表を行い、内輪だけで終わらないようにしているという。
プレゼンテーションの最後には、合宿プロジェクトの外部への開き方や、6okkenと地域との接点について質問があり、山口と今野が合宿や芸術祭で実践してきた具体的な工夫、細やかな配慮が紹介された。
「Center(センター)」【※6】はオルタナティブ・スペースとホステルが一体となった施設で、公私共にパートナーである河野円(センター長)と田巻真寛(副センター長)が家族経営している。もともと東京に住んでいた河野と田巻は、イベント過多な東京に息苦しさを感じ、子供の誕生と新型コロナウイルスの蔓延をきっかけに、地方に出てスペースを自営することを決意した。
後のラウンドテーブルで話されたエピソードだが、手本にしたのは、クアラルンプールにあったオルタナティブ・スペース「FINDARS」【※7】だったという。東京から電車で約2時間の栃木県鹿沼市に、条件の良い物件が見つかった。建物一棟を改装して、ホステルとオルタナティブ・スペースの機能を併せもつ施設にした。資金面では、行政からの移住関連助成、創業支援、経産省系の補助金、クラウドファンディングなどをフル活用し、改築や創業、運営の資金とした。出費を抑えるため、内装はDIYした部分もある。
また、河野・田巻とも、それぞれ音楽・映像の分野において、実験的な作品制作を行う作家だ。ふたりは鹿沼に来てから、この町での「アート」が、東京で自分たちが親しんできた「アート」と大きく異なることを実感した。東京で活動してきたふたりが捉える先鋭的な「アート」が受け入れられるか不安もあったが、子供がいるからこその地域住民との関わりや信頼を積み上げ、「おもしろいことをやっている場所」として認識され始めているという。最近の事例では、田巻は市内の中学校に呼ばれて講演を行ったりして鹿沼市役所の職員からも注目されており、市長と市民の交流会がCenterで開かれることもあったそうだ。
施設で扱う分野は「アート」だが、ふたりは施設を「自営業」として捉えていることも興味深い。ちなみに家族経営で他にスタッフがいないCenterは、主催者による託児スタッフの手配がなければ、このシェアミーティングへの参加は叶わなかったとのことだった【※8】。
最後にプレゼンテーションを行った「TPlat(ティープラット)」【※9】は、鳥取県内で創造的な活動を行う個人や団体をつなぐプラットフォームだ。まずは、鳥取大学で文化政策を教えているTPlatの竹内潔から、鳥取県の文化政策の概要が紹介された。TPlatは、2014年から2015年まで鳥取県内で開催された芸術祭「鳥取藝住祭」【※10】を実施した「鳥取藝住実行委員会」【※11】が母体で、芸術祭の実施が終わった今も、ウェブマガジンの運営や、プラットフォームとしての機能を提供している。現在は休眠預金活用事業や、ふるさと納税の仕組みを活用して、補助金頼りにならない運営をしている。今回は、調査研究事業としてTPlatで行った取り組みが主に紹介された。
そのひとつとして、「ピアレビュー」を取り入れた事業評価のしくみがある。鳥取県内の活動団体を、他の活動団体(あるいは個人)が評価シートにもとづいてインタビューし、記事として公開するものだ。このピアレビューで使用される評価シートはTPlatのウェブサイトでも公開されている【※12】。
もともと埼玉県川口市で学芸員として活動していた水田美世は、現在はTPlatが母体となるウェブメディアtottoを主に運営している【※13】。水田は、調査研究事業のひとつとして行った鳥取県内のアート関係者の労働環境調査について紹介した。これは、鳥取県内に拠点を置くキュレーターの岡田有美子がコーディネーターとなって進めたプロジェクトで、非公開で11名、公開で1名のアート関係の労働者に聞き取りを行い、搾取されがちな労働力の実態を把握するものだった。TPlatでは、2023年の秋にエクアドルからフェミニズムとアクティビズムに取り組むアーティストを招聘して議論を行い、自分たちにもできる相談窓口のあり方を考えていたという。そしてアーティストから学んだことを生かして1年後にラップワークショップを開催。ラップ形式でアートの労働問題をアウトプットしたそうだ【※14】。プレゼンテーションの最後には、水田が岡田作のリリック「私の仕事を認めてほしい」をラップで披露した。
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全ての参加イニシアチブのプレゼンテーションが終了し、昼食をゆっくりとった後、約500mほど歩いて砂防ダムへ移動した。砂と石が堆積した広場に、すでに技術チームと山中suplexメンバーがベンチやシートを円形にセッティングしていた。ここで、2日目にプレゼンテーションを行った4組のラウンドテーブルと、2日間全体の振り返りが行われた。まずは、2日目にプレゼンテーションを行った4組が互いに質問を投げかけた。
バーン・ノークのJiは、「このようなCam(p)ference―キャンファレンス(キャンプとカンファレンスを組み合わせたJiによる造語)は、知識だけではなくスピリットも共有できて良い機会だった」という。そして、問いを投げかける。「私たちはこの10年ほど、東南アジアや台湾というアジア域内にフォーカスして、互いの理解を深めてきました。日本もアジアに位置していますが、みなさんの場合はどうでしょうか? というのも、私たちは今回、初めて日本のプロジェクトに招待されたのです。」
山中suplex共同ディレクターで今回シェアミーティングのディレクションも務めた堤は、「日本のアートシーンはまだまだ西洋主義にあるが、今回参加したオルタナティブ・イニシアチブのいくつかはアジアとのネットワークを独自に持つ。これから、西洋主義だった日本が変わっていく、そういう過渡期になるのではないだろうか」と。
このシェアミーティングに参加していたオルタナティブ・イニシアチブの多くはすでにアジアに眼を向けていて、それぞれに日本以外のアジアの作家や関係者とのコネクションを持っている。だが問題は、「日本→日本以外のアジア」という方向が圧倒的に多く、経済的なハードルからその逆はまだまだ少ない。これは1日目にASP横内も指摘していた点だ。またTRA-TRAVELがこれまで受け入れてきた作家はほとんどアジアからだが、日本全体を見渡せば稀少な例である。日本から行くばかりではなく、こちらからも呼ぶという、双方向の均衡をどう実現させていくのか。資金調達の知恵も必要になりそうだ。
そして、オルタナティブ・イニシアチブの生存戦略として極めて重要なトピックである、資金調達についての話題に移った。休眠預金活用事業の制度や、ふるさと納税を得る方法について具体的なノウハウ提供があった。しかしこれらの制度は日本独自のものである。バーン・ノークのYinからは、「タイにはふるさと納税のような制度はないので興味深い。また、自分たちは今セルフ・ファンド・システムを行っています」と報告があった。セルフ・ファンド・システムとは、アーティストやメンバーがお金を得たときに共有財としてプールしておくシステムで、プロジェクト時の食事やガソリン代として使っているとのことだった。
今回オブザーバーとして参加したART JOB FAIR【※15】の高山健太郎から全体の講評があった後、一般参加者も含めて振り返りが行われた。ここではより細かな質問が出て、それに合わせたノウハウが提供されたので、簡易に整理する。
◼︎「プロジェクトや活動の批評や教育という観点をどう考えているか?」
・ 批評や教育のためにアーカイブを重視し、レジデンス施設の中にパブリッシング機能を作った。(一般参加者)
・展覧会を開いてもらう際は、展覧会評を必ず2名に書いてもらっている。施設から正式に執筆依頼している。(Air motomoto 宮本)
◼︎複数名で一緒に活動することで起こる不和についてはどう考えているか?」
・人数が多いといろいろある。“外郭団体”側(※前編参照)が主導するプロジェクトで、共同スタジオのメンバーに動いてもらうときは、契約して発注するようになった。フレンドシップから契約へ移行。とはいえうまくいかないこともあり、不和が起こったらメンバーどうしでフォローしあったり、素直に謝りあったりしている。(山中suplex 堤)
・合宿プロジェクトでは、プライベートスペースやセーフティスペースについて事前にアンケートをとり、しっかり把握し調整している。(6okken 山口)
・「やりたくないこと」になってしまわないよう工夫をしている。定期ミーティングなどは開かず、メンバーも固定しないというのがその工夫のひとつ。(TRA-TRAVEL Yukawa)
◼︎「文化の異なる海外から作家を受け入れるとき、地域の人向けに行っていることは?」
・地域の人との付き合いを普段から行うようにしている。海外からゲストが来るときは、あらかじめ周辺住民にイベント告知を兼ねて周知。また音楽イベント開催前は騒音問題について配慮し、事前に近隣住民に説明しておく。信用を得られるよう、普段からスペースを地域に開くようにして心がけている。(Center 河野)
・イスラム教の住民が周りにいるので、肌を露出しない、酒を施設の前で飲まない等、住民がこの地域で大切にしていることを来訪する作家に事前に伝えている。大家さんにはなるべく会いに行くようにしていて、活動内容を地域に対して明確にしている。(ASP 横内)
たくさんの意見やノウハウが共有された約30時間だった。3月23日の夕方4時半、シェアミーティングは終了し、参加者は互いに別れの挨拶を丁寧に交わし、車で、公共交通機関で、下山していった――そして打ち上げに行った者も、行かなかった者もいる。
ここで、今回のシェアミーティングのタイトルを思い出したい。
政治学者で思想史家の丸山眞男は、外から入ってきた思想を取り入れてはその時その時で流していくという日本のあっけらかんとした態度を指摘し、「つぎつぎになりゆくいきほひ」というフレーズを示した。「われわれの歴史的オプティミズムは「いま」の尊重とワン・セット」(丸山眞男「歴史意識の「古層」」『忠誠と反逆』ちくま学芸文庫、413頁)であり、「いま」がひたすら連続していく日本の流動性を、批判的に捉えたものだったはずだ。このシェアミーティングは、この丸山の批判的なフレーズを応用した「つぎつぎに(あつまっては)なりゆくいきほひ」というタイトルである。つまり、「いま」を尊重し、その場その場の流動性に任せていく日本の性格を、あえて開き直って肯定して、集まってみようという試みだろう。
また、こうも考えられるだろう。公営のアートプロジェクトや権威ある組織であれば、継続性こそ評価され、流動性やオプティミズムとは真逆の態度を求められる。が、オルタナティブ・イニシアチブは軽やかに流動性とオプティミズムを肯定することができ、それも大きなものへの抵抗(=オルタナティブ)になり得る――これらが、丸山の批判的なキーワードをあえて冠した理由ではないかと、私は考えている。
とはいえ、ラウンドテーブルでJiが問い、プレゼンテーションで横内が指摘した、アジアとの機会の不均衡を考えると、「つぎつぎに(あつまっては)なりゆくいきほひ」に身を任せることには不足を感じなくもない。「いま」を尊重していては、アジアとのネットワークや情報は蓄積されないからだ。
かつて国際交流基金にはASEAN地域との文化芸術交流を促進するために「アジアセンター」【※16】が立ち上げられ、2014年度から2021年度まで相当数の“オルタナティブ”な個人も助成支援を受け、アジア各地で制作や調査、ネットワークづくり等を行ってきた。あの期間の公的機関とオルタナティブなシーン全てにみられた“アジアブーム”を経てもなお、日本がまだ西洋主義にあり、アジアから積極的にアーティストを呼ぼうという機運の高まりや、均等な機会の実現がまだなのだとすれば、それは「いま」を尊重して流動的にきた結果で、まさに「つぎつぎになりゆくいきほひ」に陥ってしまっているのかもしれない。(もう少し踏み込んで述べさせてもらえば、何かを“得る”ために日本から日本以外のアジアへ行くのであれば、向こうにも、こちらで同じ数だけ何かを“得てもらう”べきだ。歴史を振り返ると、アジアでの対等性については、日本は気にしすぎるぐらいでなければならない。)
あるいは――。「つぎつぎになりゆくいきほひ」を体現しているのは、やはり公や権威の側かもしれない。東京五輪という政治的イベントやその時の政権=勢ごとの外交政策によって一時的にアジアとの文化芸術交流を促すことこそ気ままであり、「いま」の「いきほひ」でオプティミズムそのものだから。だとすると、流動的にせず、知見と思考を積み上げて「つぎつぎになりゆくいきほひ」とは異なる方角を目指すほうが、公や権威とは別をいく“オルタナティブ”たり得るのではないか。特に何かと政治外交事情が絡むアジアとの交流は、オルタナティブな側こそ、継続的なネットワークの蓄積に向いているはずだ。
このシェアミーティングの後、オルタナティブ・イニシアチブや参加者が、ここで得たことをどのように自身の活動に加えたり、昇華させたり、つなげたりしていくのか。このルポが、参加した面々にとって、過去と「いま」をつなぐ何かになればと思う。
※ 本記事の写真キャプションは編集部による
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山中suplex
(URL最終確認:2025年6月20日)
シェアミーティング2「つぎつぎに (あつまっては) なりゆくいきほひ」
上記に今回のイベント概要と各参加団体の情報が掲載されている。
(URL最終確認:2025年6月20日)
第1回目のシェアミーティング「一人で行くか早く辿り着くか遠くを目指すかみんな全滅するか」についてはアーツカウンシル東京の今野真理子さんによるレビューが『AMeeT』から出されている。こちらも参考にされたい。
『共同体と共同体の出会いから生まれるシナジー』
・前編はこちら
・後編はこちら
(URL最終確認:2025年6月20日)
【※1】 Baan Noorg Collaborative Arts and Culture
(URL最終確認:2025年6月20日)
【※2】 Baan Noorg Bienniel
(URL最終確認:2025年6月20日)
【※3】 NongpoKiDdee, NPKD
(URL最終確認:2025年6月20日)
【※4】 6okken
(URL最終確認:2025年6月20日)
【※5】 6okken芸術祭「ダイロッカン」
(URL最終確認:2025年6月20日)
【※6】Center / Alternative Space and Hostel
【※7】 FINDARS
(URL最終確認:2025年6月20日)
【※8】今回のシェアミーティングでは、「すきま保育士」森梨絵による託児サービスが提供されたことを記載しておきたい。今回のようなオフサイドミーティングで、子供が参加することを前提にしてイベント設計するところはまだまだ少ない。Centerのように家族経営しているスペースの状況にも山中suplexが配慮していることは特筆すべき点だろう。
【※9】TPlat
(URL最終確認:2025年6月20日)
【※10】鳥取藝住祭2015
(URL最終確認:2025年6月20日)
【※11】 鳥取藝住実行委員会
(URL最終確認:2025年6月20日)
【※12】 創造的な活動を相互にみつめ支え合う TPlatのピアレビュー
(URL最終確認:2025年6月20日)
【※13】 totto
(URL最終確認:2025年6月20日)
【※14】 これら一連の活動については、TPlatのHPに最終報告書が掲載されているのでぜひご覧いただきたい。
「持続可能なアート活動のために -鳥取の個人的な芸術と労働についての話を収集する」2024年度 最終報告書
(URL最終確認:2025年6月20日)
【※15】ART JOB FAIR
+5では過去、代表の高山さんにインタビューを行っているので、以下も参照されたい。
『アートの仕事、だけではない出会い「ART JOB FAIR」が光を当てたもの』
(URL最終確認:2025年6月20日)
【※16】国際交流基金は外務省所管の特殊法人。その中に設置されたアジアセンターの助成プログラム「アジア・フェローシップ」は支援対象が個人で、アーティストやアート関係者の多くを日本―ASEAN地域に相互派遣し、リサーチやネットワークづくりを支援した。ちなみにアジアセンターが設置されていた期間は、2020年東京オリンピックに向けて国や各自治体で文化プロジェクトが推進された時期と重なる。
ライター・編集者(バイトと兼業)。1983年生まれ、尼崎市出身。2011年、東アジア各都市のライブハウスやギャラリーをめぐり、音楽家やアーティストと交流を深めたことをきっかけに、アジアの文化を日本語で発信するウェブメディア「Offshore」を立ち上げた。現在は紙の文芸雑誌『オフショア』を発行。公共文化施設での企画制作、オルタナティブスペースの運営、文化芸術の中間支援(地方自治体の外郭団体)、東アジアでの音楽シーンの取材(自腹)などの経験がある。