GAKUBI 49 狭間から視る世界〜ウリハッキョから美術を通して〜 <前編>

GAKUBI 49 狭間から視る世界〜ウリハッキョから美術を通して〜 <前編>

在日朝鮮学生美術展覧会
2023.02.06
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朝鮮語で「ウリ」とは、直訳すると「私たちの」という意味だが、それは文法上で使用する単純な言葉ではない。ウリという言葉には、父や母などの家族や地域、国や学校(ハッキョ)など大切な人、もの、場所に対しての親しみが込められている。

在日朝鮮学生美術展覧会、通称「学美」は、そんな「私たちの学校」と呼ばれるウリハッキョに通う児童たちの展覧会である。1970年「第一回在日朝鮮学生美術展中央美術展覧会」を皮切りに、すでに49回続いており、当初東京のみで始まった展覧会は全国を巡回する形となって今も続いている。

今回は来年の開催で50回目という節目を迎える学美の今について、ウリハッキョで長年美術教員を務める玄 明淑(ヒョン・ミョンスク)先生、金 明和(キム・ミョンファ)先生、金 潤実(キン・ユンシル)先生に話を伺いながら、考えていきたい。

記事は前後編となり、前編では主に朝鮮学校の美術教育と、生徒たちが生きる今、そして後編では在日朝鮮人美術と学美の取り組み、そして今後の可能性について言及していく。

第49回学美京都展の会場から。初級部の生徒が集中して、他の生徒の作品を鑑賞していた。

朝鮮学校について

学美では幼稚園〜高校生まで、朝鮮学校に通う、全ての学生の美術作品の中から選ばれた作品が展示され、作品は学校の図工・美術の授業で制作したものと、美術部が制作したものの大きく2つのカテゴリーに分けられている。新型コロナウィルス蔓延前は、中央審査会という朝鮮学校の美術教師たちによる選定会議で選出された作品が、展覧会となって全国を巡回する仕組みであったが、コロナ禍において中央審査会が開催できないこともあり、開催は巡回展ではなく、地域ごとに独立した地方展へと変更になっている【※1】

学美を理解するにあたり、はじめに朝鮮学校について簡単に触れておきたい。朝鮮学校は1945年、終戦の年に解放された在日朝鮮の人々【※2】が自主的に作った、「国語講習所」に端を発する。戦争の中で奪われそうになった民族性を二度と無くさないよう、民族教育を体系化していく取り組みとして立ち上がり、翌年(1946)には、学校へと整備されていく。1948年にはGHQの方針により、日本政府が朝鮮学校閉鎖令を出し、朝鮮学校の児童を日本学校の就学へ強制したり、認可を受けられなかったりと、本記事では十分に触れられないが、数多くの困難を経て今に至る。

朝鮮学校は日本の学校制度と同じく、6・3・3・4制度を採用し、設立当初から日本の学校制度に準じている【※3】。初級学校(小学校)、中級学校(中学校)、高級学校(高等学校)と分かれ、学校によっては幼稚班(幼稚園)を併設しているところもある。朝鮮大学校も、東京に1校だけある【※4】。大学校以外の全てが、学美の作品が生まれる舞台となる。


ウリハッキョの美術教育

ユンシル先生:これは日本の学校と同じですが、初級部は図工、中級部から呼び名が美術になります。基本的に日本の学校だと、小学校はどの学年も、担任の先生が図工を担当することが多いと思いますが、朝鮮学校の場合は、基本は美術専門の先生がいて、その先生が直接指導をします。私も美術講師として働いていて、初級部では週2回、図工の授業をしています。

授業としては、道具の扱いなど基礎的なことは教えていくんですけど、基本的にはゴールを決めません。みんなでゴールに向かうのではなく、スタートの環境だけこちらが提供し、方向はどういう方向に進んでもいいとしています。だから平面からはじまったけれど、立体になることもありますし、運動会ってテーマからはじまったのに、怪獣が出てきたり。その子がどうしたいかを聴きながらこっちが提案して、一緒に考える感じです。授業内容が練習と作品制作のふたつが大きくあるとすると、技術的な練習ももちろんしますが、作品制作では技術や技法だけを重視したり追求するのではなく、むしろ何をどう表現したいのかを大事にして、自分たちで方向性を決めてもらっています。

少人数なのも、朝鮮学校の特徴ですかね。私の担当していたクラスは、10人くらいでした。今は多い学校でも1クラス30人くらいです。ひとりひとりに目が届きやすいので、そういうことができるのかもしれません。

金 潤実(キン・ユンシル)先生

朝鮮学校は統廃合で生徒数が減っており、単純に人数の少なさを羨むことはできないが、少人数であることを前向きに利用し、作品制作における意思決定プロセスを、ある程度時間がかかっても子供たちに託しているという。図画工作などで、おそらく多くの先生の悩みの種となるのが「学習進度の違い」であろう。イメージを視覚化することが得意な子も入れば、そうでない子もいる。ゴールややり方を決めてしまうと、それがさらに広がってしまうが、ゴールを決めず、ある種どこまでも制作できる状況を作ることで、作る速さは重要でなくなる。しかしその授業形態を作るには、どうしてもある一定以上の授業の長さが必要となるが、朝鮮学校の時間割はどうなっているのだろう。


ユンシル先生:初級部は図工が週2時間、連続であります。朝鮮学校では小さい時から、美術に触れる機会は多いと思います。高級部は週1回2時間あり、中級部だけ、週1回1時間となり、これは日本の学校と同じですね。


日本の小学校では1~3年生までの図画工作の授業時間数が年平均で約66時間、4~6年生となると平均約53時間と少なくなっていく【※5】。朝鮮学校の初級部は、年平均で約70時間ほど確保しており、図画工作への意識の高さが伺える。

美術教師については、例えば中高一貫の場合は中学・高校と両方ひとりの先生が担当することも多く、一貫した指導ができることも強みと考えているという。


ヒョン先生:朝鮮学校は単設よりも併設が多いので、初級部から高級部まで一貫した指導ができるのは強みかもしれませんね。
私たちは元々単設やったのが2017年度を最後に統合され、併設になりました。たまたま美術の先生がふたりになったんですけど(ヒョン先生とユンシル先生)、他の地方の場合は併設の場合、先生がひとりです。それに加えて講師の先生も結構いらっしゃるので、2~3校掛け持ちっていう先生もいます。



実際の授業では、「対話」をかなり重要視し、生徒たちが制作の過程で、きちんと自分に向き合えるようサポートしているという。


ミョンファ先生:図工とか美術は、「表現とは何か」を全面に押し出して、それを手助けする感じで私はやっています。子どもたちってすごい忙しいんですよ。放課後は部活があるし、家に帰ったら習い事もあるし、勉強もしなあかんし。だからそんな時に「自由に」っていう言葉を安易にこちらが使うと、ともすれば遊びになっちゃうんです。アートって悪い意味でなんでもありやろみたい感じになっちゃう。だからちゃんと自分のフィルターを通ったものじゃないと応援できないよと、各生徒と個人的なやりとりもしています。作品にあえて遊びを取り入れるんやったらわかるし、自分の必然みたいなものがあるんだったらそれは表現にはなるけれど、そうじゃなくて、ただ単に楽だとか、あとはそのあざとさ?こんなん描いとけばいいんでしょくらいの気持ちでやるんだったら意味がないんだよっていうことを小さい時から徹底してやってるんです

金 明和(キム・ミョンファ)先生


中学の美術授業はどうだろうか。日本では文部科学省の中学校学習指導要領(平成29年告示)に基づき、「表現」と「鑑賞」を軸に、各学校でカリキュラムが組まれているが【※6】、朝鮮学校ではどうなのだろう。例えば朝鮮美術史などの授業もあるのだろうか。


ヒョン先生:週1時間の中級部では、主に平面(絵画、デザイン)と立体に取り組んでいます。毎年同じではなく生徒の特性や、ハッキョを取り巻く環境によっても変動したりします。私は基本的に1年生では自己の内面、2年生では他者との関わり、3年生では社会に対する眼差しに重点を置いてます。どのジャンルでも「どう表現したいか」を軸にディスカッションします。

「鑑賞」はどの授業でも取り入れてます。以前は鑑賞授業を単独で行ってた時もありましたが、最近は導入の段階で作品鑑賞を組み込んだり、完成後にお互いの作品を鑑賞し合い意見交換したり、余裕のある時は展覧会や映像の鑑賞もします。いろいろですね。

ユンシル先生:高校の授業に関しては、現代アートとはというところで、例えばデュシャンに触れたりしますが、美術史は作品制作に繋げるために必要なものをカリキュラムに入れています。私のクラスでは学生たちが知識を自分のものにして、アウトプットするまでの流れをかなり大事にしています。

一応カリキュラムみたいなものはあるんですけれど、それも毎年同じではありません。その時の子供たちや、社会状況にも合わせて授業を組んでいます。最近だとスマホを使って、誰かの絵や作品も簡単にダウンロードすることができ、それらを元にした二次的な作品が生まれることもあります。何が模倣で、模倣じゃないのかなど境界が曖昧になっているので、そういうものを取り入れたりします。


教師の采配がかなり大きい印象だが、ある種自由な教育方針はどのように確立されたのだろう。


ヒョン先生:学美が変わったことがひとつあります。私たちの話から、かなり自由に聞こえるかもしれませんが、他の教科も同じというわけではないんですよ。他はカリキュラムも到達度も明確で、基本はそこに向かっていきます。だから図工、美術はちょっと特殊です。

玄 明淑(ヒョン・ミョンスク)先生



美術も昔は、教科書にある内容を消化するために、視覚的な正確性や色彩のこととか、そういうものに重きを置いてたんです。例えば朝鮮の壺の静物画、祖国の風景画、働くお父さんシリーズなどの風俗画を題材にして。そういう時代もあったけれど、教える側の価値や思想を押し付けて綺麗にまとめているというか。だから子供自身が意志を持って、自分で題材を選んで、決定していることが大事なんじゃないかと。

朝鮮学校の生徒たちは、日本語が第一言語で、朝鮮語が母語となっている。言語を切り替えながら自己形成をしていかないといけない中、特に中高生は自分という存在を問い直す機会も増えるだろう。そういった思春期にある生徒たちを、美術の視点ではどのようにサポートしているのだろうか。自分の中に芽生える民族性に対して、美術の観点で対話をすることもあるのだろうか。


ヒョン先生:私たちの前の世代の先生たち(在日1~2世)は、それこそ民族性を養うという観点で、チマチョゴリだったり、民族楽器、キムチだったり、生活に密着した、いわゆる朝鮮民族らしいものを作品のモチーフとして選んでいました。人物を描くにしても、例えば自分の祖父母が民族衣装を着ているところをモデルにしたり。とにかく民族性にこだわったモチーフを選んでいました。どんなモチーフであっても、先輩方はそういったものを通して美術授業で民族性を養う。そういう時代だったんだと思います。


それらはヒョン先生の頃にはすでに変化していたのだろうか。


ヒョン先生:私は在日3世ですが、私が子供の頃は、まだ先代の美意識や情緒教育としての役割を追求するがあまり、教える側の一方的な民族性を求められたり、世代交代と共に薄弱になりがちな民族意識を補うかのように画一的なパターンが見え隠れしてた過渡期にあったんだと思います。ひとつは世代交代を繰り返す中で、民族性が薄まっていくこと、そしてもうひとつは、民族性に対する考え方の変化で、「目に見える、形あるものだけが、民族を象徴するものではない」と思われるようになりました。そうやって私たちの認識もアップデートされている気がするので、朝鮮をシンボル化するものをなんの疑問も持たずに描かせるのではなく、その心象の部分を大切にしています。中学はやっぱり思春期真っ只中なので、反抗期もありますし、民族に対して様々な葛藤を抱えてる子もいます。もちろんそれだけではなくて、社会に対する姿勢や視点、忙しすぎる学校生活や校則にも疑問を抱く子もいます。

授業では、そんなネガティブなものが出てきたとしても否定しません。責めるのではなく、見方に共感する。学年が上がるごとに、ネガティブな感情を吐き出したあと、その矛盾や葛藤に対してどうしたいか話します。そういう対話も大事にして、アウトプットしてもらうようにしています。

大阪朝鮮中高級学校 2020年10月体育大会


自己と他のはざまで

在日朝鮮人として生きる児童たちは日本に生まれ、自分や家族にとっての祖国が朝鮮半島にあることを早い段階で知る。ウリハッキョをはじめとした同胞社会が居場所を作り、優しく包んでくれるが、自分の本当の居場所、あるいはいるべき場所はどこにあるのか、個人差はあれど悩む時期があることは想像に難くない。彼らのいう「祖国」は日本からはるか向こう、海の先である。日本人として生きようとしても、ある種「外国人」としての自分を意識せざるをえず、朝鮮人として生きようとしても本当の祖国は目に見える場所にはない。そんな彼らはどのようにウリハッキョの中で成長し、自己を形成しているのだろうか。


ヒョン先生:まず、民族性については早い段階で芽生え始めると思います。幼稚班に入園と同時にウリノレ(朝鮮の歌)を日常的に歌い、あいさつ等の簡単な言葉はウリマル(朝鮮の言葉)で話し、初級部1年生からウリクル(朝鮮の文字)を学びます。ですので2年生に進級する頃にはみんなウリマルだけで会話できますよ。校内では朝鮮語だけで会話をするので早く覚えるのでしょうね。
美術の側面から見ると、中2、3くらいから、そういった社会を意識する兆しが見え始めます。スマホの情報にも敏感になってきて、自分で情報を取捨選択していると思います。作品を見てもらったら、ジェンダー系の作品や学校問題、進路に対する不安はもちろん、そこに民族のことが重なっていることもあります。



思春期という感性鋭敏な時期には、身近な人の、いわゆる在日朝鮮人としての活動も気になってくるという。例えば2010年に日本政府が全国の高等学校の学費無償化から朝鮮学校のみを外したことは記憶に新しいが【※7】、それに対する反対運動として、大阪では毎週火曜日、大阪府庁前で無償化適用を求める「火曜日行動」が開かれている。身近なところで起きる活動が、在日朝鮮人としての自己と「他者」を意識させていくという。


ヒョン先生:自分の保護者や親戚、身近な人が例えばデモをしていたり、遠い親戚が差別によって事件に巻き込まれていたり、色んなことが繋がっていくんです。みんなが当事者なので。だから大阪の無償化裁判の時も、その裁判に出向いている人たちは保護者であったり、支援会の人々だったり、あとは高校の先輩方ですよね。そういう環境の中に中学生もいるので、決して他人事ではないんです。そこで造形に対する解釈であったり、アイデンティティのことであったり、変化は出てきます。


筆者は第49回の学美(2022)で、計3会場(兵庫、京都、大阪)に足を運んだが、最初に展示を見た時に驚いたのは、作品の持つ広く深い世界観と、生徒たちのコミュニティや社会に対しての鋭敏な眼差しである。学美では、授業作品には優秀賞が、美術部の作品には金賞、銀賞、銅賞などの賞が送られる。そして美術部の賞作品には、作家である生徒たちのコメントが掲載されている。コメントには一般的な美術批評の中で見る言葉に加え、しばしば「同胞社会」、「朝高生としてて」、「差別」などのキーワードが見られる。もちろんそれが、生徒の総意ではない。しかしながらコメントや作品を通して筆者が感じた彼らの「自己と他」、そして「国や社会」に対する意識は、朝鮮学校の生徒特有のものであるように思えた。
(以下、例として学美に出品されていた作品のひとつを掲載する)


ミョンファ先生:子どもたちはずっといろんな現実に突きつけられているっていうか。だから社会に敏感な作品がすごく出てるんだろうなって思いますね。「社会の中で自分の存在がどうなのか」みたいなものは考えざるを得ない状況にはあるんだろうなと。

学校の中は割と守られてるっていうか、やりたいようにできる場所にはなってるけれど、一歩外に出たらそうじゃないってことに、みんな気づいていると思います。直近やと2021年、宇治にある在日コリアンの居住地区、ウトロ地区で放火事件があったと思うんですけど、例えばあぁいうのですよね。

うちの学校でもね、何年前やったかな……学校の外に日本語の授業で作った短歌に名前を書いて、外の掲示板に出していたんです。行き交う人に作品を見てほしくて。ほんならある日の朝来たら、それが全部外されて、カッターで全部まっぷたつに切られているのが見つかって。名前のところもですよ?定規を使って丁寧に真っ直ぐ切られていて。当時私の娘もいたんですけどね。

そういうふうに「あなたたちはこの社会に必要ではない」みたいなメッセージがくるし、そういうのと子どもたちは隣り合わせでいるので、やっぱり考えざるを得ないというか。無償化のこととかでも、「ここに存在したらあかんのかな?」、「許されへんのんかな?」って。なので自分たちをある種生かして、守ってくれているこのコミュニティをすごく大事に思う子らは多いです。

私は正直言うと時々、コミュニティが息苦しい時もあるんです。すごく守ってくれるかもしれないけども、やっぱりしがらみも多いし。しんどいなって思う部分もあるんですが、教育を自分たちのやりたいようにできるっていうのは、コミュニティがしっかりあるっていうのが大事なので、私もここにずっと残っているんです。

ヒョン先生:普段はみんなゲームもテレビもネットも好きやし、悩みも思春期っぽい。けれどもそこにプラス、在日朝鮮人やからこそ感じるいろんなこと、民族性のこととか、差別のこととか、そういうのが乗っかってきていて。学校で習っているものと、SNSなどの数多くの情報から受け取っているものの間で揺れていたりします。断片的な情報や一部分だけを切り取った偏った批判、根拠のない誹謗中傷が溢れていて、ウリハッキョでの学びとのギャップに戸惑ったりしながらも、考え模索し消化してほしいと思います。朝鮮新報というところで「学美の世界」っていうコーナーがあって、まさにこういうことを美術の側面で書いているので、ぜひ読んでもらえればと。【※8】


ウリハッキョの中で、生徒たちは成長していく。生徒のほとんどは幼稚園から続くコミュニティの中で、高級部卒業まで進んでいくが、時にコミュニティを出る生徒もいるという。朝鮮学校の先生たちも、どんな進路も応援したいと思う一方、例えば中学、あるいは高校からコミュニティを出ることに対しては、複雑な心境を隠せない。


ヒョン先生:正直にいえば、やっぱり寂しく思います。民族教育を高校まで終えた方が、自己肯定感をしっかり育み、社会にでた時も、自分が何者であるかを恥じて隠すのではなく、ちゃんと言えるようになると思います。どういう職業についたとしても、自分が在日朝鮮人であることを前向きに捉えて、職業を選択して、他者と連帯していける。そういう素地を培うには中学まででは不充分で、高校でじっくり身につけてほしいんです。

幼稚班や初級部からずっと一緒で交友関係も固定されやすく、いわゆる「新しい世界」を求めたり、それ以外に経済的な問題とか、社会的な構造の中にできている差別のこととかもあったり。朝高出ても、社会でちゃんと就職できひんやんみたいな変な思いこみもあるんです。過去にはそういうことが、たくさんあったから。その事実をずっと引きずっている保護者もたくさんいて。その保護者の考えがそのまま生徒に浸透していくということもあって。それにやっぱり運営費も高いですしね。補助金が全部切られてしまって。日本の学校やったら、学費免除をはじめ、支援される仕組みがたくさんあっても、朝鮮学校は全部外されていっているので、なかなか厳しいですよね。

美術部に限らず、部活動をがんばって活躍すればするほど、さらなるレベルアップを求めて、環境の整った学校に興味を持つやろうし、その興味や意欲は否定できません。ですが、立ち止まって考えてほしいんです。環境さえ整えば誰でもスキルアップできるのか、自分のアイデンティティをしっかり構築してこそ目先のスキルより「どう生きるのか」という自分なりの答えを出せるのではないか……中学生にはハードル高い話かもしれませんが、十代後半ではそういう人生観について友達と話し合ったり、先輩たちの経験に耳を傾けたり、学びも悩みも共有しながら共に成長してほしいですね。それができるのはウリハッキョだけだと思っています。


ウリハッキョの美術部でも顧問を務めるユンシル先生は、児童たちの可能性についてこう話す。


ユンシル先生:生徒たちは、自分自身のこともあるけれど、ある種社会からの目っていうのも意識せざるをえません。その間で生まれるアイデンティティは、子供たちひとりひとりが考えることでもあるし。みんなそれぞれに、自己と他、両視点の考えを持っています。でもその要素が、ある意味美術の表現において、面白くもなるんです。それぞれの生徒の、自分というものへの捉え方が、作品の中で整理されたり、放出できたりする機会でもあるかなと思っていますし、面白くなりますよね。

大阪朝鮮中高級学校校舎

学美生への3つの質問

最後に、大阪の学美会場で実施した生徒への簡易インタビューの内容を少しご紹介し、後編へと繋げたい(学美生徒の作品プレゼンの様子はこちら)。インタビューには、大阪朝鮮高級部の朴連朱(パク・リョンジュ)さん、金梨穂(キム・リス)さん、中級部の金聖花(キム・ソンファ)さん、金果凜(キム・クァルム)さんにご協力いただいた。

― 美術に向き合う時間は、自分にとってどんな時間ですか?

ソンファさん:自分を表現しているような。自分の唯一の好きなことというか趣味というか、そういう感じです。

リョンジュさん:基本的に日常でアウトプットすることってそんなに機会がないと思うんですけど、美術って自分が何を感じているかとか、自分の中を出していくイメージがあって。そういう面では、アウトプットする時間なのかなあと思っています。

クァルムさん:絵を描くことが好きで、趣味でもあるから、癒しの時間?というか。ちょっと心がしんどかったりしたら、絵を描いて発散すると言ったらおかしいかもしれないけど、絵描いて落ち着かせるみたいな。そんな時間です。

リスさん:美術って自分の考えを出すと思うんで、アウトプットする時間ってある意味自分を作り上げている時間というか。自分の世界観とかをちゃんと形作っていくような、自分を作っていく時間かなあって思ってます。


― 学美の会場で、他の生徒さんの作品を見てどう思われましたか?あと、同じ年代の人たちの作品をみて、自分との共通点や共感することなどはありましたか?

リスさん:自分が神戸の方を見に行って思ったのは、感情を形にするのがうまいというか。そういう自分の心のうちを、表現するのが、かっこよくするのが得意ですごいなあって。あとはやっぱり朝鮮学校に通っているので、題材が在日のこととかはやっぱりあったんで、そういう面では「あぁ、あるよなあ、講義とかでよく聞くよなあ」みたいなのは、色々ありました。

リョンジュさん:私は共感するとかより、みんないつも表に出さないだけで、やっぱり作品にする機会があれば、結構色々深く考えているんだなあとか、一見何も考えてない感じがしても、ちゃんと考えていることが多かったりする。そういう面では、美術部の特権というか、絵で語れるっていうのは、いいところではあると思いました。

クァルムさん:他の美術の展覧会とか行ったりするんですけど、共感というよりかは、みんなはそう考えてるやていう、新しい発見の方が多くて。思いつきというか、何でこの作品にしたのかももちろんそうやし、そういう考え方もできるんやなあとか。見に行ったらちょっとだけ自分の世界が広がったみたいな感じがします。

ソンファさん:自分と全然違う考え方を持ってたりして、自分が描こうとしてボツにした作品と似たような作品があったりとか、すごく大きい作品だったり、ちょっと怖いような作品だったり、自分が考えられないような作品がたくさんあって、すごいなって思いました。


― ウリハッキョってどんな場所ですか?

リョンジュさん:私たちの学校自体特殊っていうか……うーん、特殊な場所だと思うんですけど、朝鮮の文化とか芸術が学校のそこらじゅうに見れたり、そういう芸術の面で言うと、すごく多様性あふれる学校だとは思っています。アイデンディティをすごく大事にしている学校で、そういう場面で見ると一体感はあるのかなあって思います。

リスさん:日本の学校って受験とかしてから集まっていくと思うんですけど、ウリハッキョは大体ちっちゃい頃からずっと同じ友達だし、遅くても中学からはずっと一緒だから、慣れてるっていう面では、自分を出しやすいっていうか。変に緊張する必要がない、新しく友達を作る必要がないとか、そんなんはあるかなあと思います。

インタビューに協力してくださった学美生の4人。
左から金聖花(キム・ソンファ)さん、金果凜(キム・クァルム)さん、金梨穂(キム・リス)さん、朴連朱(パク・リョンジュ)さん。

在日朝鮮学生美術展(GAKUBI) 公式HP

(2023年2月6日18時27分最終閲覧)

第49回学美 日程一覧

(2023年2月6日18時27分最終閲覧)

関連記事『GAKUBI 49 私たちの作品へ』

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注釈

【※1】第49回会場一覧(公式HPより)
(2023年2月6日18時28分最終閲覧)

【※2】日本の敗戦とともに朝鮮半島は植民地支配から解放された。これにより在日朝鮮人は帰化できるようになる。敗戦時、日本には200万を超える朝鮮人がいたが、およそ140万人が帰国し日本に約60万人残ったとされる。


【※3】日本社会との接続、特に進学や編入、就職を考慮していることがおそらく理由となっている。


【※4】朝鮮大学校とは(公式HPより)
大学校は1956年に創立された。全国の朝鮮学校から進学があるため、全寮制となっている。
(2023年2月6日18時28分最終閲覧)


【※5】文部科学省 小学校学習指導要領より
(2023年2月6日18時28分最終閲覧)


【※6】中学校学習指導要領(平成29年告示)
(2023年2月6日18時28分最終閲覧)
今回の記事を執筆するにあたり、中・高の美術教師数名に話を聞いたが、日本の中学校でも、美術教育のあり方は変化している。各学校によって差はあるが、ある程度美術教師たちが自由にカリキュラムを決め、独自の授業を展開する学校も多く、美術館への実習や、対話型鑑賞など身体的な学習や、VRやタブレットなどのデジタル機器を使用して授業を進める事例も増えているという。
しかしヒアリングの中で、学校をまたいでの特に教師による美術交流は、まだまだ限定的であることがわかった。本記事の特に後半で言及するが、ウリハッキョではコミュニティを活かし、教師同士が学美を軸に議論する機会、あるいは作家としてコラボする機会が多く、毎年、在日朝鮮人としての美術のあり方がアップデートされている。同じようなことを、日本の教育業界ですぐに行うことは難しいかもしれないが、現場の美術教師たちが、美術学習のあり方について話し合い、授業で試行錯誤する機会はあって然るべきだろう。


【※7】高等学校無償化排除問題
2010年4月に当時の民主党政権が導入した「高等学校等就学支援金制度」に端を発する。公立・私立・通信・全日制・など問わず、受給資格を満たせば高校の学費が実質無料になる制度だが、同年11月の北朝鮮の韓国砲撃から、朝鮮学校の支給審査を凍結。2012年には当時の安倍内閣の下村博文文部科学相が、拉致問題や在日本朝鮮人総連合会と朝鮮学校の関係を指摘、外交上・政治上の問題を理由に、その翌年支給対象外とした。政府の対応について全国5カ所(東京、愛知、大阪、広島、福岡)で裁判が行われ、大阪のみ勝訴している。
本件については各方面から関係者、有識者が記録を残しているので、興味がある方は調べてみてほしい。


【※8】学美の世界|朝鮮新報 美術欄
有料コンテンツと無料コンテンツがあり、無料で読めるものもある。「学美の世界」は一部、学美の公式HPにも掲載されている。
(上記2つのURL:2023年2月6日18時28分最終閲覧)

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INTERVIEWEE|
玄 明淑(ヒョン・ミョンスク|현명숙)

美術家、兵庫県生まれ、朝鮮大学校教育学部美術科卒。学美大阪実行委員会代表、文芸同大阪支部美術部長。
西神戸初中で8年間勤務・結婚を機に大阪に異動。中大阪初中級、東大阪中級を経て現在は大阪朝鮮中高級学校美術教員・中級部美術部顧問として27年間教壇に立っている。
作品は水墨を中心に、最近は書画制作を続けている。2019年8月、高麗書芸研究会結成30周年記念 東京国際交流展出品。
2018年3月、東大阪朝鮮中級学校の校舎移転に伴い、移転プロジェクトを立ち上げ、その際に全校生徒の風景画をまとめた「永遠のウリハッキョ(学び舎)」を発行(画集に掲載している一部の作品と文章はこちら)。


金 明和(キム・ミョンファ|김명화)
アーティスト/フェミニスト/北大阪朝鮮初中級学校、京都朝鮮初級学校 図工講師。ゲリラガールズ研究会所属。
朝鮮大学校教育学部美術科卒。大阪、京都で教鞭をとりながら、イラスト制作、土偶制作、児童絵画制作など、精力的に作家活動を行う。
2021年個展《context》開催、ヨコハマトリエンナーレ2020「AFTERGLOWー光の破片をつかまえる」クリエイター集団「刷音《SURE INN》」のメンバーとして参加
kim myong hwa/김명화 on Tumblr


金 潤実(キン・ユンシル|김윤실)
絵描き、大阪朝鮮中高級学校美術講師・高級部美術部顧問、南大阪朝鮮初級学校臨時図工講師。
京都精華大学芸術学部洋画コース卒。和歌山生まれ、大阪在住の在日朝鮮人3.5世。過去には兼業で日本の公立小学校で民族学級講師の経験あり。
作品制作は主に油絵(絵画)、最近はサイアノタイプを用いた作品も模索中。
2022年3月、講師をしていた中大阪朝鮮初級学校が統廃合になることを受けて、同校舎を利用したアートイベントを企画し、自身も作品を展示した。
・中大阪アートイベント



INTERVIEWER|桐 惇史(きり あつし)
+5 編集長、ART360°プロジェクトマネージャー。
1988年京都府生まれ。京都外国語大学英米語学科卒業後、学習塾の運営に携わりながら、海外ボランティアプログラムを有する、NPO法人のプロジェクトリードに従事。その後、ルーマニアでジャーナリズムを学び、帰国後はフリーランスのライターとして経験を積むかたわら、大手人材紹介会社でコンサルティング営業、管理職として組織マネジメントなどに携わる。現在は360°映像を通した展覧会のデジタルアーカイブ事業「ART360°」の推進に関わる。