個々の作家が集まる共同スタジオとしてだけでなく、アーティスト・準コレクティブ(アーティスト集団)としても活動の幅を広げる山中suplex。後編では、山中suplexの活動をさらに広げるきっかけとなった展覧会と大阪にできた新拠点について、そして彼らが作り出す緩やかなコミュニティとその広がりについて考えていきたい。
山中suplexは2020年度、レジデンスなどの助成金の申請などをしていたが、新型コロナウイルス感染症の流行によって、すべての事業を中止せざるを得なくなり、いったん休止状態に。堤を含めてメンバーが参加していた美術館やアートセンターでの展覧会も軒並み閉幕したという。
堤「基本的にみんな行くところがないので山中suplexに来るんです。その時に改装の第4段階をやってしまおうということになって、新しい木工用の建物を建てたり、コンクリートを流して石彫場と鉄場をつくったりしていました。」
小宮「改装をしようという話はずっとありました。一気にスタジオ使用者の人数が増えていたし、ボロボロだったところもあるので整備しなければいけないと思っていました。コロナの影響で展覧会の予定も流れたりして暇になったということもあり、改装のことも展示のことも集中して考えられる時間ができました。そして、どうせならコロナ禍で何かしようということになったときに、ふとテレビのニュースでドライブインお化け屋敷というのが放送されたことを思い出したんです。山中suplexで特徴的な展示をするとなったら、使えるなと思いました。」
コロナの脅威が認知される前、京都中のスタジオが参加するオープンスタジオのオファーが山中suplexにも来ていたという。山中suplexでやるんだったらフードコートみたいにした方がいいんじゃないかなどのアイデアが出ていたが、次第に新型コロナウイルス感染経路が明らかになってくると、飲食のイベントは実施できなことが明確になった。そこでドライブインの形で展覧会を開催する方向に舵を切ったのだ。
堤「京都市の奨励金がもらえたということもあり、ドライブイン展覧会に向けたテスト展示をまず2020年の8月、お盆の真っ最中に1日だけやりました。それは試行展なので一般のお客さんに開かれていなくて、キュレーターや批評家などのアドバイザーたち8名に来てもらいました。実際にひとりずつ車に乗ってもらって一緒に展示を見て、最後にテキストを書いてもらいました。それを踏まえて、ドライブイン展覧会の本番を実施したのがその年の秋ごろ。その試行編では、真昼間に実施したからプロジェクションした映像が一切見えないということもあって、夜だけに実施する方向となりました。」
ドライブイン展覧会「類比の鏡/The Analogical Mirrors」は、2020年11月6日から12月6日の金土日祝の17時から22時の間、文化庁を含め、いくつかの助成金を集めて総額約300万円強で実現された。展覧会には、山中suplexのメンバーに加えて、ポーランドからパトリツィア・プリフ、ヤロフスワ・コズウォフスキ、スロバキアからアンドラーシュ・チェーファルヴァイ、台湾からユ・チェンタという計4名の海外アーティストに連絡を取り、海外作家は映像を中心とした作品を山中suplexへ送り(コロナ禍で渡航ができなかったため)、国際色豊かなグループ展となった。
ポーランドやスロバキアなど東欧のアーティストは、堤がポーランド留学時代にスタジオビジットやワークショップなどを通じて発見した作家であるという。台湾のユは、2014年に小宮がレジデンスのプログラムで滞在しているときに訪れたことで知り合ったアーティストだ。
ドライブイン展覧会はSNSを中心に、アート関係者の中で話題となる。会期の前半はまだ空いていたが、評判を聞いて後半は予約が埋まり増員をしたり、時間を延長したりするほどだったという。展覧会は、受付でパンフレットと蛍光ライトを渡され、音声のある映像作品は車内のカーステレオのFMラジオ経由で聞くことができるようになっていた。夜間だけの展示に絞り、立地を生かして全体を劇場化したところが画期的であったが、苦労も多かったのではないだろうか。
堤「夜に限定して実施する決断をすると、案の定、ブラックキューブ化して、山中suplexの変なノイズを消せたんですよね。それは良い面。逆に難しさは自動車自体が客であるということで、オペレーションが大変でした。誘導するにも来場者の運転のスキルにもよるし、ちゃんと指定された時間に来ないとか、全然知らない人が入って来ることもありました。山中suplexのスタッフがずっと外で指示棒を振っている状態でしたね。
ほかにも、参加作家たちへは作品制作費を払っていたんですけど、会場整備の際に各メンバーにはまっとうなお金を出せていないので、その辺の心苦しさはありましたね。」
小宮「確かに展覧会のあれこれは大変でしたが、半分スタジオ整備のためでもあったので、長い目で見ると改装の一部だったと思っています。」
例えば、鑑賞のために白川砂が落ちてくる坂の部分から堆積している砂を掻きだすなど、スタジオでのドライブイン展覧会に合わせて、さまざまな整備がされた。オープンスタジオの効能は、そのような内部の整備も伴うことだろう。外部に開くことを通して、内部環境や体制を整えたり、外部の専門家との協働作業も増えていった。特に自主的なイベントにも関わらず、パンフレットや記録カタログを充実させた功績は大きい。
堤「お金はなかったんですけど、ポスターとかはUMA(UMA / design farm)【※1】が引き受けてくれて、キャッチーにしてほしいとだけオーダーしました。自分自身もグラフィックデザイナーですが、業務的に無理だったということもありつつ自分でキュレーションもデザインもしてしまうと、複数性がなくなることを懸念していました。展覧会として入りにくくなるというか。だから、公共性を上げるためにできるだけいろんな人の主観を入れた方がいいと気付きだしたのがこの頃です。できるだけ外注する。」
小宮「この展覧会をやったときに思ったのは、共同作業のなかで1+1+1+…で10になるとかではなくて、10人で何かをすると、それ以上の何かが実現できると実感した瞬間だったな、と思います。」
ドライブイン展覧会の成功を機に、個々の作家の活動も、コレクティブとしての活動もさらに目立つようになった。例えば、小宮と石黒は、滋賀県立美術館のリニューアルオープン記念展「Soft Territory かかわりのあわい」に出品し、国際芸術祭「あいち2022」で堤はキュレーターとして選出され、石黒も参加アーティストとして招聘されることになる。さらに、元スタジオ出身の作家との関係性も継続されるようになり、スタジオ使用だけではないコミュニティやコレクティブの要素も色濃くなっていく。
2021年は、「血の塩/Salt of the Blood」と「余の光/Light of My World」の2つの展覧会を開催する。これらは2部構成になっていた。キュレーターを務めた堤は、『新約聖書』「マタイによる福音書」5章13-16節にある「地の塩、世の光」に異なる意味と漢字を当てることで、キリスト教由来の現代美術の来歴性とその拡張性を相対化し、そこから漏れ落ちる個々の表現を取り上げることを企図した。
「血の塩/Salt of the Blood」展では、李沙耶がオーナーを務める東京のコマーシャルギャラリー・LEESAYA【※2】で立体作品を中心に展示した。いっぽう「余の光/Light of My World」では、京都府域展開アートフェスティバル「ALTERNATIVE KYOTO もうひとつの京都 想像力という〈資本〉【※3】」の一環として、青森公立大学国際芸術センター青森(ACAC)【※4】のキュレーターである慶野結香も加わり、合同でキュレーションを行った。山中suplexのメンバーに加えて、国内外のアーティストを招聘し、JR福知山駅前のパチンコ店跡の旧銀鈴ビルを借り切って平面作品を中心に展示したのだ。特に慶野がサモアに青年海外協力隊として学芸員をしていたこともあり、トンガやインドネシア、パキスタンなどアジア・パシフィックを横断したキュレーションがなされたことは特筆すべきだろう。
堤「ドライブイン展覧会、血の塩、余の光をコロナ3部作と言っているんですけど、実はこれを経てもう山中suplexでは何もできないなと思ったんですよ。山中suplexという冠がある手前、作家もアプリオリに決まっていて、これ以上、企画を生めないと思って。2021年、2022年は国際芸術祭あいちで忙しかったですし、山中suplexをこのまま抜けるんだろうなと思っていたんですけど、大阪にスペースをつくる話が舞い込んできたんです。」
大阪市西区新町に新しくできた山中suplexの別棟「MINE(みね)」は、NANEI ART PROJECT【※5】を展開しているNANEI株式会社が所有している、もともと峯ビルという自宅兼借家として使われていた物件。そのビルの空室を2022年12月から約1年間を文化事業として、アーティストの活動に役立ててもらおうと始まったものだった。きっかけとしては、SSK入居者有志と共同で開催した展覧会「の、あとのふね」で「六甲ミーツ・アート芸術散歩」【※6】の総合ディレクターである高見澤清隆氏と出会い、そこから繋がった話だという。
堤「本当のところ、僕は最初そんなに乗り気じゃなかったんです。予算も少ないし、アーティストへのサポートというよりもむしろ利用されそうな懸念がありました。でも、太郎くんや石黒さんが乗り気で、すぐに視察とかに行ってました。その後、いざ依頼を引き受けてスペースを運用していくとなると、石黒さんは京都芸術大学のグローバル・ゼミ【※7】出身なんですが、そこの留学生たちの展覧会を企画したりして。結果的に、若い人たちがMINEを通じて育っていくのが嬉しいみたいなことを言っていました。それは僕にとっては割と新鮮な視点で、キュレーターとして山中suplexの作家や作品をとある枠組の元で公開することはもうできないけれど、次の世代を含むアートシーン全体に対してみんなと協働することはできるんじゃないかと思ったんですね。」
それに前後して、小宮が「アーツサポート関西」から助成金を取得する。それは、「共同アトリエ・シェアミーティング」と題して、山中suplex以外の共同スタジオはどのように運営上の様々な問題を解決しているのか調査するものだ。そのヒントとなったのが、『ミーティングキャラバン―日本縦断、アートミーティングの旅』(BankART1929、2005年)【※8】である。2000年代序盤にN-markという名古屋をベースに活動していた若手アーティストが、全国のアーティスト主導のインディペンデント・スペースを車で訪ねていく旅をドキュメントとした内容だった。そういった、他の自主運営スペースや共同スタジオを相対化するような活動をした方がいいのではないかと堤は提案したという。
堤「我々の組織がイケているのかイケてないのか、どこが良いのか悪いのかも含めて相対化をする。そういう試みをしておいた方が良いというのがずっとありました。そういったリサーチを進めている間に、なぜかMINEが使えるようになった。他にも色々と大人にならないといけないような出来事があって(笑)、もっとアートシーン全体のエコシステムを改善するために山中suplexは進むことにしました。」
小宮「そういうことは今ちゃんと聞きました(笑)。堤くんが山中suplexでキュレーションしたコロナ3部作が終わるときには、もう山中suplexでできることはないと言っていたし、国際芸術祭「あいち2022」の準備期間はそんなに関わっていなかったんですけど、今後も山中suplexとしてキュレーションが必要なときに、本当に参加したいのかしたくないのかの意思確認をちゃんとしていなかったので。山中suplexはすでに場としての共同スタジオ以外にプロジェクトで動く側面があるので「個々の意志の集まり」であるという性質をどう整理するのかが僕の中でも課題でした。僕がMINEをいいと思った理由は、共同スタジオの外部にスペースがあることで、それに参加したいっていう意思がある人が能動的に関われるからなんです。言い方を変えるならば、関わる意思や必要がなければ、関わらないことに安心できる距離感を担保できる。」
実は、MINEという名前は、石黒が出したアイデアだという。個々人が制作するための共同スタジオとして始まった山中suplexだが、コレクティブとしての側面が強くなり、作家が使用する「僕ら」と言う主語が山中suplexになってきていた。それをもう一度、MINE(私の)という個人のモチベーションやネットワークを確かめる場所という意味合いがある。
滋賀と離れた大阪で場所を持つことで、地域と交流したり、わかってきたことはあるのだろうか?
小宮「大阪だとSSKの一部のアーティストは元々知り合いだったんですが、それ以外ではそこまで関わりがありませんでした。大阪に来たことで、実は同世代の人たちがさまざまな活動をしていることがわかる。例えば、山本正大さんや冬木遼太郎さんなど同世代のクリエイターが集まって活動しているBirds【※9】では「〈大阪〉という地で集まること」というテーマで、大阪拠点で活動しているゲストを呼んでトークイベントをしていました。Birdsの人たちは、大阪にある地域の活動同士を繋げています。僕らは去年(2022年)の暮れから大阪に来て活動を始めましたが、大阪に入ることで出会う、異なる共同体の人たちの話を聞き、その土地に蓄積された様々な活動を知った上で僕たちなりのできることを考える必要があると思います。」
共同スタジオが持つ共通の課題はあるのだろうか?
小宮「地域が違うと状況も全く違うと思うんです。共同スタジオじゃなくても、個々のスタジオが地域でネットワークを築いているとか。文化的なシーンは結局、土着的なものや環境と絡まって起きているので、それらを記録して外部へ共有することが大事だということは、他の地域にもいえることだと思います。最近では、映像でも残しやすくなってるし、2022年からやっている「周縁における協働性と生態系について共有するトークシリーズ」【※10】では、現場にもお客さんを呼びつつ、映像配信もするようになったんです。配信のメリットと同時にアーカイブができていくのが大きいなと。」
配信に関しては、新型コロナウイルスがもっとも猛威を振るっていたときにはあまり実施しなかったという。それは山中suplexという自然と身体を強烈に感じる場所にスタジオを構えているからでもあるだろうが、MINEではまだまだ人が集まらないこともあって、配信も同時に行っている。山中suplexで機材を購入し、メンバーが配信の練習をしたそうだ。
堤「今後の山中suplexでは、共同アトリエ・シェアミーティングもあるし、MINEでは若手キュレーター枠をつくって、彼女/彼らにによる展覧会を4、5本ぐらい予定しています【※11】。トークシリーズでは、インドネシアやナナイモ(カナダ)だけではなく、静岡や広島でアートシーンをいちからつくってきたような人たちを呼んで話を聞いたり。インターナショナル枠もあるので、例えば僕がコチビエンナーレで観たインドの作家の映像作品を展示(アヌシュカ・ミーナークシ & イーシュワル・シュリクマール『Kho Ki Pa Lü/あまねき旋律(しらべ)』)したり、他にもまだ計画中のこともありますけど、大阪にアートセンターを「いちかばちか」仮設するような半年間のアートプロジェクトをやる予定です。」
しかし、MINEは2023年11月までの期間限定のプロジェクトだ。その後はどう考えているのだろうか?
堤「実は次年度も大阪でアートスペースをつくりたいと思っています。今まで大阪は文化的に遠かったんですけど、歴史や文脈は面白い。アーティストの生態系にも興味があるし、イメージ的には近畿の端の滋賀とその逆側の大阪で全体をオセロ的にひっくり返したい、そういうスープレックスを想像しています(笑)。」
そもそも山中suplexの命名にはプロレス技のジャーマン・スープレックスのように山中から状況をひっくり返すという想いが込められているという。
小宮「大阪は現代美術カルチャーの不毛の地と言われてるのを聞いたことがあります。でも文化として面白いものがめっちゃあるじゃないですか。地域ごとに色もある。そう言われているのは現代美術という分野だけなのかなと思います。」
大阪はたしかに、京都と比べて現代アートのアーティストの人口やコミュニティは少ないかもしれないが、経済規模は大きく、助成金などが充実している面もある。国立国際美術館に加えて、大阪中之島美術館ができ、SSKのある北加賀屋以外にも、もっと集まれる場所ができたら状況は変わっていく可能性を秘めている。
小宮「かつて梅香堂【※12】があった此花地区にもアーティストやクリエイターが住んでオルタナティブな活動をしていると聞きます。今は同世代のアーティストのmizutamaさんが運営しているスペースのFIGYA【※13】などがあるし、僕らよりも上の世代から何が残って、何を次のシーンに繋げられるのかを考えたりします。他にも地域ごとで様々な活動があるけど知らないものがたくさんある。僕が学生のときはCASO【※14】とか、よく大阪に展示を見に行っていたけど、そんな風に気軽にいろんな人が遊びに来たり、もしくは行ったりしてそれぞれが繋がっていくことで状況が変わっていく気がします。」
山中suplexはまさに「山の中にある」共同スタジオとしてスタートし、コレクティブとしての表現や堤の加入によってキュラトリアルな実践を行ってきた。さらに、大阪に新しいスペース「MINE」を構えることで、大阪を拠点に国際的なネットワークをつくったり、共同スタジオのシェアミーティングの開催など新たなフェーズに入ったといえる。それぞれ個人の活動や目標と、山中suplexの関係はどうなっていくのだろうか?
堤「展覧会は基本的に、予算や箱があったらできるので、アートシーンやエコシステムというもっととてつもない大きい空間と時間を扱いたい。次の目標はそれですね。海外の芸術祭のキュレーションはもちろんやりたいですけど、国内は国際芸術祭「あいち2022」がやっぱり規模的にもいちばん大きいし、働く環境やフィーも良かった。また、芸術監督だった片岡真実さんと一緒に仕事ができたのも非常に大きな転換点となりました。リーダーシップは圧倒的ですし、実際に国際的なアートシーンにコミットされている唯一の人です。設営中かどうか忘れましたが、車で一緒に各会場を回っているときの世間話で、片岡さんは森美術館も含むアートシーン全体のために働いていると仰っていて、その影響はめちゃくちゃあります。」
堤の場合は、そのエコシステムの中でもより作家と近いところにいると言えるのではないか。
堤「僕は美術館にもアートセンターにも東京にもいないし、完全なるインディペンデントっていうのでアーティストと似ているところはあります。スペースとかいらないのに共同スタジオに属しているし。とはいえキュレーターという権威的な職能があるので、その辺をなんとか非権威化できる方法を考えつつ、ときに権威自体も生かしつつ、いかに全体を良くする方向に持っていけるのかっていうのを考えています。」
小宮の場合はどうだろうか?
小宮「僕が常々思っているのは山中suplexをどう共同で利用し合うか、スタジオだけじゃなくて、例えば助成金を取るにしてもスタジオの名前とか利用してもらったらいいし、技術も機材も知識も、共犯関係としてこのスタジオが使われてきているのはすごくいいなと思っています。僕は共同スタジオとしての側面を基本的に利用するんですけど、人がここにいっぱい来て欲しいし、そこで起こるコミュニケーションが大事だと思っているので、もっと大きな概念として山中suplexになったら、関わってくる人も増えると思うんですよ。
それは堤くんの言っている共同スタジオっていう、行政でもない企業でもない準インスティチューションのようなものをエコシステムとして拡充していくということにもつながってると思っています。純粋に僕らみたいなスタジオやスペース、人の繋がりが増えてアートシーンとして良くなればいい。僕はアーティストは個々の作品だけではなくて、もっと全体の一部として文化をつくっているという自覚があった方がいいと思うんです。このスタジオも自分より11歳年下の坂本くんがいて、世代の差もあるけれど、伝えていくこと、引き継いでいくことで作られていくものがあると思う。それがどのように繋がっていくかっていうのは今後の課題でもあります。」
文化をつくるという点では、山中suplexの活動はまさにそうだといえる。
小宮「僕個人の作品に社会性みたいなものがなかったとしても、山中suplexとかMINEでそれができたらそれは単純に面白いし、最初にイメージしていた、こうなったらいいなという山中suplexの像にどんどん近づいてきています。」
共同スタジオのシェアミーティングは、山中suplexに国内外の共同アトリエ団体を呼んで実施するという。当初、誰もが来にくい場所で、自ら発信していく必要性が講じて、ゲストを呼んだり外に出て展覧会をしたりと、コレクティブやネットワークの発展に寄与してきた。そして、国内外のアートシーンとつながりながら、草の根的ではあるが小さな生態系となり、やがて全体のエコシステムにも影響を与えていくだろう。そのつながりの中から、新たな協働の連鎖が生まれるのではないだろうか。
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関連情報
(URL最終閲覧:2023年6月1日14時40分)
(URL最終閲覧:2023年6月1日14時41分)
(URL最終閲覧:2023年6月1日14時41分)
ドライブイン展覧会「類比の鏡/The Analogical Mirrors」
本展覧会に関して、キュレーターの飯田志保子 によるレビューがAMeeT(アミート:一般財団法人NISSHA財団)で掲載されている。
「ドライブイン展覧会「類比の鏡/THE ANALOGICAL MIRRORS」レヴュー」
(上記URL2点 最終閲覧:2023年6月1日14時42分)
(最終閲覧:2023年6月1日14時42分)
本展覧会に関して、キュレーターの飯岡陸によるレビューがAMeeTで掲載されている。
「「血の塩/Salt of the Blood」「余の光/Light of My World」レヴュー アーティファクトの併置、あるいは歓待としての展覧会 」
前編:https://www.ameet.jp/feature/3659/#page1
後編:https://www.ameet.jp/feature/3705/
(上記URL3点 最終閲覧:2023年6月1日14時42分)
注釈
(URL最終閲覧:2023年6月1日14時43分)
【※2】LEESAYA
(URL最終閲覧:2023年6月1日14時43分)
【※3】ALTERNATIVE KYOTO もうひとつの京都 想像力という〈資本〉
(URL最終閲覧:2023年6月1日14時43分)
(URL最終閲覧:2023年6月1日14時43分)
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【※6】六甲ミーツ・アート芸術散歩
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【※7】グローバル・ゼミ
京都造形芸術大学大学院修士課程のグローバル・ゼミは、世界で活躍できるクリエイターを育成することに特化した、少人数制のゼミ。1学年5人で構成され、京都はもちろん、東京や海外のアートシーンを多視点且つ実践的に学ぶプログラムを有する。講師陣には、同大学大学院芸術研究科客員教授で森美術館館長の片岡真美を筆頭に、業界の最前線で活躍するキュレーター、研究者が名を連ねる。ゲスト講師も著名なアーティストやキュレーターが授業を担当する。
(URL最終閲覧:2023年6月1日14時43分)
【※8】N-mark(野田利也 武藤勇)著 『ミーティングキャラバン―日本縦断、アートミーティングの旅』(BankART1929、2005年)
野田利也、武藤勇の2人のアーティストによるアートオーガニゼーション「N-mark」がその幅広い活動を記録した本。N-markは、1998年より名古屋を中心に活動を開始し、アートスペースを運営しながら展覧会の企画を行っていたが、運営していたスペースKIGUTSUを失ったあと、全国のアートスペース・活動団体を訪ねる旅に。全国各地のアート活動、それに関する問題点などを発表してもらい、それを次の土地にも伝えていく「ミーティング・キャラバン」の活動を行う。アートを訪ねるというその行動自体がアートなのではないかと考えさせられる一冊。
【※9】Birds(バーズ)
(URL最終閲覧:2023年6月1日14時43分)
【※10】「周縁における協働性と生態系について共有するトークシリーズ」とは
「周縁における協働性と生態系について共有するトークシリーズ」は、世界各地の周縁におけるアートシーンの協働性と生態系(エコシステム)がいかに運用されているのかを共有する機会を設け、大阪の「創造環境/アートシーン」を相対化するトークシリーズです。「芸術のインフラストラクチャーの地盤がさほど強くない地域」における実践を広くシェアし、合わせ鏡のように自らの像を見つめる機会をつくります。同じく辺境で芸術を社会に定着させようとする文化実践者たちと繋がり、来たるべき未来に向けて連帯を促すようなトークイベントとなります。
(上記、山中suplexの別棟MINEのHP「周縁における協働性と生態系について共有するトークシリーズ Vol.6 「アートイニシアチブを考えまくり、深く計画し、めちゃ実践する方法」 」より引用。原文ママ)
(URL最終閲覧:2023年6月1日14時43分)
【※11】「キュレータープログラム」とは
「キュレータープログラム」は、主にアーティストや文化従事者とともに、物理的空間や相互意思伝達の中に身を置きつつ、すでに協働している、あるいは今後、そのように活動していきたい若手キュレーターに向け、キュレーティングする機会や時間を提供するプログラムです。かつては大家さんが4・5階に住みながら、3階では借家として様々な人が暮らしてた旧峯ビルの文脈やリソースを踏まえ、サイトスペシフィックな条件下でのキュレトリアル・プラクティスを実践する場となります。
(上記、山中suplexの別棟MINEのHP「キュレータープログラムvol.1 オープンパーク MINE : ストリート/どう遊ぶ?」より引用。原文ママ)
(URL最終閲覧:2023年6月1日14時44分)
【※12】梅香堂
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【※13】FIGYA
(URL最終閲覧:2023年6月1日14時44分)
【※14】シーサイドスタジオ CASO
2000年9月に「海岸通ギャラリー・CASO」として誕生。ギャラリーとしては異例の大きさで、6つの展示室それぞれが約5メートルの天井高を誇る大空間が最大の特徴であった。この空間を利用し、主に現代美術の作品発表の場として、数多くのアーティスト、芸術大学に使用されていたが、2019年頃からは「シーサイドスタジオ CASO」と名称新たに、現在はコマーシャルフォトの撮影スタジオを中心とした、多目的スペースへと変化している。
以前のような頻度で現代アートの展示が行われることは少なくなったものの、年に数度は展覧会を実施しており、引き続きアート関係者の利用も推奨している。
(URL最終閲覧:2023年6月1日14時44分)
INTERVIEWEE|
小宮 太郎(こみや たろう)
1985年神奈川県生まれ。滋賀県大津市在住。2016年京都造形芸術大学大学院芸術研究科芸術専攻(博士)修了 。 滋賀県大津市にて共同スタジオ「山中suplex」共同代表を務める。絵画や写真作品をはじめ、回転するオブジェや、空間を利用したトロンプ・ルイユ(Trompe-l'œil、騙し絵)的なインスタレーション作品などを制作する。主な展覧会に、2023年「VOCA2023」(上野の森美術館、東京)、2022年「五劫のすりきれ」 (京都文化博物館・京都)2021年「Soft Territory かかわりのあわい」(滋賀県立近代美術館・滋賀) 2021年「THE ヨエロ寸 -尋-」(VOU・京都)、2020年「VIDEOTOPIA」(MAHO KUBOTA GALLERY・東京)、2019年個展「穴の容態」(Art Center Ongoig・東京) 2016 年「安部公房へのオマージュ/写真とヴォイアリズム」(G/P gallery 東雲、東京)、2014年個展「LIVING ROOM - 虚像日本」(THAV、台北)ほか。
公式HP:http://www.komiyatarou.com/
(URL最終閲覧:2023年6月1日14時44分)
堤 拓也(つつみ たくや)
1987年生まれ、滋賀県大津市在住。インディペンデント・キュレーター、グラフィックデザイナー。 2011年京都造形芸術大学情報デザイン学科卒業後、2013年から2016年まで同大学付属施設ARTZONEディレクター兼キュレーター。 同年よりポズナン芸術大学(ポーランド)にて1年間のレジデンスを経て、2019年アダム・ミツキエヴィチ大学大学院カルチュラル・スタディーズ専攻修了。 主なキュレーション実績に、国際芸術際「あいち2022」(愛知県、2022年)、鳥海修「もじのうみ: 水のような、空気のような活字」(京都、2022年)、「血の塩、余の光」(東京・京都、2021年)、ドライブイン展覧会「類比の鏡」(滋賀、2020年)など。展覧会という限定された空間の立ち上げや印刷物の発行を目的としつつも、アーティストとの関わり方に制約を設けず、自身の役割の変容も含めた有機的な実践を行っている。
公式HP:https://www.takuyatsutsumi.com/
(URL最終閲覧:2023年6月1日14時44分)
INTERVIEWER|三木 学(みきまなぶ)
文筆家、編集者、色彩研究者、ソフトウェアプランナーほか。
アート&ブックレビューサイトeTOKI共同発行人
独自のイメージ研究を基に、現代アート・建築・写真・色彩・音楽などのジャンル、書籍・空間・ソフトウェアなどメディアを横断した著述・編集を行なっている。
美術評論家連盟会員、日本色彩学会会員。