2022年3月、BASE ART CAMPという、社会人向けのユニークな芸術学校が誕生した。受講期間6か月の間、3か月は順応編としてさまざまなワークショップや講義を受講し、残りの3か月は登頂編として、美術ルート、音楽ルート、演劇ルート、映画ルート、写真ルートなどのジャンルに分かれ、それぞれの表現を追求していく。2022年8月、9月に第1期生の成果発表が行われ、半年の成果を京都の各芸術拠点で公開した【1】。+5では京都で生まれた新しい芸術学校の様相を捉えるべく、1期生修了のタイミングで公開取材イベントを企画【2】。BASE ART CAMPの発起人である美術家の矢津吉隆と、演劇ルートの講師で劇作家・演出家のあごうさとし、事業パートナーであり、実際に履修した京都信用金庫の廣瀬朱実を迎え、京都市役所すぐそばの交流スペースQuestionで実施した。当日はZoomのウェビナーで配信しながら、「社会人がアートを学こと」、「芸術を通して自分を見つけること」などをキーワードにBASE ART CAMPの半年間のあゆみを伺った。本記事ではそのイベントをベースとして、改めて芸術学校のあり方について考えていく。
コロナ禍を乗り越える芸術拠点と芸術学校
BASE ART CAMPは、京都の現代芸術の創造発信拠点として活動する5つの団体と京都信用金庫で立ち上げた、一般社団法人BASE(Bank for Art Support Encounters)が運営をしている。新しい芸術学校と冠された同プロジェクトは、コロナ禍でアーティストの活動や、民間のギャラリー、小劇場、ミニシアター等芸術創造発信拠点などの運営が危機的な状況に陥り、その現状を打破し、持続可能な形にする基金のための収益事業のひとつとして位置付けられている。5つの団体とは、THEATRE E9 KYOTO、kumagusuku、DELTA / KYOTOGRAPHIE Permanent Space、CLUB METRO、出町座であるが、新たに、建仁寺の塔頭、両足院も参加している【3】。その領域を知る人なら、それぞれ京都では知られた文化拠点であることがわかる。
例えば、THEATRE E9は小劇場であり、演劇だけではなく、ダンスや実験的なパフォーマンスなどが行われている。kumagusukuは、もともと民家を改装したホステル兼ギャラリーだったが、現在、小規模アート複合施設になっている。DELTA / KYOTOGRAPHIE Permanent Spaceは、京都国際写真祭「KYOTOGRAPHIE」が運営する常設展示のスペースである。出町座はミニシアター、CLUB METROは老舗のクラブで、伝説的なイベントが数多く行われてきた。両足院は近年、KYOTOGRAPHIEなどアート系の展覧会も数多く開催されたり、杉本博司の襖絵が飾られたりと、アート系の拠点としても知られてきている。これらの拠点はそのまま、BASE ART CAMPの成果発表の舞台にもなる。
BASEという団体の中のアートプログラムということで、BASE ART CAMPとなっているが、登山のメタファーになっていることが興味深い。矢津は「なるべくビジュアルのイメージとか、なにか自分の中にあるイメージと重ねられるものにしたいなというのがあったので、それで山登りというのをひとつのイメージの拠り所みたいな形で設定したんです」と語る。途中CLUB METROで開催されたイベントを「やまびこ」と名付けたり、成果発表展を「Rising Sun」としたり、さまざまな登山用語がメタファーとして使われたという。
登山ではまず高山病などにならないように、BASE CAMPを作って順応してから、山頂にアタックする。それと同じように、BASE ART CAMPでもアートに触れ、アーティストと対話をし、やがて制作することで順応していく。そこでは、自身の表現という、高い山に登るために、さまざまな表現者によるワークショップや、ジャーナリストらによる講座が、プログラムと連携した創造発拠点で行われる。例えば、美術家の田中英行、谷澤紗和子、河野愛、佃七緒、演出家の和田ながら、音楽家の小松千倫、ジャーナリストの小崎哲哉や文筆家の塩谷舞などが順応編を担当する。バラエティに富んだ講師陣による順応のための講座やワークショップも魅力的だ。彼らもすべて、京都ゆかりのクリエイターであることもポイントだろう。そこで「アートとは何か?」知識と体験を通して理解していく。そして自分の表現したいことや、表現方法を見つけ、登頂編に挑んでいくのだ。それらの授業はひとつの学舎ではなく、創造発信拠点を移りながら実施するため、京都の文化施設を同時に把握でき、実践的な場所であることも重要だろう。アートと社会の接続ポイントに最初から立てるからだ。
さらに、登頂編の美術ルートは矢津吉隆、演劇ルートはあごうさとし、写真ルートは照明家で京都国際写真祭「KYOTOGRAPHIE」共同ディレクターの仲西祐介と、写真家の山内浩、音楽ルートは音楽家・アーティストの武田真彦と小松千倫、映画ルートは映画監督のリム・カーワイなどが担当し、受講者が登頂に登るためのシェルパのような役割を果たす。最終的にBASEの連携する創造発信拠点で成果発表を行う。そのカリキュラムは、最終的に建築に統合されるわけではないが、半年間の予備教育課程の後に、3年間の工房教育課程に移行するバウハウスが連想される。アーティストが「マイスター」として創造性を誘引していくのもバウハウスに近いかもしれない。高度な工業化、分業化、デジタル化の中で失われた、「ものづくり」の原点に戻ろうとすることもバウハウス的だ。
しかし合計6か月、順応編から登頂編まで、アートの概要から作品制作までを体験することになる。幅広く学びたい社会人には向いていると思う一方、スケジュールを含め同時にかなり大変なことだろうと想像する。
なぜ社会人向けなのか?
BASE ART CAMPは、芸術学校といっても、いわゆるアーティストの養成機関ではない。すでに社会人として働き、社会のニーズや仕事の仕方を理解している人々が芸術表現を学ぶことを目的としている。そもそも社会人向けにした理由はどこにあるのだろうか?
「アートを通じて会社で働いている人や行政の方など、さまざまな人と出会うことあるんですけど、今生きている人たちの中に、アートがちゃんと根付いていないと感じることが多いんです。自分にとってアートは関係のないというのがスタンダードで、私はわからないと最初から壁をつくられてしまう。それはなぜかというと日本の学校教育の中での美術のあり方が、そうさせている部分があるのかなと思います。
そこを変えるのはすごく大変ですが、今の社会で頑張っている人たちに向けて、美術に対するイメージをほぐし、アートと触れ合うことによって豊かな人生を歩めることを知ってもらうためには、まず社会人を対象にすることがすごく重要だと思いました。社会人が日本社会を駆動させているわけですから、そこにアーティストが手をそえて、社会にいろんな影響を及ぼして、さまざまなな事業を一緒にやることがこれからの京都にとっても日本にとってもすごく重要なことかなというふうに思ったんです」
と矢津は語る。
近年、デザイン思考やアート思考と言った言葉が、ビジネス業界でも流行するようになったがそれを理解し、実践できる人は少ないだろう。そもそも図画工作の時間は少なく、矢津の言うようにその過程で苦手意識や嫌悪感を持つ人も多い。また、美術と音楽と選択制の場合もあるため、自身の表現のために何かをつくるという機会は極めて少ない。また、美術館で展覧会を見たり、芸術祭に行ったり、演劇を見たりする人も限られるだろう。その意味は、デザイン思考やアート思考といっても、考える以前に、見る経験、つくる経験が圧倒的に不足しているというのが現状だろう。
それを補完するために、芸術業界では近年、制作者と鑑賞者、作り手と受け手に分かれていた関係を、ワークショップやラーニングプログラムによって、共同作業をすることが行われるようになった。しかし、自分の内面を見つめ、つくること、表現をするようなことまでは行われてきてないだろう。BASE ART CAMPでは、子ども向けでもなく、アーティスト志望の学生でもなく、一足飛びである種表現にブランクのある社会人にアプローチしている。
そのような社会人を対象にして、はたして完成度の高い作品をつくるところまで至るのだろうか。矢津は、
「つくるためのプロセスとして、生徒とはかなり対話をしましたし、生徒も自分と対話を繰り返しました。生徒とは一緒に人生を振り返ったりして、今までの人生においてキーになっている事柄を拾い上げ、そこから最終的にこういうのをしてみませんかって提案をすることが結構あるんです。例えば100号の大きな絵を描くとか、こっちでその人に合った表現手法を提示して、それにそれぞれが見つけた主題を重ねていくやり方を今回はしました。最終的に皆、クオリティの高いアウトプットができていたので、そういったプロセスを丁寧に踏んでいけば、全くつくったことない人でもつくれるんだなというのは、やってみて確認できました」
と語る。
また、あごうも、
「ビジネスパーソンの皆さんとこういった取り組みをするときに、いつも社会人ならではの力を感じています。例えば創作の過程の中でも、ひとりひとりに何がしかの課題が絶対出るわけですが、それに期限を設定して、ゴールに向かって必ず解決してくる。前に物事を進める力にはいつも驚かされます。アートのことはよくわからないと、概ねの人がよくおっしゃるんですけども、その中で向き合う力や突破してくる力、いずれにしても何かを提出してくる力、これはもう本当にいつも脱帽です。皆さんの底知れない力というものを、いつも私は目の当たりにしています。そういう力が感動や、あるいは考えさせられる芸術に重要な要素の源泉にもなっていくと思います。私たちは表現なくしては存在もできませんが、芸術は本当にみんなのものです。私たちも勉強させてもらいながら皆さんとセッションさせていただいています。得も言われぬ芸術の魅力っていうものが、どのジャンルでもあるんですが、これをぜひ体感していただきたいと思います」
と語る。
確かに一般のビジネスパーソンにとれば、アートの鑑賞やアート思考といっても距離がある。その中で一度自分自身と向き合い、現代芸術のさまざまなメディアで表現してみるということがもっとも効率的で、心身ともにその効能を理解できるのかもしれない。それは、登頂するという高さのメタファーにも通じるが、内側と向き合い、抑圧されていた自分や過去、無意識を掘り下げるイメージだ。
例えば、1期で演劇ルートに参加した廣瀬は、成果発表展で「自分語り」に挑戦したと言う。
「自分自身の生い立ちみたいなところからスタートして、仕事をしていて感じていることとか、女性ならではみたいなこととか、そういう思っていることを、この演劇の中で表現できたらいいなと思っていました。それをあごうさんに脚本へ引き出してもらったのですが、自分を深掘りする、本当にいい時間だったなと思います。自分の中にあるものだけど、自分自身で外に出すっていうことに躊躇していたりとか、社会に長くいると、こういうことを言っちゃいけないとか、そういうこと言わない方がうまくいくよねみたいなこととか、自分の中で勝手に整理して、小奇麗にまとめてしまうみたいなことをずっと自分がやっていたんだなっていうのを、改めて感じましたし、少し殻を破れた時間になったと思っています」と語った。
あるいは演劇ルートに参加した別の参加者は、
「私はアートが何か役に立つということには懐疑的であったし、実は今もそうです。受講期間は、母の認知力が急激に低下した期間とまともにかぶっていたのですが、母との関係から目を背けずにアウトプットしていくことで、何とかこの時期を乗り越えられたと思います。つまり結果的にはすごく役立っていました」
とコメントしていた。
アートが社会の役に立つかどうかという議論は昔からなされているが、もちろん短期的には役に立たない場合が多いかもしれない。しかし、それぞれが人生において自分自身の感情に向き合ったり、人の痛みを感覚的に知ったり、それを表現したりするという行為が、より人や社会を知る機会になるのは間違いない。それは結果的にさまざまな形で社会に還元され、役に立っているということになる。
京都という場所
芸術学校は通常、美術・芸術大学のオルタナティブ・スクールとして位置付けられることが多い。例えば、美学校やBゼミ(1967年~2004年)、CCA北九州、四谷アートステュディウム(2004年~2013年)など、4年制の美術大学よりも短期的、実践的なカリキュラムが組まれる。美大・芸大の場合、かつてはデッサンなどの習熟が必要とされ、大学の倍率も高かった。しかし、近年のアートは、デッサンよりもコンセプトが重視されており、美大・芸大出身者ではないもの、あるいは、美大・芸大のカリキュラムに合わなかったものにとって、芸術学校は表現者を養成する重要な場所になっていた。
しかし、それも基本的にはアーティストやアートと社会を結びつける人を対象にした学校で、社会人がアートの思考や実践を日常生活や社会の中に生かす、ということを主眼にしたものではなかった。その点、BASE ART CAMPは、ありそうでなかった非常にユニークな試みを行っているといえる。
BASE ART CAMPのような芸術学校が今まで生まれなかった要因のひとつとして、京都は美術・芸術大学が、その他の地域に比べても、非常に密集している場所であり、オルタナティブな芸術学校を成立してもニーズがないという問題はあるだろう。しかし、毎年数多くの美大・芸大生が卒業するなか、アーティストや表現者として生計を立てるものはほんの少ししかいない。それはすなわち、市場が小さいということであり、矢津の指摘するように、美術が社会の中でニーズがなく、あまり求められてないという現実がある。しかし社会人が実際、短いスパンでもその経験を通過すれば、芸術作品の見方が変わることはもちろん、芸術の意義や社会での必要性なども、理解できるようになるのではないだろうか。そして表現の重要さを、つくることを通して体感し、それを長いスパンで仕事や生活に生かすことは可能ではないだろうか。
廣瀬は、
「最初は本当に自分自身のことで精一杯で、自分がどう表現するのかみたいなことばかりをずっと考えていました。だから他の人に何か影響を与えるとか、そんなところまでいくわけないって思っていたんです。でも今回演劇をやって、全然知らない、それまでお会いしたことのなかったある受講生のご家族の方から、自分自身のことと重ね合わさって、感動して涙が出ましたっておっしゃっていただいたんです。それを聞いて少しでも人に影響を与えられたのかなと思えたことがすごく嬉しくて。そんなことが経験できたBASE ART CAMPは、本当に価値あるものだなと思いますし、せっかくそれを私自身が体験できたので、より広げていきたいです」
と感想を述べていた。
BASE ART CAMPは、このようなアートによる深い知識と感情の循環社会を目指しているといえるのではないか。その試みは始まったばかりであるが、京都だからこそ開いている新しい可能性に是非チャレンジしてみたらどうだろうか。
BASE ART CAMP公式サイト
https://base.kyoto/baseartcamp/
(最終確認 2022年11月25日8時31分)
次回2期生は2023年2月半からの募集予定
https://base.kyoto/baseartcamp/apply/
(最終確認 2022年11月25日8時31分)
注釈
【1】第1期生成果発表展「Rising Sun」
https://base.kyoto/baseartcamp/topics/news2/
(最終確認 2022年11月25日8時33分)
【2】+5公開取材|アートを通して自分を再発見する 社会人だからこそ学べるアートとは 〜BASE ART CAMPの実践型アート学習〜
イベント概要
https://p5.art360.place/event/plus5event-base-art-camp-open-seminar
アーカイブ映像(BASE ART CAMP Youtubeチャンネルから)
https://www.youtube.com/watch?v=dyB7ZyZR6jQ
(上記URL 最終確認 2022年11月25日8時33分)
【3】BASE ART CAMPに関わる6つの芸術拠点
THEATRE E9 KYOTO
https://askyoto.or.jp/e9
(最終確認 2022年11月25日8時33分)
kumagusuku
https://kumagusuku.info/
(最終確認 2022年11月25日8時33分)
DELTA / KYOTOGRAPHIE Permanent Space
https://delta.kyotographie.jp/
(最終確認 2022年11月25日8時34分)
CLUB METRO
https://www.metro.ne.jp/
(最終確認 2022年11月25日8時34分)
(最終確認 2022年11月25日8時34分)
京都建仁寺塔頭両足院
https://ryosokuin.com/
(最終確認 2022年11月25日8時35分)
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WRITER|三木 学(みき まなぶ)
文筆家、編集者、色彩研究者、ソフトウェアプランナーほか。
アート&ブックレビューサイトeTOKI共同発行人:https://etoki.art/about
独自のイメージ研究を基に、現代アート・建築・写真・色彩・音楽などのジャンル、書籍・空間・ソフトウェアなどメディアを横断した著述・編集を行なっている。
美術評論家連盟会員、日本色彩学会会員。