展覧会図録(以下、図録)というのは不思議なメディアだ。かつては、展覧会が開催されるときに美術館で販売され、出品作品の図版や解説が書いてあり、展覧会をより深く理解するための補助的な役割を果たしていた。しかし、今日の美術館では、現代アートの作品が数多く展示されるようになり、徐々に意味が変わっていった。というのも、現代アートの場合、多くがインスタレーションであり、その空間に設置されなければ、作品が完成しない。つまり展覧会の前に完成した図版を集めることが不可能なのだ。
その他に、美術館や出版社の事情もあり、本来、美術館内だけで販売されていた図録が、一般書籍として流通するようにもなってきている。そうすると、展覧会に行けなかった人も多数手にするようになる。そこでは、かつての補助的役割である図録という範囲を超えて、書籍という商品として単体の魅力も要求されるようになる。
アートの表現や流通が大きく変わるなか、キュレーターはどのような観点で図録を捉えているのか?またデザイナー、印刷会社との関係はどのようなものなのか。3者の異なる観点から図録を考えるこのシリーズの第2弾として、千葉 真智子(ちば まちこ)氏(豊田市美術館学芸員)に、まさに「交歓するモダン 機能と装飾のポリフォニー 」展のための図録制作の渦中にいるなかお話をうかがった。
まずは、千葉はどのようなことを大学で学び、キュレーターを目指したのだろうか?
「美術を鑑賞するという、遊びとか趣味的なものと思われているものがひとつの学問であり、美術史というひとつの歴史体系として、社会や政治を知るといったツールにもなることが非常に新鮮で、美術史を専攻するようになりました。それをどういう形でいちばん自分の将来につなげられるか考えたときに、いちばん美術に近いところで携われるキュレーター、学芸員があったということですね。もちろん研究者という道もあると思うんですけど、そういうタイプではなかったのと、実際に物があって何かできたり、現場にいればもっと面白く美術に関われるのではないかと思ったんです。」
大学の時はジャコメッティ、大学院の時は、1920年代(1920年10月から25年1月まで)、フランス・パリで出版されていた総合雑誌『エスプリ・ヌーヴォー』を研究していたという。
『エスプリ・ヌーヴォー』は、建築家のル・コルビュジエや画家のアメデ・オザンファンが編集に携わり、当初は作家たちの自費出版雑誌でありながら、異例の販売部数を誇った。また、機能を重視する近代建築の理念を著した、コルビュジエの初期の重要な論考『建築をめざして(Vers une architecture)』が掲載されたことで知られているが、美術だけでなく、経済や産業、科学、哲学など、同時代のあらゆる活動をアクチュアルに紹介する総合雑誌であることを謳っていた。雑誌は休刊していたが、1925年には、アール・デコ博覧会(現代産業装飾芸術国際博覧会)において、コルビュジエの設計による集合住宅のモデル、エスプリ・ヌーヴォー館が建設されており、建築における装飾の在り方について一石を投じている。実は、「交歓するモダン 機能と装飾のポリフォニー 」展はまさにその前後の時代をフォーカスしている。
「『エスプリ・ヌーヴォー』を研究するなかで、1920年代のデザインや装飾芸術、装飾批判をするモダニズムが、どういう政治や社会の状況の中で出てきたのかを調べていたんです。それが現在携わっている展覧会に、ある意味結実しています。私は現代アートの展覧会を企画することもありますが、ふたつは別々のものではなくて、むしろ、1920年代という時代は、現在の社会につながる出発点になっているという思いがあるんですね。だからそういう意味では関心や問題意識は一貫していると思います。」
つまり、千葉は、もともと美術・美術史の関心に、社会から隔離された様式を扱うのではなく、いかに社会や時代性を反映しているかに比重があったというわけである。そして、近代社会を構成する基本的な技術、交通、都市、風俗が形成された1920年代が、今日の社会の基層にあることは確かだろう。それでは最初に図録を制作したのは何時だろうか?
「『「森」としての絵画:「絵」のなかで考える』という展覧会を、岡崎市美術博物館に勤めていたときに企画しました。京都の作家で言えば、パラモデルなども入っていた展覧会なんですが、1から全部自分の編集で図録を作ったのはそのときが最初です。もちろんそれ以前にも図録制作には携わっていますが。岡崎市美術博物館は、それほど現代アートを扱っている美術館ではなかったので、展覧会が始まるときに、図録があるというのが当然という認識がありました。だからオープンに合わせて出版したんですが、新作のインスタレーションはオープン後しか撮影できないので、後日、付属のリーフレットをつくって対応したことがあります。それは作家数も多かったし、つくっていて面白かったという印象がありますね。」
新作の現代アート、特に空間に設置するタイプのインスタレーション作品が増えて、図録の位置づけもかわってきたことがよくわかる証言だ。平面や彫刻のような立体作品の場合は、「ホワイトキューブ」を前提としているので、別の場所で撮影されていても事前に掲載ができる。
「現代アートだと最近のものは基本的にインスタレーションありきだと思います。そうすると、展覧会オープン後に撮影してページをつくっていくことになるので、出版が後日になります。そうじゃないものに関しては、図版や資料がある程度揃っているので、基本的にはオープン前に出しましょうとなります。オープン時に図録がある方が、お客様の鑑賞時の手引きになるということはもちろんありますよね。」
変わりゆく展覧会の中で、図録制作においてキュレーターはどのように関わるのだろうか?また、キュレーターが複数いる場合はどのような関係でつくられるのだろうか?
「いわゆる単独で開催する展覧会は、基本的にはメインキュレーターが主でつくります。その他の美術館と一緒にやる巡回展では、種類がいくつかあります。例えば日本の場合、新聞社や企画会社が間に入って巡回させるタイプもあります。そういうものは、会社が予算をもとにボリュームや部数を決めたり、編集的なことを細々と担当することが多いです。ただそうした巡回展の場合、中身に関しては、主になって展覧会の作品を決めたり、内容や構成をつくっていく館が1館あるので、その館が大きな部分をジャッジしていくという感じになります。」
では、他の館のキュレーターはどのような役割を担うのだろうか?
「必要な部分は分担して、この解説はこの館が書いてください、とかこの翻訳部分は、やってくださいといった分業制にはもちろんします。メイン館が具体的な方針をある程度立てて分配するのが巡回展だと多いと思います。企画会社や新聞社が入っている場合でも、メイン館が主に話をして、振り分けていく。もちろん最初の会議は皆さん入ったりします。」
新聞社が入らない場合はどうだろうか?
「例えば今準備している展覧会は新聞社が入らず、3館共同で開催します。うちがメインで、島根県立石見美術館、東京都庭園美術館の学芸員と情報共有して、相互に話しながら詰めています。チームで骨格をつくって、分配、分担してという感じでつくっています。」
メインのキュレーターになれば、図録制作も任されることになるようだが、大きな展覧会の準備をしながら、図録制作をするのは膨大な仕事量になるだろう。
「はい。ただ、完全に自分たちでつくる場合もありますが、最近だと編集者が入る場合もあります。美術館側が内容は決定して、原稿はつくるんですけど、それを取りまとめて、整えて、デザイナーに入稿する作業は編集者がやってくれたりします。そのやり方もいろいろですね。今回は情報量がとても多い図録にもかかわらず、編集者が入らなかったので、大西さんが大変苦労されているかと思うんですけど……。
私たちはキュレーターで、残念ながら編集のプロではないので、入稿時の原稿をどうしても編集者ほどにはきれいに整えられず、ブレもあったりして、デザイナーが大変になることもあるかと思います。」
つまり、出版社が介在しない場合、キュレーターが編集者の役割も担うと同時に、デザイナーも不足した部分の編集を担うということになるようだ。
「大西さんみたいにフリーでデザインの仕事をされている方もいますが、インハウスのデザイナーがいるところもあります。例えば『森としての絵画』の図録は、株式会社コギトという会社とつくりましたが、コギトは、美術出版社から独立した方が始めた会社で、デザインと編集の両方を受け負っていました。そういうところだとデザイナーと直接ではなく、その会社の編集者とやりとりをして、デザイナーに投げてくれるということもあります。最近は、出版社が入って図録を出版することも増えてきているので、出版社の編集が入ったりする場合もあります。」
それでは図録制作におけるキュレーターの具体的な作業項目はどのようなものだろうか?
「結構大きい部分のほとんどを美術館側がしますね。結局原稿を揃えられるのは美術館になりますので。展覧会の総論やエッセイ、解説など、テキストの執筆もたくさんあります。さらに図版の準備もあります。インスタレーションや現在の作家の新作ですと、完成後に撮影してということになりますが、既存の借用作品の場合は、所蔵者の方から画像提供をしてもらったり、その時にない場合は新たに撮影したりして画像を揃えます。また作品リストを綺麗に整える作業もあって、今もそれで苦労しているのですが、作品の基本データの表記が美術館によって微妙に違ったりするので、そういう表記の統一とかも意外に時間がかかったりします。図録だと外部執筆者の寄稿もあるので、どなたに執筆してもらうのがベストなのかを検討して、依頼して、送られてきた原稿の校正をしたりもします。文献掲載するときは文献表をつくったり、基本情報で前付と奥付に記載するクレジットの情報も全部揃えます。」
つまりほとんどに携わるということだ。
「だから基本的な原稿に関わるものは、全部美術館になります。凡例を付けたりと細かい部分もいろいろとありますし。出版社が入ると、いつまでに何を揃えるとかスケジューリングをしてくれたり、校正とか校閲を外部の方に頼める場合もあります。表記の統一も方針が固まれば、そういう作業的なことはやってくれたりします。ただ、そこまで校正校閲のプロがたくさんいるわけじゃないので、基本的にはこちら側でやりますが。著作権の処理もしないといけないですが、出版社が入ると著作権の処理をしてくれる時もあります。出版社や編集者が入ってくれると少しは楽ですが、そうは言っても、ある程度原稿を整えないと編集者も困ってしまうので、そこまで揃えるのが結構大変ですね。」
その膨大な仕事はどれくらいの期間で行われるのだろうか?
「もちろんモノによって異なりますが、本当に詰まってくるのは本になる2、3ヶ月前からです。その前段階、原稿を揃えるという段階まで入れるとかなり長い間やっています。翻訳を入れるとなると、それだけで1ヶ月とか、1ヶ月半ぐらいかかりますし、その前に日本語原稿ができていないといけないので全て前倒しになり、校正も倍に。やることはかなりあって、時間もかかります。展覧会の開催が具体的に決まれば、準備は日常の業務になりますが、図録だけに限らず、展覧会全体として、開催の6か月前ぐらいになってくると結構ソワソワしてきますね(笑)。」
千葉の証言から、ひとえに図録制作といっても、単館で開催する展覧会、複数館で開催する展覧会、新聞社や企画会社が主催する展覧会などがあることがわかった。さらに、近年では美術館で図録を売るだけではなく、書店流通する図録が増えてきて、編集者と作業することも多いようだ。出版社が参加して一般流通するようになった理由はどこにあるのだろうか?
「美術館としては流通目的がありますが、自分たちでつくると、全部在庫を抱えて処理しないといけなくなるという課題があるんですよ。出版社が入ると在庫を抱えなくてよくなりますし、、正直なところ制作費を丸抱えしなくて済むので、予算的にもちょっと楽になるところもあるんですよね。仕事を負担してもらいつつ、本としての精度を上げることもできますし。美術館でISBNコードを取得して、ネット販売をしたり、書店販売をしたりするのは難しいので、出版社が入るとスムーズにできますし、一般書籍のように広く売れた方がいいということもありますね。一方で、出版社の方から見たら、現代アートの図録なんかですと作家個人の作品集という側面も出てくるので、出版物として話に乗りやすいということもあるのではないかと思います。」
つまり、美術館としても、編集業務の負担の軽減、販路の拡大という面から出版社と組むにはメリットがある。出版社にしても、制作費がある程度見込める上に、人気の展覧会、人気の作家であると、ある程度売り上げが見込めるので、タイトルも増えるし、メリットがあるというわけである。
それでは、図録制作はどこから始まるのだろうか?企画段階から始まっているのだろうか?
「展覧会の規模にもよるんですけど、もちろん最初から考えています。展覧会は2、3年という単位で考えているので、最初はそこまで具体的ではないですが、展覧会を詰めていくという段階になったら、並行して図録のことは常に頭にあって、展覧会がこういうタイプのものだから、こういうふうにつくりたい、というイメージが出てきます。」
では、考えていく図録のフォーマットとはどのようなものだろうか?
「基本的には、前付、図版ページ、テキストというだいたいの決まりはあります。それをふまえて、カラー台と言われるページと、モノクロのテキストページをどれくらいの分量で、どれくらいのスケジュールにするのか話をします。でも、それ自体も変えられたら面白いなと思ったりもするし、いわゆる本の体裁じゃないものをつくったら面白いと思う人もいると思います。」
前付、後付というのは、本の基本的な構造のことで、本文にあるものを前付と言い、目次、序文、凡例などを指す。後付は、作品リストや参考文献、索引、さらに著者名、出版社、出版年等を記載する奥付などで構成される。カラー台というのは、印刷機に組み付ける版「台」の中で、カラーにする版のことを言う。大きな紙に一度に印刷して、それを折って、裁断してくので、カラー部分とモノクロ部分を何ページにするか最初に計算しないといけないのだ。出版業界では内容と版のページ割り指して台割という。
そのようにして制作された図録は、一般書籍として流通するという選択肢が増えたが、後からはどのように参照できるのだろうか?
「当館では、年度ごとに制作した図録を主要な美術館や図書館、大学などに寄贈するようにしています。昔よりも寄贈の数は減っているんですが、それは予算的なこともあって、寄贈先も減らさないといけないという問題と、寄贈先も書庫が狭くなってきているという問題があります。アーカイブはそれを専門とする担当者がいないと難しいんです。国内だと国立新美術館とか、東京都現代美術館の図書館などは、司書が入って整理をしていると思います。国立新美術館は、開館当初からアーカイブ機能をきちんと持たせようとしていたので、いろいろな美術館に、これまでに制作した図録やリーフレットなどを寄贈してくれるように声掛けをしていました。だから、各地の美術館の図録を網羅的に扱うようにしていると思います。」
余った図録はどうなるのだろうか?
「余った図録は、在庫として抱えています。最近は多く持っておくことはできないので、入場者の見込みに合わせて、印刷部数自体を絞っています。そういうこともあって、出版社が入ると、在庫を抱える心配がなくなり、余力が生まれます。もっと売れるのに絞りすぎると、在庫切れになるかもしれないので、それを回避することができるかもしれない。その辺も、出版社が入ることのひとつのメリットではありますね。出版社の負担も大きくなるかもしれないけど、売れれば収入にはなっていくので、収支のバランスでどういうふうに折り合いがつくかだと思います。」
さらに、出版社が入ることで展覧会を見ていない人が買う可能性も広がるのではないだろうか?
「それもひとつの利点かなと思います。距離や事情でどうしても来られない人もいるので。」
どれだけの人が実際に展覧会を見て買ったか、あるいは見ないで買っているか記録は残っていないが、千葉がキュレーションし、ナナロク社という出版社が入って制作した岡﨑乾二郎展「視覚のカイソウ」の図録は、ネット流通で売れた数はかなり多かったという。その図録は厚く、重いものだったので、展覧会を見た後でネットから購入するという方もいたのではないかと予想される。
キュレーターが図録制作の原稿や図版集め、校正などをし、時に編集者と分担することは見えてきた。しかし、デザイナーが関与しないといけない創造的な部分は残る。そのやりとりはどのように行われているのだろうか?
「今回の大西さんとの作業もそうですが、どういう方法なら展覧会で伝えたい内容を紙面に落とし込めるかということを、いつも話しています。例えば今回だと、最初にマップを掲載して、1900年代頭ぐらいから1938年ぐらいまでの出来事を4つの年代に分けて紹介するようにしているんですけど、それは、当時の作家たちがどのように移動して、どう互いに関わっていたかということを、視覚的に分かりやすく見せたかったからなんです。私が、もともと相関図みたいなものをラフで書いていて。人がこういうふうに動いてここに関係があるんですみたいな。でもそれは凄くわかりづらいわけです。実際には空間軸と時間軸がある話なので、平面ではうまく表現できない。やっぱり本に置き換えようとすると、平面だから凄く難しいんです。それをどうしたら具体的に目に見える形にできるか、大西さんに話してマップのプランを考えてもらったりしました。」
その対話は、相関図やマップといったデザイン性の高いものではなく、図録の構成に及んでいる。その際、意見の相違もあるという。
「図録の構成自体も、どうしたら効果的になるのか、いろいろ話をさせてもらいます。ただ、レイアウトもこちらの意向もあるから、場合によってはお互いの意見がぶつかることもあります。何でもハイハイと言ってやってくれるデザイナーもいるけれど、そうじゃないデザイナーもいる(笑)。デザイナーにしか考えられないイメージもあるし、そういう話し合いの中で、よりいいものができればと思っています。」
デザイナーに伝えるいちばん重要なポイントはどこだろうか?
「どういう展覧会か、それが骨組みとしてはっきりあるので、それをお伝えして、だからどういう図録が必要かを伝えます。展覧会という空間で起こっていることを、どうしたら紙面に落とせるか、スライドさせるときの変換が凄く重要だと思うので、その前に展覧会の骨格自体を伝えるのが重要ですね。」
つまり、展覧会という空間から、書籍という平面の束に変換する必要があるが、そこには、いくつもの方法があるので、読者に伝えるためにどのような方法が最適なのか、展覧会の根幹となるコンセプトと構成をデザイナーに伝え、イメージを共有することが大事だということだろう。同じ思いに立たないと、その具現化も根本的な部分でずれてしまう可能性が高いからだ。
事前のインタビューでは、大西にとって、千葉は自身を拡張させてくれる存在だと証言していた。またかなり自由に、デザイナーに仕事をさせてくれるとも言っていたが、千葉にとって大西はどのような存在なのだろうか?
「アイディアを形にするための、解決方法を提供してくれる方です。私は相関図を本に落とし込みたいとか、イメージがたくさんあるんです。やってもらいたいことも、いっぱいあって。そういう要件をいろいろぶつけて、そうすると太西さんが一生懸命それに解答をくださいます。その解答を考えるのが、自由に考えるっていうことなのかなと思います。そこでアイディアが膨らむっていうか、そういう意味で自由にやらせてくれると言ってくださっているのだと思いますね。」
それでは、大西と組んで千葉の思いを実現する印刷会社はどのような存在なのだろうか?
「川村さんとは、大西さんを通してやりとりをすることが多いので、直接的なやりとりはほとんどありません。川村さんには、こちらの要望が多いので申し訳なく思っています。私の要望で大西さんも結構無茶なことを考えるじゃないですか(笑)。その無茶を川村さんにぶつけていると思うので、川村さんがいちばん苦労されているかもしれません。私が苦労をかけているのか、大西さんがかけているのかはわからないですけど、川村さんは大変だと思います。でも、大西さんとしては、私のためには何かここまでのクオリティに持っていかないといけないんだと思ってやってくださっていると思いますので、みなさんのおかで何とか形になっているといつも感じています。」
つまり、千葉の意向を大西が受け取って図録を実現するわけだが、正確に言えば、大西が与えられた条件の中で、さらに創造性を発揮したものを川村が受け取り印刷可能な形を模索しながら実現するということになるだろう。
変わりゆく制作体制や環境の中、図録とはどのようなメディアであるべきなのだろうか?
「図録はやっぱり記録であり、情報だと思っていて、アーカイブ機能をいかに持たせられるかが重要だと思っています。自分が買うときのことを考えても、情報の少ない図録はあんまり欲しくないんです。図録の要素として、展覧会で紹介されていたことが再確認できるというのももちろんあるけれど、展覧会の中では、十分に伝えられなかったことも、図録には入れて伝えられると思いますので、そのプラスの情報も重視しています。例えば、予算や物理的な問題で、展覧会には出品できない作品の情報を掲載したり、この展覧会の考え方のもとになっているのはこのことですよということが、図録の中にどれだけ盛り込めているかが重要です。付属というよりもむしろ、こういう企図があって、その上でこういう展覧会ができていますよということが折り込まれた図録がいちばん理想的かなと思います。」
つまり、展覧会という空間の中で表現されているものよりも、むしろ展覧会の意図や考え方が色濃く反映されているのが図録だといえる。その見解は、デザイナーの大西の意見とまったく一緒であり、両方が共有しているビジョンであることがわかる。その中で、ビジュアルの要素はどう考えればいいのだろうか?
「ビジュアル的な記録ももちろんあるんですけれど、今ならビジュアルを残す媒体が他にもいっぱいあるので、図録はコンパクトな1個の形として、その大元に何があって、展覧会としてはこういうことがあって、テキストはそういうことを全部補完するようなものも含んだ状態にある、というのが理想かなと思っていつもつくっています」
「展覧会をつくる」というキュレーターの仕事には、アーティストや施工会社だけはなく、共同開催する美術館、新聞社と膨大なやりとりがある。さらに、ウェブサイトやチラシ、図録制作などに関しては、自身が著者だけではなく、編集者となる場合もあるし、編集者の上に立ってプロデュースをする必要もある、まさに複数のメディアをまたぐメディアプロデューサーとして動いているといえる。それをこなすためには、メディアの特性を知る人との共同作業と、根幹となるものを伝える力がもっとも重要だといえるだろう。
最後に今回、制作している展覧会「交換するモダン 機能と装飾のポリフォニー 」の図録制作においてこだわった点、難しかった点はどのようなところだろうか? 図録制作の苦労を聞く機会は少ないので、展覧会と合わせて新しい図録の見方になるのではないだろうか。
「30年近いその時代のものを、どのように平面の中に落とし込むのか、今回は、人が交流して影響し合ったり、わざと影響を受けないように振舞ったり、人の動き自体がその時代をつくっているということを見せたかったんです。そういう場所や時間の隔たりを超えた交流・交換をどのように平面に落とし込むのか、空間じゃないものに落とし込むことができるのかが、凄く肝になると思っていて、それをいろいろ考えました。
時間と空間を超えた交流の中で、この人はこっちでもこう関わっていて、こっちでもこう動いていて、時代を何十年か経て、ここにこういうことが着地しているみたいな複層的な関係性を持っているので、1本の筋だったら時間や空間も、もちろん図録に落とし込めると思うんですけど、1本の筋じゃないものを、この図録の中に時間や空間として落とし込もうとしたので、それが結構大変でした。それがどこまでうまく成立しているかわからないし、読む方も大変かもしれないけれど、読んでいけばそういうものが見えてきてくれるんじゃないかなと思ってつくっています。」
つまり、ある時代、時空間の中での、複雑な人間の交流が時代性をつくる、という多次元世界を平面の束である図録に落とし込むという大胆な試みになっているということだろう。また、それが同時に、現代という時代性も重なったタイムカプセルにもなっているのだ。千葉の思いを、深い交流の中で大西がどのように拾い上げ、川村とともに表現しているのか。是非、展覧会と併せて、確認してほしい。
INTERVIEWEE|千葉 真智子(ちば まちこ)
豊田市美術館学芸員。愛知県生まれ。同地在住。岡崎市美術博物館学芸員を経て、2015年より現職。近現代美術を専門とし、美術館外の空間でも積極的に企画を行っている。主な企画に「切断してみる。―二人の耕平」(豊田市美術館、愛知、2017年)、「ほんとの うえの ツクリゴト」(岡崎市旧本多忠次邸、愛知、2015年)、「ユーモアと飛躍 そこにふれる」(岡崎市美術博物館、愛知、2013年)、「視覚のカイソウ」(豊田市美術館、愛知、2019)などがある。
INTERVIEWER|+5編集部
WRITER|三木 学(みき まなぶ)
文筆家、編集者、色彩研究者、ソフトウェアプランナーほか。
アート&ブックレビューサイトeTOKI共同発行人:https://etoki.art/about
独自のイメージ研究を基に、現代アート・建築・写真・色彩・音楽などのジャンル、書籍・空間・ソフトウェアなどメディアを横断した著述・編集を行なっている。美術評論家連盟会員、日本色彩学会会員。