メディアを編集してオルタナティブな文化を醸成していく

メディアを編集してオルタナティブな文化を醸成していく

UNGLOBAL STUDIO KYOTO|中本真生
2023.06.22
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日本で最も歴史のある京都のクラブ、「CLUB METRO」初のアーカイブ・ブック『CLUB METRO ARCHIVE BOOK “DIGGING UNDERGROUND” VOL.1 1990-1994』が話題となっている。その発起人である中本真生(なかもとまさき)は、アーカイブすることの権力性を理解した上で、歴史化されていない事柄を紡ぎ続ける。彼の経歴を辿ると、アーティスト「なかもと真生」として自分の活動を記録することから始まり、そのスキルを活かしてオンラインメディア『&ART』を立ち上げ、現在はオンラインメディア『AMeeT』の編集を続けながら、「UNGLOBAL STUDIO KYOTO」の屋号でWEBディレクション、プランニング、各種プロデュースなどを行う。そこにはオルタナティブな活動に暖かい眼差しを向けていく生き方があった。彼の活動の原点にある「音楽」についても触れながら、今回はメディア運営者としての多様な側面を探っていく。

中本さんが企画・監修・編集を務めた『CLUB METRO ARCHIVE BOOK “DIGGING UNDERGROUND” VOL.1 1990-1994』
Photo by Yoshikazu Inoue

メディアを通して残らない言葉を残す

——メディアを始める以前に「なかもと真生」名義でアーティストとして活動されていましたが、どういったことをされていましたか。

大学在学中の20代前半から後半にかけて作品を制作していましたが、売ることを前提にしたものではなく、「その場でしか成立しない」というサイトスペシフィックなインスタレーション作品をメインに制作していました。

インスタレーションは、電化製品や木材などの廃品を大量に集めて銀色に塗装した上で屋内や屋外に並べるかなり大掛かりなもので、2010年には岡山県の大原美術館で展示をしました【※1】。他にも、当時貸屋を1軒借りて住んでいましたが、そこの窓ガラスをすべて割り、散らかった状態で来場してもらう空間展示など、色々やっていましたね。

そのほか現在は見られませんが、ブログのみで公開しているシリーズ、「フィールドワークス」は、場所から着想を得て、主にそこにある素材を用いてその場で創作し、作品を成立させる作品群です。Vol.1〜Vol.9まであるのですが、例えばVol.5では、廃墟内の割れた窓ガラスから差し込む光の形に、ガラスの破片を並べるということをしていました。太陽の動きで差し込む光の角度が変わり、物体と重なっていた光が徐々にずれていくんです。そういう作品などをブログで公開していました。

なかもと真生《Installation》2006年
京都嵯峨芸術大学(現在は京都嵯峨美術大学)屋上
43.2m × 7.2m(311.4㎡)
なかもと真生《inside》2006年
NC Art Gallery(東京)
奥行6.5m×横幅3m×高さ2.2m
なかもと真生《境界線/不在》2010年
西院久田町貸家
Photo by Yoko Taguchi
なかもと真生《フィールドワークスVol.5》2009年
(ブログでのみ公開)

——アーティスト活動を休止されたのは、どういった理由ですか。

まず、僕の作品はお金になるようなタイプではない。場所との結びつきが強かったり、安全面の制約で、美術館でも中々満足いくクオリティーで展示ができない。廃材の作品は、 愛知のコマーシャルギャラリーで展示したことがありますが、その時は床を1メートルぐらい底上げしたり施工が大変で、1回の展示で100万円は掛かり、活動を続けるには予算的な問題がありました。

高校生の頃に美術や美術業界のことをあまり知らないまま「この業界では、何をやっていても面白ければ認められるんじゃないか」という気持ちで美大を受験し、そのまま活動を始めたけれど、続けていくうちにコンセプトや意味付けを強要される感じがしてきたのと、美術の世界にある権威みたいなものが見えてきたのも休止の理由としてあります。また、お金を稼ぐことを目的に芸術に関わる人が大勢いて、他の業界とさほど変わらないことを知ってつまらなく思えてきたのもあったり……ひとえにこうとは言えませんが、いろいろな理由があります。


——アーティスト活動と同時並行で、2009年に『&ART』を立ち上げて、2010年に『AMeeT』に関られることになりますが、アーティストから編集者にキャリアを移行するきっかけを教えていただけますか。

アーティストとしてのキャリアに関しては、まずお金の問題があります。さきほどお伝えしたように僕の作品はお金になりませんし、だからといって必然性もないのにドローイングを作ったりと、活動を続けていくだけのために自分の作品を売ることを考えるのが嫌なので、作家業とは別に手に職をつけようとウェブディレクターの仕事を始めました。作品発表、記録をするためにウェブサイトを作っていた経験があったので、ウェブ制作やディレクターだったらできるかなと思い、仕事を探しました。

大学を卒業してからはまずタワーレコードで1年半働いて、それから文化芸術とは関係ないデザイン会社で働き、次のデザイン会社に移るんですが、その面接でメセナ事業の企画を提案して『&ART』を始めました。編集に関しては、それまで全くやったことがなかったので、仕事をしながらクオリティを上げていきました。


——『&ART』について当時、京都のアーティストを地域に開いていくことや、メディアを通して文化のあり方を変えたいと書かれていましたが、立ち上げにはどういった思いがありましたか。

そうですね。『&ART』に関してはメセナ事業なので、文化のあり方を変えるというのは、建前も若干あります。

ただ、京都のアートがまだまだ地域に知られてなかった状況に対し、自分がアーティストだったのもあって、純粋に知ってもらいたいという気持ちがありました。いろいろなアーティストに話を聞くことに興味があり、特に知られてないアーティストにインタビューして、きちんと彼・彼女らの活動を記録していきたいという思いがありました【※2】。

クロスカルチャー的視点でメディアを編集する

——『&ART』と並行して『AMeeT』の活動も始められていましたが、『AMeeT』との出会いを教えていただけますか。

『AMeeT』に関わることになったきっかけは、当時勤めていた会社に、一般財団法人NISSHA財団から『AMeeT』立ち上げのためのウェブ制作依頼があったことです。僕は立ち上げにはほとんどかかわらなかったのですが、徐々に記事を書いたり、編集することが増えて、2012年頃には多くの記事を編集するようになっていました。『AMeeT』は、 記事については編集者の判断にかなり任せてくれていて。だから徐々に『&ART』から予算のある『AMeeT』に僕も移行して、2014年で『&ART』は更新をストップしました。

『AMeeT』の企画で、みずのき美術館の奥山理子さん、森太三さんにインタビューをする中本さん
Photo by Nobutada Omote

——『AMeeT』の編集部には、中本さんのほか、どのような方々が関わられているのでしょうか。

チームには『AMeeT』を運営するNISSHA財団の宮谷さんがいらっしゃって、MATSUO MEGUMI +VOICE GALLERY pfs/w(※以降本文内ではヴォイスギャラリーと表示)の松尾惠さん、京都芸術センターの安河内宏法さん、編集者の杉谷紗香さん、そして僕という5名で基本やっています。『AMeeT』では、全員が各々で企画を出し、それぞれ記事の進行管理を行っています。


——編集部の皆さんは、どのような形で『AMeeT』に関わることになったのですか?

今のメンバーの中では松尾さんが最も早く関わられています。松尾さんは2008年に、南琢也さん(アーティスト・グラフィックデザイナー)経由で『AMeeT』をご紹介されたそうです。当時『AMeeT』の書き手を、財団が探されていたみたいで、そこから関わることになったようです。初めの頃は、財団の方と松尾さんと僕の3名で編集していました。宮谷さんは前任の方から引き継ぐ形で、2018年ごろに『AMeeT』に参加されました。その後杉谷さん、安河内さんも加わっていただいて今の体制になりました。


—— 『AMeeT』には現在、「特集」「アーカイヴと再制作」「テクノロジー」「コラム」「イベント・レポート」「動画」と6つのカテゴリーがありますが、これは中本さんが作られたものですか?

いえ、それは財団の方が作られたものです。細かい経緯は把握してませんが、アーカイブというのは設立当時から、NISSHAの事業と絡めて重要なキーワードだったのかと思いますし、テクノロジーは、『AMeeT』の名前の由来となるキーワードで(Art Meets Technology)、アーカイブとテクノロジーを一応メディアの軸としてやっています。


——初期の記事では、ゲーム会社Q-Gamesや、3DCG技術を扱うCAD CENTER CORPORATIONなどの一般企業にもインタビューされていましたよね。一般的なアートメディアとは違った視点で面白いなと。

Q-Gamesに関しては僕が知り合いだったのもありますが、OtographやBaiyonさんのようなゲーム音楽の専門家ではなくミュージシャンとして活動している方が音楽を担当したり、クリエイティブな発想をもってゲーム制作していたのが、面白いと思ってインタビューしました【※3】。後にインディーゲームのイベント「BitSummit」などの取り組みをはじめて、「BitSummit」についてのコラムも寄稿していただきました。


——当初からアートという範囲を美術だけに限定せずに、幅広く捉えてインタビューされているように思いますが、それに関してはいかがでしょう?

正直、自分の興味関心の幅が広かったというのがいちばんですね。ただ、僕は美術や音楽の専門家ではないので、何かに特化するよりも、その興味関心の幅を活かして、クロスジャンル的な仕様にしていった方がいいのかなと思っていました。

——ちなみに今まで更新されていた記事で、いちばん読まれた記事ってなんでしょうか。

去年9月に公開した漫画家、三浦よし木の読み切り漫画「のりちゃん」【※4】ですね。僕は漫画の編集もしているんですが、2020年頃から三浦さんと『AMeeT』以外でも仕事をしています。例えば直近では、2022年に愛知県美術館で開催された「ミロ展──日本を夢みて」の関連企画として、ミロにまつわる読み切り漫画を制作しました【※5】。

「のりちゃん」の記事は、Twitterで漫画の全ページをツリーにして投稿をしたら、いわゆるバズって。ツイートが5.4万いいね、1.2万リツイート、リプライも300を超えました(2023年5月9日時点)。それがきっかけで、いろいろなメディアで掲載してもらったり、何社か出版社から三浦さんに声をかけていただいて。だから話題やアクセス数でいうとダントツで「のりちゃん」かな。「のりちゃん」に関してぶっちゃけてしまうと、自分の今やりたいことをやってるのでテクノロジーも関係なく本当に好きなことをさせてもらいました。

——中本さんは興味関心の幅が広いと仰っておられましたが、様々なジャンルを扱う一方、同じ取材対象者に繰り返し取材をされていたりもします。そこに対する考えはいかがですか?例えば、みずのき美術館は繰り返し取材されていますよね【※6】。

みずのきは面白いですよ。2010年頃に日本財団が国内にアールブリュットの美術館を作るという動きがあって、 みずのき美術館ができました【※7】。もともとみずのきの芸術活動は1960年代に、重い障害のある人たちが豊かに暮らす環境をつくるため、創設者の出口光平さんが絵の時間を設けられ、日本画家の西垣籌一先生がその指導にあたられていました。絵画教室は、古い鳥小屋に茣蓙(ゴザ)を敷いて始められたそうです。西垣先生の指導により、みずのきの作家たちは海外でも評価される実力を身に付け、海外のコレクションに収蔵される作品を数多く生み出しました。それもあって、みずのき自体は国内のアールブリュットの評価を確立する上で重要な施設なんです。

ただそれは公共事業でもなく、美術シーンがどうこうではなく、施設の余暇活動のひとつとして始められた、いわば個人の営為の延長なんですよね。

行政の文化政策の一環として戦略的に立ち上げられたものではなく、自分たちでいちから作り上げていったものが大きくなって、のちのち行政や財団の予算が付いて続いている場所やプロジェクトは、面白いと感じるものが多いです。

みんなのみずのき動物園」(2022年10月8日-11月27日)みずのき美術館
中本さんは取材をしながら、積極的にみずのき美術館に関わり、展覧会や作品のプロデュースもしている。
Photo by Nobutada Omote

個人の営為の延長という点においては、CLUB METROもそうですよね。文化的な予算や公的な助力が付く前提ではなく、自分たちで面白いことをするためにいちから作り上げてやり続けて、今これだけ認められている。そういった自力でオルタナティブな文化を模索しているような場所は、80年代から続くヴォイスギャラリー【※8】や、最近では川良謙太さんが運営するショップ&ギャラリーVOU/棒【※9】、空間現代が運営するライブハウス「外」【※10】がありますが、やはり自分たちの手でDIYで作り上げていこうとしてる場所に関してはどこも面白いと思います。


——その観点で言えば『AMeeT』も、中本さんの「個人の営為」で『&ART』から繋がり、DIY的に今の形になったと言えますよね。『AMeeT』の運営をされている今、10年前と比べてメディア運営のスタンスに変化はありますか?『&ART』はご自身の中での思いや課題意識があって運営されていたと思いますが。

『&ART』も『AMeeT』も、基本は好きなように運営させてもらっているので続けられたと思っています。『AMeeT』に関しては自分の運営ではなく財団運営で、僕は外注の編集者の立場で好きなようにさせていただいて、『&ART』の時とスタンスを変えないまま継続できていることに、とても感謝をしています。『AMeeT』を今まで通り自由にやらせていただけるのなら、ずっと続けていきたいですね。

中本真生さん。CLUB METROにて。
Photo by Yoshikazu Inoue

エフェメラなクラブカルチャーをアーカイブする

——METROの30周年に合わせて制作したアーカイブブック『CLUB METRO ARCHIVE BOOK “DIGGING UNDERGROUND” VOL.1 1990-1994』の話を伺っていこうと思いますが、まずは中本さんとMETROとの出会いから聞かせていただけたらと思います。

METROに初めて行ったのは、大学生の頃でした。僕は大学の授業にまともに出てなかったけれど、音楽はよく聞いていて。その中で、ノイズやアバンギャルドの自主企画をたくさん行っていたカフェのアンデパンダン【※11】や、同じビルに入っていてその自主企画を主催・企画していたレコード屋のパララック・レコード、そしてMETROに通っていました。

最初、METROには自分が好きな音楽を聞きに行っていて、途中からMETROのマンスリーやフライヤーを見て、自分の聞いたことのない気になるイベントに行くようになりました。2005年頃は音響派が流行っていて、評論家の佐々木敦さんのレーベル 「HEADZ」が企画したイベントにChicago Underground DuoやSam Prekopが出たり。KYOTO JAZZ MASSIVEの沖野修也さん、沖野好洋さんがオーガナイズする「COOL TO KOOL」、ドラァグクイーンが出演する「Diamonds Are Forever」を見たり。あとエレクトロニカのイベント「Patchware on demand」にCarsten NicolaiやFenneszが来たり。そうやってMETROを通して新しい音楽やカルチャーに出会うようになりました。


——新しいジャンルやアーティストに出会える場となると、思い入れは生まれますよね。アーカイブプロジェクトはどういったものなのでしょうか。

METROは今年(2023年)で33周年になります。もちろんMETRO以前にもクラブはありましたがすべて閉店していて、現在オープンしている日本のクラブで1番歴史が長い店になりました。そういう意味でも、メトロの資料は京都の音楽文化やサブカルチャーの歴史にとって重要なものになります。ただ、METRO自体も初期の資料をほぼ保有していません。

今回のアーカイブブックに関わっていただいた佐藤守弘さん(同志社大学大学院文学研究科美学芸術学専攻博士後期課程教授)がおっしゃっていましたが、クラブカルチャーは「エフェメラ」なものです。エフェメラとは、保存されることを意図してないことや刹那的で短命といった意味があります。

例えば、女性の運動史やZINEの研究をされている立命館大学生存学研究所客員研究員の村上潔さんに、ZINEのアーカイブをテーマにした記事【※12】を『AMeeT』に書いてもらっていますが、その中でZINEは反権威的なアナキズムの特性を持つ出版物なのにも関わらず、それが大学図書館とか公的施設に収蔵されてしまうこと自体がジレンマになるという問題を提起しています。

公的施設に収蔵されることもそうですが、収集や保存をすることによって歴史を作る側になり得るという点において、アーカイブという行為自体が権威的です。エフェメラなカウンターカルチャーであるクラブカルチャーをアーカイヴすることに対するジレンマはある。それはストリートカルチャーをアーカイブする動きがなかなか根付かない理由のひとつかもしれない。でも重要な文化なので残しておきたい。アカデミズムとストリートカルチャーを繋ぐ役割はあるようでないというか、いるようであまりいないので、そういうことを意識してやっているプロジェクトです。


——アーカイブプロジェクトを始めたのは中本さんですか。

2020年に僕が始めました。まずはMETROで90年代に開催されたイベントのフライヤーや写真の収集を行って、写真に関してはMETROのTwitterで募集して結構集まりました【※13】。 それから一般の方が資料にアクセスできるような形にまとめてリリースするために、アーカイブブックを作成しました。

アーカイブブックの制作前には、トークイベントを開催したんです。第1回は沖野修也さん、牧野広志さん、METROの山本ニックさんと林薫さん【※14】。第2回はFPM田中さん、groovisionsの伊藤さん。3回目は「Diamonds Are Forever」のメンバーと松尾惠さんに出演してもらいました。 

第1回のトークイベントの様子
左から、林薫さん(METROプロデューサー)、山本ニックさん(METROオーナー)、沖野修也さん(KYOTO JAZZ MASSIVE)、牧野広志さん(COFFEE BASE ディレクター)、佐藤守弘さん(同志社大学文学部教授)

——パフォーマティブなライブやイベントがメインとなるMETROの歴史をアーカイブブックとして見せるのは、かなり難しかったのではないでしょうか。先ほどSNSでの資料収集の話がありましたが、他にはどんなことをされたんでしょう?

映像が残ってるのがいちばん良いのですが、ほぼ残ってない。だから現実的に集められるメディアは、写真とフライヤー。エフェメラな文化ということもあってか、みなさん当時の写真を全然持ってないんですよね。そもそも90年代前半はスマホどころかカメラ付き携帯さえなかったので写真を撮ること自体が今よりもカジュアルではなかったのもありますが。だから重要になるのは、当時の文化を作ってきた方々の証言ですよね。このイベントはどういうイベントだったか、どういうお客さんが来ていたかなどを聞きました。

ヒアリングは、Diamonds Are Foreverをオーガナイズしているシモーヌ深雪さん、KYOTO JAZZ MASSIVEの沖野修也さんと沖野好洋さん、当時「LATINO CONNECTION」というイベントでレギュラー出演されてた皆さん、「エイズ・セックス・セクシュアリティ」をテーマにしたベネフィット・ダンス・パーティー「CLUB LUV+(クラブラブ)」をされていた皆さん、当時スタックオリエンテーションを主宰し、海外アーティストの来日公演からアンダーグラウンドなイベントまでオーガナイズしていた現SMASH WESTの南部裕一さん、ビクターエンタテインメントに勤めている深水円さん、そして当時METROの店長だったタカさんなど、多くの方にご協力いただいて、オーラルヒストリーのアーカイブに関してはかなり力を入れました。


——アーカイブブックはどういった内容になりますか。

仕様が特殊で、レコードジャケットのサイズになっています。レコードのプレスの会社に依頼して、ジャケットだけ作ってもらい、その中にバラバラの紙面を封入しています。文章は、先程のトークイベントを文字起こしした1万字超の記事と、黎名期の京都のクラブカルチャーに深く関わってきた人へのインタビューを基にしたクィアの研究をされている菅野優香さん、建築リサーチャーの川勝真一さんが書いたコラムがあります。

もうひとつ特徴として、封入物で当時のマンスリー4枚、フライヤー3枚があるんですが、これは複製品なんです。 当時、METROには輪転機があってフライヤーを刷っていて、今回それをリソグラフ印刷で再現しました。インターネット普及以前だったので、今よりもフライヤーやマンスリーなど紙のメディアが重要な情報源でした。写真もデジタルではなくプリント。紙面に印刷してるだけではなかなかイメージしづらいので、ビジュアルイメージだけでなく当時のメディアの形態を通して時代を伝えることをしたかった。

『CLUB METRO ARCHIVE BOOK “DIGGING UNDERGROUND” VOL.1 1990-1994』
Photo by Yoshikazu Inoue
フライヤーの複製品
Photo by Yoshikazu Inoue
各年代のFlyer:説明文はオーラルヒストリーを元に制作された
Photo by Yoshikazu Inoue

——METROに輪転機が置いてあったのは面白い話ですね。

当時まだDTPが普及してなかったので、そんな中でフライヤーを作るために自分たちでデザイン・印刷する設備が必要になった事情があったと思います。自分たちで広報物を作っていた時代背景はあったので、そういうことも伝えられるアーカイブブックの仕様にしたいと最初から考えていました。


——当時のことを調べられていて、面白いなと思われたことはありますか?

昔の良さってなんですかね。今はクラブカルチャー自体が浸透して既存の文化として認識されていますが、当時は新しい文化だったので、文化をゼロから作り上げていく過程があったことが言えますね。京都に来たばかりの僕はそこで味わったことのないDIY感を体験しました。


——中本さんの中で、自分の文化を作り上げていく過程としてクラブカルチャーは大きなものだったのですね。アーカイブブックのリリースはいつされたんですか?

5月26日(2023年)に発売されました。販売はメトロの店頭と、関西の書店・レコード屋の店頭・通販です。

『CLUB METRO ARCHIVE BOOK “DIGGING UNDERGROUND” VOL.1 1990-1994』
Photo by Yoshikazu Inoue
取り扱い店舗等の情報はこちら

興味関心の質を高めて、伝える

——今後は引き続き、京都と関わりながらメディア運営や執筆編集を続けられるのですか。

そうですね。これまで通りにやっていけたらいいなと。それと、アーカイブブックのVol.2を年度内に制作したいと思っています。Vol.1が1990年から1994年の5年間だったので、Vol.2は1995年から1999年。できれば、2000年から2004年もVol.3として残したい。例えば高木正勝さんとAOKI takamasaのユニットSilicomが出てきたり、ボロフェスタが始まったり。


——2000年代の文化に関しても、京都やMETROに関連しながら紐解ける要素はいろいろありそうですね。ちなみに音楽面で影響を受けたメディアなどはあるんでしょうか。

『Improvised Music from Japan』【※12】という即興音楽の雑誌が2002年から2009年まで年に1回ぐらいリリースされてたんですよね。その雑誌は、TVドラマ『あまちゃん』の音楽を担当する前の大友良英さんやSachiko Mさん、秋山徹次さん、中村としまるさん、 韓国のサックス奏者の姜泰煥(カン・テファン)などの記事やインタビューが載っていて、CDも付いていました。 


——コンピレーションのCDが付いているのは珍しいですね。

そうですね。音楽を聴くためには、YoutubeやサブスクもなかったのでCDを買わないといけなかった。即興演奏やアバンギャルドな音楽は、CDを買っても何をやってるのか全然わからない。 例えば、Sachiko Mさんはサインウェーブしか鳴っていないようなCDがあるわけですよ。だから、それを何の説明もなしに聴くと何をやってるのかはさっぱりわからなくて。そういう表現に対して、何をやろうとしてるかが語られている雑誌が大変貴重でした。だから、未知の音楽に出会うためのツールとして参考になり影響を受けました。

それと僕が小学校高学年からレンタルCDショップに通っていたのも大きかった。その頃は1週間レンタルで5枚同時に借りると1000円になるサービスがあり、毎週CDを借り続けていました。新しいアルバムを1日に1枚聞く生活を20年ぐらい続けていて。大学生の頃はTSUTAYA西院店に通っていました。CDの良いところはライナーノーツや歌詞カードが入っていて、きちんと読むと結構な読書量になります。 それが教養や自分自身のメディアを運営する上でのスタンスに影響している気がしますね。


——中本さんは元々アーティストから始まって領域横断的なキャリア形成をされてきたと思います。アート業界で働きたい人や関心のある人たちに向けて、働くにあたってキャリアのアドバイスや生存戦略的なものがあれば最後にお願いします。

まぁ……僕自身は誰かにアート業界の仕事をおすすめしたことがないんです。僕の知る限りでは、どの仕事も忙しいし給料は安い。アーティストフィーも安い。なのでこの業界で生きていくのはなかなか困難だと思っています。これまでに他の業界のクライアントと仕事をしてきましたが、それに比べるとアート業界の仕事は単価も安いので、おすすめする気持ちはあまりないんですよね。だから、きちんと専門性を評価してくれる職場を探して就職した方がいいし、ギャラ交渉もした方がいい、というのが現実的な話として言いたいというか、言えることとしてある。もしそうした点をクリアできて、自分の特性をうまく活かせることができれば、楽しくやれるかもしれません。

僕は割と飽き性だし、コツコツ努力するのも苦手だし、人付き合いも苦手です(笑)。そういう性格だけど、編集者としてはそういうところが長所になる場合もあって。僕は美術や音楽、舞台芸術や漫画などいろいろな分野に関わっていて興味の範囲が広く、専門家の知識には遠く及ばないけれど、様々な知識を得ることができています。だから多様な分野を扱うメディアを作ることができると思っています。

生存戦略とおっしゃっていましたが、生きていくというのは具体的にご飯をどう食べていくのかですよね。メッセージとしては、僕と似たようなタイプの人がいるとしたら、自分の性格をどう生かして社会で生きていくのかという話になると思います。だから模索していれば苦手なところを抱えたままでもなんとかなるというのは、メッセージとして言えることかな。

Photo by Yoshikazu Inoue

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関連情報

UNGLOBAL STUDIO KYOTO

中本さんの今までの活動が掲載されている。本記事では触れていないが、中本さんはロームシアターの運営するメディア『SPIN-OFF』でも編集を行われている。
(URL最終閲覧:6月22日15時45分)

『&ART』

「京都で活躍するアーティストと社会をつなぐ」ことを目的としたWEBサイト。「アーティストの紹介」「アーティストによるリレーブログ」「京都のアートについての特集記事」の3コンテンツを中心に、2009年〜2014年まで、オリジナルサイトを持って運営をしていた。現在はTwitterにアカウントがあり、日々アート情報の発信がなされている(@andart_kyoto)。
(URL最終閲覧:6月22日15時45分)

『AMeeT』
一般財団法人NISSHA財団が発行、運営するウェブマガジン。
編集チームには現在、デザイナーの宮谷一款さん(一般財団法人NISSHA財団)、キュレーターの安河内宏法さん(京都芸術センタープログラムディレクター)、ギャラリストの松尾惠さん(MATSUO MEGUMI +VOICE GALLERY pfs/w)、編集者の杉谷紗香さん(株式会社ピクニック)、そして中本さんという専門性の異なる5名が現在運営に関わっている。
(URL最終閲覧:6月22日15時45分)

一般財団法人NISSHA財団
(URL最終閲覧:6月22日15時47分)

CLUB METRO
(URL最終閲覧:6月22日15時47分)

『CLUB METRO ARCHIVE BOOK “DIGGING UNDERGROUND” VOL.1 1990-1994』特設ページ
(URL最終閲覧:6月22日15時47分)

注釈

【※1】中本さんは「AM倉敷(Artist Meets Kurashiki)」第6弾で、展示を行った。本展のレビューが『artscape』に公開されている。
(URL最終閲覧:6月22日15時48分)

【※2】『&ART』の立ち上げに関して、中本さんが『AMeeT』に自ら記事を残している。

「京都のアートを発信するもう一つのWEBサイト「&ART」」
(URL最終閲覧:6月22日15時48分)

【※3】記事はこちら

「世界から注目される京都のゲーム会社 Q-Games インタビュー [前半] (英訳収録)」 
「世界から注目される京都のゲーム会社 Q-Games インタビュー[後半] (英訳収録)」

(URL最終閲覧:6月22日15時50分)

【※4】特集 三浦よし木 描き下ろし漫画『のりちゃん』

漫画家の三浦よし木による全56ページの描き下ろし漫画を、中本さんの企画で掲載した。この企画の前に、『AMeeT』に三浦の漫画『セーラー服の記録』を掲載しており、その際にも、Twitterの三浦のアカウントで漫画の全ページをツリーにして投稿してTwittter上でバズったが、『AMeeT』のサイトにアクセスした人は少なかったそう。『セーラー服の記憶』は全4つ、別記事として『AMeeT』でそれぞれ公開されたが、『AMeeT』上でもきちんと読まれるよう、『のりちゃん』の企画ではSNSの特性を考慮し、1記事にまとめて公開した。その分1記事としては予算が大きくなったとのことだったが、通常の記事を4つ出すよりも何百倍のアクセスがあったので正解だったと言える。
(URL最終閲覧:6月22日15時50分)

【※5】三浦よし木『Miró & Galí〜ガリ美術学校時代のジュアン・ミロ〜』

展覧会「ミロ展──日本を夢みて」と連動し、Twitterで美術学校時代のミロのストーリーを、漫画で紹介した。中本さんは編集を担当された。
(URL最終閲覧:6月22日15時50分)

【※6】『AMeeT』で取り上げられた、みずのき美術館の記事一覧。美術館そのものに関してはもちろん、アーカイブに対しての取り組みや、対話の場を形成する取り組みなど、多視点でみずのき美術館の取り組みを分析しており、同美術館に興味がある方は、『AMeeT』の記事を一通り読めば、かなり理解が深まるだろう。

(URL最終閲覧:6月22日15時55分)

【※7】日本財団アール・ブリュット支援事業について

みずのき美術館の立ち上げ経緯等の詳細も、日本財団の以下のページに記事として上がっている。
ストーリー:みずのき(京都府)
(URL最終閲覧:6月22日15時55分)

【※8】MATSUO MEGUMI +VOICE GALLERY pfs/w(ヴォイスギャラリー)

1986年にオープンした京都の老舗ギャラリー。当初から現代アートの展示を企画し、オルタナティブな活動を行っていた。オーナーの松尾惠さんも作家からキャリアをスタートさせ、90年代以降にギャラリストへ方向転換されている。松尾惠さんに関しては2021年、+5で取材をしている。
「アートの声を拾う ヴォイスギャラリーに聞こえる可能性」

(URL最終閲覧:6月22日15時56分)

【※9】VOU/棒 

元印刷所跡地の3階建ビルを改装し、2015年にオープンした。1階がギャラリー、2Fがオリジナルグッズの販売もしているショップ、3Fがイベントスペースとなっている。ギャラリーでは、京都を拠点とするアーティストをメインに、ボーダーレスな企画展をほぼ毎月開催している。山中suplex共同代表の小笠原周が数度、VOU / 棒で個展をしている。
(URL最終閲覧:6月22日15時56分)

【※10】

バンド「空間現代」が運営する、スタジオ/ライブハウス。「空間現代」は、2006年に野口順哉(Gt / Vo)、古谷野慶輔(Ba)、山田英晶(Dr)の3人によって結成された。2016年9月に活動の拠点を京都に移し、そのタイミングで「外」を、京都市左京区の錦林車庫前に開業した。
同施設は「空間現代」のスタジオとしての機能がある一方、ライブ会場として、国内外様々なアーティストの招聘プログラムを展開している。
(URL最終閲覧:6月22日15時56分)

【※11】INDÉPENDANTS(アンデパンダン )

百年近い歴史を持つ「1928ビル」(京都市登録有形文化財)に入っており、元々は長年廃墟だった地階をアーティストたちが創建当時の姿に戻し、1998年に「Café Indépendants / カフェ·アンデパンダン」に。2019年11月にリニューアルオープンし、現在の姿となっている。
1928ビルには「INDÉPENDANTS 」の他、ノンバーバルパフォーマンス『ギア-GEAR-』の専用劇場「アートコンプレックス1928」、貸しギャラリーの「同時代ギャラリー」が入っている。
(URL最終閲覧:6月22日15時58分)

【※12】「ジン[Zine]、アーカイヴィング、アクティヴィズム——その連動する展開がひらく地平」と題し、全3回で掲載予定(2023年6月9日現在、公開されているのは第1回のみ)

「第1回:収集・保存・公開における本質的課題」
(URL最終閲覧:6月22日15時58分)

【※13】CLUB METRO協力の元、Twitterで写真の募集が行われた。

@metro_kyoto
(URL最終閲覧:6月22日15時58分)

【※14】第1回目のトークイベントのレポートが『AMeeT』に掲載されている。

「METRO 30th ANNIVERSARY:SPECIAL ONLINE TALK「京都のクラブカルチャー黎明期とMETRO」レポート」
(URL最終閲覧:6月22日15時58分)

INTERVIEWEE|中本 真生(なかもと まさき)

1983年、愛媛県生まれ。京都を拠点に活動。文化芸術(舞台芸術・音楽・現代美術・映像・映画・漫画・漫才 他)に関する編集やインタビューを数多く手がける。また一方で、WEBディレクターとして文化芸術に関するWEBサイト制作のディレクション、展覧会・コンサート・作品の企画・プロデュースなどを行う。
https://unglobal.jp 
 
(URL最終閲覧:6月22日15時58分)

INTERVIEWER|高岡 謙太郎(たかおか けんたろう)

ライター、編集、広報など。主にテクノロジーを用いた表現に興味があり、ジャンルや媒体問わず紹介をしてきた。共編著に『Designing Tumblr』『ダブステップ・ディスクガイド』『ピクセル百景 現代ピクセルアートの世界』など。日本科学未来館の展示課に在籍後、現在フリーランス。最近は場づくりに興味がある。