境界を越えて、文脈を編む:国立新美術館・尹志慧のキュレーション

境界を越えて、文脈を編む:国立新美術館・尹志慧のキュレーション

国立新美術館主任研究員|尹志慧
2025.10.30
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国立新美術館で開催中の「時代のプリズム:日本で生まれた美術表現 1989-2010」【※1】は、香港のM+との協働キュレーションで企画された展覧会である。キュレーションチームは、M+のドリアン・チョンがキュレトリアル・ディレクターを務め、同じくM+のイザベラ・タム、国立新美術館の神谷幸江と尹志慧(ゆん・じへ)の4名で構成されている。日本で開催される日本美術の展覧会としては異例で、海外にルーツを持つメンバーを中心に組まれたチームであることが特徴だ。

今回インタビューに応じていただいた尹志慧(ゆん・じへ)さんは、現代美術を専門とする韓国出身のキュレーターである。国立国際美術館、芦屋市立美術博物館を経て、現在は国立新美術館の主任研究員を務めている。本稿では、彼女の歩みをたどりながら、非正規雇用の問題、展覧会の企画を通して見えてくるキュレーションの意義、さらにはポリティカル・コレクトネスに対するまなざしについて話を伺った(本文中敬称略)。

尹志慧さん

仁川から現代アートの最前線へ

現在日本を拠点とする尹は、韓国は仁川(インチョン)で生まれ育った。2001年に仁川国際空港が開港して以降、世界をつなぐ空の玄関口として機能し、近年はIR施設が整備されるなど、リゾート地としても知られる都市である。一方で、首都ソウルに隣接するベッドタウンでもあり、尹自身も仁川からソウルの大学、職場に通う日々を送っていた。彼女は仁川を「つまらない街」と形容する。

理系の大学に進学し、入学後に専攻を変え経営学を学んだのち、国の公共機関(政府の運営する企業)に就職する。中小企業の支援政策を実行する機関で、5年間勤めた。


尹:支援政策として企業にお金を貸すことももちろんありますが、新規の産業・地域を開発する事業や、企業と大学を連結するネットワーク事業など、多岐にわたる施策を行う機関でした。意義のある仕事だったので、業務自体は苦ではなかったですね。


仕事をする傍ら、大学院生が主催する美学や芸術学に関する書籍の読書会にたびたび参加していた。学生時代、美術館に赴いたことすらなかったというが、この読書会をきっかけに尹は作品研究や美術館学芸員の道へ進むことになる。


尹:美術館は敷居が高くて、行きたいという気持ちになったこともなかったです。でも、本を読むのは好きだったので、文学や美学などいろんな本を読んでいた時期でした。ネット上で「来たい人はどうぞ」と参加者を募っているのを見つけて、入職してすぐの頃から読書会には参加していましたね。それを5年間続けているうちに、これは大学院に進学した方がいいなと思って(笑)。美学や芸術学の本は、この時代が一番読んでいました。


こうして尹は日本の大学院に進学して美術を研究することにした。関連専攻の卒論執筆の実績が問われないこと、附設の日本語学校があること、交通の便の良さといった条件を踏まえ、同志社大学大学院への進学を選ぶ。当時、現代アートや美学に関心を寄せていた尹が研究対象に選んだのは、第二次世界大戦後の美術を代表するイギリス人画家、フランシス・ベーコンである。


尹:「これを研究したい」というのを決めて進学したわけではなかったんです。院試の時に提出した研究計画書には、スーザン・ソンタグの「写真論」を研究したいと書いていた記憶があるし、修士1年生の時にはプリズム展でも紹介しているイ・ブルさんの発表をしていたりもしました。

いろいろとテーマを探しているときに、休暇中に東京で開催されていたベーコン展【※2】を見に行った話を先生としていました。「(ベーコンが)好きなんですか?」と聞かれたので、「好きだと思います」と答えたら、「じゃあベーコンを研究したらどうですか」と提案されて(笑)。先生からは、存命作家よりも先行研究が進んでいる作家で論文を書いたほうがいいと言われていたのですが、正しいアドバイスだったと思います。


修士論文の執筆には3年を要した。アカデミックライティングの経験不足と言語の壁が、研究を進める上で大きな障害となったという。


尹:日本では違うかもしれないけど、当時の韓国の経営学部には卒論がありませんでした。関連する資格を取るとか、TOEICの点数を提出するとか、そういう条件をいくつか満たすことで卒業試験にパスしたことになります。研究の仕方もあまり分かっていなかったので、院に入ってから初めて「ゼミとは何か」みたいなのを経験して、慣れながら書き上げる感じでした。

韓国で働いていた時も、仕事帰りに日本語教室に通ってはいました。当時は哲学や理論的なことの方が好きだったけど、外国語でそれをやる自信はなかったので、作品研究に切り替えた経緯もあります。大学院では、ベンヤミンの「パサージュ論」を原文で講読する授業があったので、学部で開講しているフランス語とドイツ語の授業を夜間に受けたりしていました。辞書の引き方がやっとわかるくらいの時に修士課程が終わりましたが(笑)。


修士課程の修了後、国内有数の現代アートのコレクションを誇る国立国際美術館の研究補佐員に着任する。尹にとって、現代アートによって受ける感動と、古典美術によるそれとは、質が異なるという。


尹:美術手帖の「わたしを変えた展覧会」というシリーズに寄稿したときに、京都芸術センターで上演していた古橋悌二《LOVERS / 永遠の恋人たち》について書いたんですが【※3】、それにすごく感動したんです。うまく説明できないけど、現在活動している作家さんの作品だと、日々自分が感じていること、考えていることと直接繋がっているんだなと思うことがあります。新しい作家さんは常にいっぱいいて、毎日のようにあちこちでそういう体験ができるのが、現代アートの好きなところかもしれません。

国立国際美術館での経験と非正規雇用の問題

国立国際美術館でのおよそ4年半のあいだ、収蔵庫内での作業や展覧会業務をはじめ、学ぶことが非常に多かったという。 


尹:美術の修復・保存を専門に研究してきた先輩に作品の触り方や動かし方、必要な道具や写真の撮り方など色々教えてもらいました。国際美では、写真やペインティング、彫刻から、形のないパフォーマンスや、映像インスタレーションなど、伝統的に美術館が扱ってこなかったジャンルの作品も多く所蔵しています。館内でも、そういう作品の情報や記録をどうやって残すか、インストラクションの書き方などを模索していた時期でもありました。


在任中は、開館40周年記念展 「トラベラー:まだ見ぬ地を踏むために」(2017年)や、「福岡道雄:つくらない彫刻家」(2017年)、「クリスチャン・ボルタンスキー:Lifetime」(2019年)など、国内外の現代アートを紹介する個展やグループ展に携わった。


尹:作家やスタジオとのやり取りを主に担当した展覧会もあれば、カタログに集中する場合や、現場の展示作業に集中する場合もあったり、ケースは色々です。自主企画展かつグループ展となるとたくさんの人手が必要になるので、担当研究員と手分けをしながら一緒に業務を進めていく感じでした。

一番記憶に残るのはボルタンスキー展で、私はスタジオとのやり取りを担当しました。作家自ら展示プランを決めるのですが、そのディテールを詰めるために、ずっと英語でやり取りを重ねて図面を修正して、というのを1年くらい続けていましたね。やり取りの中で、ボルタンスキーが、自身がユダヤ人であることやホロコーストの文脈だけで作品が語られてほしくないとおっしゃったことをおぼえています。


一方で、美術館学芸員のポストは、ほとんどの場合で修士課程の学位が求められるにもかかわらず、法制度や館の運営方法、財政難の影響により非正規雇用が多く、不安定な立場に置かれることが多い。国立美術館の研究補佐員も、そうしたポストの一つである。


尹:非正規雇用の労働者で、特に若い人、キャリアの短い人の場合は、やる気を試されることになりますよね。。国立美術館の研究員補佐員の給料は、仕事の内容に比べて低賃金だと思います。残業することについては、自分の経験のためにも、展覧会の成立のためにも喜んでやりたいと思っていました。働いた分の残業代は全額払われるべきだと同僚と一緒に主張して美術館に認めてもらったこともありました。


続けて尹は、このような問題は美術館や美術業界だけの話ではなく、非正規雇用の立場にいる労働者、彼らを雇用する組織ならどこでも起きる問題だと語る。


尹:韓国で働いていた時にも全く同じ問題があって、同じ内容の事業を担当しているにも関わらず、3年単位の契約更新だから、入ってすぐ、もしくは慣れる頃には次の職場を探さなきゃいけない人たちがいました。働く本人も集中できないし、会社側もあと1、2年後にはこの人が辞めている可能性があるので、長期プロジェクトを任せられない。外部でその人とプロジェクトを進める人たちも、この人は1、2年後に担当じゃなくなる可能性があるとなんとなく知った上で仕事を進めました。非正規雇用には何もいいことがない(笑)。


現在は主任研究員として、非正規雇用の若手学芸員と一緒に業務を行う立場になった尹だが、現代アートを扱う現場だからこその苦悩があるという。


尹:非常勤学芸員のポストに着任する人々の生活環境は様々です。実家から通う人もいれば、副業をしなければならない人もいるし、子育てをしながら勤める人もいます。彼らの業務量を調整する中で、美術館としては無理を強いない方針をとっています。

現代アートの場合、ある作品を展示できても次の日から動かなくなるとか、不確定要素が色んなところにあります。新作のコミッションワークでは、作家の解釈によって予想外の作品になることもあり、実際にどのような作品が完成するのか分からないまま、展覧会の準備を進めることもあります。そうすると、スタッフの働き方も古典美術の展覧会とは違ってきますよね。現代アートの場合はどれくらい臨機応変に人が働けるかかということもとても大事になってきます。

「クリスチャン・ボルタンスキー − Lifetime」(国立国際美術館、2019年)展示作業中のボルタンスキー氏 

「遠距離現在」展に込めた多様な視点

国立国際美術館を退職後、一年間芦屋市立美術博物館の学芸員を務めたのち、国立新美術館の特定研究員に着任する。同館で尹が企画し主担当を務めた最初の展覧会が「遠距離現在:Universal / Remote」(2023-24年)【※4】だ。WHOが新型コロナウイルスの緊急事態宣言を解除し、日本においても感染症法上の位置づけが5類に移行した、コロナ禍終息直後に開催された現代アートのグループ展である。尹は同展を、ウイルスによる災禍を忘れないための、それを振り返るためのものとして企画したという。


尹:コロナが発生して1か月半が経った頃には、もうポストコロナ戦略みたいなのをみんなが論じていたんです。今すぐにでもポストコロナ時代に突入したい、マスクを外したくて仕方ない、もうコロナを忘れたくてしょうがないという感じでした。でもその時に、震災や戦争などと同じく、この出来事自体を忘れずに、そしてそれがどのように私たちの考え方や生活に影響を及ぼしたのかをちゃんと振り返っておかないとと思ったんです。それを踏まえないと、ポストコロナには突入できない。10年、20年経ってしまったら、その時に自分がどういう感情でいたのかすら忘れてしまいそうだなと思いました。


しかしながら、展覧会では国内外で活躍する現存作家8名と1組による作品が紹介されたものの、コロナ禍を直接的なテーマとして参照している作品はほとんどない。尹いわく、新型コロナウイルスが発生する以前に制作された作品のみで展覧会を構成することが同展の企画意図だったという。


尹:コロナという危機をきっかけにそれまでに見えなかったいろんな問題が一気に表面化しましたよね。緊急医療の体制がどういう状況になっているかとか、教育を受ける環境が人によってどれくらい差があるのかとか、情報格差や監視の問題もそうです。人々をトラッキングすることに政府がどこまで関与できるかや、他にも孤独死や社会保障の問題など、コロナ以前にも存在していた問題が一度に浮上するひとつの契機になったと思うんですね。だったら、コロナと関係なく、以前からずっとその問題に着目して作品を制作した作家がいるはずだと思ったんです。


例えば、出品作の一つである中国出身のアーティスト徐冰(シュ・ビン)による映像作品《とんぼの眼》(2017年)は、個々には関連のない監視カメラの映像をつなぎ合わせることによって男女のラブストーリーを物語る作品である。制作されたのは、新型コロナウイルス発生より数年も先立っているが、コロナ禍で再び注目された監視の問題に取り組んでいる。また、アメリカ出身のエヴァン・ロスによる《あなたが生まれてから》(2023年)は、Web上で一度表示された情報が端末に一時保存される、いわゆる「キャッシュ画像」を素材とし、それらを展示空間の壁と床一面に張り巡らしたインスタレーション作品である。外出自粛を要請された人々の生活においては、スマホやパソコンで閲覧した情報がその人自身を語るというロスのコンセプトがより鮮明に表れている。

一方で「遠距離現在」展は、国立新美術館が5年ぶりに開催した現代アートのグループ展でもあった。個展にはないグループ展を開催することの意義は、キュレーションの根幹にも関係する問題だという。


尹:今回のプリズム展でも、90年代から00年代の日本美術すべてをカバーできているわけではありません。重要な作家なんだけど含まれていない作家さんはいっぱいいます。でも、その流れを提示できる、作品の背後にある別の文脈を伝えることができるのがグループ展かなと思います。新美でも、李禹煥や蔡國強など巨匠の作家の個展を開催していて、それももちろん大事ですが、プリズム展では日本というプラットフォームで生まれた美術表現の20年間を外観するという、遠距離展ではポストコロナの視点で見てみるという別の文脈があります。それがキュレーションということでもあると思うんです。作品の見方を固定せずに、異なる文脈で作品を鑑賞できる機会を提供できるのが、グループ展の良いところかなと思います。

「遠距離現在 Universal / Remote」(国立新美術館、2024年)展示風景 
撮影:木奥惠三

国境を越えて見えるもの

現在、国立新美術館で開催中の展覧会「時代のプリズム:日本で生まれた美術表現 1989-2010」は、香港のM+との協働キュレーションにより企画された。この国境を越えた美術館同士のコラボレーションは、日本側のリクエストによって実現したものである。


尹:
新美は現代アートを含め多様な展覧会活動を行う美術館ですが、2019年に逢坂恵理子館長が着任してから、現代アートをより積極的に紹介するようになりました。文化庁の方でも、日本美術の動向を国内外に紹介したい考えがありました。新美の場合、外国からのお客さんも多いです。そうした経緯で、新美と一緒に共同キュレーションできる外部のキュレーターを探しました。


本展のキュレトリアル・ディレクターを務めたのは、M+のアーティスティック・ディレクター兼チーフ・キュレーターのドリアン・チョンだ。 ミネアポリスにあるウォーカー・アート・センターや、ニューヨーク近代美術館に在職していた経験があり、工藤哲巳や草間彌生など、日本人作家の個展の担当をしたこともあるキュレーターである。加えて、M+は多くの日本人作家の作品を所蔵している。チョンを筆頭にM+からはビジュアル・アート部門のキュレーターのイザベラ・タムが、国立新美術館からは神谷幸江と尹がキュレーションチームの一員として加わった。韓国出身でアメリカでのキャリアが長いチョン、香港出身のタム、国内外で活動してきた神谷、そして韓国出身の尹という4人の構成は、日本で開催される日本美術を紹介する展覧会のキュレーションチームとしては異色の組み合わせとなった。


尹:これまでの70年代展、80年代展など、特定の時代をフィーチャーする展覧会の場合、日本人作家のみで構成するのが当たり前でした。ドリアンさんもイザベラさんも私も外国人なので、日本美術を長年研究してきた日本人キュレーターと比べると理解の浅い部分はあると思います。そういう足りてない部分も多いんだけど、逆に言うと外からの視線を反映できたことは良かった点かなと思います。90年代から00年代は日本固有の文脈だけで語られない部分が多くなった時代でもあるので、日本固有の美術史という捉え方ではなく、海外との影響関係を踏まえた構成をとりました。


プリズム展に出展されている作家のうち、およそ3分の1を海外出身者が占めており、その割合は決して少なくない。例えば、ディヴィッド・ハモンズ《移動庭園》(1998年)やジョーン・ジョナス《2匹の月のうさぎ》(2010年)のように、日本での滞在制作の成果として発表された作品や、ピエール・ユイグとフィリップ・パレーノが1999年に開始したプロジェクト〈No Ghost Just a Shell〉のように、日本のサブカルチャーから影響を受けた作品など、アジア圏や欧米諸国出身の作家による多様な表現が紹介されている。これらの作品は、独立した章を設けることもなく、日本人作家の作品と明確に区別されることもなく、同じ時代の流れの中で生まれた表現としてフラットに扱われている。この点もまた、本展の大きな特徴の一つと言えるだろう。

こうしたフラットな姿勢は、作家の国籍だけでなく、性差に対しても同様に見て取れる。「レンズ2:自己と他者と」と題された章の一つ目の展示室では、西山美なコやシャロン・ロックハート、森万里子、イ・ブルなど、女性作家による作品が集められている。しかしながら、展示室内の解説パネルには、「女性」という文字も、「ジェンダー」や「フェミニズム」といった用語もでてこない。


尹:女性作家という括りでまとめることもできたと思うし、そういう展覧会は過去にもたくさんあります。美術史的に重要な影響を与えた展覧会も多くあります。でも、今回のキュレーションではそうした分類はあまり意識していなくて、集めてみたら結果的に女性作家のみの部屋が一つ出来上がった、というだけです。キュレーションチームの中でも「女性の」といった章タイトルのつけ方は誰も考えなかったし、そのように命名する必要性も誰も感じませんでした。むしろ、そうした括りが必要なくなるのが良いことなのかなと思います。性別というフレームなしに、自然に美術史的な傾向として見れることが理想的ですよね。


最後に尹は、現代美術および美術界におけるポリティカル・コレクトネスへの関心について語った。リベラルな姿勢を掲げがちな美術/美術館だからこそ注意しなければならない問題だといえるだろう。尹が惹かれるのは、鑑賞者の解釈を限定しない、社会とのつながりを持ちながらも視覚的な完成度の高い作品だという。


尹:個人的に警戒したいなと思うのがPC(ポリティカル・コレクトネス)的な作品です。政治的正しさですね。アートや文化に携わる人が取りやすい政治的なスタンスってあると思うんです。例えば、フェミニズムや社会問題に対してアート業界の人たちが取るスタンスには、ある程度決まったコードがあると思います。リベラルな態度、柔軟な態度をとりながらも、美術館の中で展示できる程度のレベルを守る、そういう暗黙の了解があります。

でも、政治的正しさが作品の面白さを保証するわけではないと思います。日本だけじゃなくて、韓国や東南アジア、欧米でもPC的な作品はあります。作品を見る時の見方、答えがすでに決まっているので、そういう点ではプロパガンダ作品と同じくらいつまらないものになる危険性がある。だから、時代の流れを理解していながらも、作品の視覚的な完成度を諦めない作家さんには惹かれますね。

「時代のプリズム:日本で生まれた美術表現 1989-2010」(国立新美術館、2025年)展示風景 
撮影:木奥惠三

注釈

【※1】「時代のプリズム:日本で生まれた美術表現1989-2010

国立新美術館で現在開催中の展覧会。火曜休館、会期は2025年12月8日(月)まで。

【※2】東京国立近代美術館で開催された「フランシス・ベーコン展」(2013年)のこと。

【※3】尹志慧「わたしを変えた展覧会:「KAC Performing Arts Program / LOVERS」(京都芸術センター)」web版美術手帖、2025年4月20日公開

【※4】「遠距離現在:Universal / Remote

出品作家は、以下の通り。井田大介 、徐冰(シュ・ビン) 、トレヴァー・パグレン 、ジョルジ・ガゴ・ガゴシツェ+ヒト・シュタイエル+ミロス・トラキロヴィチ 、地主麻衣子 、ティナ・エングホフ 、チャ・ジェミン 、エヴァン・ロス 、木浦奈津子。熊本市現代美術館での開催後、国立新美術館と広島市現代美術館を巡回した。広島会場での展示の様子は、下記を参照のこと。

遠距離現在 Universal / Remote | ART360°

INTERVIEWEE|尹志慧(ゆん じへ)

国立新美術館主任研究員。国立国際美術館(2015-19年)、芦屋市立美術博物館(2020-21年)を経て現職。「遠距離現在 Universal / Remote」展(2023-24年、国立新美術館ほか)を企画。国立新美術館で開催中の「時代のプリズム:日本で生まれた美術表現 1989-2010」では、香港のM+とともに協働キュレーションを行った。携わった展覧会に、「国立新美術館開館15周年記念 李禹煥」(2022年、国立新美術館)、「芦屋の時間 大コレクション展」(2020年、芦屋市立美術博物館)、「クリスチャン・ボルタンスキー – Lifetime」(2019年、国立国際美術館)など。

INTERVIEWER |山際 美優(やまぎわ みゆう) 

横浜美術館学芸員。1999年京都生まれ。アメリカの戦後の写真集、とりわけロバート・フランクやジョン・シャーカフスキーの作品を対象とし、広くイメージとテキストの関係について研究を行う。