映像人類学が眼差す創造的アーカイブ <後編>

映像人類学が眼差す創造的アーカイブ <後編>

映像人類学者|川瀬 慈
2021.07.26
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映像人類学の視点からアーカイブの可能性を探る映像人類学者・川瀬慈さんへのインタビュー。前半では、映像人類学とは何か、そして「フォーラム型」へと変わるアーカイブのあり方について話を聞いた。後半では、調査対象となるコミュニティや、一般の人を巻き込むアーカイブのあり方について、さらに詳しく聞いていく。

アジスアベバ大学での川瀬作品の上映と討論。被写体の青年とともに。
2018年(写真提供:川瀬さん)

省察型の映像の時代へ

——アーカイブが「フォーラム型」に変化するなかで、映像の撮影方法も変わるのでしょうか?

たとえば、国立民族学博物館のビデオテーク(2階展示場にある映像ブース)の番組をはじめ、当館が制作した作品の大部分が解説型のモードに徹底して立脚してつくられてきました。研究者があらかじめ書いた解説テキストを作品の主軸に据え、それに対応させるかたちで、写真や地図、動画等を挿入していく。この手法は、展示や教育、情報共有の文脈ではとても有効とされてきました。ただいうまでもないことですが、世界は解説されえない、説明されえない現象であふれかえっている。“現実”などというものが存在するとすれば、それは研究者や撮影者の意図や企図を真っ向から覆す魔物です。こちらの意図に抗うエネルギーや力に対峙しながら、自身とそれらの力との“落としどころ”を動的に探っていく。そのようななか生み出されるダイレクト・シネマ(カメラによる撮影と同時録音、ナレーションの不在が特徴)の手法であるとか、カメラの前の人や現象と撮影者の相互作用を前景化し、作品の主要な構成要素にするやり方もある。作品制作の過程や、制作者側と被写体間の、表象をめぐる舞台裏の交渉をあえてみせるような省察型のドキュメンタリー等、博物館展示の脈絡において活用される映像も多様化している現状があります。研究者が研究者としてフィールドワークしながら……いや、研究者という言い方も正しくないかな……研究対象、被写体と同時代を生きる人間として、カメラの前の現象と相互作用する過程を開示する。それによって、よりたくさんの視聴者を惹きつけるような効果もあり得ます。そういった効果を狙った博物館展示における映像もありますね。都内にある考古学にフォーカスしたある大学博物館の展示では、発掘現場のレプリカの上にモニターをつけて、考古学者が現場で発掘をしながら発掘品について逐一解説する映像を展示に組み込んでいました。研究者が発掘しながら、身振り手振りで物語ります。展示物も面白いですが、どういうものが、どう発掘されて、研究者のどのような試行錯誤に基づき展示として構築されていくのか、その過程を省察的にみせ、来館者・視聴者とともに考える構成になっている。

映像作品の制作過程でも、被写体にフッテージを見せながら議論すると、本当に面白いです。こちらが予想だにしなかったような新たな情報が提示される。この行為を通して撮る側と、撮られる側の心理的な距離が埋まるということもあります。川瀬はこんなことを考えて、こういうアプローチで、そこに迫っているのか。じゃあ、こういう撮り方もできるよ、というような具体的な提案をアフリカでの撮影の脈絡で何度もうけてきました。制作過程において、制作する作品のありかたについて研究者・被写体間で議論する様子を省察的に見せる映像も増えています。

——360°映像などVR(ヴァーチャル・リアリティ)は映像人類学には入ってきていますか?

まわりの研究者仲間で、試しているのが何人かいますが、まだ少ないです。VRの到来によって、どういう研究が可能になるか興味深いです。研究者の創意工夫以前に、機材が研究者の立ち居振る舞いを規定したり、決定していくこともあると思います。この十数年を振り返ると、スマホで民族誌映画が撮れてしまうというのが大きな変化でした。iPhoneで映画が撮れるわけです。今まで簡単には撮れなかったプライベートかつ親密な人間関係や時間の流れが記録されるようなこともある。モノ、機材の変化によって撮り方のアプローチや、記録されうる現象が変わる。ただし、カメラだけ創造的にどんどん進化しても、撮影された内容、そのクオリティを表現しうる上映環境が整っているとは限らないですね。上映の環境も慎重に検討したうえで、それに呼応する、VRの活用の可能性を考えることが大切かもしれません。


変化のなかにある国立民族学博物館

——国立民族学博物館の教育普及の活動でも変化はありますか?

研究者が一方的に情報を提供するだけでなく、教育現場にいる先生や生徒たちが主体的になって資料を組み立て、活用してもらうような取り組みもあります。国立民族学博物館では、「みんぱっく」(https://www.minpaku.ac.jp/teacher/school/minpack)という資料の貸し出しを約20年程やっています。

例えば僕がエチオピアで集めてきた衣服とか。エチオピア北部のアムハラの人たちがどんな生活をしているか、特にどんな服をどのようなときに装っているかを学ぶような学習キットとか。ジュエリー、アクセサリー、靴なども含めて、スーツケースに入れて、小中高などの教育現場で活用していただきます。無料で借りることができます。資料について解説するDVDやノート、論文、出版物なども入っています。それを、ご自由にお使いください、と。受け取った側が主体的に、授業を組み立てていくためのツールです。エチオピアの他にもイスラム教とアラブのくらし、ジャワ島の装い、アイヌ文化、イヌイットやモンゴルなど様々なテーマのもと16種類ほどあります。

「みんパック」では博物館の資料を実際手に取り、使用することができる。

——「収集」面での変化はいかがでしょう?

博物館にとってモノや情報の収集は重要な営みですが、それらを広く社会と共有し、新たな知を生成させるデバイスとして位置付ける方法論の模索が盛んにおこなわれています。同時に、世界各地の博物館を見渡すと、不当に博物館にもちこまれた文化財、収蔵品のリパトリエーション(返還)という問題が、無視できないものとなっていると思います。しかし、それらを現地社会や人々に還す、といってもそう簡単じゃない。なぜそのようなことが起きたかの歴史的検証にはじまり、返還のされかた、返還後の措置・フォローアップについての議論はつきることがありません。


アーカイブをいかに創造的に活用するか

——アーカイブの今後の可能性について、川瀬さんはどのように考えますか。

アーカイブの映像に関していうなら、研究目的での活用のあり方の追求と同時に、研究の脈絡にとらわれない創造的なアーカイブ映像の活用のありかたも模索されてしかるべきです。たとえば2012年以降、日本で展開している、"ECフィルム活用のムーブメント”には目をみはるものがあります(http://ecfilm.net/)。1950年代前半から1990年代に至るまで、ドイツ国立科学映画研究所が制作した映像の百科事典「EC(Encyclopaedia Cinematographica)Film」があります。これは、民族学をはじめ、科学技術、生物学における多様なテーマのフィルムによって構成されています。同研究所が中心となって体系的に制作、収集、保存してきたこれらのフィルムは、世界各国で研究と教育に活用され、民族誌映画の様式に極めて大きな影響を与えてきました。しかし近年、フィルムという形式や、前時代的ともみなされやすいストイックな科学映画スタイルが障壁となって、本国ドイツはもとより、映像人類学の論壇のなかで、EC が注目されることはなかったのです。そんな EC フィルムが科学のくくりから解放され、時空を超えて、ここ日本で新たな意味と価値を与えられています。例えば、コンテンポラリーダンスのアーティストにこのEC映像をみせ、新たなダンス作品を創作してもらったり、モノづくりの過程を記録した映像をみながら、実際にそれらのモノ、たとえばバスケット、編み物等の制作を実践するワークショップをひらいてみたり、実験映画や最近制作されたドキュメンタリー等と並列させて展示し、ECフィルムに潜在するまた新たな価値を掘り起こす試みを行ったり...。科学映像が、新たな創造を可能にさせるインスピレーションの装置となる。ある種の実験ですよね。研究者がアーカイブ映像を淡々と分析し論文を書くだけではない。社会にひろく開かれたアーカイブとは何か、について考えさせられます。

——アーカイブを生きたものにしようとする取り組みですね。

その通りです。アーカイブのあり方、活用のあり方とはいったいどういうものなのか、目の前に問いを突きつけられる時代にいるのかもしれません。また近年、アートと学問の融合、方法論のエクスチェンジについての議論が盛んになっています。その両者の実践の還流する場所にあるのが映像人類学といえます。知を交流させ、議論する既存の学術のシステム、制度を疑っていく必要がありますね。映像人類学は人類学の一分野という位置にとどまらず、人文学全般の”立ち居振る舞い”のあり方についてラディカルに問題提起できるものだと思います。面白い展開がまだまだ可能だと思いますね。

アジスアベバ大学での講義を終え学生たちと休憩をとる川瀬さん 2018年(写真提供:川瀬さん)


INTERVIEWEE|川瀬 慈(かわせ いつし)

映像人類学者。国立民族学博物館/総合研究大学院大学准教授。1977年岐阜県生まれ。
エチオピアの吟遊詩人の人類学研究、民族誌映画制作に取り組む。人類学、シネマ、アート、文学の交差点から人文学における創造的な叙述と語りを探求する。

近年は、国際ジャーナル TRAJECTORIA の編集、Anthro-film Laboratory の共同運営を行い、客員教授としてハンブルグ大学(2013年)、ブレーメン大学(2014年、2016年)、山東大学(2016年)、アジスアベバ大学(2018年)等で映像人類学の理論と実践について教鞭をとる。

主な著作に『ストリートの精霊たち』(世界思想社、2018年、第6回鉄犬ヘテロトピア文学賞受賞)、『あふりこーフィクションの重奏/遍在するアフリカ』(編著、新曜社、2019年)。代表的な映像作品に『僕らの時代は』『精霊の馬』『Room 11, Ethiopia Hotel』(イタリア・サルデーニャ国際民族誌映画祭にて「最も革新的な映画賞」受賞)。


INTERVIEWER|末澤 寧史(すえざわ やすふみ)

ノンフィクションライター・編集者。1981年、北海道札幌市生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。出版社勤務を経て、2019年に独立。2021年に出版社の株式会社どく社を仲間と立ち上げ、代表取締役に就任。共著に『わたしと平成』(フィルムアート社)、『廃校再生ストーリーズ』(美術出版社)ほか多数。Yahoo!ニュース 特集「『僕らは同じ夢を見る』—— 北海道、小さな森の芸術祭の10年」ほか取材執筆。三輪舎から創作絵本『海峡のまちのハリル』を刊行予定。