ビデオグラファーの記憶術:場所・もの・人を記録する 〈後編〉

ビデオグラファーの記憶術:場所・もの・人を記録する〈後編〉

Ufer! Art Documentary代表・映像家|岸本康
2024.04.18
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1990年代より現代美術の記録映像の制作に携わり、美術作家の技術的サポートや美術館でのインストーラーとしての役割も担ってきた岸本康さん。後編では、撮影の基本スタイルと原美術館及び京都市美術館の記録映像の裏側、今後見据えるアートドキュメンタリー及び美術館のあるべき姿について伺った。

岸本が最近使用している機材。横尾忠則現代美術館にて(2023年撮影)

アートドキュメンタリーの現在

様々な作家や美術館と協働しながら、現代美術の記録映像の制作に長年携わってきた岸本であるが、普段はどのようにして撮影に挑んでいるのだろうか。


「撮影は、ひとりで行うのを基本にしてます。2人、3人いないと撮れない場合とかは、来てもらって一緒に撮影することもありますが。山登りでもそうだと思いますが、2人、3人で行ったら楽に思えるでしょ? ところが、人任せになっちゃうことがあるんですよ、どうしても。山の遭難も、大体そういうことから起こるんです。この人に頼んどけば大丈夫やと思ってたら、いつの間にかふたりともそう思っていて、道に迷っていたり。制作も同じで、自分が思い描いている通りにやりたい場合は、自分ひとりでやった方がいいんですよね。時間さえあればね。任せられる人がなかなかいないというのもあって、自分でできるとこまでやるというのが基本のスタイルです。」

岸本が最近使用している機材。京都市美術館の開館90周年を記念する対談の収録のようす(2023年撮影)

「なるべく装備を軽くして、単独登山する」ソロクライミングのスタイルが岸本の基本姿勢である。クルーでの撮影では、どうしても機動力が落ちてしまう。しかし、そのためには撮影した映像をどう使うかという編集作業のことも考えなければいけない。あらゆるプロセスや責任を一手に請け負う岸本流の仕事術である。

岸本は、動画、映像を主な記録媒体としているが、静止画、写真による撮影には関心はなかったのだろうか。


「要望があれば撮りますが、仕事として受けることは少ないです。写真は写真を撮る方がおられるので、その領域にまで入っていっていいのかなというのもあって(笑)。今は静止画も動画もどっちも撮れるカメラを使っているので、要望があればもちろん撮りますし、平面作品を撮影するときは、動画にする場合でも静止画で撮っておくこともあります。なので、そこに領域の垣根があるわけではないんですけど、静止画でいいものと、動画でないとわからないものとあるので。部屋の雰囲気とか、入っていって見渡す感じとかは、やっぱり動画の方が残りやすいと思います。」


岸本は、現代美術の作品を撮影する際に心がけていることを、「なるべく作品を理解した方がいいんですけど、わけのわからないものもありますよね。そのような作品の場合は、空間とか雰囲気、それが残るようにはしてますね」とも語る。作品のある「空間」や、それにまとう「雰囲気」は、映像でしか残せない記録といえるだろう。岸本は、そんな自身の職業を「映像職人」あるいは「映像家」であると称する。


「例えば「アーティスト」という言葉も、日本語の場合、範囲が広すぎますよね。テレビで歌を歌う人もアーティストだし、美術を熱心にやっている人もアーティストだし。色んなタイプの人がいるのに、それをひっくるめて簡単に使っていいのかなとも思います。そういう意味では、森村さんとかは「美術家」を名乗っておられるし、杉本さんも「現代美術作家」とされていますよね。僕自身は、「映像作家」とは名乗ってなくて、どちらかというと「映像職人」に近いと思っています。基本的には何でもできるようにしているので、あるいは「映像家」と名乗るようにしています。2015年にビデオサロンから『ビデオグラファーの制作術』【※1】という本を出したんですけど、「ビデオグラファー」というのは編集部の方から打診があって使ったもので、僕はあんまり意識していないです。でも、そこから急速的にミラーレス一眼レフが発達して、簡単に映像を制作できるようになったので、「ビデオグラファー」とされる人は増えてきました。」

著書『ビデオグラファーの制作術』(2015)
2024年現在、Kindle版のみ販売している。

技術向上により映像制作における撮影や編集が簡便化したのと同時に、コロナ渦を経て、映像による美術作品及び展覧会の記録の需要は高まっている。映像家・岸本の注目する昨今の国内の美術館による記録映像の例について伺った。


「京都市美術館では、学芸員がコレクションを紹介する「キュレーターズトーク」【※2】というのがあって、ひとつひとつの作品の解説をするものなんですが、現時点で36本アップされているかな。ちょっとそれは変わっていて、京都市美にはラーニング担当の藤田龍平さんという方がいるんですけど、彼がキュレーターに質問を投げかけながらトークをするものです。掛け合いのような感じでカジュアルに解説が聞ける、いい試みだと思います。『ぶらぶら美術・博物館』【※3】まではくだけてないけど(笑)。あとは、横尾忠則現代美術館。毎回会期中の前半のうちに、キュレーターが展覧会のほとんどの内容を紹介するギャラリートークの動画【※4】をあげていて、20分くらいのちょっと長めのものなんですが。しっかりと映像で見せることによってお客さんが増えるということに気づかれて、ちゃんと英語の翻訳もつけて公開されてます。好循環を生んでいる例だと思いますね。」

美術館の歴史を記録する

近年岸本は、原美術館の閉館に際して過去20年間の記録映像をまとめた『OUR ART MUSEUM −品川にあった 原美術館の記憶−』(2021)【※5】や、京都市美術館のリニューアル事業に際しての記録映像【※6】といった美術館そのものの歴史や記憶を記録した映像を制作している。これらは、どのような構想のもとに制作されたのだろうか?


「原美術館の方も、構想はなかったんです。森村さんの最初のドキュメンタリーを作っていて、2002年やったかな、原美術館に撮りにいったんですよね。フリーダ・カーロがテーマの展覧会で、僕も映像制作に携わっていたんですが、『撮りにくるんやったら、ちょっと早い目に来てインストールてつどうてくれへん?』と森村さんから話があって。行ったらですね、夜8時頃になってもなかなかみんな終わらへんし、『岸本さん晩ごはんどうする?』って僕の分まで美術館の人たちが用意してくれて。これってまだ働かなあかんのかなって思ったり(笑)。そんな感じで見てたら、みんな熱心にすごい楽しそうにやってはるんですよ、夜になっても。これって大人の文化祭やんって思って(笑)。それは、他の美術館にはなかなかなかったので、これは記録しとかなあかんのかなと思ったのが大きかったです。」


もちろん、その時は原美術館が閉館することになるとは予期していない。しかし、それ以後も束芋やピピロッティの展示も手伝うことにもなり、その都度撮影は行っていた。当時、原美術館のウェブサイトには作家のインタビューを載せるページがあり、その制作を担当していたことも撮影の動機のひとつであったという。しかし、移転が発表されたのは、突然のことであった。


「急に移転が発表されたのが、2019年くらいですよね。最後に館長の原俊夫さんのチョイスによるコレクション展【※7】が開催されたのが2018年だったと思うんですけど、その時はまだ公表されてなかったんですよ。このコレクション展は、前期と後期の2期に分けて開催されたんですが、原さんが自分のチョイスでコレクションを展示するというので、これは撮っておくべきだなと思ってたまたま撮ってたのがよかったんですよね。あの空間で見られる最後のコレクション展がきちっと映像で残っているのでね。」


原美術館の終幕はコロナ渦中にあり、最後に訪れることのできた人は、予約制で1時間ごとに50名ずつ程のごく限られた人たちのみであった。『OUR ART MUSEUM』では閉館の瞬間が収められており、最後に残った50名ほどの来館者と館の関係者たちの拍手によって締め括られている。その他にも、岸本が「たまたま」カメラを構えていたがために、残すことのできた貴重な映像も収められている。


「杉本展【※8】の前夜に、館内向けのレクチャーがあって、原俊夫さんが出てこられていました。杉本さんが原さんに話をふったら、昔のことを結構長いこと話してくださって。あれって他ではあんまり話されないことだったみたいで。それはとても良かったなと思いました。『岩崎さんの家とここの家だけが残りました』と仰ってますが、岩崎さんというのは三菱の岩崎さんですからね(笑)。」

杉本展の館内レクチャーでの杉本博司〔1番左〕と原俊夫〔左から3番目〕(2012年撮影)

その時々の記録すべき対象に対する先見の明に驚くが、岸本は「縁があって、面白いなと思ってやってたことが、たまたま映像としてかたちになって残ってる」と語る。京都市美術館の映像も、同様に生まれたという。


「2000年に『OUR MUSEUM』というのを元々作っていて。映画祭でポンピドゥーセンターに行ったときのことなんですが、訪れた関係者や作家にパリの全ての美術館で使えるタダ券をくれるんですよ。すごいでしょ(笑)。色んな美術館に中川くんとふたりで見に行きました。その中で、パリ市立近代美術館に行ったときに、建物の内部空間が京都市美にすごく似ているなと思ったんです。当時、京都市美がもう少しちゃんと使われるようにならへんかなと思っていて、空いた時間を使って京都市美の記録もやっていたんです。その頃は、学芸課の人たちも『できそうならお願いします』みたいな感じで、割と自由だったんです。今みたいに著作権云々とかはなくて。その映像を貯めてた頃に、ふたつの美術館が似ていることに気付いたので、パリの美術館の人に構想を伝えて、『日本の美術館と比較して、映像をつくってみたい』と言ってみたんです。すると、『面白い企画やから来たら?』という話になって、取材させてもらえることになったんです。」

こちらはUfer! Art DocumentaryのVimeoのチャンネルでも見ることができる。
『OUR MUSEUM (あなたにとって美術館とは?) 京都市美術館/パリ市立近代美術館』



『OUR MUSEUM』では、パリ市美の他に、ジュ・ド・ポム国立現代美術ギャラリー、ポンピドゥーセンター、パレ・ド・トーキョー国立アートセンターへの取材が収録されている。その内容としては、結果的に日本の美術館の体制の不足を、その歴史を踏まえながら指摘するものとなった。今回新しく制作した京都市美術館の記録映像は、『OUR MUSEUM』で既に語られたことをもう一度検証した試みでもある。

岸本いわく、京都市美術館の記録映像の制作に対する原動力はふたつあったという。


「ひとつは、京都市美術館ができる90年前の議事録が残ってたんです。どのような美術館をどのようにしていきたいか、ということが割りと綿密に残っていて。その議事録によると、会議には行政の人たちに加えてオブザーバーとして色んな作家の人も参加してるんです。今は、行政機関は議事録を残さないけれど、やっぱり昔のことを知ることによって将来の人が動かされるということはあると思います。それと、2017年に美術館のワークショップが結構頻繁にあったんです。休館中の壊されていく建物を使ったワークショップを毎月くらいやられてたかな。そこに来る人は美術館の熱心なファンで、みんな美術館のことをよく知ってるわけです。その人たちに応えられるようにしないとだめかなと思って、それも原動力になりました。」


公開された映像は3時間弱に及ぶ大作である【※9】。全体として、美術館の展望だけでなく問題点をも明らかにするような、岸本の批評精神が貫かれた作品となった。それだけでなく、同作に収録された京都アンデパンダンの旗手、植松奎二や染織家の森口邦彦の語るエピソードは、映像を部分的に見るだけでも価値のあるものといえる。

公開時期が近く、美術館という箱そのものの記録を対象としている点で共通している、原美術館及び京都市美術館のふたつの映像作品であるが、相互に関係はあるのだろうか。


「編集したのは、コロナ禍になってからの大体同じ時期です。こもった生活だったからこそ、まとまった時間があったので、あれだけの長いものができたかもしれないです。でも作り方は違っていて、京都美術館の方は、リニューアルの工事の記録と、そこに関わった人へのインタビューで構成しています。どちらにも共通することは、音楽とナレーションを使っていない点です。それで長時間もたすのは難しいんですが、美術館の音ってすごく重要だなと僕は思ったんですね。というのは、コロナ禍になってからニューヨーク近代美術館が音だけでギャリートーク【※10】を無料で配信していたんです。ポッドキャストみたいな感じですね。それを聞いたときに『あ、MoMAの音やな』と思ったんです(笑)。」

こちらはUfer! Art DocumentaryのVimeoのチャンネルでも見ることができる。
岸本康監督『OUR ART MUSEUM −品川にあった 原美術館の記憶−』(2021) 
 

「京都市美術館リニューアル事業記録映像」

今後のアートドキュメンタリーに向けて

岸本の制作する記録映像の特徴は、あくまで客観的な視点で映像言語によって語らせる点であるといえる。つまり、ナレーションによって解説を付けたり、音楽によってドラマチックに演出するのではない。昨今は日本でもアートドキュメンタリーとされるものも増えてきたが、その実情は未だ厳しい。


「テレビ番組も含めて、解説的なものが多すぎますよね。ヨーロッパのARTE(アルテ)【※11】のような芸術チャンネルが日本にはないので、そのためかもしれませんけど。元々ナレーションとかテロップに頼る文化があるので、その点は美術を映像化するには厳しいところかなと思いますね。もちろん、作品のタイトルや作家名を入れるのは必要だと思うんですが、それ以外のことでわざわざナレーションを入れなくてもわかるのにとは思います。リテラシーの問題かもしれませんが、その辺りはまだまだ変わってないですね。やっとNHKもノーナレーションの番組【※12】とか作ったりしてますけど、ああいうことが民放で行われないとなかなかね。スポンサーになる会社が出てくればいいですけどね。」


その他にも、記録した映像の作品を所蔵したり閲覧に供する施設の普及も望まれるという。


「京都の美術館ってビデオブースがあるとこがないんですよ、図書館もないですしね。「Kyoto Art Today」でも、京都市立芸術大学の資料室が最初は買ってくれましたけど、あそこもそんなに予算がなくて。中之島にある国立国際美術館では、島敦彦さんが今は館長をなされてますけど、島さんが学芸員の頃にはちゃんと買ってくれましたね。移転前に万博記念公園にあったときには、ビデオブースがあったんですよ。今はちっちゃい図書館にスペースがあるだけですけど、当時の方がわりと力を入れていたんです。」


また、様々な美術館とも仕事をしてきた岸本であるが、海外の美術館の事例と比較すると、日本の美術館の制度には大きな不足点もあるという。


「日本では、美術館にインストーラーがいる館が今のところは少なくて。キュレーターとインストーラーというのはペアで、展覧会を立ち上げるのに必ず必要な人で、海外の有名な美術館には基本的にいるんですよ、インハウスで大工さんとかもいるんです。これは、いるといないとでは全然違っていて。結局なんでインハウスが良いかっていったら、その人たちも育つんですよ。ということは段々展覧会のクオリティがあがるんです。自分の館のコレクションに関しても、ちゃんとその人たちが理解して、メンテナンスもできるという。」


日本の美術館にも常駐するインストーラーが全く存在しないわけではない。水戸芸術館や金沢21世紀美術館にはそれぞれひとりずつ常駐する職員がいるが、ストックホルム近代美術館には11人もいるというから、その差は歴然であろう。同館では、アレクサンダー・カルダーの大掛かりな彫刻作品《The Four Elements》(1961)がいつも動いていたりなど、コレクションの展示にも抜かりがない。日本では、スーパーファクトリー【※13】といったインストーラーを担う業者も存在するが、とりわけ公立の美術館の場合は業者の選定プロセスにも問題がある。


「水戸の廣川隆史さんはもう定年近くなので、今後どうされるかはわからないんですが、金沢には児玉賢三さんというインストーラーの方が学芸課にいます。元々作家志望の方なんですが、すごく手先が器用で、自分で仮設の壁とかたてられるんですよ。それくらい大工仕事もできる人なんですけども、児玉さんと色んな人の作品をインストールするということもしましたね【※14】。あと、スーパーファクトリーのような会社は、最近だと日本でも他にいくつか立ち上げられたりしてますね。増えてはきてます。でも、特に公立の美術館の場合は、入札制度なんですよね。だから、どの業者がとれるかわからない。美術館側も、この人たちをとってくれたら展示が実現できるんやけど、みたいな構想を持ってることがあるんですが、稀にとれなかったりするんですよ。一々プロポーザル方式にもできないから、予算もあるし難しいところですけど、見直さないといけない問題だと思います。」


改めて岸本は、映像制作に関してもインハウスの必要性を説く。


「今後は映像制作も内作しないといけないと思っています。インハウスでやることによって、今まで撮れなかったものが撮れるので。あとは予算ですよね。人材と予算がないとそれができないので、日本の美術館でやってるところはないですね。でも海外ではやっているところがあって、ルイジアナ近代美術館のLouisiana Channel【※15】なんかはクオリティがめちゃくちゃ高いんですよ。」

New videos on art and culture every week | Louisiana Channel
Vimeoでも同様に複数のインタビューを見ることができる。インタビューの一覧はこちら



岸本は美術館に所属して「インハウス」で仕事を行っているわけではないが、その仕事のスタイルは、作家や美術館の学芸員との信頼関係によって成り立っているものであることは間違いない。


「単発で受ける仕事ももちろんありますけど、美術館の人たちも僕のことわかってくれていて、依頼してくることが多いので、依頼された仕事だけじゃなくて他の付随する仕事に、巻き込まれてしまうというか。美術館の人たちの方が『巻き込んじゃうよ』みたいな(笑)、そういうことが多いんですよ。だから全然違うところまでアドバイスを求められたりしますが、そこを楽しめるかどうかの世界なので。楽しんでやってます(笑)。」


「アートドキュメンタリー」という言葉を聞くようになって久しい。しかしながら、国内での取り組みは発展途上の最中にあるといってよい。岸本の30年のキャリアは、その技術力はさることながら、偶然の機会や、人々との縁によって培われたものでもある。それらを拾い上げ、結びつけることこそが彼の記憶術であるといえるだろう。


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関連情報

Ufer! Art Documentary
(URL最終確認2024年4月17日)

Ufer! Art Documentary  Youtubeチャンネル
(URL最終確認2024年4月17日)


注釈

【※1】岸本康『ビデオグラファーの制作術』(玄光社、2015) 
(URL最終確認2024年4月18日)

【※2】各作品のキュレーターズトークは、同館のYouTubeチャンネルで公開されている。
(URL最終確認2024年4月18日)

【※3】2010年4月から2023年9月までBS日テレで放送されていたバラエティ番組。 
(URL最終確認2024年4月18日)

【※4】各展覧会のギャラリートークは、同館のYouTubeチャンネルで公開されている。
(URL最終確認2024年4月18日)

【※5】岸本康監督『OUR ART MUSEUM −品川にあった 原美術館の記憶−』(2021)  
(URL最終確認2024年4月18日)

【※6】「京都市美術館リニューアル事業記録映像
(URL最終確認2024年4月18日)

【※7】原美術館でパート1を2018年1月から3月に、パート2を同年3月から6月にかけて開催された展覧会「現代美術に魅せられて ─ 原俊夫による原美術館コレクション展」のこと。
(URL最終確認2024年4月18日)

【※8】 原美術館で2012年3月から7月にかけて開催された、「杉本博司 ハダカから被服へ」展のこと。

【※9】公開されている映像の尺は、2時間50分弱。しかし、当初京都市がプロポーザルで提示していたのは長編で30分程度であったという。

【※10】ニューヨーク近代美術館のホームページでは、キュレーターによるコレクションについてのオーディオガイドを公開している。
(URL最終確認2024年4月18日)

【※11】ARTE  
(URL最終確認2024年4月18日)

【※12】2016年よりNHKで不定期に放送されている、ナレーションのないドキュメンタリー『ノーナレ』のこと。
(URL最終確認2024年4月18日)

【※13】本メディアでも、スーパーファクトリーの代表を務める佐野誠氏へのインタビュー記事を公開している。「現代美術の裏に彼らあり。スーパーファクトリーの仕事
(URL最終確認2024年4月18日)

【※14】金沢21世紀美術館のトイレに常設されているピピロッティ・リストのオブジェ作品《あなたは自分を再生する》のアクリル板が盗難された際にも、岸本は児玉とともに、盗難防止のための処置をおこなったという。

【※15】Louisiana Channel 
(URL最終確認2024年4月18日)

INTERVIEWEE|岸本康(きしもと やすし)

Ufer! Art Documentary代表。1961年京都生まれ。大学卒業後、メーカーで6年間勤務。1992年に自営で現代美術のギャラリーを開始すると同時に現代芸術を被写体とする映像制作を始める。徐々に映像制作に重点が移り現在に至る。現代芸術の記録映像の制作、現代美術の映像作品を作る作家の技術サポートを行う。

WRITER |山際 美優(やまぎわ みゆう)

京都国立近代美術館研究補佐員。同志社大学大学院文学研究科美学芸術学専攻博士前期課程修了。アメリカの戦後の写真集、とりわけロバート・フランクやジョン・シャーカフスキーの作品を対象とし、広くイメージとテキストの関係について研究を行う。現在は+5編集部で校正を担当するほか、記事の執筆にも携わっている。