美術家だけでなく、様々な顔を持ち活動する矢津吉隆が、いま気になるアートネイバーを訪ねて語る「隣人と語ろう」。第1弾は、オルタナティブスペース「yuge」を運営する、コニシムツキさんに話を伺った。
矢津:実は以前から、作家活動の一方でディレクター業も行い、さらにスペースも持って、同じ京都で活動しているコニシさんにシンパシーを感じています。同じ視点もありつつ、自分とは異なる視点で活動されているところもあるのかなと思っていました。本日のインタビューではyuge(ゆげ)の活動を中心に伺いつつ、コニシさんの他の活動や、現在点について紐解いていけたらと思っています。
まず、yugeを始めた当時のことからお聞きしたいのですが、京都芸術大学の総合造形コース在学中にスペースを始めたんですよね。
コニシ:2017年の4月、学部の3回生になったタイミングだったと思います。店舗スペースの奥に住居がある変わった物件を下鴨で見つけて、友人とルームシェアをしながらそこで何かやろうと、勢いのままに始めました。そこでは5年ほど、主に展示スペースとしてやっていました。大学卒業時には仕事をどうするかなど葛藤しつつも、結果的に今まで続けてくることができました。
矢津:もともと自分のスペースをやりたいという思いがあったんですか。
コニシ:そうなんです。僕は、北海道の山奥、音威子府村にある北海道おといねっぷ美術工芸高等学校【※1】という全寮制の美術系の高校に通っていました。そこで共同生活を送っていたので、ものづくりをする人たちの共有空間やその居心地の良さを肌で感じていて、そういう場所が必要だという実感が当時から強くありました。大学に進学して京都に来て、ああいった場所があったことは魅力的だったなと改めて思っていました。
下鴨の場所を借りたときは、起業とか大層なことではなくて、展示をしてもいいし、イベントをしてもいい、開けた場所にしようとだけ考えていました。
矢津:全寮制で美術系というのはめずらしいですね。yugeは一人で始めたんですか。
コニシ:はじめは同居人と一緒にやろうとしていたのですが、モチベーションの差があったりして。最初の同居人は卒業したら東京に行ってしまったので、結果的に動かしていくのは一人でした。僕にとってその場所がどんどん大事になっていったことも、一人で続けていくた理由だったと思います。
矢津:なぜ「yuge」と名付けたのでしょうか。
コニシ:語感のよさがひとつあります。それと最初の構想として、京都には学生作家がたくさんいるけれどお金がないので、彼らに手が届く料金設定で、同世代の自分が運営していて、歳の近いスタッフと話をしながら展示を作っていけるような場所があったら。そして若手作家がどんどん集まって、入れ替わって、盛り上がって行ったらいいなと考えていました。まだ誰も知らない作家が水面下で集まって熱を持つことで、ここに誰かいるぞと狼煙が上がるようなイメージです。旗を揚げたり花火を上げるような派手な感じではなく、ふつふつと存在を知らしめていけたらいいな、と。
矢津:「オルタナティブ」という言葉と「yuge」という柔らかさの組み合わせはなぜなんだろうと思っていたのですが、そういうことだったんですね。
コニシ:僕はアーティストとして作品を作っていますが誰かの絵画作品を見るのも好きだし、演劇、落語、映画、その他さまざまな文化に関心があります。京都造形大(現:京都芸術大学)には多様な専攻があって、美術やデザイン以外にも舞台を作る人たちや、映画を撮る人たち、服飾系にゲーム制作と、いろいろな表現者がいました。それに京都市内には他にも大学が数多くあって、学生や表現者がもっとたくさんいる。なので、ワークショップやちょっとした演劇とか、ジュエリーを作っている人たちのポップアップショップなど、使い方を限定しない場所のほうがきっとおもしろいだろうという考えもあり、「ギャラリーyuge」ではなく「オルタナティブスペースyuge」と名付けました。でも、ちょっとずるい名前ですよね、オルタナティブスペースって。
矢津:yugeをつくったときに参考にした場所やイメージはありましたか。
コニシ:もう畳んでしまったのですが、梅小路エリアで山口和也さんという作家がやっていたtrace【※2】というスペースには衝撃を受けました。演劇をやったり、ライブペイントと即興演奏を同時に行うパフォーマンスをしたりしていて、いわゆるレンタルギャラリーとも違う、美術館のような場所でもない、コマーシャルギャラリーのようなカチっとした感じでももちろんなくて。こんな、枠にとらわれない場所もあるんだと、京都に来て最初の衝撃でした。
矢津:traceは山口さんが運営していたアーティストランスペースですね。コニシさんもアーティスト活動をされていますが、作家として作品を作るだけでなくスペースを持つことについて、どういうふうに捉えていますか。
コニシ:学部生の頃、自分の制作をどうしていくかと考えていた時期に場所を持つことになったので、明確な線引きがないまま同時並行してきたところがあります。僕の制作は人の会話やコミュニケーションのズレ、イメージのズレ、先入観などを取り上げることが多く、人と人が関わっていく中での通じている部分と通じない部分や、誤解する部分、過信している部分といったところに関心を持っています。なので、yugeで展示をする作家さんと話をしながらその方の感じをつかんでいき、話し合いながら展示をつくっていくことは、自分の制作にも循環するところがあると思っています。
矢津:作品のテーマ性と、yugeで実際に起こっているコミュニケーションや対話が自身の作品につながっていくし、ある意味で活動そのものが作品と言えるような状況になってきているということなのでしょうか。
コニシ:もしかするとyugeをやっていたからこういった作品になっていったのかもしれませんし、そういったものに関心があったから結果的にyugeがこういう形になっていたのかもしれません……。自分でも、どちらが先かわからないんです。
矢津:すごく共感します(笑)。僕も、はじめは自分の作品ではないと思っていたkumagusukuがもしかしたら作品かもしれないと思うこともあって、だんだんわからなくなってきました。同じく線引きを曖昧にしてきたので、それによっていろいろ巻き起こってくるものが、これって作品につながるのかとか、そういうふうに思うタイミングが多かったですね。
矢津:2024年4月に、下鴨から東山へ移転されましたが、何か理由があったのでしょうか。
コニシ:大学卒業後、外部のスペースでディレクターとして雇用されて展示の企画をする仕事をするようになったときに、当たり前ですが学生がなんとかDIYで作ったスペースよりも、民間のスペースのほうが立地がよく、展示もしやすくて広くて綺麗だと思い知りました。それからは、作家さんに企画を提案するにも、自分の場所に引け目を感じるようになってしまって。とはいえそれでも自分のスペースを動かし続けたい気持ちもあるし。そういう葛藤でいっぱいいっぱいになってしまったんです。それで、当時の場所で無理に続けるのではなく、一旦畳むかリニューアルする形にしようと思い、結局移転することにしました。でも仕事も続けながらひとりで全部をやっていくのは精神的にも体力的にも大変だと思い、他の分野で頼れる人たちに、一緒にやらないかと声をかけたんです。他の視点や技術を持った人たちと一緒にやることで、もっといろいろなことができる場所に拡張していけたらいいなと。
矢津:それでは、今の運営体制としては複数人のコレクティブ的なやり方に再編されたわけですね。
コニシ:はい。メンバーは、建築家として設計や施工などをしながら作家活動をしている松原元さん、デザイナーやPAの仕事をやりながら音響作品を制作するミュージシャンの斎藤悠麻さん、もう一人は映像オペレーターや映像制作仕事をしている福岡想さん、そして僕を入れて全部で4人です。運営チームという形にするのか、キュレーションチームのような肩書をつくるのか、コレクティブとしてやっていくのかなど、話し合ってはいるのですがまだ形が決まらないまま、今に至ります。それぞれさまざまなスキルを持っているので、設営から企画、広報、アーカイブまでできたらいいなと話してはいます。とはいえ全員が作家活動をしているわけではないので、アーティストコレクティブともまた違うんですよね。
ワークショップや企画をやるときには4人で案を出してブラッシュアップして、テクニック的なところもそれぞれの分野で持ち寄りながらやっています。自分たちがどういう存在なのか僕ら自身もまだわかっていないのですが、スペースを持っているチームとして、ここからまだまだいろんなことができそうだなという予感はあります。
矢津:4人体制になってから、奈良の奥大和地域で2023年秋に開催されたMIND TRAIL【※3】に参加されましたね。僕もエリアディレクターとして関わっていましたが、体制が変わってからyugeがどういうことをやるのかとても興味深く見ていました。それにyugeという名前で作家として参加していたので、どういうふうな心持ちで参加されていたのか、お伺いしたいです。
コニシ:ディレクターのひとり、吉田山さんに「出張でyugeをやりませんか」と声をかけていただいて、銀行跡地で「石疎通センター」という作品を展示しました。チームだったからこそ、車を出したり、作品や機材を運んだり、大変な作業もできたところもあったと思います。
この作品は銀行を会場にしているのですが、メンバーと外部の作家の作品を一緒に展示して、鑑賞者は近くの河原で拾った石と展示作品を交換することができます。銀行跡地のある下北山村に初めて行ったとき、銀行の下見をしながら、河原で水切りをしたり、石を積んだりして遊んでいることが楽しくて。その時に河原で良い石を手に取った感覚と、作品を鑑賞して心が動いたり購入したりする感覚は、それぞれ延長線上にあるんじゃないかという話になったんです。それでこの展示では、美術作品と、河原の石を交換するような仕組みを作りました。
鑑賞者は河原で石を選ぶのですが、そこには「これは良い石だ」というその人が認める保証がついています。その価値を、我々(石疎通センター)が認めることで、鑑賞者と対等にやり取りすることができる場をつくれないか、と話が進みました。
矢津:貨幣というものを通じて価値の交換をする場所としての銀行というところに、違った価値の交換のようなものを持ち込んだんですね。
コニシ:そうです。石と作品を交換した鑑賞者には「換石証明書」を書いてもらいました。鑑賞者が個人情報を提出して、作品と石を交換する。それと、その石に名前をつけてもらうようにもしました。
矢津:鑑賞者が能動的に展示に関わる仕掛けがおもしろいですね。「石疎通センター」のような石にまつわる企画は、今回始めたことなんですか。
コニシ:そうです。MIND TRAILの下見に下北山村に行ったとき、やっぱり石ってなんとも魅力的だよねという話になりました。そこで誰かが拾ったり、自分が拾ってきた石の価値について一度考えてみようと、京都で事前に、ワークショップ「石オークション」をやってみたんです。四条大橋の下で、持参した台に赤い布をかけ、僕がオークショナーとして手袋をつけてハンマーを持ち、他のメンバーも手袋をつけて、仰々しく参加者に石を見せる。参加者には石を持ち込んでもらい、先ほどの証明書のようにどこで拾ったか、どういう名前の石かを記入した上で出品してもらいました。それが思った以上に盛り上がったんです。共鳴しあって価値がでっちあげられていくような、その場で価値そのものが構築されていくようなライブ感があったのが、僕としてもすごくおもしろかった。
その実感を持った上で、「石疎通センター」という価値の交換とその関係性を検証する企画を作りました。
矢津:作品であり、場づくり、仕組みづくりになったということですね。そういった展開を経て、yugeとして今後やってみたいことなどは考えておられるのでしょうか。
コニシ:下鴨時代にはなかったブレーンが4人いるという状態に、期待や興奮があります。今はまだ次の具体的な構想などはないのですが、場所を持っているからこそ積極的に試したり、実験したり、その活動に他の作家を巻き込んだりというのを加速させていけたらいいなとは思っています。
矢津:メンバーのみなさんは同世代ですか。
コニシ:全員20代で、20代後半なので、大体同世代ですね。
矢津:今、20代半ばから後半の世代におもしろい人たちがたくさんいますよね。コニシさんから見て、そういった世代感や、京都で、オルタナティブでアートスペースをやっていく活動も踏まえて、今どんなふうに京都のアートシーンを見ていますか。
コニシ:京都は変な場所がたくさんあるのが心地良いです。traceのようなアーティストランスペースをはじめ、作家が活動拠点にしながらいろいろ実験する場所として選ぶことも多いですし、シェアアトリエも多いですよね。在学中の作家ももちろんたくさんいます。KYOTOGRAPHIEやKYOTO EXPERIMENTなど、京都市内の広範囲で開かれるアートイベントも定期的にある。こういう環境は、他ではなかなか聞きません。
京都の作家の生態系も、ここ数年でどんどんおもしろくなっていっている印象があります。大学生の頃は同世代の作家は東京に出て行ってしまうのかなと思っていたのですが、関西に残って根を張っていく人のほうが多かった。僕は京都の、変な、昔からある、なんだこの場所はみたいなところや、ギャラリー16のようなすごい場所が権威的になるわけではなくひっそり活動を続けていたり、その一方で京セラ美術館がドーンとあったり、そういったごちゃまぜの中で自分のスペースがどうなっていくのか、何ができるのかと考えると、すごくワクワクします。これからも京都の作家さんと一緒に何かをしたいという気持ちが強いです。
矢津:コニシさんの個人的なところも掘り下げてお聞きしたいのですが、yugeの活動と作家業の他に、外部でディレクター業をしていたと伺いました。
コニシ:一昨年くらいまで個人で展覧会のディレクションなどの仕事を受けていましたが、今はそういった仕事はせずに、yugeと、もうひとつは京都蔦屋書店のアートスタッフとして働いています。
矢津:そういう経験もあった上で、アートをなりわいにして生きていくことは実際のところどうでしょうか。
コニシ:アートと絡みたいと考えているアート以外の業界は思った以上に増えている印象があるので、展覧会をやりますとか、作家さんをディレクションしますというような仕事は探せば意外とたくさんあると思います。ただ、売り上げや、商売としてスペースを回していくために考えないといけないお金の部分や、そもそも運営側が美術に対してどのくらい、またはどういう種類の関心を持っているのか。どういうふうに美術やそのスペースを扱いたいと考えているのかは、本当にそれぞれです。僕の場合は以前、そこをうまくすり合わせられずに疲弊してしまいました。
自分とその場所のあり方や、作家さんとどのくらい協力してやっていくのか、どのくらい作家さんに任せて、どのくらいディレクションする側が引っ張るのかというようなところは、本当にケースバイケースですよね。そこを見失いそうになることが、この仕事をしていて最も難しいように思います。だからこそ大事なところだと思いますけど。
矢津:これまでやってきた企画の中で、コニシさんにとって重要な企画だったものはありますか。
コニシ:y gionでディレクターをしていたときにyugeのポップアップのような展示をさせてもらったことがありまして。アンダー25というくくりで、学生作家や卒業して間もない作家などを13〜15人くらい紹介するグループ展です。来場者には入場料をもらうのですが、入場券としてカンパチケット3枚を渡して、応援したいと思った作家のボックスにそのチケットを入れると、入場料分がその作家に還元されるという仕組みにしました。
矢津:それをコニシさんが考えたんですか。
コニシ:はい。10人以上いるグループ展って、誰かの知り合いとか、どの作家さんが好きだからっていうので来場者は増えるのですが、お目当ての作家以外にどんな作家がいたかあまり記憶に残らなかったり、流して見てしまいがちだなと常々思っていました。お気に入りの作家にチケットを3枚とも入れてもいいし、好きだなと思う作家を3人見つけてそれぞれに入れてもいい。「石疎通センター」もそうかもしれませんが、鑑賞者側も能動的にやることがあるというか、そういった動きが鑑賞者側にもできたら、普通に展示を見て、いいなと思った作品の写真を撮ってただ帰るよりも、作家に何かをしてあげられた感じがきっと残ると思うんです。もちろん、作家にとっては作品を購入してもらうことが何よりもダイレクトな支援になるし、モチベーションにもなると思うのですが、応援している人がみな作品を買えるわけではないですよね。買うまではいかないけれど好きだなと感じた人の気持ちも作家にポジティブにつなげられないかと考えて、そういうシステムをつくりました。
矢津:仕組みを考えるのが好きなんですね。それはキュレーター的な視点というよりディレクター視点ですよね。
コニシ:そうですね。作品自体を美術的に紐解いたり、勉強するのも好きですが、僕が必要だと考えているポジションや立ち回りは、もう少し手前のところなんだと思います。鑑賞者にも、美術全般が好きな人、美術という大きな関心ではなくてその作家の作品が好きな人、それ以外にもいろいろな人がいます。そこの間に立って道案内をしたり、少し関心はあるけどどういった関わり方をすればいいのかわからない人の手を引いてあげたい。そういった仕事、かき混ぜられるような部分を丁寧にしたいなということを思っています。
矢津:すごくいいですよね。おもしろい意識だなと思います。作家の特性や今の作家性を展示でももちろん発揮してもらうんだけれども、その前段階に何らかの仕組みをつくることによって、そのよさをもっと知ってもらいたいと考えているのかなと思うのですが、とても共感します。そういう考えを持っている人は案外少ないのではないでしょうか。その視点を持てることが、コニシさんの特色ですよね。
作家やスペースでの活動の他に、ラジオっぽいこと【※4】をしたり、ラジオドラマの脚本をヨーロッパ企画と一緒につくったり【※5】もしていますね。コニシさんのサブカルっぽい側面もおもしろいなと思っています。
コニシ:僕にとっては、おもしろい漫画や小説、映画などの延長におもしろい美術や作家がいる、という感覚なんです。本来そうだと思うのですが、美術となった途端にそこに線を引かれてしまうことに対する寂しさや、もったいないという感じがあります。フラットに、美術の仕事と並列している感じになったら嬉しいです。
矢津:美術談義を熱く語ったり、批評するのとは違う、美術を楽しんでいる感じ、カルチャーと同列で語っていることがすごくコニシさんらしいと思います。そういったある種のフットワークの軽さが、yugeの活動にフィードバックされることもあるのかもしれませんね。
矢津:新生yugeということで、また何か新しいことをしていくのかなという期待感を持っています。これからの予定など、何か決まっていることはありますか。
コニシ:まずは2024年2月18日から、陶彫作家の天野聖史さんと画家の河合正太郎さんの二人展を予定しています。この展示は作家さん側からの持ち込みですが、そこから一緒に打ち合わせを重ねながら形作っていきました。
今後は、メンバーで企画をした展示をやっていくのはもちろんなのですが、他にもちょっと集まって話をするような、座談会的な集まりを定期的に行うことも考えています。
スペースの名前は「yuge」ですが、母体チームの名前は「hoge」とつけました。プログラミングなどで使う、”ホニャララ”のような意味を持たないワードです。空欄ではないけれど何かを埋めておくための言葉で、yugeに近い音であることと、その場所に何かが埋まることを想定している、空白ではないことをその名前が仮で埋めているというか、スペースを持つ者としておもしろいかなと思って、その名前をつけました。
矢津:hogeとしての活動も、yugeと同時に今後もやっていくんですね。
コニシ:メンバーの企画やワークショップをここでやることもあると思いますし、MIND TRAILのように4人の企画を外部でやることもあると思います。
矢津:何でもできるコレクティブとしての側面が見えてくると、こんなこと一緒にやりましょうとか、いろいろな声をかけやすくなると思うので、この記事を読んでもらって一緒に何かやりたいなと思った人が声をかけてくれたらいいですね。
コニシ:それは嬉しいですね。
矢津:今後のyugeとhoge、そしてコニシさんの活動を楽しみにしています。本日はありがとうございました。
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関連情報
(URL最終確認:2024年2月24日19時30分)
hoge
メンバーはコニシムツキ、松原元、斎藤悠麻、福岡想で構成される。
コニシさんとメンバーそれぞれの出会いや関係性などは、以下の記事にまとまっているのでご覧いただきたい。
『未発掘の作家たちが狼煙をあげる、“場所としてのメディア”のこれまでと、これからを教えて』(合同会社SHUJUのウェブサイトで2023年08月に取り上げられたもの)
(URL最終確認:2024年2月24日19時30分)
注釈
(URL最終確認:2024年2月24日19時30分)
【※2】trace(トレース)
美術家・写真家の山口和也氏が2013年に立ち上げたアートスペース。美術作品の展示を行うギャラリーとしてはもちろん、時には音楽を体感するクラブとしても、舞台や映像とであるシアターとしても機能していた。2018年末にクローズ。『KANSAI ART BEAT』で、「trace」を立ち上げて1年後の山口にインタビューを行っている。
(URL最終確認:2024年2月24日19時30分)
(URL最終確認:2024年2月24日19時33分)
【※4】コニシと山口のうたたね
2020年からスタートした、ディレクションチームnidone.worksの制作で配信されているネットラジオ。YouTubeLIVEによる生配信とPodcastによるアーカイブ配信を続けている。基本的にエンタメのトーク番組だが、その都度開催中の関西の展示や演劇についても取り上げる。
(URL最終確認:2024年2月24日19時33分)
【※5】ラジオドラマ『思弁逃避行』
小西睦月が執筆・制作していたZINE、ブログ投稿を原作に『ヨーロッパ企画のブロードウェイラジオ!』にてラジオドラマ化された。ヨーロッパ企画の永井宗典と藤谷理子が出演。小西は原作、音楽、出演を担当した。
(URL最終確認:2024年2月24日19時33分)
INTERVIEWEE|コニシムツキ
作家/アートディレクター/yuge代表
1997年東京都生まれ。京都芸術大学美術工芸学科総合造形コース卒業。木や石などの物理的な素材の他、他者の会話やテキストなどの概念的な素材を使い、物事の輪郭と接点を捉えようとする彫刻作品を制作する。2017年から京都下鴨にて若手作家の発掘/発信/実験の場としてオルタナティブスペース「yuge」を立ち上げ、代表としてスペースの運営と展示企画、キュレーションを行う。2020年からアートディレクターとして外部のスペース(ex. ygion / cocoto) でも展示企画/演出を担当。2022年に5年目を迎えたyugeを京都東山に移転し、yugeを拠点に活動するコレクティブ「hoge」を結成。主な展覧会に「石疎通センター」MAIND TRAIL,奈良(2023)、個展「騒がしい輪郭」yuge,京都(2019)、「朝は来るのか」山中suplex,滋賀(2019)など。
INTERVIEWER|矢津 吉隆(やづ よしたか)
1980年大阪生まれ。京都市立芸術大学美術科彫刻専攻卒業。京都芸術大学専任講師。京都を拠点に美術家として活動。作家活動と並行してオルタナティブアートスペース「kumagusuku」のプロジェクトを開始し、瀬戸内国際芸術祭2013醤の郷+坂手港プロジェクトに参加。2017年からは美術家山田毅とアートの廃材を利活用するアートプロジェクト「副産物産店」を開始。主な展覧会に「青森EARTH 2016 根と路」青森県立美術館(2016)、「やんばるアートフェスティバル」沖縄(2019)、「かめおか霧の芸術祭」京都(2018~22)など。2022年からはビジネスパーソンを対象とした実践的アートワークショップ、「BASE ART CAMP」のプロジェクトディレクターを務める。
WRITER|森かおる(もり かおる)
編集者。長野県出身。同志社大学文学部美学及び芸術学専攻を卒業後、美術系出版社に勤務。写真集、作品集、展覧会カタログの編集などに携わったのち、2018年よりフリーランスとしてアートを中心に編集、校正、ライティングを行う。時々、森の本屋(仮)の店主。