『+5(プラスファイブ)』はアートネイバーの活動を記録する記事メディアである。その性質上、記録のフォーマットは文字となり、記事を通して人々に伝えられることは何かを日々考えている。我々の役割は、可能な限り多くのアートネイバーの記録を記事として世に出すことであるが、そのためにも文字媒体での「記録」に関わるライターの必要性を、メディアとして日々感じている。ただその問題意識を持つだけでいいのだろうか。アートメディアとして、アートライターがより良いライティング手法や哲学を享受できるプラットフォームでないといけないのではないだろうか。
今回は『+5(プラスファイブ)』のレビュアーでもあり、数多くの芸術文化記事を手がけてきた文筆家・美術評論家の三木学さんに問題意識を共有し、アートライティングの仕事そのものについて検証する記事を書いていただいた。長くライティングをされてきた三木さんの考えや本音も一部書いていただき、アートライティングを多視点で見られる記事となっているのでぜひご覧いただきたい。
近年、日本においてもアートの存在価値が、多くの人に注目されるようになったこともあり、「アートライティング」や「アートライター」の仕事に関心を持つ人も増えているようだ。『+5(プラスファイブ)』が提唱するアートネイバーは専門性が問われるものが多いが、アートに関するどのような職業でもライティングは必要不可欠なものであろう。そして『+5(プラスファイブ)』は、アートを鑑賞者や社会につなぐためのサイトであり、ある種アートライティングを行う場であり、そのような人々を育てる場としても機能していきたいと考えている。
わたしが典型的な「アートライター」かと言われるとそうではないと思うが、美術、建築、写真、色彩、音楽といったジャンルを横断し、雑誌、学会誌、書籍、ウェブ、プレスリリースなどの複数のメディアで書いてきた自身の経験を元に、アートライターやアートライティングについてできる限り解説してみたい。
なぜそのような必要があるかというと、アーティストの数が増加し、展覧会に加えて、国際展や芸術祭、アートフェアなどが日本各地で開催されていることに対して、それをライティングする人数は多くはないからだ。職業としてのアートライターだけではなく、アーティストやキュレーターのステイトメント、CV(Curriculum Vitae/カリキュラム・ビタエ)、作品解説、プレスリリース、助成のための申請書、報告書、ソーシャルメディアでの発信などなど、アートライティングの仕事は無数に増えている。急激に増加したライティングの仕事に対して、多くの人が戸惑っているかもしれない。そのようなテクニックはどこで学べるのか?どのように習熟すればいいのか?
もちろん、ブログやnote、X(Twitter)、Facebook、Instagramなど、ソーシャルメディアによって、誰でも発言できるようになったことは間違いないが、媒体によって向いたライティングの形式があり、それぞれ異なるテクニックがある。複雑な内容を解説するためには、SNSでは短すぎるし、ブログではどこまでも長くできるが、読者を想定しPCやスマートフォンで読みやすい形式にしなければならない。同じ内容でも、誰にどのような媒体で伝えるかによって書き方は変わる。おそらくアートライティングに関心を持つ人で、一番難しいと感じるのはここかもしれない。 現時点で大学でそのような実践的な方法を教えている講座はほとんどないのではないか【※1】。あるとしたら、各地のアートセンターや民間団体の特別講座くらいだろう。
誰にどのように伝えるかもっとも腕を磨いたのは雑誌に書いていたライターたちだ。雑誌の場合、ある程度読者層が想定されており、ライターは掲載される媒体によって書き方を変えていたからだ。それはマーケティングの手法に近いともいえる。ファッション誌が世代や趣味によって細かく掲載するモデルや内容を変えていたことを想像してもらうとわかりやすい。
ライターが「アートライター」と言った肩書きで原稿を書く場合、カルチャー雑誌やファッション誌、地域情報誌の展覧会評といったコーナーかインタビュー記事として書くことが多かった。その場合、読者層は専門家ではない一般的な読者であり、スキルとしては雑誌の購読層に合わせて、内容をかみ砕いて説明するということが求められる。文字数としては多くても1000文字程度であろうか。専門誌ではない媒体で、アート情報に多くの紙面を割くことは少ない。その際、アートライター自身の「好き・嫌い」、「高評価・低評価」はそこまで求められない。読者層にとって有益な情報をいかに提供するかが雑誌に求められることだからだ。重要なのは、客観性や読者の知識に合わせて、理解を促す書き方や文体であり、それを文字数内に納める技術である。
そのようなアートライターの技術が、もっとも高かったのは雑誌全盛期の1980年代から90年代にかけてのことかもしれない。とはいえ、その頃でもアートライターだけで生計を立てられるわけでもないので、例えば多くのライターは、文芸や映画、建築、音楽、あるいはファッションや飲食といったいくつかの「専門分野」をもって雑誌の取材をかけもちしていた。
音楽ならアルバムのリリースに合わせて、レコード会社が宣伝を行い、ミュージシャンはテレビやラジオに出演依頼をし、雑誌の取材を受けて記事にしてもらって、全国ツアーに出かけるというのがある種のルーチンになっていた。ラジオやテレビ、雑誌は、直接的なタイアップではないにせよ、レコード会社からの広告の出稿によって収益を確保し、雑誌は販売することでも利益を得ていた。CDはそれだけ売れる商品であったし、その恩恵をメディアも受けていたというわけである。それは文芸や映画、建築、音楽などでも同じことであるが、ある種の産業のサイクルの中に、雑誌も位置付けられていた。
しかし、その点ではアートライターがもつ産業的背景は極めて脆弱だった。日本のアート市場が小さいことは、現在でも改善すべき点として指摘されている。これは、戦後の日本が臣籍降下や華族の撤廃、財閥解体、農地解放などによって、特権的な富裕層がいなくなり、資産としても家屋としても余裕がなくなったためアートのコレクターが激減したからでもある。また、戦前の官展も戦後、民営化され、公募団体展に変わり【※2】、いわゆる「サロン評」も変質していった。官展を継承した日展などに加えて、新団体の設立も増加したが、団体展が新聞や雑誌で取り上げられることも次第に減っていった。60年代までの前衛や70年代以降の公立美術館でのアニュアル展を経て、80年代、90年代のアート記事は、海外との交流も増加し、来日する海外アーティストや新しい表現を行う日本のアーティストの紹介が多くなった。結果的に、美術雑誌だけではなく、数多くの雑誌に書く中で、ライターは書き方や伝え方のテクニックを習得していったのである。
このように、アートライターといった職業が仮にあるとしたら、雑誌を中心に成立したものだろう。ただ、『美術手帖』や『芸術新潮』といった美術雑誌の場合、寄稿者がアートライターと名乗る場合は少ない。そもそも美術の専門性を持った人が寄稿しており、キュレーターや学芸員、美術史家、美術評論家、アーティストといった人々によって構成されている。専門家が美術大学や芸術大学の学生、ギャラリスト、コレクター、愛好家、いわゆる「アートワールド」(アーサー・ダントー)【※3】に向けて書く媒体であるといえる。当然ながら、アートのことを知っているということが前提になっているため、細かい用語解説をする必要はない。ある程度の知識を共有しているということで、さらに突っ込んだ解説や議論を展開する場といえる。ただし、新聞や美術雑誌に寄稿する美術記者や美術評論家はアートライターのはしりであり、アートライティングの原点でもあるので、次にそれを見ていきたい。
アートライティングを、芸術家が書いた理論書やジョルジョ・ヴァザーリの『芸術家列伝』のような伝記ではなく、芸術家ではない人間が大衆に向けた文章と定義すると、その起源をたどれば、「サロン評」に遡ることができる。サロンとは、フランスの官展のことであり、美術教育を行うアカデミーとセットで、近代にいたる美術制度の根幹になるものだ。多くの画家がサロンに応募し、アカデミーの会員がそれを選んだ。フランス革命後は、王立ではなくなったため国営となり、貴族ではなく、新興富裕層が絵画を買い求めた。無数にある作品を購入する際のガイドとなったのが、普及しはじめた新聞とそこに掲載された「サロン評」というわけである。それを担ったのは、フランス革命前のドゥニ・ディドロを端緒とし、革命後のスタンダール、シャルル・ボードレールといった詩人や小説家などの文学者だった。新古典主義が主流だった時代は、比較的客観的な批評が重んじられた。
しかし、フランスにおいては、印象派のような反サロンのような画家たちが誕生し、自分たちで展覧会を組織したり、画廊が展覧会を主催したりするようになり、アカデミー、サロン、サロン評といった構造は崩れてしまう。印象派の時代のライティングのスタイルが、主観や印象を重視する「印象批評」というわけである。これらの主観を重視したライティングは、白樺派や戦後の美術評論でも受け継がれた。客観性よりも、個人の感性を重視する書き方は、今日では、ブログやnoteを主に執筆するいわゆる「インフルエンサー」のライティングでも一般的かもしれない。
大衆に対して、もっとも影響力をもったのは新聞であり、そこにおいて記者や評論家は絶大な影響力を誇った。彼らが取り上げ、褒めたものが飛ぶように売れるからである。さらに、18世紀になると雑誌も刊行されるようになり、19世紀には商業美術雑誌や美術評論家も誕生してくる。それをプロデュースした人物として、印象派を世界的に売り出したポール・デュラン=リュエルのような画商が知られている。デュラン=リュエルは、画商でありながら、自身で商業美術誌を発行した。デュラン=リュエルの庇護がなければ、印象派はここまで世界的に売れることはなかったので、近代美術史をつくりだした人物のひとりでもある。特に新興国アメリカの富裕層に売れ、貴族文化がなく歴史の浅いアメリカ人のフランス憧憬を掻き立て、第二次世界大戦後にアートシーンを牽引するアメリカの土壌をつくった。今日では、ガゴシアンやペース、ペロタン、ハウザー&ワースといった世界各地に店舗を構えるメガギャラリーと比較できるかもしれない。彼らもまた美術雑誌ではないが、キュレーターを招聘し、美術館並みの展覧会を開催し、カタログを出版している。
第二次世界大戦の影響を受け、ユダヤ人を含む多くのアーティストやアート関係者がアメリカに移住し、クレメント・グリーンバーグが文学や舞台の批評から、アート作品の批評活動を行うようになる。これらを寄稿したのも『パルチザン・レビュー』や『ネイション』といった小規模な政治と文化を評論する雑誌だった。グリーンバーグは、それまでの印象批評から、フォーマリズム批評といわれるような、四角い平面、色や形といった作品としての形式性、自律性を重視し、ジャクソン・ポロックなどの抽象表現主義を評価した。それはモダニズムの時代を反映したものだろう。その後、グリーンバーグの弟子であったマイケル・フリードやロザリンド・クラウスは、『アートフォーラム』、『オクトーバー』といった雑誌に参加し、フォーマリズム批評を継承しつつ、新たなアートの評価軸やライティングをつくっていった。それらの評論も、難解ではあったが、戦後アメリカで制作された現代アートの価値を大きく向上させることに寄与した。
その後は、モダニズム的な還元主義から、ポストモダニズムの時代になり、人類学的な視点が導入され、アート作品もそれに対する批評も、多文化的な側面が強くなっていく。アートはアートだけで評価できるものではなく、アートの外側の社会的な出来事を反映するようになっていく。印象批評やフォーマリズム批評のような著者の印象や、アートとしての自律性ではなく、政治問題や社会問題と密接に結びついている表現やポストコロニアリズム批評やフェミニズム批評、クィア批評が主流となり、そのような背景も知らなければ、批評も解説もできなくなっていく。また、彼らは雑誌を主な舞台としたが、仕事としては教職がメインであったので、報道的、即時的なレビューではなく、いくつかの作品の傾向を見て、「芸術理論」「批評理論」を組み立てることができたことも大きい。つまり、アカデミズムと融合していったのだ。このようにアートライティングに普遍的な方法があるわけではなく、その時代の作品の傾向に合わせて書き方が変わるものと考えた方がいいだろう。
彼らが参考にした戦後の構造主義やポスト構造主義といった思想的潮流、人類学や社会学、精神分析、近年では実験心理学や神経生理学のような「脳科学」、最新の科学技術などの影響もあり、ひとつのアート作品を解説するのに、多くの知識が必要となっていることもアートライティングを難しくしている点だろう。
もちろん、アカデミズムには美学・美術史もあるわけなので、それらの学問を踏まえた上で、現代の作品を評価する美術評論家もいる。一応、研究者の媒体は学会誌、美術評論家の媒体は商業美術誌、ジャーナリストの媒体は新聞がメインといってよいだろう。また、近年ではキュレーターが、展覧会図録に書くだけではなく、さまざまな媒体で美術評論をする場合も多い。さらに、ブログやSNSなどが誕生し、今日ではこれらが融合しながらアートライティングが形成されている。
日本の場合、戦後になって官展がなくなり、富裕層がいなくなったため、芸術市場が小さくなる。いっぽうで、漫画やアニメといった大衆文化が花開き、週刊や月刊の漫画雑誌は飛ぶように売れた。映画やアニメ、漫画のような複製芸術であれば、日本全国の劇場であったり、テレビや雑誌、コミックを通して誰でも見ることができることが大きい。その後も、『ファミリーコンピュータ』(任天堂)や『プレイステーション』(ソニー)のようなコンピューターゲーム、インターネットアプリと続いていく。
しかし、このような大衆文化はライティングが必要不可欠なものではない。例えば、評論の大家が、漫画やアニメを酷評したところで、大衆の人気があれば関係がない。関係してくるのは販売部数や観客動員数、視聴率といった大衆的な人気だけだ。とはいえ、漫画やアニメ批評は、海外の「カルチュアル・スタディーズ」と結び付き、新しい研究や批評の分野になった。特に日本ではアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の社会的なブームに伴って、批評家がさまざまな分析を90年代のカルチャー誌に執筆していた。それは日本文化の批評としては重要な仕事ではあるし、アートライティングにつながっていく。
このような日本の大衆文化が日本のアートに及ぼしている影響も見逃してはならないだろう。日本では最初からアーティストになろうと思う人はほとんどおらず、表現活動を行う誰しもが漫画やアニメを見て育つからだ。その意味では、それらの文化をよく理解しておくことも重要だ。
ただし、アート作品の場合、例えば美術館の展覧会であったとしても、日本中を巡回されることはないし、会期も限られている。ギャラリーならもっと場所と会期は限定される。地方で開催されている芸術祭なら、多くの人が見る機会はもっと少ない。
建築空間の一部であった絵画は、近代以降、空間と文脈と切り離され、「タブロー」【※4】として持ち運びが可能になり、美術館やギャラリーでそれを見る機会があれば一応同じ条件で論じることができた。それは、「ホワイトキューブ」と言われるように、「白い均質な空間」という、その空間が持つ特定の条件をできる限り減らし、同じものとして扱うという約束事による。美術作品にもそのような自律性を求め、1950年代のアメリカでは、それに見合う抽象表現主義が評価されていた。しかし1960年代にはミニマル・アートのように極度に還元主義的になり、環境や見る側に左右されるという逆説的な現象が起こる。
あるいは反サロンや反アカデミーから出発したモダンアートは、さまざまな美術制度や美術の在り方自体を問題提起するアヴァンギャルド(前衛)に変質していく。その結果既製品(レディ・メイド)を扱うマルセル・デュシャンの登場以降、「美」という要素も、「手作り」という要素も、アートにとって必要不可欠なものではなくなった。
日本では、アンデパンダン展のような審査なしの公募展が盛んになり、官展のような権威や市場がないのに不定形の前衛だけがあるという歪な状況が生まれる。彼らを擁護した戦後の美術評論家の 瀧口修造は、独立した作家、詩人といえるかもしれないが、市場が小さく、前衛作品はそもそも売ることが難しいため、その後の美術評論家はほとんどが大学か美術館で定職をもった。欧米においては、ギャラリーやオークションで取引される絵画や彫刻といった古典的な形式も平行して存在している一方で、数多くの実験が行われた。
例えば、「サイトスペシフィック」といったその土地固有の条件を作品に取り入れたり、「オフ・ミュージアム」と言われる、美術館の外部での表現や「社会彫刻」(ヨーゼフ・ボイス)と言われる、社会的なアクション自体もアートの一部として表現されるようになり、現代アートの表現は無限に拡張していった。近年ではリサーチを元にしたインスタレーションも増えている。そうなるとそれがアートかどうかも見ただけではわからなくなる。
そのように拡張すると同時に、鑑賞者が見る機会が限定的になったアートをみんなが語れるひとつの土俵にのせるためには、それらが記述された記録媒体や文脈的な説明が必要になる。戦前まではアートであるという前提でその価値を上げたり、あるいは批判して下げたりすることが美術評論家の役割であったが、アートライティングがアートを成立させる一部になったのである。
つまり、アートライティングがなければ、それがアートかどうか証明できない、というのが今日のアートなのである。もちろん近年の技術の発達により、写真や映像に加えて、360度のパノラマ撮影も可能であるし、それをVRゴーグルで鑑賞することで限りなく現場に近い体験ができるようになってきている。しかし、それはある意味で、「進化したタブロー」ともいえるが、アート作品として保証されたものでもない。やはり言語的な解説がなければ、どのようなところが面白いのか深くまでわからないだろう。
そもそもエンターテイメントのようなわかりやすい表現ではなく、抽象的であったり、具象的であってもメタファーを多用したりしており、何らかの解説がないと鑑賞者が受け取ることが難しいからだ。また、アート作品の場合、大衆商品と違って定価というものがなく、価格は恣意的であるため、ライティングによってさまざまな解釈が生まれ、文脈が形成され、作品の価格や価値が定まっていくという特性がある。作品を価値づけるためにも必要不可欠なのである。
そこでどのような媒体でそれが書かれるか、という問題が再度浮上する。90年代後半からのインターネットの普及と、2000年代のソーシャルメディアの普及により、雑誌は急速に売れなくなった。多くの雑誌が廃刊に陥り、アートを掲載してきた媒体も急速になくなっていった。
幾つかはウェブメディアに移行しているが、移り変わりが激しく、雑誌を制作するノウハウや、そこで得られたライティングのノウハウも継承されていないかもしれない。それとは逆に、2000年代になり、日本各地で芸術祭が勃興し、2010年代後半から、国内のアートフェアも数多く開催されるようになった。コマーシャルギャラリーも劇的に増加した。それに伴い、さまざまな媒体が生まれ、アートライティングの仕事も増加しているが、皆、暗中模索・見様見真似で行っているというのが現状だろう。
いっぽう90年代までの職業としてのアートライターは、大学の教職などを得ており、すでに仕事のメインではなくなっているケースが多い。一番のスポンサーであった雑誌媒体がない以上、職業としては成立しにくい。ただ、それさえも少子化によって人口が激減し、新しく教員を雇うことが難しくなっているため有期雇用や非常勤講師で多数が占められている。それに反して、グローバル化するなかで、翻訳も含めてアートライティングの仕事はより難しく、多岐にわたるようになっており、人材育成は全く追いついてないというのが実情ではないだろうか。
一部の雑誌はウェブメディアに移行したり、新しいウェブメディアもできているが、安定した運営をするのは難しいだろう。ウェブの場合、基本的な収益構造は、3つ程度になる。広告、サブスクリプション、タイアップ記事である。もちろんトークイベントやライティングスクールのような、付随した仕事は考えられるかもしれないが、媒体の直接の収益ではない。美術媒体として維持できるメディアはさらに少ない。近年では、『プラスファイブ』のような文化支援をする財団、展覧会を開催する新聞社、アート作品を売る百貨店など、さまざまなプレイヤーが出てきている。そこにもアートライターは必要だし、媒体によって書き方は異なるはずだ。
その他には美術館の展覧会のカタログ、ハンドアウトといったものもある。ギャラリーの制作するカタログレゾネや最近では、美術館やギャラリーがレビューを依頼してウェブに掲載するケースもある。ギャラリーの場合は作品=商品なので、作品の価値を上げることは商品の価値を上げることであり、そのために美術評論家やアートライターにテキストを依頼する場合もある。もちろん、新聞のようなジャーナリズムであれば、中立や公正の立場からそれはできないわけだが、アートライターの場合、ギャラリーやアーティストから依頼されることもある。
ギャラリーが発行するメディアの場合、当然ながらそれは報酬があるということは自明であるが、どのような場所から依頼されたかは倫理として明示する必要があるだろう。しかし、報酬が出たとしても、時間のかかるライティング、膨大な展覧会を見たり知識を得るための取材費や高額な本代、カタログ代が賄えるわけではないし、報酬が跳ね上がるわけでもない。コストとしてはもっとも悪い部類に入るだろう。
しかし、グローバリズムの浸透と大企業や富裕層優遇の影響もあってか所得が二極化し、2020年代前後から、新しい富裕層がアート作品を求めるようになり、大衆文化中心だった日本に新たな展開をもたらしている。国内のアート作品が売れることに連動して、そのテキスト的な根拠を求める声も高まっているからだ。あるいは、グローバルなアートシーンとの交流が盛んになり、社会問題を扱う作品も増えたことも大きい。それらもテキストによる補足がないと一目で理解するのは難しい。アートライティングの需要はここにきて、非常に高まっているのだ。
そして、今日のアートを解説するには、作品が生まれる社会的な背景、個人的な動機やコンセプト、参照される過去の美術作品、表現や媒体の特徴、設置された場所の特徴など、幾つもの角度からライティングする必要がある。そのためには、むしろアートだけではなく、さまざまな分野でライティングしたり、仕事をしていたりする方が深い解釈ができる可能性がある。
繰り返すが、それらを伝えるためには、読者にどのように理解してもらい、どのような効果が得られるか想定することが重要なライティングのテクニックになる。そのためにも多くの分野や仕事を理解していることは役に立つ。権威づけるために、わざと小難しく書く場合はあるかもしれないが現在ではあまり求められてないだろう。外国語ができる人なら、翻訳を想定しながら書き方を考えると、どこが不要な表現か見えてくるのでおすすめしたい。
アートを伝えるための最適なメディアをつくるのもひとつの手だろう。アーティストが立ち上げた、美術館などのプレスリリースを共有するメディアから、もっとも影響力のあるアート・ジャーナルに発展した『e-flux』【※5】のような例もある。
最後に、日本のアートを世界に理解してもらうことは日本のアートライターの役割でもある。このようなアートライティングの方法は、西洋社会において発達してきたものであり、アートの形式の変化によって、アートライティングの方法も最適な形に変化してきた。ひるがえって、日本の場合、文化的背景も言語の特性も違うため、日本のアートをどのようにライティングするかは、日本のアートライターが試行錯誤しなければならないからだ。
わたしたちが運営している『eTOKI』【※6】というレビューサイトは、その実践のひとつでもある。日本のアートの解説の方法を、仏画などで行われてきた「絵解き」に起源を求めて、言語化の実践を再構築するという意味を込めている。時には翻訳も行い、海外の関係者にも読んでもらえるようにしている。そして、できるだけ大きな展覧会だけではなく、同時代に生きるアーティストを取り上げるようにしている。彼らの仕事はまだほとんどライティングされておらず、テキストにならない限り、価値づけられないからだ。
今や無数にある国際展や芸術祭、アートフェアなどを回ることは、金銭的にも物理的にも難しいと思うが、アートライターの拠点に距離的にも関係的にも近い展覧会であれば詳細に書くことはできるだろう。残念ながらどんなよい展覧会であったとしても、文章として残ってなければ、ほとんどなかったものに近いことになる。
日本語でも文章に残り、ウェブサイトに上がっていれば検索されたり、翻訳されたりすることもある。そのアーティストや作品が重要であると考えるのは、他でもないライター自身であり、自分が価値を見出すことによって、アーティストやアートワールドの状況が変わることもある。もちろん批判すべき点は批判すればよいだろうが、価値があるのに埋もれているアーティストや作品は無数にある。アートライターのもっとも重要な仕事とは、その埋もれた価値を届ける最初の一人になることだろう。いずれにせよ、書かなければ文章はうまくならないし、読まれなけば最適な表現だったのかも判断がつかない。どんな媒体でもいいので、読者を想定してまずは書いてみることだろう。書くことの絶対量がまずは重要である。
そして経験上、価値のあるライティングには必ず対価がついてくる。わたし自身、ライティングとそれに付随するさまざまな仕事で生計を立てている。地方に暮らし、中央のメディアでの仕事がそれほど多いわけでもない。しかし、ライティングにはまだまだ可能性があり、ライティングが必要とされるアートが待っていると考えている。『プラスファイブ』でもアートネイバーをライティングし、アートライティングを求めている人、実践したい人にも発信していきたい。
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注釈
【※1】京都芸術大学の通信教育部は芸術学科の中でアートライティングコースを開講している
【※2】官展
展覧会は基本的に各美術団体が主催して開催されるが、官展は政府が主催する美術展覧会。
1907年に政府が美術振興政策として文部省に美術審査委員会を設け、文部省美術展覧会(文展)を開催したのが最初とされる。1958年4月26日までは政府主催の展覧会だったが、開催組織である日展が日本芸術院から独立分離。それにより社団法人化(公益社団法人日展)したことで完全民営の公募美術展覧会となった。
【※3】アートワールド
【※4】タブロー
絵画のことを指す言葉で、元々は、ラテン語で板を意味するタブラに由来する。特に木板、キャンバスに描かれた、完成された絵のことを指す。
【※5】e-flux
1998 年に設立された出版プラットフォームであり、キュレータープラットフォーム、各種アーカイブの役割も果たしている。
WRITER|三木 学(みき まなぶ)
文筆家、編集者、色彩研究者、美術評論家、ソフトウェアプランナーほか。
アート&ブックレビューサイトeTOKI共同発行人。
独自のイメージ研究を基に、現代アート・建築・写真・色彩・音楽などのジャンル、書籍・空間・ソフトウェアなどメディアを横断した著述・編集を行なっている。
美術評論家連盟会員、日本色彩学会会員。