休館中の美術館の役割とは -広島市現代美術館の仲間づくり-

休館中の美術館の役割とは -広島市現代美術館の仲間づくり-

広島市現代美術館|松岡剛、角奈緒子
2024.07.24
67

そんな同館は2020年12月28日、竣工から約30年を迎えてから初めての本格的な長期休館に入り、約2年3ヶ月を経て、2023年3月18日にリニューアルオープンを果たした。

普段は広く地域に開き続けている美術館は、休館中どのような目的を持って活動をするのか、また美術館内で働くアートネイバーたちは休館中、あるいはリニューアルオープン後にどのようなことを考えているのか。

今回は、同美術館主任学芸員の松岡剛(まつおかたけし)さんと、同じく学芸員の角奈緒子(すみなおこ)さんに、休館中の活動から生まれたアートネイバーとの繋がり、そして休館という期間を経て改めて考える美術館のあり方についても話を伺った。

(本文中は敬称略)

広島市現代美術館 外観
Photo: Kenichi Hanada
写真提供:広島市現代美術館

美術館を変えること

松岡は広島市現代美術館で1998年から働いて26年、角は2006年からで18年とそれぞれベテランの学芸員であるが、就業当初と比較して館を見た時に、少しずつ建物の老朽化し、社会状況とのズレも出てきていたという【※1】。それらを改善し、改めて鑑賞者がストレスなく来館でき、作品の展示・保存が安全になされるようにするために改修工事が行われたというが、そもそも計画はどれくらい前からなされていたのだろうか。


松岡「計画として発表されたのは2019年です。ただこの時点で決まっていたのは、全面的な改修を行うということのみで、まだ細かい計画が決まっていたわけではありませんでした。」


松岡によると、改修に関する議論自体は2010年代からあったという。しかしながら広島市現代美術館は基本的には市の建物であり、改修には当然行政の認可が必要となり、実際に進むまでに時間がかかっていたという。尚且つ同館は指定管理制度を導入しており、公益財団法人広島市文化財団が管理母体となるため、こちらとの調整も当然必要だ。


松岡「改修に伴い、広島市役所からは都市整備局 営繕部 営繕課や、その他関係部署のご担当者が来られますが、実際に館を使うのは我々なので、我々側の意見を集約して、市や工事業者の方にお伝えする役が必要になり、僕がその担当になりました。」


「松岡さんは、当館の中でも2番目に在籍期間が長い学芸員なんです。初期からのいろんな移り変わりを見てきているので、松岡さんが担当になったんです。私はちょうど運営が指定管理者制度に切り替わったタイミングで入ったんですけど、そうじゃなかった時期を松岡さんは知っているよね。」


松岡「そうだね。だから少しずつ開館当初と今とで、乖離があることも理解しているというか。だからこの役になって、美術館の活動について改めて考えることができました。」


美術館が全国の市町村で増えていったのは70年代〜90年代にかけてと言われているが、当然、当時の動向や社会状況を基に設計がなされている。収蔵庫の大きさや作品を運搬する動線など、令和現在の状況と比較すると使いにくいところもあったのではないだろうか。


松岡「そうですね。そもそも現代美術館というものが開館当時はほとんどない状況だったので、天井高のところで高さ何メートルに設定するのかとか、基本的な要求水準についても勘でやる他ないような世界だったのではと想像します(笑)。4mというのが、うちの基準になっているんですけど、新しい現代美術館と比べると心許ないところも無くはないですが、当時考えうる限りにおいて最大の設定をしてくださったんじゃないかな。」


また利用者側の視点で言えば、バリアフリーなども30年前とは大きく異なるところだろう。今では当たり前となっているが、「バリアフリー法(高齢者、障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法律)」 が成立したのは、同館が開館して17年後の平成18年(2006年)12月であり、翌年以降、高齢者、障害者の円滑な移動等に配慮した建築設計標準が義務付けられている。【※2】


松岡「バリアフリーに関して言えば、今から考えるとありえないような水準にとどまっていました。今回の改修工事で果たせたことのひとつとして非常に大きかったのが、車椅子を使われる方と一般の方が、同じ動線を辿れるようになったことです。今考えると当たり前なんですけど、できていなかったんですよね。」


「あとは多機能トイレですよね。いわゆる誰でも使えるトイレも以前はなくて。加えて授乳室も改修前はありませんでした。必要に応じて空いている部屋を使っていただいていたんです。」


松岡「そのあたりは、広く公共施設自体の要求水準が変わってきたことによるものです。そしてそれとは別に、美術館として求められることも少し変わってきている気がしていて。例えば施設的なところでいうと、うちの美術館がオープンした時っていうのは、コレクション展と特別展というとにかく展示を重視していて、例えばミュージアムショップやカフェみたいなものは、付随的なものとしてしか見られていなかったのかもしれません。ワークショップのための部屋もそうですよね。でも今は展覧会を見ることだけが美術館の利用目的じゃない。今回の改修では、美術館の変遷を意識しながら館の必要性を様々な側面で感じたり、考えたりしました。」


広島市現代美術館がリニューアルオープンして1年と少し経過したわけだが、ふたりからみて、どこが特に変わったと感じるだろうか。


「いちばんは、来館者の目線で美術館が使いやすくなったことです。先ほどのバリアフリーの話もそうですけど、そもそもエントランスが明るくなりました。内装が変わって、照明も新しくなって。

平成元年の美術館ですから、やっぱり重厚感があるんですよね。如実に比較されるようになったのは金沢21世紀美術館のような軽やかな建物が美術館として出てきてからで、入口がわかりにくいとか、雰囲気が暗いとかはよく指摘されていて。美術館に対するイメージとか、求められていた役割とか、それが変わってきた中で建物をどうしたら少しでも柔らかく、入りやすい印象にできるかとか考えていたんですけど、だいぶ変わった気はします。」


松岡「そうだよね。でも一方で懸念として僕が思っていたのは、それが行きすぎると、昔からずっと利用してくれてた人とか、なんとなくとどまってくれていた人たちとか、そういう人たちがいづらくなってしまうんじゃないかって。全てがうまく機能しているってことによってなんか成立しにくくなる空気とか、居心地悪くなる人たちもいるんじゃないかとか考えていたんです。ただ蓋を開けてみれば、相変わらずくつろいでくれている人もいて。結局いいバランスでできたんだなとほっとしました。」

広島市現代美術館 エントランス
Photo: SATOH PHOTO Kazunari Satoh
写真提供:広島市現代美術館
エレベーターホール
Photo: SATOH PHOTO Kazunari Satoh
写真提供:広島市現代美術館

松岡の感じていた漠然とした懸念は、「公共性」の曖昧さから来るところだと解釈できる。公共の施設というのは、誰にとっても最適という汎用性の高い機能が最重要視される。一方で、汎用性の高い機能だけを重視してしまうと個性が薄れ、画一化された姿に魅力を感じなくなる「ファン」も一定数いる。スタンダードをどこにおくかは非常に難しい。一方で、何かを変えようと思った時に、ファンの顔が具体的に浮かぶというのは、公共に開かれた場所で働く人間として非常に重要な視点であり、それを切り捨てないという姿勢こそが公共性と言えるだろう。しかしながらリニューアルには予算の問題もあり、できることも館それぞれで、悩みは尽きない。


「美術館のリニューアルって、過去の重厚な雰囲気をなんとか払拭しようとするところと、そうじゃなく昔の雰囲気も残しながらなだらかにリニューアルするところと、どちらかに分かれると思うんです。私の勝手なイメージですけど、東京都現代美術館さんとかはかなり変わりましたよね【※3】。柔らかく出入りしやすい雰囲気をどう作るかっていうのをかなり苦心されていたんじゃないかなと。雰囲気という観点では、当館は黒川紀章建築の素敵な部分を崩さずに、でも今の人たちも入りやすいようにするにはどうすべきか、考えていましたね。」


松岡「どうしてもポストモダン建築って古めかしいものとして見られるように思うんです。でも当館を手掛けた頃の黒川紀章が掲げたキーワードとして「共生の思想」というものがあって作られているので、そのコンセプトを再解釈してアップデートする余地も、広がりもあるのかなって思っていて。うまく改修しながら、時代に合わせた形にできればと思っていました。そうした意味でも黒川紀章建築都市設計事務所【※4】に加わっていただけたのは心強かったです。」


改修工事には、元々JVとして入っていたスーパーゼネコンの清水建設と、広島の地場企業でもある株式会社共立が参加。そこに黒川紀章建築都市設計事務所が設計監修で入るかたちとなった。美術館側のフロントには松岡がたち、まずは館内職員の意見を吸い上げるところから始めたわけだが、改修にあたりどのような声が上がってきていたのだろうか。


松岡「学芸としては、当然ですが展示機能をできるだけ充実させて欲しいという声は多かったです。照明のスペックとか細かい要望の他、実現しなかったことも含めて言えばまず、床の材料を変えること。当館はカーペットの部屋もあるのですが、インスタレーション作品を展示する上での難しさも結構ありました。次に収蔵庫です。作品の保管スペースを増やすためにどうすればいいかをかなり話し合いました。床も収蔵庫も、結局は予算や様々な問題で実現はしませんでしたが、それが可能かという検証は何度かしましたね。」


「市からの要請ももちろんあって、トイレを新しくするとか、エレベーターをつけるとか、建物インフラの要請はとても強かったです。行政の建物として今の時代に求められるものを優先的にというのは当然ですから。そして古い建物ですから老朽化している部分も多く、そこの改修もですよね。当然美術館は作品をお借りすることも多いですから安心して貸し出していただけるようにという意味でも、やってよかった。」

休館中の出会い

美術館の休館が決まり、改修工事の計画を立てていく一方で、休館中の活動についてはどのように決まっていったのだろうか。


松岡「改修計画を進める中で、どの規模で休館中の活動ができるか、実はなかなか決まらなかったんです。普段に比べて予算取りがトリッキーな部分もありますし、実際どうするか、考えていくのは大変でしたね。

休館中の美術館の基本的な動きとしては、収蔵品の管理を見直すんです。作品のデータベースを再構築したり、全ての作品の点検をしたり。当然当館もそれをやるんですけど、そういう外に出てこないような活動と、市民に向けて何かPRしていくことをどうバランスをとるかというのは、割と直前まで話しあっていた印象です。」


「予算要求も急場でしないといけなかったから、学芸会議の中でどうしていくか、全員で話しあいましたね。」


松岡「指定管理者って5年とかの期間で契約していたりするので、そう劇的に予算が変わることってないんです。逆に休館になっているからゼロになるっていうこともなくて。ありがたいことに休館中の活動に対してもそれなりの予算がついたんです。だからみんなやるべきだと思うことをやってみましょうって相談したんですけどね。それで仕事が増えちゃって(笑)。」


「私がいちばん気にしていたのは、やっぱり忘れられちゃうんじゃないかって。2年間何も外に向けてしていないと、ここまで通ってくれていた人はともかく、なんとなく認識してくれていた人には忘れられるかもしれない。あとは行政の方から、休館中何をやっているか、外に向けて明示できるようにという要望もあり、規模は小さくてもいいから、フレキシブルに実験的なことをにやってみる方向にしました。」


松岡「どうせならリニューアルオープン後にも繋がるようなチャレンジングなことをしたいという話になりましたね。」


広島市現代美術館は休館までの最後の1ヶ月間、全館を無料開放し、休館前イベント「また会う日まで」を開催【※5】。同イベントでは、美術館の建物自体を楽しみながら心に留めてもらおうという趣旨で、展示やイベントが行われた。長期休館を前に、「ゲンビ」に通っていた常連から久々の来館者まで、数多くの人が訪れたそうだ。

ゲンビ・休館前イベント「また会う日まで」
2020年12月1日〜12月11日
写真提供:広島市現代美術館

本来休館に入るのは、2020年12月28日からの予定であったが、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、急遽12月12日から臨時休館することに。当初予定していた「クロージング・イベント」の一部を「おうちでクロージング」と題し、同年12月27日にオンライン配信に切り替えて無観客で実施。束の間の別れをファンに告げた。そこから同館は休館中の取り組みをnoteやSNSを使って発信【※6】。学芸課はもちろん、広報、教育普及など同館のスタッフが総出で様々な取り組みを実施していく。

その中でも松岡と角が休館にあたり、その必要性を訴え実現したのが、ゲンビの街中のサテライトプレイスとなった「鶴見分室101(いちまるいち)」【※7】である。


松岡「休館中に外で活動をする時に、プロジェクトベースで場所を探してもいいんですけど、それだけですごくエネルギーがいるし、常にアンテナショップじゃないけど、情報発信拠点があると良いなっていうのを、僕と角さんで話していて。」


「最初は私たちの予算内で借りれるところがないか、市内の空き物件を見てたんですけど、リニューアルオープンした時に近所の人たちがフラッと立ち寄りたいと思ってくれるように、美術館の近所で関係性を作っていくことが大事だよねって話になったんです。」

そうして鶴見分室101は、2021年7月、「第2三沢コーポ」の中に開設される。第2三沢コーポは、市民が居住するアパートとしての機能も持ちながら、ギャラリー、アトリエ、本屋、AIRなどが集まるアートビルでもある【※8】。鶴見分室101ではウッドデッキを部屋の外に設け、室内では美術館の映像コレクションの紹介を中心に、アーティストを招聘したイベントなどを行っていく。

鶴見分室101 外観
写真提供:広島市現代美術館
鶴見分室101 内観
写真提供:広島市現代美術館

鶴見分室101を運営するというのは、オルタナティブスペースを運営するに等しいが、期限付きであることは運営上の特徴だったと想像する。限られた期間の中で、どのように計画を立てていったのだろうか。


「計画を立てるに当たって、重要な要素となっていたのが、誰とやるか、それがどうリニューアルオープン後につながるか、です。特に今まで、何か一緒にやりたいと思っていてできなかった人たちとは、何かできればと思っていました。分室はそんなに広くないので、そこで話をしたり、一緒に何かを作ったりすることで、相手のこともよくわかるし。私は、リニューアルオープンした時の展示の担当でもあったので、そこに加わっていただけそうな作家もいるかなとか。」


鶴見分室101は、開いている時は展示プログラムなどを実施し、閉じている時は、美術館のメンバーと館外のアートネイバーたちとの話し合いの場にもなっていたそうだ。


松岡「情報交換の場でもありましたね。これは大家さんでもある三澤さんのご希望もあって。僕たちと繋がりがあるアーティストも呼んで、住人との対話の場所にしましょうって言ってくださって。必ずしも展示向きではないアパートを分室の場所に選んだことには、アーティストインレジデンスとしても活用したいという狙いもあったんです。休館中の運用が第一ですが、願わくば美術館がオープンした後も部屋を維持して、企画関連の作家が来られるようにしたいという希望はあって。ただ、結局あの部屋を維持するのは予算的にも難しいことがわかって諦めざるをえませんでしたが、一方で大家さんはアーティストがやってくることの面白さに気づいたらしくて。結局、大家さん自身が空き部屋を使ったアーティストインレジデンスを始めたんです。僕らは部屋を維持できなかったけれど、ある種レジデンスはできちゃって(笑)。」


「そこは104号室なんですけど、今は、交流場所でもあり、レジデンスとしても使用される「雁と鶴」【※9】という場所になりました。普通のアパートなので、住んでいらっしゃる方もいるんですが、そこにアーティストがある種異物的に入り込むとなんか面白いし、それをさらに外にも見せたいと、三澤さんは、住民以外の人たちが各部屋を見られるオープンデイを実施されたりもしています。」


鶴見分室101の日常はどのようなものだったのだろう。


「基本はここから美術館の活動全般の情報発信をしていたんです。分室にはうちの広報チームが作成した広報物も置いたりしていて。」


広島市現代美術館の広報チームは、休館にあたり、かなり早い段階から動き始めていたという。具体的にはnoteでの発信に加え、インスタグラムの更新、そしてニュースレターの作成などである。ニュースレターでは、休館中の美術館の活動が多視点で紹介されていたが、特筆すべきは、地域の人へのインタビューである。アーティストはもちろん、美術という枠組みを超え、美術館の視点で地域の人々のことを知ろうとする姿勢がよく垣間見えるものだった。


松岡「分室も、もっと地域の人を集めたりしたかったんですけど、いわゆる「三密」を避けようという時期で、トークイベントとか、人を集めることができなかったことは心残りですね。部屋も15人くらい入ればいっぱいになっちゃうので。

ただ分室の空間が、なんとなくリニューアルした美術館の、多目的の増築部分とサイズ感が似ていることもあって。どういう活動ができるかとか、どれくらいの人数だとうまく回るのかとか。そういう実験はできました。」


角は鶴見分室101を運営しながら、市内各地での展示プログラム、「どこかで?ゲンビ」【※10】の作品選定や一部展示にも関わりながら、他者との繋がりを模索していたそうだ。


「普段は展覧会の告知用として使っている、広島駅地下にあるショーウィンドウや、街中に掲出しているバナーを、広報ツールではなく、ひとつの展示スペースとして捉えようという企画を提案しました。「どこかで?ゲンビ」という企画なのですが、それにあたりどの作家・作品でやるとか、そういう普段とはちょっと異なる展示の枠組みを作ったりしました。」


広島市現代美術館では、リニューアルオープンまでの期間、37回もの展示を館外で行っている。館内での展覧会ができない休館中に、小規模でも作品を通して対話が生まれるきっかけを多く作ったと言えるだろう。しかしながら館内とは全く異なる環境で実施するに当たり、作品保護や防犯に関しては相当気を使ったのではないだろうか。


「確かに難しくて。どのあたりまでなら大丈夫か、相当考えました。例えば鶴見分室101は不特定多数の人が集まる場所なので、映像など、物理的に破損や盗難の心配がないものを展示するようにしました。他にも公共の場所であれば当館の母体の財団の中に、美術館以外の施設がたくさんあって。例えば「ヌマジ交通ミュージアム」とか「5-Daysこども文化科学館」とか【※11】。そういうところの特質をうまく活かしながらうちのコレクションを展示することで、存在を知ってもらい、興味を持ってもらう。そういう意味でも館外での展示は重要でしたね。」


松岡「場所の選定に関しては、展示に適しているか、鑑賞者からどう見えるかなどの視点もあったんですけど、それに加えて、当館が何か一緒にやりませんかって言った時に、どう反応されるのかを知りたい気持ちもありました。やっぱり作品を預かって展示をするって大変ですし、それは厳しいと思われる施設もたくさんあるので。そんな中でもぜひやりましょうと言ってくださる施設があったことは嬉しかったですね。今後もそうして繋がったところと、コラボレーションで何かできることを探っていきたいですし。だから仲間探し的なところはありましたよね。」


「そういう関係性作りも手探りだったよね。相手がどれくらいの熱量なのかを見極める実験でもあったし。でも協力してくださる施設の多くは、セキュリティもしっかりしていましたし安心でした。その点、苦心したのは学校かな。学校も他の施設と同様、公募して手をあげてくださった学校と展示のプログラムを一緒にやったんですが、学校側の負担もあるので、どのように展示、管理するかはこちらで考えて行きました。作品をお預けするからこそ、子供たちで作品を管理するプログラムを組んでみたり、作品点検をしてもらったり。それこそお仕事体験のようなもので、学芸員が普段何をしているのか、作品はただあるだけじゃなくてお世話するんだよとか、そういうのを知ってもらう機会にしたんですよね。特に、他施設と学校に関しては、学芸課長と、教育普及チームがリードし、実施しました。」

どこかで?ゲンビ 学校編
写真提供:広島市現代美術館
どこかで?ゲンビ  and DOMANI「村上友重+黒田大スケ」
上記の準備のため、市内にある彫刻を調査中の一コマ。
写真左で彫刻と並んでいるのが角さん
写真提供:広島市現代美術館

学校や母体となる財団の関連施設だけではなく、街中で活動する中での貴重な出会いも多かったという。


松岡「大きかったのは、「カミハチキテル」【※12】の人たちに会えたことでしょうか。僕たちがワークショップの場所を探していた時に彼らと出会い、場所を見つけてくれたんです。カミハチはいろんな人たちの集まりで、行政のお金も入っているんですよ。というのは広島市内に空き地ができた時に、それをどう有効活用するのかとか。市内中心部をより魅力的な街並みに整えるには何が必要なのかとか、そういう社会実験をやっている方々で。今後も美術館が街中に展開していく時に、強力な味方になってくれるんじゃないかな。」


「考えれば当たり前のことなんですけど、私たちには常に展示室があって、そこが自分たちのホームになっていて、アウェイで展示やワークショップをやることってほとんどなかったんです。だから急に外でやるってなっても、全然場所を知らないってことに、遅いんですけど気がつきましたね。」


休館期間中に、「展示」をどう開くかは大きな課題となる。館内で実施ができないので、必然的に全く異なる場所で展示を企画しキュレーションすることになるが、そういったある種の実験も、休館中にしかできないことのひとつだろう。それは今まで数多くの展覧会を企画運営してきた、松岡・角にとっても同様であるという。


「本当に勉強になりました。そして何より普段繋がらないような人たちと繋がることができたし。休館中の活動がなかったら、鶴見分室101の大家さん、三澤さんとも出会うことがなかったし、本当に貴重な期間だったと思います。普段会う人たちとぜんぜん違う人たちと出会いましたね。」


それは都市のポテンシャルを、人を通して再確認するような作業だったのではないだろうか。ひとえにアートに関わる人といっても数多くのプレイヤーが存在するし、次期アートネイバーとなりうる人も数多く存在する。展覧会というフレームを超えて、美術館のキュレーターが都市の人々と接続し、今後につながるような関係性を築けたことは、広島のアートシーンのこれからを考えていく上でも大きかったのではないだろうか。

現場サテライト

一方、休館中の館内では、改修工事と並行して、アーティスト集団であるヒスロム【※13】が改修工事「現場」を舞台に、その移行の過程に合わせて様々なアクションを展開する「現場サテライト」を定期的に実施していた。松岡は、自身が行政・工事業者と館の間に立つ役割だったこともあり、ヒスロムのサポートをメインで行っていたという。


松岡「工事業者から、工程の進行予定を共有いただいていたので、基本はそれに合わせてヒスロムが来て、何かを作ったりアクションをしたりしていたんですけれど、それ以外にもふらっときて、しばらく泊まって写真や映像をとったりもして、経過報告会とかもやって。それを最後の展覧会で見せる予定でした。【※14】」


「どんどん変わっていく工事現場の中で、どうその場に応じていくのか、ヒスロムらしい面白さがありました。その過程を見ていて楽しかったです。」


松岡「彼らは彼らでまた仲間を連れてきたりもしますしね。それでそういう人たちと僕らが繋がれたりとかもしますしね。」


広島市現代美術館では、休館中も美術館内に事務所があり、通常業務を行っていたそうだ。改修工事と言っても、その規模によっては全く敷地内に入れないこともある。その場合は仮設事務所を館外に作り、職員全員がそちらへ移って作業をすることになり、工事業者とのコミュニケーションも限られたものになってしまうが、広島市現代美術館の場合は、館内に残ったからこそ生まれたコミュニケーションもあったという。


松岡「こちらはプロジェクトとしてやっていても、工事現場の皆さんからすれば危険な現場に出入りされることになるわけですから、ちゃんと理解をしてもらわないといけない。だから毎週の改修工事の会議のほか、工事の人たちの朝礼に僕たちも参加させてもらったりもしました。内装班とか電気班とかが挨拶していく中で、ヒスロムは今日これしますとか、そういう挨拶をして。幸運だったのは、工事の皆さんがすごく面白がってくださったことです。美術館という普段関わらないところだからということもあって、自分たちのPRにも使わせてもらえないかと言ってくださったりもしました。」


「うちの広報がインスタグラムでずっと情報発信していたんですけど、たぶん普通じゃ考えられないことを色々とやらせていただいていたと思います【※15】。工事の人たちにはお手間をおかけしたんですけどね。」


松岡「あと館長をはじめとする上司や総務課の人たちも暖かく見守り、時には付き合ってくれたんです。だから多少変なことでもやりやすかったです。みんな半ば呆れつつ応援してくれていて(笑)。」

「現場サテライト」パフォーマンス撮影時の様子。
写真右で補助をしているのが松岡さん。
写真提供:広島市現代美術館
ヒスロム「現場サテライト」記録・資料展示2
広島市現代美術館・鶴見分室101(2022年5月24日~8月27日)
写真提供:広島市現代美術館

広島市現代美術館のBefore/After

広島市現代美術館は、2023年3月18日、約2年3か月の期間を経てリニューアルオープンを迎えた。記念特別展「Before/After」【※16】を開催し、その後精力的に活動を続けているが、リニューアルオープン後、街との関係性に変化はあったのだろうか。


松岡「また忙しい毎日が始まったので、休館中みたいに頻繁に外には出られないんですけど、やっぱり相談できる人は増えましたよね。」


「こういう状況をどうすればいいかとか、誰々さんに聞いてみたらいいとか、そういうのはちょっと広がりましたよね。あと願望もありますが、学校との関係性も今回の活動で少し近くなったのかなと思っています。作品を預けていた学校の人たちに、お預かりいただいていた作品を改めて見に来てもらったのですが、美術館が近くなっていればいいなと。」


松岡「分室の時に、街のいろんな人と出会ったんですが、話してみたら距離が縮まったというか、元々館に来てくださっていた人も多くて。リニューアルオープン後も、毎回きてくださっているなっていうのを再確認したりとか。コアなお客さんを認識するようになったことも大きいように思います。」


美術館側が鑑賞者を認識するというのも重要だが、休館中の活動から、市民側が美術館で働いている人たちの顔が見えるようになったことも重要だ。普段、美術館では展覧会やワークショップなど、館からのメッセージを受ける機会は多いが、職員と話す機会はそう多くない。しかし鶴見分室101をはじめ、街に美術館の職員が出てくることで個人を認識し、繋がりが生まれる。美術館内の人と鑑賞者との接続。これも休館中であったからこそ生まれたものだと言える。

「人」に対しては出会いに応じて必然的に再考することが多かっただろうが、「建物」の観点ではどうだろうか。


「建物については、リニューアルしたから終わりという訳ではなく、館が続く限り、どうしていけばいいか、ずっと考えていかないといけないことなんです。私たちも、もっとこうだったらいいのに、と要望を口に出すのは簡単なんですけど、理想と現実は違いますし、予算によって可能なこととそうでないことの葛藤とか、建設当時も同様だったんだろうなというのを、今回身をもって感じましたね。

建物には寿命がありますから、改修工事はある種の延命処置だと思うんです。だから今回の改修で美術館がどれくらい延命して、次の世代の人がさらにどうするか。そういうのを考えていくきっかけにもなりました。さらに時代の要請というのも10年、20年経っていったら変わってくるでしょうし。その中で何ができるのか、課題は常に残るのかなと思っています。ピクトグラムの件もそうだよね?」


松岡「そうだね。今回、建物内のピクトグラムを、刷新したんですよ。89年に開館した館なので、今の社会状況にもちろん合わせていかないといけないので。」


「当時のピクトグラムを考えた時に、どうしてもジェンダーの問題と照らし合わせるとおかしいところがあって。多機能トイレについても、どういう表記にするのか、何がふさわしいのかと考えても、正解がないんです。その時に松岡さんと、黒川紀章事務所の人が色々とアイデアを出してくださって。建物の形状から形をとってピクトグラムを作ったんですが、一部ではわかりにくいとか色々なご意見もいただきました。

ただわかりにくいものを作ろうとしていた訳ではもちろんなくて。様々な性のありように配慮したり、多様な色覚の方に配慮をしたり、なるべくいろんな人が、少し時間がかかったとしてもお手洗いを選べるようにピクトを作ったんです。100点の回答はないと思うんですが、じゃあどうすればいいのか。建設的な考えをオープンに話せる環境や土壌を公共施設が作っていけるようにならないとなと感じました。」

館内のピクトグラム
写真提供:広島市現代美術館

松岡「もちろん、時代に合わせて少しずつ改めていかないといけないんですけど、それを考える過程を、中の人たちだけでやるのではなくて、問題意識とか課題をみんなで共有しながら考えましょうというアプローチが大事だよねという話になり、「もかけん(もっとかわっていくための検討会議)」【※17】というプログラムになったんです。参加者を募集して勉強会や意見交換会をしたりしています。

完成されたものを提供するだけじゃなくて、こういう課題も抱えながらやっているんですよということを知ってもらうことも大事だなと、リニューアルオープン後に意識するようになりましたね。そういうことも開示してくことで参加してくれる人もいるし、仲間も増えるんじゃないかなって。」


公立の建物は当然「公共性」が重視される。しかしその建物は建設当時の社会背景をベースに設計されており、おのずと時代から遅れていく。それを広島市現代美術館のように数十年ぶりにアップデートするとなると、変化の振れ幅も大きい。現代社会を起点としながらも、時代の変遷を理解し、今後10年、20年後の社会を想像して考えていかないといけない。

公共性という曖昧なものの形を捉える時、本来は公立の建物の職員だけでなく、同じ都市に暮らす市民の視点や意見が常に必要ではないだろうか。公共のものはその名の通り、その都市で暮らす全員のものである。ゆえに私たちは、自分たちが公共の建物にどう関わっていけるのかを考え、ボトムアップで提案していくことが今後ますます変化する社会の中において重要となるだろう。


松岡「これまであまりできてこなかったものとして、マスに向けたものだけじゃなくて、少しずつでも双方向的なプログラムができるといいなと思って活動しています。とはいえ一方で、指定管理者として入っている以上、必ず数の問題があって。マスに向けてもやっていかないといけない。だからバランスを取らないといけないですけどね。」


それこそ休館中に出会った人たちと協力することで、そのコミュニティの人が来場したりと、マスに向けた広報とは異なったアプローチによって、リテンションが高まった来場者を確保することができるのではないだろうか。サービスやコンテンツが増える中、多くの企業で今は、ファンとのリテンションをどう高めるかということが課題となっている。公共の場所として美術館が多角的に活動すればするほど、様々な領域からファンが作れるのではないだろうか。


松岡「入館者数だけではない評価基準を、自分たちでもちゃんと持ちたいなとは思っています。それでいうと、お客さんがすごく多様になったことは良かったと、みんなでよく話しています。今までは現代美術ファンか、一部の海外からの観光客の占める割合が大きかったんですけど、そうじゃない来館者が多くなった印象です。美術館のあるこの山の周辺も公園として整備が進んだこともあって活性化して、それこそファミリーで来られるお客さんも増えているような気がします。展覧会目的だけじゃない来館者も多くて、それをどう指標として測っていくかも考えないといけません。」


「今回の休館中の活動がまさにそうだったんだと思いますけど、草の根的な活動でファンを広げていくことが大事ですよね。」


松岡「公共の施設の中でも、地元の人と県外、あるいは海外の人たちが混じり合う空間ってそう多くはないと思うんです。そんな美術館という場所の価値を自分たちでどう評価するか、どう示していくか、それをこれからも考えていきたいですね。」


公共の施設の中でも特に美術館は、「問いを立てる」ことができる場所なのではないだろうか。アート作品の展示を通し、現代社会に対しての新しい視点を提供し、ワークショップで抽象的な概念を再構築して感覚を広げる。そのような特異性をもった公立の建物はなかなかない。来館者視点で言えば、歴史だけでなく現代社会的な視点での学びが非常に多い場所だと言える。

令和に入ってから、広島市現代美術館だけでなく、京都市京セラ美術館や千葉市美術館、滋賀県立美術館、大阪市立東洋陶磁美術館など改修工事で生まれ変わる美術館が多い。各地域において、美術館がこれからの時代にどのような役割を担っていけるのか、地域の連帯と共に、自分たちの公共のあり方というものを考えていきたい。

もかけん「第1回:ピクトグラム編」プログラム(2024年4月29日)
「トイレのピクトグラムのジェンダー表現をめぐって」

写真提供:広島市現代美術館

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

関連情報 

広島市現代美術館 | Hiroshima MOCA

(URL最終確認2024年7月1日)

注釈

【※1】詳細は「休館中ニュースレター Untiled Vol.1 PDF版」に掲載されている松岡さんのコメントを参照されたい。

(URL最終確認2024年7月24日)

【※2】国土交通省|バリアフリー法に関してのページ

2014年1月に障害者権利条約の批准、2016年4月に障害者差別解消法の施行、2013年9月の2020東京オリンピック・パラリンピック競技大会(以下「東京大会」という。)の開催決定を契機として、全ての国民が共生する社会、いわゆる「共生社会」の実現を目指し、全国においてバリアフリー化が加速している。
(URL最終確認2024年7月1日)

【※3】東京都現代美術館のリニューアル
(URL最終確認2024年7月24日)

【※4】株式会社 黒川紀章建築都市設計事務所

記事内で松岡が言及していた「共生の思想」に関しては、黒川紀章の著作『共生の思想:未来を生きぬくライフスタイル』徳間書店 (1987)を参照されたい。
(URL最終確認2024年7月24日)

【※5】「また会う日まで」2023年12月
(URL最終確認2024年7月24日)

【※6】note|広島市現代美術館
(URL最終確認2024年7月24日)

【※7】鶴見分室101(いちまるいち)
(URL最終確認2024年7月24日)

【※8】第2三沢コーポ
(URL最終確認2024年7月24日)

【※9】雁と鶴
(URL最終確認2024年7月24日)

【※10】どこかで?ゲンビ

館外展示プロジェクトとして、美術館外の様々な場所(街中はもちろん、学校、公共施設など)で展示を実施した。

【※11】広島市文化財団の施設一覧
(URL最終確認2024年7月24日)

【※12】カミハチキテル HEART OF HIROSHIMA-
(URL最終確認2024年7月24日)

【※13】ヒスロム

(URL最終確認2024年7月24日)

【※14】ヒスロム「現場サテライト」

リニューアルオープン後、ヒスロムの「再現場・サテライトII(仮)」が開催予定であったが、大麻栽培の疑いでメンバーが逮捕。展示は中止となり、代わりに「オープン・プログラム 再現場」を開催することになった。
(URL最終確認2024年7月24日)

【※15】工事日記|広島市現代美術館 Hiroshima MOCA
(URL最終確認2024年7月24日)

【※16】リニューアルオープン記念特別展「Before/After」

2023年3月18日〜6月18日

【※17】もかけん(もっとかわっていくための検討会議)

(URL最終確認2024年7月24日)

INTERVIEWEE|

松岡 剛(まつおか たけし)

広島市現代美術館・主任学芸員。1998年より広島市現代美術館に勤務。近年の主な企画に、「赤瀬川原平の芸術原論展」(2015年、千葉市美術館、大分市美術館との共同企画)、「殿敷侃:逆流の生まれるところ」(2017年)、「開館30周年記念特別展『美術館の七燈』」(2019年)、「ヒスロム:現場サテライト」(休館中長期プログラム、2020-23年))、「新生タイポ・プロジェクト」(休館中長期プログラム、2022-23年)など。現在、2024年11月30日から開催する「原田裕規展」を準備中。

角 奈緒子(すみ なおこ)

広島市現代美術館 学芸員。2006年より広島市現代美術館に勤務。これまで企画した主な展覧会は、「この素晴らしき世界:アジアの現代美術から見る世界の今」(2011-12)、「俯瞰の世界図」(2015)、「世界が妙だ! 立石大河亞+横山裕一の漫画と絵画」(2016-17)、「松江泰治|地名事典」(2018)、「夏のオープンラボ:澤田華360°の迂回」(2020)、「リニューアルオープン記念特別展Before/After」(2023)など。現在、2024年9月21日から開催する「ティンティン・ウリア:共通するものごと」を準備中。

INTERVIEWER|桐 惇史(きり あつし)

+5(plus five) 編集長。ART360°プロジェクトマネージャー。

1988年京都府生まれ。京都外国語大学卒業後、学習塾の運営に携わりながら、海外ボランティアプログラムを有する、NPO法人のプロジェクトリードに従事。その後、ルーマニアでジャーナリズムを学び、帰国後はフリーランスのライターとして経験を積むかたわら、大手人材紹介会社でコンサルティング営業、管理職として組織マネジメントなどに携わる。現在は「+5」の推進をしながら、「言論空間の拡張」をキーワードに、アートと他領域を再接続するメディアプロジェクト「dialogue point」のディレクションなどを行っている。