写真には主に「記録」、「伝達」、「表現」の3つの機能的効果があると言われる。特に近年はInstagramを中心とするSNSの台頭により、「表現」の領域は飛躍的に拡張したと言っても過言ではない。ミラーレスカメラを中心としたカメラ機器も、毎年新たな機能を携えて新作が発売され、各社が表現領域のさらなる拡張にしのぎを削る昨今である。しかし19世紀に写真が生まれてから、その性質の根幹と言ってもいい「記録」のあり方は、毎日写真が大量に投稿される中で、どこかおざなりにされていないだろうか。また記録と強く結びつく「伝達」の本質は、装飾された表現の中で、どこか置き去りになってはいないだろうか。
表恒匡(おもてのぶただ)さんは、関西を中心として数多くの展覧会、作品を撮影してきた写真家である。表さんはアートや建築の撮影に特化し、同領域における記録のあり方を、ファインダーを通して自己に問い続けている。
今回は表さんの活動を通して、「記録」と「記録者」の関係性を見つめ直していきたい。
ーー表さんがアートに携わるようになったきっかけは、どのようなものでしょう。
表:出身は広島の山奥なのですが、美大を受験するための絵の勉強で、関西に出てきたのが1つのきっかけです。昔から絵を描くことは好きだったのですが、高校生のころは美大が何をするところかもよくわかっていませんでした。普通の大学に行くのは面白くないなと思い、好きなことを勉強しようと思ったんです。それで高校3年の夏に、神戸まで出て美術系の予備校の夏期講習を受けたんです。そこで初めて、美術の勉強ってこういうことをするんだって知って。その流れで京都精華大学に進み、油絵を専攻していました。
ーー大学での専門は写真ではなく油絵だったのですね。当時は油絵以外の選択肢は考えなかったのでしょうか?
表:不思議となかったですね。他の大学も受けましたが専攻はすべて油絵でした。最初はデザインにも興味がありましたが、予備校の先生に、絵を描くほうが向いているんじゃないかと言われて。あまり深く考えずに油絵に絞りました。
ーー油絵から写真に興味が移っていったのには、どんな背景があったのでしょうか。
表:大学卒業後は大学院に進学しましたが、専攻は油絵のままでした。当時、2000年代前半はインスタレーションなどの空間芸術のほうが勢いがあって、絵を描くこと自体があまり流行らなかった時代だったと記憶しています。大学院の指導教員も彫刻家で、「絵なんか描くな」って言われて(笑)。
ただ僕自身、絵画作品自体は好きなんですけど、自分で描く絵には全く面白さを感じられていませんでした。描いて作品にする意味がよくわからなくなっていました。
写真に興味を持ち始めたのは、大学から大学院に進んだころです。大学4年生で初めてフィルムカメラを買って、大学院に入ってから作品を作るようになりました。
写真を撮るようになって、二次元のものをどうやったら三次元にうまく接続できるだろうか、と考えるようになりました。平面図像が物質に載っかる感じが面白くて、このまま写真を使った制作を続けていきたいと思ったんです。
ーーアーティストとしての表現活動も、写真が中心でしたか?
表:そうですね、写真作品が多かったです。写真と言っても、立体作品と写真効果を組み合わせたものが多かったように思います。例えばアクリルマウントしたプリントを曲げたり、黒く塗った能面をぴかぴかに磨いて、そこへの写り込みを意識して撮影した写真を使ったり。その頃は海外のレジデンスプログラムなどにも応募していたり、自分なりにある程度の活動はしていたような気がします。
ーー今でも表現活動はされているんですか?
表:いえ、今では全くありません。20代後半くらいから、アーティストという感覚もなくなりました。仕事のタイミングとか、色々重なったことも要因としてあるのかもしれませんが、作品を作る必然性を全く感じなくなったんです。ちょうど前後して、カメラや写真作品がアナログからデジタルデータへ大きく移行していった時代で、写真作品の本質的なものも、物質から情報に移りかわっているように見えました。様々なものがそうしたデジタルデータへ変化していく中で、自分の表現はそれに合わせられないなと。開業して、後で話すような作家たちと関わり始めた時期でもあり、一部のその人たちのように、人生を賭けて制作してまで表現したりするようなことは自分にはないなと思い始め、制作することに意味を感じなくなったのかもしれません。
ーー卒業されてからはどのようなことをされていましたか?
表:その大学の助教をしていました。ただ給料は雀の涙で、しかも夏休みなど、長期休みの期間中は仕事がなくなるから生活もしていけなくて。その頃はすごい貧乏でしたね。並行して、写真スタジオのアルバイトを不定期に続けていました。京都で和菓子を撮っていたスタジオで働きながら、撮影技術の勉強をしていたんです。
ーー写真の仕事に関わるようになったのはその頃からですね。アートを対象にした写真を始められたのはいつくらいからですか?
表:大学やスタジオでのアルバイトを経て就職したのが、カフェギャラリーの仕事です。ギャラリーの設営や展示品の写真撮影をしていました。
展示は2週間に一度変わるので、その度に記録する必要がありました。カフェを併設していたギャラリーだったので、撮影が始まるのはカフェ閉店後の夜11時。そこから夜通し撮影するんですが、それがすごく楽しくて。あの頃仕事をしていて一番好きな時間でした。これがアート作品を撮るようになったきっかけだと思います。
ーー本格的な仕事として作品写真を撮られるようになったのは、どんな経緯があったんでしょう。
表:展示品を撮っている時間は楽しかったんですが、就職して1年くらいで、仕事をやめたいなと思い始めました。その時に出会ったのが、僕の師匠となる豊永政史【1】さんです。豊永さんはヤノベケンジさんや名和晃平さんの作品を長く撮っていて、写真撮影はもちろん、本もデザイン、制作している方でした。アシスタントを探していると聞き、紹介してもらったんです。
最初の頃は手伝いとして参加しながら技術を覚えていきました。名和さんのPixCellシリーズ【2】のライティングは大変で、美術品でもこういった撮影の方法があるのかと、勉強になったのを覚えています。
また、名和さんはちょうどその頃、スタジオをSANDWICH【3】に移している時期で、その経過の写真撮影も任せてもらいました。アートマガジン『ART iT』に、廃墟のサンドイッチ工場の写真を載せてもらいました。あの時代の撮影は「変わっていく何かを撮っておいてほしい」という感じでしたね。
そうやって豊永さんの手伝いをしているうち、ある時期から撮影を任されるようになりました。豊永さんにアーティストの方々を紹介してもらい、機材も無償、無期限で借り、写真家として本格的に活動し始めたのが、28歳くらいの頃です。
ーー名和さんのアーカイブ制作にもかなり関わっておられたんですね。これまでの撮影の中で印象に残っている撮影はありますか?
表:印象に残っているものは大概が大変だったときですね。例えばルーブル美術館での展示撮影では、徹夜後にフライトで現地にたどり着いたらそのまま夜通しで作業し、翌日の休館日も終日撮影でした。夏のフランスは日没が夜10時頃だったので、朝6時の夜明け頃から日没までずっと撮りっぱなし。夜間ライトアップされた写真も撮る必要があったので、結局深夜2時頃まで撮影する、というのを4日間繰り返していました【4】。でも、不思議と疲れは感じませんでしたね。現場と作品の面白さと、プレッシャーもあったので、ちょっとテンションがおかしかったのかもしれないです。
ーー表さんは建築作品の撮影もされていますが、そちらのジャンルに携わるようになったきっかけはなんですか?
表:永山祐子【5】さんという建築家の方に依頼してもらったのが大きなきっかけです。とあるプロジェクトに参加した際、名和さんから紹介してもらい、永山さんの建築作品を撮影することになりました。そこから知り合いづてに広まり、建築の仕事が増えていった感じです。名和さんも建築作品を作られるようになったので、それも撮っています。
ーー美術作品と建築物作品を撮るときの違いはありますか?
表:撮り方の違いはありますが、「いい資料を作りたい」という基本スタンスはどちらも変わりません。アーティストや建築家が作品を通して何をしたかったのか、何を伝えたかったのか、をちゃんと伝えたいと思っています。
写真で表現できる情報量には限りがあるので、すべてを伝え切ることはもちろんできません。それでも、できるだけのことを伝えられるように撮りたいと思っています。
ーー作品の写真を撮る時には、どんなことを考えて撮影されるんですか?
表:僕に撮影依頼をされる作家さんの作品には、写真に写りにくいものが多いんです。カメラの性能が上がった今でも非常に撮影しにくいものがあります。作品らしさをどう表現するかは一番難しいと思っています。
例えば、宮島達男さんの作品は光源が素材です。光って、変わっていく数字と、作品の光に照らされた空間自体が作品です。これを撮る時、光源の色に明るさを合わせると、空間は真っ黒につぶれてしまう。逆に空間に合わせると、光源の色は真っ白に飛んでしまう。人間の目ではどちらも不自然なく見えているのに、今のカメラでは写せないので、光も空間も、両方とも目に見えているように工夫して撮影します。
ーーただ単に被写体に向けてシャッターを切ればいいというわけではないんですね。
表:はい。例えば大庭大介【6】さんの絵画には特殊な塗料が使われているものがあり、見る角度によって色が変わります。単純に正面から撮影すると、その感じは再現できません。絵がかかっている空間でうろうろ歩いて視点を移動させながら見る体験とは全く違う記録になるからです。本当の色が何か分からないという作品ですが、一枚の写真に記録しなくてはならない。
これに対しては、いろいろな角度から光を当てて撮った写真を合わせて1枚にする、という方法をとりました。記録写真としては嘘なのかもしれません。でも作品の印象を伝えるためには、こういった操作が必要だと判断しました。自分のためではなく、作家、作品の伝えたいことを表現するためです。どこまで手を入れるかは難しいところですが。
基本的に写真は1点からしか撮ることができないので、必ず何かの情報をそぎ落とさなくてはいけないですよね。なるべく本質を変えないようにそぎ落とさないといけないし、逆に、かなりそぎ落とした方が伝わるときもあります。
ーー単純にうまい写真を撮るということではなく、写真の操作も重要なポイントなんですね。その時基準となるものはなんですか?
表: 目で見たときの印象を再現することを、重視しています。「記録」としての機能が大切だと思っているので。たとえば、絵画作品には色(何が描かれているか)と物質感(何に何で描かれているか)という2つの要素があり、1枚の写真ではどちらかしか表現できないこともあります。その場合は、それぞれにフォーカスした写真をセットで納品することもあります。
ーー表さんの撮る写真は、ご自身がアーティストとして活動された経験も反映されていると思います。その観点で現在、写真家としての「作品」を作っている感覚はありますか?
表:全くないです。アーティストの作品は、アーティスト自身のもの。それを撮った写真も、僕のものだという感覚は少ないですね。写真はアーティストのものであると同時に、後世への資料でもあります。100年後に僕の撮影した誰かの作品写真を見る人がいるかもしれない。100年後の学芸員が参照するとしたら、情報量が多い資料のほうがいいじゃないですか。
後の世代の人に、「こういうものがありました」とちゃんと残さなくては。僕はそれを、記録しているだけとういう感じです。
ーー普段のお仕事は、基本1人で進めておられるのですか?
表:はい。ただ必要に応じて、チームで動くこともあります。パフォーマンスの作品は複数の視点で撮って欲しいという要望がアーティストからきたりもします。同時に多くの写真を取らないといけない時や、自分1人の力では要望に応えられない時は、そのような形で動くこともあります。【7】
ーーなるほど。1人でできない記録もありますもんね。ちなみに仕事以外で写真を撮られることはありますか?
表:いえ、ないですね。娘くらいです。何かに自分が満足するために、写真を撮ることは、それ以外ではなくなりましたね。
ーー表さんは自分の個性に固執しないスタンスがあるように思います。そういうものも、記録写真を制作する上で重要な要素なのかもしれませんね。
表:どうでしょうね。資料としての記録写真の良し悪しは自分で選べませんからね。自分で評価することができないと思います。僕が個人的にこの写真はどうこうという能書きを話しても、資料としてはあまり優劣も変わりません。そもそも撮影対象は人が作ったものですし、資料をどう活用するかということも、第三者に委ねられます。だから僕も、資料の活用範囲を決めるというようなこともしていません。自分が選べないことは気にしてもしょうがないので、そういう考えが出ているのかもしれませんね。
ーーなるほど。同業者の仕事という観点ではどうでしょう。注目している写真家や、好きな写真家はいらっしゃいますか?
表:好きな写真家のひとりに、安齊重男【8】さんがいます。美術作品の記録では、やっぱりこの方が第一人者でしょう。現代アートの記録者としても有名な方です。ご活動を始められた当時は写真家やカメラそのものが少ない時代でした。安齊さんが撮っていたから残っているだろう作品の写真も多いです。
安齋さんは、自分の写真作品を作っている、というスタンスを崩さない人だったのだと思います。写真自体が安齋さんの作品であり、作家の作品でもあります。
他には、自分とは違う、アーティストである写真家が好きなのかもしれないですね。写真作品で実際の空間を埋められる強さを持っている方も好きです。
ーー表さんはご自身ではどのような写真家だと思われますか?
僕は手堅く仕事をしていきたいタイプなんだと思います。ある程度の打率で、コンスタントに撮影していこうと。たとえば広告写真は華やかで、稼ぎも良いと思うのですが、あまりやりたいとは思わないし、そもそも依頼もないです。広告は時代に合ったセンスが必要で、作家性が問われるジャンルです。しかも、たくさんの人が関わって出来上がる仕事ですから、自分だけで物事を決めることができない。それはきっとしんどいでしょう。
自分の性分からすると、資料を作っていることのほうが絶対楽しいんです。普段見ることのできない作品に関わることができ、見たことのない一面を見ることができて、写真を通して記録を作ることができる。それは、自分の名前が売れることよりもはるかに楽しいし、嬉しいことです。
ーー普段アーティストと接することも多いと思うのですが、記録を通して表さんが興味を持つのは、どんな方でしょう。
表:特に誰というのはないですが、何をやっているのかよくわからない人は楽しいなと感じます。社会で良しとされる価値観に近しい制作物や作家は、放っておいても受け皿はたくさんあると思う。でも僕は、そうじゃないもののほうが好きです。
ーー今後挑戦してみたいことなどがあれば教えてください。
表:これというのは特にありません。そういう意味ではエンジニアみたいなもので、自分が目指す高い品質を意識して、コンスタントに記録していく。そういう継続意志が大事だと考えています。
ーー表さんのような写真家を目指される次世代の方に向けてのメッセージをいただけますか。
表:写真家は資格が必要ない仕事ですから、興味があったら誰でも進んでみればいいと思います。
ただその時、自分が心から面白い、追いかけたい、対象や作家がいるかどうかはとても大事かもしれません。何かを撮ろうと思ったら、その気持ちが初めに必要なはずですから。
でもまずは、自分の好きなように進めばいいと思います。
取材場所|小規模アート複合施設 kumagusuku
注釈
【1】豊永政史
京都市立芸術大学大学院ビジュアルデザイン研究科修了。京都精華大学教員。現代美術等の文化領域の中で、写真の撮影、展覧会の広報物や図録、出版物のデザイン制作などにも関わる。デザインや写真を通して社会とアートとの接点をつくる仕事は多岐にわたる。
【2】PixCellシリーズ
【3】SANDWICH
【4】ルーブルでの活動写真
Installation of a monumental sculpture at the Louvre Pyramid.
【5】永山祐子
【6】大庭大介
【7】多視点撮影の一例
The Wings of the Sun | 日輪の翼 TRANS-KOBE
【8】安齊重男
1939年〜2020年。1957年神奈川県立平塚高校応用化学科卒業。
現代美術作家として美術作品を制作しつつ、1964年まで日本石油中央技術研究所に勤務。1970年に美術家たちの作品の記録を開始。世界中の現代美術作家、及び美術関係者のポートレイト、パフォーマンスやハプニングアート、インスタレーション等の作品を撮影した作品を発表した。特に彫刻家のイサムノグチを撮影したシリーズが有名。2004年から多摩美術大学で教鞭も執っていた。
INTERVIEWEE|表 恒匡(おもてのぶただ)
HP:ART AND ARCHITECTURAL PHOTOGRAPHY 表恒匡
1981年 広島県庄原市出身。
2005年 京都精華大学 大学院博士前期課程 芸術研究科修了。
2009年より美術作品(絵画、彫刻、陶芸、映像、パフォーマンスアート、また展覧会のインスタレーションビュー)、建築の写真撮影業。名和晃平、宮島達男、永山祐子など多数。名和晃平主宰のSANDWICHに初期より記録撮影として携わる。
INTERVIEWER|土谷 真咲(つちやまさき)
東京都出身、慶應義塾大学システムデザイン工学科卒。大学、企業等での広報職を経てライターとして独立。
一般企業の広報用インタビュー記事の執筆をメインとして経験を積む。
現在は京都に拠点を置き、企業や団体のブランディングや情報発信をサポートしている。