2024年3月に、共同スタジオ山中suplexで始まった「シェアミーティング」。各地からオルタナティブな活動を実践するアートネイバーが集まり、山籠りをしながらそれぞれの活動や現在地について「シェア」をするらしい。その特異性をぜひ探りたいと思っていた矢先に、第2回目が開催されると聞きつけ、ライターの山本佳奈子さんと参加してきた。立場や状況の異なる人々が集まり、どのような「シェア」がなされていたのか。山本さんのルポを通してお送りする。(+5 編集部)
ライブハウス出身の私は、アート界隈の「シュッとした」雰囲気にどうも居心地の悪さを感じることがある。山中suplexといえばカジュアルな場をつくるイメージだが、さすがにシェアミーティングというアート関係者交流の場をオーガナイズするのなら、「シュッとした」感じに仕立てるのでは……などと心配しつつ支度をして、身構えながら山中suplexへ向かった。
着いてみると心配無用。シェアミーティングの会場である山中suplexは、ベニヤ、トタン、鉄パイプが剥き出しになったカッコつけない造作で「シュッとした」雰囲気とは無縁。半分屋外になるこの空間で過ごしはじめると、土や砂埃にさらされ、服装も化粧も汚れもどうでも良くなってくる。しかもテント泊のキャンプである。ありのまま、素顔で、普段着で、過ごすしかない。そうなってくると、会話やコミュニケーションも、素顔になってくる。観察していると、アート関係者どうしも本音のぶっちゃけ話を自然に交わしている。
山中suplexは、計算ずくでこの演出をしているに違いない。この環境でのキャンプは、いとも簡単に人と人との壁を取り払い、丸裸の付き合いを可能にする。
滋賀県大津市山中町、比叡山の山麓に位置する共同スタジオ「山中suplex」にて2025年3月22日から2日間行われた「シェアミーティング2」には、8組の「オルタナティブ・イニシアチブ」【※1】(後に詳述)が招かれた。それぞれのノウハウ等を共有するこの場には、この会に興味を持つ一般参加者も加わり、総勢約60名がテント泊で共に2日間を過ごすというものだった。
ざっくりいえば、自律的に活動しているアート関係者たちが、互いの経験や思考に耳を傾け、議論し、食べて、飲んで、考える約30時間。春とはいえ、山中suplexが位置する山中町は昼夜の気温差が激しく、夜間には比叡山から降りてくる冷気が体を冷やす。冬より格段にやさしい気候とはいえ、人間がコントロールできない自然環境下に身を置くなかなか厳しい体験だった。この過酷な状況を皆で同時に体験しなければ、出てこなかった話題もあったかもしれない。そしてそれは、このキャンプの参加者である自律的なアート関係者たちが、普段から身を置いている「決してやさしくない環境」の暗喩であるかのようにも思えてくる。
この文章は、総勢約60名強の参加者とともに約30時間を共に過ごした私が、このシェアミーティングを観察したルポである。1日目を前編、2日目を後編として計2本の記事で構成している。現在アートスペースやアートプロジェクトに関わっていない私だが、なるべく議論が盛り上がったポイントは押さえたつもりだ。またそれぞれのオルタナティブ・イニシアチブの活動全貌については、ここでは無論語りきれない。それについては各イニシアチブのウェブサイトやSNSに任せるとして、ここでは、あくまでもこのキャンプでなされた報告や対話を追体験してもらうことを目的としている。加えて、このシェアミーティングがアートシーン全体に影響を与えることを期待して、若干の批評(特にアジアとの交流に関する点)を後編の末尾に記した。また文章の性質上、発言者名についてはすべて敬称を省略したことをご了承いただきたい。
3月22日(土)13時頃、参加者が山中suplexに集合した。始まりのアナウンスは、「山中suplex共同プログラムディレクターの堤が、まだ到着していません。子供の保育園の卒園式が長引いているようです」というものだった。生活感に満ちた真っ当な理由が全参加者に知らされることで、ここからの約30時間の重心の位置というか、我々が優先すべきスタンスのようなものも共有されたようだった。そのアナウンス直後、堤が到着し、シェアミーティングは始まった。
このシェアミーティングでは、8組の「オルタナティブ・イニシアチブ」がそれぞれの活動や知見をプレゼンテーションする。イニシアチブというだけに組織体系は様々で、委員や理事をもつ組織もあれば、グループ、家族体、そしてひとりの場合もある。それに活動内容もさまざまで、レジデンス施設もあればオルタナティブスペースもあり、また施設を持たない活動もある。共通するのは、継続的でオルタナティブなアートにまつわるプロジェクトを自律的に行っているという点だ。それぞれ、日本の首都以外の各地と、ラチャブリー(タイ)、ジョグジャカルタ(インドネシア)から、大津市山中町にやってきた。
「母屋」と呼ばれている山中suplex内の施設で1日4組ずつプレゼンテーションが行われ、各日最後に45分間のラウンドテーブルを実施。合間には、野菜中心の食事や、コーヒー・紅茶、お菓子を味わいながら参加者どうしで歓談することができる。1日目の夕方には小旅行のように温泉へ行き、夜は、山中suplex敷地内で盛大にBBQをして夕食。テントで就寝し、翌朝の朝食後からまたプレゼンテーションが再開。2日目の最後には、2日間を締めくくる振り返りが行われ、そして解散、下山となった。
参加人数内訳は、オルタナティブ・イニシアチブ8組が約20名、一般参加者や若手未来枠としての参加者が約15名。加えて山中suplexメンバーおよびスタッフが約25名。合計して総勢約60名強の大きな会だった【※2】。
まずは、今回のシェアミーティングのディレクションを務めた堤拓也(山中suplex共同プログラムディレクター)および鈴木一絵(SEASUN主宰)がマイクを取り、ふたりもそれぞれにオルタナティブ・イニシアチブの一員であることが語られた。足早に進んだパートであったが、ここで語られたふたりの状況や課題は、この2日間のシェアミーティングの通奏低音となったように思う。
山中suplexメンバーではなく外部から参加した鈴木一絵は、2020年頃から東南アジアの作家やカルチャーを日本で紹介するためのプロジェクト「SEASUN(シーサン)」【※3】を立ち上げ、2年ほど前から名古屋市内にスペースも構えるようになった。そこでは、映画の上映会やトーク、展覧会、レジデンス・プログラム等を行っている。山中suplexのような大所帯とは異なり「ワンオペ」で運営しているという。今回堤と共に数組のオルタナティブ・イニシアチブを鈴木が招聘しているが、形態や形式が偏らないようバランスをとり、異なる視点が入り込むことを目論んだという。【※4】
続いて山中suplex共同プログラムディレクターである堤拓也は、山中suplexの特色と、このシェアミーティングの思惑について説明した。まず、彫刻家たちによって設立された共同スタジオである山中suplexに、本来プログラムディレクターは必要ない。そこに堤が2018年から参加しているのは、彫刻家のメンバーらから「もう少し共同スタジオをオープンにしたい」という相談があったことがきっかけだったという【※5】。現在「山中suplex共同プログラムディレクター」が主導しているプロジェクト(このシェアミーティングも含む)については、共同スタジオ機能と財布を分けて、“外郭団体”として実施しているそうだ。つまり、山中suplexという同一名の団体が2つあるというふうな建て付けとなる。
外郭団体とは本来、公共団体の外部につくられた団体で、その公共団体が実施すべき活動を代行する。山中suplexにおける“外郭団体”は、外向けのプロジェクトを実施し、この共同スタジオと社会を繋ぎ合わせるような役目をしている。
ただし、スタジオ運営費を自律的にまかなっている共同スタジオ側とは異なり、“外郭団体”側はプロジェクトごとに助成金を獲ったりクラウドファンディングを成功させなければ活動できない。
そんな独特の形態でやってきた山中suplexの面々が、「メンバー内での役割分担や経済面など、他はどうやってるんだろう?」と疑問を持ったことが、このシェアミーティングの出発点だった【※6】。
この2回目のシェアミーティングについて、「クラウドファンディングでお金が集まらなければ、ニーズがないということで諦める予定だった」と堤は打ち明ける。しかしクラウドファンディングは成功、開催が叶った【※7】。そして堤はこう続ける。
「公的支援のもとに運営しているわけでもなく、商業的にやっているわけでもない、オルタナティブでインディペンデントなイニシアチブたちは、それぞれ孤軍奮闘しています。だから一堂に会する機会をつくること、さらには社会にこの領域の存在をアピールし、育てていくことも意図しています。」
鈴木と堤が先回りして「で、主催者側はどうなのか?」を話したことにより、参加者がこの2日間で思考を巡らすべき課題や問題のいくらかが提示されたようにみえる。それでは以下、時系列によって各オルタナティブ・イニシアチブのプレゼンテーションの概要とラウンドテーブルの様子をお伝えする。
「アートギャラリーミヤウチ(以下、AGM)」【※8】および「スタジオピンクハウス(以下ピンクハウス)」【※9】は、広島県廿日市市に位置している。廿日市市の人口規模は、隣接する広島市の約10分の1だ。小さな街で、どのように芸術活動を継続し広げていくのか。作家による自主的なアクションが特徴的だった。
AGMおよびピンクハウスは隣り合っている。AGMは公益財団法人みやうち芸術文化振興財団によって運営されており、ピンクハウスは財団のグループ法人によって管理されている施設を借りる形で、アーティストが独自の運営をおこなっている【※10】。AGMの学芸員である今井みはると藤田えりかによると、AGMでは作家と学芸員が共に企画する展覧会や、近隣の美術館や他施設との連携、また県内外の作家と協同する企画等に力を入れているという。
ピンクハウスは、広島を拠点とする作家の諫山元貴および手嶋勇気のシェアスタジオとして活用されている。諫山と手嶋にマイクが渡され、ふたりがピンクハウスの取り組みを紹介した。なかでも、「Pink de Tea Time」【※11】と称したお茶会はふたりが自主的に企画した取り組みで、AGMと共に2022年から取り組んでいる。
諫山と手嶋は、同じ2021年に「広島文化新人賞」を受賞【※12】。授賞式の帰り、ふたりは、喫茶店で数時間語り合った。「より若い広島の作家たちのために、自分たちが動くべきなのではないか」「自分たちでコミュニティのようなものをつくっていくべきなのでは」、そして「学芸員など、現役で活動している人と若手が長期的に関われる場所があった方が良いのではないか」と。そこで生まれたアイディアが、ふたりのシェアスタジオでもあるピンクハウスで、お茶会=「Pink de Tea Time」を開くというものだった。これは芸術や建築などを学ぶ学生が対象で、気楽にお茶会に参加してもらうことからはじまる。そのカジュアルなお茶会で、学生たちに自身のつくりたい作品やプランを共有してもらう。お茶会参加者でディスカッションを重ね、年度末には実際にAGMで作品を発表するというものだ。学生にとっては、大学の外で活動する機会となり、地域での若手のコミュニティづくりにも貢献している。1年目に参加した学生たちは親しくなり、その後も「After Pink」と冠してグループ展活動を行っている。
「AIR motomoto」【※13】は、作家の宮本華子が友人のヴァレリア・レイエスと運用する“マイクロ”レジデンス施設である。作家自身が個人で運営する小さなレジデンス施設であるからこその自由度が強調され、また助成金との付き合い方についても考えさせられるプレゼンテーションだった。
まず宮本には、自身でレジデンス施設を運用するに至るふたつの要因があった。ひとつは、地元である熊本県荒尾市に、親戚が所有する建物があり、その一部をアート施設として活用できないかというアイディアがあった。もうひとつは、作家として宮本がドイツに滞在した際、アーティスト・イン・レジデンスという仕組みを知ったことである。ドイツから荒尾市に戻った宮本は、作品を売買するようなギャラリーを自ら運営するのは難しく感じたが、レジデンス施設ならできるのではないかと考えたという。そこでアーティスト・イン・レジデンスのシンポジウムに足を運んだり、既にレジデンス施設を運営している人にノウハウを聞き、まず2年間は助成金等をとらずに自力で運用し実績を蓄えた。3年目からは荒尾市の助成金を獲得することにも挑戦。そこで培った関係性から、市観光課と「万田坑芸術祭」を開催するまでに至った。
万田坑芸術祭およびmotomotoでのレジデンスに参加した作家の井上修志は、motomotoでのレジデンス経験者として体験を語った。井上によるとmotomotoは個人運用だからこその自由度があったという。行政や組織が運営するレジデンス施設であれば時間や労力がかかってしまうようなレギュレーションも、相談しながら都度進め方を柔軟に決めていける。それが、井上にとっては制作の勢いにも繋がったという。
宮本は芸術祭の開催と数年間の助成金獲得を経て少し疲れを感じたため、今は助成金を得ず自由に運用しているという。
大阪市を拠点としながらもスペースを持たず、大阪内外で展覧会、トーク、レジデンス等のプロジェクトを展開するのが「TRA-TRAVEL」【※14】だ。
TRA-TRAVELのはじまりは、大阪がインバウンド景気に沸いた2019年にさかのぼる。作家でもある共同代表のYukawa-Nakayasuは、海外から多くの作家が大阪に観光で訪れているものの、観光だけで帰ってしまっていることに気づく。そこで、都市規模の割に国際プロジェクトが少ない大阪で、海外から訪れる作家の受け皿をつくろうとTRA-TRAVELを立ち上げた。旅行会社のような名称は、「特定の場所に依存せず、企画に特化し、人の動線を生み出す」という旅行会社の機能をアートプロジェクトに応用するという発想による。
来阪する海外の作家、特にアジア地域からの作家をこれまで多く受け入れており、トークイベントやレジデンス、展覧会を企画している。しかしTRA-TRAVELは場所を持たず、企画ごとに開催場所は変わる。さらには、参画するキュレーターやディレクターも、企画ごとに変わる。Yukawaは、都度異なるスペースやクリエイターと組むことで、経費やマンパワーをTRA-TRAVELで抱え込まず、うまく分散するよう工夫しているとのことだ。例えば、2024年にはフィリピンから作家を招聘し、滞在制作と個展を企画した。この企画をキュレーションした柏本奈津は、TRA-TRAVELのメンバーではない。普段は報道や映画の現場においてコーディネートや通訳・翻訳を手がけており、外部からTRA-TRAVELのプロジェクトに参画した形となる。
Yukawaはあらためて提案する。プロジェクトの全てを自組織で担うのではなく分散させるこのエコシステムを、シェアミーティングに参加している他のイニシアチブとも共有し、ネットワーク化できないだろうかと。そのひとつとして、TRA-TRAVELの企画を大阪だけで完結させるのではなく、国内外向けにリメイクし、他のイニシアチブを巡回させる―いわば「企画の地産地消から企画巡回」を試みるエコシステム―を視野に入れているという。
質疑応答では山中suplexの堤から、「外部化したり、さらにそれを別の場所でも巡回させるとなった場合、関係者が増えることにより調整業務も増えてコストも増えるのでは?」という質問があった。Yukawaは、「まず自分たちだけで完結させないという表明が重要」と答える。具体的には、TRA-TRAVELのプロジェクトはいつも共同で取り組む。参画する各人が、あるときはマンパワーを出したり、予算や助成金を確保したり、場所を提供したりして、そのタイミングで各自が提供できるものを出し合う。それが、無理のない有機的なエコシステムをうみ、また関係者の数だけ波及力が上がるとのことだった。
ジョグジャカルタで2015年に設立された「Artist Support Project(以下ASP)」【※15】は、作家の横内賢太郎が運営するスペースでのプロジェクトだ。美術を中心に日本とインドネシアの交流を行う。スペースでは展覧会のみでなく、映画上映会やワークショップ等も行っている。主たる運営資金は横内のポケットマネーによる。ジョグジャカルタと愛知、複数拠点を持つ横内の視座は、私たちがついドメスティックに陥りがちな感覚を解きほぐすかのようだった。
横内はASPで、インドネシア―日本間のコーディネートの役割も担ってきた。日本から作家が来てレジデンスする場合には横内がコーディネートを行い、リサーチにも同行する。しかし日本→インドネシアへの来訪は多くとも、インドネシア→日本への作家の訪問は経済的な理由から少ない。この状況を鑑みて横内は、自身の愛知県立美術館での展示「contact」の際に、自費でインドネシアから作家を招聘し、関連する展覧会を街中で開催したり、Assembridge Nagoyaの海外作家招聘事業にてインドネシア作家の活動をサポートするホスト・アーティストとして関わったりと、様々な働きかけを主体的に行っている【※16】。現在も、愛知県岩倉市にある文化センターProject Space hazi(民間運営)と連携し、インドネシアの作家の受け入れを継続的に行っている。
横内はこの10年間のASP、特にレジデンスについて振り返り、「作品をつくることだけがレジデンスの成果だろうか」と問いかける。例えば横内は、日本が戦中インドネシアで行ってきた政策をインドネシアで知り、オランダ植民地時代に描かれたインドネシア絵画から歴史を知った。そういった経験は、自分の位置を考えることになる。短いレジデンス期間で集中して作品をつくり成果を出すというやり方もあるが、むしろ、「作品をつくるだけでは足りないのではないか」と。
最後に横内は、ASPをきっかけに出会ったクラシック音楽家【※17】のことや、ASPでの予期しなかった新しい出会いについて振り返る。そこで横内は、インドネシアのアート・コレクティブ「ルアンルパ」が提唱した「アートより友だち」を横内の視点で解釈し、「その(アート界隈の)友だちになれない人や、馴染めていない人もいると思う。そういう人間の一人として、場所と関わりを作っていきたい」と話す。
まず発表を終えたオルタナティブ・イニシアチブ4組から簡単な振り返りがあった後、「地元のアート関係者ではない人とどのように関わっているか?」というトピックについて議論が交わされた。
ピンクハウスで制作する諫山・手嶋は、定期的にスタジオを公開し地域の人と交流する「ピンク喫茶」を行っているという。
TRA-TRAVELは場所を持たずプロジェクトごとに移動するが、既にそれぞれの地域でコミュニティを築いてきたスペースやシェアオフィス等を会場にすることが多い。そのため、会場ごとに地域の人々が自然と集まり、アート関係者ではない人とも接することができているとのことだ。
また、motomotoの宮本によるアイディアと報告が面白い。宮本は、レジデンス中の作家の状況や途中報告を地域に発信するツールとして、SNSではなく地域の掲示板を活用できないか検討中とのことだ。またドイツでのレジデンス滞在中、宮本は、「地元でこのように過ごせるだろうか?」と考えた。というのも、ドイツではホストマザー(70代)が文化に対して理解が深く、また町で人々がアーティストと呼ばれる人と出会っても不審者のように扱うことはなかった。そのような経験をもとに地元でマイクロ・レジデンス施設をはじめた宮本は、今度は他地域から訪れてきた作家の視点で自身の地元を見ることになり、多くの刺激を受けているという。
一方横内は、ジョグジャカルタでは、アートスペースに来るのは概ねアートシーンの中にいる人だと話す。そんな状況の中で、現地のとあるアートスペースは、町の人に向けて健康診断を定期的に行い、地域と積極的に関わろうと試みているそうだ。また、地域に開くか開かないかは、それぞれのイニシアチブのミッションや内容にもよる。横内は、「必ず地域に開かなければいけないのだろうか? 開かないという選択肢があってもいいのではないだろうか」と問いかけた。
ラウンドテーブル終了後は、大津市内の温泉施設にバスで向かい、湯で温まる。山中suplexに帰着後、盛大なBBQで乾杯となった。アルコールも提供され、初対面どうしも気軽に食事と飲み物を味わいながら、ちょっと突っ込んだ質問をしてみたり、議論を重ねていた。翌日プレゼンテーションを行うバーン・ノーク・コラボラティブ・アーツ・アンド・カルチャーのJi(ジラデート・ミーマーライ)が、フォークリフトに搭載されたDJブースからBGMを選曲。そして一般参加者や若手未来枠で参加した面々が、マイクを回して簡単に自己紹介を行った。学生、スペースやレジデンス施設を運営したい(している)人、アーティスト、学芸員、アートマネージャー、地元住民、住職、官公庁職員など、バラバラで多種多様。この自己紹介がまた、交流と歓談に拍車をかけた。
文字通り山の中に位置する山中町は、夜が更けるにつれて冷気が増してくる。夜11時頃で会はいったんお開きとなり、すぐにテントで就寝する者もいれば、日付が変わってからもなお談議を続ける者もいた。
※ 本記事の写真キャプションは編集部による
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山中suplex
(URL最終確認:2025年6月20日)
シェアミーティング2「つぎつぎに(あつまっては)なりゆくいきほひ」
上記に今回のイベント概要と各参加団体の情報が掲載されている。
(URL最終確認:2025年6月20日)
第1回目のシェアミーティング「一人で行くか早く辿り着くか遠くを目指すかみんな全滅するか」についてはアーツカウンシル東京の今野真理子さんによるレビューが『AMeeT』から出されている。こちらも参考にされたい。
『共同体と共同体の出会いから生まれるシナジー』
・前編はこちら
・後編はこちら
(URL最終確認:2025年6月20日)
【※1】シェアミーティング2共同ディレクターの堤は、オルタナティブな活動を「実践」、「先導」している人々をどのように表現するか考え、この言葉を作ったそうだ。活動だけでなく、精神も共有する本イベントに相応しい印象的な言葉となった。
【※2】前回のシェアミーティングと同様、今回も参加団体の他、一般参加枠と若手参加枠が設けられ、学生やアーティスト、キュレーターやアートマネージャー、そして大学や国の行政機関で働いている人まで多種多様な参加者が集まっていた。
【※3】SEASUN
(URL最終確認:2025年6月20日)
【※4】近年、堤は山中suplexのプロジェクトを、誰か(あるいは複数人)と共同して実施するケースが増えてきている。記事内にあるように「異なる視点」が入り込むことで、プロジェクトの有機的な広がりを期待しているそうだ。そして今回は鈴木が入ることでバーン・ノークやASPなど、アジア視点での「シェア」も期待していたようだ。
【※5】+5で過去、山中suplexについてインタビューをしているので、詳細はそちらを参照されたい。
『共同スタジオ「山中suplex」がつくりだすアートのエコシステム<前編>』
『共同スタジオ「山中suplex」がつくりだすアートのエコシステム<後編>』
(URL最終確認:2025年6月20日)
【※6】2024年に開催された第1回目のシェアミーティングは、堤と同じく山中suplex共同プログラムディレクターである池田佳穂がディレクションを担当している。
【※7】クラウドファンディングサイト「READYFOR」での該当ページ:「より豊かなアートシーンの構築を目指して:シェアミーティング2の実施」
(URL最終確認:2025年6月20日)
【※8】アートギャラリーミヤウチ
(URL最終確認:2025年6月20日)
【※9】 STUDIO PINK HOUSE
(URL最終確認:2025年6月20日)
【※10】AGMとピンクハウスは、2016年からオープンスタジオなど単発での協力はあったものの、継続して連携しだしたのは、2022年ごろからだという。相互のネットワークを共有するところから共通の知り合いが自然と増えていき、2022年に広島と九州のアーティストの交流展「ARTIST TRANSFER in Hiroshima」をAGMが開催した際には、ピンクハウスにも企画・コーディネートとして入ってもらい、協力して交流展を成功させたそうだ。そしてそこから、「Hiroshima Art Galleries Week (HAGW)」 、「Pink de Tea Time」など連携する機会が続き、協働する機会が増えたのだと今井さんに伺った。
(URL最終確認:2025年6月20日)
【※11】Pink de Tea Time
(URL最終確認:2025年6月20日)
【※12】 そろって「第2回広島文化新人賞」を受賞している。
(URL最終確認:2025年6月20日)
【※13】 AIR motomoto
(URL最終確認:2025年6月20日)
【※14】 TRA-TRAVEL
(URL最終確認:2025年6月20日)
【※15】Artist Support Project(ASP)
(URL最終確認:2025年6月20日)
【※16】各関連情報は以下にまとめる。
・横内賢太郎「CONTACT」
・Tilted Heads インドネシアのP(art)Y LABとD.D.(今村哲・染谷亜里可)のコラボ N-MARK 5G
・港まちAIRエクスチェンジ2023
・港まちAIRエクスチェンジ2024|フィトリアニ・ドゥイ・クルニアシ
(URL最終確認:2025年6月20日)
【※17】2023年8月に、「あちらこちら」の北澤華蓮(ヴァイオリニスト)と篠原美奈(アートマネージャー)がASPのレジデンスプログラムに参加した。詳細は以下。
Kesana-Kesini (クサナ・クシニ)
(URL最終確認:2025年6月20日)
ライター・編集者(バイトと兼業)。1983年生まれ、尼崎市出身。2011年、東アジア各都市のライブハウスやギャラリーをめぐり、音楽家やアーティストと交流を深めたことをきっかけに、アジアの文化を日本語で発信するウェブメディア「Offshore」を立ち上げた。現在は紙の文芸雑誌『オフショア』を発行。公共文化施設での企画制作、オルタナティブスペースの運営、文化芸術の中間支援(地方自治体の外郭団体)、東アジアでの音楽シーンの取材(自腹)などの経験がある。