1994年、神戸の旧居留地にある杉山知子のアトリエで産声を上げた芸術と計画会議(C.A.P.)は、旧神戸移住センターの190日間の実験「CAP HOUSE」を経て、NPO法人になる。建物が改修され、神戸市立海外移住と文化の交流センターとなった後、施設を管理する指定管理者の一員となるが、2014年末には杉山を中心とした創設以来の初期メンバーが抜け、元ジーベックのプロデューサーであった下田展久を中心とした体制に移行した。その後、どのような歩みを遂げるのか。第2弾では、2015年から現在までのC.A.P.について、現在のメンバーでありスタジオアーティストの山下和也さんを交えて聞いていきたい。
多くのメンバーが辞めたことで、できることも限られてくる。その際、どのような展望をいだいていたのだろうか?
下田:とにかく忙しすぎたので、1回落ち着いて考える時間が欲しかった。指定管理の事業はスタジオにアーティストが入ってもらって、それを公開するっていうのがベースになっています。入居するアーティストに昔のことを言ってもしょうがないので、なるべく負担がないようにして、シンプルにしていくのがいいと思ったんです。そうすると手が空くので、何かやりたいことも出てきて、それをどうやったらできるか考える時間も生まれるだろうと思ったんです。
C.A.P.は、創設時以来、「旧居留地ミュージアム構想」を掲げ、今生きている作家とともに、展覧会だけではなく、街中でさまざまなイベントが催されるイメージを目標に掲げてきた。しかし、C.A.P.も神戸市立海外移住と文化の交流センターという場所を持ったことで、多くのことは実現されていた。そのため行われていた会議は、運営のための会議になっていく。NPO法人化し、指定管理者としての業務も増えていくと同時に、新しいメンバーと古いメンバーとの認識の齟齬も目立っていった。それを新しい体制でどうすればよい関係を築けるか考える必要もでてきた。
下田:CAP HOUSE時代にうまくいった理由は、僕の理解では限りなく組織じゃない形の組織だったからだと思うんです。基本的に連帯で、最初に杉山さんのスタジオに集まった人たちは、組織をつくろうとして集まったんじゃない。みんなの共通の興味がすごく揃ったのでそれぞれが自分のアイディアを実現したり、力を発揮したりすることで、全体的にうまく動いた。誰も無理はしないし、誰もが自分がやったことを楽しめる、手応えがあるっていうことだと思うんです。けど組織になってくると、今度はそういう個々のモチベーションじゃなくて全体のゴールみたいなのを決めざるを得なくなってくる。みんなが120%とか150%とか力を出せる環境というよりは、誰かが我慢したり無理したりすることにどうしてもなると思うんです。
だからなるべく組織にせずに連帯だという意識でやっていけるようになったら多分一番いいんだろうなと。ただ、それはすごく難しくて、神戸市との関係もあるし間に立つのが事務局になってくるので、その辺はスーパーテクニックが必要なんですけどね。
その根幹となる認識は、パーティーとミーティングの違いだ。
下田:パーティーが重要だっていうのはあります。特に議題があるわけじゃなくてもお互いを知り合っていって意見を交換することが重要だという認識はあったと思うんです。指定管理の仕事をするまで、いろんな人がいたので、毎日、今日誰が来てる?って言って昼は一緒にご飯を作って食べるのが日常だったんです。指定管理になってからは、何か目的を持ってそれを達成するためにどうしたらいいか、意見を調整していかなければいけなくなった。しかもスタート地点の文脈や認識が違う人とそれをするのは、すごくストレスになる。嫌になったという人はだいたいミーティングが嫌だったんだと思います。最近の僕の意見としてはいっそ、ミーティングをやめたらどうだと(笑)。
集団で掲げる目的以外が重要だというのは、長く続けてきた下田ならではの意見だろう。さらに下田は、集団の目的意識に対する危惧を示す。
下田:これにさらに何かしたことに対する対価でお金をどんどん払うようになっていくと、おそらくすぐ崩壊すると思う。これもらったら私は何したらいいんですかっていう人が増えてくる。したいことするというのが基本のはずなんですけど。それがお金や集団で持つ目標とか目的の恐ろしいところで危ないなと思っています。
山下は、初期メンバーが抜けた後にC.A.P.への加入を決めた。過去のC.A.P.に対してはどのようなイメージを持っていたのだろうか?
山下:C.A.P.については、参加してから少しずつ知りました。過去のC.A.P.のことは、こちらから訊ねれば今もいろいろと話を聞く機会があります。個人的な感覚としてはストリートな印象というか、すごく熱量のあるアクティブな人たちの活動だったんだなと感じています。
C.A.P.に参加した動機は何だったのだろうか?
山下:神戸に引っ越してきて、制作場所とか、どこに神戸のアートの人たちがいるとか、それまで京都で活動していてわからなかったので探していたんです。そしたらこういう場所があった。ここはアート関係の情報や人がたくさん集まるので、こういうコミュニティがあるところが、すごくありがたいと思ったんです。それでスタジオアーティストの応募があったので応募しました。実際にスタジオアーティストとしてここで制作や活動をすると、場所もあるし人の交流もあるけれど、それらをもっと活かせないかなと思ったんです。
そして、山下はC.A.P.内で新しいプロジェクトを立ち上げる。それが破墨プロジェクト【※1】である。破墨プロジェクトとは、山下が推進する、8世紀の中国で行われていた、絵画やアクション、パフォーマンスを横断する墨を用いた芸術表現「破墨」について考察し、現代へ再構築を試みるプロジェクトとして始まった。近年では日本画を超えてさまざまな講師を招いたStudyシリーズを継続している。機能をシンプルにし、山下のようなメンバーが加入することで、新しいメンバー間のネットワークや、外部との接続が生まれていった。山下の動きに対して、下田はどのように考えているのだろうか?
下田:山下さんはすごく理解が早いし、(C.A.P.を)使い倒していると思います。C.A.P.自体が僕が思っている理想みたいな形で機能するとしたら、それぞれ連帯であると同時に、自分以外の周りの環境や人、出来事とかが、自分が活動していく中の材料になる。陶芸をやる人が粘土が必要なように、いい粘土になっていってないと駄目だろうなと思う。さらにお互いがそういうふうになっていくと、ひとりでは思いつかなかったことがふたりいることで何か違うことが出来上がってきた、ということが絶対起きるはずなので、そうなっていたら健全でストレスがないだろうなと思う。ただ、新しくスタジオに入ってきた人には伝わりづらいですね。
その点、破墨プロジェクトはいい粘土を生み出しているといえるだろう。山下は、スタジオ内では、アーティストにどのように声をかけているのだろうか?
山下:ここにいるといろんな人やアーティストが出入りします。C.A.P.メンバーやスタジオアーティストとして活動すると、その中で人同士が関わる機会がでてくるので、ここに関わるいろいろな人たちのことが見えてきます。破墨プロジェクトの場合、まずはみんな個人の活動が前提としてあるので、その人にとってなにか一緒に参加することに意義や面白さを感じてもらえるか考えて声をかけます。だから活動に対するメンバーの関わり方やスタンスもそれぞれに違います。人同士の協働や連帯はプロジェクトを継続してゆくうえで大切というか、欠かせません。些細なこともいろいろな協力のもとで成り立っています。破墨プロジェクトの活動は、C.A.P.というコミュニティの中にさらにもうひとつコミュニティや場をつくるような感じもあります。オープンな拠点があることや、ゆるやかでも持続して活動していることで、なんかいろいろなことや人が不思議と繋がっていくんですよ。昨年は破墨プロジェクトがアクト・コウベのイベントに参加するということもありました。
アクト・コウベとの連帯から始まったC.A.P.の原点回帰ともいえる活動がSee Saw Seeds【※2】だ。See Saw Seedsは、2016年から始まったC.A.P.のような活動をしているアラブ首長国連邦のドバイ、ドイツのハンブルク、フィンランドのトゥルク、日本の神戸という4つのアートコミュニティが連携して、アーティストを交換するプログラムである。それはどのように立ち上がったのだろうか?
下田:2014年頃、フィンランドからベッカとテイヤというカップルのアーティストがここに来て半年間活動したいと連絡がきたんですね。ここで活動したことのあるオランダ人に、どこかのバーで聞いたらしいです。それで、来てもいいけどお金ないですよって言ったらお金はフィンランドで全部助成金を取ってきていて、アパートも借りて6か月分払うと言うんです。そのアーティストたちと話をしていたら、C.A.P.みたいなアーティストのコミュニティは世界中でもほぼないと。来たらすぐにその地域のアートシーンにダイレクトに繋がっていくっていうのはすごいことだと言ってくれたんです。
しかし、もう1か所だけドイツに似たところがあると言われる。それがハンブルグのゲンゲフィエトルだったという。それで連絡をとり、何か一緒にできないかという話に繋がる。同時に、12年以上前にC.A.P.に滞在していたイギリス人アーティストのガールフレンドから、現在ヘッドハンティングされてドバイのタシキール・スタジオで働いているという連絡がくる。そこでアーティストのコミュニティがあるか問い合わせたら、あるので一緒にやりましょうとなったという。タシキール・スタジオの設立者はドバイの王女で、王女自身も写真家としてビエンナーレなどに出品しているという。そして、フィンランドのトゥルクとの出会いも偶然だという。当初、フィンランドは調べても財団みたいなものしかなかったという。
下田:ベッカとテイヤがフィンランドに帰ってまたバーで飲んでいたら、すごく面白い人たちに会ったというのがビデオカフェのメンバーで、何か一緒にやりたいねって話になってすぐにスタートした。だからどこかにアプライしてとかじゃなくて知り合いから繋がっていくっていうのが特徴ですかね。そういう信頼関係がないとできないです。仕組みはすごく簡単で、来たアーティストの面倒は見る。行くときの渡航費は自分のところで見る。大まかに言うとそれしかない。
さらにドイツは、ハンブルグに加えてブレーメンが増え、それぞれの交流が生まれたり、ビデオカフェの最初の創設者のひとりが、コネチカット在住のアメリカ人で、アメリカへ訪問したり、地域間交流が徐々に広がっているという。すでに6年間も続くプログラムになっていて、山下も2018年にフィンランドの交換プログラムに参加している。
山下:いわゆるレジデンスのプログラムと違って、地域のアーティストコミュニティに溶け込んでいく感じですね。向こうのコミュニティに招待されて行くんです。これから続いていくSee Saw Seedsもそうだと思うんですけど、個人として行くんじゃなくてC.A.P.のメンバーとして行くということです。C.A.P.という自分たちもコミュニティなんだっていうことを考えることになりますし、向こうのコミュニティを知ることで視点が開けます。各コミュニティにはそこでしか成立しない環境や条件というのはありますが、コミュニティとして同じような問題を抱えていることもわかってきます。C.A.P.と似たアートコミュニティということが前提なので、どこか繋がるようなところはあるのでしょうね。
See Saw Seedsなどの活動から、C.A.P.はよくアーティスト・イン・レジデンスをしていると言われるそうだが、下田によるとそうではないという。
下田:レジデンスのプログラムは、アーティストが自分のキャリアを上げていく、育っていくためにやるのが本来のあり方で、それを周りが支えることですが、その逆に近い。来たアーティストがC.A.P.のメンバーだけでは実現できないことを考えていると、誰かの助けを得ないといけなくなりますよね。この前、ビデオカフェのアーティストが来て、六甲山の上で自動車を半分に切ってそこにでっかいキノコの彫刻をくっつけて池に刺すっていう作品を手伝ったんです。最初は無理じゃないかとなったんですけど、いろんな協力者を探してきて、この人こういうふうにしたいって言っているんだけどと相談すると、こうすればできるとか、これは危ないとかいろんな人がどんどん巻き込まれて、結果的にそのプロジェクトの問題がなければ、付き合いのなかった人たちと地域で繋がっていくんですよね。アーティストが来て無茶言っているっていうのも困ったことではあるんですけど、それが後ですごく効用があるんです。
つまり、一般的なレジデンスプログラムのようなアーティストがしなければならない課題やノルマはないため、アーティストが持ちこむ制作上の「問題」が鍵になるという。
下田:アーティストのために何かを準備するのではなく、逆にアーティストが持ってきた問題を一緒に解決するのがSee Saw Seedsの大きな特徴かなと思います。いろんな方々に協力者になってもらって、アーティストを連れていくことを続けてきたことで、段々地域に広がっていった。C.A.P.をSee Saw Seedsで持ち上げていくってよりは、C.A.P.が単にその入り口になってもっと地域に広がっていけばいいなっていうヴィジョンでやっているので、レジデンスプログラムとはちょっと違うっていうのはそういうことなんです。
山下はフィンランドの地域の人とどのような関係を築いたのだろうか?
山下:ビデオカフェというコレクティブとSee Saw Seedsのプロジェクトの中で関わっていくんですけど、その後もお互いのコミュニティ同士で行き来して交流が重なっていくんですね。つながりが持続し、さらにコミュニティ間で広がってゆくのが大きいです。フィンランドでは私たちが生活やいろいろな活動、体験、交流がしやすいよう彼らが迎え入れてくれました。フィンランドは図書館がすごく社会的な機能が高くて特別な場所なんです。滞在中は彼らに勧められて図書カードをつくり、近くにあったトゥルク中央図書館にかなり行きました。図書館があんなに開かれた場所だなんて本当に驚きでした。滞在中に現地の河川沿いの風景を絵巻にして描いたのですが、図書館の人がその絵を気に入ってくれてFacebookのトップページに使いたいと連絡がありました。実際、絵巻に描いた図書館の絵がクリスマス前くらいまでの1カ月ぐらいトップページに使われて、嬉しかったです。
プログラムの滞在期間は、短い人で1か月弱、長い場合、3か月程度の時もあるという。それは神戸で受け入れる場合もそうで、宿の手配もこちらでするという。ただし、フィンランドではコミュニティが持っている宿泊施設と、行く人数に対する部屋数が足らなかったので、NYに滞在中のメンバーの自宅を借りることもあったという。宿泊施設を持っているコミュニティは少なく、毎回不足などが出たら、いろんなところに声をかけて、それがまた繋がりを生むきっかけになっているという。
See Saw Seedsは、アーティストがキャリアアップする一般的なレジデンスプログラムのような明確な目的を持っていないが、アートコミュニティ間を繋げることで、地域社会にも繋がりをもたらす特異なプログラムになっている。そのような自然発生的なプロジェクトにするための心構えや信念のようなものはあるのだろうか?
下田:CAP HOUSE時代になるほどと思ったことは、目標とか目的を持たずにそのときに生まれてきたものを育てていくことなんです。目的の価値は何だとかいろいろ考えていくと段々あんまり意味がないような気がしてくる。目標を持っちゃうと、それを実現するために何かしなきゃいけないことがあって実現すると終わる。目標とかがないと終わらない。そうやって生きていくには他者に対してずっとオープンでないとやってけないんですよね。みんながオープンになっていくってのがすごく重要なことかなと思いますね。オープンな人じゃないとSee Saw Seedsのプロジェクトはきついでしょうね。あなたの日程はこれで、いつまでにこうしてくださいっていうのは誰も言わないので、だからモチベーションを自分で持ってオープンになっていないとできないんですね。
山下は、その出会いや偶然性を手繰り寄せる力は活動歴の長さにもあるという。
山下:個人的には長さがひとつの強さになっているのかなと思っています。C.A.P.はこれまで、なくなりかけたり紆余曲折もありますが、このSee Saw Seedsのプロジェクトも、もとを正せばCAPARTYとかそういうところから繋がって、たまたま2014年に連絡が来たときにまだC.A.P.があったっていうことが重要だった。See Saw Seedsプロジェクトが始まったときはどうなるか全くわかんなかったけど、じわじわ広がって大きなものになってきた。
そのような自然発生的なプロジェクトとして、神戸文化祭【※3】というのものができたという。
山下:ナンデモナイヒオメデトウ、というコンセプトなんですけど、毎年やっていてもう10年経っています。別にアートをやっているわけでもなくて、でもなにかをやっているみたいな不思議なプロジェクトです。
もともと神戸ビエンナーレに対するカウンターで、ビエンナーレをやめてほしいという思いから始まった文化祭という名のアートプロジェクトで、何もしないけど、期間だけ決めて参加者は旗をあげて、旗を上げているところには訪ねていってもいい仕組みだという。
下田:アーティスト以外にもいろんな人がいて。アーティストはこういうふうにオープンスタジオをやったりして、活動とか考え方を人に話す機会があるんですけれど、職人さんとかお店とかも、この神戸文化祭に参加すると、例えば靴屋がオープンスタジオをできるようになるんです。そういう人たちが集まると、なんか神戸らしさが現れているなと。
11月のその期間、「神戸らしさ」を作っているクリエイティブな人たちが顕在化されるっていうような運動にしようということなんです。C.A.P.が始めたんですけど、最初の理想はC.A.P.から離れて、勝手に進んでいく運動になるといいなと思っていたんですが、なかなかそうもいかず、今も事務局をやっています。
ただ、最初はC.A.P.の会費で始め、参加者も30人程だったが、ある時入居していたアーティストの上村亮太が広報に励んだことで、周知されていったという。旗を上げるフラッガーのほかに、ルポという役割もあり、その場合はそこに訪ねて取材をする。それらを無編集で掲載する新聞を毎年発行しているという。あるとき、無料で配布していることが変だという人々が現れて、現在は寄付者や参加者によって印刷費が賄われているという。
山下:僕も旗をあげるフラッガーだけじゃなく、ルポをやったんですけど、ルポをすると知らない人に会いに行く口実ができるんですよ。カレー屋さんとか普段話を聞くことないじゃないですか。だからちょっと知っているカレー屋なので、ルポしてみようとか、あのアーティストが何かやっているので話をする機会ができるという感じです。ルポをすることで人に会いに行く楽しさを感じましたね。
外からアートプロジェクトが持ち込まれたときはどのように判断するのだろうか。
山下:一応ミーティングというかみんなに聞きますよね。C.A.Pにこういう話が来たけど、やるかやらないか。事務局やC.A.P.のメンバーからメーリングリストで連絡がきて、そこでまずやりたいという人がいるかどうかですよね。そこでやりたい人がいなかったらやらない。
下田:やりたいことはやるけど、やりたくないことはやらないという基本姿勢で一貫しています。やりたかったら頑張っちゃう。必要だったらお金も何とか引っ張ってきちゃうみたいなとこあるんですけど、興味がないことはお金くれるって言ってもあんまりやらないですね。
C.A.P.として参加しているものに六甲ミーツアートがある。下田によるとその良さはわかりやすさとアート自体が地域活性の道具になっていないことだという。
下田:初めてC.A.P.で参加したのが2年前です。そのときに総合ディレクターをやっていた高見澤さんから、これは完全に六甲山観光株式会社の観光事業ですという話があって、これはわかりやすくていいなと思いました。観光事業だからこういう種類のお金なら出るとか、集客を頑張るとかクリアでいいなと思ったんです。ひとつの事業がいろんな効果が出てくるので、観光事業がアートが好きな人にとっては芸術を応援しているみたいな事業になったり、アーティストにとってはこれで支援を受けているような気分になったりとか。関わる人の関わり方によって違うのが当たり前だと思うんですね。
逆に参加をためらうものはどのようなものだろうか?
下田:芸術で街を活性化させるとか言われると、アートって道具なのかなとか、僕は思っちゃいます。目標とか目的を持たない主義の僕からすると、その街を活性化させるとなると何で?とか。アートって道具として存在しうるんだろうかと。大体役に立たないものがアートじゃないですか。役に立っちゃったら本当に何か洗濯ばさみとか鉛筆とかそういう機能を限定されたものが役に立つもので、そうでないものがアートなのに、おかしいなって。その辺は関わる人がもうちょっとクリエイティブに関わって自分で創造すべき問題じゃないのか。そう思うと、なんかどこもかしこもビエンナーレとかやっているのはちょっと不気味っていう感じはしますね。
目的が先に来てしまうと、辛いしやめたくなるのではないか、と下田は言う。山下は、C.A.P.と地域のアートプロジェクトの違いについてどう思うのだろうか?
山下:ここは自分たちが面白いと思うことをやるとか、何か実験するとか、そういう場だと思うんですよね。それがC.A.P.の基本だと思っています。C.A.P.はアーティストが自発的にアクションした活動が起源であって、地域のアートプロジェクトと全然違うものだと思います。あと長さの話をしましたけど、やり続けるといろんな問題や課題が勝手に出てくる。コミュニティにいると、不意に何かに巻き込まれたりもあるんですけど、巻き込まれながらどう関わってゆくかということも大切だと思うんですよね。
すでに創設から30年近い月日が過ぎ、今後のメンバーの交代や新しい体制を経てC.A.P.はいま、どのようなことを考えているのだろうか。今年からスタジオアーティストを選ぶのは、メンバーの合議制になったという。スタジオを見せることが指定管理の事業のため、絵画などに表現が偏ると見に来る人も面白くないので、メンバーのバランスも考える必要がある。また、午後10時までしか使えないという時間的な制約もある。
下田:C.A.P.は場所じゃないんですよ。団体の名前で、場所としては海外移住と文化の交流センターの指定管理でそこでやっている多くの人たちを中心にした事業が神戸スタジオY3です(Y3の名は山本通り3丁目からきている)。外の一般の人に向けては、美術とか好きだったら、1回見に来たらきっと面白いと思いますよっていうことぐらいしかないんですけど、C.A.P.としては、外に出ていくことを考えています。ここだとできないことを何か外で実現しようと。この施設から抜けて、指定管理の事業の枠から抜けて、さらにやっていきたいなと考えていまして。今3つぐらいのワーキンググループに分かれてもう1年ぐらい話をしてるところで、山下さんにもひとつのグループのリーダーをやってもらっています。
その狙いは何だろうか?
下田:共通して実現したいなと思っているのは、アーティストがいることで地域のコミュニティがすごくよかったな、楽しい街だなと思うことなんですね。そういう人たちが増えることでアーティストもここで発表活動していくのはすごくいいぞと、そういう環境をつくりたい。アーティストのグループがあってその周りにアートコミュニティが広がっているのが普通だと思うんですけど、そういうのを強くしていけないかと。
See Saw Seedsでは、海外のアーティストが来て、神戸の人たちが助けることによって、神戸の人たちの仲間意識が生まれる。神戸文化祭でもさまざまな活動をしている人を訪ねることで、仲間意識が生まれていっている。さらにそれを強くするには、もう少し出ていく必要があるという。
下田:ここは何か物を売ってはいけないとか、夜出ていかなければいけないとか、山の上で行きにくいとか制限があるので、こちらはつくる場所ですけど、もうちょっと便利なところに、売ったり見せたりする自由な場所を持てたらと思っているんです。海外の人が来たら泊まれるとか、会社終わってから参加できる勉強会とか、ちょっと立ち寄って講師の人と一緒に音楽とか美術とかいろんな話ができて面白いというような。また、C.A.P.だけじゃなくて美術館に行けたり、ダンスの劇場があったり、神戸にはもうそういう基盤がいくつかあるので、そういうところもフル活用して、そういう人たちがまた学生同士として、知り合ってその人たちの交流も生まれてくると、そこから何かまた新しいことも出てきて、そういうのが広がっていくと、アーティストは嬉しいという、そういうことが実現できないかなと思っているんです。
山下はその中で、学べる場づくりを担当するという。それはStudyシリーズの街での展開のようなものだといえるが、仕事帰りに寄るようなことが可能になる。そうなれば関心はあるけれど、参加できなかった人たちの入口になる可能性がある。今までの創作の場から交流や発表の場を街中で展開するイメージだ。
山下:関心がないのではなくて、興味はあるけどどう近づいたらよいかわからないってあるじゃないですか。古典でもコンテンポラリーでも、美術、ダンス、音楽、文学でもそれぞれに。先に漠然とした距離やわからなさを感じる人もたくさんいると思います。僕もわかりません(笑)。そうしたものとの距離が近くなる出会いやきっかけの場、なんかやってみたくなる面白い場が近くにオープンな感じであったらいいなって。発見や出会い、体験することは楽しいし、ボーダーレスにつながることで日々の生活や人生の楽しみ方が増すといいなぁって。あらたな場所とY3が連動して面白いことやコミュニティに参加するいろいろな仲間が増えると嬉しいです。
それは「旧居留地ミュージアム構想」を彷彿とさせるイメージでもある。しかし、アーティストの「現在」が見えにくかった30年前、1994年と状況は大きく異なる。神戸でもC.A.P.などの活動を通して、アーティストの存在を認知し、関心を持つ人も増えた。彼らが発する表現を受け止め、提示した問題を一緒に解決してくれる人々も存在するだろう。C.A.P.から生まれた連帯の遺伝子は、確実に神戸という地に根を張り、世界とつながっているのではないか。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【※1】破墨プロジェクト
不定期に開催されるので、公式facebookページをチェック。過去の内容も閲覧できる。
(最終閲覧:2023年2月22日14時00分)
https://www.youtube.com/@habokuproject2037/videos
(最終閲覧:2023年2月22日14時00分)
【※2】See Saw Seeds
(最終閲覧:2023年2月22日14時00分)
【※3】神戸文化祭
(最終閲覧:2023年2月22日14時00分)
INTERVIEWEE|
下田 展久(しもだ のぶひさ)
C.A.P.[芸術と計画会議]代表。
和光大学在学中にアルファレコードより「ムーンダンサー」リリース。エレキベースを演奏。1988年、神戸に移りジーベックホールで企画制作プロデュース。
1995年、阪神大震災の直後、フランスの音楽家から義援金の引渡し先について相談を受ける。藤本由紀夫さんの紹介でC.A.P.のミーティングに参加。C.A.P.はフランスからの義援金を利用してジーベックでCAPARTYを実施。C.A.P.に参加、2015年よりC.A.P.の代表となる。
山下 和也(やました かずや)
日本画家・東洋絵画修理技術者。
https://www.instagram.com/yomoyamabox/?hl=ja
日本、中国の古典絵画の模写と文化財修復で培った技術と経験をベースに、作品、絵画を制作する。日本画、書画の材料技法と、日本の歴史、文化、思想を顧みながら、伝統芸術と現代芸術を捉えなおすことを主眼に活動を展開する。
近年は日本の水墨画の歴史の考察を中心に、目には見えないけはいのようなものを、淡墨と僅かな筆致、余白によって表現する「罔両画(もうりょうが:Ghost style painting)」や、2018年からKOBE STUDIO Y3を拠点に、日本画家、神楽舞手、美術家、ファッションデザイナーの5名を中心に活動する異分野共同プロジェクト「破墨プロジェクト(はぼくぷろじぇくと:haboku project)」を企画し、レクチャー、ワークショップ、パフォーマンス、展覧会、出版などを行なう。
INTERVIEWER|+5編集部
WRITER|三木 学(みきまなぶ)
文筆家、編集者、色彩研究者、ソフトウェアプランナーほか。
アート&ブックレビューサイトeTOKI共同発行人:https://etoki.art/about
独自のイメージ研究を基に、現代アート・建築・写真・色彩・音楽などのジャンル、書籍・空間・ソフトウェアなどメディアを横断した著述・編集を行なっている。
美術評論家連盟会員、日本色彩学会会員。