再考「kumagusuku」(3)kumagusukuの記憶を持ち帰る
2025年4月を持って約10年の活動を終えたアート複合施設「kumagusuku」。その最後のイベントとして、+5との連携トークプログラム「+5(plus five)メディアプログラムvol.4 ~kumagusukuの記憶を持ち帰る~」が開催された。本記事はkumagusukuシリーズ最後の記事として、その原点へと立ち返りたい。kumagusukuの記憶を紐解くにあたり、矢津さんはもちろん、初期をよく知るデザイナーの原田祐馬さん(UMA/design farm)、建築家の家成俊勝さん(dot architects)にもゲストとしてご登壇いただいた(本文中敬称略)。

すでに(1)(2)の記事でも言及があった通り、kumagusukuは「瀬戸内国際芸術祭2013 醤の郷+坂手港プロジェクト」へ矢津が参加したことがきっかけで誕生した。同プロジェクトは、現代アーティストの椿昇が、第1回目の瀬戸内国際芸術祭(以下瀬戸芸)に関わった流れで、2010年に小豆島は醤の郷(ひしおのさと)に地域興しの相談で赴いたことに端を発する。醤の郷の商工会や地元の人から受けた相談は、当時全盛期だったゆるキャラのデザインだったそうだが【※1】、椿は中長期的な「未来図」作りを提案。それが「醤の郷未来構想」としてまとめられて「醤の郷+坂手港プロジェクト」に繋がった。瀬戸芸では、総合ディレクターの北川フラムから同地域のディレクションを一任されることになった椿は、IMI(インターメディウム研究所)の教え子として縁深い原田と、編集者の多田智美(MUESUM)に「未来構想」の骨格を作っていくための企画運営を依頼し、瀬戸芸2013につながる。小豆島では「観光から関係へ」というテーマを掲げ、それまで小豆島には縁遠かった様々なクリエイター、アーティストを招き、島民や来訪者と多くの関係性を作った。今からおよそ12年前のことだが、そこで生まれた関係性は今も続き、現在の瀬戸芸へと新たな関係性作りのバトンが渡されている。原田によると、椿に誘われたきっかけは、原田、多田、家成が企画・運営のメンバーを務める「DESIGNEAST」【※2】を椿が見てくれたからだと話す。
原田:DESIGNEASTのようないろんな人たちが集まってきて、そこにじっくりいるみたいなことをイメージされていたんだと思います。だから醤の郷でのプロジェクトコンセプトを考える時に、スタンプラリーのような観光ではなくて、何度も訪ねたくなるような関係性が育まれると良いと思い、「観光から関係へ」というコンセプトからリレーショナルツーリズムみたいなことを言って、アーティストや関わった人、観光客が繰り返し来れるような場所づくりをしようとイメージしました。
このコンセプトを後押しした要因のひとつに、坂手港~高松間の定期航路の開設による、島へのアクセスの向上がある。阪神淡路大震災後、関西から小豆島を結ぶジャンボフェリーは長らく休航していたが、神戸~坂手間の定期フェリー航路は2011年に復活。車両の乗降設備上の問題などで、坂手~高松間定期航路は復活できずにいたが、「醤の郷+坂手港プロジェクト」の開催にあたり、地域の強い要望もあって2013年に復活。高松〜小豆島間、直島〜小豆島間の運行も開始された。
原田:芸術祭として特徴的だったのは、アーティストにこだわらず、建築家やデザイナーとか、いろんな職種の方々が小豆島に集まってきたことです。例えばままごと【※3】という劇団は、地域の人たちと一緒に町案内を演劇にしたり。またアーティストインレジデンスならぬ「クリエイターインレジデンス」を作って1週間ほどクリエイターに滞在してもらい、地域の人たちと創作する機会を作ったりと、こちらも意識はしていましたがそういうことが島中で起きていましたね。
一方家成は、原田に声をかけられる形で瀬戸芸に参加。醤の郷馬木地区の真光寺下にある土地に、キッチンやスタジオを持ち、小屋を建設するというプロジェクトを担当した。
家成:阪神淡路大震災で被災した経験もあって、災害からの復興においてはある程度の技術があれば、300万円くらいでも家が建つんじゃないかとずっと思っていたんです。そんな時に原田くんに誘われて、それくらいの予算でやってみたのが《Umaki camp》ですね。

最初は小屋を作ることそのものに主眼を置いていたというが、小豆島を巡るうちに町の人と「場所を育てていく」ことをしたいと考え、地域とのつながりが自然に生まれる場所へと作り込んでいった。
一方の矢津も原田、多田から誘われる形で瀬戸芸2013に参加。当時30代前半だった矢津は、アーティストとして、キャリアをどうしていくべきか悩んでいた時期だった。学生時代に友人たちと立ち上げた「Antenna」を離れ【※4】、個人で活動はしていたものの、アートマーケットの中に入っていくことへの葛藤、不安定な生活など悩みはつきなかった。
そんな中でアーティスト活動も生活面の改善も同時にできないかと思い、参照したのは2000年代の芸術祭を通したアーティストと街との関わり方で、特に横浜トリエンナーレ2005の連動企画として開催された展覧会「BankART Life 24時間のホスピタリティー」からの影響はあったと矢津は言う。この企画には「展覧会場で泊まれるか?」というキャッチコピーが掲げられ、会場となっていたオルタナティブスペース「BankART1929 Yokohama」(2003-2009)に実際に泊まれ、鑑賞者の日常とアーティストらの展覧会との境界線がゆるやかに混じり合っていたようだ【※5】。折しも2000年代前半には、社会との関係性を育む実践であるソーシャリー・エンゲイジド・アートの潮流が世界的に広がっており、美術館やギャラリーなどでの既成のフォーマットから展覧会が有機的に街へと広がる動きが日本でもあった。20代前半にこのような動向を目にしていた矢津は、自分も含むアーティストのこれからの生き方のようなものを意識し、もし街で何かやるなら元々興味のあったホテルをと考えた。
以前より矢津からそのアイデアを聞いていた原田は、瀬戸芸2013の会場として空いていた宿坊を、矢津に使ってもらうことを思いつく。
矢津「瀬戸芸では、何より自分のアイデアを形にし、kumagusukuのプロトタイピングができたことが最も大きかったです。ここでのイメージが京都につながりますし、間違いなくあの場所が、kumagusukuの出発点でした。」

瀬戸芸2013でのkumagusukuは、坂手観音寺の使われなくなった宿坊をベースに作られた。宿坊を、滞在型のアートスペースへと改装することは容易ではなく、家成に助けられたと矢津は言う。
矢津:芸大の彫刻家を出ていることもあって空間を作るというのはなんとなく要領がわかるのですが、一棟の建物から内部を作り込んでいくという経験は初めてで。とにかく行き詰まったらUmaki campに行って家成さんや、地元の大工さんに相談していました。
家成:最初にkumagusukuの模型を見た時、すごく格好良かったんです。それが印象に残っていて、できるのが楽しみでした。
そうしてDIYで出来上がったkumagusukuは、「滞在型の展覧会」として3ヶ月限定でオープンする【※6】。
矢津:いわゆるゲストハウスのような作りです。ドミトリー的な和室の中にフレームを組んで、テントみたいなもので間仕切って、そういう部屋に2人ずつ泊まれるようにしました。価格は確か3000円台だったと思います。この場所は元々お遍路の際に宿泊する遍路宿だったんですが、当時もお遍路さんは来ておられました。だからご住職が対応できない時は僕が御朱印の対応したりとか、そういうこともさせていただいて。貴重な体験でした。



現代の「アートホテル」と呼ばれるものの多くは、客室あるいはフロントと併設したギャラリーに作品を設置しているが、当時のkumagusukuは浴室を展覧会の会場とし、SF的異世界を想起させる立体作品を制作する現代アーティスト、土屋信子の個展「Ace of heart vol.7」をシャワーを浴びながら全裸で鑑賞するという設定にした。矢津が当時試みたことは、浴室という極めてパーソナルな空間の中で作品と鑑賞者を混じらせること、そして当時矢津が考えていた日常とアートの結節点をアーティスト、鑑賞者、そして矢津自身が確認することにあったと言える。また、土屋の作品は各地で収集した様々な廃材や素材を組み合わせて作られている。この時の実践は、後の副産物産店での活動や空間作りにも一部影響を与えているだろう。



矢津:お客さんなんだけど、家に遊びに来た友達みたいな感覚もあって、僕にとっても「宿泊」という体験が特別なものでした。お客さんが浴室を出たら、中庭の階段上にあるテラスを通られるんですが、大体僕たちがいて。どうでしたか?といきなり回答を求めちゃうんですけど、なんか皆さんも芸術祭モードでコミュニケーションのハードルが下がってるんで、気軽に感想をくれて、そのまま酒盛りになって夜の時間をみんなで過ごすみたいなことが、結構日常的にあったんです。お客さんと宿屋あるいはアートとの理想的な距離感とか、あそこでの体験は京都でkumagusukuをやる時の基礎になっています。
家成は小豆島で起こっていたことを、外国で出会った日本人同士が仲良くなることに例え、そんなことは国内ではなかなか起こらないと思っていたが、小豆島ではそれが起きていたと言う。また原田は、小豆島でのkumagusukuを「オンゴーイングな空間だった」と回想する。
原田:当時、坂手港エリアに宿泊場所はほぼなかったんです。だから泊まる場所が出来上がると、また新しい人たちが来る。まさに「観光から関係」を象徴するような場所のひとつでした。
矢津:基本的にアーティストのコミュニティしか知らなかった僕が、小豆島をきっかけに一気にクリエイターの人たちと繋がって。改めてアートって、僕たちが普段やっていることだけじゃないなと思ったんです。そしてそれぞれの価値を生み出して混ざり合うと、こんなことが起こるのかということを、小豆島ですごく目の当たりにしました。あの場所での6ヶ月は、僕の人生の中でも、エポックメイキングな期間でしたね。
近年の矢津は、アーティスト以外のクリエイターをはじめ、ジャンルレスに多様な人々と協働するようなプロジェクトに関わったり、自ら設計することも多い。矢津というアーティストを構成していく要素の多くが随所に見られたのが、2013年の瀬戸芸であった。
当時の矢津吉隆というアーティストを、二人はどう見ていたのだろうか。
家成:昔も今も変わらずだけど、彫刻やっていて「物」がしっかり作れるのに、kumagusukuみたいな、形を持たないようなコンセプト的なものも作る。憧れるというか不思議な存在でしたね。
原田:作品っていうものと、このkumagusukuでやっているような、コミュニケーション部分っていうのが、どうつながってくるんだろうっていうのは、ポジティブな疑問として思ってましたね。どうつながって変わっていくのかなみたいな。
矢津:そこが接続されてない感じっていうのは、当時の僕自身にもあって。瀬戸芸にはもちろんプロジェクトに参加して作品を作っているアーティストたちがいるじゃないですか。なんなら自分も本当はそっちで参加しないといけないのに、ひたすら宿を作ってる。なんかすごい葛藤が自分自身の中ではやっぱりありました。

瀬戸芸での経験を通して、その2年後、2015年のアートホステルkumagusukuの開業へとつながっていく。京都の中心エリアである大宮から徒歩5分のその場所を矢津が最初に見つけたとき、壁も半分なければ床もなく、天井も開けているような状態だったが、すごく可能性も感じたと矢津は回想する。限られた予算で難しい設計を誰に頼もうと思い、自然と家成に連絡をした。瀬戸芸で矢津のバイタリティを感じていた家成はふたつ返事で受けたそうだ。
家成:初めて行った時、シャッターを開けたら、もう一回外やったよね(笑)。でも、すごく面白そうだなと。矢津さんと小豆島で一緒にやってて、バイタリティがあるってわかってるから楽しみでしたね。
矢津:僕もお金があまりなかったから、できる限り僕がやりますと。僕ができるところをなるべく残して、素人が関われるような建築にしてくれみたいな、ちょっと無茶な注文をしたんですよね。 でもそれにすごく共感してくれて。
家成:できるだけコストをかけずに工夫して作りました。中庭のスペースとかすごくいいなと思ったし、回遊式にすることとか結構色々考えられたから。やっぱり痕跡を残したほうが建物って面白いと思うんですよね。 なので、上から貼ったりなんとかというのは最低限の構造補強の場所だけで、残せるところは残しました。建築家の美的判断というか、そういうものを入れないことで、美しい空間に変わることってあるんです。だから、なるべく僕らがやってることは目立たないようにしていこうという気はありました。


そうしてできた「アートホステルkumagusuku」で矢津は、主に「宿泊施設」「オルタナティブスペース」「アーティストランスペース」という3つのスペース特性を掛け合わせながら、アートと向き合う時間やあり方そのものを再考していく。そしてこれらの特性を繋ぐのは、展覧会というフォーマットであった。矢津はアーティストである自身が「アートホステル」と名付けたからには、単に作品を置くだけでなく、コンテンポラリーなアーティストの想いが注入される「展覧会」が必要だったと語る。展覧会のアウトプット先は美術館やギャラリーであることが多いが、そこに行き着くまでのアーティストの実験や実践、あるいは遊びを支える場所としても機能したかったそうだ。それらのアウトプットは評価がまだ定まらない、あるいは定める必要のないものも多いが、それを見せることでアーティストという漠然とした職業のあり方も見えてくるのではと考えたのだろう。しかし実験的な試みからアーティストの様相をつかむには、美術館やギャラリーと同様の鑑賞時間だけでは理解できないことも多い。だからこそ鑑賞者の時間を取り込める宿泊という形態が重要だったのではないだろうか。
原田は、瀬戸芸2013の振り返りで椿昇、多田智美と対談した際に、「半分だけつくる」という意識が特徴的だったと振り返っている【※7】。100%完成したものを提供するのではなく、半分は自分たちが責任を持つけれど、半分は住民や行政、あるいは来訪者に委ねたと。矢津の実践姿勢もかなりこれと近い。
原田:1人の作り手が70%ぐらいの意識みたいなものを場所に持ち込んだ瞬間に、追いやられてしまうものは何かしらあるなとプロジェクトでは感じていて。だから五分五分の関係で、どうやってものを作るか? というのが自分の中で結構重要なことだと思い始めた頃でしたね。
矢津:kumagusukuでは、僕のアーティストとしての美意識は、50%もなかったかもしれません。 むしろ関わってくださったいろんな人たちの意識が入ってきて、それに僕がどう答えるかと。最初、kumagusukuは矢津さんの作品なんですかと聞かれることが結構多かったんですけど、当時はそうですと言えなかったんです。関係性も含めた場所を作ること自体が作品だと、意識的に思えるようになったのは、10年やっている中で変化した気持ちかもしれません。

アートホステルkumagsukuが誕生した2015年の京都は、オーバーツーリズムという今では当たり前になった言葉が京都で浸透し出した時期だった。2014年に京都市は「京都観光振興計画2020」を策定し、2020年度の外国人宿泊客数の目標を300万人としていたが、それをわずか1年で達成【※8】。改めて観光都市としてのポテンシャルが顕在化され、ホテルはもちろん、民泊も激増していく。そこから民泊新法【※9】はじめ、宿泊業を都市として管理していくために規制の動きも行政主導で強まっていった。
矢津:開業当初から面白い事業主が宿泊業界にたくさんいて。感覚的にですが、他業種から入ってこられている方も多かったように思います。そんな中でkumagusukuもスタートしたんですが、法改正が後から出てきて、結構状況が大きく変わったように感じました。その流れの先にコロナがやってきたんで、もうこのままの形を維持できないのであれば、やめてしまって新しい形に移行しようと、ホステルとしては一旦閉める決断にいたりました。
家成:法律とか、そういう大きなものを乗り越えていく戦術を何かしら編み出していきたいですよね。今あるものを規制するとか引き算でまちを考えるよりも、まちのためにどんなものがあったら面白いかとかそっちで考えていきたい。
その観点で原田、家成もホテルを作ったという【※10】。それは大阪の東横堀川の旧水門施設を使ったもので、ここは大阪の河川の中で唯一、高速道路に覆われ、川の両岸には未使用の土地がまだ多く残されている。普段大阪で活動するふたりは、ここをある種の社会実験場として、まずは2021年に「β本町橋」という実験基地をオープン。旧水門施設をリノベーションして「SUIMON HOTEL」プロジェクトをスタートさせ、市民や同地区を訪れた人たちの交流拠点とすべく様々な企画を行っている【※11】。
原田:そこも自由度をどれだけ保つかということを意識しながらやっていて、街のフロント機能にしたいなと考えています。近所の人たちが使える、ある種のフリースペース的なものでもいいし、ゲームをやってもいいし、映画見てもいいし。なんか思いついたことが実行できる変な場所がいいなと。
家成:僕は2年ぐらい前から、イタリアを調査していたんですけど、2012年に、ミラノの高層ビルを占拠した人たちは、そこをミラノの新しいアートセンターとして文化・芸術の実験場にしようとした。その時に、どこからだったか定かではないですが「ダーティー・キューブ」という言葉を聞きました。ホワイトキューブではなく、ダーティーキューブと呼ばれ、経済の乱開発で食い荒らされてしまったビルや空き家、商業施設を再利用していくと。ダーティーという言葉はネガティブかもしれないけれど、自分たちの場所として使い直していくというポジティブな側面があるようです。「使えない場所」みたいなものがあるから、矢津さんのような人が実験的なことができるし、京都はそれを受容するまちであって欲しいと思います。
そうしてできた場所が、また新たに誰かの実験的なスペースとなっていく。宿泊というある種誰にでも開かれた場所性と、アーティストの超個人的な実験場が混じりあうkumagusukuというスペースはとても稀有だった。2020年にkumagusukuはホステルとしての形態は閉じ、小規模アート複合施設へと移行するが、矢津は「いつでも辞められる店を持つ」ということが重要だったと話す。それは、コロナ禍の閉塞感から実験的なことがなかなかやりにくかった雰囲気を脱却するための行動を加速させる瞬発性や、今いちど、アートが社会の中でどのような関係性を開いていけるのかということに対する、矢津なりの挑戦だったと言える。
そんなkumagusukuは、2025年4月をもって閉店。kumagusukuという名称はプロジェクト名でもあり、アーティスト矢津吉隆の代名詞でもあるので、どのような形態であれこれからも続いていく。今後のkumagusukuについて、最後に矢津はこう語っていた。
矢津:今、京都駅の東南部エリアの東九条に新しいスペースを作ろうとしていて。そこはまあ、アーティストの集合住宅と、アートスペースが一緒になった場所で、今までの宿泊という行為からさらに一歩踏み込んで、住むということと、アートというものをどう結びつけながら、街と関わっていくのかという実践の場を作ろうとしています。アーティストとか、アートを目的に入ってくる人たちって地域の人たちにとっては未知の存在だと思うんですけど、そういう人たちが何を考えているのかを言葉にするために、その場所で小さなインターネットラジオ局もやりたいなぁと今考えていて。僕もそこに住みながら管理人になるんですけど、アーティストアパートメントの管理人兼アーティストとしてそこでやっていこうと思います。
アートって別に「作品」という形だけじゃないって、大宮でのkumagusukuを通して、すごくわかったことなのですが、もっとアートっていったい何なのかっていうことについて向き合って、みんなにとってのアートとは何か、自分なりにもう一度再定義したい。ちょっと一言では言えないですけど、アート性みたいなものについて、もう一度言葉を与えるようなことをやりたいなというふうに思っています。

kumagusuku
kumagusukuという名前は矢津が原田に相談する中で生まれたそうだ。他の案は全て反対だった原田も、kumagusukuという名前はしっくりきて賛成してくれたとのこと。そのままロゴを原田が担当し、3つの枝が動物、植物、人工物を表す三位一体の三角形で構成された。矢津は折に触れて、原田がいなければ、今の自分はいないと言う。
UMA/design farm
アートディレクター / デザイナーの原田 祐馬が代表を務めるデザインスタジオ。主に文化領域や福祉、そして地域と密接に関わりながら各種デザインを手がけている。
dot.architects
家成俊勝、赤代武志により2004年共同設立された建築家ユニット。 大阪・北加賀屋を拠点にして建築設計や現場施工はもちろん、多くのアートプロジェクトや企画にもかかわっている。
【※1】 椿昇, 原田祐馬, 多田智美 編『小豆島にみる日本の未来のつくり方』, 2014, 誠文堂新光社, 35頁参照
【※2】 DESIGNEAST
原田祐馬、多田智美、家成俊勝に加え、柳原照弘(TERUHIRO YANAGIHARA STUDIO代表)、水野大二郎(現・京都工芸繊維大学未来デザイン・工学機構教授)の5名によって企画・運営されたデザインイベント。「デザインする状況をデザインする」ということをテーマに2009年に始動した。2025年に約9年ぶりに復活し、多くの人で賑わった。
【※3】 ままごと
劇作家・演出家の柴幸男を中心に旗揚げされた劇団。(以下文章は上記URLより抜粋)
瀬戸芸2013以降、継続的に小豆島での演劇活動を実施。坂手エリアを中心に、島の歴史・記憶をリサーチして創作した《おさんぽ演劇》や、島民とつくり上げた肝試し演劇《小豆島きもだめスイッチ》など、様々な演劇作品を小豆島でも創作・上演してきた。
【※4】「Antenna」と矢津の関係性と瀬戸芸については+5の以下の記事でも語られている。
「【隣人と語ろう #2-b】見えない「アート」を社会実装する意味とは?Antenna(アンテナ)」
【※5】以下を参照
南雄介「横浜トリエンナーレ2005」/「BankART Life 24時間のホスピタリティー」artscape
【※6】 小豆島 kumagusuku
【※7】 『小豆島にみる日本の未来のつくり方』196頁参照
【※8】 詳細は以下を参照
「京都観光振興計画2020」及び「京都市MICE戦略2020」
「京都市宿泊施設拡充・誘致方針」
【※9】 住宅宿泊事業法(民泊新法)が2019年に施行され、市独自でも規制を課す条例を制定し、旅館業法に関する条例についても改正していった。
【※10】詳細は以下の記事を参照。
PaperC「旧水門施設の建屋を再生する「東横堀川水門ホテルプロジェクト」が始動。3月7〜9日に新建築書店のポップアップイベント開催。」
【※11】 β本町橋について
(上記全URL最終確認2026年2月28日)
第一弾『光の洞窟』
会期:2014年下旬~ 2015年9月下旬
出展:exonemo, 天野祐子、Sarah Vanagt, エンサイクロペディア・シネマト グラフィカ
企画・キュレーション:奥脇嵩大(青森県立美術館 学芸員)
宣伝美術:大西正一
協力:公益財団法人下中記念財団 , 川瀬慈(国立民族学博物館)
第二弾『THE BOX OF MEMORY』
会期:2015年10月15日~2016年9月下旬
出展:藤本由紀夫
企画・コーディネート:𡌶美智子
宣伝美術:大西正一
協力:東山アーティストプレイスメントサービス(HAPS)、ART OFFICE OZASA Inc.
第三弾 前期『遠隔同化 二人の耕平』後期『「切断」のち「同化」』
会期:前期 2016年10月22日~2017年6月26日 後期 2017年6月26日~2017年9月26日
出展:小林耕平、髙橋耕平
企画:千葉真智子(豊田市美術館 学芸員)
宣伝美術:大西正一
協力:ART OFFICE OZASA Inc.
第四弾『A CHILD』
会期:2017年9月30日~2018年8月19日
出展:澁谷征司
企画・コーディネート:藤木洋介(B GALLERY)
宣伝美術:大西正一
協力:京都精華大学、株式会社文藝春秋、株式会社ビームス
第五弾『心中熊楠城』
会期:2018年8月24日~2019年夏
出展:ベアトリス・バルクー、奥村雄樹
デザイン:UMMM
共催:ヴィラ九条山
助成:公益財団法人 日本文化藝術財団
協力:シャトー・ボーセジュール、MISAKO & ROSEN、京都造形芸術大学ウルトラファクトリー、VOSTOK
滞在制作助成:アンスティチュ・フランセ日本、ベタンクールシュエーラー財団
その他、kumagusukuの企画一覧に関しては以下を参照されたい。
NPOでの国際協力活動、教育業界での経験を基軸にライター・編集者として経験を積む。近年はアートを通した言論空間の拡張をキーワードに様々なプロジェクトを実践し、現代社会におけるメディアの役割を再考している。+5(plus five):編集長、ICA Kyoto Jounal:Editorial Director