【隣人と語ろう #3】 すべての「痕跡」によって編まれゆく場

【隣人と語ろう #3】 すべての「痕跡」によって編まれゆく場

住居兼ギャラリー「熊間」|熊野豊、小野木敦紀
2025.03.15
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美術家だけでなく、様々な顔を持ち活動する矢津吉隆が、いま気になるアートネイバーを訪ねて語る「隣人と語ろう」。第3弾は、住居兼ギャラリー「熊間(くま)」を運営する、熊野豊さんと小野木敦紀さんに話を伺った。(もうひとりのメンバーである浦田友博さんは、都合により当日は不参加)

左から小野木さん、熊野さん、矢津さん
photo by Mayu Sato


これまでの「痕跡」を残してはじめる

矢津:以前仕事で熊野さんとご一緒したとき、この「熊間」の話を伺ってとても興味を持っていました。念願叶って今日はじめてお伺いできましたが、なかなかユニークなスペースですね。そもそも皆さんはどのような関係性ですか?


熊野:僕らは京都工芸繊維大学の同期で、全員、建築専攻です。小野木と浦田は設計を学んで設計事務所で勤務して、僕は日中比較建築史を専門に学びました。僕は2021年の初夏に、引っ越し先の候補としてこの物件を見つけ、勢いで住むことに決めました。

ACK(Art Collaboration Kyoto)や、ART OSAKAの仕事、美術専門広報のアシスタントなど、どちらかといえばアートマーケット寄りの仕事をしつつ、自分のやりたいことを心穏やかにできるような場が欲しいなと考えていました。それで現実的に考えて、ギャラリーと住居を兼ねることができるような物件を探していたんです。


矢津:すいぶんと手を加えている空間だと思いますが、賃貸の契約ですか?


熊野:賃貸です。建物自体はおそらく130~140年前に建てられた、三軒長屋の住宅のようですね。大家さんからの条件は、他へ引っ越すときに原状復帰できることと、地域の方々へご挨拶して受け入れてもらえるかどうか、でした。改修するにあたり、自分は設計も施工もできないので、友人であり信頼できる小野木と浦田に声をかけました。


小野木:最初、町屋と聞いて建物を観に来ましたが、建築をやっている身からすると、あまり好ましくはないリフォームがすでにされていましたね(笑)。でも、それらを剝がすと、過去の住まいの痕が見つかるところがおもしろかったです。熊野から、いわゆるホワイトキューブのギャラリーにはせず、また、この家にある元々の下地を消したくない、といった要望を聞いた上で設計し、模型を作って、大家さんにもお見せしました。

取材でスペースについて語る。
photo by Mayu Sato
今回都合により不参加だった浦田友博さんは、後述する『プロジェクトブック vol. 0 熊間』の中で、スペースについてこう語っている。
(中略)長い時間をかけて進める設計とあまりに違うつくり方にはじめは困惑していたが、手弁当による“つくること”が、確かに固有の空間をつくるのだと確信した(後略)。
( 『プロジェクトブック vol. 0 熊間』p. 34より引用 )


熊野:どうしても室内が暗かったので、光を取り込むために2階の床と天井をとることについては許可をもらいましたが、自分の研究対象が建築史だったので、「現在まで住み継いできた人たちが手を加えてきた痕跡を削って、新しいものを付け加える」という考えがしっくりこなくて。例えば寺社の改修では、それまで使われていた部材を再利用しますが、後世の大工や職人、研究者にも、当時の仕事がわかる痕跡がある、というのを数多く目にしていたからかもしれません。


小野木:これからギャラリーになることも、新たな痕跡として建物に残るので、いわば文脈としてこの家の経験が残っていく、みたいなものが作れたらな、と。ちなみに施工は予算の都合もあり、電気工事以外、ほぼ自分たちで手がけました。


矢津:生活空間とギャラリースペースの境界がかなり曖昧ですが、当初からそうしようと?


熊野:はい。ここを設計するにあたっての思想としてふたりへ共有したのが、「大学」と「中庸」という中国の古典です【※1】。僕は特に「中庸」の考え方、例えば、良い・悪いの二項対立ではなく、いろんな選択肢を知った上で自ら進むべき道を選ぶ、という姿勢が重要だと思っています。だから3人で話していく中で、この「熊間」も、僕の住宅という「日常」と、展示空間という「非日常」を、完全に分離しなくても良いし、おそらく共存し得るだろう、と。

加えて僕の中では、いろんなことを知った上でその間を取る、という姿勢も大切だと考えています。なので、「熊間」を訪れた人たちから何かしらフィードバックしてもらいたいし、交流もしたい。訪れた人に意識・無意識を問わず何かを知覚し、そこから取捨選択して認識し、自ら思考し、それを表現する、という4つのサイクルを体感してもらえたら、と考えてのことですね。あと、心理的なハードルを少し超えて、僕の居住空間のほうに入ってきてもらったり、自分で落ち着けるような場所を探してもらったりもしてほしい。例えるなら、実家に帰って来たような感覚を、と(笑)。

『プロジェクトブック vol. 0 熊間』にて、この場所は以下のように語られている。
「熊間」は住居兼ギャラリー/建築であるとともに、そこでの展示を含めた企画や活動を行う、専門性を持ったメンバーのコレクティブでもある。住居兼ギャラリーとしての「熊間」とコレクティブとしての「熊間」は表と裏、図と地の関係にあり、「知る」「認識する」「考える」「表現する」の循環を目指して、相互に補完しあっている。
( 『プロジェクトブック vol. 0 熊間』p. 8より引用 )


矢津:なるほど(笑)。ここに熊野さんが実際に住んでいる、という大前提が、空間においてとても重要であり、それも含めた体験の設計を意識されている、ということですね。

そもそも「熊間」は、このスペースの名前であり、コレクティブとしての名前でもありますよね。メンバーの在り方や関係性を、どのように定義して、このスペースを運営しているのでしょうか。


熊野:先ほど申し上げた、知覚する、認識する、考える、 表現する、という4つのサイクルを続けていくには、場所の存在が大事です。展示空間として自分たち以外の誰かが発信できたり、何か事を起こすためにも。加えて僕ら3人や、これまでの展示作家たち、デザイナーだったり写真家だったり、いろんな分野の専門性を持った方々にも関わってもらえる動きも必要だと考えています。

photo by Mayu Sato


小野木:例えば最近だと、京都市役所の前の広場で、第3金曜日に3人で話す、ラジオの実験場みたいな取り組みに参加しました。誰でも気軽に立ち寄れて、ちょっと耳を傾けてもらえたらいいな、というスペースですが、そこでコミュニティについて話した時は、そもそも「コミュニティ」という言葉の解釈が、個々人で少しずつで違っていたし、みんながものごとについてどう考えているのか、をアートをきっかけに話すことの重要性を感じました。

最近になってようやく、この「熊間」という場所があって、集団形態としてのコレクティブ的なものもあって、かつ、3人それぞれの活動もあって、それらを行き来しているという感覚が持てています。

photo by Mayu Sato


熊野:建築を仕事にしていると、自分の仕事や作品と言えるものを作るには数年単位の時間がかかります。でも「熊間」という場があると、ここを起点にした話題が生まれたり、他での活動や展示に対してのフィードバックを共有できたり、別の形や意見、思いが生まれ発散されていったり、様々な往来が生まれる点が良いなと思いますね。

作家がやりたかったことも、やって後悔したことも残っていく

矢津:ここからは「熊間」での展示について伺っていきたいのですが、正直、アーティストの立場からすると、この空間は挑戦状のようで(笑)、展示を行うアーティストはどのように選んでいますか。


熊野
:3人で相談した上で、我々からお声がけしていますが、まずはこの場所を実際に見てもらって、展示をやりたいかどうか、どんなことをやってみたいか、をお聞きします。かなり主張の強い空間なので(笑)、アーティストにもいくつかのハードルを超えてもらうことにはなりますね、僕がここに住んでいることもそのひとつでしょうし。


矢津:やっぱり、かなり挑戦的ですね(笑)。


熊野:そうですね(笑)。展示をするアーティストとの信頼関係をどうやって築いていくかは、僕の大切な役割だと思っていますが、最初は友達になる感覚に近いかもしれないですね。一緒にご飯を食べに行ったりして、喋りやすい、言いやすい関係性をなるべく作っていきたいので。

お互いに話をしていく中で、アーティストがやりたいことだけではなく、これまで展示をやってきて実現できなかったことや、心残りだったことを少しずつ聞いたり、僕からも過去の活動や思いを話したりしますし、この場所で展示を行う意味などを考えながら、表現したいことを一緒に形作っていきます。その過程で小野木と浦田にもシェアして、空間や建築的な視点からフィードバックをもらいつつ、少しずつ、イメージを具体的にしていきますね。


矢津
:作家とのコミュニケーションが非常に密ですね。ちなみに熊野さんは「熊間」以外に、例えば公的なお仕事でアーティストと関わったり、外部で展覧会の企画をされたりしていますか?


熊野:企画の仕事そのものはやっていませんね。ACKでもウェブサイトやSNSのディレクションのような立ち位置ですし、広報の仕事も同様に、自分から「こういうことをやりましょう!」と企画するより、誰かがやりたい企画や広めていきたいことを周知するため、必要なことに取り組んだり、やりたいことを引き出して準備したりする仕事が中心です。


矢津:なるほど。「熊間」のギャラリーとしての形態は、企画ギャラリーにあたるのでしょうか。作品の販売も行っていますか?


熊野:はい、販売してはいますが、積極的なご案内はせず、声をかけられたら、というスタンスですね。また、展示にあたってアーティストから金銭を払ってもらうことはありません。貸しギャラリーではないので。


小野木:作品を販売する、ということは、ここが単なる自己満足のような閉じた状態ではなく、社会と接続する・つながりを持つ、という意味で、結構大事なのでは、と、最近も浦田と話していました。場所そのものが、少し路地を入った奥まったところにありますし。


矢津:なるほど。社会と接続するための経済活動と捉えているんですね。アーティストとしては、作品発表への反応のひとつとして売れることも重要ですからね。


熊野:とはいえ、なかなか売れませんね(笑)。毎回、若干申し訳ない気持ちを抱えながら会期を終えています。


矢津:作品は、売ろう、という気持ちにならないと、なかなか売れないですよね(笑)。でもアーティストは、たとえ売れなくてもここから何かしら持ち帰ることができていそうだな、と、思います。この「熊間」で展示する、ということに、いわゆるコマーシャルギャラリーでの展示とは少し異なる価値を見出してくれているのではないですかね。また、2024年10月半ばまでの会期だった、土屋未久さんの展示【※2】では、会期が終わった後も撤去されずスペースに残っていく作品がありましたね。同様の取り組みはこれまでも?


熊野:いえ、今回が初めてですね。作品を買うだけじゃやっぱりどうしても淋しいし、これまでもアーティストとの関係性が続いていくようなものを模索し続けていて、会期中、元々あった土壁に、収集した土を使った作品を制作してもらいました。

京都市内を中心に、土屋未久が自ら採集した土を用いて、熊間の2階にある既存の土壁の上に描いた絵。
photo by Mayu Sato

矢津:スペースのオーナー冥利につきますね。あと、この床を新たに追加したっていうのはどういう意図だったのですか?


小野木
:土屋さんから、「ここに座れるスペースが欲しい、資料を置きたい」という要望があって、階段の踊り場のように新設しました。

写真の奥にあるのが新設した踊り場
photo by Mayu Sato

熊野:土屋さんには、空間のどこを使ってもいい、と話していまして。ただ、あくまでも我々からは働きかけすぎず、手伝うというニュアンスが強くて、相談しながら設置しました。


小野木:会期後もこれをそのまま残すことが、展覧会の痕跡によって空間が変容していく、という、僕らが目指していることでもあるんですよね。

土屋未久「滲みの間合い」2024年 展示風景 
photo by Yosuke Ohtake


熊野:こちらは、2023年末に展示を行った内藤紫帆さん【※3】との取り組みです。展示スペースを訪れた人たちと一緒に作品制作をしていて、奥の方にある僕の住居スペースの人が集まる場所と、空間を切り分けたい、と考えていました。

でも、靴を脱いで上がるような場所なので、人の痕跡というか生活感みたいなものが展示スペースに取り残されて、奥のスペースとの切り分けが上手くできていなかったので、内藤さんから、スペースをつなぐためのあいだが欲しい、と要望がありまして。

内藤さんがきっかけでできたスペース
photo by Mayu Sato
内藤紫帆「NOSTALGIA/ノスタルジア」2023年 展示風景 
photo by Hiroki Kondo


矢津:すごいですね、このスペースを象徴するかのように、境界みたいなものがあった上での中庸が存在しているみたいです。過去の展示の残置物というか、いろんなものが紛れていますね。


熊野
:新しいものを作ったり持ってきたりするのではなく、あくまでも僕の生活の中にあるものを使ったり、ここに入れても違和感のない、手に入りやすいものを考えて作っていきましたが、実は、新しいものも混ざっています。例えば、2024年春、京都国際写真祭のサテライトイベントであるKG+の企画で、建築写真を撮っている大竹央祐さんの展示【※4】を開催した時の名残りがあります。その展示のテーマは「アーカイブ」でした。そもそも「アーカイブ」とは、権力者をはじめとする人間たちが体系立てて残したもののことを意味するそうで、それに対して「アーカイブ」からこぼれ落ちた「余録(よろく)」をどう扱うのか、がポイントだったのです。

ここには、大竹さんの事務所に置いてあった、表に出していない試し刷りの「余録」をたくさん持って来ていて、それをどう扱ったらいいか、「アーカイブ」にするためにはどうしたらいいか、みたいな話を、展示を訪れた人たちと交わしていました。大竹さんは素直な方なので、ある時、「写真を切り刻んで展示する」というアイデアを実際に試してみたら、悲しくなって持って帰れなくなってしまったみたいで(笑)。気づいたらここに撒かれていましたね。

大竹央祐「余録とアーカイブ」2024年 展示風景 
photo by Yasugi Kazuoki
写真2枚目に、切り刻まれた写真がうつり込んでおり、一部がまだ熊間に残っている。


矢津:供養されていったんですね(笑)。


熊野:はい(笑)。ここにはたぶん、作家がやりたかったことも、やって後悔したことも残っていっている気がしますね。あと、ちょっと保管場所に困るものも。あの絨毯も、「置いていっていい?」みたいな感じで。


矢津:なんだか面白いですね(笑)。

記録し、「種」を蒔くように

矢津:この先アーティストと「熊間」でいろんな企画を開催していくことについて、熊野さんはどのようにとらえていますか? 例えばアートスペースとして何か目標や方向性がある、とか。


熊野:未来の話はとても話しづらいのですが(笑)、そもそもここは賃貸なので、いずれ終わることはずっと念頭にあります。

また、ACKの仕事でいろんなギャラリーに足を運びますが、同じようなポジションのギャラリーにはなれませんね。目指してくれって思ってるアーティストもいるかもしれませんが、僕の精神衛生上、そうなれない、なれる気がしないので、流れに任せるような活動を続けていくのかな、と。


矢津:例えば、「熊間」というオルタナティブなスペースや活動が、今のアートシーンにおいてどんな立ち位置にあると思いますか?


熊野:言語化が難しいんですが、この「住居兼ギャラリー」のギャラリーの部分も、どちらかといえば「借りもの」のような気がしていて、ギャラリーという言葉にしっくりきていないのが正直なところです。手続き上必要なときには使いますが、ディレクターともギャラリストとも名乗りたくない。僕の肩書きは「熊間の家主」でしかないんですよね、ただ住んでいる人です(笑)。ステートメント的なものを書いてはいますが、アーティストやアートネイバーの人たちに寄り添っていられたら、それで十分な気がしています。

photo by Mayu Sato


矢津:そういったスタンスで活動されている「京都」という場所は、どのようなところだと思いますか?


熊野:比較の対象にしていいのかわかりませんが、東京と比べると活動しやすいといえばしやすい気がします。東京は熱量の高いたくさんの人が、「熱量高いですよ!」って表明して活動しているようで、僕は生存していけない気がします(笑)。

あと、自分が何をやっているのか、強い言葉で発信し続けることが正義のような印象もありますね。京都はもうちょっと、「へー、そんなことやってるんだね」ぐらいの、適度な距離を置いて見ていてくれるような感覚です。


矢津:東京にも「熊間」のようなスペースがあるかもしれませんが、あったとしても、確かに少しあり方が違う気がしますね。


熊野:でも、最初に「熊間」のようなスペースを始めたい、と考えたのは、アーティストと話していて、京都にはこういう場所が必要だよな、と思ったのがきっかけでした。実際にアーティストたちにも聞いたんです、どんな場所があったらいいか。制度的なものだったり、お金や経営的なものだったり、運営体制もどんな人たちがどんな関わり方をしてくれるといいかとか。当時、自分も京都に住んでいましたが、なんだか活動しづらい場所だな、と感じていました。貸し画廊のような場所はあるけれど、作品を発表するためのハードルが結構高いなと。お金がかかるので、制作しながらバイトもして、生活もして、というのは負担が大きい。かつ、アトリエもあまりなくて、自宅兼アトリエ、というアーティストも多くて、創作活動を続けていくための障壁がたくさんある。何かそこに貢献できたら、という思いから始まっています。

もちろん京都では、行政や民間の方々が様々な政策や企画を行ってはいますが、東京と比べると、場のあり方以外の面、例えば仕事が十分にあるか、場を継続していくための制度や環境が必要十分か、と問われると、少し怪しいかもしれませんね。一方で、自分のようなスタンスでオルタナティブなスペースの活動がしやすい点は、それぞれがいろいろと取り組んでいるよね、くらいの距離感でいてくれている京都の良さ、と言えるかもしれません。


矢津:そうですね、僕もすごく共感できます。最後に、制作・販売されているプロジェクトブックについて伺わせてください。一冊目となるvol. 0は、この「熊間」が完成するまでがまとめられていますね【※5】。

『プロジェクトブック vol. 0 熊間』
photo by Mayu Sato

熊野:はい。当初は10ページぐらいかなって言ってたんですが、結局80ページになりました(笑)。


矢津:すごくいいボリュームと内容です。写真や皆さんの文章、外部の方による寄稿も掲載されていますね。


熊野:あくまで記録として、何をやったか、何を思ったか、そこに至るまでに何があったかみたいなことも含めて表現できたらいいな、と考えて編集しました。僕たちだけで一人称的に語るのは一方通行の発信になってしまうので、第三者的にいろんな方向から見てもらいたいと考え、商店建築の編集者で僕らの大学の先輩にあたる平田悠さん、同世代でキュレーターの黒田純平さん、ACKで一緒に仕事をしてきた鈴木秀法さんの3名に寄稿してもらいました。

これはいわば、僕たちの分身でもあり、社会との接続点にもなりうる媒体です。全部手製本なのでだんだん愛着が湧いてきちゃって、最初、「1,500円にする?1,000円にする? いや、ちょっと安いよな」ということで、「熊間」では2,500円で販売しています。でも、販売すること自体に、なんだかしっくり来てないんですよね、むしろもうお金を取らなくていいんじゃないかな、と(笑)。


矢津:配っていいのでは、という境地に(笑)。


熊野:はい(笑)。プロジェクトブックを制作するにあたって参考にしたのが、大阪で30年以上続くTEZUKAYAMA GALLERYの松尾良一さんのお話でした。ギャラリーでは展覧会ごとに制作した冊子を、美術館をはじめとしたお客様にあたるところにお送りしているそうなのです。作家にとって展覧会は今を最大限表現する機会で、この機会の集積が作家のキャリアとなる。その行為をカタログという形で残すことは有意義であり、10-20年後にその作家の資料として重要な役割になると思う。それがすぐに作品の購入やコレクションに収蔵される、という結果や収益につながらなくても良い、まずは知ってもらうこと、「種」が拡散して残っていけば良い、と。

展示の記録をどう残すかって結構大事だと思うのです。展覧会って、その作家が今までやってきた表現、あるいは現時点でやりたい表現であり、どちらも活動の断片でしかないですよね。過去の活動も含めて今を見ないと、その作家の全容は理解できないはずです。だから、写真や文章といった記録を残していかなければ、断片でしか見えなくなってしまう。ひいては作家活動を文脈として残しづらいのではないか、と危惧しています。

それに、展示してくれたアーティストとの繋がりが、展覧会が終わると切れてしまうのはやっぱり淋しいし、アーティストとの関わり方という面でも、作ってお渡しできるよう、今後も写真と文章という同様のフォーマットで、全ての展示で続ける予定です。


矢津:このボリュームで全てを、というのはすごいですね。展示の写真はどなたが撮影を?


熊野:大竹央祐さんにほぼ毎回撮ってもらっています。鑑賞者の視点と、展示空間の空気感を残した写真を意識して撮影してくださっていますね。同時に作品の物撮りも行っています。文章については、今後、批評も入れていきたいと考えています。ここで起こっていることを批評の視点で論じてほしい。ただ僕たちでは書けないし、京都でも書ける人はそんなにいないと思います。もしかすると日本を見渡してもそんなにいないかもしれないですが。

最近、批評文化が廃れていっていることが気になっているんです。以前、とある媒体の編集者と話したときも、年々ギャラリーを見に行くことが少なくなっている、と仰っていました。企業としてメディアをやっている以上、そもそも批評するに値するかどうか、批評家に対価を支払って見て書いてもらうかどうか、という考えがあり、現状その媒体でも批評をあまり掲載していないようで。でも母数が少なくなればなるほど、批評をやろうという人たちはどんどん減ってしまうし、媒体も増えません。それなら僕が支払える範囲ではありますが、批評の執筆を依頼していけたら、と。直近では、左京区のアートスペースである「浄土複合」【※6】のディレクターでアーティストの池田剛介さんに相談して、同ライティングスクールを卒業され、 ロームシアター京都のウェブサイト『Spin-Off』を担当されている儀三武桐子さんに寄稿を依頼しました。


矢津:次のプロジェクトブックの発行が楽しみですね。


熊野:ありがとうございます、時間がすごくかかってしまってはいますが(笑)、制作は少しずつ進んでいます。プロジェクトブックが広がっていけば、アーティストだけではなく、建築家や写真家にとっても、批評家にとっても、ポートフォリオになり、仕事の機会につながるかもしれませんしね。「熊間」の活動は、本当にクローズドで狭い、小さなところから始まっていますが、少しずつ拡散されていて、 おそらくいつかどこかで「公共」になるタイミングが来る、かもしれないという考えで、これからも続けていくつもりです。


矢津:素晴らしいお話を聞くことができました。すごく楽しかったです、本当に。ありがとうございました!

photo by Mayu Sato

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関連情報

住居兼ギャラリー「熊間」

(URL最終確認:2025年3月4日)

注釈

【※1】『大学』『中庸』
『大学』は、孔子(前552年頃~前479年)の弟子、曾子(そうし、前505頃~前436頃)の作とされる書物で、天下国家の政治もその根本は一身の修養にあることを説く。『中庸』は司馬遷(しば せん、前145年頃~ 前86年頃)の歴史書『史記』によれば、孔子の孫である子思(しし、前492年~前431年)の作とされる書物で、人間の本性とは何かを論じ、「誠」の哲学を説く。いずれも元々は『礼記(らいき)』の一篇で、紀元前の中国で興った儒教の重要な経書・四書に含まれる。(四書は『論語』『大学』『中庸』『孟子』の総称。)

【※2】土屋 未久「滲みの間合い」Fluctuating Intimacy 
会期:2024年9月14日(土) – 10月13日(日)
(URL最終確認:2025年3月4日)

【※3】

内藤紫帆「NOSTALGIA/ノスタルジア」 
2023年11月25日(土) – 12月30日(土)
(URL最終確認:2025年3月4日)

【※4】大竹央祐「余録とアーカイブ」Rumor and Archive 
2024年4月20日(土) – 5月19日(日)
(URL最終確認:2025年3月4日)

【※5】『プロジェクトブック vol. 0 熊間』 
発行・企画:熊間(熊野豊、浦田友博、小野木敦紀)
装丁:朝来
写真:大竹央祐、武田大典
謝辞:平田悠、黒田純平、鈴木秀法
(URL最終確認:2025年3月4日)

【※6】浄土複合 Jodo Fukugoh 
(URL最終確認:2025年3月4日)

INTERVIEWEE|

熊野 豊(くまの ゆたか)  

熊間 家主。1993年生まれ。京都工芸繊維大学大学院修了。近世の日中比較建築の建築生産システムを専門に研究。
現在はArt Collaboration Kyoto(ACK)やART OSAKAにて、ウェブサイトやSNSを主に担当。並行して、広報アシスタントとして美術館の企画や芸術祭、各種展覧会などをサポートしている。

小野木 敦紀(おのぎ あつき)  

建築家。1993年岐阜生まれ。京都工芸繊維大学大学院修了後、SUOを経て、現在は独立に向けて活動中。建築や場所とそれらを取り巻く風景(Atmosphere)に関心を持ち、昨年はベルリンを中心にヨーロッパの建築や都市を巡る旅を通じてその探求を深めた。

浦田 友博(うらた ともひろ)  

建築家。1993年大阪生まれ。京都工芸繊維大学大学院修了後、木村松本建築設計事務所を経て、2021年に『浦田』を設立。建築/庭/インテリア/什器/モノから、企画/批評/味など、つくる・考える・実践することのよろずを行う。また、学生時代から現在にいたるまで「建築と庭のあいだ」について日々考えている。京都芸術大学環境デザイン学科専任講師。

INTERVIEWER|矢津  吉隆(やづ よしたか)

1980年大阪生まれ。京都市立芸術大学美術科彫刻専攻卒業。京都芸術大学専任講師。京都を拠点に美術家として活動。作家活動と並行してオルタナティブアートスペース「kumagusuku」のプロジェクトを開始し、瀬戸内国際芸術祭2013醤の郷+坂手港プロジェクトに参加。2017年からは美術家山田毅とアートの廃材を利活用するアートプロジェクト「副産物産店」を開始。主な展覧会に「青森EARTH 2016 根と路」青森県立美術館(2016)、「やんばるアートフェスティバル」沖縄(2019)、「かめおか霧の芸術祭」京都(2018~22)など。2022年からはビジネスパーソンを対象とした実践的アートワークショップ、「BASE ART CAMP」のプロジェクトディレクターを務める。

WRITER|Naomi

ライター・インタビュアー・編集者・ミュージアムコラムニスト
 静岡県伊豆の国市生まれ、東京都在住。
スターバックス、採用PR、広告、Webディレクターを経てフリーランスに。
「アート・デザイン」「ミュージアム・ギャラリー」「本」「職業」「大人の学び」を主なテーマに、企画・取材・編集・執筆し、音声でも発信するほか、企業のオウンドメディアや、オンラインコミュニティのコミュニティマネージャーなどとしても活動。好きなものや興味関心の守備範囲は、古代文明からエモテクのロボットまでボーダレス。 

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