LOCAL ART +(ローカルアートプラス) 〜いま見つめ直す地域のアート活動・広島編〜(後編)

LOCAL ART +(ローカルアートプラス) 〜いま見つめ直す地域のアート活動・広島編〜(後編)

今井みはる(学芸員)、黒田大スケ(アーティスト)、松岡剛(学芸員)、小野環(アーティスト)
2025.04.30
87

第2弾となる今回の「LOCAL ART +」では、直近25年の広島のアートシーンを振りかえっている。前編につづき、後編では特に2010年代の広島のシーンを紐解きながら、現在とこれからの広島のアートの生態系について考えていきたい。

国際的なシーンとの接続

広島のアートシーンは2010年代に入り、新たな転換期を迎えることとなる。特筆すべきは海外での経験をもつ人々のローカルなシーンへの関与だ。こうした国際的なネットワークの形成は、広島市と尾道市それぞれで異なる展開を見せていく。

代表的な例のひとつとして、広島市現代美術館では、ニューミュージアム(New Museum of Contemporary Art)のアソシエイト・キュレーターだった神谷幸江【※1】が学芸担当課長となり、海外のシーンを積極的に取り入れた企画を推し進めることができるようになった。


松岡:それまでの企画は国内の繋がりをベースにしていたのですが、神谷さんが入ってからはネットワークが広がり、海外機関との連携も増えました。海外作家を招聘するにしても、キャリアの初期の良いタイミングで作家に声をかけられるようになるなど変化がありました。開館当初から運営に携わったスタッフの世代交代や、指定管理者制度のスタートなどがあり、美術館の運営体制が様変わりした時期でした。


一方尾道では、小野さんを中心にしたアーティスト・イン・レジデンス(AIR)プログラム「AIR ONOMICHI」が本格化していく。レジデンスを中心に、ここでも独自のネットワークが構築されていく。


小野:2007年にAIRをスタートした時から、海外の作家を必ず入れたいと思っていました。そのとき、ヒロシマ・アート・ドキュメントのつながりもあったので、伊藤由紀子さんの紹介でクリスチャン・メルリオという後にヴィラ九条山の館長を務めるアーティストや、パスカル・ボースというフランス人のキュレーターによる企画展示なども行いました。そこから2013年ごろになると、作家が中長期滞在するかたちとなり、運営側の解像度も上がっていきました。またアーティストが地域に深く潜っていくプロジェクトもだんだんと生まれてきたように思います。


前編で触れた広島市立大学への柳幸典の赴任と広島アートプロジェクトなど、この時期の広島における同時代の美術の実験、実践によって、広島のアートシーンが国際色を豊かにしていたことがわかる。

AIR Onomichi 2007  《迷宮》山本基 通称尾道ガウディハウス

アーティスト・ラン・スペースの勃興

2010年代に入り、広島市内では新たなスペースが断続的にオープンしていく。広島市立大学の卒業生を中心に2010年にオープンした「広島芸術センター」【※2】はその先駆けだったと言える。立ち上げメンバーのひとりで、2024年2月に惜しまれながらその幕を下ろすまで主要メンバーとして14年間運営に携わった黒田さん曰く、オープンのきっかけはひょんなことの流れだったという。


黒田:当時、宮島のお土産物をオリジナルで開発しようという仕事を個人的に受けていて、その関係で広島の広告代理店から後に広島芸術センターとなる物件を紹介されました。だれかこの建物を使わないかという相談があり、ぼくも納期がすごく遅れていたタイミングで断りづらくて(笑)。25年くらい放置されていて、状況も複雑だったのですが、そのぶん家賃も今考えたら恐ろしいほど安かったんです。そんなこんなでたまたま引き合わされた場所で、アトリエを探していた友人と一緒に、私はその運営をサポートする形でスタジオ兼ギャラリーとして利用を始めました。


広島芸術センターが立地した広島市中区の吉島地区は、広島アートプロジェクトの会場となった旧中工場にもほど近く、周辺ではさまざまな企画も展開されていたエリアだった。


今井:広島アートプロジェクトはずっと旧中工場のアートセンター構想も掲げてプロジェクトを展開していました。広島芸術センターができた2010年は広島アートプロジェクトの最終年で、初年度に会場となった旧中工場は2年目から使用できず、屋外でアートセンターを模した展覧会を開催したところでした。そんな背景もあり、広島芸術センターのオープンを知った方が「とうとうアートセンターができたんですね」と勘違いした声を耳にすることもありました(笑)。


当然黒田さんとしても広島アートプロジェクトのことを意識していたわけだが、勢いもあって名付け、開設したものだったという。


黒田:ぼくも広島にアートセンターのようなものはやはり必要だなと思っていたので「広島芸術センター」と名付けてみたんですけど、いま考えるとヒヤヒヤしますね(笑)。柳さんたちのプロジェクトのことはもちろん見ていましたし、ちょっと申し訳ない気持ちも感じつつでした。ただ、柳さんと行政の折衝でアートセンター構想がうまくいっていなさそうな話も聞いていたので、作ってしまえばいいんじゃないか、という思いも同時にありました。あとは、七搦綾乃さん【※3】などのほかの立ち上げメンバーがそういう事情を前向きに考える人たちだったのも幸いしたかもしれません。

広島芸術センターが入っていた小中ビル。1Fが芸術センターとして使用されていた。
写真は最後の展覧会「2月の集い」(2024年2月23日-25日)最終日の様子(外観)。
最終日は別れを惜しむアーティスト、関係者、地域の人たちが入れ替わりたちかわり訪れており、アーティストがスペースを開くことの重要性を改めて感じるものだった。

また、2012年に尾道市の百島にオープンした「ART BASE 百島」【※4】も、柳幸典による大規模なアーティスト・ラン・スペースだ。かつては尾道帆布展の会場としても利用された旧百島中学校の校舎を再活用した場である。現在に至るまで柳幸典らの作品を常設展示するほか、企画展やイベントも開催している。今井さんは、このプロジェクトの準備段階から2013年までのあいだ、展示コーディネートや地域連携の業務に携わっていた。


今井:百島での活動の始まりは、2011年の東日本大震災の後のタイミングで、耕作放棄地や空き家、高齢化といった離島の課題もありましたが、「半農半芸+ちょっと漁」というテーマのもと、自給と芸術活動をしながら自然や文化が育まれた離島という場所から近代化の過程を考えていくんだという話をしていました。また、広島市内のプロジェクトでは実現できなかった常設の拠点を開設できたことを柳さんも喜んでいたのを覚えています。


ここまで広島市立大学のスタッフとして大学関係のプロジェクトに関わってきた今井さんだったが、広島市の西側に隣接する廿日市(はつかいち)市に2013年にオープンした「アートギャラリーミヤウチ」【※5】に学芸員として就職することになる。


今井:そのころの私個人の状況としては、2010年で広島市内での広島アートプロジェクトが終わった後も、広島市立大学の協力研究員としての籍がありました。柳さんの百島の活動だけでなく、ほかの教員それぞれのプロジェクトにも関わるようになっていました。ちょうど、プロジェクトベースでない関わり方や地域から一旦距離をおくような方法も模索していたところで。それまでは柳先生のようなディレクターの下で大学関係を中心としたアーティストと関わる仕事ばかりしてきたので、自分でなにか企画をすることには違和感もありました。そんなタイミングで声をかけられて、現職であるアートギャラリーミヤウチの設立準備に携わるようになりました。


2015年には、アートギャラリーミヤウチに隣接するスタジオピンクハウスも活動を開始した。定期的に展覧会やワークショップの会場となるかたわらで、作家の諫山元貴【※6】と手嶋勇気【※7】の2人のシェアアトリエとしての活用も始まった。

アートギャラリーミヤウチ最初の企画展「空気 -微かなサイン-」(2014)の会場風景。
広島出身・在住のアーティストたちと「空気」をテーマに展示空間を構成した。
STUDIO PINK HOUSE
アーティストの諫山元貴と手嶋勇気によるシェア・アトリエとして2015年にオープン。
写真は2015年、メンバーの諫山がアトリエとして使い始め、作品を制作しているところ。

また、「基町プロジェクト」【※8】が始まったのもこの頃で、2014年に始動している。広島市中区の広島城にほど近い基町地区は、かつての軍用地が集積したエリアだった。原爆で焼け野原となった土地には、戦後に多数の不良住宅群が建てられ、この建て替えを目的に1960-70年代に建設された高層アパート群が「基町アパート」である【※9】。建設から数十年を経て少子高齢化が進み、市営店舗には空き店舗が増えていた。そこで広島市立大学と中区役所が連携し、当時広島市立大学で非常勤助教を務めていた中村圭を中心に「基町プロジェクト」がスタートした。若者が主体となった創造的な文化芸術活動や地域交流プロジェクトは、現在に至るまで続いている。

広島から外へ、外から広島へ

さて、人の移動にともなって海外を含む地域外のシーンの影響を摂取してきた流れをここまで紹介してきたが、2010年代はこの動きが一方向的なものだけではなく、双方的なものとなっていったことも触れておきたい。例えば尾道では、尾道市立大学に2012年に着任した画家の稲川豊【※10】の影響が大きい。チェルシー・カレッジ・オブ・アーツへの留学を含め9年間ロンドンで活動した経験をもとに、その後もさまざまな国際交流企画を展開していく。


小野:稲川さんが尾道の教員になって、ロンドン時代のネットワークをうまく活用して、海外とローカルを結ぶプロジェクトをやり始めていました。自分もこれまで地域で育んできた場と海外のネットワークをつなぐ企画を一緒に展開していきました。尾道には古い民家が多く残っているのですが、こうした状況をあまり経験していない人に来てもらって、まったく違う視点を提供してほしいという期待もありました。
そうした繋がりの結果、特に2010年代後半以降になると、シンガポールやイギリス、マレーシアなど、逆にこちらが海外で展覧会をやる機会も増えていきました。自分たちで企画して海外の作家を呼ぶだけじゃなく、学生や卒業生も含めて送り出す動きもでてきたのはよかったですね。


稲川豊は、アートギャラリーミヤウチでも2つの国際展【※11】を企画しており、広島市周辺と尾道の双方に地域外との接点をもたらす動きを展開している。

アートギャラリーミヤウチ「FLOATING URBAN SLIME / SUBLIME」(2017-18)
稲川豊によるキュレーション
撮影:友枝望

またこの時期は、広島市立大学の初期の卒業生で海外に拠点を置いていた作家たちが広島に拠点を戻すケースが続いていたようだ。現在は広島市立大学芸術学部で准教授を務める古堅太郎、安田女子大学教員の福田惠や福永敦、広島を拠点にアーティスト活動を続ける米倉大五郎や平野薫などは、一時期ドイツを活動拠点にした後、広島に戻ってきた例である。


松岡:このころになると、広島市立大学の卒業生の層が厚くなってきたように思います。卒業後は一度広島を出ていく流れがあったと思いますが、こうした先輩たちがまた広島を拠点に制作活動をはじめたことが、次の世代の若い作家にも大きい影響を与えている気がしています。卒業後も広島に留まる選択肢が出てきたことが、地域のシーンを豊かにしている部分はあると思います。


今井さんや黒田さんと世代の近い現在30代後半から40代前半にかけてのアーティスト【※12】が、卒業後も広島を拠点にしながら各地で活動を展開していたのはその証左といえる部分だろう。加えて、2011年の東日本大震災が与えた影響と、被爆地に対する外からのまなざしの変化も重要だ。ひとつは上述の、海外に拠点を移していた先輩アーティストたちの作風の変化である。


今井:海外に出ていた先輩たちのなかには、震災を日本で経験していないからこその衝撃を受けていたようです。それによって作風の変化もあり、広島にいた頃には直接的に触れていなかったかもしれないエネルギーといった課題を扱うようになったのを見て、事の重大さを感じるとともに、その変化に戸惑いも覚えました。


もうひとつ、他都市を拠点とするアーティストが広島に作品制作に来るようになった動きもあった。2006年から黒田さんを中心に継続していた「ヒロシマオー」は、2012年には「ヒロシマオーヒロシマフクシマ」【※13】と題した企画を展開する。


黒田:
震災の後、アーティストが政治的な問題に積極的に触れていく姿勢が地域を問わず広まっていました。そうした文脈で、広島以外の場所から広島に来て、広島についての作品を作る機会も増えた印象があります。「ヒロシマオー」も、当初は学生や周辺の仲間たちでやっていたものでした。しかし2012年に開催した「ヒロシマオーヒロシマフクシマ」では、広島のみならず関東や関西を拠点にするアーティストも含む総勢29名が、いろいろと議論を交わしながら展覧会をつくっていくことをしました。このなかには、加藤翼さんや村山悟郎さんなど、最近も名前をよく聞く活躍している人たちも含まれています。この頃のネットワークが、後の活動にも繋がっていきました。

発表の場の広がりと変化

さて2010年代に入り、広島芸術センター(2010-2024)、アートギャラリーミヤウチ(2013-)、スタジオピンクハウス(2015-)などのスペースが誕生したことは紹介したが、横川創苑(2014-2020)【※14】、ギャラリー交差611(2016-2019)【※15】、Alternative Space Core(2017-)【※16】など、2010年代後半にも、新たなスペースが次々と誕生していたことも付け加えたい。コロナ禍に入ってからも、Hiroshima Drawing Lab(2020-)【※17】、L Gallery(現LE METTE GALLERY、2020-)【※18】、THE POOL(2021-)【※19】、そして筆者の運営するタメンタイギャラリー鶴見町ラボ(2021-)【※20】などが誕生。アーティストが仲間たちと運営するスタイルもあれば、キュレトリアルなポリシーをもって作家を招聘し企画を展開するスペースもある。設立の背景や運営する人の立場や出身もさまざまに、地域内外の作家・作品を紹介する多様な場ができている。

また20年代はもちろん、コロナ禍がシーンに与えた影響も大きい。もちろんアーティストにとっては予定していた展示企画が中止や延期になるなどの直接的な影響もあったはずだが、同時にコロナ禍で影響を受けた文化芸術従事者向けの各種補助金によって意欲的な企画や施策も展開された【※21】。たとえば広島地域で開催されている展覧会の情報をまとめてチェックできるウェブサイト「ひろしまアートシーン」【※22】の開設も、広島市の「文化芸術の灯を消さないプロジェクト」【※23】の助成を受けたものだ。

コロナ禍はちょうど広島市現代美術館が、大規模改修工事のため長期間休館したタイミングとも重なった【※24】。2020年12月から2023年3月までの休館中、美術館が館外各所で活動を展開することになるのだが、館外の活動拠点「鶴見分室101」を構えたのが「第2三沢コーポ」【※25】というアパートの一室だった。ここで映像コレクションの紹介を中心に、アーティストを招聘したイベントなどが行われた。この第2三沢コーポは築50年近い集合住宅で、空室が目立っていた2017年からDIY可能物件となったところ、アーティストのアトリエ利用が自然と増えてきたという集合住宅で、2021年から筆者も「タメンタイギャラリー鶴見町ラボ」を構えているほか、レジデンスの拠点としても利用されている【※26】。


松岡:ギャラリーやアーティスト・ラン・スペースの新陳代謝とは別に、最近はもう少し商業的な動きが増えてきたのを感じます。第2三沢コーポはその変則的な例のひとつだと思いますが、物件にアーティストが出入りすることにビルオーナーが価値を見出し、場作りを支援し始めたのは新しい動きだと見ています。

こうした場は、テイストが良くも悪くもバラバラなのが特徴ですね。たとえば第2三沢コーポには古本屋も3件入っているのですが、アーティストやキュレーターだけではない、アートに近いところで動いている人たちが集まっているのが面白いところです。加えて、山本さんのようなアートと社会をつなぐ動きをする人がいて、さらに実は私も今井さんと、gallery Gの松波静香さんと共同でこの9月から第2三沢コーポに一室借りまして、なにか展開を作っていけたらと考えているところです。


コロナ禍のうちに広島市現代美術館の長期休館、そして新たなスペースのオープンも続いた。その後2023年春に広島市現代美術館がリニューアルオープンし、同年5月には新型コロナウイルス感染症が5類に移行したことでさまざまな制限が緩和された。こうした事象が重なったことで、さまざまな交流が増えていった。その代表例が、2023年のゴールデンウィークに県内13のギャラリーが連携した企画「Hiroshima Art Galleries Week」【※27】である。


今井:
自分たちが拠点を持った流れもあり、自然とこのあたりのメンバーで会うことが多くなったんですよね。そこで現代美術館の改修とリニューアルオープンなど、いろんなタイミングが重なって「Hiroshima Art Galleries Week」が発足したというのがここ2年くらいの流れになります。最近はみんなで集まってボウリングやバスケットボールのような活動もするようになりました。

このあたりは震災や戦後70周年の動きとはちょっと異質な流れだったと思います。広島の動きに注目が集まっているらしいと聞くことも増えて、逆に自分たちも他地域の状況を見に行くことも増えました。自分たちの活動を自分たちでPRする方向に変わっていっているところなのかもしれません。

「Hiroshima Art Galleries Week」(デザイン)

他方尾道でも、地域で長期間展開してきたプロジェクトの成果が新たな展開を見せていた。2013年から定期的に尾道を訪れ活動してきたシュシ・スライマンによる大規模展「NEW LANDSKAP ニューランドスカップ シュシ・スライマン展」【※28】が、2023年秋に尾道市立美術館で開催された。


小野:シュシ展は大きな節目だったなと思います。10年間にわたりずるずる展開してきた活動を公立館で発表できたことで、美術館とサイトを繋いでいく大規模な見せ方ができました。


もうひとつ、横谷奈歩による「星劇団再演プロジェクト」【※29】も9年ほど取り組んできた企画だったが、これはコロナ禍の影響を大きく受けてしまったという。


小野:尾道の漁師町には戦後、家船で船上生活をしていた女性だけの「星劇団」がありました。たまたま当時の劇団関係者に出会った横谷さんがプロジェクトを立ち上げてずっと取り組んでいたんですが、2022年だったのでコロナ禍の影響で一般の観客を動員して観せられなかったんですよ。そこで、吉和漁港で素人劇団によるパフォーマンスを行い、収録公演としました。ダムタイプのスナッチさん【※30】に子どもたちの演技指導をしてもらうなど、いろんな人が関わっておもしろいかたちになっているので、これからも展開を考えていけたらと思っているところです。

「星劇団再演プロジェクト」星劇団集合写真 1946年 
「星劇団再演プロジェクト」プロジェクトメンバー集合写真 吉和にある旧尾道冷凍倉庫前 2022年

広島と尾道のこれから

ここまで広島市と尾道市それぞれのアートシーンのここ20年あまりの変化を並列的かつ断片的に概観してきた。小野さんが作家として広島市で発表機会があったり、柳幸典が広島市立大学で教鞭をとりながら尾道市沖合の百島で大規模なプロジェクトを仕掛けたり、あるいは尾道市立大学で教鞭をとる稲川豊がアートギャラリーミヤウチで企画を開催したり、といった交流の例を紹介してきた。しかし実のところ、広島の中でも特に盛り上がりを見せるふたつの都市間の交流は現在のところそこまで盛んではなく、それぞれ別個のシーンが断片的な接点をもっていると言ったほうが実際かもしれない。


小野:自分は昔、広島市で発表が多かったんで、割と近い距離感を持っていたんですが、それでもまだ距離があるのかなという感覚ですね。尾道にアートシーンがあるのかという問題もあるんですけど、尾道でもなんとかできているところもあり、自分たちも閉じちゃってる部分があるのかもしれません。ちょっと前に広島市立大学の古堅太郎さんのところと一緒にプロジェクトを2年ほどやったのですが、国の助成金に紐づいたもので、終了後はそれきりになっています。大学間の交流プロジェクトは本気でやろうと思ったらお金もかかるので、なかなか続かないんですよね。


地域間の接続の問題という意味では、広島市周辺と尾道市周辺の2都市間の関係にとどまらない。県内にはほかにも意欲的な活動がないわけではないのだが、シーンとしての連続性を捉えづらい状況がある。また、広島市内であってもひとつのシーンとしてまとまっているかといえばそうでもなく、たとえば本稿では横川エリアの独自の文化圏の形成についてあまり触れられていない。そんななかで、尾道での動きとしては、地域の文脈のなかでアートの役割をつくっていくことはもちろん、そのなかで海外との交流や接続が作用していくような展開も進行中だという。


小野:外側との交流を活発化できたらいいなという動きは続けていて、先ほども触れた稲川さんのつながりもあって、香港やシンガポールとの行き来も続いています。また自分は、韓国のアーティストとのプロジェクトに取り組んでいます。かつては釜山との航路があって商人や漁師の往来も多かったらしく、尾道には韓国の痕跡が残っているんですよね。そのあたりについて、共同でリサーチを進めています【※31】。あとは、小林和作旧居をレジデンス拠点も兼ねたスペースに改修するプロジェクトも進行中です。
尾道の場合はアートに特化したシーンというよりも、空き家再生など地域コミュニティと関係づけながら動いています。そうした文脈のなかでアートを動かし、そこに海外のプレイヤーも関係してくるような展開を続けていこうとしています。


他方、美術館からの視点では、地域のアーティストとの関係性に課題を感じているという。特に顕在化しているのは、広島市立大学の出身者の活躍ばかりが目立つというパワーバランスの問題である。


松岡:現代美術館は休館中に地域のいろいろなプレイヤーと関わったことで、それまでよりは街の中の動きが見えるようになりました。地域の作家との関わりを再開館後の活動にどう定着させていくかということが現在の課題です。しかしながら広島市立大学出身ばかり、というのも感じます。たしかに年代的な層は厚くなってきました。広島市内にはほかにもアート系の学科をもつ学校はあるはずで、尾道市立大学関係の作家として発表されるのも見聞きはするものの、それ以外は稀な印象です。

排他的な連携関係とは見られたくないので、できるだけ出身大学も分散させて企画を考えたいという思いはあるのですが、気づいたら広島市立大学関係ばかりということがしばしば起こってしまいます。いかんともしがたいところもあるでしょうし、どこになにをお願いしたらいいのかはわかりませんが、もうすこしバランスをとれたらいいのに、とは思っています。アーティスト・ラン・スペースの話題もありましたが、コレクター【※32】など別のプレイヤーが担う部分がいまの広島では結果的に小さくなってしまっているために、広島市立大学の卒業生が運営するスペースの存在感が強くなっているところもあるのかもしれないとも少し思いました。


この背景には展示場所の性格と人の交流の問題がありそうだ。すなわち、「ただの展示場所」にとどまらない機能やコミュニティ形成についてである。


黒田:旧日銀の話題もありましたが、あそこはただの展示場所だったために、レセプションのような機会を除くと人と人が繋がることはそんなになかったかもしれません。しかし今だったら、たとえば第2三沢コーポやミヤウチには人がいます。そうして横のネットワークが塊になっていくと、仕組みや構造として強くなるのではと思っています。


また、世代間交流についての課題もありそうだ。


今井:広島芸術センターや横川創苑などは、場所の人が「おせっかい」ではないけれど、ただ学生が展示できる場所というだけでなく、違う世代が関わる機能を持っていたように思うのですが、そのような場所がいま少なくなっている気がしています。いま私たちがすこし上の世代になってきて、そんな問題意識から学生との交流プロジェクトとしてピンクハウスの諫山さんと手嶋さんと一緒に「お茶会」【※33】を始めました。現代美術館の松岡さんや角さんにも関わってもらって、「おせっかい」というのかわからないですけど、世代が違う人が関わり続けれる仕組みや場所もあったほうがいいのではと模索しているところです。


反面、前述のような最近の関係者間の交流や企画も、ともすれば内向きなものと捉えられかねない。また、マーケットとの距離という問題もあるなかで、若い世代によるコミュニティづくりへの期待が高まる。


小野:やっぱり外側から見たら尾道もなんとなく内側でやってるように見える印象はあるかもしれません。そんななかで、若い世代のコミュニティが盛り上がってほしいという思いがあります。今の学生には、コマーシャルでも微妙にやっていける環境があります。けれども多くの人はコマーシャルベースでやれるわけでもありません。自分の頃はそうした道筋がまったく塞がれていたので光明寺會館のような場所を作って、レジデンスをやってみようとしてきたのですが、自分で場所を作っていくこと、そしてそれが対話の場になって盛り上がっていくことがかなり大事だと思っています。


また、今回お話を伺った面々も40代から50代という年齢となり、キャリアを積んできたからこその役割意識にも話題は及んだ。


黒田:広島のアートの状況を考えたときに、資金にしろ機会にしろ、必ずしも資源は多くありません。かつてはそのあたりの決定権を握っている人がもっとちゃんとしてくれたら自分たちもやりやすくなるのに、という思いももっていました。ところがいつのまにか自分たちも自覚がないままになにかしらの力をもつ側に回ってしまっているかもしれなくて、利己的にならず公共性もわきまえて動かなければならなくなっているのを感じています。


時代とともに価値観も変化し、以前は許されていたかもしれないパワープレイが通用しなくなっている側面もあるだろう。そのほか、組織の活動と個人の活動をいかに連動させていくかという点も4者それぞれが語っていた。

かつては孤立的に存在していた美術館、教育機関、アーティスト、発表の場が、プロジェクトベースの交流によって少しずつつながり、広島の土壌が涵養されてきたことがわかってきた。「よそ者」が外部の手法を持ち込んでローカルな文脈に接続し、交流を促進してきたなかで、世代交代や新陳代謝が起こってきたあり方は、必ずしも「地産地消」的というわけではなかった。被爆地として、風光明媚な街として、外部からの注目は継続的に受けているけれど、それを受け入れる体制は少しずつ整備されているところであり、それもまだ途上だと言えよう。

しかし、こうした動きをいかに持続可能なものにしていくかは大きな課題だ。現在の広島でさまざまな活動を展開しているスペースの運営形態は営利目的も非営利も混在しているが、地域のシーン全体で見るとマーケットへの依存度は低く、運営資金は状況依存的だ。プロジェクトベースの企画の多くは手弁当か期限付きの外部資金頼みで、関係者の多くはひとりでいくつもの肩書をかかえ、みな多忙そうに見える。

しかしながら、大学や美術館の運営を除いてかならずしも行政の関与は積極的でないなかで、草の根のネットワークと美術への愛と責任が駆動するエコシステムが、広島と尾道それぞれで確実に形成されつつあるところだとは言ってよかろう。

もっとも、ここまで述べてきた見立ては、今回お話を伺った4名から限られた時間のなかで聞き取った内容を筆者がまとめたまでのもので、聞き手と書き手によれば異なった整理も可能だろう【※34】。また、特に直近の動向は時を経ることで評価が変わることも多いだろう。とはいえ、その地域でリアルタイムに状況を追っていないとわからないことが多いのもローカルなシーンの実情である。この記事を通じて、広島の過去と現在の一端に触れ、これからの動向にも関心を寄せてもらう契機となればこの上ない喜びである。

前編に戻る

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関連情報

広島のアートシーンに関しては「ひろしまアートシーン」のARTICLE欄でも断片的に紹介がなされている。+5では今回、主に2000年代以降のアートシーンを紹介したが、「ひろしまアートシーン」では、木村成代さんへのインタビューを通して2000年代以前の広島のアートシーンについて市民目線で掘り下げる予定である。ぜひご覧いただきたい。

ひろしまアートシーン:ARTICLEページ

注釈

【※1】神谷幸江

神奈川県生まれのインディペンデント・キュレーター、美術評論家。ニューミュージアム(ニューヨーク)アソシエイト・キュレーター、広島市現代美術館学芸担当課長、ジャパン・ソサエティー(ニューヨーク)ギャラリー・ディレクターを歴任。

【※2】広島芸術センター

広島芸術センターは、黒田大スケ、七搦綾乃、丸橋光生、楠直明らによって、2010年に広島市中区に立ち上げられたアーティストランスペース。2024年2月に閉廊した。

【※3】七搦綾乃

1987年鹿児島県生まれの彫刻家。広島市立大学大学院芸術学研究科修了。現在は金沢美術工芸大学講師を務める。
(URL最終確認2025年4月30日)

【※4】ART BASE 百島

広島県尾道市の離島である百島で2012年から展開するプロジェクト。柳幸典がディレクターとなり、閉校になった旧百島中学校校舎などを再活用し、アートセンターとして公開している。
(URL最終確認2025年4月30日)

【※5】アートギャラリーミヤウチ

広島県廿日市市に2013年に開館した私設のアートスペース。医療法人みやうちグループの公益財団法人みやうち芸術文化振興財団が運営している。
(URL最終確認2025年5月4日)

【※6】諫山元貴

 1987年大分県生まれ。広島市立大学大学院芸術学研究科修了。
(URL最終確認2025年4月30日)

【※7】手嶋勇気
1989年北海道生まれ。広島市立大学大学院芸術学研究科修了。
(URL最終確認2025年4月30日)

【※8】基町プロジェクト

広島市立大学と広島市中区役所の連携により、広島市中区基町地区で展開するプロジェクト。若者が主体となった創造的な文化芸術活動や地域交流を通じて、まちの魅力づくりや、基町地区の活性化に取組んでいる。
(URL最終確認2025年4月30日)

【※9】基町アパート

広島市中区基町にある公営の大規模集合住宅群。川沿いの不法住宅と老朽化した復興木造住宅の建て替えのため、1970年代にかけて建造された。詳細はこちらのメディアに掲載されている。
TD編集部 藤生新「広島・基町アパートを訪れて(前編)新陳代謝する「まち」としての建築」

【※10】稲川豊

1974年東京都生まれ。ロンドン芸術大学チェルシー・カレッジ・オブ・アーツ修了。現在は尾道市立大学芸術文化学部准教授。
(URL最終確認2025年4月30日)

【※11】アートギャラリーミヤウチの2つの国際展

「FLOATING URBAN SLIME / SUBLIME」(2017-18)では出展作家20組中10組を海外在住作家が占めた。同展には作家として小野さんも出展している。

「奇数ソックスとノード / Nurturing Nodes in the Nook of an Odd Sock」(2024)は出展作家19組中14組が海外在住と、より国際色豊かな内容となった。
(URL最終確認2025年4月30日)

【※12】たとえば座談会のなかでは、丸橋光生(2010年広島市立大学大学院修了。広島芸術センター運営メンバー。2024年まで広島を拠点に活動)、久保寛子(2009年広島市立大学卒業、2013年テキサスクリスチャン大学大学院修了。2017年から基町地区でAlternative Space COREを運営。2023年まで広島を拠点に活動。)、七搦綾乃(2011年広島市立大学大学院修了。広島芸術センター運営メンバー。2024年まで広島を拠点に活動)、入江沙耶(2009年広島市立大学大学院修了。第2三沢コーポにスタジオを構え、現在も広島を拠点に活動。)、鹿田義彦(2012年広島市立大学大学院博士課程修了。現在も広島を拠点に活動。)、手嶋勇気(2014年広島市立大学大学院修了。スタジオピンクハウスにスタジオを構え、現在も広島を拠点に活動)らの名前が挙がっていた。

【※13】ヒロシマオーヒロシマフクシマ

2012年に旧日本銀行広島支店を会場に29名のアーティストが参加して開催された展覧会。
詳細はこちら:角奈緒子(広島市現代美術館)「ヒロシマオーヒロシマフクシマ」artscapeキュレーターズノート
(URL最終確認2025年4月30日)

【※14】横川創苑

横川創苑はNPO法人広島横川スポーツ・カルチャークラブが運営していたレンタルギャラリー。2014年に広島市西区横川地区にオープンし、平石ももがマネージャーを務めた。2020年にクローズした。
(URL最終確認2025年4月30日)

【※15】ギャラリー交差611(2016-2019)

 フォトグラファーの石河真理が代表を務めたスペース。2016年に広島市中区橋本町にオープン。2019年に入居していたビルの解体にともない、拠点を持たない企画活動に移行。

【※16】Alternative Space Core(2017-)

 広島市中区の基町ショッピングセンター内にある文化活動のための多目的スペース。2017年に水野俊紀(Chim↑Pom)と久保寛子がオープンし、現在は権鉉基、鍋島唯衣、イタイミナコをメンバーに加えた一般社団法人オルタナティブスペースコアが運営している。
(URL最終確認2025年4月30日)

【※17】Hiroshima Drawing Lab(2020-)

広島市中区鉄砲町のブラック画材の4階にあるアーティストランスペース。井原信次の呼びかけにより2020年にオープン。現在は井原信次、江森郁美、手嶋勇気、福田惠、古堅太郎をメンバーとして運営している。

【※18】L Gallery(現LE METTE GALLERY、2020-)

広島市立大学と同大学院の留学生だったルメテ・アデリンが広島市中区大手町に2020年にオープン。2024年に「LE METTE GALLERY」に改称した。

【※19】THE POOL(2021-)

 広島市中区東千田町にあるアートスペース。ディレクターは香村ひとみ。
(URL最終確認2025年4月30日)

【※20】タメンタイギャラリー鶴見町ラボ

広島市中区鶴見町の第2三沢コーポに入居する本記事筆者の山本功が運営するスペース。

【※21】文化庁による「文化芸術活動の継続支援事業」(2020年度)や「ARTS for the future! (コロナ禍を乗り越えるための文化芸術活動の充実支援事業)」(2021-2年度)に加え、地方自治体レベルでも各種文化芸術支援プログラムが展開された。それまでにない規模で文化芸術関係者を支援する枠組みによってさまざまな企画が実施された反面、突貫的に整備された制度の運用には課題も多く、現場の混乱も少なくなかった。詳しくは下記も参照されたい。

山本功「文化庁への要望書提出までの話」KYOTO ART BOX
(URL最終確認2025年4月30日)

【※22】ひろしまアートシーン

広島市と周辺地域のアート情報を発信するウェブサイトとして2021年に開設。gallery Gの松波静香を中心に、平石ももと山本功も運営に協力している。
(URL最終確認2025年4月30日)

【※23】文化芸術の灯を消さないプロジェクト

広島市が2020年度に実施した文化芸術支援プログラム。広島市内で活動する文化芸術関係者を5者以上支援する「共助の取組」が支援対象となった。

【※24】大規模改修工事のため、2020年末から2023年3月まで長期休館した。この間は、館外でのさまざまな活動を展開した。+5では過去、広島市現代美術館の休館中の取り組みについて取材をしている。

「休館中の美術館の役割とは-広島市現代美術館の仲間づくり-」 
(URL最終確認2025年4月30日)

【※25】第2三沢コーポ

広島市中区鶴見町にある1977年竣工の集合住宅。2017年よりDIY可能な賃貸物件としたところアーティストのアトリエ利用が増えていき、広島市現代美術館・鶴見分室101やタメンタイギャラリー鶴見町ラボなども入居するようになった。年に1度程度のペースでアパート全体のオープンデイも開催している。最近は複数の書店も入居している。
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【※26】第2三沢コーポの一室を大家が改装し、「暮らせるアートスペース」として整備したもの。2022年よりアート関係者のレジデンスやイベントに利用されている。

【※27】Hiroshima Art Galleries Week

 広島県内の13のギャラリーが連携し、ゴールデンウィークにあわせてギャラリー周遊を促進する企画として2023年に初開催。2025年のゴールデンウィークには第2回を予定している。
(URL最終確認2025年4月30日)

【※28】「NEW LANDSKAP ニューランドスカップ シュシ・スライマン展」

2023年に尾道市立美術館で開催された展覧会。マレーシアのアーティストであるシュシ・スライマンが尾道での10年間にわたる活動を発表した。尾道旧市街の斜面地に点在する会場でも展示が同時開催された。会場レポートはこちら。

「シュシ・スライマン「NEW LANDSKAP ニューランドスカップ シュシ・スライマン展」に寄せて〜建築家・品川雅俊氏による会場レポート」 【】Tecture MAG
(URL最終確認2025年4月30日)

【※29】「星劇団再演プロジェクト」

尾道市の吉和地区で戦後復興期に活動した女性劇団。アーティストの横谷奈歩が2013年に元劇団員と出会ったことから再演プロジェクトに発展した。当初は2020年秋の公演を予定していたが新型コロナ禍で2度延期となり、ビデオ収録公演となった。 

横谷 奈歩「尾道の二つの地域から浮かぶ戦後の風景と、その残し方」武蔵野美術大学研究紀要 53: pp.133-140、2023。

小野環「星劇団再演プロジェクト」尾道市立大学芸術文化学部紀要 21: 23、2023。

https://onomichi-u.repo.nii.ac.jp/record/1526/files/ono4_gei21.pdf 
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【※30】SNATCH

 ダンサー、パフォーマンスアーティストである砂山典子の別名義。1990年よりダムタイプのメンバーとしても活動。

【※31】イギリスのロイヤル・カレッジ・オブ・アート(RCA)の教員で韓国にルーツを持つソン・キョンファとの共同研究プロジェクト。2022年にスタートした。

小野環「『In the Flow: Onomichi and Korea』流れの中で:尾道と韓国」尾道市立大学芸術文化学部紀要23:24-29頁。
https://onomichi-u.repo.nii.ac.jp/record/2000250/files/gei23_[24]-[29].pdf 
 
(URL最終確認2025年4月30日)

【※32】ARTnewsの「Top 200 Collector」にも長く名を連ねた大和ラヂエーターグループの佐藤辰美や、欧米の1970・80年代の作品を中心に収集活動を行った開業医の広瀬脩二による「ヒロセコレクション」などは、1980年代から2010年代にかけて積極的に収集活動を行い、それぞれコレクションの展示や出版、そして若手作家による展示企画も行っていた。美術館以外の場でも一線級の作品を身近に目にすることができたこと、そしてさまざまな交流機会があったことは、地元のアーティストにも少なからぬ影響を与えたことだろう。しかし、両コレクションは近年休眠状態であり、現在の広島にはシーンを買い支えるほどのコレクターは管見の限り見当たらない。

最近では2020年に、尾道を拠点にするアートコレクターの中尾浩治が総合ディレクターを務める「ひろしまトリエンナーレ2020 in BINGO」が広島県初の大規模芸術祭として開催される予定だったが、紆余曲折の末に実行委員会が「空中分解」に至るという前代未聞の事態に発展し、計画は実現しないままとなった。

表現する人と場の整備は進んだものの、マーケットや行政との連携面は課題として残るのが現状と言えよう。

【※33】スタジオピンクハウスが企画する交流プログラム「Pink de Tea Time」。広島市立大学の学生が学芸員やアーティストと交流する機会として、2022年からスタート。2024年度からは対象を中四国と九州エリアの学生に拡大し、参加者を公募した。

【※34】ひろしまアートシーン側で取り上げる予定の木村さんからの話もきっと別視点になるはずである。また、横川の独自の文化圏の形成についてはあまり触れられていない。

INTERVIEWEE|

今井みはる(いまいみはる)

アートギャラリーミヤウチ学芸員。広島県東広島市生まれ。2007年広島市立大学大学院芸術学研究科修士課程現代表現領域修了。2007年より広島アートプロジェクト、アートベース百島などで展示コーディネートや地域連携を担い、2012年よりギャラリーの開館準備と共に現職。アーティストとの共同企画の展覧会や、体験プログラムの企画を中心に、実験的な場と学びのきっかけが生まれる場を目指す。その他、2023年より広島県のアートスペースの周遊を目指すHiroshima Art Galleries Weekを共同運営。

黒田大スケ(くろだだいすけ)

1982年京都府生まれ。広島市立大学大学院博士後期課程修了。大学進学を機に広島に移住。2020年、新進芸術家海外研修制度で滞在していたテキサスから帰国するも、すぐにコロナ禍となり、そのまま関西に移住。現在は京都を拠点に活動。社会の中に佇む幽霊のような忘れられた存在に注目し作品を制作している。最近は彫刻に関するリサーチを基に、近代以降の彫刻家やその制作行為をモチーフとした映像作品を制作展開している。最近の展覧会に「art resonance vol. 01 時代の解凍」(芦屋市立美術博物館、2023)、「コレクション・ハイライト+コレクション・リレーションズ[村上友重+黒田大スケ:広島を視る]」(広島市現代美術館、2023)、「湖底から帆」(なら歴史芸術文化村、2023)「DOMANI・明日展 2022-23」(国立新美術館)、「あいち2022」(常滑青木製陶所跡)などがある。

松岡 剛(まつおか たけし)

広島市現代美術館・主任学芸員。1998年より広島市現代美術館に勤務。近年の主な企画に、「赤瀬川原平の芸術原論展」(2015年、千葉市美術館、大分市美術館との共同企画)、「殿敷侃:逆流の生まれるところ」(2017年)、「開館30周年記念特別展『美術館の七燈』」(2019年)、「ヒスロム:現場サテライト」(休館中長期プログラム、2020-23年))、「新生タイポ・プロジェクト」(休館中長期プログラム、2022-23年)など。現在、2025年6月から開催する被爆80周年記念展を準備中。

小野環(おのたまき)

1973年北海道函館市生まれ。広島県尾道市在住。美術家。1998年東京藝術大学大学院美術研究科修士課程絵画(油画)専攻修了。絵画とインスタレーションを軸に、日常の事物や場所の来歴に注目した作品を制作。並行して、アーティスト・イン・レジデンスの運営や空き家再生活動を起点に、様々な領域の専門家とコラボレーションしつつ活動を展開。2006年よりアーティストユニット「もうひとり」としても活動。2007年よりAIR Onomichiの企画運営を行う。主な展覧会に「いにしによるー断片たちの囁きに、耳をー」(瀬戸内海歴史民俗資料館、2022年)、「Re-edit再編」(光明寺會舘、2022年)、「ONLY CONNECT OSAKA」(CCO クリエイティブセンター大阪、2019年)、「複数形の世界にはじまりに」(東京都美術館、2018年) 「VOCA展2004 現代美術の展望―新しい平面の作家たち」(上野の森美術館、2004年)など。キュレーションに「未完の和作」(小林和作旧居、2024年)「NEW LANDSKAP シュシ・スライマン展」(尾道市立美術館ほか、2023年)などがある。2021年第24回岡本太郎現代美術賞 特別賞受賞。現在、尾道市立大学芸術文化学部美術学科教授、AIR Onomichi実行委員会代表、NPO法人尾道空き家再生プロジェクト副代表理事。

INTERVIEWER|

ひろしまアートシーン編集部(松波、平石、山本)、+5編集部(桐)

WRITER|山本功(やまもといさお)

1992年広島市生まれ。京都大学文学部を卒業後、(公財)福武財団にて直島コメづくりプロジェクトを担当。その後、2018年より地元広島に拠点を移し、アートマネジメント事業や調査事業等を手掛ける。2021年からは「タメンタイギャラリー鶴見町ラボ」を運営し、美術だからこそのやり方で場所性、空間性へのアプローチを行う企画を中心に、実験的、挑戦的な展示を定期的に開催している。タメンタイ合同会社代表社員。