映像人類学が眼差す創造的アーカイブ <前編>

映像人類学が眼差す創造的アーカイブ <前編>

映像人類学者|川瀬 慈
2021.07.26
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人類学研究は、調査対象にまつわる資料を収集・保管し、博物館で公開するという点で、アーカイブと密接に関わってきた。そのなかで、いまアーカイブが、調査対象となるコミュニティや一般の人を巻き込み、新たな知を生み出す形式へと変わりつつあると、映像人類学者で、国立民族学博物館准教授の川瀬慈さんは言う。川瀬さんが取り組む映像人類学もその流れの一翼を担い、これまでの研究やアーカイブのあり方に一石を投じるものとして注目されている。今回は、日本の映像人類学を牽引する川瀬さんに、映像人類学の視点からアーカイブについて話を聞く。

アジスアベバで収集を行う川瀬さん 2018年(写真提供:川瀬さん)

映像人類学は「イメージ」を対象とする研究

——まず、映像人類学とはどういった研究分野なのか教えてください。

映像人類学はしばしは、人類学の下位分野の一つとして紹介されることがあります。僕自身はより俯瞰的に「イメージを研究対象とする人類学的な研究」と捉えています。イメージには、動画、写真、あらゆるメディアが含まれます。また人のイマジネーションの領域についても、このイメージとの関わりの中で論じることが可能だと思います。

歴史的には、19世紀後半の民族学・人類学の黎明期から、研究者は写真と動画を研究に活用してきました。ただ、それらはアカデミックな論述を補足するデータ、いわば補完物として位置づけられてきました。「民族誌映画」と呼ばれる映画的な方法に基づく研究成果の公開と議論は、欧米を中心に20世紀半ばくらいから定着していきます。

——「民族誌映画」とは、具体的にどういうものですか?

人類学者が異文化に長期間身を置き参与観察を行い、研究対象である民族や集団の全体像をテキストで記述し、本にまとめたものを民族誌と呼んできました。その映画版が民族誌映画だという見方が主流です。もっとも民族誌、民族誌映画の対象は、なにも異文化とは限りません。都市的な世界にはじまり、人類学者にとっての自国(ホーム)、さらには非人間の世界をも対象とするなど、時代の変遷とともに、その対象をひろげているという事実もあります。最近は「民族誌映画(Ethnographic film)」という呼び方にこだわらずに、「人類学映画」、単に「映像作品」と呼ばれることもあります。

——川瀬さんご自身はどんな活動を行っていますか?

民族誌映画祭という、人類学的な関心によってつくられた映像作品が集い、議論される映画祭が世界各地で増えています。そのような場で、自身が主にアフリカ、エチオピアで制作した作品を発表したり、あるいは、自らが様々な世界で生きてきた経験を、テクスト、映像、写真、音、詩等を用いて伝えてきました。

——民族誌映画はドキュメンタリーとは違うのですか?

民族誌映画は、基本的にはドキュメンタリー映画だと言えます。民族誌映画はかつて、特定の民族や集団の参与観察に基づき、それら集団の生活や儀礼の様式を俯瞰的に提示するような観察型のスタイルや、研究者がそれらの映像に教示的な解説を加える様式の映画が主流でした。こういう人たちが、こういうところで生活し、こんな儀礼を行っていて……、と。

その主流に対抗する様々な試みも展開していきます。フランスの映画作家で民族学者として知られるジャン・ルーシュ(1917-2004)を筆頭に、エスノフィクション(※研究者と被調査者の協働作業による、演技に主軸を置いた民族誌映画の制作手法)を取り入れた試みや、解説を徹底して排した詩的モンタージュ、撮影者・被写体、両者の相互作用に基軸を置くシネマ・ヴェリテ等も、20世紀半ばからみうけられてきました。人類学者は、観察者の定位置に安住するのではなく、彼、彼女のコントロールの及ばないイメージの働きに身を投じ、巻き込まれ、揺さぶられながら生成変化していきます。研究対象とのやりとりのなかで、人類学者自身が生成変化する過程についても、近年は民族誌映画のなかで描かれることが多いです。

川瀬さんのHPでは今までに制作された多くの映像作品が紹介されている。
http://www.itsushikawase.com/japanese/filmography.html

「テンプル型」から「フォーラム型」のアーカイブへ

—— 「映像」人類学といっても、写真や動画だけを扱うわけではないのですね。

はい。民族誌映画という映画の形式のみならず「センサリーメディア※(※視覚偏重から脱却し、音・テクスト・写真・モノのインスタレーション・パフォーマンスなど複合的なメディアを用いた、人の感覚をキーワードにした文化の記録や表象の方法)」と呼ばれるような方法も盛んに試みられています。

研究者自身の身振り手振りのパフォーマンスにはじまり、声、語りもメディアと位置づけて組み込む試みも出てきています。映画や論文に帰結しない、よりマルチモーダル(複数経路での知覚)なメディアの重層的な組み合わせの探求です。センサリーメディアという、人の感覚の相互作用やはたらきを基軸に据えた研究の方向に踏み込んでいくと、必然的にアートの考えや、話法から学ぶことが重要になっていきます。

——アートの手法を取り入れると、研究成果の解釈が多様になると思います。科学的な研究成果の発表と考えた時に、その「ずれ」についてはどう考えるのでしょうか。

かつてはその「ずれ」を強引に矯正するとでもいいましょうか、多種多様にあふれ出てくる声を、理路整然と類型化したり、一元的な、なんらかの結論にまとめていくことが尊ばれました。ですが現在は、研究者の解釈とその成果物を受け取る側の認識の「ずれ」とか、見解のギャップに、より積極性を見出すようになっています。映画でも、インスタレーションでも、パフォーマンスでも、それらが公開されることによって多種多様な声が生成し、創発的に新たなフォーラムが生成していくことに面白さがある。この民族の文化はこういうものだ、と研究者が答えを一元的に決めつけ定義づけできるものではない。

アーカイブの議論と直結しますが、むしろ議論を喚起するデバイスとして研究成果を位置付けることが重要になっているのではないでしょうか。そうして生まれてくる多種多様な声のポリフォニーをさらなる研究にどう反映させていくかが、むしろ問われるようになってきています。

——アーカイブにも変化がありますか?

アーカイブも同じ流れにあります。文化人類学の領域では、かつては研究者が調査研究において収集したデータやモノを一方的に管理・保管し、研究分析のために活用していくという姿勢が中心でした。私が在籍する国立民族学博物館の吉田憲司館長がよく言います。かつてミュージアムは「テンプル型」であり、研究者や博物館が特定のモノに特定の価値を見出し、定義づけ一方向的に示す。しかし、現在は国立民族学博物館も含めて「フォーラム型」の展示を探求しつつある。そこでは、研究者が収集した情報・モノの分析を行い、自身の研究のみに活用するのではない。ソースコミュニティと呼ばれるような、研究成果やミュージアムの収蔵品を提供してくれた人々との情報共有を通して、表象、研究される側の人々と研究者間の多様で創造的な相互交流のありかたを探っていく。人々の声を集積し、それらをコンダクとして、研究に反映させていくようなフォーラムです。人、もの、情報が集まり、そこから新たな知が生成し、創造されていく、時にはこちらのコントロールや意図をくつがえすような力の働きにも、さらされることになる。そんな世界との動的な均衡を目指しているように思います。

アジスアベバのグラマイレ現代アートセンターにて上映と議論を行う川瀬さん 2018年(写真提供:川瀬さん)


アーカイブ自体も議論の対象となる

——そういった動きのなかで、映像人類学はどのように活かされていますか。

国立民族学博物館では、映像制作についても40年以上の蓄積があります。映像人類学は研究成果を社会に向けて柔軟かつ創造的に発信していくための重要な方法であり、思考のモードでもあると思います。

映像に関連する新しい動きとして、2019年度にインターネット上に審査付きの新しい国際ジャーナル『TRAJECTORIA』(https://trajectoria.minpaku.ac.jp/)を立ち上げました。僕は編集長の一人をやっています。研究者は研究論文を書いて、審査付きのジャーナルに投稿し、査読を受けて、発信していきます。ですが、一般にジャーナルというのは論文、すなわちテクスト主体の研究成果が中心ですよね。一方『TRAJECTORIA』はオンラインのジャーナルです。映画にはじまり、マルチモーダル、マルチメディア作品をはじめ、VR、アニメーション、グラフィック、サウンドアートも対象にします。これまでなかった革新的な研究成果の発信と議論の媒体に育てていこうと思っています。

刊行は年に1回。現在、3年目で、第3巻に向けて準備を進めています。第1巻では、北米の先住民文化の表象や博物館カタログに関する協働プロジェクトの特集が掲載されています。北米先住民をはじめ、日本や欧米の研究者による研究チームが、ソースコミュニティの先住民の視点に徹底的に立脚した博物館カタログのありかたについて報告・議論しています。映像、写真、地図他、さまざまなメディアを重厚に組み合わせた、マルチモーダル論文と言っていいのかな。

第2巻で特集したブラジルのサンパウロ大学のチームの投稿も興味深いものでした。ブラジルの先住民文化の北米の博物館における表象のありかたについて、その博物館の実際の現場でブラジル先住民の女性が批評、問題提起を行う短編映画や、アーティストが博物館のなかで行うパフォーマンス作品とか。このチームが面白いのは、ジャーナル上で発表した映画の制作方法論にまつわる省察的な80分弱の議論動画そのものを、ジャーナル上の発表内容に組み込んでいることです。どういう意図で、どういう方法論で作品を制作したのか、制作者、被調査者である先住民、その他関係者が集って議論する様子をジャーナルの投稿物の一部として組み込んでいます。

アジスアベバ大学にて映像理論の講義を行う川瀬さん 2018年(写真提供:川瀬さん)


INTERVIEWEE|川瀬 慈(かわせ いつし)

映像人類学者。国立民族学博物館/総合研究大学院大学准教授。1977年岐阜県生まれ。
エチオピアの吟遊詩人の人類学研究、民族誌映画制作に取り組む。人類学、シネマ、アート、文学の交差点から人文学における創造的な叙述と語りを探求する。

近年は、国際ジャーナル TRAJECTORIA の編集、Anthro-film Laboratory の共同運営を行い、客員教授としてハンブルグ大学(2013年)、ブレーメン大学(2014年、2016年)、山東大学(2016年)、アジスアベバ大学(2018年)等で映像人類学の理論と実践について教鞭をとる。

主な著作に『ストリートの精霊たち』(世界思想社、2018年、第6回鉄犬ヘテロトピア文学賞受賞)、『あふりこーフィクションの重奏/遍在するアフリカ』(編著、新曜社、2019年)。代表的な映像作品に『僕らの時代は』『精霊の馬』『Room 11, Ethiopia Hotel』(イタリア・サルデーニャ国際民族誌映画祭にて「最も革新的な映画賞」受賞)。


INTERVIEWER|末澤 寧史(すえざわ やすふみ)

ノンフィクションライター・編集者。1981年、北海道札幌市生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。出版社勤務を経て、2019年に独立。2021年に出版社の株式会社どく社を仲間と立ち上げ、代表取締役に就任。共著に『わたしと平成』(フィルムアート社)、『廃校再生ストーリーズ』(美術出版社)ほか多数。Yahoo!ニュース 特集「『僕らは同じ夢を見る』—— 北海道、小さな森の芸術祭の10年」ほか取材執筆。三輪舎から創作絵本『海峡のまちのハリル』を刊行予定。