+5では2023年度から、文筆家で美術評論家の三木学さんに、レビュアーとして運営に入っていただいている。当時、メディアが発足してから3年が経とうとしており、+5というメディアのあり方や存在意義を改めて問い直そうと、いくつかの実験的な試みを新たに行おうとしていた。そのひとつが「ピアレビュー」であり、他のアートメディアと連携し、相互に評価し合うことで+5の現在地を明らかにしたいと考えていた。
しかしながら他者に評価してもらう際に、+5というスロウメディアをスポット的に見るのではなく、「メディア人格」的なものも含めて一定以上の時間軸で見てもらえないかという想いが強くなり、恐らく異例ではあるが、レビュアーを運営側に招くことにした。レビュアーの客観性を保持するという観点では悪手なのかもしれない。けれども運営側にいるからこそ生まれるレビュアーの新たな主観性や客観性に加え、「間主観性」も運営内で育まれるのではと考え、三木さんに依頼をさせていただいた。(※経緯は文末の関連情報をご参照されたい)
三木さんはそんな抽象的な私の考えや期待を汲み取って整理していただき、この2年、ご自身でも取材をしながら+5の新たな価値を少しずつ作ってくださっている。今回はアートネイバーとの様々な対話を通して得られたという三木さんの「実感」を、レビュアー記事としてまとめていただいたので、ぜひご覧いただきたい。
(+5 編集長:桐惇史)
私が「+5(プラスファイブ)」に参加してから3年が経とうとしている。2年目からは編集部としても参画すると同時に、メディアの評価を行うレビュアーとしての役割を担っている。メディアの内側に入った上で、メディアを評価することは難しいが、参与観察のように内側で得た経験がないと評価できないこともある。そのような内側の経験と、外側から見た客観的な視点をふまえて、「+5」のメディアとしての存在意義について考えてみたい。
「+5」では、アートと人々をつなぎ、社会の中で独自の文化を創る人材を、アートの隣人、「アートネイバー」と称し、京都発信のメディアとして関西を中心にさまざまなアートに携わる人を紹介してきた。一般の人々にもっともよく知られている「アートネイバー」は、美術館の学芸員や芸術祭などのキュレーターといえるだろう。しかし、学芸員やキュレーター以外にもたくさんのアートに携わる人がいる。ここ1年間の中でも、美術史家、建築家、アートプロデューサー、音楽ホールプロデューサー、記者、オブジェクト・コンサバター、エデュケーター、市役所職員、アートディレクター、編集者、映像作家、書店主などなど、多数のアートと社会をつなぐ役割を担う人々を取り上げてきた。これらのアートを支える人々を紹介することでどのような効果が生まれるのだろうか?
美術愛好家の中でも、特にアートに関する仕事に携わっておらず、美術館や芸術祭で美術鑑賞を楽しむ人々にとっては、このような言わば裏側で働く人々の事情を詳しく紹介することにあまり関心がないかもしれない。しかしアートに関心があり、何らかの形でアートに関わる仕事につきたいと思う人々にとっては、大いに参考になるだろう。特に漠然とそのような気持ちをもって美術・芸術大学に入った学生には、諸先輩方の様々な役割やキャリアを知ることは貴重なことに思える。既存のメディアでも、「アートのお仕事」といったテーマで、職業の紹介をしていることはある。しかし職業ではなく、パーソナリティを主軸にし、幼少期まで遡ってオーラル・ヒストリーを聞くスタイルはかつてなかったように思う。+5も全ての記事をそのようにしているわけではないが、私が担当した記事に関してそのようなスタイルをとるようにしている。この小さなメディアが何らかの効果を社会に与えているとしたら、その一番は紹介している人々の友人や知人といった「隣人」に他ならないだろう。
アート業界というものの定義や範囲はわからないが、アートに関わる仕事で生計を立てている人がいる。アート市場の広がりに伴って、そのようなアートの「隣人」は増えているように思う。美術・芸術大学の卒業生だけでも全国で毎年約1万人程度いるわけなので、間接的に関わっている仕事も含めるとかなりの人数になるだろう。とはいえ、私自身、周辺の領域に25年以上いることになるが、古参の人も多く、もう10年以上知っているという人も多い。しかし、「知っている」レベルを検証したことはないし、挨拶をする程度の表面だけの付き合いを何年も続けていることがほとんどである。京都は美術・芸術大学が多く、卒業後も周辺に住んで、アート業界に携わっているケースがあるため、もう少し深い関係性があることもあるだろう。しかし、出身大学が違ったり、他府県になったりすると関係性は薄くなる。
そのように知ったつもりになっている人も含めて、「+5」を通して改めて聞くことができた。なかには大学時代以来の友人・知人という人々もおり、改めて「隣人」のことをいかに知らなかったかを痛感させられた。「+5」でその人たちの現在の職業や役割を取材するだけではなく、オーラル・ヒストリーに近いスタイルをとるようになったのには理由がある。例えば、25年前のことを振り返ると、日本には現在のような芸術祭やアートフェアもほとんどなかった。「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」【※1】の第1回目が2000年であるし、「横浜トリエンナーレ」【※2】の第1回目が2001年である。「アートフェア東京」【※3】も1992年のNICAF(Nippon International Contemporary Art Fair)を再編し、2005年から開催されている。国内においても、芸術祭とアートフェアの隆盛は、アート業界を大きく発展させたといえる。新たに職業化したものも多い。また、デジタル化やソーシャルメディアが浸透するいっぽうで、マスメディアや紙媒体が急速に衰退化した。『美術手帖』はカルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)の傘下になり、紙媒体は月刊誌から季刊誌となったが、ウェブメディアとしての存在感は高まるようになった【※4】。多くの雑誌が廃刊となり、地域情報誌もほとんどなくなっている。この間、地域性やテーマ性の高い様々なウェブマガジンが創刊されたが、経済基盤の弱さから新陳代謝を繰り返している。
このような劇変化するアート業界の中で、そこにいるアートネイバーも、当然ながら職業や役割がさまざまな形で変遷していくことになる。今までになかった職業もあるので、幼少期からやりたかったという職業や役割を担っているわけでは当然ない。そうしたとき、現在ついている職業や役割は、時代や出会いの中で、偶然の要素がかなり大きくなる。また、今後も変わる可能性も大きいということになる。取材を続けるなかで、現時点での職業や役割ではなく、その人自身にフォーカスを合わせた方が確かなものが得られるだろうと感じられたのだ。特に、「+5」での取材を通して感じたことだが、現在の関心や活動をたどっていくと、10代の頃の関心に行きつくことが多い。結局のところ多感な時代に得た関心やモチベーションが通奏低音になり、変化の激しいアート業界の中においても、変奏しながらそれぞれの活動が展開されているのではないかと思う。
さらに、そのような根源的な関心を知ることで、その人の人格や今の活動の意味を深く理解することができる。キャリアの変遷は、社会や時代といった大きな波を受けて起きることなので、個人史を通して、その人の根源的な関心の大きさに改めて気付かされる。かつてアーティストではない、アートネイバーのオーラル・ヒストリーを詳細に聞くことはほとんどなかったので、そのような発見をもたらす経験は、従来なら記述、記録されないまま消えてしまっていたと思う。それらを記述することで、それぞれ自身の活動や人生を改めて振り返ることができるし、メディアとして発信することでアート関係者ともそれらを共有することができる。
具体的な効果としては、わかりにくい自分の活動を、記事を見てもらうことで理解してもらえるようになったと言われることが多い。また、何十年来の知人にも、「そういう人だったんですね」といったような声を掛けられたりしているようだ。いかにアートネイバーが、本当の「隣人」にすらよく知られていなかったということの証左でもあるだろう。
「+5」というメディアが取り上げることによって、外形的に変わっていなくても、アートネイバーの周辺からコミュニケーションの質が大きく変わっているように思える。それは当人たちのソーシャルメディアで記事に関して付けられるコメントを見ても一目瞭然である。このような詳細なオーラル・ヒストリーをもとにした記事は、他者にとってはより本人の心情に寄り添った見方や信頼を促すし、本人にとっては自分の過去を振り返り、現在の活動に一層の自覚と将来への指針を持つことができる。
例えば、それが富井玲子【※5】氏のように日本の戦後美術の評価に国際的な影響を与えている人物ならば、個人的な心情、経験、個人史がいかにアート業界の動きにまで波及しているかもわかってくる。また、カルドネル島井佐枝【※6】氏の活動に見られるように、インターナショナルスクールの運営という一見、アートと無関係に思えることが大きくアート業界に関係しているということが初めて明らかになったように思う。そのような個人史の集まりが社会史であり、社会がいかに有機的につながっているかも可視化されている。1つ1つは小さなことかもしれないが、アート業界はまだまだ狭いので、そのような質的な変化は、将来的に大きな効果をもたらしていくのではないかと予想している。
アート業界にとって、アート作品やアーティストが主役、その他は脇役、裏方、媒介者という見方はあるだろう。アートネイバーは、それを支える屋台骨や裏方といった通常は見えない位置付けにある人々と定義することもできる。アートそのものではなく、その隣にある人ということである。いっぽうで1990年代以降、アート作品が自律し、固定したものではなく、変遷していくプロセスアート、観客との関係性の中で成立するリレーショナル・アート、コミュニティや社会との協働自体をテーマにするソーシャリー・エンゲイジド・アートなど、アートの形態自体が、観客や地域住民との関係や協働を要請するように変容しているという問題もある。その意味では、Antenna(アンテナ)【※7】のように、アーティスト自身がアートネイバーとして人々とつなぐ役割を果たしていることも多い。
あるいは、共同スタジオやアート・コレクティブのような団体活動自体を創造的行為として捉えるようにもなってきている。そのような総合的な芸術活動においては、アートとそれ以外、アーティストとそれ以外といった枠組みは溶解している。例えば、「+5」の記事で言えば、山中suplex【※8】やTRA-TRAVEL(トラトラベル)【※9】のような活動は、それに相当する。富井氏が言うように、アート作品を届ける仕組みを「オペレーション」として定義し、戦後の団体展や貸画廊、記録報道行為、コレクティブまで連続的、包括的に捉えようとする動きもある。その意味では、「+5」自体が「オペレーション」の実践の一形態ともいえる。
ただし、どれほど集団的で協働的な行為が芸術活動として認知されるようになったとしても、個人の集まりであることは変わりない。個々の人生は団体の活動とすべて重なるわけでもない。それがアーティストであれ、アートの周辺領域の役割を担うものであれ、アートに関わる人の固有の経験を聞き、共有すること。アートに関係する「隣人」をよく知ること。このシンプルな行為が、コミュニケーションの潤滑油となって、アート業界、アートワールドによい影響を与えるのではないかという手応えを感じている。
それはもしかしてアートの「生活史」といえるものかもしれない。近年、人類学のような自身の文化とは異なる地域だけではなく、市井の名もなき人々の生活を記述する「生活史」が注目を浴びている。大文字の歴史ではなく、それぞれの日常の些細な出来事、経験の記述でしか見えてこない世界があるし、その方が生きている人間に参考になることがある。私たちがアートの「生活史」を無意識的に描こうとしていたとするならば、それだけアートのコミュニティが大きくなり、アートに関わる多様な人生が増加しているということでもあるだろう。アートの魅力に憑りつかれた人々にとって、どのような仕事をしていようがアートのない人生は考えられない。普通の趣味ではなく、深くアイデンティティの一部を形成しているからだ。
「+5」は、もともと展覧会を360度映像で記録する姉妹メディア、ART360°【※9】の活動において重要な「360」という数字に5を足して1年を表す「365」にし、空間の記録だけでは不十分な余白に、人の記録を加えるべく生まれたメディアだ。そんな「+5」は今、アートに関係する人々の人生、生活を記録する、初めてのメディアとして歩み始めているのかもしれない。
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三木さんがレビュアーとして加わっていただくことになった背景などは、以下AMeeTさんのインタビューにまとまっていますので、ご関心のある方はご覧ください(+5編集部)。
「アクセス数よりも大切なこと――京都の西枝財団が運営するウェブマガジン『+5』」
(URL最終確認2025年7月14日)
(URL最終確認2025年7月14日)
【※2】横浜トリエンナーレ
(URL最終確認2025年7月14日)
【※3】アートフェア東京
(URL最終確認2025年7月14日)
【※4】美術手帖
(URL最終確認2025年7月14日)
【※5】 富井玲子
「戦後日本美術の面白さを世界に向けて実証する美術史家」富井玲子さんに聞く。」
(URL最終確認2025年7月14日)
【※6】カルドネル島井佐枝
「日仏の文化教育機関を取り巻く国際的アートコミュニティをつなぐ。 アートプロデューサー、カルドネル島井佐枝さんに聞く。」
<前編>はこちら
<後編>はこちら
(URL最終確認2025年7月14日)
【※7】 Antenna(アンテナ)
「【隣人と語ろう #2-a】アートやデザインといった枠組みを超える創造性 Antenna(アンテナ)」
「【隣人と語ろう #2-b】見えない「アート」を社会実装する意味とは? Antenna(アンテナ)」
(URL最終確認2025年7月14日)
【※8】 山中suplex
「共同スタジオ「山中suplex」がつくりだすアートのエコシステム」
(URL最終確認2025年7月14日)
【※9】ART360°
360°映像と3D技術を用いた展覧会アーカイブプロジェクト。
+5と同じく公益財団法人西枝財団が母体となって運営する。
(URL最終確認2025年7月14日)
文筆家、編集者、色彩研究者、美術評論家、ソフトウェアプランナーほか。アート&ブックレビューサイトeTOKI共同発行人。独自のイメージ研究を基に、現代アート・建築・写真・色彩・音楽などのジャンル、書籍・空間・ソフトウェアなどメディアを横断した著述・編集を行なっている。美術評論家連盟会員、日本色彩学会会員。