本は、全国の書店の店頭に並び、数多く流通するものもあるが、中には限られた販路で、限られた数の読者が購入する、というジャンルの書籍がある。そのひとつが「アートブック」だろう。そもそもアートブックとは何を指すのか。わかりやすいところで言えば、「展覧会の図録」だが、他にも作家の「作品集」や、デザインなどをまとめたものをアートブックと呼んだりもする。
包括範囲の広いアートブックではあるが、役割として最も重要な要素が「アーカイブ」であろう。例えば展覧会は膨大な時間と費用をかけながら、多くの人々が関わって出来上がるが、会期が終わってしまえば、その空間は跡形もなくなる。作家の作品も同様で、いつどのような作品をどういう手法で制作し、どこで展示していたか、記録がないと作品ごとの繋がりや変遷を理解することができない。アートブックの形として残ることで、同時代あるいは未来の人々に、正しくアートの情報が伝わるといえる。
櫻井 拓(さくらい ひろし)さんは、そんなアートブックを数多く手がけている編集者で、京都を拠点とした制作ユニット「のほ本」としても活動している。
今回は、櫻井さんのこれまでのキャリアやアートブックのこと、そして「編集」へのこだわりなどを掘り下げながら、アートブックを扱う編集者の役割についても考えていきたい。(本文中は敬称略)
「アートブック」の編集を数多く手がけてきた櫻井だが、学生時代に興味関心を抱いていたのは少し異なる世界だった。宮城県に生まれ、東北大学の教育学部で学んでいた当時は、高校の教員になることを目指していたそうだ。
しかし、教育学や思想史、哲学などを専門とする加藤守通(かとう もりみち)教授らとの出会いから、哲学や文学の世界へと魅了されていく。学部3年の時に文学部へ転学部。そして大学院への進学が、櫻井の最初の転機となった。
櫻井「ずっと東北で生まれ育ってきたこともあり、大学院はどこか別の地域へ、と考えていました。夏の入試で、学びたかった現代フランス哲学、中でもミシェル・フーコーなどが専門の、多賀茂先生が教えていた京都大学大学院に合格し、京都へ進学することにしました。」
友人を訪ねて遊びに来ていた頃から、街の雰囲気に魅了されていたのは京都、そして関西の街だったそうだ。櫻井は、哲学思想と社会の変遷の関わりに関心を持つ中で、文化芸術の面白さに気づきはじめる。
櫻井「大阪・中之島の国立国際美術館で行っている、大学院生向けの「キュレトリアル・インターンシップ」【※1】への参加は、美術作品への関心が芽生える大きなきっかけでしたね。コレクション展の設営のとき、誰もいない展示室でゲルハルト・リヒターの抽象絵画やアンゼルム・キーファーの《星空》という作品を観たんですが、これはすごいな、と圧倒されたことをよく覚えています。
また、2010年に開催された特別展「絵画の庭─ゼロ年代日本の地平から」【※2】で、インターンとしてカタログ制作を少しだけ手伝わせていただいたんですが、出版社や新聞社で校正のアルバイトをしていた経験が役立ちました。校正という仕事を通じて役に立てることがあるんだと感じたことが記憶に残っています。」
その一方で、面白い批評や書き手、研究者を自分の手で社会と接続させたい、そして自分の足でさらに新しく面白いもの・人と出会いにいきたいという思いを抱くようになる。
自身の 「編集者気質」的なものに気づいた櫻井は、大学院修了後、出版社を中心に就職活動をしながら上京。インターン時代に出会った関西のギャラリストの紹介で、「水声社」という人文科学や芸術、文学などを専門とする出版社で働き始める。ここで、本を作って販売する一連の業務を経験した。
またこの頃、日々高まる制作意欲を原動力とし、友人たちと企画・編集、自費出版で刊行し始めたのが、後に約4年でno. 4まで続く批評誌『ART CRITIQUE』【※3】だ。
櫻井「元々は大学院の頃に友人たちと行っていた読書会(勉強会) が発端です。京都大学に大黒弘慈(だいこくこうじ)先生という経済思想が専門の先生がいらっしゃって、その授業で知り合った友人たちと一緒に、ひとりでは読み解くのが難しい「古典」を皆で読んで議論する勉強会をしていました。ミシェル・フーコーの『言葉と物』などを読んだことを覚えています。その参加メンバーたちと話しているうちに、自分たちで批評の雑誌を作りたい、と思うようになりました。
大学時代に図書館で読んで、知的な面白さを感じていた批評雑誌『批評空間』【※4】のような本を、妥協せずに自分たちで作りたかったのと、すでに名のある書き手に頼むだけではなく、まだ世に名前が出ていない書き手を世に出したい、という気持ちがとても強かったですね。」
『ART CRITIQUE』創刊直前の2008~10年頃は、個人が利用しやすい印刷通販サービスが普及し、インディペンデントな批評雑誌の刊行が相次いでいた。美学者の伊藤亜紗や、美術家・美術批評家の黒瀬陽平、近現代美術史・美術批評の研究者として知られる筒井宏樹らによって創刊された、芸術系批評雑誌『Review House』【※5】、大学教授やコメンテーターとして活躍する西田亮介が発行人の雑誌『.review(ドットレビュー)』【※6】、そして編集者の長島明夫によって創刊された『建築と日常』【※7】などだ。
『ART CRITIQUE』創刊号の編集メンバーには、現在ハンナ・アーレントに関する気鋭の研究者として知られる百木漠や、政治思想史を専門とする上野大樹、人文社会科学や自然科学などの知的交流、情報発信を行っていることで知られる団体「京都アカデメイア」の創設メンバーの浅野直樹などがいたという。
企画編集から誌面のデザイン、そして販路の開拓まで、全てを自分たちで手がけた『ART CRITIQUE』の創刊号は、赤字を抱えながらも、櫻井たちが予想していた以上に多くの人々に届き、反響が寄せられたという。
櫻井「印象に残っているのは、埼玉を拠点に「組立」というプロジェクトや批評活動をしている、画家の永瀬恭一さんに献本したところ、ご自身のブログで紹介してくださったことですね。創刊号に掲載した、画家で美術批評家の松浦寿夫さんのインタビューについて『事態の中核に達する直球を投げるある種の傍若無人さこそこの雑誌の武器』と書いてくださったことで、東京で美術に関わる方々にも、存在を知ってもらえました【※8】。」
『ART CRITIQUE』の刊行を重ねる間に、櫻井はフリーランスの編集者として仕事を重ねていく。
櫻井「この頃に出会ったのが、僕の恩人である編集者の津田広志さんと、津田さんが当時編集長をしていたフィルムアート社です【※9】。津田さんからは、作り手と受け手の間に立ち、そこで揺れながら考え続けるという、編集の仕事の『核』を教わりました。津田さん、そしてフィルムアート社との仕事は非常に濃密で、自分の仕事が広がる転機となりました。」
当時20代後半だった櫻井は、フリーの編集者としてフィルムアート社で校正や編集協力の仕事を始める。そして最初に校正を担当した書籍が、脚本家のシド・フィールドが書いた脚本術の本の翻訳書、『素晴らしい映画を書くためにあなたに必要なワークブック』(フィルムアート社、2012)だった。世界で最も読まれている脚本術シリーズと言われる名著だ。
また、ロズウェル・アンジェの『まなざしのエクササイズ ポートレイト写真を撮るための批評と実践』(フィルムアート社、2013)や、2024年に復刊され注目を集めた、原田裕規編著の『ラッセンとは何だったのか? 消費とアートを越えた「先」』(フィルムアート社、2013)など、自ら企画を持ち込んで編集や校閲を担当するなど、約4年にわたり協業を続けた。
櫻井「この頃、仕事が広がった重要な転機がもうひとつありました。それが、埼玉県所沢市で2008〜2020年まで、現地のアーティストを中心とした自主企画で開催されていたアートプロジェクト「引込線」【※10】のカタログ編集を任されたことです。「引込線 2013」の際、批評家の沢山遼さんが声をかけてくださいました。
この経験を通して改めて、自分が良いと思う作家をもっと多くの人に知ってほしいと思い、2014年、『ART CRITIQUE』no. 4の刊行に合わせて、「メディウムの条件」という展覧会をHAGISOで企画・開催しました【※11】。雑誌を売りたいという狙いももちろんありましたが、それ以上に、誌面で紹介するような作家たちの作品を多くの人に実際に観てほしい、という気持ちが大きかったです。」
櫻井は、批評の活動を通して「考える場所をつくりたかった」という。
櫻井「作品を見て、それに向き合いながら考える。さらに作品に対する言説があって、それを読んでどう思うか、という思考の空間をつくりたかった。常識や先入観で判断するのではなく、実際に作品を観て考える場所をつくりたかったんです。」
2022年、櫻井は、ディレクターでイラストレーターのあべ のえると、制作ユニット「のほ本」をスタートさせる。そのユニット名は、覚えやすいだけでなく、櫻井の丁寧に本質を探り伝えようとする仕事ぶりと、穏やかで親しみやすい人柄を、絶妙に表現している。
櫻井「フリーランスの編集者として活動し始めて10年以上が経ち、ある程度仕事の経験を重ねてきた時期でしたが、だからこそ、自分の視野だけにとらわれずに開かれた編集をするうえで、他の誰かと一緒に仕事をすることが大切だと考えていました。
のほ本で本づくりをする際、写真やイラストなどのヴィジュアル面を扱うのは、のえるさんがメインになることが多いです。彼女は視覚的な要素の扱いに長けているので、作品集や写真集で写真を選んだり並べたりもしますし、イラストレーターとしても活動しています。僕のほうは文章や言葉の編集を基盤に、本の全体像をディレクションするような感じです。」
ちなみに名前の由来は、「のほほん」の語感から来るイメージと、ドイツ語の副詞 noch(ノホ:「いまだ~ない」「なお」などの意味)を重ね合わせて、ふたりで考えたそうだ。情報の流動性が高く、デジタル全盛の時代に、それでもなお「本」へと立ち還りながらものづくりをしたい、というしなやかな信念がこめられている。
現在、櫻井や「のほ本」が手がける書籍の多くは、アートブックと呼ばれるものだ。その中でも展覧会のカタログ制作に関わることは多いという。作品と作家、そして展覧会の情報を網羅的に掲載する展覧会カタログの編集は、いわゆる基本的な構成要素はあるものの、どんなコンテンツがあったら美術展や作家についてより伝わるのかといったことから、本文のデザインや書体、判型や使用する紙、印刷加工といった造本に関することまで、ひとつとして同じものはない。その展覧会ごと、その作家ごとにその都度の最適解が求められる世界だ。
直近、櫻井が編集したものでは、美術家・豊嶋康子の本がある。東京都現代美術館での大規模な個展【※12】の準備と並行して、約3年にわたって制作していたという作品集『豊嶋康子作品集1989–2022』と、展覧会の公式図録として刊行された『豊嶋康子 発生法——天地左右の裏表』の2冊(ともに書肆九十九刊)だが、こちらはそれぞれ、どのような意図から編集していったのだろうか。
櫻井「どちらの書籍も、作家である豊嶋さんがとても協力的に関わってくださりながら制作を進めていきました。『豊嶋康子作品集1989–2022』は、豊嶋さんの30年以上にわたる制作をほぼ網羅した、いわゆるレゾネ【※13】的な側面も持つ一冊。作品図版と作家本人による各作品の解説、さらには藪前知子さん寄稿のエッセイなどを通じて、作品一つひとつを丁寧に紹介する書籍として編集しています。
一方、東京都現代美術館の展覧会の公式図録は、キュレーターの鎮西芳美さん、小高日香理さん、編集者・校閲者の小野冬黄さん、デザイナーの小池俊起さんという制作チームで議論を重ねながらつくっていきました。展覧会のインスタレーションビューを載せるだけでなく、テキストコンテンツも重視し、作家ステートメントや批評家・キュレーターによる寄稿、作家へのインタビューなどのさまざまなテキストや資料をまとめました。また「再録」として、学芸員の杉山悦子さん、美術評論家の鷹見明彦さんの過去のテキストを掲載しています。
豊嶋さんを早い段階で発見し紹介したおふたりのテキストは、豊嶋さんを語る上で絶対に参照してほしいし、これからの読者にも参考になる内容だと考えてのことでした。現在はなかなかアクセスしにくい文献であることもあり、豊嶋さんも含めて編集チームで話し合いの末、そのおふたりのテキストを選びました。」
また、作品リストやキャプションだけでなく、作品の素材や制作方法といった、膨大な文字情報の整理と整合性の確認、表記の統一も、展覧会カタログならではの編集業務だろう。
櫻井「例えば、作品の素材ひとつをとっても、「ラワンベニヤ」「ベニヤ」「木材」「板」「木」と、出品する展覧会や掲載されるカタログごとに表記がばらついてしまうのは、よくあることです。ただ、今回のような集大成的な作品集やカタログをつくる場合、それをそのままにしてしまえば、何かしら作家の意図があって書き分けているようにも捉えられかねません。そのあたりをどこまで整理するのか、あえて整理しないのかといったことも含め、今後の土台となる資料としてどう表記するのがいいのか、豊嶋さんと編集チームとで何度も話し合いながら、共同で詰めていきました。」
さらに本展は、展覧会の展示構成自体も、豊嶋の作品そのもののような凝った設えだった。豊嶋にとっての各作品の関係性を、展示空間における配置を通して表現したような空間構成になっていたのだ。
櫻井「そのため、各展示室ごとに、作品の展示位置まで記録に残すことがマストだろうと考えました。キュレーターの鎮西芳美さんとデザイナーの小池俊起さんのアイデアで、一室一室、壁面の写真を撮り、その写真上で各作品をナンバリングし、作品リストの作品情報と対応させるように編集し、掲載しました。」
一方、造本や本文のデザインは、2冊ともどこまでもシンプルだ。
櫻井「とにかく多作で手が動く作家である豊嶋さんを、そのまま引き受けたようなデザイン、極端にいえばですが、バインダーなどを支持体としてさまざま要素を綴じ込んでいくような、DIYの感のある造本も考えられます。ただ、豊嶋さんご自身も「作品と同じようなことをデザインや造本でやりたくはなく、デザインは控えめなものがいい」とおっしゃっていましたし、僕も作品を際立せるための一歩引いたデザイン、静かなレイアウトのほうが良いと思いました。デザイナーの小池俊起さんが、うまく背後に引いたデザインへと昇華してくれました。」
しかし、実はよく見ると、印刷や製本において非常に特殊な工程を経て作られており、まさにどこか豊嶋の作品を彷彿させる佇まいになっている。
櫻井「アートブックの制作は、おそらく一般的な書籍と比較すれば、造本もデザインもイレギュラーなものが多いと思います。適切な形態を探るには、ブックデザイナーの力とアイデアは必須です。今回も、豊嶋さんの作品や作家性が感じられるデザインになっているとしたら、デザイナーの小池さんの力によるものです。
一方で編集者の役割についていうと、特にアートブックの編集者の大切な仕事は、コストやスケジュール、そして内容やデザイン、印刷の質のバランスをとりながら、できたらいいな、というさまざまなアイデアやプランを、いかに現実的なプロセスに落とし込み、書籍として完成・流通させることができるか、だと考えています。「いいもの」をつくっても、時間がかかりすぎて読者の手にわたらなければもったいないですし、予算がかかりすぎて出資者や出版社に負担がかかりすぎるのもよくないと思います。
この点に関連して思い出すのが、タラブックスの代表である作家・編集者のギータ・ヴォルフさんの言葉です。昨年取材に同席した際、ギータさんは編集の仕事について『行ったり来たり(go forward and backward)』と語っていました。可能性のあるアイデアをつぶさないよう、様々な人と連係しながら、粘り強く具体的な調整を重ねていくことそのものが、編集の仕事なのだと思います。」
櫻井は自身の編集者としての立ち位置をこう語る。
櫻井「僕は、編集者として、コンセプトメイキングや企画の切り口を考えることがあまり得意ではないので、例えば出版社に勤務して自分で企画をどんどん提案するような働き方はできないと思います。能動的に企画を提案してきたというよりは、縁あって頼まれた仕事を、打ち返し続けてきました。そういった受動的な編集者であるからかもしれませんが、僕は、自分という枠の外側からやってくる物事と出会う、出会ってしまうことに、編集という仕事の面白さがあると感じます。」
そしてアートブックの編集者だからこそ担える、大切な役割がある、と話す。
櫻井「美術作品や作家はそれぞれ特異な存在として、「この作品ならでは」「この作家ならでは」という唯一性や個別性を有していますよね。それを、展覧会カタログや作品集といったアートブックのかたちにし、いわば社会の共有財産として届けるためには、作品や作家を歴史や社会の中に位置付けて編集し、デザインし、印刷して製本する、という一連の工程を通して、読者に伝わるかたちへと翻訳する役割こそが重要だと思っています。」
作品や作家を、歴史や社会と結びつけていくというその作業は、キュレーターのそれとの共通点もあるだろう。キュレーターは展覧会という形で鑑賞者に見せ、編集者は本を通して提示する。「編集者」というと、本の制作において情報をまとめているイメージが強く、作品や作家とは距離があるように思われるかもしれないが、その実、特にアートブックの編集者は繰り返し作品や作家と対時しながら、その時代や社会に合わせたアートの言葉と見せ方を探り続けている。アートブックがそのような行為の集体だと捉えるならば、ことアートの記録において、編集者もまた、アートと鑑賞者を繋ぐ不可欠な存在であるといえよう。
そして櫻井の「翻訳」する、という言葉の背景には、印刷された紙の書籍が、これまで脈々と伝えてきた空間や文化を絶やしたくない、という切実な気持ちがある。中でもアートブックには、「想定している時間軸がある」と櫻井は話してくれた。
櫻井「美術作品は、時を超えて長い歴史のなかで残っていくものですよね。印刷物としての書籍、アートブックも、作品の資料として一緒に残っていくものであるからこそ、本を次の世代や未来へと受け渡すんだ、という意識があります。最近僕は、作品集やカタログを編集するときに、作品や作家の情報を細かく調べる過程で、どのように整理し、なぜこのように記したのか、といったことを註や凡例に記載するようにしています。作品全てについて、正確な情報を完璧に調べ切ることは難しいけれど、『自分たちはここまで調べて、こういう方針でまとめました』という未来への「メモ書き」を、できるだけ意図的に残すようにしています。」
それは現在から未来へと進む時間軸を意識してのことだ。読者はもちろん、櫻井のような編集者、あるいは展覧会を企画するキュレーターや、その内容を記録するライターなど、現在から未来それぞれの時間軸に立つ人たちに向けての情報伝達だと言える。
櫻井「例えば未来のキュレーターが豊嶋さんの展覧会を企画するとき、書き手が豊嶋さんの作品について調査し批評するとき、きっとこのカタログを参照するはずです。『2024年当時は、ここまでわかっていて、このように編集し記録したのだ』と伝わる。僕らの仕事は、時を超えて続いていく、アートに関わる世界を信じた上で成り立っている、と思っています。」
櫻井は作家の歩みや歴史と向き合い、展覧会と向き合い、長い時間軸を見据えながら、「アートブック」という一冊の本をじっくり丁寧に作り、世に送り出している。
櫻井「もちろん、ビジネスとして本が売れることも重要です。でも僕は、読者一人ひとりが、本に書かれた言葉を読み、作品の図版を見て、さらに自分の目で実際に作品を見て、どう受け止めて何を考えるのか。本を通してその先に、考えるきっかけや空間を立ち上げたいと考えています。」
自身の「伝えたい、届けたい」という想いを原動力に、丁寧に積み重ねてきた編集の仕事、そして先達から受け取ってきた多くのことを、櫻井は次の世代に伝えていきたい、と考えている。
美術やデザインに関する体系的な知識や、本づくりの手順や校正校閲などの技術的な部分は、専門書や指南書なども数多く出ている。しかし、編集という仕事の最も重要なポイントでもあるマインドの部分は、どのように伝えていったらいいのだろう。そもそも、編集者に向いている人とは? 編集者にはどんな素質が大切だろうか。
櫻井「まずはいろいろな物事に興味を持って動ける人、でしょうか。現代は、ネットやデジタルを経由して本当にいろんなことができますよね。しかし結局のところ、実際に行ってみる、会ってみる、学んでみる、手を動かして作ってみることが大切だと思います。疑問やわからないことを、自ら調べ、やってみて発見して、という体験や学びを経てこそ、見えてくるものがあるでしょうし。
また、出会う人や一緒に仕事をする人たちとコミュニケーションをとることも大切です。本づくりは集団でやるものだから面白い。著者と編集者、だけではなく、ブックデザイナーがいて、翻訳者やカメラマンがいて、印刷や製本の職人、営業や販売、流通を担う人を経て、読者に届く。その一つひとつの関わりのなかで、思わぬ火花が生まれて、創造的な流れができていく。それは個人では完結しないものづくりならではのことだと思います。」
櫻井の話から、「編集」というものを取り巻く全体像と、その構造を理解することの大切さを再認識する。最後に、編集という仕事に向き合い続ける櫻井に、編集者としてどう在りたいのか、を尋ねてみた。
櫻井「どちらかというと『黒子』でありたいです。読者に気づかれなくてもいいくらいで、さりげなく『気が利いているな』と思ってもらえるくらいが理想です。」
そのような考え方に関して、美術家でデザイナーの味岡伸太郎【※14】など、櫻井が尊敬する作り手の言葉を教えてくれた。
櫻井「味岡さんは著書『味岡伸太郎 書体講座』(春夏秋冬叢書、2018年)の中で、タイプフェイスやタイポグラフィについてこう書かれています。『美しいから、よく読めるのではない。よく読めるから美しいのだ』と。文化や言語への理解に基づく「読みやすさ」こそがタイポグラフィにとっては重要であって、「美」は第一の目的ではなく、あくまで読みやすさの結果としてもたらされるものである、と。これは僕が理想とする編集という仕事の姿勢に近いです。「良い編集」は目的ではなく、あくまで素材を適切に扱った結果として実現できるものだと思います。これみよがしの編集ではなく、結果として「自然に読める」、「ふつうに機能する」という本をつくりたい。ある種とても地味ですが、前景に出るのではなく後景に退いてこそ、編集という仕事は最も力を発揮できるのだと思っています。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
関連情報
のほ本 HP
HP上で、「のほ本」の今まで関わってきた仕事が見られるようになっている。アートブックの編集以外にも、イラスト制作や広報物などのディレクション・制作も請け負っている。また記事内ではあまり触れなかったが、櫻井はライティングの仕事も今まで多く手がけており、編集・ライティングの講師としても活躍している。
(URL最終確認2024年7月6日)
あべ のえる
1993年徳島県生まれ、京都市在住。「のほ本」では書籍・広報物・ウェブサイトなどについて、主にヴィジュアル面からディレクションを行なっている。またイラストレーターとして、書籍の装幀画や挿画、絵本や広告のイラストレーションなども手がける。
注釈
(URL最終確認2024年7月6日)
国立国際美術館 2010年1月16日~4月4日
(URL最終確認2024年7月6日)
バックナンバーの情報が「のほ本」のHPにまとまっている。
『ART CRITIQUE』は全て、櫻井が出版用に立ち上げたレーベル「BLUE ART」(旧名:ART CRITIQUE編集部/constellation books)から販売された。
(URL最終確認2024年7月6日)
【※4】『批評空間』
1991年4月から2002年7月まで刊行されていた批評雑誌。最初は福武書店、のちに太田出版、さらに編集者らが作った協同組合型出版社である批評空間社から刊行された。柄谷行人、浅田彰、鎌田哲哉などが参加していた。
【※5】『Review House』
筒井宏樹によって2007年に立ち上げられ、2009年の3号まで出版されていた芸術批評誌。「見開き2ページの批評実験」というキャッチコピーで発刊。1号目から、音楽・美術・文学とクロスジャンルのインタビューが掲載され、芸術批評だけではなく、ニコニコ動画のゲーム実況についての座談会など、情報論の観点で同時代的なテーマを独自の視点で取り上げる稀有な雑誌であった。筒井はその後、美術批評誌『REAR』の編集に参加している。
【※6】『.review(ドットレビュー)』
2010年代の新しい情報環境を駆使して言論活動を行う団体として、地域社会論、非営利組織論を専門とする西田亮介によって2010年に立ち上げられた。詳細を知りたい方は以下、過去の記事を参照されたい。
(URL最終確認2024年7月6日)
【※7】『建築と日常』
編集者の長島明夫によって2009年に創刊された個人雑誌。こちらも「建築」という言葉を前面に出しながらもクロスジャンルで紙面を構成し、建築を哲学的にも再考。雑誌の制作だけでなく、リアルでの言論空間の構築も意識されている。
【※8】永瀬恭一,“paint/note” Hatena Blog
(URL最終確認2024年7月6日)
【※9】フィルムアート社
1968年に、雑誌『季刊フィルム』の創刊を契機として創立。「動く出版社」として領域横断的な人文書・芸術書を中心に出版している。社会の状況を多視点で捉える批評的要素の強い書籍が多いことも特徴。記事内で櫻井が恩人として名前をあげた津田広志は、同社の編集長時代、コンテンポラリーダンサーのバイブルとしても有名な、大野一雄『稽古の言葉』など150冊以上の芸術書の企画編集を手がけた。津田は美術館などの文化施設や大学などの教育機関で編集技術指導を何度も行っており、編集という読み解きにくい仕事を再解釈し、広めることにもつとめている。
(URL最終確認2024年7月6日)
【※10】「引込線 2013」
旧所沢市立第2学校給食センター 2013年8月31日〜9月23日
(URL最終確認2024年7月6日)
【※11】『ART CRITIQUE』n.04刊行記念展 「メディウムの条件」
出品作家は吉田和生、益永梢子、早川祐太、佐々木友輔。
HAGI ART
2014年5月20日〜6月1日
(URL最終確認2024年6月16日)
【※12】「豊嶋康子 発生法──天地左右の裏表」
東京都現代美術館 2023年12月9日〜2024年3月10日
(URL最終確認2024年7月6日)
【※13】カタログ・レゾネ
フランス語で、「論理的思考にもとづいて編まれたカタログ」という意味で、総作品目録のこと。特定の美術家、または美術館についての全作品を記載しており、大抵の場合は図版、制作年、来歴、サイズ、所蔵者、言及論文などの情報が記載されている。美術品が本物であるか否かを判断する際の参考文書としても用いられてきた。
(URL最終確認2024年7月6日)
【※14】味岡伸太郎
タイプフェイス・タイポグラフィを主にしたグラフィックデザインで知られており、建築関連のデザインや、美術作品の制作も行なっている。
(URL最終確認2024年7月6日)
編集者、ライター、校正者
1984年宮城県生まれ、京都市在住。アートの分野の本づくりを中心に行なう。これまでに編集したものに、福士朋子『元祖FAXマンガ お絵描き少女☆ラッキーちゃん』(BLUE ART、2015年)、『池内晶子|AKIKO IKEUCHI』(gallery21yo-j、2017年)、『ゴードン・マッタ゠クラーク展』(東京国立近代美術館、2018年)、瀬尾夏美『あわいゆくころ——陸前高田、震災後を生きる』(晶文社、2019年)、『杉浦邦恵 痕跡と足跡』(ART OFFICE OZASA、2021年)、『SHIGA Lieko』(東京都現代美術館、2023年)など。
ライター・インタビュアー・編集者・ミュージアムコラムニスト 静岡県伊豆の国市生まれ、東京都在住。
スターバックス、採用PR、広告、Webディレクターを経てフリーランスに。
「アート・デザイン」「ミュージアム・ギャラリー」「本」「職業」「大人の学び」を主なテーマに、企画・取材・編集・執筆し、音声でも発信するほか、企業のオウンドメディアや、オンラインコミュニティのコミュニティマネージャーなどとしても活動。好きなものや興味関心の守備範囲は、古代文明からエモテクのロボットまでボーダレス。
Web : https://lit.link/NaomiNN0506