2017年に改正された文化芸術基本法では、少子高齢化・グローバル化の進展を背景に、「『年齢、障害の有無又は経済的な状況』にかかわらず等しく文化芸術の鑑賞等ができる環境の整備」や、「児童生徒等に対する文化芸術に関する教育の重要性」を鑑みることが基本理念として新たに加えられた【※1】。行政や文化施設では、学校との連携を行ったり、ワークショップや講座を開いたりすることによって、鑑賞の機会や方法を広げるための教育普及事業を推進している。
そのような教育普及プログラムのコーディネートをしたり、ファシリテーターを務めたりするのが「エデュケーター」の仕事だ。朴鈴子(ぱく りょんじゃ)さんは、京都国立近代美術館、山口情報芸術センター[YCAM]を経て、現在は独立し、5歳と3歳の子どもを抱えながらエデュケーターとして活動している。アートへのアプローチの方法を常に問い続けてきた朴さんに、これまでのご活動や現在の働き方について伺った(本文中敬称略)。
朴が美術館に関心を持つようになったのは、高校卒業後の春休み、自身の語学力を試すべく訪れたという旅先での経験がきっかけだった。単身でヨーロッパ各国を周遊する中、観光スポットとして訪れた美術館で、日本の美術館とは異なった感覚を覚えたという。
朴:ロンドンのナショナルギャラリーに行った時、作品の前で「これは絶対こうやと思う」とか、それが正解かどうかもわからないことを、周囲に聞こえるぐらいの声でみんな喋ってたんです。日本だと監視員さんが厳しかったり、黙ってひとりの鑑賞時間を楽しむイメージがあったので、すごく面白い光景に思えました。絵の話というよりは、それにまつわる国や宗教、文化の話を喋っているのが聞こえてきて、アートを通してより広いテーマと繋がることができるんだと、盗み聞きで学びました(笑)。
大学の4年間、アルバイトで貯めたお金で長期休暇ごとに海外旅行に出かけ、そのたびに各地の美術館を訪れたという。時には、子どもを対象にしたギャラリートークに出くわすこともあった。
朴:そこでは、エデュケーターとされる職員が鑑賞者に啓蒙するような感じではなく、ぺちゃくちゃ話すことを心から楽しんでいたんです。今でいう「対話型鑑賞」のような形なんですが、そういうメソッドに落とし込むという感じではなく、本当に楽しんでやっている姿が愛らしくて。こういう場所なら、日本でも美術館に行くのになと思うようになりました。
自身を「全然アートフリークじゃなかった」と語る朴だが、やがて作品について想像を巡らすことに楽しみを覚えるようになり、美術館で働くことにも興味を持ち始めた。しかし、美術を専門的に学んでいたわけではなく、学芸員資格の取れる大学でもなかったため、半ば諦めていたという。また、学芸員の採用条件には、修士号を持っていることをあげている施設が多く、大学院へ進学する必要もあった。一般企業の就職活動をしながらも進路を考えあぐねていた際、ハワイで開催される言語学会での発表の機会が訪れる。
朴:ゼミの先生がすごい厳しい人だったんですが、卒業後も大学院に進学して研究を続ける条件で、ゼミの中から代表でひとりだけが渡航の支援を受けて学会で発表できると言われました。就職先の内定もいくつかもらってたんだけど、ちょっと切り替えてみようかなと。逆に、ハワイに行きたいから、それとセットで大学院の進学を考えないといけない感じでした(笑)。順序がほんとぐちゃぐちゃなんだけど、ほのかに思っていたものを完全に振り切れたのがそのタイミングでした。
社会言語学を学んだ大学時代から転じて、大学卒業後はペンシルヴァニア州フィラデルフィア市にあるThe University of the Artsの大学院に進学し、博物館教育学を専攻する【※2】。アメリカの大学を進路に選んだのには、推薦状やTOEFLのスコアといった留学の規定を満たしていたこともあるが、当時日本国内で博物館学を専門に学べる研究室が少なかったことも理由のひとつであったという。
朴:私が通っていた大学院は、美術館に限らず、科学博物館や図書館、動物園なども含めた「ミュージアム」という枠組みで学べるところだったのですが、美術に特化しない勉強の仕方をしたかったのでこの大学を選びました。卒業制作のような規模で、学科を横断した10人くらいのチームで実際に展覧会をつくるプログラムはとても記憶に残っています。クラシックカーをコレクションしている倉庫のようなところで展示をしたのですが、実地的な経験を積ませてもらえたのもすごく面白かったですね。
しかし、米国での3年間の大学院時代は極貧生活を強いられたという。学費が高額のため、日本で貯めたお金は半年で底をつき、狭いアパートでグリーンピースを米代わりに、時にはガムを嚙んで空腹をしのいだ。不法労働も辞さなかったという。
朴:フィラデルフィア市内のバスツアーのガイドをしたこともあります。チップを稼ぐにはいいサービスをしないといけないので、家でもずっとA4で何十枚とあるカンペを読み込んでいました。学校の勉強より頑張ってたくらい(笑)。でもそれが功を奏して、3年間ですごく英語でのコミュニケーション力があがりました。大学院での人との会話だったり、修論のプレゼンテーションだったり、全部にいい影響を与えましたね。
日々の生活と大学での勉学を両立させながら、フィラデルフィア美術館でのエデュケーションやワグナー自由科学研究所(The Wagner Free Institute of Science of Philadelphia)での出張授業のアシスタント、フェアモント公園内にある千住博が襖絵を手掛ける日本家屋「松風荘」でのインターンも務めた。そんな当時を朴は「365日休みなしでがむしゃらだった」と回顧する。
修士論文は、高齢者のウェルビーイングと美術館の果たしうる役割について論じたという。その調査のために1か月間日本に帰国し、地域の高齢者大学や老人ホーム、美術館を訪ねて取材をしながら、同時進行で一般企業の就職活動も行っていた。美術館への就職は半ば諦めていた中であったが、調査のために訪れた美術館の中に、のちに勤務することになる京都国立近代美術館も含まれていた。
朴:美術館への就職は、正直諦めていました。いくら見ても募集がないし、エデュケーションだけを専門にすることもなかなかさせてもらえないのが日本の実状でした。そんな時、当時京近美(京都国立近代美術館)で学芸課長をされていた山野英嗣さんが「卒業後はどうするの? うちで働いてみる気はある?」とおっしゃってくださって。公募を受けて、修論が無事に通った次の4月から京近美に教育普及事業の担当で着任することになりました。本当に、拾ってもらえたような感じです。
2010年より教育普及事業の担当として着任した京近美では、企画展の担当研究員との会話からワークショップの企画や配布資料の作成に繋がったことも多かったという。また、京都市教育委員会と図工研(京都市図画工作教育研究会)との共催で、小学校の教員を対象に鑑賞授業の指導力向上を目指したワークショップやレクチャーを行うこともあった。前任者から引き継がれた取り組みだったが、アレンジを加えながら方法を模索していったという。
朴:当初は、指定した作品について語りながら鑑賞してみるという形式で行われていました。でも「こんなにたくさんの作品があるのに、 全然みんな他の作品見てへんやん」と思ったんです。なので、例えば冷たさを感じる作品を選んでくるとか、パラパラと音が鳴りそうな彫刻を探してくださいとか、もっと全体を見るような仕掛けを作りました。 指定された作品からだと、人によっては心が揺さぶられない可能性もあるじゃないですか。自分が好きな作品を見つけに行くくらいの感じで見てもらう方がいいんじゃないかなと思って、そんな感じで美術鑑賞を楽しんでもらえる仕掛けを探していました。
また、朴自ら企画したプロジェクトもある。「10代のためのプロジェクト」と銘打ち、美術館の1階ロビーのスペースを活用した「美術館の放課後」【※3】と題した企画は、10代の学生らが気軽に美術館に足を運び滞在できるような仕組みを作ったものだ。若年層の来館者が少ないことに問題を感じたことが発端だったという。
朴:展覧会によっては若い人も来るけど、どちらかというと年配の方、また身なりの綺麗な方が多いと感じていました。特に京近美はそういう層が多いかな。もっと若い人たち、美術館で一番見なかった10代の子たちが来るには何が必要なんだろうと考えていて、その子たちの行動を追ったりしていました(笑)。児童館の周りをうろうろしたり、電車で高校生が話しているのに耳を澄ましてみたり。こういう子たちに、美術館に美術を見に来てほしいっていうよりかは、なんか面白いもんを探すくらいの気持ちで来てほしいと思ったんです。
独自の調査をもとに10代が関心のあるテーマを設定し、1か月間隔週で小説家やアニメーション作家らを招いたイベントを展開した。各回、小学校高学年から高校生までの参加者で賑わったという。彼らをギャラリーでの作品鑑賞に導けなかったという課題は残ったが、10代の青少年を美術館の中に誘うことができた。
5年間の任期の中で、調査のために韓国へ出張する職員の通訳として同行したり、文科省が主催するドイツとの交流事業でミュージアム・エデュケーションの現場を見るために3週間ドイツに滞在したりするなど、様々な経験をしたという。また、5年間の実績が評価され、書類提出と面接のみで学芸員資格を取得することもできた。
朴:京近美では本当に怒られたし、 本当に美術館職員として無礼なこともたくさんしちゃった。美術館ではならずものだったかもしれないけど、こんな私にいちからいろんなことを教えてくれた感謝しかない美術館だったなと思います。
2015年からは、山口市にある山口情報芸術センター、通称YCAM(ワイカム)のエデュケーターに着任する。YCAMがエデュケーションにおいて目標としていることは、通常の美術館とは全く異なっていたという。
朴:一般的なエデュケーターって「鑑賞者を手伝う」、「鑑賞者をアートに誘う」みたいな役割を担いますよね。これは私の体感ですけど、YCAMは「自分で鑑賞できる人を育てる」ことを目標にしている気がします。なおかつ、YCAMはメディアアートを専門にしている施設です。メディアアートと聞くと私たちはハイテクなものを想像してしまうけど、YCAMでは「言葉」とか「身体」などもメディアとして捉えていて、そういったひとつひとつのメディアへのリテラシーを高めることが重視されてました。
例えば、YCAMが開発したオリジナルのワークショップ「walking around surround」【※4】は、複数のスピーカーを用意し、音源の位置を変えることによって、多様な音の聞こえ方や空間の捉え方を体感できるものだ。このワークショップでは、いわゆるクラシック音楽の名曲の聴き方を学ぶのではなく、身近な「音」や「空間」というメディアを体験的に理解することができる。テクノロジーを活用した優れたオリジナルのワークショップを多数持つYCAMであるが、一方で課題もあった。
朴:魅力的なワークショップはどんどん生まれるけど、どうすればYCAMのコンテンツを学校に活用してもらいやすいものになるのか、接点を見出せてなかったんです。そのためには、学校では今どういうことを目標にしてるのか、学習指導要領の読み込みが必要でした。中身のある使い方をしてもらうためにはストーリー作りが必要だったんです。
朴は、学校では「論理的な思考力を高める」ことや、「表現力を伸ばす」ことを学習の目標とされていることをふまえ、YCAMが考案した既存のワークショップを学校でも行えるよう改良した。それが、最新のテクノロジーを用いて実際に身体を動かしながら新しいスポーツを考え出す「スポーツハッカソン」をもとにした、「スポーツハッカソン for kids」【※5】だ。朴が主に担ったのは学校ごとのコーディネートだが、ワークショップをサポートしてくれるインターンの大学生たち、通称「ファシリ屋」の人材育成も重要な役割のひとつであったという。
朴:5、6人のチームに分かれたりするんだけど、チームごとにファシリ屋が入って、彼らの思考を整理してあげます。このままだと絶対に成り立たないだろうなとなった際に「ここがちょっと抜け落ちてるんじゃない?」とか、ぼそっと絶妙なアドバイスを言ったりするんです。ファシリテーションをしていると本当に心が折れることもあります。ファシリ屋たちとは、ワークショップの実施ごとに打ち合わせも振り返りもしたし、密な関係を築きましたね。
他にも、バイオ・テクノロジーの応用可能性を探る「YCAMバイオ・リサーチ」や、YCAMの活動を一般向けに広く紹介する1年に1度のイベント「HELLO, YCAM!」の企画運営にも携わった。いわゆる既存の「美術」からは距離があった施設であったが、それが朴には合っていたという。
朴:美術館だとやはり美術を見るための鑑賞力に繋げるミッションがプレッシャーだったけど、YCAMでは人の営みや社会問題、地域の資源など様々なものが表現を司る素材となり、領域を横断しながらアートに関わることができました。私自身それが面白いと思ったし、楽しくやっていましたね。
その後、2019年より独立し、2021年に夫と共に株式会社Office PARKを設立する。YCAMでの仕事も落ち着き、夫の方も、通訳やマネージャーとして所属していたサッカーチームからの独立を考えはじめたころで、タイミングが重なった。
朴:我々がこれまでやってきたことを強みにやっていこうと、会社を設立しました。私の方は、アート関係のプロジェクトのマネージメントや、イベントの企画、運営、 制作も全部します。主人もサッカーチームのマネージメントをずっとしてきたし、お互い通訳や翻訳もします。アートとスポーツの二本柱ですね。
独立後に朴が携わった仕事の中で代表的なもののひとつが、障害のあるなしにかかわらずアートを通して多様性や共生社会を考えるプロジェクト、文化庁と京都新聞主催の「CONNECT⇄_」(コネクト)【※6】である。プログラムの企画や運営に携わる中で、私生活にも影響を受けるような学びがあったという。
朴:私にとっては、これまであまり馴染みのなかったテーマではありました。今年で5年目になるんですが、知見や経験値も深まったし、自分の私生活にも影響を与えました。ちょっと前に家族旅行で東南アジアに行ったんですけど、障害がある方を見ることがなかったんです。道がでこぼこしすぎて車椅子では移動できないし、障害のある彼らはどこにいるんだろうと思いました。CONNECT⇄_がなかったら多分そういう視点は持てなかっただろうなと思います。
韓国の光州にあるACC(Asia Culture Center)では、10周年事業としてYCAMの企画「ACC Future Sports Day」を両者が共同で進行している。朴は同事業のコーディネーターと通訳で関わる一方、その派生事業である近隣の学校との連携事業ではコンサルタントとしても参加している。コンテンツの一部には、車椅子利用者と対等に徒競走をするにはどういう工夫が必要か、外国語話者と一緒に借り物競争をするにはどうすればよいかなど、多様な文脈を取り入れる予定だという。彼女のこれまでのエデュケーションの活動が海を越えて花を咲かそうとしている。
国内でも、学校と連携した活動は継続して行っている。昨年は、京都府の地域文化創造促進事業の一環として、京都府立東舞鶴高等学校で「地域とアートが呼応する」をテーマに連続講座をコーディネートした【※7】。アーティストの山本麻紀子を招きアートを再定義する授業を行ったり、YCAM時代の同僚の石川琢也に舞鶴を新しい視点でみるためのワークショップを実施してもらったりした。はじめての試みで試行錯誤しながらではあったが、いかに既存の形式から脱線させられるかに尽力したという。
朴:あまり積極的じゃない生徒たちも多くて、無理強いもできないし、誘導もできないし、すごい迷いながらやったんだけども、ちょっとでも彼らの思考に爪痕を残せたらいいなという気持ちでやりました。
現在朴は、5歳と3歳の子どもの育児をしながら仕事をしている。前述した「ACC Future Sports Day」のショーケースでは、夫とともにコーディネートと通訳を務め、子どもたちも連れて家族揃って渡韓したという。
朴:この分野で仕事をしてていいなと思うのは、子どもたちに色んな大人を見せてあげられることです。展示も一緒に見に行くし、飲み会に連れていくこともあります。アートに限らずスポーツの業界で働いている大人と会う機会もあって、きっと将来の選択肢の提案に繋がっているだろうなと思います。
朴は、子どもたちには「偏った考え方を持たずに、いろんなものを受け入れられる土壌を作っていってほしい」と語る。夫も同じく、彼らに仕事をしている自身の姿を見せることや色んな人に会わせることには大賛成だそうだ。
朴:多分、子どもたちには「お父さんとお母さん、何をしているかはちょっとわからないけど、どうやらすっごい楽しそう、楽しいらしい」という雰囲気は感じ取ってもらえてるのかなと思います。仕事を通して、そこに子どもも巻き込むことで、彼らが色んな感覚を身につけていってくれたらと思います。一石二鳥ですね(笑)。
育児の苦労をあげるとキリがないが、特定の機関に所属せずに働いているからこそのメリットもあるという。今後も子どもの小さい間は、フリーランスとしてエデュケーターの活動を続けたいと語る。
朴:フリーランスになった当初、サッカーチームに所属していた主人は、朝早く出て夜遅くに帰ってくる生活リズムで、週末は試合で不在がち、私が主体的に子育てをこなす必要がありました。どこかに所属して仕事をすることも考えたけど、通勤しないといけないし、エデュケーターという職業柄、週末にはイベントのための出勤もあります。「そのとき子どもはどうしよう? 家族が一緒に過ごす時間は?」などを考えると、私にはこなせる自信がありませんでした。先輩学芸員のお姉さん方の話を聞いていると、白目をむいてしまいそうなぐらい大変な状況も乗り越えられてきて、本当に尊敬しかありません。
フリーランスなので、今後も継続的に仕事をとってこれるかといったら不安な部分もありますが、今はこんな私に信頼を寄せて仕事を依頼してくれる方々と常に繋がっているように思います。緩急をつけながら仕事のリズムをつくれるようにもなってきたし、子育てと仕事をシームレスに繋げられる働き方が、今は合っているのかなと思います。
【※1】「文化芸術基本法」(文化庁)
(URL最終確認:2025年2月16日)
【※2】Museum Studies (MA), University of the Arts (Philadelphia)
(URL最終確認:2025年2月16日)
【※3】京都国立近代美術館 2014(平成26)年度学習支援事業 10代のためのプロジェクト「美術館の放課後」
尚、朴による論考も参照されたい。朴鈴子「10代のためのプロジェクト「美術館の放課後」 ―青少年による美術館活用の促進を目指して―」京都国立近代美術館編『CROSS SECTIONS』7号、2015年、pp. 90-96.
(URL最終確認:2025年2月16日)
【※4】「walking around surround」(YCAM)
(URL最終確認:2025年2月16日)
【※5】「スポーツハッカソン for Kids」(YCAM)
(URL最終確認:2025年2月16日)
【※6】「CONNECT⇄_」(文化庁、京都新聞)
5回目となる2024年度のCONNECT⇄_では、「アートでのびのび ひろがるわたし」をテーマに、障害者週間(12月3日~ 9日)を含む17日間、岡崎公園内の文化施設と連携し各種プログラムが展開された。
(URL最終確認:2025年2月16日)
【※7】「「地域とアートが呼応する」5年後のみんなに届ける人材育成講座」(KYOTOHOOP)
(URL最終確認:2025年2月16日)
米国にて博物館教育学修士課程修了後、2010年に京都国立近代美術館の教育普及担当に着任。学校教育における鑑賞学習の支援や展覧会に合わせたワークショップの企画などをおこなうほか、世代間交流や教科横断学習といった、多様な文脈で美術館と関わることができるプラットフォームの形成を模索。2015年より山口情報芸術センター[YCAM]のエデュケーターに着任。地元の学校との連携事業を中心に、パブリック・プログラムの企画制作など教育普及事業全般を担当。2019年より独立し、2021年に夫と共に株式会社Office PARKを設立。スポーツやアートに関わる多様なプロジェクトの企画制作、運営までおこなっている。
京都国立近代美術館研究補佐員。同志社大学大学院文学研究科美学芸術学専攻博士前期課程修了。アメリカの戦後の写真集、とりわけロバート・フランクやジョン・シャーカフスキーの作品を対象とし、広くイメージとテキストの関係について研究を行う。現在は+5編集部で校正を担当するほか、記事の執筆にも携わっている。