見つけてもらう喜び ありのままを保存し、公開するアーキビストの仕事 

見つけてもらう喜び ありのままを保存し、公開するアーキビストの仕事 

アーキビスト|松山ひとみ
2022.11.08
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近年、「アーカイブ」という言葉が氾濫し、「デジタルアーカイブ」の利活用についてもよく議論される。しかしアーカイブの実態はさまざまであり、共有しているイメージは少ないだろう。それは、専門施設が身近ではなく、利用するケースが少ないということもある。

例えば、学芸員(キュレーター)が所属する施設は美術館・博物館、司書(ライブラリアン)が所属する施設は図書館である。アーキビストは、一般的に公文書館に所属することが多いが、その業務はあまり知られていない。日本アーカイブ学会による登録アーキビスト、国立公文書館による認証アーキビストなどが存在するが、現在、国家資格はない。いくつかの大学でアーキビストを養成する学科が開設されており、少しずつ認知されている段階だ。公文書の管理は民主主義の根幹でもあることが、近年の改ざん問題により逆説的に周知されたといってよいだろう。

日本の美術館に専門のアーキビストがいることはほとんどなく、大阪中之島美術館にアーカイブズ情報室が設置され、専門のアーキビストがいることは画期的なことである。今回は大阪中之島美術館のアーキビストであり、国立公文書館の認証アーキビストでもある松山ひとみ氏に、アーカイブズ情報室の役割と、美術館におけるアーキビストの仕事についてうかがった。

大阪中之島美術館 アーカイブズ情報室入口

美術への関心

まだ日本にはほとんど存在しない、美術館のアーキビストになるまでいろいろな過程があっただろう。いったいどのような勉強をしていったのだろうか?

「まず大学では美術史を専攻していました。出身が富山なんですが、高校の近くに富山県立近代美術館があって、いつ行ってもいい作品がたくさん見られるので、遊び場みたいになっていました。情報が周りに少ないので選択肢がなかったこともありますが、そういう環境があったので、もっと勉強してみたいなと思ったんです。」

松山は、企画展よりも、コレクションの方に関心があったという。企画展だと誰かのキュレーションによって、作品が選別されているからだ。その価値観を押し付けられるのはあまり好きじゃなかったという。

「見ていると、いろいろ知りたいことが生まれてくるんです。シュルレアリスムの作品が多かったんですが、背景にあるものがわからない。わかったらもっと自分にとっていろいろ面白いと思ったんです。」

1981年に開館した富山県立近代美術館(2016年、富山県美術館移転のため閉館)は、戦後の日本を代表する富山県出身の美術評論家で、マルセル・デュシャンやアンドレ・ブルトン、ジョアン・ミロといったダダやシュルレアリスムの作家と交流をもっていた瀧口修造が設立に関わっている。そのこともあり、シュルレアリスムをはじめとした近現代美術のコレクションが豊富にあった。実は、瀧口修造は松山の出身校の先輩でもあったという。

「コレクションを見ていると、ひとつひとつの作品から作家の繋がりみたいなものが見えてくるんです。瀧口修造が富山県立近代美術館ができるにあたってどれだけ貢献したかみたいな話とか書いてあるんですよね。こんなに近くにこんな面白い人がいて、その影響を受けた美術館があるってすごいなと純粋に思いました。赤瀬川原平と瀧口の関係とか、そういうのもすごく見えやすい場所だったんです。だから美術史をやったら面白そうだなと。」

松山にとっては、美術館が身近にある開かれた場所であり、自分の関心によって深めていくことができる場所でもあったことがわかる。現在でこそ、コロナ禍によって、いわゆるメディアが動員を仕掛ける「ブロックバスター」の展覧会は開催が難しくなり、コレクションの重要性が見直されるようになったが、松山の原体験はまさに美術館という存在意義に関わるものだろう。


美術から映像アーカイブへ

そして、東京藝術大学で美術史を専攻することになる。そこでは深く見ることについて学ぶことになったという。

「芸術学科だったので、基本的には美術史を勉強するところですが、何でもやるんですよ。1回生、2回生の間は、油絵も日本画も描いたし、写真も撮ったし、版画も彫刻も制作手段を幅広く経験しました。それだけではなくて、ちゃんと見るっていうことが、美術史にふれる第1原則で、その作品の特徴を正確に捉えてそれを自分の手元に写し取るということもしていました。どこを深く見ればいいのか気づけるようになるために、多くの領域に触れたのだと思います。」

しかし、東京藝大の美術史は、ルネサンスがいちばん新しいというくらい、すでに誰から見ても歴史になった過去を扱っており、松山が関心をもっていた近現代美術を研究テーマにすることは難しかったという。

「私が専門にしようとしていた時代は、1920年代でした。とにかく新しいものがいろいろあるというか、華やかな印象を受けていて。大きな変化のきっかけに映像メディアの登場があって、そこで時代が違う世界に足を踏み入れたと思いました。そういうことを研究して卒業論文を出したいと思ったんですけど、学部ではそれほど対応してなかったんです。」

近現代を扱うとしたら、美学でやればどうかという意見もあったが、美学の場合は、哲学の中で語られていた美の概念の系譜について把握しておく必要があり、視覚的なものとして扱いたかった松山にとって選択し難かったという。

「20世紀初頭のカルチャーに触れていられるような分野を扱いたかったんです。ヨーロッパでは第1次世界大戦がありましたが、次の体制に入るまでの間人々がはじけていて、それが眩しく感じたんです。当時の映画が残っていて、それをあるときフィルムセンターで見たら驚いて。まだ美術作品のように固定されたものだったら、あの美術館に行けばあの作品があるとわかるんだけど、こういう映画とか映像とかは、ほかにはどこで見られるんだろうと思っていました。」

そこで松山は、東京藝大に通いながら、早稲田大学で映像について学ぶようになったという。かつて早稲田大学には、第一文学部と第二文学部があり、第二文学部は夜間の学部があった。そこで行われていた映像アーカイブの特別講義が面白いから、ということで友人に誘われる。

「ものすごく衝撃的でした。こんな映像が残っているのかと。まだ映画が生まれたばかりの1900年代に、個人がカメラを手にして家族を撮影した映像を見て、今までそのフィルムが残ってきた経緯とかを先生が説明してくださるわけですけど、それが見事でした。映画を「ときのかけら」とおっしゃって。映画の技術が、ある時間を切り取って、かつ、それを同じように再生させることを可能にしたっていうことなんですけど。それでこれをもっと知りたいと思って、方向が変わっていくきっかけになったんです。」

その講義を受け持っていたのが、現在、国立映画アーカイブ【1】の館長をしている岡島尚志氏だった。国立映画アーカイブとは、東京国立近代美術館の映画部門として開館したフィルムセンターから発展し、2018年に組織が独立して開設されたわが国唯一の映画アーカイブ専門の機関だ。

同時に、日本の実験フィルムの配給や映画制作学校として知られる、イメージフォーラムに通い自分自身でもアニメーション映画等をつくりながら、映画の制作工程を知っていくことになる。自分でやってみてより理解するという態度は通底している。

「時間を切り取る映画とは違って、アニメーションは1コマ1コマの絵を動かしていくことで時間をつくり出しています。ディズニーアニメーションの書籍に『生命を吹き込む魔法(The Illusion of Life)』というのがあるんですけど、本当に魔法みたいだと思いました。」

また、美術史専攻で大学院にも進学したが、やはり展覧会をつくることや歴史を編むことに対しては、興味が持てなかったという。特に近現代の美術は、恣意的な解釈になりがちなので、それよりも客観的で、技術的背景の明確なフィルムアーカイブの方に関心を持つようになる。

「映画を保存するって誰がやっていて、どこに何があるのか、そういったことをもっと勉強したいと思ったんです。昔の映画が残っているなら、そこに刻まれた時間を現在によみがえらせたいと思いました。」

そこで大学を出て国立映画アーカイブの前身である東京国立近代美術館のフィルムセンターでアルバイトをするようになる。

「資料を扱うポジションに応募したつもりがなぜか広報になってしまって(笑)。ただ、広報には情報がたくさん集まってくるので、内外の人たちの話を聞いたりする中で、だんだんと業界の様子がつかめてきます。すごく世界が広がりましたね。こんなものも見られるんだ!みたいな。」

取材の様子

世界のフィルムアーカイブへの興味

東京国立近代美術館のフィルムセンターで働く中で、古い映画を見られる場所や、映画保存をしている機関を知るようになる。アメリカではフィルムアーカイブを専門的に学べる機関としてもっとも著名なのは、ロチェスターにあるジョージ・イーストマン・ハウスが開校しているL.ジェフリー・セルズニック映画保存学校だという。

ジョージ・イーストマンとは、イーストマン・コダック、すなわちフィルムメーカーのコダックの創業者のことであり、イーストマンの邸宅を元に創設された写真と映画の博物館が、ジョージ・イーストマン・ハウスなのだ。近年はロチェスター大学とのジョイント・プログラム(修士課程)も開設されており、多くのフィルムアーキビストを輩出している。その他には、ニューヨーク大学やカリフォルニア大学ロサンゼルス校が映像メディアの保存に特化したコースを持っている。その中で、松山は、アムステルダム大学を選んだという。その理由は何だろうか?

「アムステルダム大学は比較的学費が安く、英語で授業を受けられたことが理由です。ムービングイメージの保存と展示、Preservation and Presentation of the Moving Image(P&P)というコースがありました。そこがいいのは大学での授業のほかに、オランダの中にある映画博物館(EYE Film Museum)【2】やオランダ視聴覚研究所(Netherlands Institute for Sound and Vision)【3】、メディアアートの修復やディストリビューションをおこなうLIMA(Netherlands Media Art Institute, NIMkから継承)【4】などのほか、ロッテルダムでメディアアートの制作や修復をおこなうスタジオ(V2_)やドキュメンタリー映画祭などの現場に行って実地で学べることでした。」

松山の実際の現場に行って観察し、体験するという方法は一貫している。そこでフィルムからデータまでの保存について学んだ。

「そもそも映画があまり残っていないのは、どんどんフォーマットが変わってしまっているというのもあるし、フィルムが紙みたいな安定した素材じゃないので、置き場によっては温度や湿度の影響を受けて駄目になっていくし、再生技術と結びついているので、再生機器が生産されなくなると見られなくなる。ただ、見るためにフォーマットを変えたり、記録メディアを変えたり、変換を重ねると失われる情報が多くて、変換された後のコンテンツだけを見ると、そこにあったはずの歴史が忘れ去られてしまう危険があります。」

近年では、過去のモノクロフィルムをAIで着色したり、リマスターにして発売することが流行しているが、それが過去の技術なのか、現在の技術なのか、わからないまま提示することは問題があるという。

「修復するときに、それが修復なのか、それとも作り替えや、上書きなのか、絵画なんかだととても記録が細かいですけど、映画についてはそこの部分を施す人が、これは上書きなんです新しいんですとわかってやっていても、世に出すときにそれをわからなくしてしまうことが多いんです。これはちゃんと言わないと、人々をある種騙していることになってしまいます。そういうことで埋もれてしまう過去の発明や技術の限界がいろいろあって、正しく伝えていくためには、きちんと見分けたり、記録したりするための勉強も必要です。」

特に、視聴覚メディアというのは、技術的な進歩が速く、それだけに過去のメディアが廃れてしまうのも早い。映画のような技術的背景を持つ表現は、その時代の技術的限界に大きく規定されているし、変換されることで失われてしまう情報も多い。何が残り、何が失われているのかを残すこと自体が重要なのだ。

「映画を修復する人たちが憧れているのは、例えば1920年にそれが初めて劇場公開されたときの美しさです。できないことはわかっていても、それを目指したいんです。」

松山さんの海外での生活の一コマ
国際フィルムアーカイブ連盟(FIAF)の主催するサマースクール(ボローニャ、イタリア、2014年)の写真
提供:松山さん


大阪中之島美術館のアーカイブズ情報室設立の経緯

帰国後、国立映画アーカイブでデジタル映画の保存についての研究に携わる。当時、映画もデジタル化が進んでいたが、その保存の方法はまだまだ定まっていなかった。しかし、デジタルメディアはファイルフォーマットや関連技術の変化が速く、常に観察し再生可能か確認する必要がある。逆に、フィルムで残す動きも出ているという。

そして、3年の研究期間を終了する頃に、大阪中之島美術館の準備室からアーカイブ業務の募集が出ていたので応募することになる。美術館ではほとんど専業のアーキビストがいない中、なぜ大阪中之島美術館はアーカイブをやろうとしていたのだろうか?

「具体美術協会に関する大量の資料が寄贈されたあと、デジタルアーカイブの普及など、オンラインでいろんな情報にアクセスできるという時代になって、具体美術協会の関係資料に対する問い合わせが多かったんです。誰もが情報にアクセスできる仕組みをつくりたかったというのが背景にあると思います。」

松山は、アーカイブズ情報室の開室準備にあたり、多くのアメリカの美術館・博物館を調査のために訪ねている。なかでもニューヨーク近代美術館(MoMA)は、研究者のための図書館やアーカイブ【5】が充実しているという。あるいは、スミソニアン博物館では、アーカイブズ・オブ・アメリカンアート(AAA)【6】というアメリカの美術に関する作家資料を網羅的に集めており、各美術館に寄贈される場合は、AAAに移管されることもあるという。

日本にはそのような場所はないが、具体美術協会から寄贈された資料には、作品だけではなく、さまざまな記録物や映像フィルムなどがあり、それに対する研究者の注目や調査したいという要望も多かった。それを公開することを念頭に、菅谷館長が美術館の構想の中にアーカイブを位置づけたのが大きいという。

「着任当時、美術館のアートライブラリを通して、収蔵資料の情報公開をしていたのは東京都現代美術館くらいだったと思います。当館については、持っている資料をみんなで使えるようにオープンにしますということをポリシーに、準備してきたことが重要です。」

当初、大阪市の準備室時代に菅谷館長が構想していたのは、美術館の資料、具体美術協会の資料、日本最古の広告代理店である萬年社の広告資料、インダストリアルデザイン・アーカイブズ研究プロジェクト(IDAP)などの情報公開であった。しかし松山が着任後に確認すると、作品ではない収蔵資料(情報資源)はそれだけではなく、それらも共にこれから活用されるように整理すべきと主張したことで、手続きさえすれば、全ての資料が見られるようになったという。

また、萬年社には膨大なCM映像の資料、具体美術協会には、吉田稔郎氏が寄贈した8ミリや16ミリフィルムの多くの資料があり、それらを早く公開したいという方針もあった。アーカイブズ情報室には閲覧デバイス(タブレット4台)が設置されており、萬年社や具体の映像などが見られるようになっている。具体の活動を記録した映像を予約なしに気軽に見られる貴重な場所だ。そのような公開のしかたは、視聴覚メディアの扱いを得意とする松山なしでは難しかったかもしれない。美術館に属している視聴覚メディアのアーキビストは、日本にはほとんどいないからだ。

「美術史を勉強している人は、そもそもアーキビストをやりたいとは思わないんじゃないですかね。美術館にいて、作品研究をするわけでも展覧会ができるわけでもないですし。ただ、アーカイブの枠組みで捉えれば作品もその一部なので、作家のこと、作品の生まれるところや美術館へ入るまでの経緯を考えるなら、アーカイブズそのものにはみな興味があると思います。」

例えば、佐伯祐三やモディリアーニの作品を寄贈し、大阪中之島美術館のコレクションの元になっている山本發次郎(やまもとはつじろう)が勉強していた本などもあるが、それらは物としての価値は違うが、意味として密接な関係をもっており、研究者にとっては大きな発見につながる可能性を秘めている。

「こういうものがある、という記述をしておくと、研究者たちはちゃんとそれを見つけてくれます。いろんな研究分野を持っている様々な人たちが、それにアクセスしてくれることで、その記録物の意味が多面的になります。ここが美術館だからといって、美術という観点で見なければならないということはなくて、多様な使われ方が資料の価値を高めるんです。」

閲覧室では、特に具体美術協会の貴重な映像資料が数多く閲覧できる(こちらは予約不要)。

アーカイブの利用者について

アーカイブの閲覧希望者は、オンラインで公開されている所蔵リストを見て、アーカイブズ情報室の利用予約をすることになる。公開後に利用している人々は、どのような人たちで、どのような目的で来ているのだろうか?

「学芸員や研究者など、資料を使うことによって新しいものを生み出す人たち、論証の根拠となるものを探している人たちが来られます。一次資料は証拠になるものなので、展示でも論文でも、必要なものですね。」

菅谷館長は、アーカイブを広く公開することに加え、できるだけ早く公開すると述べていた。それは海外視察の結果、完璧に整理されていなくても、公開することが心掛けられているからだ。

「私たちは所在情報を提供しているという立場でいますので、資料の中身をどれだけ細かく記述するかは、比較的自由度が高いと思っています。アーカイブを記述するための国際ルールがあり、その中で最低限これだけは書きましょうっていうのが決まっているので、それにのっとって、いちばん大きなプロフィールをつくってしまう。そこからどこまで細かく記述できるかっていうのはお金と人と時間の問題ですね。」

アーカイブの記述には、ISAD(G)「General International Standard Archival Description」(記録資料についての国際標準記述)【7】などがあり、タイトル、年月日、数量、伝来、入手先、内容といった基本要素からなる。その範囲で、見つけてもらいやすくする工夫をしていることになる。

アーカイブズ情報室は、大阪中之島美術館の開館日である2022年2月2日より少し遅れて、4月26日に開室したが、利用状況はどうだろうか?

「開きましたということを大きく宣伝したわけではないのですが、思いのほか、月に10人前後くらいは予約やお問い合わせをしてくださっていて、待っていてくれた人がいたっていう感じですね。」

利用するのは、主に美術史やデザイン史の研究者や学芸員になる。そのため、どのように使われたか、成果発表の際の参照元としても履歴に残る。今後、大阪中之島美術館は、美術館の展覧会というだけではなく、研究の支援機関としても重要な役割を果たしていくだろう。また、全国的にも、近現代の美術館の老朽化もあり、改修や建て直しの時期を迎え、各館で学芸員が残していった資料の活用も課題になっている。近年、全国美術館会議傘下の美術館がどんな資料を持っているかアンケート調査がされたという。現在、計画されているアート・コミュニケーション・センター(仮称)とも連動し、全国的な美術館資料のプラットフォームも将来的に構築される可能性はある。その際、アーカイブの構築が必要となり、アーキビストの役割は必然的に増すため、大阪中之島美術館はそのロールモデルになる可能性を秘めている。

一方、一般の来館者は閲覧室でのタブレットでの閲覧に限られるだろう。近年、デジタルアーカイブが注目され、世界の美術館・博物館が、膨大な収蔵資料をデジタル化し、オンライン上で公開していることを考えると、館内のみでの公開という点を物足りなく感じることもあるだろう。一般向けの講座や上映会なども今後行う予定とのことなので、一般の来館者にも少しずつ注目されていくのではないだろうか。

「私たちの美術館の難しさは、近現代の作品コレクションがメインなので、著作権が切れていないんです。なので、例えば、歴史博物館などがデジタルアーカイブを使って、古代から近世までの資料をデジタル化して、全部見られますというのとは違うんです。著作権保護期間中の資料は本来、所有しているだけでは複製もできないですし、オンラインでイメージ提供するとしたら、著作権処理をする必要があります。でも、今後の公開に向けた準備はしていきたいと思います。」

著作権保護期間は、2018年に著作権法が改正されて、著作者の没後50年から70年に延長されている。そのためパブリックドメインとなっている資料は、2022年9月現在から換算すると、1967年までに亡くなった作家までのものに限られ、近現代の美術館ではオンラインの公開は難しい。美術館の場合、配布される小冊子での利用は著作権者の許諾は不要だ。大阪中之島美術館の場合、素材の状態や大きさの都合で現物の閲覧ができないものに限って複製データをタブレットで閲覧可能にしている。将来的には、オンラインで見られる範囲はさらに広がるだろう。

アーキビストの仕事

大阪中之島美術館では美術関連資料コレクションの収集はアーキビストの仕事ではないという。それは、美術館の方針に従って学芸員が提案する。しかし、収集を体系化するために大きな役割を果たすアーキビストの仕事とはどのようなものなのだろうか?

「学芸員がある資料群を入手したいという希望を出してきたときに、こういう情報を揃えてくださいとアドバイスします。収集の手続きをスムーズにすすめるだけでなく、その後の活用がしやすいように、入手するところから始まって、資料群を受贈したらその資料群についてのプロフィールをつくり、いつまでにどの程度の記述をするか計画します。」

やはり、アーカイブとして活用するためには、寄贈や購入に関する情報を決まったフォーマットで蓄積することが重要だということがわかる。

「どれを優先させてどのぐらいの時間で誰がその処理を担当して、いつまでに何ができるか考えます。たくさんの情報を公開したいですが、マンパワーには限界があるので、利用者を想定しやすいものから優先的に処理をしたりもします。また、アーカイブ室は保存場所なので、入ってきたままの状態が保存に向かない場合は、保存箱に資料を移し替えたりもします。」

例えば、戦中、戦後に作られた紙の場合、非常に質が悪く劣化していて脆いので、そのまま見せることができない場合もある。そういった状態のものはデジタル化によって複製しておく必要があり、内部でスキャニングするという。現在は、何人体制で運営しているのだろうか?

「アルバイトさんが4名います。アーカイブを勉強していた方々ではないですが、うち2人は司書で、大学図書館の勤務経験があり、蔵書登録を進めています。そして主力はITのスタッフです。今の技術にどう対応するかっていうところが、結構肝で。デジタル化したデータをどうやって保管しておくか、館内で日々生産されるデータをどうやって長期保存していくのか、公開しているデジタルアーカイブはどうすれば検索されやすくなるかなど、さまざまな業務があります。」

特に、美術館が開館してからは、日々展覧会やさまざまな業務の資料が生産されることになる。アクティブな資料からアーカイブにはどのように移行するのだろうか?

「これまでの機関文書は大阪市公文書ですが、新しい美術館の活動から生まれてくる機関文書は美術館のものです。今はまだ、業務がはじまったばかりなので明確なルールがないんですけど、職員がどういうふうにファイルを作っているかを観察しています。例えば3年たったら、今現在の業務内容はもうほとんど参照する人がいなくなることが見込めるので、そうなった時点でアーカイブ室にデータを移して、保存対象として必要なものを選別、処分します。残すべきものを残して、いらないものまで残さないっていうのはアーキビストがやるべき大切な仕事のひとつです。」

現在、私たちが大量につくる資料は、ほとんどデジタルになっていることもあり、それをどのように保存していくか、そして残すために何を捨てるかは、美術館だけではなく、極めて今日的な課題だといえる。アーキビストが本領を発揮するところといってもいいかもしれない。

「アーキビストの守備範囲には、ITの分野だったり、図書館員が使うスキルだったりが含まれます。これからはとくに、ITの分野を得意や専門にするアーキビストが、もっとたくさん生まれて欲しいですね。」


アーキビストの醍醐味

アートと社会をつなげる人々の中でも、アーキビストは研究者、キュレーターなど、社会に伝える役割を担う人々のさらに基層、土台となっている部分を担っているといえる。しかし、直接的に社会との接点が少ない中で、どのようなことが自分たちのやりがいとなっているのだろうか?

「例えばこの前、閲覧室でテレビCMのフッテージをスタッフと確認していて、そのCMの制作に関わる企画書や絵コンテ、CMソングの歌詞、楽譜とかそういう記録物も同じコレクションのなかにあるんですよね。はやくこの資料も検索されるように処理したいとか、どう記述したら利用が増えるかとか、そういうことを考えるのが楽しみであったりするんです。」

研究者の場合は、自分の関心に沿って集中したり掘り下げていく必要がある。そのような掘り下げる人たちが何かを発見することを、誘発するための装置をつくっているといえるだろう。

「私たちは情報を持っていて、物としては美術館の中で管理をしますけど、それは私たちだけのものじゃないので、いかに探している人に見出してもらえるか、どういう言葉で表現したらいいか、どういうタグをつけたらいいか、そういったことに日々気をつかっています。」

アーカイブをつくるために気を付けるべきことはあるのだろうか?

「わたしたちのしている処理について、隠さないということを大切に考えています。曖昧な部分を想像で埋めないで観察したことをできるだけ則物的に言葉に置き換えていくというのが、私たちのやるべきことで。見えている情報に誠実に向き合う。そこから研究をするのは私たちではなく、研究者なので。」

最後にアーキビストや記録者を目指す人、興味がある人たちに向けてメッセージをいただいた。

「私たちの仕事は、記録の全体像、その記録を生み出した諸活動がどんなものだったのかを残し、未来に伝えることなので、同じ歴史的記録を扱っていても、一歩踏み込んで、自分の文脈の中でそれを展開する歴史家の仕事とは違います。木を見て森を見ないと言いますけど、私たちは森から見ているので、その人が社会的にどういう立場でどういうことを為した人かということや、たとえばある作品が作家の人生のどんな時期に制作されて、いつどんな経緯で作家の手を離れたのか、といったことなど、残された資料から立ち上がるときなんかが面白い。

ただ、わたしたちの仕事を評価するのは後世の人だったりして、昔のアーキビストがした処理に対して、現在のアーキビストが、これはこうなっていたらよかったのにって思うようなことも実はたくさんあるんです。だから今、私がやっていることも、将来のアーキビストから見たら、この人こんなことをやっちゃってみたいなことがあるかもしれない。でも私たちの仕事は、そういうことも含めて記録を残して繋いでいくことの積み重ねなので、過去から未来へ受け渡す記録を支えているというのがやりがいです。」

取材当日にいらっしゃったアーカイブズ情報室のみなさん(中央が松山さん)

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大阪中之島美術館のアーカイブズについて

https://nakka-art.jp/collection/archive/

(最終閲覧:2022年11月8日17時00分)

アーカイブズ情報室のアーカイブ検索ページ

https://archives.nakka-art.jp/

(最終閲覧:2022年11月8日17時01分)

注釈

【1】国立映画アーカイブ

https://www.nfaj.go.jp/

(最終閲覧:2022年11月8日17時40分)

【2】Netherlands Institute for Sound and Vision

https://www.beeldengeluid.nl/en

(最終閲覧:2022年11月8日17時40分)

【3】Eye Film Museum

https://www.eyefilm.nl/en

(最終閲覧:2022年11月8日17時45分)

【4】LIMA

https://www.li-ma.nl/lima/about

(最終閲覧:2022年11月8日17時50分)

【5】MoMA|The Museum of Modern Art Research and Learning

https://www.moma.org/research-and-learning/

(最終閲覧:2022年11月8日17時50分)

【6】Archives of American Art - Smithsonian Institution

https://www.aaa.si.edu/

(最終閲覧:2022年11月8日17時50分)

【7】ISAD(G): General International Standard Archival Description - Second edition

https://www.ica.org/en/isadg-general-international-standard-archival-description-second-edition

(最終閲覧:2022年11月8日18時00分)

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INTERVIEWEE|松山 ひとみ(まつやま ひとみ)

アーキビスト。福岡県生まれ。東京藝術大学大学院で西洋美術史を学んだ後、2014年アムステルダム大大学院修了。
2017年4月より現職。

INTERVIEWER|三木 学(みき まなぶ)

文筆家、編集者、色彩研究者、ソフトウェアプランナーほか。
アート&ブックレビューサイトeTOKI共同発行人:https://etoki.art/about
独自のイメージ研究を基に、現代アート・建築・写真・色彩・音楽などのジャンル、書籍・空間・ソフトウェアなどメディアを横断した著述・編集を行なっている。
美術評論家連盟会員、日本色彩学会会員。