ファッションと人との距離を紡ぐ−KCIの想いと活動

ファッションと人との距離を紡ぐ−KCIの想いと活動

公益財団法人 京都服飾文化研究財団 キュレーター|新居理絵
2024.12.26
77

日常生活において、誰もが当たり前に身につける衣服。必要不可欠であるものの、「何でもいい」から「何よりも最優先」まで、人生における重要度がこれほどまで人によって差がある存在も珍しいだろう。

欧米を中心としたファッションやモードの世界では、デザイナーをはじめとする数多くの作り手によって、日々、多種多様な衣服が生まれている。「身にまとうことのできるアート」 とも言える唯一無二の一着から、大量生産される既製服まで、当たり前だがそのひとつひとつには作り手がいて、作られた時代ごとの流行が読み取れるのが興味深い。

そんなファッションやモード、服飾文化を専門とし、世界的に知られた研究機関が京都にあるのをご存知だろうか。公益財団法人 京都服飾文化研究財団(以下、KCI)は、1978年、西洋の服飾と文献の収集、保存、研究、公開を行うことを目的に設立。1980年代から約5年に1度、京都国立近代美術館とともに大規模な展覧会を企画・開催している。2024年から25年にかけて、京都・熊本・東京を巡回する「LOVE ファッションー私を着がえるとき」は、通算で9回目の同館との共催展だ。京都に根差し、世界から評価される精力的な研究・収集活動を続けてきたKCIについて、キュレーターの新居理絵さんにお話を伺った。

KCI所蔵の衣装コレクションが数多く展示された直近の展覧会
「LOVE ファッション―私を着がえるとき」2024年9月13日~11月24日
京都国立近代美術館(巡回:熊本市現代美術館 2024 年12 月21 日~ 2025 年3 月2 日 、東京オペラシティ アートギャラリー 2025年4月16日~6月22日) 
©京都服飾文化研究財団、福永一夫撮影

KCI設立へと導いた三宅一生の情熱、塚本幸一の願い

1973年から74年にかけてニューヨークのメトロポリタン美術館で開催された、伝説的なファッション展「INVENTIVE CLOTHES 1909-1939」。これは20世紀最初の30年で花開いたモードの数々を、ファッション誌『VOGUE(ヴォーグ)』で編集長を長く務めた天才エディター、ダイアナ・ヴリーランド監修のもとに紹介したもので、ことファッション展の歴史を紐解くにおいて、忘れてはならない展覧会だ。

これを現地で鑑賞し、日本での開催を熱望したのが、当時まだ30代半ばで、自身の会社を立ち上げたばかりの気鋭デザイナー、三宅一生であった。三宅は帰国後、実業家の塚本幸一と対談。塚本は京都に本社をおくインナーウェアメーカー、株式会社ワコール【※1】の創業者であり、当時、京都商工会議所の副会頭を務めていた塚本は、商工会議所や京都市にも協力をあおぎ、1975年に京都国立近代美術館(以下、京近美)で「現代衣服の源流」展を実現させる【※2】。 


新居「当時の日本で、ファッションをテーマにした展覧会を国公立の美術館で開催することは、とても大胆な試みでした。しかし京都には着る文化があり、着倒れの街でもあります。京近美さんは、着物や工芸の収集・研究・展示などにも力を入れていたことから、西洋のファッションについてもご理解いただき、開催できたのです。

とはいえ、1970年代の日本に大規模なファッション展を作ることができる人物はおらず、三宅さん自ら世界各国の美術館を飛び回って作品の借用を交渉してくださいました。また、当時一緒に仕事をされていた小池一子さん【※3】や、三宅一生デザイン事務所USAで代表を務められていた金井純さん【※4】にも、多大なるご協力をいただきました。

前例のなかったこの展覧会は、京近美が開館して以来の来館者数を記録しまして、塚本は、「ファッションを収集・研究し、展示・公開するような組織が、これからの日本に求められている」と改めて考えました。その頃、今で言うところのメセナ活動への関心が高かったこともあり、KCIの設立へと至ったのです。」


財団の名前には、ワコールの名ではなく「京都」の名を掲げ、東京ではなく京都に拠点をおいた。そこにも塚本の信念が伺える。


新居「研究機関としての在り方を考えたとき、歴史と常に接続した環境にあることは非常に大事です。京都には着物の専門家がたくさんいらっしゃいます。織りや染めの基本的な技術は、西洋の衣服と共通することも多く、皆さんから興味を持っていただけますし、こちらもいろいろなことを教えていただいています。

それに、おかげさまで「京都」と申し上げると、海外の研究者は喜んで講演依頼に応えてくださいます。塚本にとってKCIの活動は、自社のPRではなく、社会に還元し貢献するために何ができるか、という視点が非常に重要だったようですね。」


加えて特筆すべきは、あえて自前の美術館を建てない、と決断したことだ。 


新居「三宅一生さんと塚本が目指した、研究機関としてのKCIのレベルは、当初から大変高いものでした。もちろん最初は、自前の美術館を建設することも考えたようです。しかし「現代衣服の源流」展を終え、同レベルのクオリティの展覧会をKCIで企画・開催しようとすると、美術館を建てている場合ではない、と。やはり建てて終わりではなく、運営や維持管理にも莫大な資金が必要ですから。

折しも当時、立派な施設を備えた美術館が相次いで開館していましたから、大規模な展覧会は館と共催し、経費を収集と研究に充てることにして、収蔵庫と研究施設、そして2000年からは小さなギャラリーを有する組織として運営しています。」


2028年には、設立から50年の節目を迎えるKCI。これまで京近美に限らず、国内外のミュージアムと数多くの展覧会を共催し、世界的に知られた研究機関となった。しかし、キュレーターや、保存や補修を専門に行うコンサバターなど、人数の増減はあるものの、役割ごとのスタッフの構成はほぼ変化がないという。三宅と塚本が、当初から研究機関としての本来の機能や在り方を考え抜き、その想いを共にした多くの人々が尽力したからこその今、と言えるのだろう。 


新居「例えば、収蔵品の収集の仕方や、作品の補修や保存方法については、メトロポリタン美術館のコスチューム・インスティテュートのキュレーターらにレクチャーしてもらいました。ニューヨークにお住まいの金井さんが、かつて『VOGUE』編集部で働いていらした縁でご協力が成立しまして。海外におけるコレクションの収集活動でも、メトロポリタン美術館の方々に現地のディーラーをご紹介いただいて、上質な資料を集めることができました。また、小池さんには、初期のKCIの展覧会のほか、研究誌『DRESSTUDY(ドレスタディ)』【※5】の創刊や編集にも長い間関わっていただきました。

KCIの立ち上げ当時は特に、誰もが試行錯誤しながら成長していくような環境だったのだろうと想像します。多くの先輩達がKCIに関心を寄せ、惜しみなく協力し、知識を与えてくださったのは、本当にありがたかったですね。」

故・塚本幸一理事長「浪漫衣裳展」記者発表にて
©京都服飾文化研究財団
「浪漫衣裳展」ポスター
©京都服飾文化研究財団
設立当時の収蔵庫:まだ収蔵にたっぷり余裕がある状態
©京都服飾文化研究財団

服飾史の研究と収集の最前線を歩み続けて

新居さんは現在、キュレーターとして、展覧会の企画や論考の執筆を手がけるだけではなく、展覧会の際の広報など、幅広い業務を担っている。KCIに所属することになったきっかけを尋ねると、ワコールで新卒採用の選考を受け、面接の際にKCIでの業務を提案されたそうだ。 


新居「私は服飾史を学んではこなかったものの、大学では文学部の美学芸術学、中でも西洋美術史を専攻し、テキスタイル・デザインも手掛けた画家、ラウル・デュフィの研究をしていました。加えて、趣味の延長のような感覚で学芸員資格を取っていましたし、KCI収蔵品の制作年代と重なる時代の西洋美術史をゼミで勉強していたこともポイントだったのでしょう。そしてもちろん洋服が好きでした。
当時はバブル経済の真っ只中、完全に売り手市場でしたが、学芸員の仕事は、大学院を修了しなければ就けないだろうと考えていました。そんな中、ファッションを専門とする研究機関から声がかかり、こんな機会は二度とない、と。当時はKCIの側も、日本において西洋服飾史を専攻した学生の採用が難しく、その背景を勉強している若者を採用して組織内で育てるという方針で、採用後は現在、名誉キュレーターである深井晃子【※6】が、私の書いた原稿や調査の内容をすみずみまで添削してくれたりと、現場でのOJTを通して学び、仕事を覚えることができました。」 


1990年に入社した新居さんが最初に関わった大規模な展覧会が、1994年、京都を皮切りにアメリカやフランス、ニュージーランドなど、世界6か国を巡回した「モードのジャポニスム」展【※7】だった。 


新居「深井が中心となって企画した本展は、日本人である私たちが、西洋の文化に源を持つファッションをテーマに何ができるのか、あるいは、海外の方々は我々に何を求めているのかという問いへの、ひとつの回答でした。ファッションや服の知識も、日本画や着物、生活様式といった日本文化の知識もある、私たちが開催すべき展覧会でした。」 

「モードのジャポニスム」京都展ポスター
©京都服飾文化研究財団

本展をきっかけに、KCIはファッションの研究機関としての世界的な知名度を一気に高めた。現在では、メトロポリタン美術館をはじめとする海外の美術館と、収集や研究に関する情報交換や収蔵品の貸し出しを行うのは日常茶飯事。コロナ禍前には輸送を担う会社から、国内の全てのミュージアムの中でも群を抜いて貸し出し件数が多い、と言われたほどだったそうだ。

続く1999年の「身体の夢 -ファッション or 見えないコルセット-」展【※8】では、東京への巡回展が、ついに公立の美術館(東京都現代美術館)で初めて開催されるに至る。京近美で「現代衣服の源流」展を開催してから、実に24年後のことである。

「身体の夢」展図録
©京都服飾文化研究財団

そして2002年。KCIは、名だたるアーティストらの作品集などを手がける、ドイツの世界的な出版社・Taschen(タッシェン)から、収蔵品400点以上の写真を掲載した書籍『ファッション:18 世紀から現代まで 京都服飾文化研究財団コレクション』【※9】を出版する。同社では非常に珍しい日本語(初版のみ)のほか、英語・フランス語・ドイツ語など10か国版が刊行され、現在も重版が続いている。 


新居「本書の出版も、「モードのジャポニスム」展と同様、KCIが世界的に知られ、評価していただいた重要な契機でした。それまでもファッションの書籍はたくさん出ていましたが、歴史的な服のコレクションがこれほどのクオリティの写真とボリュームで掲載されたものは存在しておらず、おかげさまでヒットしたのだと思います。三宅一生さんや小池一子さんのご友人であり、お若い頃から仕事仲間だった、操上和美さん、小暮徹さん、富永民生さん、広川泰士さん、あるいは畠山崇さん、畠山直哉さんなど、一流の写真家の方々のご協力のもと、時間をかけて撮影していただいていました。

これもやはり、大きな展示施設がないKCIにとって写真が公開活動の重要なメディアだったことや、大規模展の開催が5年に一度のペースで、研究機関としての本来の活動、収蔵品の収集や保存、研究に集中して取り組めていたことが大きかったでしょう。」 


現在、多くのミュージアムで、収蔵品をくまなく撮影し、そのデータをアーカイブしたり、インターネット上で公開したりされているが、当時は非常に先進的な取り組みだった。もちろんKCIでは現在も、当時と変わらないクオリティを保ちながら、収蔵品の撮影を続けているという。

世界からの視点・服飾の歴史からの視点 

現在、KCIが収蔵しているコレクションは、17世紀から現在までの服飾資料が1万3千点、文献資料が2万点。中には、1千セットにもおよぶ「コム・デ・ギャルソン」からの寄贈品や、「クリスチャン・ディオール」、「シャネル」、「ルイ・ヴィトン」など世界的なメゾンからの寄贈品も含まれている。

コレクションの収集方針は3つ。まず「ファッション」、つまりその時代を象徴するようなスタイルや流行であること、同時に高いクオリティを備えていること、そして、できるだけ展示が可能なコンディションであること、だという。

KCIは収集するか否かをどのように判断しているか。例えばジーンズだと、1930年代、世界恐慌後のアメリカでは、それまでバカンスを海外で過ごしていた人々が国内を旅するようになった。彼らは、旅先のひとつ、牧場で、本物のカウボーイたちがジーンズ姿で馬に乗ったり作業したりしているのを見かける。その真似をしてジーンズを履き、都会に持ち帰り、やがてそれはファッションとして定着した。19世紀後期に履かれていたジーンズは、まだ労働者の日常着という意味合いが強く対象外となるが、ファッションとなったジーンズは収集される。

とはいえ、ファッションの捉え方は時代によって全く変わるものであり、収集対象か否かの線引きは難しい。まさに19世紀のジーンズは、現在、ヴィンテージとして破格の値段がつき、男性を中心にファッショナブルなアイテムとして浮上している。ならば収集すべきなのか、キュレーターらで議論を交わしているそうだ。

 KCIギャラリー:
収蔵品紹介26 プレタポルテの幕開け
「装苑」などの編集長を経て、東京ファッションデザイナー協議会議長を務めた久田尚子氏の寄贈品展
©京都服飾文化研究財団、福永一夫撮影
KCIギャラリー:
収蔵品紹介31 髙島一精の仕事 「ネ・ネット」のデザイン
©京都服飾文化研究財団、福永一夫撮影


同様に、今シーズン発表されたばかりの最新のアイテムを、今、コレクションに加えるかどうかの判断も非常に難しい。「現代美術のコレクションも同様だと思うけれど、トライアンドエラーです」と新居さんは話してくれた。 


新居「それでもやはりひとつの指針にしているのは、日本を拠点にした研究機関である以上、世界からも、日本特有のコレクションを求められますし、それが必要だと考えています。

それこそ日本人デザイナーのブランド。あるいは日本の素材、例えば京都の川島織物【※10】さんのテキスタイルが使われているとか。ほかにも着物の着方や形などがデザインのモチーフになっていることとか。また日本ならではとも言える不完全性や未完成を良しとする志向性が反映されているなど、「モードのジャポニスム」展から継続している、私たちのテーマですね。

もうひとつの指針は、未来において、ファッション史の教科書に掲載されているような服を収集する、ということ。これは個人的な見解ですが、子供や孫、あるいは100年後の人々にぜひ見せたいかどうか、という感覚です。

新しい技術によって作られたテキスタイル、新たな縫製技術を使った見たこともないようなデザイン、ユニークな見解や主張が盛り込まれた作品など。かつての「イッセイミヤケ」も「コム・デ・ギャルソン」も、KCIが収集し始めた当時からすでに人気でしたが、ブランドが何十年後も残っているかどうか、ましてやこれほどまで世界的に高く評価されるようになるだなんて、知っていた人はいなかったのです。将来マスターピースと呼ばれる作品を収集できていたら素晴らしいですよね。」

ファッションやモードの担い手とともに

KCIが続けてきた研究活動の姿勢は、不思議と温かみを感じる。デザイナーやクリエイターたちの 「生きた声」 を、数多くのインタビューを通して丁寧に記録している点もそうさせる要因だ。ファッション文化を深く研究し、批評や評論、論考としてアーカイブするだけではなく、「第三者的ではない距離感」で、クリエイターたちと真摯に対峙し、彼らの仕事、ひいては彼らそのものを伝えようとする矜持が伺える。 


新居「私たちは公益財団法人ですから、いちブランドのPRのためにインタビューをしたり、論考を書いたりすることはしません。一方で、デザイナーの皆さんは、クリエイターであると同時に、日々収益も求められる中で仕事をしています。いわゆるメディアの方々と比較すると、私たちには少し肩の力を抜いて、お話いただけているかもしれません。

デザイナーやブランドの皆さんにとって、服は作品であり、我が子のように大切な存在です。私どもは、言わば勝手にそれを写真撮影したり、自由な解釈で展覧会の中に組み込ませていただいている、ということを決して忘れてはいけないと考えています。彼らが満足するようなクオリティの撮影や展示は、一流デザイナーのような美術的素養を持たない私たちにはできませんが、常に最善は尽くしています。

これも三宅さんはじめKCIに協力くださったデザイナーの皆さんのおかげだと思いますが、私たちは服を 「もの」として見てはいません。その後ろに必ず、それを作った人々の全ての仕事を想像して扱っています。そういう姿勢が、もしかすると伝わっているのかもしれませんね。」


日本で既製服が大量に流通し、一定の質のものを多くの人が手軽に購入できるようになったのは、ほんの数十年足らずの間のこと。それまで服はかなり高価だった。さらに1960年代までは、カスタムメイド、つまり個人の身体に合わせた仕立て服が当たり前の時代だったのだ。今やコンビニエンスストアで、おにぎりと一緒に衣服が買えてしまう現代。これからのファッションやモード、KCIの活動について、新居さんに率直に尋ねた。 


新居「今、ファッションやモードというものは、とても難しい局面にある、と私たちは考えています。もちろんファッションというのは、常にいつ何時でも存在していますが、1980年代から90年代頃を今と比較すると、当時はもっと多くの一般の人々がハイ・ファッションにアクセスしていた時代だった、と言えます。例えば地上波のテレビで、海外のファッションショーや、専門家や文化人の評論・討論を観る機会が普通にあり、ファッション誌はもちろん新聞の誌面でコレクションの情報にふれることもごく一般的でした。

しかし時代が徐々に変わり、カジュアル化の流れが非常に大きくなっています。一般の人々とランウェイの間の距離が、どんどん開いていっているような気がしてなりません。もちろんカジュアルなファッションも服も重要で必要ですが、クリエイションの進化は不要なのか、なくてもいいのかというと、そうは思いません。

なぜランウェイがあるのか?と私たちはよく聞かれます。普通なら着ることのできない、洗濯できないような服を、なぜ作るのか、と。では、F1は?と、私はいつも尋ねます。公道を走ることもできないし、プロのドライバーしか運転できないような車に、なぜあれほど多くの人々が熱狂するのでしょうか。

ランウェイも公道ではないし、着こなすのはおおむねプロのモデルです。でもそのブランドのブティックに行けば、ランウェイのエッセンスを、私たち一般人でも着られるようにアレンジした服を手にできます。F1が自動車技術の進化と発展、そして自動車とスピードを愛する人々の夢の舞台であるのと同様、ランウェイのクリエイションも止めてはいけない、と私たちは思います。

ファッションやランウェイの進化には、過去の素晴らしい服、歴史的な資料や知識が必要です。全くのゼロから物は生み出せません。三宅一生さんも、日本の着物の中から「フラット」「1枚の布」という概念を見出し、ご自分の作品に昇華していらっしゃいました。

例えば数年前、多くの方が東京で「クリスチャン・ディオール、 夢のクチュリエ」展【※11】をご覧になったと思いますが、アーカイブが大変充実していましたよね。西洋には汲めども尽きぬ泉のごとく膨大な服のアーカイブがありますが、私たちにはほとんどありません。

KCIがその部分を収集・研究し、展覧会として公開することで、少しでも日本のファッション界の力になれるのでは、と考えています。そして現代のデザイナーやブランドの皆さんが生きた記録を、全ては無理ですが、せめて数着でも残していけたら。そのためにこれからも活動し続けていきたいです。」 


展覧会の準備と広報業務で多忙を極める中、貴重な時間をさいてインタビューに応じてくださった新居さん。非常に興味深いエピソードの数々に話は尽きなかったが、最後に、新卒で入社したKCIでの仕事を現在まで長く続けてきた理由を伺った。 


新居「私は、家具でも絵画でも写真でも、綺麗なものは何でも好きです。その綺麗なものと自分が一体になれるところが、服の醍醐味であり面白さだと思っていて、それを伝えていける仕事だったことが、長続きした理由かもしれません。

それに、趣味の延長のような気持ちでKCIに入りましたし専門知識もなかったから、入社当時はいい意味で、KCIも私も互いに過剰に期待せず、肩の力を抜いていたことが功を奏したのかも。その後は夜中まで仕事が終わらないとか、辛いこともたくさんありましたが、それでもやっぱり楽しかったんですよね。

美術やアートの仕事に就いている方ってきっと皆さん同じような感覚かもしれません。遊んでいるようなものよね、と親戚から言われることがあって心外なんですが(笑)、外部から楽し気に見られたり、仕事と私生活の境界がしばしば曖昧になるのは、好きだから、なんですよね。そして、直接的に人命を救うものではないですが、ファッションやモード、服という存在は、やはり人間が生きていくうえで必要なもの、と信じています。」

新居理絵さん
「LOVE ファッション―私を着がえるとき」内覧会にて

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
関連情報

公益財団法人 京都服飾文化研究財団(KCI)

注釈

【※1】株式会社ワコール
(URL最終確認2024年12月26日)

【※2】「現代衣服の源流」
1975.3.25 - 5.25  京都国立近代美術館
(URL最終確認2024年12月26日)

【※3】小池 一子

1936 年、東京都生まれ。早稲田大学文学部卒業。クリエイティブ・ディレクター。
主な編著作に『素手時然』(原研哉共編、2015 年、良品計画)、『イッセイさんはどこから来たの? 三宅一生の人と仕事』(2017 年、HeHe)など。主な企画展覧会は「日本のライフスタイル 50 年——生活とファッションの出会いから展」(1998-9 年、宇都宮美術館ほか)、「少女都市」(2000 年、第 7回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展日本館)など。

【※4】金井 純
ニュージャージー州ジョージアン・コート・カレッジ英文科卒業。帰国後、オーストラリア放送協会東京支局、国際羊毛事務局に勤務。1969 年に再渡米。『ヴォーグ』『ハーパーズ・バザー』の編集者として勤務後、独立。設立時より三宅デザイン事務所 USA 代表。1979 年から 1999 年まで京都服飾文化研究財団海外担当。2000 年から 2012 年まで同財団評議員を務める。「華麗な革命展」の功績で深井晃子氏と共に、1989 年第 7 回毎日ファッション大賞特別賞受賞。

【※5】『DRESSTUDY(ドレスタディ)』 
1982年に創刊したKCIの旧研究誌。2014年のVol.66まで刊行された。KCIの研究公開活動の一環として国内外のさまざまな分野の専門家による寄稿、KCIスタッフによる研究論考を多数掲載した。2006年、通算50号のタイミングで、『時代を着る:ファッション研究誌『DRESSTUDY』アンソロジー』を出版している。
なお、現在の研究誌は『Fashion Talks…』(2015年~)。
(URL最終確認2024年12月26日)

【※6】深井晃子 
1979年より京都服飾文化研究財団(KCI)で学芸部門の仕事に関わる。1990年よりチーフ・キュレーターとして収集、保存、研究、公開などの学芸全般の活動を統括。1996年より理事に就任。2015年より名誉キュレーターに就任。主な展覧会に「華麗な革命」「モードのジャポニスム」「身体の夢」「COLORS ファッションと色彩」「ラグジュアリー」「Future Beauty」など。2018年には著書『きものとジャポニスム―西洋の眼が見た日本の美意識』(平凡社、2017年)にて第39回「ジャポニスム学会賞」を受賞。
(URL最終確認2024年12月26日)

【※7】「モードのジャポニズム」
1994.4.5 - 6.19 京都国立近代美術館
1996.4.18 - 8.4 パリ市立衣装美術館(パレ・ガリエラ)
1996.9.7 - 11.17 東京 TFTホール
1998.4.5 - 6.15 ロサンジェルス・カウンティ美術館
1998.11.20 - 1999.2.14 ニューヨーク ブルックリン美術館
2003.7.9 - 10.5 ニュージーランド テパパ国立博物館
2003.12.12 - 2004.3.7 ニュージーランド クライストチャーチ・ アート・ギャラリー 
(URL最終確認2024年12月26日)

【※8】「身体の夢 -ファッション or 見えないコルセット-」 
1999.4.6 - 6.6 京都国立近代美術館
1999.8.7 - 11.23 東京都現代美術館
2005.6.15 - 7.31 ソウル市立美術館 [身体の夢2005展]
(URL最終確認2024年12月26日)

【※9】『ファッション:18 世紀から現代まで 京都服飾文化研究財団コレクション』 
(URL最終確認2024年12月26日)

【※10】株式会社川島織物セルコン 
(URL最終確認2024年12月26日)

【※11】「クリスチャン・ディオール、 夢のクチュリエ」 
2022.12.21- 2023.5.28 東京都現代美術館
(URL最終確認2024年12月26日)

INTERVIEWEE|新居理絵(にい りえ)

1990年よりKCIに勤務。2000年よりアシスタント・キュレーター、2004年よりアソシエイト・キュレーター。2010年よりキュレーター。デジタル・アーカイブス、学芸広報、20世紀ファッションを担当。関西学院大学卒業。

INTERVIEWER|Naomi

ライター・インタビュアー・編集者・ミュージアムコラムニスト 静岡県伊豆の国市生まれ、東京都在住。
スターバックス、採用PR、広告、Webディレクターを経てフリーランスに。
「アート・デザイン」「ミュージアム・ギャラリー」「本」「職業」「大人の学び」を主なテーマに、企画・取材・編集・執筆し、音声でも発信するほか、企業のオウンドメディアや、オンラインコミュニティのコミュニティマネージャーなどとしても活動。好きなものや興味関心の守備範囲は、古代文明からエモテクのロボットまでボーダレス。 
Web : https://lit.link/NaomiNN0506