大阪を拠点に、アーティストの視点から旅や交流を捉え直すハブ TRA-TRAVEL(トラトラベル)

大阪を拠点に、アーティストの視点から旅や交流を捉え直すハブ TRA-TRAVEL(トラトラベル)

TRA-TRAVEL(トラトラベル)
2024.03.12
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大阪を拠点にしながらも場所を持たず、海外からアーティストを招聘し、レジデンスや展覧会、トークイベントなどを実施する「TRA-TRAVEL(トラトラベル)」というアートオーガナイゼーションがある。 

本メディアでも取り上げた京都芸術センター(京都)やC.A.P.(神戸)、山中suplex(滋賀)あるいはヴィラ九条山などが、アーティスト・イン・レジデンス(滞在制作)を積極的に実施している組織・施設として知られている。しかし大阪は公営、私営に関わらず、アーティスト・イン・レジデンスを実施している組織・施設は少ない。その中で、トラトラベルは、さまざまな施設と提携し、助成金などを活用して、アーティスト・イン・レジデンスを実施している、アーティストランのユニークな組織といえる。

なぜこのような活動を行うようになったのか、創設者であるアーティストのYukawa-Nakayasuの湯川洋康さんとQenji Yoshida(ヨシダ・ケンジ)さんに話を聞いた。

TRA-TRAVEL(左:湯川 中央:ヨシダ)ルチカ・ウェイソン・シンとのトークイベント後(2019年)

ファッションとアート、海外と日本の間で

トラトラベルの活動は、当然ながら創設者である二人の経歴とは無関係ではない。1981年生まれの湯川と1982年生まれのヨシダは、日本の美術大学を卒業しているわけではない。1990年代の冷戦崩壊後の海外の文化が大量に入ってくる時期に多感な時代を過ごした。なかでも関心があったのはファッションだという。 


ヨシダ「アートや音楽、ファッションが一体となっている感覚が僕らにはあるんですけど、当時ファッションの方がイケていた印象があるんです。特に海外のファッションデザイナー、ロンドンならアレキサンダー・マックイーンのようなファッションデザイナーがスターで、ファッションショーには総合芸術としていろんな要素が組み込まれていていました。そこにマルタン・マルジェラのようなコンセプチュアルなデザイナーが脱構築など哲学やアートなどを引用し始めた。ファッションデザイナーから現代アートを経験した認識でいます。」


湯川は、文化服装学院を卒業し、フランスに留学、その後、ファッションデザイナーとしてアパレル企業に勤めていた。 


湯川「僕は文化服装時代に直島に行ったのですが、その頃はまだ“家プロジェクト”が3つぐらいでした。観光客らしき人が誰もおらず、その時の印象は今でも鮮明に残っています。この経験から、現代アートが好きになり、アーティストの情報を収集したり調べたりするようになりました。」


直島は、1992年のベネッセハウスのオープンを皮切りに、1998年には「家プロジェクト」を開始。島中に美術館を建設してきた。2010年、瀬戸内国際芸術祭が開催されて、さらに広域に広がっていったが、その中核は依然として直島といってよい。瀬戸内海の小さな島の試みが、このように世界的にも注目され、アートに関心をもたなかった層にも認知度が広がったことは特筆すべきだろう。

湯川はファッションデザイナーの傍ら制作活動をするようになり、2012年、友人であった歴史学の研究者である中安恵一と、Yukawa-Nakayasuというユニットを組んで表現するようになった。

サエノタワについてのフィールドワーク(鳥取、2015年)

湯川「ファッションと歴史学を専門とする僕たちが、ユニットを組んで自由に表現を始めたのですが、できてきた作品はファッションや歴史学の分野にとどまらず、現代アートじゃないと評価できないと思ったんです。最初からその方向性を意識していたわけじゃなく、結局たどり着いた先が現代アートだったんです。」


仕事と現代アートの制作を兼ねていたが、2017年、海外での展覧会が決まり、それを機会にファッションデザイナーを辞めて、現代アートのアーティストに活動を絞るようになる。

いっぽうヨシダが物心ついたときに、最初に現代アートの体験をしたのは、1998年に大阪市中央公会堂で開催された「テクノテラピー」だったという。「テクノテラピー」【※1】は、朝日新聞創刊120周年記念として森村泰昌プロデュースによる展覧会で、大阪市中央公会堂全館を使って、赤崎みま、中ハシ克シゲ、 BuBu、松井智恵、やなぎみわ、ヤノベケンジなど錚々たるメンバーが参加していた。アートにクラブイベントのようなエンターテイメント性を加味したもので、芸術祭というよりも、「芸大祭」に近いともいえる。当時まだまだマイナーだった現代アートの祭典が、大阪市の中心にある公共施設で開催されることは画期的だった。


ヨシダ「高校1年生のときに新聞社からチケットをもらって同級生だった高山健太郎(アートプロデューサー/キュレーター)くんと一緒に行ったんです。ファッションが好きと言っても、裸に近い女の人や、謎のプリクラがあったり……初めての異界みたいな経験だったのを記憶しています。そこでアートはこんな面白いことしていいんだみたいな世界観を知ったんです。」


ヨシダは、高校を卒業後、アジアや欧州へ旅をする。実は、幼少期に家にアメリカ人がホームステイをしており、異文化との交流やコミュニケーションのズレが原体験にある。アジアを巡り、英語を勉強する予定だったのでイギリスに行った。


ヨシダ「美術館やサーチ(ギャラリー)とかに行くと、ちょうどYBAs全盛の時代でダミアン・ハーストやチャップマン兄弟なんかが全盛期で、ものすごく衝撃を受けました。」

留学中に訪問したサハラ砂漠(2006年)

その後、ロンドンのバイアム・ショー美術学校に入学する。日本ではアーティストの森万里子、近年ではジェームズ・ダイソンが卒業した大学としても知られるが、2003年にセントラル・セント・マーチンズ(ロンドン芸術大学の1つ)に吸収されたため、ヨシダも途中で編入することになるが学費が跳ね上がったため、後に別の大学へ移る。


 ヨシダ「当時はポストコロニアリズムが流行っていました。同じフラットに住んでいたアフリカ系の方がアーティストで、その方からも文化的な影響を受けました。また外国人の立場で、ヨーロッパで勉強すると、彼らが当たり前に知っている文化的な行動を知らなくて。西洋人として西洋に生まれて育ったら教会に行って、いろいろなアート作品も馴染みであるみたいな、僕らが神社で手を合わせるようなレベルのことを知らないから、そこで西洋人がやるアートと同じ土俵ではできないな、ということを明確に思いました。」


そこで文化の前提が違うところでどのように表現するか悩むことになる。しかし、その異文化間でのコミュニケーションの違和感自体が、ヨシダの探求する表現になる。 

Qenji Yoshida 《Una fábula  寓話 》(2016-2017)

大阪のアートシーンをつなぐハブとしての「旅行会社」

帰国した二人にとって、大阪は芸術大学が集積している京都と比較して、芸術大学が少なく、都心部にはないため在阪している現代アーティストが少ないという問題もあった。必然的に、活動しているもの同士は知り合いになり、湯川とヨシダも友人を介して出会うことになる。その後、それぞれ海外でのレジデンスの機会が増え、そこで共通の課題を話す機会も増えた。それが2018年頃のことである。


ヨシダ「僕たちは個別で国内外でいろんなところに行く機会があって、個人的なネットワークがすごく出来上がった状態だったんです。例えば、ヨーロッパで出会ったお偉いさんが大阪に来られるのでちょっと会おうという機会や、何か面白いお話をしてくれる人がいても、個人で閉じちゃったらもったいないなという話をしていたんです。自分たちが持っているネットワークや経験とかを、ある種の資源と捉えて、それを持ち合って、作家っていう名前ではないプラットフォームみたいな場所として何かできないか、みたいな。」


湯川「作家として海外にレジデンスしたときに、大阪のアートシーンについて話すんですけど、認知度が低かったんです。実際には、ブレーカープロジェクト【※2】やココルーム【※3】のような大阪の地域特有のプロジェクトを実施している団体はありました。ただ、国際的なアートプロジェクトを受け入れる受け皿が、大阪には基本的に少ないと感じていました。」


実は1980年代から90年代にかけては、 いわゆる「関西ニューウェーブ」の作家は、西天満にある貸画廊で積極的に発表しており、海外のキュレーターがリサーチに見に来たりしていた。また、ヴェネチア・ビエンナーレのアペルト部門を経由して、世界的に知られるようになるなど、アートシーンといえるものはあった。あるいは、ヤノベケンジや名和晃平を輩出した戎橋の北東袂にあったKPOキリンプラザ大阪も2008年には解体されていた。湯川やヨシダが海外で活動する時には、すでにそれらの認知度は失われていたといえよう。

そして、湯川とヨシダは、土地に潜在する可能性を見つけ人の動線を創造する「旅行会社」をメタファーに「TRA-TRAVEL(トラトラベル)」を2019年に結成する。結成後、在阪のアーティストであった山本聖子、台湾のリサーチャーである、Rosaline Lu(ロザリン・ルー)をメンバーに加えた。トラトラベルは、大阪を拠点に、国内外のクリエイターと協働し、国際的なアートネットワークを創造するアートオーガナイゼーションとして活動を始めていく。彼らはそれを「アートハブ」として規定している。


ヨシダ「ちょっとトークイベントを考えてやろうかとなっても、作家の名前だとやりにくいんです。トラトラベルという、もう少し透明なプラットフォームだったら、作家性を考えずにイベントを立ち上げやすくなりました。」


湯川「国際的なネットワークを、大阪を拠点に創造することを目的としているので、Osaka Art-hubと自らを呼称しています。主な活動として、国内外のクリエイターとともに、展覧会やレジデンス、トークなどを実施しています。また僕たちの特徴は、スペースを持たないところです。その特性をいかし、場所に縛られず、企画に特化し人の動線をうみだす旅行会社的な機能から、アートプロジェクトを実施したらどうかというのが最初のアイデアでした。」 


「TRA-TRAVEL」には、「TRA」をひっくり返すと、「ART」であるというアナグラムの他に、「Trance」や「Transit」など、国境を越えたり、乗り継いだり、さまざまな民族や人種と新たに出会うといったような「旅」自体の自己言及的な意味合いも込められている。

かつて大阪には、大阪府現代美術センターがあり、2014年に開館した大阪府立江之子島文化芸術創造センターに一部業務は継承されたが、外国人アーティストのレジデンスを受け入れる体制が整っているわけではない。また公的な施設だと、それらを組む体制はかなり大がかりなものになる。


湯川「公的な施設とプライベートなアート団体では、プログラムの実施に関して、異なるアプローチを取っていると思います。公的な施設は通常、明確な年間プログラムをもっています。もちろん、僕らにもありますが、できる限り柔軟に即興的に対応できるようにしています。そもそもプロジェクトが、1年前から持ちかけられるということは少ないんです。数か月前やそれこそ直前の2、3週間前に話がきたりします。僕たちは、特定の場所を設けず、大阪のいろいろなスペースと提携して柔軟に対応しています。例えば、アーティスト・イン・レジデンスを企画したことのないホテルとコラボレーションをしたり、シェアオフィスでトークイベントを開催したりなどしてきました。あらゆる施設とコラボレーションすることをとおして、アーティスト・イン・レジデンスに本来かかる施設維持費を削減し、面白くクオリティが高いアートプロジェクトを、即興的にできるように5年かけて体制を整えてきました。」


ヨシダ「トラトラベルを立ち上げる当時、大阪の色んなプレイヤーに話を聞いたんですけど、横のつながりがあまりなかったんです。そういうこともありシーンとして立ち上がってこないと思いました。僕たちは自身では場所を設けないで、大阪の色んな方の力とその場所をお借りして、一緒にやるってことを継続して、ある種の仲介者みたいに内も繋げたいと思っています。」 

企画の段階から開いていく運営

非常にユニークな試みだが、実際どのように運営されているのだろうか?


ヨシダ「大阪で行うトークやレジデンスは基本的に僕や湯川くんが大阪にいるので、自分たちで運営することが多いです。今は活動資金となる助成金も大阪のものを利用しています。」


それ以外にも大阪に住んでいて、現在も家があるというRosaline Lu(ロザリン・ルー)は台湾との連携プログラムは積極的に行っているという。もともと湯川やヨシダは、台湾でのレジデンスを行っており、台湾との活動の拡がりを考えて、ルーをメンバーに誘ったという。山本聖子は、コロナ禍のオンライン・こどもアートスクールなどに積極的に参加した。


湯川「僕たちはトラトラベルのメンバーという概念を、基本的になくそうと思って、僕とヨシダくんも代表という肩書きをやめました。最近は創業者としか書いてないです。これは小さいことなんですけど、メンバー間のヒエラルキーをなくしたいと思っているのと、企画ごとに異なる外部のメンバーを積極的に迎えいれて、つねに新たな風を取りいれていきたいと考えています。」


例えば、2022年に招聘したレジデンス・アーティスト、ベルリンで拠点にしているトルコ出身のギョクチェン・ディレク・アカイは勝冶真美(当時・京都市アーティスト・イン・レジデンス連携拠点事業コーディネーター)、2023年に招聘したフィリピン出身のカール・カストロは詩人の池田昇太郎がキュレーションを行った。

AIRΔ2 ギョクチェン・ディレク・アカイのオープンスタジオの様子(SSK、2022年)
AIRΔ7 カール・カストロ 展覧会「Dream After Dream」 (千鳥文化、2023年)

湯川「聞かれた際には、やっぱりメンバーと答えるんですけど、実際にはみんなが関わりたいときだけ関わってくれたらと思っています。逆に言うと外部からトラトラベルの名前を使って企画したいということもあるので、自由度が高いトラトラベルでありたいと考えています。だから、メンバーの概念は結構柔軟に考えていますね。」


会議は、外部のメンバーも入れながら、ブレスト的なものをやって決めていくという。しかし、助成金を得るには団体や明確な目的はいるだろう。


湯川「はい、助成金の申請のためにも、年間の大きなプログラムは事前に決めています。例えば、カールさんのレジデンス・プログラムの場合は、The Japan Foundation, Manilaと共催で、フィリピン国内で公募を行い、フィリピン人アーティストを1名大阪に招聘するコンペティションを実施しました。公募から展覧会、そして報告会までと、1年間を通して行われるこのプログラムは、数年継続させ、大阪とフィリピンの間に太いアートネットワークをつくることを目指しています。」 


ブレストで出たアイディアが数年後に実現することもあるという。しかし突然くるオファーもある。


湯川「突然のオファーには、助成金の範囲内と範囲外のものがあります。大きめなプロジェクトの一部に組み込むこともありますが、もしできなければ自己資金で対応することもあります。できるだけ断らないようにしてて、またトラトラベルよりプロジェクトを活かせる団体があれば、そちらを紹介することもあります。」


例えば、外国人アーティストが大阪に来て飲み会をしようという場合は、それをあえてパブリックに開いて、ちょっとしたスライドショーを用意して、飲みながらトークイベントを開催したりするという。あるいは、リサーチャーがインタビューをする場合も、トラトラベルが仲介することで、TRA-TRA-TALK(TTT)として公開することもある。それは「リサーチをひらく」ということをテーマにしているという。通常はリサーチ後の完成された作品や書籍などしか見ることはできないが、その過程自体を開いていこうという試みだ。

TRA-TRA-TALK vol.4では、大阪中之島美術館学芸員の中村史子を『リサーチャー(聞き手)』、アート・ジャーナリストである金井美樹さんを『レスポンダー(応対者)』として、「ヨーロッパから東南アジアへ アート・ジャーナリストの視点」がVisLab OSAKAで開催された。これは助成がつき参加費はドネーションである。

その他にも、大阪市住之江区の北加賀屋にある共同スタジオSSK (Super Studio Kitakagaya)【※4】や大阪府大阪市此花区にあるアーティストランスペースFIGYA(フィギャ)【※5】やFIGYAが運営するJUU arts&stay、西成区にあるイチノジュウニのヨン【※6】など、幾つかの施設を転々としながら、開催されている。


ヨシダ「貧乏症ということもありますが、トークの打ち合わせをしようといって事前に話をするじゃないですか? そこからもう1回トークをする......のじゃなく、もう打ち合わせ自体をイベントにしよう、と。僕は子育ての時期でなかなか時間がとれないこともあって、何か新たにするんではなく、すでに行っている行為自体を利用して即興的にコトを開いていきたいと思っています。」

ポストLCC、ポストコロナの時代に向けて

活動開始した、2019年には、Jow Jiun Gong(台湾人キュレーター)、松田壯統(日本人アーティスト)のアートツアーを行い、Wantanee Siripattananuntakul(タイ人アーティスト)、Su Yu Hsin(ドイツ在住の台湾人アーティスト/フィルムメイカー)、Dorothea Mladenova(ライプツィヒ大学東アジア研究所日本学科の講師)、Ruchika Wason Singh(インド人アーティスト/リサーチャー)などのトークを実施する。その時点で彼らが広範囲なネットワークを築いていることがわかる。

ART TRAVELER #2 SU Yu Hsinとのトーク (音ビル、2019年)

2020年には、京都芸術センターの共同プログラムに採択され、日本、フィリピン、タイ、台湾の4か国、7人の作家を招聘し、京都芸術センターの展覧会「ポストLCC時代の  」を開催する【※7】。

そこでは、LCC(Low Cost Carrier)といわれる格安航空会社による海外旅行が盛んになり、アーティストの交流も活発になった後、アートはどうなっていくのか、という問いが立てられ、移動の自由と平等が保障されたEUとは異なった形になるであろう、アジアの相互交流について、観光、移民、コミュニケーションなどをテーマとするアーティストの視点を通して「空白」にされている近未来の社会を想像することが企画された。これらの作家は、すべてお互いの国での滞在制作の経験があり、異文化に対する共通の体験があるという。

「ポストLCC時代の  」展(京都芸術センター、2020年)

しかし、2020年の年初から新型コロナウィルス感染症のパンデミックが始まり、世界への移動はほとんどできない時期が続く。まさに「ポストLCC時代の“コロナ”」が起きる。 


ヨシダ「展覧会が始まると、ほどなく本当にポストLCC時代へ突入しました。京都芸術センターの展覧会はLCC時代の先はどんなことがあるんだろうと思って企画したので、タイトルとしては合っているんですが、まさか観光ゼロ時代にいきなりなるとは思いませんでした。」


湯川「移動が加速する感覚をもっていましたね。フィジカルな移動だけでなく、デジタル上の移動も、ものすごいスピードでいろんなものが入り交じるという。現在、映画やアニメをみても、世界中でほぼ同時のタイミングで共有していると思います。同じカルチャーを世界中の人が一気に楽しめる時代になって、そう言った先に何があるんだろうと、興味をもっていました。またメタバース上でアバターをとおして、いろんな人が交流する時代がきていますよね。こういった移動の変化を予見していましたが、本当にコロナでバタッと、フィジカルな移動がなくなるっていうのはあまり想像していませんでした。」


ヨシダ「展覧会に呼んだ作家と、結構長い時間かけて喋って、どんな展覧会をしようか、と企画の段階から、話し合いながらやっていたんですよ。参加したフィリピン人のマーク(Mark Salvatus)さんが最終的に出したのが、お土産屋で売っている都市名が書いてあるTシャツを棒につけて振っている映像なんですが、それが“誰か助けてくれ”みたいにも見えるもので、展覧会が始まってから見事にハマったのを覚えています。」

Mark Salvatusの映像作品 2019年

彼らが仮想したポストLCCの時代は、想像とは違ったかもしれないが、逆にコロナ禍によってオンラインのネットワークが急速に普及したともいえる。再び移動が増えると同時に、ロシアのウクライナ侵攻によって燃料費が高騰したり、イスラエルとハマスの紛争が起こるなど世界はポストLCCを経て、ポストコロナの時代に向かっている。 

アーティストの自発性が生む交流と学び

最後にふたりにトラトラベルをやってきて、得たものや印象的だったものはどのようなものだったかを伺った。


湯川「僕は「ポストLCC時代の  」展が、コロナ禍中に巡回できたことが印象的でした。2020年に京都で開催された後、2021年にはタイ、2022年にはフィリピンで巡回展示が行われました。この巡回展ができたひとつの要因は、京都芸術センターの展示企画を、メンバー間で話し合いながら協力して作ったからだと思います。キュレーターが仕切るのでなく、僕らは同じような感覚、問題意識をもったアーティストをメンバーに選びました。その結果、展覧会が実現し、他の作家の母国でも展示を行う機会が自然に生まれました。展覧会をつくる際、メンバー構成や、企画デザインによって、その後の展開が大きくかわるんだなと実感しました。最初は4名のアーティストで展覧会をやろうと思っていましたが、結局7名になったように、自由度の高い展覧会作りができたことは印象的でした。」


ヨシダ「トラトラベルの活動はすべてが学びなんですけど、特に印象的なことは、レジデンスプログラムを始めた経緯です。コロナ禍に東京藝大に留学するため入国したタイのアーティストがいて、入国したものの大学は全てリモートで狭い部屋で閉じこもって生活していました。そんな時、北加賀屋にあるSSKもコロナで企画が止まっているということを知り、そのタイ人アーティストを大阪へ呼べないかと考えたことがきっかけなんです。そうした自発的な発想で生まれたレジデンスプログラムは短期・長期合わせて、すでに7組のアーティストを迎えて実現することが出来ています。自分たちはコーディネーターのプロじゃないですが、アーティストという立場で国外に滞在制作をし、展覧会をするという経験があります。アーティストをコーディネートするにあたって何が必要か、どんなコミュニケーションが必要か、実は一番わかっている当事者でもあります。レジデンス滞在するアーティストにとっても結果、働きやすい環境を提供できていると思います。」


まさに、アーティストランの活動だからこそ、アーティストの求めているものがわかり、オルタナティブな組織だからこそ、私的、公的な機関を柔軟に横断し、連携しながら国内外のネットワークを築いているといえる。フィジカル、デジタルの人々の交流は、新型コロナウイルスのような感染症や災害、紛争が起きても、将来的には増えていくだろう。その時、アーティストの旅が、違った角度でそれぞれの文化を見直し、相互の理解を促進することが重要な存在意義であることは間違いない。トラトラベルの今後の展開に期待したい。

関連情報
TRA-TRAVEL(トラトラベル) 
(URL最終確認 2024年3月11日7時00分)


注釈

【※1】「テクノテラピー」
 1998年10月30日から11月8日まで大阪市中央公会堂で開催された森村泰昌プロデュースによるアートイベント。Ufer! Art Documentaryによる記録映像が残っている。
(URL最終確認 2024年3月11日7時00分)

【※2】ブレーカープロジェクト
 2003年より大阪市の文化事業として開始された、芸術と社会をつないでいくことを目的とした創造活動の現場をまちの中に開拓していく地域密着型のプロジェクト。創造活動拠点として「新・福寿荘」「kioku手芸館 たんす」などをオープンしている。ディレクターは雨森信。
(URL最終確認 2024年3月11日7時00分)

【※3】ココルーム 
任意団体「こえとことばの資料室(ココルーム)」として、フェスティバルゲートで活動をスタート。特定非営利活動法人こえとことばとこころの部屋(ココルーム)を創設し、釜ヶ崎を拠点に、釜ヶ崎のまちを大学と見立てた釜ヶ崎大学やゲストハウス、カフェなどさまざまなプロジェクトを実施しているアートNPO。代表理事は上田假奈代(詩人)。
(URL最終確認 2024年3月11日7時00分)

【※4】SSK (Super Studio Kitakagaya)
 おおさか創造千島財団が運営する共同スタジオ。 
(URL最終確認 2024年3月11日7時00分)

【※5】FIGYA
(URL最終確認 2024年3月11日7時00分)

【※6】イチノジュウニのヨン
(URL最終確認 2024年3月11日7時00分)

【※7】TRA-TRAVEL「ポストLCC時代の  」
2020年京都芸術センターで開催された展覧会
(URL最終確認 2024年3月11日7時00分)

INTERVIEWEE|

Yukawa-Nakayasu(ユカワナカヤス)
アーティスト。1981年、大阪生まれ。「歴史や習俗や習慣に内在する人々の営み」を現代へと再解釈 / 再文脈化する事を通して、現在起きている言語化できない現象や問題を視覚化する芸術活動を国内外で行っている。2019年からアートハブ TRA-TRAVELを立ち上げ、2020年『ポストLCC時代の  』展 (京都芸術センター) などのプロジェクトをプロデュースする。


Qenji Yoshida(ヨシダ・ケンジ、よしだ毛んじ)

アーティスト。1982年、大阪生まれ。言語、翻訳、対話などをテーマに、間違いや誤解や誤訳を積極的に採用する作品制作を行なう。2020年文化庁新進芸術家海外研修生として台湾にて滞在制作。主な展覧会に「東京ビエンナーレ2023」(東京都、2023)、「来日」(動物園前商店街、大阪、2022)、「arts in Jetlag - Floating in the Buffering」(スタンフォードアートセンター、シンガポール、2021)、「mobile roots」(STOCKWERK、ワイマール、2021)、「In Teleland」(宝蔵巌国際芸術村、台北、2020)、「DELIKADO PELIGROSO」(MATADERO MADRID、マドリード、2017)など。TRA-TRAVELの共同設立者


INTERVIEWER|三木 学(みき まなぶ)
文筆家、編集者、色彩研究者、美術評論家、ソフトウェアプランナーほか。
アート&ブックレビューサイトeTOKI共同発行人。
独自のイメージ研究を基に、現代アート・建築・写真・色彩・音楽などのジャンル、書籍・空間・ソフトウェアなどメディアを横断した著述・編集を行なっている。
美術評論家連盟会員、日本色彩学会会員。