アートコレクターの流儀 作品収集の先にあるもの <前編>

アートコレクターの流儀 作品収集の先にあるもの <前編>

アートコレクター|島林秀行
2021.07.29
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人はなぜモノを集めるのか。誰しもが好きなものを集め、それを眺めることに喜びを見出した瞬間があるだろう。また集めたモノを再度手に取り、眺めることでいつかの記憶が呼び起こされる瞬間もあるのではないだろうか。コレクターとはある種、そんな瞬間に魅せられた人たちであり、モノとの記憶を多く保有する人たちであるといっても過言ではない。

近年、その数を増やすのはアートコレクターである。大企業の役員、社長がオークションでアート作品を競り落とし、SNSで公開するといった現象もよく目にする。また資産家でなくとも、アート作品を購入する人は増えているという。そんなアートコレクターたちのコレクションはどのように形成され、どう活用されていくのだろう。

今回はアートコレクターとして、アートとビジネスの2つの領域で独自のポジションを確立する島林秀行(しまばやし ひでゆき)氏に、アートコレクターの活動と、個人のアーカイブについて視点を当てて話を伺った。

曽根裕さんの作品と島林さん(ご自宅にて)

アートコレクターとはどういう存在なのか

――島林さんはいつから、コレクターと呼ばれはじめたのでしょうか

島林:作品を買いだした頃くらいから、そう呼ばれていたかと。僕の周りにいる知り合いで作品を買っている人なんて誰もいなかったので、最初はずっとひとりで見て、ひとりで買っていました。買い始めてすぐ、8mの作品を買っちゃったのは、経験として大きかった。金光男[1]ってアーティストの作品です。コレクションとしては3作品目だったんですが、彼の作品をコレクションにすると、サイズが大きすぎてもう僕の当時の住まいだと非常に暮らしづらくなったんですね(笑)。

10枚パネルに分割できる作品なんですけれど、それをじっくりと見て、保存するためにもとにかく広いところに引っ越そうと思いまして。引っ越しをして、広さが確保されたことによって、他の作品も買いはじめましたね。アートに合わせて、生活の変更を余儀なくされたというのは、自分でも面白く思いました。スペースを確保できたところから、コレクターとしての活動が始まったのかもしれません。

――そんなに大きな作品を買うのは勇気がいると思いますが、作品を買う前、見るだけでは満足できない何かがあったのでしょうか? 

島林:やっぱり欲しかったんでしょうね。「なんで買うんですか?」って、よく聞かれるんです。でもね、がっかりさせるかもしれませんが、欲しいっていう単純な欲望ですよ。よくコレクターは、アーティストの応援者や支援者だという方もいらっしゃるんですが、例えば僕が30万の作品を買ったところで、アーティストの生活を支えられるわけじゃありません。気持ちの面での応援や支援も大事だとは思いますが、高尚なことを考えるよりも、良い作品に出会って、それを欲しいから購入する。その流れが一番自然だと考えています。

――普段コレクターとして、何か決まった活動はお持ちなんですか?

島林:いえ、特にありません。作品を見たいから見にいくし、買いたいから買うといった自由な感じです。よく知るギャラリーに顔を出すといったことはありますけれど、作品の購入先はバラバラです。コレクターにもいろんなタイプがいて、ギャラリストとの関係から、ある程度決まった場所でしか買わないという方もいたりします。ただ僕は、ちゃんと気に入ったものをコレクションしたいので、あくまで作品への興味関心から、購入するようにしています。

――どんな作品をよく購入されているんですか?

島林:基本は現代アート、若いアーティストの作品が昔から多いですね。新しい才能、アーティストを見つけることは好きです。自分が購入した作品の作家が、数年後評価されていたりすると、やはり嬉しいですしね。作家と話ができるのも、購買過程の中で感じる魅力です。
新人作家も、作品を展示し始めたころに、自分の作品を評価して、買ってくれたコレクターを覚えてくれるでしょうし。そこで構築できる人間関係も作品収集の魅力です。

――確かにアーティストと生の会話ができるのは、コレクターの魅力の一つかもしれませんね。ちなみに島林さんは、誰かがアートコレクターになりたいと思って作品購入をはじめたとき、いつからコレクターと呼ばれると思いますか?

島林:特に決まりはないと思います。例えば資格は、制度によって認められていますよね。その人が何をできる人か。ただコレクターは制度があるわけではありません。本人が作品を10個持っているからコレクターだと名乗っていいわけです。その10個が億単位や千万単位など市場価値が大きかったり、スケール感が大きかったりするなら、尚更ですよね。

――では例えば「アートコレクターになりたい」って人がいたとしたら、その「なりたい」がそもそも間違っているかもしれませんね。

島林:そうですね。好きで買っているうちになっているものだとすれば。ただコレクターになって、コレクターだからできることもひょっとしてあるかもしれませんけどね。作品を自分で収集し、アーカイブしたものをどう活用していくのかについて、自由に考えられますから。ただまずは、そんな高尚なことではなく、欲望に従い、コレクションしていくことが自然だと僕は思っています(笑)。

アート✖️ビジネスの渦から見える、コレクション活用の可能性

――島林さんはキャリアとして、一般企業に勤めながら、アートと関わる仕事を続けてこられています。そのような立ち位置は、意図して形成されたんですか?

島林:僕がコレクションを始めたのは30歳頃なんですが、その時に、アートの業界で働こうかなとも思ったんです。ただそもそも求人もあまりないし、あっても応募要件を満たしていなかった。それで一般企業で働くことを引き続き選択したんですが、今ではビジネスとアートの境界線にいるような自分の存在を、ある種面白く思っています。どちらのしがらみも受けているようで受けていない。両方の立場を持つことで、自分の特異性みたいなものができていると考えています。僕自身はあまり戦略的にやっておらず、気付いたらそうなっていたという感じですけれど(笑)。

ただその立ち位置にいるからこそ、様々なことに自由に挑戦できています。例えば、その一つとして、URANOというギャラリー(現ANOMALY)があったんですけど、そこで2016年に核の展覧会をやりました。

――Unclear nuclearですよね?[2]

島林:そうです。元々キュレーションをやりたいなってずっと思っていて、たまたま僕の考えを仲が良いギャラリストの浦野さんに色々話すと、じゃあ一緒にやりましょうって。で、できたんですよ。アート業界だけにどっぷりいた場合、いろいろなことを意識しすぎたり、立場的に難しかったりして実現できなかったかもしれない。ギャラリストに理解があった上に、ギャラリーの信頼性をお借りできるなど、幸運な偶然が重なったこともありますが。

――これは初めてのキュレーションなんですか?すごい作家さんたちでしたよね。

島林:前哨戦はありましたけれど、非常に大がかりなものはこれが初めてですね。アート作品を買いながらも、なにかアートに関わる活動をしたいという想いがありました。

例えば、仲が良いアーティストの海外レジデンスの生活費を稼ぐために2日間で400万円分、売ったこともあります。僕は利益をもらわなかったんですけれどね。そういった活動をしたり、先のようなキュレーションをやったり……。アートにコミットしたいみたいな欲望に、忠実に動いていたと思います。

そうこうしているうちに、Unclear nuclearを見たグローバルコンサルティングファームの役員が、うちでもやってほしいと話をくださいまして。そのファームが新しく作った大きなオフィスで僕と佐々木真純さん[4]で展示をしていました。このファームでの展示が、初めてのアート×ビジネス的な感じですかね。2018年に始まったんです。

グローバルコンサルティングファームでの展示風景

そこから色々やりたいと思って、大手リテールの現代アートの取り組みの支援を始めたりとか。今はリコーのプロジェクトアドバイザリーを務めています。リコーのアート事業には事業面でも技術面でも非常に優秀な方がそろっており、一緒に新しい価値の創出に携われて楽しいですね。アーティストと対話しようとする姿勢や想いも素晴らしく、リコーと同じような技術があっても他社メーカーが追随するのはなかなか難しく、競争優位性は高いと思います。

――企業とアートを組み合わせるというのは、もっと必要だと思いますか?

島林:企業と現代アートはもっと結びついたほうがいいと考えます。近年盛り上がりを見せているとはいえ、日本では現代アートの価値の認知はまだまだ低い。例えば近隣の国で比較すると、韓国や中国と比べても弱いと思います。そうした中で、現代アートの価値を社会に浸透させるためには、さまざまな形の起爆剤があると思いますが、僕の立場でできることで言えば、企業と現代アートをよいかたちで結び付けていくことが、もっとも影響力を出せると思っています。

そもそも現代アートって、ファーストステップとして「よく分からない」と理解されにくい側面がある。しかしリコーとか、誰でも知っている認知度の高い企業が取り組んでいると、現代アートについて何も知らない人でも近づきやすくなりますよね。さらに大手百貨店が扱い始めたりすると、さらにマーケットも広がる。マーケット拡大の意味でも、本来的な現代アートの価値を浸透させるきっかけとなる社会的な意味でも、企業と現代アートはもっと繋がった方がいいと思います。

だから僕も、そこは意識的にかなり考えて動いています。企業と現代アートの結びつきの「見本」を作りたいと思っています。というのも、「アートやってます」と謳っている企業において、とても残念なケースが多々見受けられるからです。同じ金額でも、より少ない金額であっても、企業と現代アートにとってもっと良い取り組みができるので、双方の観点で本当にもったいないと思っています。企業×現代アートの見本を作り出し、それを多くの人に認知いただくことで、日本においてよりよいマーケットの形成や価値の浸透を促進するなど、社会的インパクトを生み出したいですね。

――その観点で日系企業も、アート意識に対して、考えが変化しつつあるという実感はありますか?

島林:関心が高まっていると感じています。もう少しミクロの視点で見ると、特にビジネス感度の高い人ほど、興味を持っていると思います。例えば、先ほどあげたグローバルコンサルティングファームでは、コレクターがたくさんいます。不思議なんですけれどね。

執行役員もコレクターですし、マネージャークラスやメンバー層も買っている。僕が過去在籍していたシンクタンクでも、興味を持っていた人は多かったです。ビジネスを本気で考えている人の多くが、アートに興味を持つ傾向があると感じています。

――その人たちは何を求めているんでしょうか。

島林:個人がコレクションを築く中で発見する自分らしさや自分の好みなどはもちろんありますが、組織としてアートに興味を持ち始めているという側面もあります。例えば、わかりやすく言うとブランディングですよね。現代アートいうカッティングエッジなものでイメージを刷新したり、社内活性化の起爆剤としたり。僕は少し慎重になった方がよいと思いますが、「アート思考」という言葉が後押しとなり、そういうものに取り組むきっかけとして作品を置いたり。そこには複合的な要因があります。

――企業が集めたコレクションの活用に対しては、どう思いますか?

島林:買い手の数はもっと増えた方がよいだろうし、見せ方もまだまだ弱いとは思います。スープストックの遠山さんが少し前に作られていた、コンテンポラリーフード&リカー「パビリオン」とかは面白かった。飲食×アートで新たな楽しみ方や価値を生み出されていた。広く一般の人も楽しめるように「見せ方」も工夫されていた印象です。

――なるほど。「見せ方」みたいなところも重要ということですね。個人のコレクション意識が、いい意味で集団にも派生し、社会に影響を与えていく。そのためにもPRはコレクション活用において重要な要素かもしれません。島林さんが立ち上げられた、スタートPR合同会社でもPRをやられていますが、アート業界がメインターゲットなんでしょうか?

島林:まず、スタートPR合同会社の事業ドメインは3つあるんです。PRと現代アート、そしてクリエイティブ。クリエイティブの方は冊子やWEBとかを作成しています。PRは僕の広報というビジネス上のスキルを生かし、アート業界だけじゃなくてそれ以外の事業会社にも、サービス提供をしています。現代アート関連ですと、京都の旅館(亀岡市のすみや亀峰菴[5])のリノベーションや、リコーのアート事業のプロジェクト、大手リテールなど、多くのクライアントの取り組みを支援してきました。PRに関連して事業計画を作るところから入ることもあります。

元々、起業の志向性は高くありませんでしたが、ビジネス×アートでご相談いただくことが多く、受け皿として法人を持ったほうが皆さんの要望に応えやすいかなと思い、会社を作りました。

――アートというカテゴリーの中だけに作品があっても、その活用方法を考えられる人がまだまだ少ないと。そう考えると、島林さんのように、ビジネスパーソンでありながらコレクターというアートの側面も持ち、アートについて深く理解している方が様々なアート×ビジネスの取り組みを行うことは、アート業界においても重要ですね。

銀座4丁目交差点にオープンしたリコーアートギャラリー

[1] 金光男

1987年大阪府生まれ。2012年京都市立芸術大学大学院修了。在学中から精力的に制作を続け、卒業後は「VOCA展2014」奨励賞を、16年には「京都市芸術新人賞」を受賞。撮影した画像をパラフィンを塗った画面に刷り、熱を加えて溶かすという独特の技法を持つ作家。

[2] Unclear Nuclear

島林秀行氏のキュレーションのもと開催された核をテーマにした展覧会 

[3] アクセンチュアイノベーションハブ

[4] 佐々木真純

アートアンドリーズン株式会社 代表取締役社長

[5]すみや亀峰菴のリノベーションプロジェクト


INTERVIEWEE|島林 秀行(しまばやし ひでゆき)
アートコレクター。
1981年富山県生まれ。2004年早稲田大学第一文学部フランス文学専修卒業。中小企業診断士。日本新聞協会、三菱UFJリサーチ&コンサルティングを経て、現在はパーソル総合研究所 広報室長。自身で立ち上げたスタートPR合同会社を通し、企業における現代アートの取り組みに関して様々なソリューションを提供する。


INTERVIEWER|桐 惇史(きり あつし)
ART360°プロジェクトマネージャー。+5編集長。
1988年京都府生まれ。京都外国語大学英米語学科卒業後、学習塾の運営に携わりながら、海外ボランティアプログラムを有する、NPO法人のプロジェクトマネージャーに従事。その後国内外でフリーランスのライターをしながら人材コンサルティングの仕事に携わり、現在は360°映像を通した展覧会のデジタルアーカイブ事業に関わる。