【隣人と語ろう #4】 文化行政から京都の未来を見つめること

【隣人と語ろう #4】文化行政から京都の未来を見つめること

京都市文化芸術企画課|原智治
2026.04.29
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美術家だけではなく、様々な顔を持ち活動する矢津吉隆が、いま気になるアートネイバーを訪ねて語る「隣人と語ろう」。今回はアーティストの隣人として寄り添い、京都の文化芸術を行政の立場から支えてきた京都市職員の原智治(はら・ともはる)さんへ、あまり知られていない文化行政の要となる計画の策定や改訂について、さらにその立場から京都の文化芸術の未来をどう見つめているのかについても話を伺った。

左から矢津さん、原さん。取材は京都市役所の中庭にて

 

 

原点は難解なテキストに立ち向かった読書体験と、制作をする側の感覚

 

実は同い年という矢津と原さん。同じ時期に学生時代を京都で過ごした。


矢津
「今回、僕が原さんとぜひお話をお伺いしたいと思った理由があります。行政の方は異動も多いですしどうしても距離を感じることが多い印象を持っています。個人がしっかり立って見えてくる方が少ない中で、原さんは常に同じ距離感で、アーティストの側に立ってまさに隣人としていらっしゃると思っていました。

そして行政の立場から、京都でアーティストが活動しやすい環境や、より世界に羽ばたいて行けるように、見えないところで何かサポートをしてくださっているのだろうなとはずっと思っていて、今回改めてその辺りをお伺いしたいと思っています。」


「ありがとうございます。正式名称は長いのですが、京都市の文化芸術企画課【※1】という部署で担当課長というポジションで働いています。」


京都市の文化芸術企画課は現在複数の課長が配置されそれぞれのラインで事業を並走させている。課を代表する役割としての「課長」の他に、5人の課長にはその肩書の前に「担当」がつき、様々な事業を走らせている。原さんは特に文化を基軸として福祉や教育、産業など色々なジャンルを繋げて展開していく領域横断型の仕事を担当している。


「今の私のポジションで言うと、担当業務の大きな柱としてふたつありまして、ひとつが計画を作ること。京都文化都市創生計画【※2】というのですが、計画を作って、その進捗を管理していくことが大きな柱のひとつです。もうひとつの柱がファンドレイジングです。京都の文化芸術の持続的な発展を目指すためのお金集めでArts Aid KYOTO【※3】というプロジェクトも担当しています。」


Arts Aid KYOTOとは、京都市が実施しているファンドレイジングのプロジェクトで、文化行政の支援として個人や企業を問わず寄付金を京都市が預かり、それを財源として申請者に対して補助金を出していくというもの。この仕組みは全国的に見てもあまり例がなく、2021年から始まり、本格化した2022年度は2億ほどの寄付金を集め、以降着実に金額を伸ばしている。


「Arts Aid KYOTOでは、金額の大小が本質なのではなく、そういう道を作ることができていることがポイントです。全国にいらっしゃる京都の文化を支援したい方を顕在化させ、そのお金を実際に京都の現場につなぐという道筋を作っていることが重要だと考えています。」

 

 

矢津「ここでまずは原さんの生い立ちをお伺いしてもいいですか? 一般企業に就職された後に京都市に入庁されているということで、自分の意思を持って文化に関わりたいと思われたんですよね? きっかけが何だったのかなと思っています。」


「私は京都市生まれで、父親が結構な本好きという家庭で育ちました。玄関を入るとすぐ右手に本棚が一竿あって、そこへ岩波文庫がたくさん並んでいるような家でした。毎日目にするので岩波文庫を手に取って読み始めるというような子どもでした。」


矢津
「自然と本から文化に触れていかれて、ということですね。ちなみにどんな本を読まれたのですか?」


「ここも多分、他の方とは少し違うかもしれませんが、哲学書でした。『ソクラテスの弁明』が本の厚みが薄いのでまずはそれを読んで、その後はギリシャ神話で⋯⋯と、書棚に並んでいる順番で岩波文庫を読んで行きました。」


矢津
「それは高校の頃? 中学生の頃ですか?」


「小学生のころです。読書について大きな体験だったなと思うのが、高校生の時にハイデガーの『存在と時間』を読んだことです。本当に意味が分からないことがとても悔しくて。そこでひと夏をかけて色々な解説書を読みながら、何とか読み切りました。その体験が読書体験、思想に触れる体験のホップ・ステップで言うステップの体験になりました。」


難解なテキストへ諦めずに立ち向かう体験を得た原さんは、その後進学した京都大学では哲学科や文学部ではなく、電気を学ぶ工学部へと進学する。


「文学や哲学は何もせずとも自分で触れていくだろうと思ったので、自身の興味の延長線上では考えないようなことを学ぼうと、電気を選びました。特に映画や映像が好きだったのと、メディアアートが少し盛り上がっているようにも見えていた時期でした。」


矢津「僕たちが大学へ進学した2000年代初頭はIAMASや、九州芸術工科大学が九州大学へ吸収されて注目されていた頃でした。大学ではサークル活動などもされましたか?」


「大学時代は写真部でした。当時は木村伊兵衛賞に若い3名の女性が同時受賞した頃【※4】で、写真が盛り上がっているように感じていました。写真部では制作をしていました。ストレート・フォトと言うのでしょうか。フィルムのカメラで撮影して暗室に籠もって現像して、定期的に展示をして。まさにここで制作をする側の感覚をつかむことができました。そして制作するという感覚を持っているということは、今でもアーティストに接する時の強みだと思っています。」

 

文化政策に繋がる2つの契機


その後、就職氷河期のなか通信機器メーカーへ無事に就職して、東京で勤務をすることになった原さん。当時、新卒採用で入社した会社の社員寮で、後にTokyo Art Beatを共同創設する藤高晃右さんと出会う。


「休日になると外国人が彼の部屋に集まって何やらパチパチとPC作業をしているな、と気がついて。そこで彼の部屋に遊びに行った時に何をしているの?と聞いてみたら、アートのウェブサイトを作っていて、広告を集めるためにギャラリーを回っていると教えてくれました。面白そうなので、その営業についていったんですね。

当時は森美術館ができたばかりの頃。東京時代には、新川の倉庫に拠点を持っていた小山登美夫ギャラリーやタカイシイギャラリーなどにも行って、ギャラリストと出会う機会に恵まれました。それまで写真への興味だけだったのが、現代美術をはじめアートってすごいな、と深く興味を持つきっかけになりました。」


矢津
「森美術館がオープンした頃は懐かしいですね。そのほかにも契機がありましたか?」


「もうひとつの契機としては、飲んだ後、深夜に丸の内あたりを歩いていたら、ビルの一角に煌々と明かりがついていて、明らかに仕事をしているなとわかりました。見ると表札に「文化庁」と書いてあった。夜中にめちゃくちゃ仕事しているな、とすごくパワーを感じたんですね。何百人という官僚たちが日々こんなにも遅くまで仕事をして、とても大きな予算を動かして、権限や権力、そういうパワーを持って仕事をしていることに圧倒されました。」


矢津
「当時、建設整備事業のために霞が関から仮移転して丸の内にあった文化庁を目撃したのですね。」


「そうです。けれど一方で僕の周りにいた作り手たちを見ると、こんなにも一生懸命に働いている行政の方について、頭が硬いし、全く現場のことを分かってないと、とにかく悪口を言っていた。その現場の作り手と、とてもパワーがあるはずの行政とが乖離しているなと感じました。 

そこで、自分は写真部で制作をしていたことや作り手の友人もいるので、作り手の気持ちがわかるのと、対して行政的な知識、考え方に馴染みもあり、ある程度事務もできる。もしかしたら両者の翻訳や通訳ができるのではないかな、と思ったんですね。」


矢津
「通訳をしたらそこがうまく繋がっていくのではと考えたわけですね。」


「直接的に文化政策へ興味を持ち出したのは、その時ですね。」

京都市に入庁し、文化政策に携わる


その後、勤めていた会社を退職した原さんは、公務員試験を受けるために浪人生活を送る。その頃に京都市が文化芸術に関する条例を作っていることを新聞で知った。


「2004年の12月に勤めていた会社を退職して、2005年1月に京都に戻ってきて、2年くらいは公務員試験の浪人をしていました。その頃に新聞で2006年4月に施行される予定の京都文化芸術都市創生条例【※5】を作っている、というニュースを知りました。京都市が文化に関する条例を作っているってすごいんじゃないか、と。

文化政策というのが具体的な顔を持って迫ってくるんですね。条例の一文一文に興味を持って触れてみたいと思いましたし、実際に一般公開されていた審議会にも参加していました。」


矢津
「タイミングですね。その後、無事に見事京都市へ入庁された。」


「はい、最初の2年間は保健福祉局で経理担当として予算の管理や計画を立てたり、審議会などを担当したりしていました。そして3年目に文化芸術の担当部署に配属になり業務はまさに計画担当。条例に基づく創生計画が策定されて2年くらいのタイミングで、3年後くらいには計画の中間改訂をしますよ、という時期でした。

また計画の中に載っていることを実現していく、つまり新規事業を企画して立ち上げていくのも担当業務で、当時特に焦点になっていたのが、若手芸術家の住む所と作る所、発表する所を整えて支援することでした。これが計画の中に載っていたんですね。」


矢津
「何だかHAPS【※6】のような。」


「そうです。今のHAPSです。最初の企画書を書いて予算要求をして、というのを担当しました。その時はまずは、調査して企画をしていく人、つまりディレクターを選ぶというところから始めました。プロポーザルの仕様書で大枠の叶えたいことを示して、そこに基づいて具体化していく人を選ぶという流れでした。

ちなみにその時に選んだのが遠藤水城さんです。2010年の3月ですね。そこから京都市の担当者と話し合って現実的に実行していく事業の精査や、どんな人が必要かなどが決められていきました。」


矢津
「そういう経緯があったのですね。知りませんでした。他にもその計画の中で記載されていて実際に実現したものはありましたか?」


「そうですね、他にもはっきりと計画に載っていたわけではないのですが、立ち上がっていったものとしては2010年度が最初の、KYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭ですね。

それまでの5年間、京都芸術センターで「演劇計画」【※7】という企画があり、その最終年に僕が芸術センターの担当になるという流れの中で、立ち上がりましたね。企画してくださったディレクターが橋本裕介さんです。」


矢津「今につながる色々なことがそのタイミングあたりで起こってきたわけですね。当時はアーティストとして僕も京都の町にいて、京都で色々なことが起こっているなという肌感があった頃でした。その裏側には原さんがいたわけだ。」


「たまたまなところもあると思いますね。条例ができて、計画ができて、その流れの中にたまたま僕が乗っかったという風にも思います。」

 

文書主義や歴史を深く知ること


「行政や官僚の仕事の進め方の一つに文書主義というものがあります。テキストで物事を進めていくやり方です。計画もそうですし、その文書の最たるものが法律だと思いますが、法律もテキストですし、そこへどういう文言を書くかがすごく大事ですね。

ちなみに、文化芸術やその振興について話をすると、僕の、私の、とそれぞれが考える文化の話を始めてしまって、キリがなくなってしまいます。主観で考えると文化の範囲が曖昧になります。けれど実は法律で、わりときっちりとその文化の対象が決まっているのをご存知ですか?」


2017年(平成29年)に施行された「文化芸術基本法」【※8】によると、第3章(第8条〜第35条)のうち特に第8〜第14条にかけて、振興や保存、活用などを目的とした文化振興の対象範囲が明確に列挙されている。具体的には文学や音楽、美術などの「芸術」を始め、映画や漫画、アニメーションなどの「メディア芸術」、雅楽や能楽、歌舞伎などの「伝統芸能」、落語や漫才、歌唱などの「芸能」、茶道、華道、書道、食文化などの「生活文化」、囲碁や将棋などの「国民娯楽」に加え、「文化財」、「地域における文化芸術」といった幅広い分野が対象とされている。


「これらの幅広い対象に向けて考えています。ただ、それで計画を作ったとしてもそこから本当に実現されるかどうかは保証がないわけです。予算が確保されるわけでもないですし、その計画に書いてあることを実現する『努力』をするというエンジンにはなるのですが、保証はない。」


矢津
「なるほど。計画に書かれたことが最初のスタートになるわけですね。実現するために何が必要か、どういうことをやっていこうかと、文書を読み込んで考えていくことが必要だということ。それはやっぱり子どもの頃に読んでいた本の読書体験が⋯⋯。」


「繋がってきましたね(笑)。」


矢津
「そう思います。テキストを読み込めるってすごい能力が必要だと思いますし。行政の文書も特殊なテキストだから。一般的な小説などとも違って、そこに込められた理念や想いというのも凝縮されていると思いますし。」


 

「仰るとおり、行政の文書はある意味では論理的に構築されているのですが、特に法律なんかだと、慣れていないと読みにくいですよね。読み下せない文言が多いというか。そこへの耐性があるというのは⋯⋯。」


矢津
「高校生の時にハイデガーの読書体験があったからですよね?」


「意味が分からなくても、とりあえず読む、という文章への耐性があるのかもしれないですね。」


矢津「さらに、原さんはその文書を作る側でもある。作るからにはある程度未来のことを見据えながらではないと作れないわけですよね。」


「未来もそうですが、過去もきちんと知らないと書けないです。計画は最初10年計画で作ります。5年経つと色々な状況の変化がありますよね。」


実際に京都の文化芸術の振興に関する計画を10年計画で策定し、5年が経過する中でこの計画内容でよいのかをチェックし必要であれば直すこと、これを改訂という。改訂内容をチェックし、新たに計画を作るとはどういう手順があるのだろうか。


「計画を5年で中間改訂するに当たって、まずは最初に過去の資料をとにかくよく調べました。高山義三(たかやま・ぎぞう)さんという過去の京都市長がすごく大きな成果を達成されていたことや、文化政策の学会で先生方の話されるロジックをちゃんと理解したことをベースにして、文化というものが「私の」「僕の」思う文化論ではなく、きちんと裏付けのあるものを計画の中に盛り込む、要は理屈をきちんとこねたんですね。これはたぶん僕でないとやらなかった。これは大きいですね。」

 

 

京都市では戦後1950年に京都国際文化観光都市建設法が制定されたことが契機となり、高山義三市長時代に京都会館の開設など、現在にもつながる多くの政策を実現し文化政策の基礎を築いた。また1983年から1994年にかけて平安建都1200年記念の政策がとられ、その際の膨大な統計調査によってあぶり出されたのが、東京の一極集中と京都の停滞感という強い危機感だった。それが転機となり京都市の文化政策における最初の個別計画として、1996年に京都市芸術文化振興計画が策定され、2000年には京都芸術センターが開設するなど、現在の政策の基点となっている。【※9】

原さんはこれまでの京都市の文化政策の経緯や歴史を踏まえた上で、現在に必要な文化政策とは何かを見つめている。


矢津
「なるほど。今までの伝統的な部分も含めて、新しい時代に対応していくということですね。次の計画が2027年から始まるとのことで、今まさに改訂に携わっていらっしゃいますか?」


「そうです。2027年の3月までに作って、4月から新しい計画になります。」

これから10年先の未来へ向けた目線、見ている課題


矢津
「その先10年後を見据えて、今の原さんに見えている未来や京都の文化がどうなっていったらいいかというものはありますか?」


「どうなっていくのでしょうね。計画ってやっぱり新しいものを入れなきゃいけないっていう風潮があるじゃないですか。でも本当に革新的で新しいものなんてほとんどない。実は文化政策ってすることはそんなに変わらないのではないかな、とも思っています。つまり文化政策の王道があると思っていまして。

例えば美術館をちゃんと作る。作ったからには必要な予算を継続的につけて、作品を収集し、地域の美術の歴史を記述していくために学芸員をきちんと配置し、運営していく。当たり前のことをちゃんとしていくことはすごく難しくて、そのための努力が必要なんですよね。」


矢津「京都市は美術館も、アートセンターも劇場もすごく良いものを持っていますよね。」


「それを維持して運営していくだけでも相当大きいことはできるし文化の振興になると思います。その王道をしっかりやっていくのはとても大事です。目先の新しいことに飛びついて普段のところがおざなりになってしまったら意味がなくて。海のイメージで考えた時に、表面は波風や嵐が起こって時に荒れたりしますけど、その海中や深いところにある海流は表面的な風や嵐では動かないですよね。その動かない8割の部分をきちんと押さえていかないといけないと思っています。市の財政全体は必ずしも盤石ではありませんし、お預かりしている税金を効率的に使わせていただくという目線も必要ですね。」


矢津
「特に我々+5(プラスファイブ)としては、どちらかというと現代的な美術、芸術、現代芸術を主に取り扱っているメディアなので、現代芸術分野で今後、京都という街が果たしていく役割や、京都市の施策としてこういったふうに進んでいくべきじゃないかと考えておられることをお聞きできればなと。」


「そうですね。京都市の大きな理念のところからお話をすると、ちょうど京都基本構想【※10】というのを2025年12月に作りました。これは京都全体の25年間をどういう理念で市政を運営していくかという構想です。非常に大きい話ですが、ここの基本構想の中には、当然今の松井市長の思いもすごく入っていて、その中のキーフレーズのひとつに「京都学藝衆」という言葉があるんですね。」


京都基本構想は、今後25年間の「まちの羅針盤」として策定され、主には3つの価値観と9つの将来像、そして次の千年をつくるための6つのキーワードで構成される。その6つのキーワードの中で「京都学藝衆」という言葉が提起された。これは芸術領域はもちろんのこと、幅広い分野の担い手や、まちの匠、語り部などをはじめ地域の人々が育んできた魅力や価値を共有し、若者をはじめ世代を超えて学び合う場を創出すること、それが文化や産業の次世代への継承とコミュニティの活性化になることを目指している【※11】。

 

「学藝がある街、学藝が大切にされている街っていうのを目指しましょう、というのが基本構想のキーフレーズの一つで、この学藝のコアの一つはやっぱり文化芸術だと思うんですね。この持っている力や性格を大事にするとすごく力を発揮するだろうなと思います。さらにその中でも美術は関わる方の母数も大きいので、とっても大事な分野だと思っています。

これから25年間、学藝というのが中心になってくる中で、次の計画の中で具体的に何をしていくかというのは、これから決めていくことでもありますが、こと現代アートについて、僕の個人的な意見を今とりあえず言ってみると、中間層の支援が足りないと思っていて。」


矢津
「中間層というと、卒業後10年を過ぎてちょうど僕くらいの世代あたりの中堅作家と呼ばれるような世代ですね。」


「若手はずっと支援をしてきているし、社会的に広く支援されています。対して活躍して名を遂げるほどの層になれば色々な受賞があったり、回顧展が開かれたり。けれどその間の層には一般論として現状では支援が薄いと見ています。」


矢津「僕の周りでも同世代の中間層の作り手は結婚したり、子育てがあったり、仕事も不安定だったりと色々なタイミングで制作を続けることが大変になってくるように感じています。そこへの支援はぜひ検討いただきたいと思います。」


「さらにもう少し具体的に考えていくと、例えば美術館で見た時に、中間層、つまりミドルキャリアの方の個展や、その世代の方々がミュージアムクラスの表現をどのぐらい作る機会が持てるか、与えられるかということを考えないとなとは思うんですね。」


矢津「そうですね。大きな展示を公の美術館でする意味ですね。」


「それは若手、それから中間層、今ミドルキャリアになってきた時の作品をちゃんと系統立てて押さえることが、その地域の美術の歴史を作ることになるはずなんですよ。 でも、多分その動きは京都市京セラ美術館ではまだ少し弱いところがあって。近代の京都画壇の頃に蓄積されてきているものとか、最近も少しずつ作品も買ったりはしているのですが、まだ80年代、90年代以降の京都の歴史を描けるぐらいの蓄積は整っていないように感じています。」


矢津
「京都画壇のあれだけのコレクションを目にする機会もだんだん増えてきて、体系づけられた画学校から京都市立芸術大学にいたる流れという京都の歴史もすごくよく分かります。同じようなことをその後の世代で現代でもちゃんとできているかどうか。」


「そう、80年代頃にニューウェーブと言われていた方たち、それから、ヤノベケンジさんややなぎみわさん、名和晃平さん、あるいはその次の世代の方たちのやってきていることを、そこまで歴史的に見せることができるかなというのが、課題として感じているところです。 またさらに、これからの10年を過ぎると、その頃を裏側で知っていた方たちがだんだんと現場を離れていってしまうと思うので、その点でも大事な時期かなとは思っています。 」


矢津
「そうですね。この+5の活動意義にも重なりますが、しっかりと残していくことはとても重要ですね。僕もオルタナティブなスペースを運営していたりもしましたが、同じような取り組みみたいなものもなかなか残っていかないこともある。 

でも改めて、新しく変わっていくこと、改訂して、これからの未来を計画していくことが、行政の仕事としても肝になっていることを今回改めて感じました。それをちゃんと言葉にして、そして文章として残していく。次の世代、その次の世代にもその文章があることで、課題や取り組むべきことに繋がっていきますからね。そうやって京都の文化芸術が発展して未来に繋がっていったらいいですね。」


原さんが現在手掛けている京都文化芸術都市創生計画は今後、審議会やパブリックコメントの募集を経て2027年に策定予定だ。この審議会を傍聴したりパブリックコメントを提出したりすることもできるので、京都の文化芸術の未来を考えるきっかけとしてぜひ関わってみて欲しい。

注釈

【※1】京都市 文化市民局文化芸術都市推進室文化芸術企画課

【※2】京都文化芸術都市創生計画

【※3】Arts Aid KYOTO

【※4】第26回(2000年度)の受賞者が、長島有里枝・蜷川実花・HIROMIXの3名で、新進気鋭の女性作家が注目を集めていた。

【※5】 京都文化芸術都市創生条例

【※6】東山 アーティスツ・プレイスメント・サービス(略称:HAPS)

【※7】演劇計画

2004年度からの6年間「演劇計画」と題した、演出家による意欲的な新作の発表企画が、京都市花芸術センターで開かれていた。2013年度からは、3年間をかけて1つの戯曲を創作する「演劇計画Ⅱ」を開催していた。

【※8】文化庁、 文化芸術基本法

【※9】京都市の文化政策の歴史や経緯は以下に詳しい。

KYOTO ART BOX 「京都市の文化政策」

【※10】京都市基本構想

文中で触れている内容については後述。

【※11】「京都学藝衆」については、以下を参照されたい。

京都基本構想の策定及び今後の展開(京都学藝衆構想)について

(URL最終確認2026年4月29日)

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京都基本構想より

3つの価値観

・歴史と文化の積み重ね

・自然との共生

・人とのつながり

9つの将来像

①本物(ほんまもん)を追求・創造し続ける

②世界の文化と交流し、新たな文化を創造し続ける

③「夢中」と「感動」に溢れ、学び続けられる

④平穏と静寂のもとで自己と世界に深く向き合える

⑤謙虚に自然と関わり続ける

⑥災害や感染症などの危機からしなやかに立ち直る

⑦多層的でゆるやかなつながりが続

⑧支え合いの中で日々の生活を営める

⑨ひとりひとりの個性や価値観を尊重し合える


6つのキーワード

・0.1市民

・京都学藝衆

・余白

・居場所と出番

・節度と矜持

・問い続ける

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INTERVIEWEE|原 智治(はら ともはる)

1980年京都市生まれ。京都大学工学部電気電子工学科卒業。

メーカー勤務を経て、2007年に京都市入庁。2009年から現在まで文化政策に携わり、「HAPS」「アジア回廊 現代美術展」「アンゼルム・キーファー:ソラリス」等を担当。

INTERVIEWER|矢津  吉隆(やづ よしたか)

1980年大阪生まれ。京都市立芸術大学美術科彫刻専攻卒業。京都芸術大学美術工芸学科アートプロデュースコース准教授。京都を拠点に美術家として活動。作家活動と並行してオルタナティブアートスペース「kumagusuku」のプロジェクトを開始し、瀬戸内国際芸術祭2013醤の郷+坂手港プロジェクトに参加。2017年からは美術家山田毅とアートの廃材を利活用するアートプロジェクト「副産物産店」を開始。主な展覧会に「青森EARTH 2016 根と路」青森県立美術館(2016)、「やんばるアートフェスティバル」沖縄(2019)、「かめおか霧の芸術祭」京都(2018~22)など。2022年からはビジネスパーソンを対象とした実践的アートワークショップ、「BASE ART CAMP」のプロジェクトディレクターを務める。

WRITER|島村 幸江(しまむら ゆきえ)

1981年大阪生まれ。京都の地元出版社で勤務後、2023年よりフリーランス。食にまつわる文化やアート、カルチャーを中心に編集や執筆を行う。

https://www.instagram.com/yukie_4ma/