「日本文化を総合的に伝える学びの空間体験」アーティスト・ミヤケマイ(「大人の寺子屋 余白」亭主)に聞く。 <後編>

「日本文化を総合的に伝える学びの空間体験」アーティスト・ミヤケマイ(「大人の寺子屋 余白」亭主)に聞く。<後編>

アーティスト|ミヤケマイ
2026.03.22
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前編に引き続き、アーティスト、ミヤケマイの活動について紹介する。後編では、今年最後の卒業生を輩出した、京都芸術大学の基礎美術コースの立ち上げ秘話や、近年のミヤケの活動で注目を集めている「大人の寺子屋 余白」についての背景、そして日本文化についての想いを語ってもらった。

東日本大震災と教育への関心、京都芸術大学美術工芸科基礎美術コースの立ち上げ


ミヤケは2010年に帰国するが、翌年の2011年に東日本大震災が起こる。


「あの時は誰もが思ったと思うのですが、私には何ができるのだろうと考えた時、作家という人種は社会に発言する声をもらっているので、それまで私はノンポリで内省的な作品をつくっていたけど、社会に対してそれを大切に使わないといけないのではないかと思い始めます。それで『膜迷路』(羽鳥書店[初版]、2012年)という3冊目の画集を出した頃に、「フォーカルポイント」や「オラクル」という手法で、立場、立ち位置によって物の見え方が違う、人がものを見たり、情報を処理する際に、かなり自分本位な自己擁護のフィルターがかかることに対するアンチテーゼの作品をつくりました。美術は何ができるのかと言ったら、人の心に作用することができる、人の心に作用するということは、社会を変えていくことにもなりうるということに対して初めて自覚的になったのがその時です。」

ミヤケマイ「膜迷路:Down the Rabbit Hole」(Bunkamura Gallery、2012年)


手前に格子状のフィルターがかけられており、近づくと像が散乱する。角度によって見え方が変わることで、それぞれの思い込みによって、物事を捉えるのに膜がかかっていることを象徴的に表している。
ミヤケマイ《見えないもの》(2011年)
ミヤケマイ個展「面影」(ワコールスタディホール京都、2017年) 写真:繁田 諭
ライトを当てないと文字が見えない。

さらに開かれた社会への関心は他にも向かう。


「その時、もう一つ、このままで日本人は大丈夫なのかという危機感を持ちます。なんでこんな国になったのか、考えてみたのですが、やはり教育が悪いからこんなふうになったんだろうなと思って、教育に関わる仕事だったら断らないから投げてみてくださいと当時、いろんな人に言いました。それで一番初めに来た仕事が、パリのボザール時代に可愛がってくださった慶應(義塾大学)の美学の近藤幸夫先生から「ミヤケさん特講で来ないか?」って言われ、日吉で教え、その後湘南キャンパスで博士課程の人たちに講義とか論文の副査をさせていただきました。ただ、それは単発なので1年とかで終わる仕事でした。」


その後、京都芸術大学で日本美術をテーマにした新しい学科が立ちあがろうとしていた。


 「そんな時に椿昇さんが訪ねてきてくださいました。椿さんは海外に行った時に日本のことを聞かれても何も答えられなくて恥ずかしかったと。これから現代美術の作家が海外に出たときに、同じ目にあってほしくないから、日本の文化の粋が集まっている京都でそういう学科をつくりたい。だけど、現代美術の作家を育てるには、現代美術のコンセプトがわかり、日本文化がわかる人じゃないと駄目だと思って、探したけども誰もいなかった。それで大学の教員のアーティストに椿さんが聞いたら、「ミヤケマイさんはどうですか?」と推薦されたそうです。それで「日本美術とは何ですか?」とか「今後の日本はどうなるべきですか?」とか4時間にわたる口頭試問の上、先生の推挙がありシラバスを手伝わせていただきました。」


椿が目指していたのは、明治以降にフェノロサや岡倉天心がつくったアカデミズムの体系ではなかった。むしろ彼らがアカデミズムの中から排除し、家元制度やお稽古事、家庭、あるいは共同体の中で伝承され、今日においては忘れられつつある日本文化の再構築だった。椿は何を重視したのだろうか?


「椿さんは京都で日本文化を教えることと美術にとって身体性が重要だと考えていらっしゃいました。また、昔の文化人が常識としてやっていた漢詩を授業に取り入れたいとおっしゃっていたのでそれらを内包しながら、どう何を学んだら日本の美意識や間合い、フレームワークがわかるようになるかということを考えさせていただきました。それでコースの全てを内包できるお茶をかなめにしたらどうですかと進言したんです。

ポイントでやっても、何のためにそれをやっているか見えにくいし、4年で感じ取るのは難しいので、卒業するまでにお茶事を組んで、一人で亭主ができるようになるのを目指してみたらどうかと考えました。大学の茶室が裏千家だったので、それで大樋家の六代目の弟の奈良宗久(なら・そうきゅう)先生が、裏千家の業躰(ぎょうてい)【※1】をされているので、お願いすることにしました。茶人をつくるためのコースでなく、ものを作るという観点でお茶を勉強するということをふまえると、大樋家は陶作が由来ですし、一番適任ではないかと思ったんです。」

「新・用の美」展(ワコールスタディホール京都、2021年) 
民藝を提唱した柳宗悦の「用の美」の美学を継承することを目的に、京都芸術大学でミヤケらがディレクションをした横断的なプロジェクト。基礎美術コースの作家も多数出品した。
ミヤケマイ《ドコデモ床の間・床の間》(2021年)
細い金属フレームを使用して、現代の住居でも仮設的な「草」の踏込床(床の面を一段高くしない)のしつらえができる。
ミヤケマイ《転がらないコロコロ》(2021年)
粘着式クリーナーのカバー。竹とポリ乳酸(生態系に戻る素材)を3Dプリンターで削り出し、白漆で加工することで馴染むようにしている。

バウハウスの中心が「建築」だとしたら、日本の総合芸術として「お茶」を中心に据えたのが慧眼であろう。そして、椿が学校内でコースの設立や骨子をつくり、ミヤケが講師の選択や、何を教えるかなど肉となる部分をコーディネイトしながら具体的なカリキュラムをつくっていった。


「漢詩が書けるようになっても、それを実際に書いて屏風や掛け軸にしなかったら美大での学びにならない。作品化するところまでやってもらいたかったので、掛け軸の授業や漢文の書(墨)も学んでもらいました。お茶をやるにしてもまず、お能などを先にして身体を使ったり、声を出したりするグループワークでまず仲良くなってもらって、それから、扇子の扱いかた、足の運びなど基本動作を学ぶようにしました。これからは下の工程の職人さんから廃業していくので、道具をつくる職人さんたちが消える時代です。だから、お金がないと道具や素材は手に入れられなくなる。そうしたら一部のお金持ちしか続けられなくなるので、山から土を持ってきて粘土をつくってもらい、耐火レンガで窯を作り、まず全部自力でつくれる、道具や成り立ちの構造を理解する、お金がなくても制作を継続できるようになることが重要だと思いましたので、茶碗づくりもそのような指導方法でしていただきました。

構造からちゃんと理解して、自分で茶碗や茶杓をつくって、初めて茶室に入れるというようなカリキュラムにすれば、お茶事で茶碗や茶杓を、ふりではなく、本当に見ることができるようになる、また、自分や学友が初めて茶碗にしろ茶杓にしろ使ってみたら、それらはどうあるべきなのか理解できるようになる。それを体感し、実践することを重視しました。本当の意味で“見れる”ことが美術家の仕事の大半を占めていると私は考えたからです。」


椿とミヤケは、茶道を通した実践的な日本美術の体系を、大学というアカデミズムの現場で初めて具体的なカリキュラムに落とし込んだといえるだろう。今まで流派を超えた大学教育はなかったので、画期的な試みだったといえるだろう。


「椿さんが言っていた身体性と私の言う精神性があって、椿さんと私は美術は精神性と身体性、さらに知性(教養)。この三つが結びついてアートになると思っていました。日本文化は、身体性と精神性がなくて、知性だけでは成り立っていないと。むしろ精神性と身体性に支えられたのが日本の教育であり知性だと思うんです。」

京都芸術大学美術工芸科基礎美術コース卒業制作展風景
京都芸術大学美術工芸科基礎美術コース卒業制作展風景

基礎美術コースにミヤケは特任教授として8年間携わり、コースは併合されて退任することになった。


「基礎美(基礎美術コース)の学生は当初学生の3分の1が職人などものづくりに携わる人、3分の1が制作で作家的な仕事をする人、残り3分の1が美術をサポートするような仕事に育ってくれればいいというイメージでした。綺麗に3分の1ずつとはいかないですが、ミヤケゼミの子は、大工や陶器や漆の職人さんになった子たち、ソニーやカリモクなど企業に入社し、空間や家具の制作に携わる子たち、遠山(正道)さんのThe Chain Museumや「DESIGNTIDE TOKYO」の青木(昭夫)さんや、南條(史生)さんのところで、キュレーションなどの業務をしている子もいるし、先生やりながら制作したり大学院にいきながら制作したり概ね思った通りに頑張っているようです。

日本の大学は出てあまり役に立たなかった、何を学んだか覚えてないという人が多いなか、基礎美に来てよかったっていう子が多いし、学んだことを活かしていきたいと言う子は多いです(同調圧力がかかってないとは言えないのですが......)。私は自分の文化を知らないってことは、すなわち自分を知らないことだと思うんです。自分の文化っていうのは自分の血であり肉であり、そこの上に立っている個人だから、それを知らないっていうのは自分を知らないに等しい。自分の親のことを知らないで、自分の国土や文化を、ひいては自分のことを知らないでどうやって人は生きていけるのだろうと思う。そういう意味で日本文化を知るというのは自分を知るということだと思っているんです。」

「大人の寺小屋 余白」 の立ち上げ


その後ミヤケは、基礎美術コースの思想を継承し、滋賀県の大津市の築120年の古民家を改修して「大人の寺小屋 余白」として私塾を開催することになる。それは基礎美術コースで教えていた学生のフォローということもあったのだろうか?

大人の寺小屋「余白」   教室風景
大人の寺小屋「余白」 お茶室も備えている。

「近所の方に古い家を託されたり、学科の統合が決まったりして学生に基礎美がなくなったら自分たちの居場所はどうなるんだと言われたり、先生たちの居場所のこととかいろいろ考えていたら、不思議といろんなタイミングが揃ってしまって。子供たちのこともありますけど、親御さんから自分の方が勉強したいという、お申し出も多かったのと、何より私自身がもう少し深く体系的に勉強したかったということがあります。学生を指導してて思ったんですが、大学の先生って4年しか関われないので、やっぱり親の影響って大きいんですよ。親に理解がないと結局子供たちも先に進めない。だから親の教育も重要な気がしました。親が幸せじゃない、無知であるってことは、子供を育てる環境としてすごく問題なんです。先生は関われる面積も時間も少ないので非力です。

現在は残念なことに日本では大人が疲弊しています。それを見ている子供たちは大人になりたがらない。大人は憧れの対象じゃない、なんか幸せじゃないし、大変そうだからなりたくないと子供たちはみんな思っている(苦笑)。だからまず大人の場所をつくってあげる。実際私もですがアウトプットばっかり求められたら、自分が痩せていくのは当たり前です。月に数日間ぐらい自分のためにインプットする時間を、私もつくってもいいだろうと思った。費やせる日数は経済状態や時間によって異なりますが、私自身、立ち止まって月に1日もしくは数日はインプットして自分を見つめる時間を持つことが、健全な魂と肉体のために必要なのではないかと思ったので余白を始めたんです。」

お茶の授業

ここでもお茶は中核になるが、さらに広範囲に勉強できるようになっている。


「お茶は大陸から日本に入ってきてるのでその源流としてまず中国茶の先生に来てもらってます。中国茶が仏教と共に寺門のお茶に入ってきたのでその後の寺門のお茶の先生、お寺から武士のお茶になるので武家茶の先生にもいらしていただいてますし、今お茶である千家のお茶や他の現存する流派の皆さん。そこから現代のお茶。お茶はお抹茶に限らず、それ以外にも南西文化としての煎茶の流れも私は重要視していて、お煎茶の先生、煎茶の中に南画系の文人茶もあり実は現代社会に合っていると思っています。余白ではそれらすべてを源流から現代まで俯瞰して見ることができる。それで初めて見えてくるものがあると思っています。一つの流派を極めるとか、お茶の先生になりたいとかに私が興味がないというのがあるのですが、それよりはお茶とは何なのか、なぜこれだけ長い間培われてきたのかとか、自分がどこに合ってるのかっていうのもわかるって方が多くの人にとっても興味が持てるのではないかと。

専門性というのは俯瞰があってこそ生きてくる。俯瞰のない専門性って、せっかくの技術や熱意や修練が行き詰まったり、おかしな方向に行くわけですよ。だから、俯瞰と客観性をどれぐらいバランスよく持てるかということが知性の秘訣ではないかと思っているんです。ここでは、俯瞰でものを見て、どう点が繋がって線や面になっていくのかということを体系的に、手を動かしながら、ご飯を食べながら体験しながら身につけることを大切にしたいと思っています。それは昔の日本の生活の中に全部組み込まれてたごく普通のことだったと思いますが、住環境やコミュニティ、家族の在り方が変容し、少なくなっていっています。季節季節で家のものを変えるとか、食事を変える、器を変える、着物を変えるとか、そういう普通に生活してたら、立ち上がってきてたものだと思うんです。」

漢詩の授業
滋賀の名産品である「大津絵」の授業。「余白」の隣に「大津絵の店」がある。
(上)瓢鮨淡水魚のお寿司「滋賀のと」 
(下)地元の酒蔵、松瀬酒造さん
本格的なキッチンを備えている。

俯瞰で見るために、お茶だけではなく、東洋思想・日本思想や伝統技法の講座、近隣の寺院や庭園の鑑賞、漢詩や大津絵、軸や家紋の授業、和菓子や筆、花入、へぎ皿、茶杓をつくりそれで食べる食事、日本の文化を使用した最新技術やビジネスまで含めて、幅広いカリキュラムを実施する講師が集まる。そこには異なる門派、流派の人も集っている。


「やはり流派を超えないと俯瞰で見れないんですよね。私はアカデミックにお茶とは何なのか、お茶が存続してきた本体がどこにあって、それが日本文化のどこら辺なのかっていうことを理解したい、自分が勉強したいから始めたというのはあります。いろんな先生たちに来てもらって教えてもらっているんですけど、私自身が忙しいから勉強に行けない。だからもう来てもらって、ここで授業を私だけ受けるのはあまりにももったいないので、皆さんもどうぞみたいな、そういう感じです。一人NPOだから(笑)。ここで利益を出すという感じではなく、むしろ持ち出しが激しい。この空間は、私が改修して、先生たちへお支払いができればいいとしてます。私ももちろん授業料を払っていますし。人が集まれば需要があるんだな、みんなも勉強したいんだな、じゃあ頑張って続けようかなっていう感じです(笑)。」


受講した人たちの反応はどうだろうか?


「いいような気がします。みなさんまた来たいって必ず言われますし、一度いらした方はお子さんやご家族、お友達連れて戻っていらっしゃいます。リピーターになられる方が多いです。余白に来ると目からウロコみたいな感じがするらしく、余白に来た次の日は世界が違って見えると良く言われますね。今まで見ていたつもりでいたものが実は見えていなくて、自分の目の前にあるのに見えてなかったものが見え始めて、すごく面白いとおっしゃいます。」

(上)盆栽の授業
(下)茶杓の授業

しかし、開講するときはいろんなことを言われたという。


「 「ミヤケさん、学校を始めたんだって。大丈夫? 学校経営?」とか「アーティスト辞めるの?」とか言われたりしましたが、私的には今までと同じで、見たいものをつくる、ないものをつくる、やりたいことをするという点では「今年の私の最大の作品は余白」だと思ってます。「これが私の最大の体験型のインスタレーションなのでは」と思ってます。ここに来ていただいて1日経験してみていただけると、私の見てる世界が見えてくる気がしてます。」


たしかに日常空間の様々な技法や思想を体験し、見方を変えるということにおいて、全体が一つのミヤケマイの作品といえるし、インスタレーションに鑑賞者の実践、学びも加えた総合芸術といえる。


「作家は、どれだけものを見てるかが勝負だと私は思っています。画素数がどれだけ高いか、人と違う視点で見ているか、どれだけ多くのものも俯瞰で見るかなど人によってその見る方法は違うのですが、作家になるかそうでないかの分かれ道がそこにあるように感じます。何をどれだけ見ているか。膨大な量と画素数の多いインプットを、自分というストローを通して、雑味を取って、人によっては雑味だけにして、人の心を打ったり、動かしたり変えたり、揺らしたりする、玉露の一滴みたいな純度の高い雫、魔法の薬みたいなものが表現なのではないかと思っています。

それは余白も一緒なわけです。すごい画素数の高い情報と体験を詰めて、そこで自分というストローを意識することになり、最終的にそれが時間が経つと何か社会に影響する、その人たちの周りにも影響する何かの形になっていくという構造が一緒のように思えます。私は自分が見ている世界が小さい頃から同級生や親が見ている世界とどうも違うなと感じていて、なんで大人は気がつかないんだろう? なんでこれが見えないんだろう? なんでみんなわからないんだろう? なんですぐ忘れてしまうのだろうと思うことがすごく多かった。それを言語化する術も持たず、したところで伝わらないから、仕方なく絵を描き始めて、絵でも伝わらないなら空間ごと構成してみてと、常に自分が見たもの感じたこと、考えたことを再現して、人にどうやったら伝わるのか実験し続けてる気がします。私は手先は器用ですがやり方はあまり器用なタイプじゃないから、そうやって一個ずつ潰していって、総動員しないとできないので。その同じ景色をいろんな人と共有してみたいとなぜか思うんです。」

(上)仏教の授業
(下)山伏の授業

東洋文化と西洋文化は、どのように翻訳することが可能だと思うのだろうか?

「私は昔から普遍的なものにしか興味がないんです。なぜなら普遍的なものは文化や時代を超えるからです。たしかに文化バイアスはあるのですが、似たものはある。同じものじゃないんだけど、その文化の中で同じ位置とかセンチメントに結びつくものはあるんです。例えば、何か嫌なこと言われて嬉しいと思う人はいない。ただ、何を言われるかで怒るかは文化によって違うという感じです。何を言われたら嫌かとか嬉しいかとかは文化によって違うのでそれは勉強しておいた方がいいと思うけど、嫌なことを言われて傷つくっていうことは普遍なので、そこに結びつけるということが重要なんじゃないかと思っています。」


いっぽうで失われていく日本文化についてはどのようにすればいいと思うのだろうか?


「失われていないと私は思っています。ただ眠ってると思ってはいるんです。動物園に行ってライオンやゾウがずっと寝てたらせっかくきたのにつまらないと思うじゃないですが、だから私は見たいから、揺さぶりたいのだと思います。たかだか急激な西洋化、例えば明治維新から150年、戦後から80年ぐらいなので……日本の歴史を考えたら一瞬です。」


このような日本文化、芸術の総合的な体系を教えるところは数少ないが、ミヤケの試みは大いに参考になるのではないか。最後に今後の抱負をお聞きした。


「平穏無事に粛々と好きな仕事を続けていければいいと思ってます。今仕事として興味があるのは医療の現場と老人ホーム(行きたいと思うところが少ないのと、総合的にいろいろとやるといい方向に行くのではないかという気がするからです)、あとは工場や農家などものを生産するところと同じ意味で教育です。個人的には体力を維持するために何をしたらいいのかが、今までメンテしないでも健康に恵まれてきたために何をしていいのかわからないので、これから考えていきたいと思ってます。」


筆者は、ミヤケマイの展覧会やディレクションについて評論したことがあり、また余白にも何度か講義に行って長く交流がある。しかし扱っているメディアが多く、日本文化だけではなく海外文化にも精通しており、論ずるのが難しい作家である。インタビューで、同時通訳が得意で、脳内の処理で文法の変換を行わず、イメージで言語を変換していたという逸話が語られていたが、作品においても、古今や東西の文化のスイッチを繰り返して普遍性にたどり着こうとしているように見える。

それがミヤケの影(内面や制作方法)を追いかけようとすると、見失ってしまうように感じていた理由だろう。ミヤケの作品をよく見ても、異なる言語や文化圏を知らないと見えない部分が必ず出てくる。しかしそこに何かが隠れているという気配だけは感じるし、それがミヤケの求める本質や普遍性なのではないかと思う。

しかし、今や多くの日本人の中で忘れられかけているお茶事を中心とした新たな体系は、ミヤケのように東西の文化、過去と現代の文化の両方を知っていないと、できなかったかもしれない。その意味では、同時通訳を表現においても繰り返しているといえるし、教育においても活かしているといえる。ミヤケのつくった空間とカリキュラムを一度体験すれば、その意味が少しでもわかるだろう。それは今の日本社会においても必要なことであることは間違いないし、大学教育を含めて広く展開できる機会が生まれることを期待したい。

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注釈

【※1】業躰 
茶道の家元(宗家)に仕え、家元の代わりとして全国の門弟を指導する講師の尊称。

INTERVIEWEE ミヤケマイ(みやけ まい)

美術家。「大人の寺小屋 余白」亭主。

日本の伝統的な美術や工芸の繊細さや奥深さに独自のエスプリやユーモアを加え、東西文化を超える物事の本質や表現の普遍性を、絵画、工芸、骨董、小説、メディアアートなどさまざまなメディアを横断したり、空間に統合したりして表現している。

京都芸術大学美術工芸科基礎美術コースの立ち上げ、カリキュラム編成を担う(京都芸術大学特任教授2017~2024年)。2024年から滋賀県大津の古民家を改修して、日本文化・東洋文化を総合的に学ぶことができる私塾を開講している。

主な展覧会では、金沢21世紀美術館 東アジア文化都市2018金沢「変容する家」(2018)、釜山市美術館「BOTANICA」(2018)、OPAM「アート&デザインの大茶会」(2018)、ICOM京都大会/二条城・世界遺産登録25周年記念「時を超える : 美の基準 Throughout Time: The Sense of Beauty」(2019)、埼玉国際芸術祭(2020) 、千葉市美術館「とある美術館の夏休み」(2022) 神奈川県民ホールギャラリー「ことばのかたち かたちのことば」(2021) ポーラ美術館「天は自らを助くるものを助ける」、メゾンエルメス「雨奇晴好」、水戸芸術館 現代美術ギャラリー「クリテリオム65」ほか多数。

2018年~2020年「SHISEIDO THE STOREウィンドウギャラリー」、2020年「クロスフロンティア京都芸術大学美術工芸学科選抜展」、2023年10月〜「京都高島屋T8 THIS IS NATURE」、2024年5月「HANKYU ART FAIR 2024」のキュレーションを担当するなど幅広い活動を展開する。羽鳥書店などから計6冊の作品集が出ている。 執筆集「まるごと一冊ミヤケマイ」と最新作品集「反射」を2023年に刊行。三山桂依の名前で『おやすみなさい。良い夢を。』(講談社)と『色カラーズ』プラブダー・ユンとの共著(芸術新聞社)から2冊短編小説が出ている。2008年パリ国立高等美術大学校大学院に留学。2025年武蔵野美術大学非常勤講師。2024年「大人の寺小屋余白」主宰。

INTERVIEWER|三木 学(みき まなぶ)

文筆家、編集者、色彩研究者、美術評論家、ソフトウェアプランナーほか。アート&ブックレビューサイトeTOKI共同発行人。独自のイメージ研究を基に、現代アート・建築・写真・色彩・音楽などのジャンル、書籍・空間・ソフトウェアなどメディアを横断した著述・編集を行なっている。美術評論家連盟会員、日本色彩学会会員。