後編では久保田さんの教育への関わり、ご家族のこと、そしてコミュニケーションデザインへの想いについてお話を伺っていく。
2016年、CSCDのプロジェクト終了に伴い、久保田は大阪音楽大学へ移籍し「ミュージックコミュニケーション専攻」【※1】の立ち上げに携わる。
「演奏家だけでなく、音楽と社会をつなぐ企画者、プロデューサーを育てようという専攻でした。演奏家ばかりを育てようとすると、どんどん志望者が減っていってしまう。そういう中で、違う打開策が欲しいという大学の状況があって、自分から手を挙げたような形でした。」
専攻としての特色を説明するのが難しい取り組みでもあった。
「この専攻は、携わる領域の範囲が広くて言語化がすごく難しいんです。それでも、入ってきた学生たちが音楽業界や社会的な動きに実践的に関わってきた経験を評価されて、音楽企業はもちろん、自治体や福祉施設などに就職していくのを見ると、意味のある専攻だったと思います。」
授業では大学のある豊中市南部の地域社会へ飛び込んでいき、コミュニティの場づくりを行った。
「企画が音楽から離れすぎて、大学内部からクレームが来ることもあったんですけど、音大があるのは豊中市南部で、一人親世帯、高齢者の率、空き家の率がすごく高い地域なんです。いわゆる南部問題。そこに音楽というツールを使って入っていくのが、楽しかったですね。」
それは今日で言えば、社会関与型の芸術、ソーシャリー・エンゲージド・アートに近い。
「音楽家で築港赤レンガ倉庫(大阪)でも活動していた小島剛さんに声をかけ、教員になってもらって一緒に動きました。例えば、子ども食堂という言葉がちょうど流行り始めていたんですけど、それとは逆に、子どもがつくったまずいご飯を大人が我慢して食べる場があったら面白いと思って、「こども(の)食堂」をやったり(笑)。小島さんが音楽家の内橋和久さんを呼んで楽器をつくってコンサートをやったり、空間現代さんを呼んで、子どもたちとバンドを組んで親に聴かせる場を学生たちと一緒に設けたり。水商売をしているお母さんたちが、自分の子どもの演奏を聴きに来てくれる、とか。地域でコミュニケーションの場をどうつくるか、コミュニティをどう考えるか、ということをずっと実践していた感覚です。」
そして約7年間、専任として在籍する。
「実働としては4、5年という感じでした。説明するのは難しいですが、面白い場にはなっていると思いますね。“どこにでも偏在できる”音楽の自由度にあらためて感心しました」

一方で2016年、プライベートにおいて大きな転換期を迎える。妻と子どもたちが、愛媛県今治市の大島(しまなみ海道)へ移住を決めたのである。
「妻や義親たちが大島へ住むことになったんです【※2】。大島と特別な縁があったわけではないんです。ただ、たまたまドライブしていて、気持ちのいい場所だったから住もう、ということになりました。義父はもともと都心の中心で働いていたこともあって、家族全員が資本主義的なシステムから距離を置きたいという思いを強く持っていたようです。で、面白いのは、それらについてほとんど僕に相談がなく、お前は大阪で出稼ぎしてこい、という流れで(笑)。」
島を選ぶ際には、陸路の有無が決め手になったという。
「島で暮らすとなると、大抵は船での移動になるんですけど、大島はしまなみ海道があって陸路もある。それが決め手だったと思います。小豆島なども候補にあったらしいんですが、やっぱり陸路がないと生活はいろいろ厳しいという判断だったようです。」
久保田自身も大阪音楽大学での日々に一区切りをつけ、2016年に先に家族が渡った島へ、7年遅れて2023年に合流する。
「僕も島に行くと言って大学を辞め、特に仕事のあてもなく、とりあえず行きました。これまで同様、「そろそろ次に」という感覚です」
大島は、しまなみ海道の中でも四国本土から一番近く、村上水軍でも有名な島である。2つ隣の大三島には今治市伊東豊雄ミュージアム【※3】もあり、本土にある今治市内には先端的な音楽やアートの実践者や企画者もいて、皆でトークイベントやライブを行ったりもしている。さらに、久保田移住前後から、妻の発案により「里親制度」【※4】への取り組みが始まっていた。
「妻が先に制度としての里親認定を受けて子どもを預かるようになり、その3年後に僕も認定を受けました。実子3人に加えて里子3人、さらに妻の両親や弟夫婦とその子ども2人、現在は僕の母も加わって、多世代が近距離で暮らす大家族での暮らしになりました。」
妻が里親になった経緯はどのようなものだったのだろうか。
「妻が、人の子どもを育てて初めて母親になれる気がする、とふと思ったらしいんです。それで里親申請をしました。里子に里親手当や一般生活費 (措置費)が支給されるんです。面白いですよね、子どもを育てるという点では全く同じはずなのに。」
里親としての経験は、久保田に「コミュニケーションデザイン」という言葉をあらためて考えさせることになった。文化や芸術に親しんできた自身の環境とは異なる社会的背景を持つ人々と接するなかで、次第にある問いを抱くようになったという。
「うまく出会えなくても、せめて何か影響し合える状況ってどうやったらつくれるか、というのが、特に里親になってからよく感じたり考えたりすることです。里子もそうですが、その子を児相(児童相談所)に預けざるをえなかった実親のことも気になります。“文化”や“アート”なんかが全くアクセスできない世界が、確実に横にある。里親になってそのことをとてもリアルに感じます。同時に、それに対するコミュニケーションデザインというもののあり方とは何だろうと思うんです。」
それは、大学やアートプロジェクトで取り組んできた場の設計とは一見異なるようでいて、久保田自身にとっては同じ問いの延長線上にあるものだった。
大島での生活を基盤としながら、久保田は自ら求人に応募し、対岸の広島県にある福山大学人間文化学部メディア・映像学科の准教授に着任する(2025年〜)。キャリアの中で初めて「映像表現そのもの」を教える立場となった。
「大島には残念ながら仕事がなかったんです。それで、たまたま家から一番近いところに大学があったので、自分から初めて求人にアプライしました。これまでずっと紹介や声かけで動いてきたので、自分から動いたのはこれが初めてでしたね。映像メディアの学科がすぐそばにあるなんて、そんなにピッタリなことがあるだろうか、と思いました。」
着任からまだ日が浅く、地域リサーチを重ねている段階だという。
「市民の8ミリフィルム映像などを発掘して対話する地域リサーチ型のプロジェクトを構想しています。広島県内という土地柄を踏まえて、戦争の記憶などにもつながってくるのかもしれません。いずれにしても8ミリフィルムの劣化を考えると、喫緊の課題だと考えています。幸い先駆者(remoの松本篤さん)が近くにいるので運営の指南も受けつつ。」
久保田は、2002年に設立されたremo(NPO法人記録と表現とメディアのための組織)【※5】の代表理事も務めている。設立当初から関わっていたわけではなく、大阪への帰任を機に本格的に参加するようになったという経緯がある。
「remoが2002年にできた時は、甲斐賢治さん(現・せんだいメディアテーク・アーティスティック・ディクレクター)や、雨森信さん(インディペンデント・キュレーター)が主導していたんです。発足時の状況に僕自身はそこまで詳しくなくて、本格的に関わるようになったのは大阪に帰ってきてからなので2005年以降です。それまでは、ライターとして文章を書いたりする形でつながっていました。」
remoが目指してきたものについて、久保田はこう説明する。
「YouTubeもスマホもなかった時代に、誰もがペンで文字を書くように映像で表現して伝える環境を目指してremoはできました。そこには、表現、技術、制度、コミュニケーションのことなど多様な視点が含まれています。現在は松本篤さんが主導する「AHA!」プロジェクト【※6】などを通じて、ホームムービーや写真などの市民の表現、記録を介して対話を生み出す活動が活発になっています。『AHA!』は東京都美術館の開館100年記念展にも出品しています。」


remoの活動は、映像ドキュメントの扱いだけにとどまらない。
「remoには、例えばイタリア自由ラジオ運動の実践者や思想家、アクティヴィストなどを日本に紹介するようなメンバー(櫻田和也さん)もいます。民主主義とメディアの関係というのは考え続けるべきポイントが深くありますよね。」
里親制度について、久保田はいくつかの興味深い側面を語る。
「里子というのは、養子とは違うんですよね。養子は自分の子どもになりますけど、里親は常に「預かっている」状態なんです。だから、むしろ自分の子どもよりも丁寧に、デリケートに接している部分、一定の距離を持った関係があるといえます。」
子ども同士の関係は、基本的に子どもたちに委ねているという。
「子どもの面倒は子どもが見るのが一番いいんじゃないかという妻の声があって。親が楽できるから、というのも理由ではあります(笑)。当然、喧嘩をしたりお互い言い合ったりもするんですが、それは子どもの関係の中で解決させるようにしています。よっぽどひどくなれば、もちろん介入しますが。親は解決するというよりも整理するような感じかもしれません。」
子どもが何かトラブルを起こした場合、責任は誰が負うことになるのだろうか。
「何か事件や事故があった場合、過失の有無や里子の年齢などの状況にもよりますが、基本的には里親や里子本人が責任を持つことになっています。自治体によっては、里親賠償保険などを取り扱っているケースもあり、そういった紹介や相談などが児相がサポートしてくれます。」
児童養護施設でそのまま生活せず、個別の家族に預けるのはどのような理由だろうか。
「本人の希望というより、これは国の指針としてあるんです。子どもに家庭というものをちゃんと味あわせて育てたい、家庭を通過して育っていくということが、国の子育ての指針としてある。僕ら里親は、実子里子問わず、子どもを絶対的に安全安心な状況に置くという使命を持っていますし、自分の子どもと同じ扱いをすれば、原理的には家庭環境における養育を維持できると思っています。」
里親としての経験は久保田に何をもたらしているのだろうか。
「突き詰めるとコミュニケーションデザインということなのかな、と思うんです。特に里親の仕事をしていて、アートとはちょっと違うところで強く感じるんですが、結局、自分の子どもをうまく育てられずに里子に出す親というのは、いろいろな事情で生活が破綻していたり、社会的な居場所がなかったりすることが多いんです。そういう状況が、どうしても世代を超えて再生産されてしまう現実を、目の当たりにしてきました。
さっきも話したように、僕らって文化資本の高い世界に暮らしているじゃないですか。でも、そういう世界とまったく相容れない、アートや文化といった言葉が全く通じない人たちが実際にたくさんいる。ネット、酒、ギャンブル、暴力など、ある意味とてもステレオタイプな理由で家庭を壊し、子育てを放棄せざるをえない人たちが普通にいるんです。地方にいけば行くほど“現代美術”なんて言葉は誰も知らないし。そういう中で、せめて少しでも一緒に視野を広げられる状況をどうやったら作れるのか。それが、里親になってから特によく考えることです。」
現在の肩書きについて尋ねると、久保田は言葉を選びながら答えた。
「大学職員という以上の肩書きは、あまり名乗っていないんです。状況に合わせて、映像のことを求められているなら映像ドキュメンタリー制作と書きますけど、コミュニケーションデザインというのは、自分で名乗るのはちょっと恥ずかしいんですよね。でも、領域的には、多分そこだと思っています。」
これまでのキャリアを俯瞰すると、久保田は自身のあり方をこう表現する。
「僕が自分から選び取って獲得したことってほとんどないんです(笑)。僕がやってることって流されながら生きていく時の、身のこなし方だけなんですよ。ダメダメですよね、他力本願というか。でも流されると自分の知らないことが勝手にやってくるでしょ?(笑)これってすごく楽しめるんですよね。」
現代アートで培われた経験は、地方での日々の暮らしの中にも生きているという。
「美術であったり音楽であったり、特に現代アートの領域にいると、全くあずかり知らない他者にどう向き合うか、ということの積み重ねだったりするじゃないですか。一見、文脈もよくわからないものにその都度応答する必要もあったりする。アートエリアB1も、未知のテーマに対する反射的な回答としての展覧会企画という面があったし。面白いのは、大島に暮らしていても案外そんな感じなんですよ。多かれ少なかれ、目の前の出来事に対して、自分のできることや試してみたいことを擦り合わせながら瞬発的に応答を重ねたり、家族や近隣、友人たちという小さいコミュニティの中で、何をどうフレーミングしようかと考えることが多い。そう思うと、地方での日々も、実はこれまでとあまり変わってないと思います。」
久保田にとって、アートはもはや作品制作だけを意味していない。全く「あずかり知らない他者」といかに同じ場所にいられるのか。大島での暮らしや里親としての日常もまた、大学やB1で取り組んできた「コミュニケーションデザイン」の延長線上にある。そして、その実践をいかに記録し、言葉にしていくのかは、日本社会にとっても大きなテーマなのではないだろうか。
【※2】 このあたりの状況は、アサダワタル著『ホカツと家族: 家族のカタチを探る旅』(平凡社、2019年)に詳しい。
【※3】今治市伊東豊雄ミュージアム
【※4】 里親制度
【※5】remo [NPO法人記録と表現とメディアのための組織]
【※6】AHA![ArchiveforHumanActivities/人類の営みのためのアーカイブ]
市井の人々が記した「私的な記録」をなぞり直すことで、ありふれた風景を異なる視点から捉えようとする活動 団体。remo[NPO法人 記録と表現とメディアのための組織]を母体に、2005年に大阪にて始動。プロジェクトの中に、家庭に眠る8ミリフィルムを発掘し、上映して語り合うことで記憶を埋めていく「穴アーカイブ(an-archive)」などがある。
【※7】東京都美術館開館100周年記念「この場所の風景―上野・大牟田・ブエノスアイレス」
【※8】「世田谷クロニクル1936-83」
30名の市民の方から提供された84巻の映像と、視聴者から寄せられた声をオンラインアーカイブとして視聴できる。
(全URL最終確認2026年9月26日)
福山大学人間文化学部メディア・映像学科准教授、NPO法人remo(記録と表現とメディアのための組織)代表理事。神戸芸術工科大学卒業後、株式会社生活環境文化研究所・文化農場、早稲田大学非常勤講師、大阪大学コミュニケーションデザイン・センター(CSCD)特任教員、大阪音楽大学ミュージックコミュニケーション専攻を経て、2025年より現職。大阪大学在籍時には、京阪電鉄・なにわ橋駅の遊休スペースを活用した「アートエリアB1」の立ち上げに携わり、「鉄道芸術祭」「サーチプロジェクト」などのプログラムを企画した。2023年より愛媛県今治市・大島に生活拠点を移し、里親として複数の子どもを育てながら活動を続けている。
文筆家、編集者、色彩研究者、美術評論家、ソフトウェアプランナーほか。アート&ブックレビューサイトeTOKI共同発行人。独自のイメージ研究を基に、現代アート・建築・写真・色彩・音楽などのジャンル、書籍・空間・ソフトウェアなどメディアを横断した著述・編集を行なっている。美術評論家連盟会員、日本色彩学会会員。