京都市街から保津川を渡ってひとつ山を越えると、霧深い盆地の街・亀岡がある。太古は湖だったとも伝えられる亀岡盆地では、今も晩秋になると「丹波霧」が盆地全体を白く覆い、昼過ぎまで晴れないこともある。京都の目と鼻の先でありながら、この霧が遮断するように、独自の時間が流れてきた土地だ。盆地特有の昼夜の激しい温度差によって生み出され、幻想的な風景を作り出す京都北部のこの霧は、「丹波霧」と言われ、地域の自然と共にあった。この霧をテーマに、2018年に始まったのが、「かめおか霧の芸術祭」である。同芸術祭が始まってから早8年。亀岡という地域に住まう芸術家、そして芸術資源が可視化され、今では秋の風物詩となり、多くの人が同地を訪れるようになっている。「かめおか霧の芸術祭」が同地に果たした役割が大きいのは想像に難くないが、10年という節目が迫る今、この芸術祭とそれを取り巻く人々の関係性はどうなっていくのか。本シリーズでは霧の芸術祭に関わる人々にインタビューを行いながら、多視点で亀岡のこれからの文化芸術を探っていく。
第一弾として、まずは同芸術祭の中心的なプログラムを担っている「城跡芸術展」の観点で考える。インタビューにはかめおか霧の芸術祭共同プロデューサーの野田智子さん、城跡芸術展ディレクターのアーティストユニット副産物産店の山田毅さんと矢津吉隆さんに話を伺った。(本文中敬称略)

亀岡という土地は、古代から外との結びつきが深い土地であった。遡ると旧石器時代から人が暮らし、奈良時代には丹波国(たんばのくに)【※1】の中心地として国分寺・国分尼寺が置かれた。市内には「元出雲」の別称を持つ出雲大神宮が鎮座し、江戸時代末まで「出雲の神といえば亀岡」と称された時代が続いた【※2】。亀岡の繁栄に寄与したのは、豊かな自然、そして水である。水源でもある保津川はすでに長岡京・平安京の建都の時代から、丹波の木材を都へ運ぶ水路として機能してきた【※3】。慶長11年(1606年)には嵯峨の豪商・角倉了以が保津峡を開削し、木材に加えて丹波の米や農産物も舟で嵯峨まで運べるようになり、都を支える土地となっていく。
そんな亀岡では、著名な文化人を数多く排出している。例えば江戸時代には、思想家の石田梅岩(1685年、現・亀岡市東別院町生まれ)と、写生画で京都画壇を刷新した絵師・円山応挙(1733年、現・亀岡市曽我部町穴太生まれ)という二人が、ともにこの盆地の農家から10代で京へ出て、それぞれの道を切り拓いている【※4】。
また円山応挙と同じ穴太村の農家に生まれた出口王仁三郎(1871年)は、今回城跡という土地を考えるにあたって重要な人物である。宗教家でありながら短歌・陶芸・書画に通じ、「宗教芸術一元論」【※5】を提唱した人物で、生涯にわたって旺盛な創作活動を続け、その陶芸作品(耀盌)は北大路魯山人ら当時の芸術家からも高く評価された。「大本」(おおもと:1892年に京都府で始まった、神道系の新宗教)の指導者でもあった出口は、1919年(大正8年)に荒廃していた丹波亀山城(京都府亀岡市)の跡地を購入。そこに大本の拠点を築いたことが、後に城跡芸術展の舞台が生まれる直接の契機となった。
城跡、引いては霧芸を考えるにあたり、20世紀後半の1980年に、京都市立芸術大学が洛西の西京区大枝沓掛へ移転したことも大きい。亀岡市との境にほど近いその立地から、卒業後も京都に残ったアーティストたちが、山をひとつ越えた先の亀岡盆地に目を向けるようになった。地価は京都市内の数分の一で、広いアトリエや古民家が確保しやすく、農地や自然環境もある。そして山をひとつ越えれば、京都の文化・教育インフラにすぐ手が届く。91年に開学した京都芸術大学(旧・京都造形芸術大学)との連携も加わり、現代美術家から陶芸家、日本画家まで、多様な作家たちがいつのまにかこの盆地に集まっていた。
矢津:僕の亀岡の最初のイメージは、芸術というより、日本の原風景が広がっている場所という感じでしたね。京都市立芸術大学の先輩たちが、制作環境を手に入れるために亀岡に移住したり、スタジオを作ったりしているのは知っていたので、ホームタウン的な形で機能してたことはイメージとしてあります。でもアーティストたちが連携して何かをやっているようなイメージは全くなくて。基本的には京都市内で何かが起こっていて、アトリエを構える場所としての亀岡みたいな、そんな感じでした。 それが霧芸というものができてから、少しずつネットワーク的なものが見えてきたような気がします
アーティストにとって長らく「居場所」ではあっても「舞台」ではなかった。その状況は、霧芸の立ち上がりと共に少しずつ変化していく。
そんな亀岡で2018年、桂川孝裕市長の発案のもと、アーティストの松井利夫が総合プロデューサーとなりかめおか霧の芸術祭が発足。松井は「作品だけが芸術ではありません、生命や魂をより一層輝かす「技術」のことをそう呼びましょう」【※6】として、霧芸ではアーティスト、作品の概念を広く捉えた。同年8月には、亀岡市千歳町の古民家を京都芸術大学の学生とともに改修し、拠点施設「KIRI CAFE(キリカフェ)」をオープンする。早くから、「展示」中心の芸術祭ではなく、関係性に重きをおいたプログラム制作を進め、教育事業「KIRI²芸術大学」【※7】、トークシリーズ「KIRI WISDOM」、食とアート体験のイベント「KIRIマルシェ」など複数プログラムを通年展開した。いわゆる国際芸術祭の様相とは少し異なり、完全地域特化の芸術祭としてスタートした。
霧芸は、アーティストの松井がプロデュースしていることもあり、アーティストが中心となっている芸術祭である。城跡芸術展を考えるにあたり、霧芸とアーティストたちがどのように繋がってきたかも整理しておきたい。その関係性を考えるにあたり、転機となったのは、2020年〜21年にかけて開催されていた「めぐるかめおか」【※8】、そして「線を引き続けるためのアーカイブ」【※9】である。まず「めぐるかめおか」は2020年度に開催されていたイベントで、城下町地区・亀岡市文化資料館・亀岡市役所などを市内分散型で18日間展開。城跡はこの時期、プログラムの一会場として使われており、大本本部(みろく会館・春陽閣など)では「亀岡ゆかりの芸術家展」【※10】が行われていた。そして「線を引き続ける」という2020,21年と2年続いたプログラムは、作家のアーカイブを蓄積しながら未来へとつないでいく事業として構想されたもので、中心的に関わっていたのが、副産物産店の二人と、アーティストの辰巳雄基である【※11】。2020年は「霧の芸術館〜線を引き続けるためのプラクティス〜」として、亀岡に関わる同時代の若手作家を招聘し、亀岡市文化資料館の所蔵資料と作品を掛け合わせる展示を実施。翌年は、「霧の芸術館2021」の一プログラムとして「線を引き続けるためのアーカイブ展」を亀岡市文化資料館で開催。円山応挙からヤノベケンジまで亀岡ゆかりの芸術家の道具・写真・アトリエ資料をリサーチしてアーカイブ、それらを展示した。辰巳や副産物産店の他、川勝真一(RAD)、やまねかおりらも調査者として共に、まだ見ぬ作家を探して亀岡中のアトリエを巡っていた。




山田:最初の頃は、ご紹介などで、いろんなアーティストのところにご挨拶に行きました。あんた何者じゃとか言われながら、まずはなんか喋ってみるみたいな。時には今のシーンや、行政に対する不満とかそういうのも含めてとにかく話を伺って。でも「アーティストを掘り起こしたい」という意図はわかってもらえても、何してくれるん?っていう話じゃないですか。今さら美術館もないこの土地で何ができるのか。資料館に入れられても墓場じゃないかみたいな話もとかもあって。そんな話を聴きながら、「まぁ試しに一緒にやってみましょうよ」みたいな感じで一軒一軒まわりました。僕たちが作家だからまだ良かったと思うんです。作品の話をして、盛り上がって、なんとなくで繋がって、顔見知りになっていく。
「線を引き続ける」チームが行ったのは、古くから亀岡の土壌が育んだ芸術家から、現在この地で活動する作家たちまでを、ひとつの流れとしてアーカイブし、展示という形で地域に提示することだった。亀岡では、それ以前からアーティストを繋ごうとする動きもあったようだが、副産物産店の企画はそこに明確な輪郭を与え、芸術家同士の交流の場を多方面に生み出した。亀岡に多様な作家がいるということを可視化できたことは、霧芸の中でも大きな功績のひとつだったと言えよう。
2021年度の「霧の芸術館2021」では、副産物産店が亀岡市文化資料館・大本本部・開かれたアトリエ・みずのき美術館の4館連動展示の全企画を担当した。しかし翌2022年、展示の舞台は城跡に絞られる形となり、「城跡芸術展」として独立。副産物産店はその担当を離れ、2025年に山田がディレクターとして戻るまでの間、亀岡での活動はなかった。
前述までの過程を経て、2022年、「城跡芸術展」は正式に立ち上がる。初年度から2023年度にかけては複数名のディレクター体制で運営され、2025年度からは副産物産店がディレクターを務め、地域ゆかりの作家との連携を重視する方針のもと運営されている。
野田が最初に霧芸に関わったのは、2023年度、運営体制の振り返りを考えるイベントにオブザーバーとして参加したことが最初だ。実際に参加してみたところ、次年度(2024年)を活発に考える会だったことから、野田も入りこんで議論に参加。机上ではあるものの状況を整理し、アートマネジメントの視点で幾つかの改善提案を行う。それによって霧芸との縁ができ、チームに加わることとなるのだが、霧芸には、野田が入るまでアートマネージャーを専門とする人がいなかった。アートマネージャーだけでなく、キュレーターやコーディネーターなど、通常大型の展覧会には必須の専門性を持った人材も霧芸には少ない。これはアーティスト主導で立ち上がり、その自主性を重んじながら進められてきたことや、プログラムの中心が展覧会ではないことなども要因としてある。
もちろんアーティストたちのたゆまぬ努力と創造性によって数多くの企画が立ち上がり、それらが霧芸を他の地方芸術祭とは異なる有機的かつ多様な芸術祭にしたことは疑いないが、細かいイベントが増えすぎていて、年を重ねるごとに目的性がやや見えづらくなってきていたのは事実である。また実際にイベントが増えると役割が分散され、横断したコミュニケーションが取りづらくなっていく。総合プロデューサーの松井や、副産物産店や辰巳など、プログラムの中核に関わっていた人たちがひとり何役もこなしていたことで地盤は固まってきていたが、プログラムの広がりや、変化する地域、アーティストたちとの関係性の中で、霧芸も少しずつ体制の再考も迫られていたのではと想像する。そんな中で関係者との関わりを丁寧にときほぐして繋ぎ直し、未来へと繋げるアートマネージャーの役割は非常に重要である。
山田:結局それぞれディレクターになっちゃっていて、統合して全体を見れているのはもう松井さんのみだったんです。そういう状況で野田さんに入ってもらって。 っていうところはあるかもしれませんね。
そうして2024年度から、松井に声をかけられて野田も参加することになった。
野田:私のポリシーとしては、やっぱり関わった人たちが気持ちよくいられる状況を作っていきたい。だからそういう環境作りに徹したいなと思っています。芸術祭って準備も含めると長い時間関わるじゃないですか。それって単なる制作のプロセスや成果にとどまらないところもあって、芸術祭と特にアーティストとの関係性は真剣に考えないといけないと思うんです。アーティストたちはやっぱりいい作品を作りたい、挑戦したいという前向きな気持ちでいてくれているけれど、その気持ちに甘えていないか、運営は運営で責任を取れるか。雇用や契約の話も含めて、それがちゃんと考えられた上で、続ける体制が必要だと思うんです。
野田が加わってからは、改めてそういうスタンスの話や、関係者との関わり方について運営側で意見交換を行ってより風通しのいい組織へと動かし始めたこと、そして事業と役割の整理で、一人が何役も曖昧にこなしたり、あるいは限定した事業にのみ関わるといったことをフラットにし、芸術祭としての運営体制を大きく見直した。また、野田が関わり始めた2024年はフリーランス新法が施行された年であるが、契約も含めて芸術祭とアーティストとの持続可能な関係性を細かく整理したことも大きい。
そういった整理を行う中で、野田いわく、辰巳の存在は大きかったという。辰巳も同じタイミングでプロデューサーに就任しているが、それ以前はプログラムディレクター的な立場でまさに何役もこなしていたという。現場のことを熟知している辰巳と、芸術祭の構造的な部分を考えられる野田でうまく役割分担し、けれども線引きはあわいを残し、各プログラムを定点観測しながら手を入れるという仕組みになっていった。
また総合プロデューサーの松井とともにプロジェクト全体をディレクション、マネジメントする持田博行の存在も重要だ。持田は東京で編集プロダクションや出版社に勤務。2002年からは野外音楽フェスの開催や音楽レーベルの運営に携わっており、現在は京都市と亀岡市の二拠点で暮らしながら環境イベント「アースデイ in 京都」【※12】の実行委員会代表を務め、京都を拠点としてサステナブルな未来づくりのための様々な場づくりや場作りの企画・運営を行っている。霧芸には「ボンボンマルシェ」【※13】など、イベントも多いが、そういった催事のマネジメントを得意とする人材だ。野田が加わり、持田や辰巳のマネジメント範囲が分散されたことで運営体制としてはより盤石になったと言える。
2024年度に関して野田は、プロデューサーとしてまずは組織内部の改変や整理に時間を使ったとのことだが、2025年度はそれらがうまく機能しているかをある種見る年となり、副産物産店の2人と協力しながら、新しい城跡芸術展を作り始める。後編では城跡芸術展の今と、これからについて考えていく。
【※1】かつての日本の地方行政区分である令制国の一つ。現在の京都府中部(亀岡市、南丹市、福知山市など)と兵庫県北東部(丹波篠山市、丹波市など)にまたがる広大な地域を指した。
【※2】 出雲大神宮と「元出雲」について
亀岡市千歳町に鎮座する出雲大神宮は、丹波国一宮として和銅2年(709年)に社殿が創建されたと伝えられる。「元出雲」の別称は、島根の出雲大社(江戸時代末までは「杵築大社」と称していた)が出雲大神宮からの分霊であるとする社伝に由来する。ただしこれはあくまで出雲大神宮側の社伝に基づくものであり、両社の先後関係については諸説がある。いずれにせよ、江戸時代末まで「出雲の神」といえば亀岡の出雲大神宮を指すのが一般的だったとされている。
【※3】保津川の水運と角倉了以の開削について 保津川の筏による木材輸送は、平安京造営(794年)以前、長岡京造営(784年)の時代からすでに行われていたとされる。丹波山地の良質な木材は長岡京・平安京いずれの建都にも用いられており、亀岡盆地は都の建設を物資面で支えた土地でもあった。慶長11年(1606年)に嵯峨の豪商・角倉了以が保津峡の開削工事を約6ヶ月で完成させると、それまで筏でしか下れなかった急流に荷物船が通れるようになり、丹波の米・麦・薪炭などを大量輸送することが可能になった。荷は嵐山(嵯峨)で下ろされ、そこからさらに京の市中へと運ばれた。なお角倉了以はその後、京都の高瀬川、静岡の富士川・天竜川の開削も手がけており、近世日本の水運整備に広く貢献した人物として知られている。
【※4】石田梅岩・円山応挙の二人はあくまで一例であり、亀岡ゆかりの人物は他にも多い。医師で日本初の人体解剖を行ったとされる山脇東洋(1705年、現・亀岡市生まれ)もその一人で、石田梅岩・円山応挙と並んで亀岡市域を代表する出身者として知られている。また合気道の創始者・植芝盛平が晩年に亀岡市に道場を構えて暮らしたことも知られており、文化・思想・武道と多様な分野にわたって著名な人物がこの土地と深く関わってきた。亀岡市文化資料館は市域の文化財と人物を時代別にまとめて公開している。詳細は以下。
時代の転換点はここ亀岡
【※5】「宗教」と「芸術」は本来分かちがたい一つのものであり、芸術的表現(美)を通してこそ究極の宗教的真理や神仏を体得できるとする思想。
【※6】かめおか霧の芸術祭「ARCHIVE BOOK 2021」第3頁参照
【※7】 KIRI²芸術大学
【※8】めぐるかめおか
【※9】 線を引き続けるためのアーカイブ
【※10】亀岡ゆかりの芸術家展
【※11】 +5「辰巳さんに聞く、事物の愛で方と物事の起こし方」
【※12】アースデイ in 京都
【※13】ボンボンマルシェ
亀岡市内のモノ・ヒト・食の「循環」をテーマに、こだわりのフードやハンドクラフト作品の販売、ワークショップなどが行われている。会場は主に「丹波亀山城跡」と「亀岡市役所」の2つの会場をイベントのテーマや季節に合わせて使い分けている。2025年は城跡での開催となった。
(上記全URL最終確認2026年10月1日)
1983年岐阜生まれ。2005年成安造形大学造形学部写真学科卒業、2008年静岡文化芸術大学文化政策研究科修了。無人島プロダクションにてアーティストのマネジメントや作品販売に携わった後、国際芸術祭の広報などに携わる。2020年よりアートマネジメントとメディアプロデュースを軸にしたアーツプロダクション「TwelveInc.」を美術家の山城大督と共同設立し、アートの環境創造とアーティストとの協働を行う。2015年〜2017年Minatomachi Art Table, Nagoya[MAT, Nagoya]共同ディレクター。2018年〜2019年「あいちトリエンナーレ2019」ラーニングセクションマネジメント、2021年〜2025年国際芸術祭「あいち」ラーニングコーディネーター。2023年〜名古屋城を舞台にしたアートプロジェクト「アートサイト名古屋城」のプロデューサーアーティストコレクティヴ「Nadegata Instant Party」メンバー。2020年より関西学院大学にて非常勤講師を務める。
美術家、只本屋 代表
1981年 東京生まれ。2022年 京都市立芸術大学大学院博士後期課程満期退学。京都市立芸術大学、京都芸術大学、京都精華大学非常勤講師。京都市立芸術大学芸術資源研究センター客員研究員。映像表現から始まり、舞台やインスタレーションといった空間表現に移行し、ナラテイブ(物語)を空間言語化する方法を模索、脚本演出舞台制作などを通して研究・制作を行う。2015年より京都市東山区にてフリーペーパーの専門店「只本屋」を立ち上げ、京都市の伏見エリアや島根県浜田市などで活動を広げる。2017年に矢津吉隆とともに副産物産店のプロジェクトを開始。2019年春より京都市内の市営住宅にて「市営住宅第32棟美術室」を開設。現在、作品制作の傍ら様々な場作りに関わる。
1980年大阪生まれ。京都市立芸術大学美術科彫刻専攻卒業。京都芸術大学准教授。京都を拠点に美術家として活動。作家活動と並行してオルタナティブアートスペース「kumagusuku」のプロジェクトを開始し、瀬戸内国際芸術祭2013醤の郷+坂手港プロジェクトに参加。2017年からは美術家山田毅とアートの廃材を利活用するアートプロジェクト「副産物産店」を開始。主な展覧会に「青森EARTH 2016 根と路」青森県立美術館(2016)、「やんばるアートフェスティバル」沖縄(2019)、「かめおか霧の芸術祭」京都(2018~22)など。2022年からはビジネスパーソンを対象とした実践的アートワークショップ、「BASE ART CAMP」のプロジェクトディレクターを務める。
NPOでの国際協力活動、教育業界での経験を基軸にライター・編集者として経験を積む。近年はアートを通した言論空間の拡張をキーワードに様々なプロジェクトを実践し、現代社会におけるメディアの役割を再考している。+5(plus five):編集長、ICA Kyoto Journal:Editorial Director