2020年度(2019年8月〜)からスタートした+5も、早いもので7年度目を迎えるようとしている。記事の本数は120本を超え、読者数も2025年度は年間約4万人もの方がメディアを訪れてくださった。月間ユーザー数がたった数十人だった当初を知っている身としては、非常に感慨深い。+5も形態を緩やかに変化させながら今日まで活動を続けてきているが、常に問題意識として中心にあるのは、「アートメディアとして、人々に必要なメディアになっているか」ということである。
その確信を強く持てる日がくるのかはわからないものの、少なくとも我々が今まで記録してきた人々がどのようなアートネイバーだったのか、一度可視化することでメディアの軌跡と、+5が明らかにしようとしてきたものが見えてくるのではないかと思い、レビュアーの三木学さんに、特に三木さんが関わってからの3年度分とそのレビューを依頼した。
+5はどのような人を記録していくメディアなのか、人とアートの関係性を問い直しながらぜいご覧いただきたい。(+5編集長 桐)

本記事は、2022年度〜2025年度に『+5』で公開した記事に対する4年間の評価を行い、今後の事業についての展望を考えるものだ。『+5』は、アートと社会をつなぎ、創造的に社会に変化を与える人を「アートネイバー(アートの隣人)」と称して、取材を続けてきた。筆者は2021年度からライターとして携わり、2022年度から編集部に加えて、『+5』のメディアとしての評価を行うレビュアーとして参画している。だから客観的なレビューとは言い難いが、今まで多くのメディアに関わってきた経験と、内側から見た変化をふまえて記述していきたい。
ちなみに、編集部と言っても、編集部に何人か編集者がいて、ライターに発注していくような形態ではない。編集長である桐惇史(肩書)を中心に、実際に取材を行う三木(筆者)、矢津吉隆(美術家)、山際美優(美術館学芸員)が、定期的にオンラインでミーティングをしたり、SNS上で意見交換をしたりしながら取材するインタビュイーの候補を挙げ、アポイントを取って記事にしていく。もちろん外部のライターもいるが、その依頼は桐のみが行っている。話し合われる内容は、主には同じような業種のインタビュイーが重ならないか、『+5』の方向性に合っているかどうかなどである。それらの成果を踏まえて、事後的に筆者がレビューをするという構造である。
筆者が本格的に参加してからは、アートネイバーに対して、単なる職業紹介のようなことは求めず、その人の人生の変遷について聞くようにしている。全員が同じ形式ではないが、固定した職業の話だけではなく、「人そのもの」を紹介するという点では一致している。理由としては、今日ある様々なアートネイバーは、かつてはなかった職業の場合も多く、将来的にあり続けるかもわからないし、現在の役割が過去の、特に幼少期の経験と密接である場合が多い点にある。そのアートや社会に対する関心の核の部分を見ていれば、その人の本質や現在の活動の背景も見えてくる。さらには将来の展開も理解できるようになるだろう。その意味は、『+5』は終始一貫、「アートに関わる人」を紹介するメディアである。
そもそも、いわゆるアート業界が、旧来のアーティスト、学芸員、ギャラリストといった既存の枠組みから、「業界」と言われるくらい周辺領域に広がっていったのはここ25年くらいのことである。そうして広がったアートネイバーを丹念に調べて、取材していくことは、現代アートの生態系(エコシステム)そのものを記述することに近いかもしれない。その意味ではわたしたちは、ある種で生態系を観察する生物学者であり、人類学者に近いといってもいいかもしれない。
特に、この25年のアートの環境変化を挙げると「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」を嚆矢として、地方アートプロジェクトや芸術祭が勃興したこと。それに続いて日本の現代アート市場の拡大に伴いアートフェアが勃興したこと。さらに、スマートフォンやSNSなどのデバイスとソーシャル・ネットワークの発達により、情報環境が一変したことなどが大きなトピックとして挙げられる。まさに生態系の激変であり、1990年代とは隔世の感がある。さらに、2020年から約3年間続いた新型コロナウイルス感染症によるパンデミックは、実際に現地に行かなければ体験することができない、という現代アートの鑑賞形態に致命的な打撃を与えた。それは同時に、ZooMのような様々なオンラインツールが日常的に使われるようになり、社会に不可逆的な変化を与えたのも印象的であった。その意味では私たちは、オンラインとオフライン、ローカルとローカルが結び付く極めて複雑な環境に生きている。
同時に、日本の総体的な経済地位は急激に下がり、少子化は将来の危機から、各地方で直面する危機に変わった。急激な通貨安によってもたらされたインバウンドブームは、コロナ禍を経ても拡大している。それは結果的に、アジア各地のアート関係者との活発な交流も促している。
その象徴的な出来事として、昨年2025年は大阪・関西万博が開催され、多くのアートネイバーが参画することになったのも記憶に新しい。さらに、2020年代から気象も激変しており、温暖化の影響により、灼熱の日が半年間も続くようになり、その結果、各地の芸術祭の日程も変更を迫られつつある。現代アートの生態系も社会の変化と密接であり、アートネイバーを語ることは、社会を語ることでもある。
このダイナミックな変化の中で、取り上げたアートネイバーがどのような位置付けにあったのかを見ていきたい。
まずは比較的古くからある形態のアートネイバーとして、美術史家の富井玲子、キュレーターの四方幸子が挙げられる。富井はNYにいて、積極的に海外に日本の作家を紹介し、逆に四方は海外のメディアアーティストを日本に紹介してきた。ただし、富井はキュレーションも行うし、四方は当時、美術評論家連盟の会長でもあり、批評家としての顔もあり、現在は十和田市現代美術館の館長に就任している。それだけ見ても双方、固定的な役割ではないことがわかる。


富井や四方の行っていることは、ある意味で異文化間の翻訳といえるものだが、クリストファー・スティヴンズはまさに翻訳者として図録を中心に日本のアーティストを英語圏に翻訳してきた。一方、日本とフランスのアーティストを橋渡ししてきたのは、アートプロデューサーのカルドネル島井佐枝である。島井もまた、アートフェスティバルスティバルの開催や、アートセンターの運営を行うなど活動が幅広い。あるいは障害のあるアーティストと社会をつないできたのは同じくアートプロデューサーの宮本典子である。宮本は古参のアートフェア「ART OSAKA」の運営も行っている。



多くの読者にアートを伝えてきたということで言えばメディアになる。新聞記事の中でそれを伝えてきたのが新聞記者の正木利和である。図録などの数多くのアートブックを手掛けてきたのは、編集者の櫻井拓である。書籍だけではなく、アート関係のイベントや文化プロジェクトのプロデュースを行っているのが、岩淵拓郎であるが、同じく編集者の多田智美も書籍だけではなく、美術館の広報誌やイベントのプロデュース、学校の運営まで、人を巻き込む様々な仕掛けを行っている。2023年には「第18回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展」の共同キュレーターにもなっている。

一方で、多田は一般財団法人おおさか創造千島財団が運営しているウェブメディア『paperC』の編集も担っており、地域雑誌が衰退した後の新しいアートメディアとして重要な存在となっている。ウェブ制作者である中本真生が編集を行っている一般財団法人NISSHA財団が運営するオンラインメディア『AMeeT』も、独自の切り口で文化を掘り起こしているメディアとして、関西のアートシーンで存在感を放っている。一般財団法人西枝財団の運営による本メディア『+5』も含めて、アート系のウェブメディアが、収益性よりも公益性を重視した財団法人が運営するようになったのは、ここ20年の大きな変化を象徴するものだろう。


また、既存の美術館やギャラリーに収まらないスペースを運営するアートネイバーたちもいる。典型的なのは美術だけではなく、舞台芸術なども含めた幅広い制作と発表の場を提供している京都芸術センターの山本麻友美、同じくC.A.P.(芸術と計画会議)の下田展久と山下和也、若手アーティストの発表の場として重要な存在となっているA-LAB(えーらぼ)、写真というニューメディアをさらにデジタル空間にまで拡張している入江泰吉記念奈良市写真美術館の大西洋、実験的な小劇場THEATRE E9 KYOTOのあごうさとしと蔭山陽太、ギャラリー・カフェ・書店が融合した独立書店がCalo Bookshop & Cafeの石川あき子、元・ホテル アンテルーム 京都・支配人の上田聖子、旧来のクラシックホールの中で現代音楽やアートと融合させているあいおいニッセイ同和損保ザ・フェニックスホールの宮地泰史、FabCafe Kyotoの木下浩佑などがそれぞれが緩やかにネットワーク持ちながら、2000年代以降のオルタナティブ・スペースを運営しているといえる。









アーティスト主導のオルタナティブ・スペースでは、山中suplexの小宮太郎と堤拓也、芸術準備室ハイセンの神谷俊貴と岩木すず、矢津吉隆が連載企画【隣人と語ろう】として取り上げているyuge(2025年で終了)のコニシムツキ、熊間の熊野豊と小野木敦紀、また矢津が活動初期に参加していたAntenna(アンテナ)もその先駆例として取り上げている。矢津はその後、小規模アート複合施設、kumagusukuを立ち上げ、その経緯は本メディアでも詳細を取り上げている。TRA-TRAVEL(トラトラベル)の湯川洋康とQenji Yoshidaは、特定の発表場所や制作場所を持たないが、ネットワークをうまく使いながら、アジア圏のアーティストをつないでいる。辰巳雄基のトレーラーも、ある種のオルタナティブ・スペースと言ってよいだろう。コレクティブではないが、ミヤケマイが主催する日本文化をテーマにした大人のための私塾「大人の寺小屋 余白」も、日本の伝統文化が失われていく中で、アーティストが主導する文化継承の試みとして興味深い。その多くが留学やレジデンスなど、異文化交流の経験がある点が、2000年代以降のアートネイバーの特徴といえる。そのため、ローカルの活動であったとしても、ドメスティックなわけではない。








山中suplexは、アジア圏のアーティスト・コレクティブと課題を共有するため「シェアミーティング」を、京都と滋賀の県境に位置する彼らのシェアスタジオで2024年と2025年に開催した後、3回目はマレーシア北部のペナン島でも開催し、インドネシア、タイ、フィリピン、台湾、ネパール、韓国、中国、ベトナム、マレーシア、日本から20組のオルタナティブ・スペースやアート・コレクティブが集まった。これらの動向の詳細が記事化されており、まさに全アジア的な広がりを持って、アートの生態系が動いている様子を捉えているメディアは多くはないだろう。
関西圏のアートネイバーは、個々に交流やネットワークを持っており、『+5』もその仮想的な情報拠点、交流拠点となり、新たな関係性を接続し、アートの生態系に参与するようになったことはこの4年の大きな成果といえるのではないか。


また、2023年からは関西だけではなく、地方のアート活動の動向と歴史も探ってきた。【LOCAL ART +】と名付けられたこの特集の1回目は関西からも遠い鹿児島〔久保孝彰(キュレーター)、さめしまことえ(美術作家)、黒瀬優佳(コミュニケーションディレクター)〕、広島〔今井みはる(学芸員)、黒田大スケ(アーティスト)、松岡剛(学芸員)、小野環(アーティスト)〕など、大阪・京都・兵庫が中心となって大きな文化圏となっている関西とは異なる生態系へも視野を広げてきた。


アートと社会をつなぐ新たな職業として、インディペンデントでアートの教育普及を行うエデュケーター、朴鈴子がいる。狭義のアートではないが、建築と社会をつなぐキュレーター、エデュケーター的な展開として、「生きた建築大阪フェスティバル・大阪」の事務局長、高岡伸一の存在も大きい。建築の場合、産業規模が大きく、関係者が多く、その影響が都市全体にまで広がっていることは大いに参考になるだろう。建築家そのものが、アートネイバーであることを示しているのが、大阪中之島美術館を設計した遠藤克彦である。PFIコンセッション方式によって、学芸と事業を切り分けた大阪中之島美術館の成功は、日本の美術館全体の生態系に大きな影響を与えている。



それらとは逆に一般の人には普段は見えない活動として、保存修復の仕事がある。オブジェクトコンサバターの森尾さゆりの活動も興味深い。森尾は保存修復の認知を広げる普及活動も行っており、今まで見えなかった仕事が、『+5』によって可視化されていることがよくわかる。

あるいは、メディアでありアーカイブであるということにおいて、先駆的な活動を続けている関西のアートドキュメンタリーの第一人者、岸本康の果たした功績も大きい。アートの場合は建築のように固定しているわけではないので、かつてどのようなことが行われたかを知るには記録を頼るしかない。アーカイブがあるかないかでその後の歴史も大きく変わってしまうこともある。

『+5』の記録も、現在を記録するだけではなく、それによって将来の人々にも伝えるアーカイブ的意味を重視している。アーカイブに関しては、アーキビストの松山ひとみを取り上げているが、物質的なアーカイブだけではなく、フィルムやデジタルデータなど、メディアのアーカイブやオンラインの公開がますます重要になっていることがわかる。

機関自体が生きたアーカイブである、公益財団法人京都服飾文化研究財団(KCI)のキュレーターが新居理絵である。その貴重なコレクションは、多くの展覧会に出品されており、日本にはなかった西欧の服飾や文献を体系的に集め、保存し、公開することで、日本の多くのデザイナーの礎となっている。

展覧会が大きなコンテンツとして広がりを持つにあたって、美術館と展覧会事業を行うマスメディアとの間で広報を担うプロモーション会社がある。長い歴史を持つTMオフィスに勤める馬場大輔の活動も、アーカイブとは対照をなす軸で重要であろう。また、プロモーションにおいて、今までにはないSNSを駆使したインフルエンサーの登場も時代を象徴するものだ。10万人を超えるともはや一つのメディアよりも影響が出ることもある。

株式会社Twelveの山城大督と野田智子は、教育普及・アーカイブ・配信・アートプロデュース・アートマネジメント、アートコレクティブなどをすべて担い、それぞれに成果を出しているもっとも現代的で領域横断的な活動体として注目に値する。他にも新たなアートネイバーとして、アート系のケータリングを手掛けている増本奈穂の活動などは、『+5』で取り上げなければなかなか見えてこなかったことだろう。
そのような新しく勃興した様々なアートネイバーの職業を仲介しているART JOB FAIRの高山健太郎も、アートの生態系をもっともよく知る人物かもしれない。



様々に広がりを見せるアートネイバーだが、それらの生態系をオルタナティブな活動だけではなく、文化行政の面から見ると、異なるパースペクティブが見えてくる。【隣人と語ろう 】で取り上げられている京都市文化芸術企画課の原智治や、神戸市が2019年度に新たに設けた試験区分デザイン・クリエイティブ枠で採用された中村紀彦などの活動を見て行くと、文化に造詣の深い人物が行政に関わることが、生態系に大きな変化をもたらすことがわかってくる。

これらとは異なる視点だが、朝鮮学校の美術教育を取り上げた「在日朝鮮学生美術展覧会」の記事は、日本の中で近現代のアジア史を考える重要な記録になっている。日本の現代アートのコミュニティが、戦前のヨーロッパ、戦後のアメリカから、再びアジアに目を向け始めたのが2020年代の大きな特徴であると思うが、それを近現代史の中の日本の功罪を考え、急速な移民が増えるなかで、排外主義が台頭し始めている今日において、重要なケーススタディとなっているといえる。

再びオーソドックスな美術館の学芸員に光を当てたとき、アジアのアート業界の台頭により大きく変わっていることがわかる。国立新美術館で開催された「時代のプリズム:日本で生まれた美術表現 1989-2010」では、香港のアート・デザインミュージアム「M+」と国立新美術館が協働キュレーションを行い、企画に携わった国立新美術館の主任研究員である尹志慧がインタビューに答えている。また、山口情報芸術センター(YCAM)の展覧会「PROJECT MRT—Natureless Solution/太陽と土と糞から切り離したテクノロジーの再考」では、ルアンルパのメンバーでもあるレオナルド・バルトロメウスが取り上げられている。それらは、日本国内、あるいは地域の歴史が、地域だけでは語れなくなった証拠でもあり、ローカルの再定義にもつながっていくだろう。


和歌山県美術館の教育普及課に勤めながら、同時にICOMの「美術の博物館・コレクション国際委員会(ICFA)」の委員長を務めている青木加苗も、ローカルな美術館に根付きながら、国際的なネットワークを広げている代表的な人物である。
これらの環境変化が、アートネイバーの詳細を取材した『+5』には克明に記述されている。4年という時間を経て積み重ねられたものは、時を経るに従ってさらに大きな価値になるのではないか。

昨年2025年は、大阪・関西万博が開催されたが、開幕前はコロナ禍やロシアのウクライナ侵攻の影響もあって資材が高騰し、建設費が増額されたり、工期が大幅に遅れたこともあって、運営を非難する報道が多かった。特にアート関係者からの批判の声はとりわけ大きかったように思われる。
しかし、開幕すると、様々な運営上のトラブルがあったものの、実際にできた空間が想像以上であったり、コロナ禍で制限されていた人々との出会いが開放されたりしたこともあって、人と人が同じ場所で出会うことの価値が改めて確認された。
同時に、《大屋根リング》を設計した藤本壮介や、デザインシステムと会場ドレッシングのクリエイティブ・ディレクターの引地耕太が、SNSで市民と積極的に対話し、直接的に市民からの疑問について丁寧に回答していったことが好感と共感を呼び、今までにないクリエイターによる直接対話は最終的に建築・デザイン・アートを含むすべてのクリエイティブ業界にとっても大きな転換点となった。もし失敗していれば、国立競技場と東京オリンピックに続く失策となり、日本のクリエイターは決定的に信用されなくなったに違いない。この経験は、関西のアートシーンにも今後とも少なからず影響を与えるだろう。
『+5』では、アートメディアがあまり大阪・関西万博が取り上げないなか、藤本壮介のもとでランドスケープデザインを担当した忽那裕樹やデザイン・システムと会場ドレッシングを担当したクリエイティブ・ディレクターの引地耕太、さらに会場に様々な場所から持ち込まれたアート作品をそれぞれが干渉しないようにコーディネイトしたアートディレクターの寺浦薫などを取り上げた。忽那の長いキャリアの中で大阪で取り組んできたことと、寺浦が大阪府の文化課に所属し、都市とアートを結び付ける様々な実践と培った人間関係が、大阪・関西万博の成功を直接的に結び付けたことが克明に記述されており、他のメディアではできなかった貴重な記事となった。それらは会期後半の万博の盛り上がりもあいまって、異例の閲覧数を誇ることになった。それは『+5』にとってもある種の転換点だった。
本来であれば、アート業界に向けたメディアであったはずが、万博によって、直接多くの人たちが読むメディアになったからだ。筆者が忽那を紹介したX(旧Twitter)のポストは、30万表示を超えていた。より発信力のある引地についてのポストはそれ以上に読まれただろう。そして、本来知らなかった忽那や引地のことも、幼少期から辿っているため、まったく『+5』のメディアとしての特性を知らない人たちも、深く理解することができた。ここにおいて、記事の在り方としての普遍性が証明されたことになった。それは大きくアート以外の世界にも大きな影響を与えることになったのだ。



今後の『+5』のメディアとしてのあり方についても考えていきたい。文部科学省が定めた「次期中期目標」で示されたように、ここまで広がった現代アートの生態系は、今後は厳しくなる可能性が高い。実際問題、生活をしていく、仕事をしていくにはどうしたらいいのか。どのように表現活動を続ければいいのか。表現活動を支援すればいいのかということについて、もっと具体的な実践例が必要な時期にきているのではないかと思える。
そのような将来的なことを見据えて、まずはアートの著作権について専門的に勉強した弁護士の木村剛大、アーティストのグッズを制作している山本正大の取材を行っている。著作権の知識や、作品以外の収益化など、どちらも、これからのアーティストには必要な知識であるし、これからのアートネイバーの役割といってよい。
また、これだけの記事がありながら、閲覧性や相互の関係性がわかりやすいウェブデザインとは言い難いのはもったいない。可能であるならば、過去のアーカイブを有機的につないで、生態系が可視化されるような見せ方ができればよりいいだろう。
いずれにせよ、『+5』は知らなかった、あるいは長年知っていたのだけども、詳細なキャリアや人生観を知らなかったアートネイバーたちを心理的にあるいは直接的に結び付け、さらに、アート業界だけではなく、広く一般の人たちにも読まれる可能性を示した大きな4年だったのではないかと思われる。それはアートだけではなく、ローカルメディアの一つのモデルになってきているのではないか。
文筆家、編集者、色彩研究者、美術評論家、ソフトウェアプランナーほか。アート&ブックレビューサイトeTOKI共同発行人。独自のイメージ研究を基に、現代アート・建築・写真・色彩・音楽などのジャンル、書籍・空間・ソフトウェアなどメディアを横断した著述・編集を行なっている。美術評論家連盟会員、日本色彩学会会員。