2022年4月から2026年3月までの4年間(2021年4月からの準備期間を含むと5年間)、福島県双葉郡葛尾村(かつらおむら)で実施されていたアートプログラム「Katsurao Collective」。アーティストインレジデンス「Katsurao AIR」やワークショップ「かつらお企画室」などを通して、累計50名以上のアーティスト・クリエイター【※1】が活動を展開してきた。原子力災害・全村避難からの復興【※2】という大きな文脈のなかで、居住人口500人未満【※3】の村にどんな変化があったのだろうか。事業開始当初から事務局スタッフとして関わったコーディネーター/アーティストの大山里奈さんと、事業期間の途中から合流し大山さんとともに広報担当としてプログラムの運営を担った筆者(阪本健吾)による対談で振り返る【※4】。

「Katsurao Collective」は、福島県葛尾村からの委託事業「地域資源の魅力を活用したアーティスト移住促進事業」におけるプロジェクト名および、関わった人々による共同体の名称である。
この取り組みが生まれた背景には、福島の被災地域ならではの政策的な転換がある。福島県をはじめとする東日本大震災の被災地域において、2021年4月から2026年3月までの5年間は、政府によって「第2期復興・創生期間」として位置づけられた。この期間においては、避難指示が発出された原子力災害の被災地域で、帰還促進のみならず移住促進にも注力する方針が打ち出された。
2011年から2016年まで約5年間の全村避難を経験した葛尾村においても、復興庁による「福島再生加速化交付金」を原資として移住促進へ向けた取り組みが2021年に始まった。特徴的だったのは、移住相談窓口や空き家バンクといったスタンダードな移住促進事業と併せて、アーティストやクリエイターの活動によって移住促進を果たそうという「地域資源の魅力を活用したアーティスト移住促進事業」が行われたことである。
当該事業は、クリエイティブな活動が可能な地域であることを発信することによってアーティストやクリエイターの移住を促進することや、地域の資源を活用したアート活動や作品を持続的に発信し、交流の機会を設けることによって関係人口【※5】および移住・定住人口の増加を図ることを目的としており、地元の地域づくり法人である一般社団法人葛力創造舎(かつりょくそうぞうしゃ)【※6】が受託した。
2021年4月から2022年3月までの1年間は、2022年4月以降の本格始動へ向けたリサーチや準備を行う期間であった。まずは大山さんが葛尾村という場所とどのように出会い、Katsurao Collectiveの活動をいかにして形づくっていったのかについて話を聞いた。
阪本:Katsurao Collective としての活動、お疲れさまでした。私は2022年4月に葛尾村に越して来て、2023年10月からスタッフとしてご一緒させていただきましたが、大山さんは2021年の立ち上げ当初から関わっていらっしゃいますよね。
大山:はじめて葛尾村を訪れたのは2021年、アーティストとして活動するなかで生まれたご縁から、「学生向けインターンシップの事務局スタッフをアルバイトでやってみない?」というお誘いを受けてのことでした。行ってみたら、翌年の春から本格始動するという「地域資源の魅力を活用したアーティスト移住促進事業」について、事業を受託した一般社団法人葛力創造舎から相談を受けたんです。
阪本:まずは相談に乗る形だったのですね。葛尾村出身の下枝浩德さんが代表を務める葛力創造舎は、2011年から同村で地域づくりの活動を続けています。震災から10年のタイミングで、新たな試みが始まろうとしていたわけですね。
大山:はい。その時から、私自身が葛尾村で過ごす中で、この地域にある暮らしや風土に強く惹かれていました。そして、現代美術の作家と相性が良い場所なのではないかという思いもありました。

阪本:なぜ葛尾村と現代美術の親和性が高いと思われたのでしょうか。
大山:葛尾村は小さな村で、かつ、原発事故によって全村避難を強いられた地域です。放射性物質の飛来という目には見えない被害があるということや、被災地として偏ったまなざしを受けがちな場所であるということ。簡単には語れない場所だからこそ、アーティストなら興味を持つのではないかと考えました。
阪本:現代美術のアーティストの気質のようなものが、葛尾村の状況と合うのではないかということですね。一般的には価値が見出されていないものごとにこそ、価値を見出すというような。
大山:地域側にとっては、現代美術のアーティストであれば、科学者や経済学者とは異なる視点で葛尾村という場所と向き合ってくれるだろうという直感がありました。仮に1,000人のアーティストがいれば、1,000通りの切り口でアウトプットされる。一見「なにもない」とされやすい地域であっても、地域に眠っている文化や環境を、アート活動によって顕在化することができるのではないかと考えました。
Katsurao Collcetive のプログラムは、アーティスト・イン・レジデンス(以下「AIR」)「Katsurao AIR(カツラオエアー)」とワークショップ「かつらお企画室」の2つを軸として構成された。大山さんは、2021年の夏頃に相談を受けた立場からはじまり、秋以降に次々と合流した仲間とともに、実際に立ち上げを担うことになったという。
大山:この事業について相談を受けた際、私には運営のノウハウはなかったので、まず初めに群馬県中之条町でAIRを運営していたキュレーター/アーティストの山口貴子さんに声を掛けて、一緒に考えていきました。Katsurao AIR に関してこのときに決めたのは、作品をつくることよりも、アーティストが滞在することそのものに重きを置くということです。作品制作を必須とせず、リサーチのみで滞在期間を終えてもよいというプログラムを組み立てていきました。
阪本:アーティストを「短期移住者」と見立てて、制作よりも暮らしが先にあるという感覚は、スタッフ間でも共有していましたよね。
大山:一過性の取り組みにならないように、アーティストが地域の住民のみなさんや環境と深くかかわることそのものを中心に据えるべきだと考えました。芸術祭のように祝祭(ハレ)の機会を創り出すのではなく、日常(ケ)とともにある活動であるべきだと話していましたね。
阪本:参加作家のなかには、「『いつまでにつくらなきゃ』という意識から解き放たれて、自分の探究心に素直になれる機会だった」という趣旨のコメントをくださった方もいらっしゃいました。

大山:もちろん、現代美術領域の尖った活動だけでは、地域のみなさんに受け入れられるのに時間がかかってしまうだろうという懸念はありました。そこで、葛尾村にある様々な素材たち――草木や稲わら、羊毛やニット工場の残糸など――を活用したワークショップを、AIRと同時並行で実施することにしました。身近な暮らしの中の手仕事に焦点を当てることで、より地域住民のみなさんにとって身近に感じられる、開かれたプログラムになったと思います。
阪本:それが「かつらお企画室」ですね。ワークショップ講師の方々は「Katsurao AIR」のように一定期間滞在するのではなく、事前に素材や会場のリサーチに訪れて、本番でもう一度来訪する、というような関わり方でした。
大山:事務局にとっては、作家と地域との相性を試してみる機会でもありました。実際に「かつらお企画室」で地域と関わり、その先の構想が深まったら「Katsurao AIR」で招聘するというケースもありましたね。

阪本:ところで、それらの活動を束ねる「Katsurao Collective」という名称はどのように決まったのでしょうか。
大山:当初から、アーティストだけではなくデザイナーやシェフなど、広義のクリエイターに対象を広げていこうという構想がありました。そのような拡張性を当初から念頭に置いたネーミングとして、山口さんが発案してくれました。
阪本:地域での活動を通して有機的に人と人がつながっていく、そんなイメージを持つことができるネーミングですね。
1年間の準備期間を経て、2022年春に「Katsurao Collective」が本格始動を迎えた。大山さんがコーディネーターとして地域住民のみなさんとのコミュニケーションやワークショップ「かつらお企画室」を、山口さんがキュレーターとして「Katsurao AIR」を主に担当。2021年秋から2022年春にかけて、ディレクターとして森健太郎さん、マネージャーとして大井田弘子さん、広報スタッフとして上野莉歩さんが次々と加わり、Katsurao Collective 事務局としてスタッフ5名体制での活動がスタートした。
阪本:この時期からは私が村内の別の会社に勤めはじめて【※7】、ひとりの鑑賞者として Katsurao Collective の活動を楽しませていただいていました。振り返ってみていかがでしたか。
大山:Katsurao AIR において、はじめて地域に入って活動をしたのは、赤坂有芽さんと石川洋樹さんでした。私たち事務局スタッフは全員移住者でしたから、まだあまり地域住民のみなさんとの関係もできていませんでしたし、滞在拠点の整備やプログラムの進行など、すべてが手探り状態。そんな中で、ふたりはほんとうに丁寧に地域の方と関わってくださいましたし、事務局に不手際があっても許容しながら、むしろ一緒にプログラムをつくっていくような姿勢で参加してくださいました。

阪本:初年度の参加作家はすべて、公募ではなく事務局スタッフのご指名で招聘したのですよね。
大山:はい。アーティストと地域が関わる最初のタイミングですから、作家として、そして何より人として信頼のおける方とご一緒したかった。それから、作品制作を必須としていないプログラムではあるものの、赤坂さんも石川さんも、活動を質の高いアウトプットに昇華してくださったんですよね。それがあったから、その後の Katsurao AIR では、いわゆる展覧会のようなかたちで活動がプレゼンテーションされることが多くなったんだと思います。
阪本:必須ではないといいつつ、結果的にはほとんどのアーティストが作品をつくっていましたもんね。リサーチの過程をアウトプットしたアーティストであっても、見応えのある見せ方をとても工夫していたように思います。

阪本:一方で、初年度の時点では、私からみた Katsurao Collective の活動は必ずしもすばらしいものとは思えませんでした。復興予算を使って、スタッフがアーティストを呼んできて活動をする。致し方ないことではありますが、はじめのうちは、オープンスタジオへの来場者もアーティストの知人などに限られていました。失礼な言い方になってしまうのですが、「なんだか楽しそうだけれど、公のカネを使って身内で遊んでいるだけじゃないか」と思ってしまう自分がいたんです。
大山:外からみるとそう見えたのかもしれませんが、内情は切実でしたよ。そもそも原子力災害の被災地域で滞在し活動をするということに対して様々なハードルがある中で、人生の大事な時間をこの地域に費やしてくれたわけですから。遊びでできることではありません。
阪本:はい。最初はそう見えてしまったところがあったのですが、アーティストと実際に話してみると、考えていることや地域をみる切り口がおもしろいと思うようにもなりました。なにより作家は真剣でしたし、決して遊んでいるだけではなく、身ひとつでこの地域にやってきて、できることを突き詰めていた。


阪本:でも、そこで一緒におもしろがるだけでは、一見内輪ノリ的に見えてしまう状況に加わるだけになってしまいます。公的なプログラムだからこそ、アーティストたちの活動を言語化して、社会にきちんと流通させることが必要だと強く感じ始めました。
大山:阪本さんはスタッフになる前から Katsurao Collective の活動に関する感想を個人の note で書いてくれていましたよね。2023年に事務局スタッフの広報ポジションが1名分空いて、10月から一緒に働くことになりました。被災社会の研究をしていた阪本さんの、アートワールドの外側からの視点は重要だったと思います。
阪本:遠い存在のように思われがちなアーティストの人となりが垣間見れるようなメディアがあれば、地域社会にも活動のことが伝えられるのではないかと考えて、様々な企画を実施していきました。

大山:初年度に招聘で作家を入れたのは、地域の方々と丁寧につないで、一緒にこの事業のかたちをつくり上げたかったからでした。その一方で、もちろんそれだけではプログラムとして広がりがないということも認識していました。本格始動から2年目を迎えた2023年からは、AIRに参加する作家の公募を開始しています。
阪本:公募を開始してみてどうでしたか?
大山:葛尾村という場所に興味を持つ作家はたくさんいるんだなと改めて実感しました。初年度に招聘したアーティストのラインナップや成果物のアーカイブを公開していましたから、「Katsurao AIR ってこんな感じだよね」というプログラムの特色や傾向も、この頃からなんとなくできあがってきたように思います。
阪本:Katsurao AIR の審査は、外部からゲスト審査員として専門家を呼ぶような形とは異なりますよね。事務局スタッフと役場の役職者が点数をつけていくもので、項目にも「地域の住民のみなさんと円滑なコミュニケーションができるか」「地域の資源を価値づけできるか」といった趣旨のものがいくつもありました。
大山:短期移住としての滞在そのものがよいものになるように、地域の方々や環境とよいコミュニケーションがとれるようにということを考えて設計しました。地域の雰囲気とアーティストの活動、どちらのこともわかっていないと審査するのは難しかったと思います。

阪本:それから、この年に公募でいらっしゃったアーティストの滞在期間は1か月間でしたよね。前年度までと比較すると短めでしたが、その点はどうでしたか?
大山:いろいろ試してきた結果を振り返ると、3週間や1か月では少し短いですね。地域の方にアポを取るときに「明日、明後日」のご都合を伺わねばなりません。滞在期間には、地域の概要のインプットからリサーチ、制作、そして成果の公開までが含まれますから、あまり余裕がないのです。2か月間くらいの滞在期間があれば、「来週のいつがいいですか」と聞くことができる。コーディネーターの立場としては、そのくらいの期間は欲しいなと。
阪本:次から次へと違う作家がリサーチに来たら、住民のみなさんも疲れてしまうし、長期的な関係も築きにくいですもんね。いろいろな側面で、地域でのコミュニケーションがよいものになるように試行錯誤してきたということがよくわかります。実際に、地域の現場ではどのようなコミュニケーションが発生していたのでしょうか?
大山:私が作家のリサーチに同行する中で感じていたのは、「取材慣れ」をしていらっしゃる方が多いということです。メディアの取材が多く入った地域なので、取材者が求める特定のストーリーに載せる形で語るという行為が染み付いているように感じました。良い悪いで語れることではないのですが、形式的な語りの向こう側へ到達するには、短い期間では難しいところも多分にあったと思います。
阪本:単なる制度上での滞在活動では、その壁は超えられなさそうですね。事務局スタッフも含めて、いわば全人的な関わりを結んでいくことで少しずつ変わっていくものなのかもしれません。
大山:その意味では、事務局スタッフが全員葛尾村に住んでいたということは重要なポイントだったと思います。参加したアーティストにとっても、また葛尾村に帰ってくる理由になっていました。
阪本:私が事務局に合流した2023年10月以降は、さらに地域住民のみなさんとの関係性が変わっていきましたよね。そのことに関しては後編で改めて触れたいと思います。

阪本:そして2023年からは、「渋谷ヒカリエ 8/ (はち)」での展示企画が毎年恒例になりました。地域でのレジデンスプログラムにおいて、東京で展示をするという形態はあまり多くないように思います。やはり葛尾村内での活動報告会だけでは、成果を見ていただける機会がじゅうぶんではないという課題意識があったのでしょうか。
大山:そうですね。見ていただかないと伝わらないですし、滞在する場所と発表する場所が同じでなくてはいけない、ということはありませんから。東京で多くの方の目に触れることで、葛尾村との距離を想像することにもつながります。葛尾村の魅力を多くの方に届けるという事業の大きな目的を鑑みると、なくてはならない企画だったと思っています。

阪本:もちろん、復興という背景のもと、AIRだけではなくワークショップや都内での展示企画が開催できるほどの予算があった、という前提も忘れてはいけません。実際にヒカリエで展示企画をしてみていかがでしたか。
大山:美術館の展示室でも、街なかのギャラリーでもない、ヒカリエの8階だからこそ見ていただけた方がたくさんいらっしゃるように感じました。ローカルのものづくりに焦点を当てた「d47 MUSEUM」【※8】が同じフロアにあり、上の階にはシアターやホールがあるので、Katsurao Collective の活動に興味を持っていただける方が多く通行していたように思います。都内展をしようと言いはじめたのは私なのですが、会場を探して企画を考え、実行に向けて動いてくれたのは同僚でキュレーターの山口さんでした。その後、毎年欠かさずヒカリエで展示をさせていただくことになりましたし、すばらしい形にまとめあげてくれたので、とても感謝しています。
阪本:山口さん、ずっと「あのときは大変だった」って仰ってますもんね(笑)
大山:いまだに言われます。「すいません、でもよかったでしょ」って言ってます(笑)

【※1】4年間で延べ62組66名、年度を跨ぐなどして複数回参加した場合の重複を除くと累計49組53名のアーティスト・クリエイターが葛尾村で活動を展開した。
【※2】2016年6月に一部の帰還困難区域を除いて避難指示が解除され、2022年6月には帰還困難区域に指定されていた野行地区の一部について避難指示が解除されている。
【※3】令和8年(2026年)3月1日現在、478名が村内に居住している。避難している住民を含めると、同日付で1,211名が葛尾村の住民票を持っている(葛尾村役場『広報かつらお 2026年4月号』p.19)。
【※4】基本的に5名のスタッフが Katsurao Collective 事務局 として運営にあたったが、本稿では大山里奈さんと筆者の視点から5年間の活動を振り返る。
【※5】関係人口:定住でも観光でもない、地域に継続的に関わるよそ者を指す用語。
【※6】一般社団法人葛力創造舎(かつりょくそうぞうしゃ):2011年から任意団体として活動を開始し、翌年に一般社団法人化した葛尾村の地域づくり法人。
https://katsuryoku-s.com
【※7】阪本さんが葛尾村に移住した話は以下のインタビュー記事にまとまっている。アートネイバーとして生きることを選択する過程は人によって様々だが、別業界からのキャリアチェンジという観点でも阪本さんの選択は興味深い。(編集注)
暮らしの中のいただきます〜昼ごはんと仕事〜「このちいさい村から、日本の未来を見据えてる。田舎って、電力って、今すごくホットじゃない?」
【※8】D&DEPARTMENT PROJECTが運営する、47都道府県をテーマにしたデザインミュージアム。
(全URL最終確認2026年7月23日)
現代美術家。1984年茨城県生まれ。アーティスト活動の傍ら、福島県葛尾村で「いること Cafe しずく」を営む。2025年度まで同村のアートプログラム Katsurao Collective にてコーディネーターを務め、2026年現在も地域で暮らしながら、人と環境、人と時間の関係性について探究を続けている。
ライター。1996年兵庫県生まれ。2023年10月から福島県葛尾村のアートプログラム Katsurao Collective に広報担当スタッフとして加わり、2年半の従事を経て、2026年4月より同県飯舘村にある、環境と対話する実験基地「図図倉庫(ズットソーコ)」スタッフ。LAWS(Local Art Writers’ School)1期生。