アートの力をまちづくりに活かしている不動産会社がある。大阪・北加賀屋にある老舗不動産会社「千島土地」と、その芸術文化事業を担う「おおさか創造千島財団」だ。経済産業省の「近代化産業遺産」にも認定された造船所の跡地周辺を舞台に、2004年からアーティスト、クリエイターらに活躍の場を提供し、地域再生を目指す事業を展開してきた。大型アート作品の収蔵施設、コミュティスペース、シェアスタジオ……。16年後の現在、拠点数は約40にのぼる。なぜ、不動産に「アート」なのだろうか。
地下鉄四つ橋線の北加賀屋駅から大阪港に向かって歩く道は、全てが「大きい」。三角屋根の巨大な倉庫があちこちに立つ。資材を運ぶ大型トラックが右へ左へと行き交う。材木屋や鋼材屋の作業場から、金槌や溶接の大きなノイズが聞こえてくる。その道を海風が吹きぬける。
おおさか創造千島財団の大型アート作品の収蔵施設「MASK(MEGA ART STORAGE KITAKAGAYA)」も、そんな倉庫街の一角にある。
大きさは学校の体育館より少し大きく、床面積約1030㎡、高さ9.25m。普段は看板が出ておらず、一見単なる倉庫のたたずまいだ。事務所から自転車で到着した事務局スタッフが重たい鉄の扉を開けシャッターを開くと、暗闇の倉庫に光が差してきて思わず息をのむ。
どこかで見たことのある大型アート作品がところせましと、しかも同時に立ち並んでいるのだ。
MASKは2012年に開設され、ヤノベケンジさん、やなぎみわさん、金氏徹平さんら日本を代表するアーティスト6人が手がけた大型作品を保管してきた。2020年には7人目のアーティストとして若手の持田敦子さんの作品が収蔵作品に選ばれている。2014年以降、年に1度「Open Strage(オープン・ストレージ)」と題して倉庫が開放され、地域の人が身近にアートに触れられるよう作品公開や鑑賞プログラムなどが行われている。
「ヤノベケンジさんから作品保管の相談を受けたことが始まりでした」と事務局の加藤彩世さんは開設の経緯を語る。ヤノベさんは《ジャイアント・トらやん》や《サンチャイルド》など巨大な彫刻作品で知られる。近年、国内外で大規模な芸術祭やアートイベントが広がり、アーティストが大作を発表する機会が増えている。だが、大型作品は制作場所も、保管場所も十分にない。ヤノベさんは国内アーティストの窮状を訴えたという。
「再展示の機会がないと保管料がかさみ、せっかくつくった作品もやがて解体、廃棄を余儀なくされる。(千島土地が持つ)土地・建物を活用して状況を改善できないか、とおっしゃったそうです」
財団の母体となっている不動産会社・千島土地は2009年から、保有する工場跡や空き家を創造的に活用し地域再生を目指す「北加賀屋クリエイティブ・ビレッジ構想」に取り組んでいた。2011年に非営利で芸術・文化事業を推進するため設立された財団が、構想の一環としてMASKに取り組むことになった。
「ちょうど(千島土地が所有していた)鋼材加工工場・倉庫の物件が空いたので、無償で大型作品を保管し、再展示する『見せる収蔵庫』として活用しようということになりました」
2009年の構想発表以降、北加賀屋にできた創造活動の拠点は約40を数える。
築60年の文化住宅を改装したコミュニティスペース「千島文化」、鉄工所の元社宅をアーティストらが賃貸住宅としてリノベーションした「APartMENT(アパートメント)」、美術家・森村泰昌さん自らが企画・展示を行う個人美術館「M@M(モリムラ@ミュージアム)」など、その形は多種多様である。
この3月にも、造船所の倉庫を改装したシェアスタジオ「Super Studio Kitakagaya (SSK)」をオープンしたばかりだ。大阪近郊で広々とした制作環境を求めるアーティストらのための共同アトリエで、併設されたキッチンでは、スナックやフードイベントも開かれ地域との交流を促していく。
拠点は、その時々の状況に応じて必要だと考えられたものがつくられる。「拠点整備は計画的に進めてきたわけではない」と事務局長の木坂葵さんは語る。
「今も変わらず営業している工場や企業が多いエリアですので、こちらが中長期計画を立てて、空く物件や時期をコントロールすることはできません。予期せず空いてしまう物件に対して、アートで利活用できるかをその都度走りながら考えています」
「工場物件は、賃貸の需要があるんです。普通に貸せば収益は上がりますが、北加賀屋に新しい何かは起きません。あえてアートや芸術文化の場所として使うことで、北加賀屋の魅力が生まれ、この地域を知ってもらえる。それが、地域貢献につながると考えています」
拠点と常時関わるアーティストやクリエイターは120〜130人。絵画、彫刻、建築、家具など、つくるものはさまざまだ。事業のなかでつながりを得たアーティストらとの協働で新たな拠点ができることも多いという。
「みんなが価値を認めないものに価値を見出し、みんなが見ていない視点から物事を見る、というのがアーティストだと思うんです。その力が硬直化し、高齢化した、特徴のないまちには必要なんですよね。彼らと協働することで、まちには新しい価値が生まれ、アーティストにとっても活躍の場ができる。Win-Winの関係になればと考えています」
そもそも工場地帯である北加賀屋で、なぜアートなのだろうか。 木坂さんは2004年に開催されたアートイベント「NAMURA ART MEETING’04-‘34」が原点だと語る。千島土地は北加賀屋周辺のエリアに7.7万坪の土地を持つ。だが、造船所が多く集積した北加賀屋エリアは産業構造の変化にともない衰退し、空き地、空き家が増加の一途をたどっていた。
ヨーロッパでは産業遺産をアートで再活用するまちづくりが成功を収めていた。その例に倣い、のちに「近代化産業遺産」に認定される名村造船所跡地を活用して始まったのが、このイベントだ。開催すると、大きな反響を呼んだ。
木坂さんは言う。
「それまで千島土地はアートとは何の縁もない会社だったんです。ですが、色々なメディアで紹介されたり、たくさんの方に来ていただいたりと想像以上の反響があり、こういう土地の使い方があるのか!と開眼したんです」
千島土地代表取締役社長の芝川能一さんは、過去の取材に「不動産の世界では30年という単位で賃貸を考える」と、芸術活動に30年間無償でスペースを提供することを決めたと語っている。そこからアートの力を活用したまちづくりはスタートした。
こうしたアートと地域をつなぐ事業をいま現場で支えているのが、財団の事務局スタッフだ。財団の活動は、MASK関連以外にも、助成金事業、国際交流事業など多岐に渡る。日々アーティストと関わるなかでよき理解者となりながら、財団や会社の事業との接点を見出していく。
木坂さんは、事務局の仕事は「アーティストと社会をつなぐ翻訳者のような役割。間に立って調整をする仕事がほとんど」だと言い、「アーティストの肩を持ちすぎると(会社に)言われることもあります」と笑う。
大学でアートマネジメントを学んだ加藤さんは「現場で学ぶことは多い。美術以外のことにも関心を広げる必要がある仕事」と語る。
「コミュニティスペースでアーティストと地元の方が談笑していたり、地元の方が(アーティストがつくった)壁画を観光客に案内していたり、新たな風景が生まれていることにやりがいを感じます」
まちづくりの現場では、アートでは解決できない課題にも当然直面する。北加賀屋エリアでは、高齢化や人口流出が急速に進む。どんなまちに人は住みたいと思うのか。どんなまちづくりが必要なのか。絶え間のない模索を続けている。
「(スタートの2004年から)もう16年かと思う一方で、まだ16年とも思うんです」と木坂さんはこれまでの道のりを振り返る。
「アートのまちづくりに即効性はありません。今年スタジオができたからといって、来年からメディアで大きくとりあげられるようなアーティストを多く輩出できるわけではない。それでも、制作をつづけられる環境があることが大事で、ここでの活動を機に才能を花開かせる人が巣立ってほしい。大阪の文化を支える礎となっていけばと思っています」
アートはまちづくりの万能ツールでは決してない。だが、まちにインストールしつづけることで、衰退の流れとは違う方向へと地域の価値の循環を確実に生み出している。
INTERVIEWEE|
加藤 彩世(かとう あやせ)
京都造形芸術大学卒業。2017年の千島土地㈱入社以来、おおさか創造千島財団の事務局を兼務。主に、工場跡を利用し大型現代作品を保管する「MASK」の管理・運営、大阪で活動するクリエイターやアーティストを支援する助成金交付事業等を担当。拠点とする北加賀屋エリアのまちづくり事業にも携わる。
木坂 葵(きさか あおい)
神戸大学文学部卒業。在学中よりアートマネジメントに関わり、「水都大阪2009」「瀬戸内国際芸術祭2010」「おおさかカンヴァス」等フリーランスのアートコーディネーターとして活動。2016年千島土地(株)入社後、アート事業を担当、2018年よりおおさか創造千島財団事務局長。
INTERVIEWER|末澤 寧史(すえざわ やすふみ)
ノンフィクションライター。1981年、北海道札幌市生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。出版社勤務を経て、2019年に独立。共著に『わたしと平成』(フィルムアート社)、『廃校再生ストーリーズ』(美術出版社)ほか多数。Yahoo!ニュース 特集「『僕らは同じ夢を見る』—— 北海道、小さな森の芸術祭の10年」ほか取材執筆。秋に三輪舎から創作絵本『海峡のまちのハリル』を刊行予定。