兵庫県立美術館 教育支援・事業グループ 主査学芸員 遊免寛子さん
美術館に「教育普及」という役割があるのをご存知だろうか。美術館で働く学芸員は展覧会をつくるキュレーターとしての役割のほか、館のアート資源を活用して美術教育や情報発信を行うアートエデュケーターとしての役割も持つ。今回紹介する兵庫県立美術館は、前身の兵庫県立近代美術館の時代から半世紀にわたりアートエデュケーションに力を入れ、先駆的なプログラムに取り組んできた。「美術鑑賞は感覚を開き、多様な価値観の存在を認め合うもの。現代こそ求められている」ーー熱のこもった口調で語るのが、その中心にいる主査学芸員の遊免(ゆうめん)寛子さんだ。遊免さんにアートエデュケーションの仕事について詳しく聞いた。
兵庫県立美術館は、2002年にオープンした近現代のアートを扱う美術館だ。神戸市中央区の海岸に立地し、設計は建築家の安藤忠雄さん。阪神淡路大震災後の文化復興のシンボルとして親しまれてきた。同館では、兵庫ゆかりの作家の作品のほか、日本の近代以降の絵画や世界の近現代の彫刻・版画などが1万点以上所蔵され、さまざまな展示が行われている。その一方、前身の近代美術館時代から、所蔵品を活用したアートエデュケーションに力を入れてきた。
+5編集部:兵庫県立美術館では、教育普及担当者はどんな仕事をしていますか?
遊免:学校の団体鑑賞の受け入れや小中高生を対象としたワークショップ「こどものイベント」の運営、そのほかに美術講座の先生とやりとりしたり、ミュージアムボランティアの運営や美術館のサポート会員「芸術の館友の会」に関わったり。多様ですね。 担当者は5人いて、教育普及を主に担当する学芸員が1人。私です。それからコレクション(所蔵品)管理や出版物の編集などさまざまな学芸業務に関わる部署と2、3年ごとにローテーションで担当する学芸員が2人、教育専門の非常勤職員「ミュージアムティーチャー」が2人います。
+5編集部:兵庫県立美術館はどうしてアートエデュケーションに力を入れているのでしょうか?
遊免:前身の近代美術館が1970年に開館したときから力を入れていているんですよ。美術館は生活と遠いものと思われがちですが、本物の美術に触れて豊かな生活を送ってほしい、と。「普及課」と呼ばれる専門部署が全国に先駆けてできたほどで、その伝統が今に続いているのだと思います。現在は学校の団体鑑賞の受け入れや「こどものイベント」の比重が大きくなっています。いま子どもがメインのターゲットになっているのには理由があります。近代美術館時代の後半(1990年代)から、社会情勢の変化もあって学校で美術館を活用しよう、土日に社会教育施設を利用しよう、という流れになってきたからです。2000年代には学習指導要領の改訂もあり、それがどんどん拡大していますね。
+5編集部:1990年代にはニューヨーク近代美術館(MoMA)が開発した対話による鑑賞のプログラム[1]が日本にも導入され、さまざまなアートエデュケーションの取り組みが広がりました。館の取り組みでモデルにしたものはありますか?
遊免:近代美術館時代の70年代にすでに学校と連携して展覧会を観てもらおう、教育のなかで美術館を活用してもらおうという動きが独自にあったんです。MoMAの手法が入ってくる前からです。展覧会も「美術劇場」と銘打って展覧会のなかでパフォーマンスを行ったり、ワークショップを開いたり。神戸は小学校に図工専科の先生がいらっしゃるんです。美大出身の先生もたくさんいて、何か一緒につくりましょう、となったそうです。先生方も熱心で、団体鑑賞のレクチャーで学芸員がカツラをかぶって、アーティストのアンディ・ウォーホル[2]の真似をするとか(笑)。関西の土地柄が大きく影響していると思います。今やっている学校の団体鑑賞も、みんなに話してもらうタイプのギャラリートーク(対話による鑑賞)ですが、子どもたちの発言がすごくよく出てくるんです。
学習指導要領の改訂など教育現場の変化を背景に、学校と美術館の連携は近年も進む。グローバル化やデジタル化で社会が急激に変化するなか、新しい何かを生み出す創造力の育成が教育には求められている。対話による鑑賞も、その一つの実践として広がりつつある。
+5編集部:学校教育と館のアートエデュケーションはどのように関係しているのでしょうか?
遊免:団体鑑賞は、学校教育の一環なので、それに添うように協力します。ただし、「評価」には関わらないことにしています。先生から「鑑賞の評価がわからない」という話をよく聞くんです。国語力が高い子が鑑賞でいいことを言うと思われていたり。そうではない別の視点が大事です。
+5編集部:どういうことですか?
遊免:鑑賞の時に輝く子がいるんですよ。普段学校では目立たない子がギャラリートークの時に輝いて発言をするんです。クラスのみんなが「おおーっ」と、どよめいたことが何回かありますよ。学校での教育の評価にはあてはまらないけれど、持てる想像力を発露できる場所が美術館にあったんですね。美術や図工の先生はある程度それを狙って連れてこられますが、担任の先生が一度体験して「すごい」と目覚めて、また来年も、となることもよくあります。美術館って、多くの子どもが「つまんなさそう」「めんどくさい」と感じていると思うんですね。だけど、実際に来て、みんなと一緒に観てみたら、「めっちゃ面白い」と。そんな変化があるんです。
+5編集部:中学・高校では他府県からの来館もあるそうですね。具体的なプログラムは?
遊免:事前に学校の担当者に下見に来てもらい、相談しながら内容を決めていきます。「お任せします」と言う学校も多いのですが、キャリア教育、鑑賞体験など目的はさまざま。当館では必ず来館してもらってニーズを聞き出しプログラムを決めていきます。当日は、全体で2時間くらいです。まず、控室で約20分簡単なレクチャーをします。美術館という場所について、鑑賞する展覧会について、あとはマナーですね。対話によるギャラリートークは1クラスで1つの作品を観るかたちで、常設のコレクション展の作品でのみ行っています。1度に2回行うことが多くて、1点は絵画、1点は立体作品とか、1点は具象画、1点は抽象画といったふうに別のテーマで行ったりしますね。鑑賞は作品を約2分観てもらって、意見を聞くんです。「どう思う?」と。定番の質問は、「何が描かれているでしょうか」とか、「何が起こっているでしょうか」とストーリーを聞き出す質問ですね。出た意見に対して、突っ込んだり、共感したり。たとえば、「ピンク色だから女の人が描いたと思う」とか、「髪の毛が長いから女の人だと思う」という意見が出ると、「え、ほんま?」と突っ込むんです。「優しそうだから、女の人?本当?」と。普段の凝り固まった価値観を崩していくのが、快感ですよね。
+5編集部:作品について知識で学ぶ昔の鑑賞とは違いますね。進行で難しい部分はどこですか?
遊免:最後の「締め」ですね。締めきってしまわないのがポイントです。最後に作品の知識を教えて終わりだと、「今までの鑑賞は何だったの?」となってしまう。出てきた話をまとめ、作家の発言などとリンクしていることがあれば伝えます。でも、あくまで団体鑑賞は子どもにとって「初めての美術館の体験」という位置付けです。自分で観る、表現する、そして色々な価値観があると知る、ということを大事にしています。
+5編集部:進行を担当する人によって内容が変わりそうですね。研修などで体系的に教えているのでしょうか?
遊免:メソッド化はしていないですね。担当の個性によるというか、その人らしいトークができればいいんです。あとでダメ出ししたりはしますけど(笑)。団体鑑賞のギャラリートークは、学芸員か非常勤のミュージアムティーチャーというスタッフが担当します。デビュー前に練習はあり、まず職員の前で何回か実演してもらう。それから、よく意見が出そうな学校で、どんな意見が出るかだいたいわかる定番作品を使って経験を積みます。他館ではボランティアさんに任せることも多いですが、高度なスキルが求められると考えています。
+5編集部:学校との連携では、出張サービスも行っているそうですね。
遊免:兵庫県は広いので、館に来てくださいと言うのは簡単ですが、遠くて行けない、近くに1つも美術館がないということがほとんど。だから、こちらから出向いていく、という出前授業です。1学期と3学期に10校ずつくらい学芸員やミュージアムティーチャーが回っています。美術館の作品画像だけでなく、バックヤードの写真も持っていくんです。保存修復する作品のX線写真とか、美術品輸送車の写真。「このトラックには空調とか、(作品への衝撃を和らげる)エアサスペンションが入ってます」と解説すると、子どもは、「わあ、すごいトラックや!」と盛り上がります(笑)。舞台裏って気になりますよね。そうやって興味をひいて、画像でいくつかの作品を鑑賞します。 いま学校教育の美術、図工の時間は、キットを使うとか「作業」が多くなっていて、美術の本来の目的があまり実現されていないことも多いんです。私は美術は、人が新しい視点を得たり、既成の価値観を疑ったりするきっかけになるものだと考えています。社会では、新しいものを生み出す力が重視されてきているのに、教育現場とうまくつながっていない。そこを美術館から発信してマッチングできたらいいなと思いますね。
遊免さんは、大学では美学・美術史を学びながら、学芸員資格を取得した。2013〜2018年には、全国美術館会議の「教育普及研究部会」幹事を務めるなど、いまは美術館のアートエデュケーションの専門家として活躍している。
+5編集部:どういう経緯で、今の仕事を行うようになったのですか?
遊免:15年ほど前に、当館のミュージアムティーチャーになったんです。もとはと言えば、学芸員の試験を受けたら落ちてしまったんです。落ち込んでいたら、当時マネージャーだった方から電話がかかってきました。「ミュージアムティーチャーという教育のポストを新設するけど、興味ある?」と。「あります!」と即座に答えて働きはじめたのがはじまりです。ただ、ミュージアムティーチャーを3年続けると、お先真っ暗になるんです(笑)。年限があって3年しか続けられない。大学院も並行していたのですが、博士論文は書けそうになく、満期退学することになり崖っぷちでした。ちょうどその時、当館の学芸員の方が一人退職することになり、しかも教育普及専門の学芸員を募集することになったんです。それで就職できました。奇跡ですよ。 学芸員になってからは、子ども向けのギャラリートークが主な仕事でした。子どもが新しい視点で作品のことをいろいろと教えてくれるので、「ああ、すごい」「そうなんや」と、感心し続けて今に到りますね。
+5編集部:仕事の醍醐味はなんですか?
遊免:お客さんに直に触れ合えることです。展示を担当すると、展示ができあがっていくプロセスが面白いんです。作家とのやりとりとか。トラブルもすごく起こる。そうやってできた展示をお客さんがどういうふうに観ているのか、ダイレクトな反応を間近で見られる、しかも話ができる、できたものを使って対話ができる、というのが魅力です。
+5編集部:アートエデュケーションにはどんな人が向いていますか?
遊免:コミュニケーションが苦でない方ですね。何にでも好奇心を持って、前向きに面白がれる、オープンな人が向いていると思います。美術にかかわらず色々な経験が活きる仕事です。ただ、非常勤の場合、モチベーションが保てるかどうかも大事です。当館はすごく薄給で、年限も3年。よほどやる気がないと続けられません。やる気がある人の給料が安いというのは業界の問題だと思います。ですから、キャリアの一環として、ステップアップになるかどうかですね。身に付けた力は、どこに行っても役立ちます。ここから巣立って、学芸員になる比率は比較的高いほうです。これからの美術館は「教育」で生き残ることになるのではと私自身は考えています。
+5編集部:次世代のアートエデュケーターにどんなことを期待しますか?
遊免:私たちがリーチできていない、美術館に来ないお客さんにいかにアクセスするかを試みて欲しいですね。デジタルへの対応もそうですが、そこがいまの美術館が一番手をつけられていない部分という反省があります。
+5編集部:美術館がアートエデュケーションを行う意義はどこにあると考えていますか?
遊免:美術館の強みは、「ものがあること」だと思います。いつの時代もそれに尽きます。空間全体が作品なんです。彫刻だったら、周りの空間、照明も。影を作品と見る子もいますよ。「動いている作品の影がきれい」と。美術館というリアルな場だからこそ感じられるものがある。視覚だけでなく、空気感、香りとか、あらゆる感覚が刺激されて得られるものがある。作品を介することによって、誰かの普段は見れない一面が現れてくる。ギャラリートークではそれぞれが作品について語るのですが、結局、語っているのは自分の価値観なんですよね。それが垣間見えるのが面白いといつも思います。そして、対話による鑑賞では、コミュニケーションを介して価値観や視点が変わる。一人で鑑賞する時と、クラスで鑑賞する時とでは、得られるものが全然違うんです。みんなでの学びというものがある。そこに意義があると思います。
新型コロナウイルスの感染拡大により社会環境のオンライン化が進む今、リアルな場やものは、より強くその真価を問われることになる。遊免さんは問いかけ続けている。そんな時代の先に、美術は、そして美術館はどんな存在意義を持つのだろう、と。「教育」という古くて新しい視点が切り拓く未来に注目したい。
注釈
[1] 対話型鑑賞教育「VTS : Visual Thinking Strategy」とは、ニューヨーク近代美術館の教育部長フィリップ・ヤノウィンとアビゲイル・ハウゼン(認知心理学者)が考案した鑑賞教育方法。鑑賞者同士の対話を通じて鑑賞を深め、「観察力」「批判的思考力」「コミュニケーション能力」を育成する。
[2] アメリカの美術家。ポップアート・ムーブメントを代表する作家として知られる。代表作はマリリンモンローの肖像画やキャンベルスープ缶など。
INTERVIEWEE|遊免寛子(ゆうめん ひろこ)
兵庫県立美術館主査学芸員。大学にて西洋美術史を、大学院にて日本の戦後美術史を学ぶ。2007年より兵庫県立美術館学芸員として勤務。主に教育普及を担当している。2013年度より2018年度まで全国の美術館が加盟する全国美術館会議の分科会「教育普及研究部会」(通称ERG)の幹事を務めた。現在、同館の教育支援・事業担当において、2名の学芸員と、鑑賞・制作をそれぞれ担当する2名のミュージアムティーチャーと共に、こども・学生・教員・大人まで、多様な来館者を対象とした教育普及プログラムを企画実施している
INTERVIEWER|末澤寧史(すえざわ やすふみ)
ノンフィクションライター。1981年、北海道札幌市生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。出版社勤務を経て、2019年に独立。共著に『わたしと平成』(フィルムアート社)、『廃校再生ストーリーズ』(美術出版社)ほか多数。Yahoo!ニュース 特集「『僕らは同じ夢を見る』—— 北海道、小さな森の芸術祭の10年」ほか取材執筆。秋に三輪舎から創作絵本『海峡のまちのハリル』を刊行予定
July 20, 2020