ビジネスとアートをつなぎ 新しい価値を創造する

ビジネスとアートをつなぎ 新しい価値を創造する

サウンドアーティスト、研究者|神谷泰史
2020.12.10
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「デザイン思考」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。ヤマハ株式会社やコニカミノルタ株式会社という日本を代表する企業で働きながら、サウンドアーティストとしても活動する神谷泰史さん。ビジネスとアート、社会とアートをつなげる活動の中でベースとなっているのは、「デザイン思考」にアートの要素を注入し、新しい価値を創造するための考え方でした。

既存の枠組みを超えた活動が今後ますます必要とされる中で、神谷さんにこれまでのキャリアとそこにおける「デザイン思考」の実践や思考の変遷などについてお話を伺いました。

日本の音楽文化への疑問から楽器づくりの道へ


——ヤマハ株式会社に入ったきっかけと、そこでの活動について教えていただけますか。


ヤマハには2006年から2018年まで勤めました。工学部卒のエンジニア採用だったのですが、幸いにして業務の中で「アーティストとの関係性の中から新しい価値を作っていく」機会にも恵まれました。その背景には大学時代からやっていた音楽やアート活動というものが大きくありました。

元々サウンドアートや実験音楽に関心があったので、大学院と並行してCAI(現代芸術研究所)という札幌にある現代アートスクールに通っていました。そうして「音」という表現媒体の可能性を探究しながら作品やインスタレーションを制作するなど作家活動もスタートさせたのですが、日本にはサウンドアートや実験音楽の市場が非常に小さく、それで生活できるかというと難しい現実がありました。また、2000年台前半は世界的に多様な音楽ジャンルが溢れていた時代ですが、日本の多くの方はJ-POPなどの限られた音楽ジャンルの音楽しか聴いていない状況があった。原因は音楽教育では?と考えました。そこで、ヤマハという会社で「楽器」を介して「教育」とは別の形で音楽文化を生み出せないか挑戦することにしました。


——そこからヤマハという会社につながるのですね。


当時、メディアアーティストの岩井俊雄さんとヤマハが共同開発した「TENORI-ON(テノリオン)」[1]という楽器が開発中のプロトタイプとしてありました。2005年にはアルスエレクトロニカで紹介され、これが21世紀の楽器だ!と、メディアアート界隈のみならず、国内外で高く評価されていました。このようなアプローチなら音楽文化を変えられるのでは、と思いました。そしてヤマハに入社し、研究開発から商品企画などを経験しましたが、当時の社内の正式な商品開発プロセスではTENORI-ONのような商品をつくることができず、この課題を解決するための組織をつくろうと思いました。


——どのような組織ですか?


「Start-up Sketching」という部門横断の新規事業開発組織です。社内で様々なバックグラウンドや考えを持つ人に声をかけ、3ヶ月を1サイクルとして一緒に新規事業を考えることを試みました。留意したのは、内部だけで完結せず、必ず社外の人やアーティストにフィードバックをもらいながら開発をするということ。また、この試みを会社に受け容れてもらうための論理的な「裏付け」が必要でした。そこで注目したのが「デザイン思考」。デザイナーがデザインするときのアプローチを、デザイナーではない人が使えるようにするために体系化されたものです。客観的に把握しやすいため、多様なステークホルダーとの共通の言語として機能します。「デザイン思考」をプロジェクトの根幹にし、社内で活動を続けました。成果が蓄積すると「良いアウトプットが出る」そしてそれは「デザイン思考の賜物だ」となる。次第に活動が認められ、社内評価も得ながら軌道に乗りました。


——課題や問題はありましたか?


社内だとどうしても想定内のアイデアに留まりがちになってしまうのが課題でした。そこで、社外も巻き込むイベントや、共創スペースをつくり、外部企業の人やアーティストを呼んでアイデア出しを始めました。それによって新しいアイデアはいろいろ出てきましたが、それをいざ事業化となった時には投資の判断が必要となるため、そこでストップしてしまいます。最終的にそのハードルを超えることはできませんでした。


——良いアイデアを商品化することの難しさ、ということですね。


会社組織における事業化では上部の意思決定の影響力が大きいため、これは普遍的な課題でもあります。しかし「本当に下から上の判断を変えることはできなかったのか」「そこにアプローチする方法があるのではないか」という思いはありました。「デザイン思考」をこれまでやってきましたが、独学と実践に依ってきた部分が大きかったので、一度きちんと本格的に学ぶことを考えるようになりました。


海外で見えてきた「デザイン思考」のあり方



——そして留学(2017年の1年間)に至るわけですね。



留学のテーマは、硬直しがちな組織の関係性をいかにデザインし直すかについて学ぶことと、「アートのアプローチ」と「デザインのアプローチ」を融合し、「アート思考+デザイン思考」を体系化することでした。



——留学先はデンマークですが、具体的にどのような活動をされていましたか?



学校はCIID[2]に通い、People Centered Designとインタラクションデザインについて学んでいたのですが、並行して「アート思考+デザイン思考」の研究を個人テーマとしてやっていました。そのリサーチのためにアーティスト・イン・レジデンスとしてベルリンに行きました。ベルリンは、アーティストがとても多い街で、最近の傾向としてアーティストが起業するケースや、スタートアップにアーティストが関与するケースが増えています。また、海外のスタートアップがベルリンに拠点を移すケースも多い。ビジネスとアートの関係性をリサーチする上でも良い場所だと思いました。現代アーティストとデザイナーの思考プロセスの違いに関するインタビューなどを通して、非常に面白い発見がありました。そこでの発見や気づきを元にして、Art Interaction Designというアプローチとしてまとめ、ベルリンでワークショップを実施しました。


——思考の変化のようなものはありましたか?



留学をきっかけに、数年前から使用してきた「アート思考」という言葉と「デザイン思考」との関係性が見えてきました。まず、「デザイン思考」の運用の仕方が日本とヨーロッパでは全く異なっていました。日本ではデザイン思考が固定化されたプロセスとして理解され、運用される傾向があり、その結果、企業での実践では結局アイデアが似通ってしまうケースがあります。でも、ヨーロッパにおいては、一見論理的にはつながりのない直感的なアイデアの飛躍や試みが普通に行われる土壌があると感じました。「アート思考」という言葉に対しても、「なぜあえてそんなことをテーマにするの?」と聞かれることもあった。つまりヨーロッパでは、「デザイン思考」という言葉の中にすでに「アート思考」の概念が含まれている。「アート」とわざわざ言わなくても、アート的な考え方を普通に持っている人が多いということに気づかされました。

そこからは、むしろ日本の企業においては「デザイン思考」がきちんとできる土壌をつくったほうが良いのではないかという思考にシフトしました。「デザイン思考」の中にアート思考的なエッセンスを少しずつ注入していく、という試みを現在は行なっています。



――「デザイン思考」と「アート思考」を対極的なものとして捉えると誤解が生じるが、両者の特性をうまく融合させるということですね。



企業のシステムの中にアーティストがいきなり入って新しい事業がつくれるかというと、つくれない。ただ、アーティストが持つ、社会を見つめる独自の視点によって斬新な初期アイデアを出すことは可能です。その初期アイデアを「デザイン思考」をもって具現化することができます。「アート思考」によって発見した視点を「デザイン思考」によって肉付けし、ビジネス上の新しい意味を発見するという考え方です。斬新な初期視点を見つけるといったアート的な観点や発想が必要な場所でアーティストとコラボレーションしていくことは、今後の企業活動にとって重要になってくると考えています。

Art Interaction Design ワークショップで神谷さんが使用した資料。

「アート+デザイン思考」で異なる領域をつなぐ

――そして、現在の勤務先であるコニカミノルタ株式会社に。

現在の所属は「ヒューマンエクスペリエンスデザインセンター」という、デザインによって全社戦略に関わる業務を行う「デザイン戦略部」ですが、こういった部門を持っている会社はまだそれほど多くありません。デザインの対象が「もの」だけではなく組織や経営施策、さらには文化など、より広いところに広がっています。

――神谷さんがコニカミノルタでつくった「envisioning studio」とはどのような場所ですか?


envisioning studioのスローガンは「未来を思い描き、来たる社会への新しい価値を”見える化”し、事業としての実現を目指す、新価値事業創出プラットフォーム」です。会社というものは組織の集合体であり、各組織が与えられた役割をこなすというのが基本構造です。ただ、ひとつ一つの組織がよくなれば良いというのではなく、会社組織全体で「新しい文化の上で新しい価値を創っていく」というムーブメントをつくらないと、本当の意味で企業自身が変革し、新規事業を連続的に立ち上げ、社会を変えることはできない。その実現を目指す取り組みです。


――スタジオがあるわけではなく「概念」としての場所。具体的にはどのような取り組みを行っていますか?


社内外のコミュニティを草の根的につくりながら、新しい価値を創る文化の土壌を耕しています。社外においては、例えば武蔵野美術大学と産学共同のプロジェクトとして、新しい価値をつくるワークショップや文化のデザインに関するイベント、新価値創出プラットフォームの構築などを行っています。社内の取り組みとしては、新しい価値の創出には多様な視点が必要になるにも関わらず、縦割り組織のためにそれぞれ孤立しがちになっている組織間を繋ぐような取り組みを行っています。その一例として、各部門が保有するの技術を「見える化」し、活用できる形にしようとしています。メーカー企業はものすごい技術の蓄積がありますが、多くの社員は所属先以外の部門が持っている技術を良く知らないという課題があった。それを「見える化」することで、会社の中にこんなにたくさんのアセットがあるということに気づいてもらえるようになり、それを活用して新しい価値を創ることが可能になります。「新しい価値を創る」だけではなく「創るための方法」を考えたり、そのための仕組みや体制をつくったりと、包括的な活動をしています。

留学時代のArt Interaction Designワークショップの様子。


――ビジネスの中で、アーティストとしての神谷さんの側面はどのように出ているのでしょうか?



コニカミノルタでは、アートの側面を全面的に出すということはしていません。ビジネスの文脈では、「アート」という言葉に対して懐疑的・批判的な印象を持たれる可能性があるからです。

ちなみに、僕のアーティストとしてのテーマを一言でいうと「音」と「音楽」の間を探る活動です。その延長線上で、近年は「音」だけでなく「動き」や「光」という要素を作品に使っているのですが、それらにも「音楽」との間が存在していると感じています。作品そのものよりも、「捉える側」の気持ちにどう作用するかという点に興味があります。
ビジネスにおいて、アートやデザインを二分して認識させることに意味はないと考えます。「アート」という言葉をあえて使わずに、ビジネス上でも広く認知されている「デザイン」の上で「アート」の文脈を注入していくことで、ビジネス開発の捉え方自体を変える、ということに引き続き挑戦していくつもりです。

また、別途所属しているデザインスタジオTAKT PROJECTでは、アート・ストラテジストという立場で、デザインの可能性をアートの視点からストレッチする役割として自主研究プロジェクトに関わっています。


―――最後に、今後のビジョンを教えていただけますか。


個人的なビジョンとしては、僕は「デザインとアートとビジネスの継ぎ手」だと認識しています。

「デザイン」「アート」「ビジネス」この3つを実践レベルで理解している人は多くありません。これら三者の間を繋ぐ仲介者として、新しい価値を生み出すための関係性をつくっていくということを継続してやっていきたいと思っています。

注釈

[1] ヤマハ株式会社が開発した、LEDボタンの操作によって演奏を行う電子楽器。

[2] CIID(Copenhagen Institute of Interaction Design)はコペンハーゲンにあるデザインスクール。「人とモノ」の関係性だけではなく、「人と人」「人と組織」「人と社会」などのインタラクションデザインについて学んだ。




INTERVIEWEE | 神谷泰史

北海道大学大学院工学研究科修了。Copenhagen Institute of Interaction Design(CIID)修了。 ヤマハ株式会社にて音楽の新しい楽しみ方に関する新技術・新商品の企画・開発、および新規事業創出の仕組み・戦略・組織づくりを推進した後、2019年よりコニカミノルタ株式会社において新価値事業創出プラットフォームenvisioning studioを推進。また、TAKT PROJET株式会社にて、アート・ストラテジストとして自主研究プロジェクトに関わる。 サウンドアーティストとしても活動し作品発表をする他、アートとビジネスをつなぐ取り組みの実践と、方法論の研究を行う。 https://taishikamiya.com/


INTERVIEWER|小島ひろみ
広島県出身。舞台芸術の制作や広告代理店勤務を経て、2013年から広島市現代美術館学芸員。企画担当した展覧会に「東松照明―長崎―」展(2016)、「村野藤吾の建築―世界平和記念聖堂を起点に」(2017)など。2018年から外資系ブランドのアート部門マネジャーを務める。現在は東京藝術大学大学院映像研究科主催RAM Associationに参加。