展覧会を保存する先の未来

展覧会を保存する先の未来

ART360|辻勇樹
2020.01.08
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展覧会を360度カメラで保存する事業について、その仕掛け人 ART360° ディレクター辻勇樹に聞く。ART360°とは一体なんであろうか?


ART360°ディレクター辻勇樹

山田:ART360°とは一体どういった事業なのでしょうか?

辻:ART360°というのは、360度撮影可能なカメラを使用して展覧会を撮影し、保存、活用していく事業で、京都を拠点とする公益財団法人 西枝財団が母体となって運営しています。現在までに撮影した展覧会はだいたい40本程度です。そのうちサイト上で公開しているのが、13本程度ですので、ほとんどがまだ眠ってます。今後、編集作業が終わったものから、作家さんやギャラリー、美術館への確認を経て、公開していきます。

山田:どんな展覧会を撮影しているんでしょうか?

辻:ART360°は公益事業なので、有識者委員会による年4回の選考会議を通して展覧会を採択します。時代背景や文脈、展示手法など、「いま撮影する理由」を専門家の方々と協議することで、公益性を保つよう努めています。現在は『REALKYOTO』発行人兼編集長でアートプロデューサーの小崎哲哉さん、それからヴォイスギャラリー(京都)代表の松尾恵さん、アートコレクターの島林秀行さんにご協力をいただいています。

展覧会を撮影するART360°チーム


プロダクト<インフォメーションと体験の共有の難しさ



山田:辻さんが360度映像での展覧会アーカイブ事業を始めた経緯を教えてください。

辻:前職(株式会社グランマ)でバングラデシュ人民共和国など、発展途上国でのリサーチ業務に携わらさせていただいた経験が元になっています。急激な経済成長が予測される南アジア地域で日本企業の参入する糸口を見つけるため、プロトタイプを制作・持参し、現地での反応を伺う仕事です。海外経験豊富な社長引率のもと、初海外・初バングラデシュという苛烈な状況ではありましたが、首都のダッカに2週間程度滞在をして、農村や漁村でインタビューを行いました。

まず驚いたのは、村にテレビが一台しか無いのに、老若男女を問わず誰もが携帯電話を持っていたことです。テレビ・冷蔵庫・洗濯機という「三種の神器」が日本を代表する先進国の経済成長を支えたわけですけど、途上国では発展が遅れたことで物を買えるぐらい豊かになる前に、軽くて安い情報が流通していたんです。同時にTwitterやFacebookというSNSも広まり、貧富の格差の大きい途上国では情報が大きな力になっていました。それを目の当たりにしたことで、物を作るという自分の職能にも些かの疑問を感じずにはいられませんでした。

帰国後、クライアントに調査レポートを提出したのですが、そこで直面したのが体験の共有の難しさです。映像や写真を使って膨大な資料を作っても、現地の熱量みたいなものがまったく伝わらなかったんです。自分の記録・表現の未熟さもあったかと思うのですが、写真や映像は、常に客観視というか、自分の外側にあって、当事者になりにくい距離感があるんです。それがある種の心地よさにもつながって、多くの人を魅了しているのかもしれませんが、実際に現地に行くと感じるイスラム圏独特の人との距離の近さとか、男性用香水のムワッとする匂いとか、所構わず鳴り響くクラクションの振動といった体験は失われているんです。ロジカルな経営判断にはまるで必要ないような情報のように感じますが、こういう体を通して得られるものが肌感覚で共有できていないとできない話があるということを知り


恒久的にアートインスタレーションとして保存していくことの意味ってなんなんだろうって考えさせられました。



辻:その後、いろいろと思い悩んで会社を離れたのですが、途上国で通訳を介してしかコミュニケーションができなかったことに悔いが残っていました。またメディアの影響について考えるようになったこともあり、ニューヨークの語学学校に留学させてもらいました。アメリカは人種や性別、宗教など様々なテーマを抱えていて、メディアの役割を体感するにはとても良い場所だと考えたからです。しかし、一番驚いたのはアートギャラリーの数です。2016年で世界の6%のギャラリーがニューヨークに拠点を置いており、世界一です。毎日どこかでオープニングがあって、展覧会が開催されていました。学校の授業でアートギャラリーをめぐる授業があって、SOHOにあるディア芸術財団(Dia Art Foundation)が運営するスペースを見に行ったんです。そこでウォルター・デ・マリアという作家の『The New York Earth Room』※1という作品に出会いました。1977年にニューヨークの一等地であるSOHOのビルの2階に土を敷き詰めて、それが何十年もずっとそこにある。本当にただ土が敷き詰められたその展示にすごく感動したんです。

Walter De Maria, The New York Earth Room, 1977. © Estate of Walter De Maria. Photo: John Cliett

※1『『THE NEW YORK EARTH ROOM』1977

ニューヨークアースルームは、1977年からニューヨーク市のウースター通り141番地のロフトに設置された、アーティストウォルターデマリアによるインテリア彫刻です。床面積、および材料の22インチの深さ。この施設には、過去23年間、同じ世話人であるビルディルワースがいました。


辻:SOHOだからすごく地価も高いはずで、そういう場所を恒久的にアートインスタレーションとして保存していくことって完全に経済合理性から外れている。この作品との出会いが、アートや展覧会に対する価値観を変えるきっかけだったように思います。デザインもアートも物であるという点では同じですが、役に立ったり、何かを解決することを前提として作られるデザインには、人のための合理性があります。しかし、人とアートの関係は、森で未知の生物に出会ったときの感覚と似ていて、ただそこに不可解な営みがある。わからないものに出会うと人は困惑したり、警戒したり、恐怖したりします。ニューヨークという大都市にある土の部屋はそういう人と自然の対比そのもので、訪れる人はこの積み上がった土を前にただぼーっと立ち尽くしたり、何度も廊下を往復したり、友達と相談したりする。アートとの出会い方を計画することで、多様な見方を生みだす装置としての展覧会の魅力もまた実感しました。そこには僕がこれまで経験してきたデザインとは異なる、答えのない心地よさがありました。


人は本質的に「類は友を呼ぶ(”flock together”)」



辻:アメリカにいたのは2013年なんですが、SNSが広く普及したタイミングでもありました。中東・北アフリカ地域でアラブの春※2という大規模デモが facebook での投稿をきっかけに起きたことで、インターネットが仮想ではなく、世界の一部であることを実感しました。

一方で、MITメディア・ラボのシビックメディアセンターでディレクターを務めるイーサン・ザッカーマン准教授は自著の『REWIRE』で、人は本質的に「類は友を呼ぶ(”flock together”)」と言います。これは現代に生きる私たちがインターネットを通してあらゆる情報が得られ、誰とでもつながることができる状況にありながら、より自分と近い性質を持つ集団とのつながりを強める傾向です。例えば、アメリカとイギリスはどちらも英語を母国語としていますが、9割以上の国民がそれぞれ自国のメディアを消費しています。世界はつながっているように感じていましたが、決して一つになったわけではなく、むしろ実世界の偏りをより強化していたわけです。

メディアの本質に触れることで、捉え切れないほど大きくて目に見えない社会の振る舞いが、実はひとりひとりの経験、感情的で生っぽい動物としてのヒトをベースに作り上げられていることに意識的になりました。またデジタルメディアが仮想ではなく、体験として私たち自身の振る舞いに影響を与えていることを知り、新しいメディア体験を提供することができないかと模索し始めました。

※2 アラブの春(ARAB SPRING)
2010年から2012年にかけて中東・北アフリカ地域で発生した、前例にない大規模反政府デモを主とした騒乱の総称である。


作家も残したいし、誰も潰す事を良しとしていないと。この問題はなにか解決できないかというのは考えていましたね。



辻:日本に帰国して、大学院への進学を準備しながら、偶然に学生時代にお世話になったギャラリーから京町家アーティスト・イン・レジデンス (京町家AIR)という、オランダのアーティストの滞在制作支援を手伝ってくれないかと依頼をされ、そこからローカルアートメディアの運営や芸術祭の展覧会マネジメントなどに誘っていただくご縁があって、自然とアート領域で仕事をする機会ができました。

展覧会の裏側に入って感じたのはその代謝のスピードです。展覧会は貸会場で行う場合が多く、家賃も高いため完成して1-3ヶ月で閉場します。作家と長い時間をかけて相談し、苦労して作って、解体するときは何とも言えない気持ちになります。あと、閉館日や閉場直後にいらっしゃるお客さんの残念そうな顔もとても悲しく、涙が出そうになります。作る側も残したいし、見る側も残したい。The New York Earth Room のように、これを恒久的に残すことができたらなんて幸せなんだろうと考え始めたのはこの頃です。

ちょうどその時にArtsyというインターナショナルアートメディアが『Inside the Biennale』と題してベネチアビエンナーレ2017を360度映像配信していました。見た瞬間に、面白いなーこういうことできないかなと思っていた時に、西枝財団さんから新事業立ち上げのお話があって提案したのがこのART360°が始まるきっかけです。それが2017年ですね。

"Inside the Biennale"2017



全然画質が荒くて視聴に耐えられるレベルではなかったけれども、それでも体験として非常に優れていると思いました。



山田:実際に運用が始まるのが2018年の8月ということですが、ベネチアビエンナーレの360度映像を体験して感じるものがあったということですが、それは一体どういうところだったんでしょうか?

辻:ベネチアに行ったことはないですし、展示を見ていないんですけど、映像を見た時にシンプルに良い展示だなと思えたんです。回線速度の問題で荒い画質で映像としては見にくかったんですけど、そこにいるような感覚だったりだとか、体験として非常に優れていました。

探索性と呼んでいるんですが、普通の2D映像はある程度、製作者が何を見せるのか、何を伝えたいかを完全にコントロールすることができるコース料理みたいなものなんですけれど、360度映像はどちらかというとバイキング形式。制作者は空間を与えるだけで、どこを見るかは鑑賞者に委ねられている。紙や写真、映像と、これまでいろんな視聴メディアがありましたけど、鑑賞者に主導権のあるメディアってなかった。そこに対して新しい時代が来たなっていう感覚がありました。

360度映像は2D映像の延長線上にあると考えられてますけど、体験としては根本的に違うものだと考えています。鑑賞者の能動性が許されることこそが「体験する」ということだと思うんです。映画館で見ている映像とかはあれってどちらかと言うと体験ではないじゃないですか。自分はどちらかというと脇役で、主役は向こう側にありますが、体験というのは自分が主役になるということ。そういう状況を記録して追体験できるメディアは VR 以前にはありませんでした。

展覧会には空間性がありますよね。その瞬間、その時を記録できるメディアがなければいけない。そしてVRという技術はユーザーの能動性を担保したまま再生できるメディアです。そういう追体験できるメディアとしてあるので、このふたつを繋ぐことでできるメディアというのを考えたんです。

ART360°を利用した教育体験プログラム


ART360° は図書館。プラットフォームではなくて、インフラになりたい。



山田:ART360°を運用していく中で、一番思案したところはどこですか?

辻:撮影です。最初の撮影は、彫刻家 金氏徹平さんが大阪北加賀屋にある MASK [MEGA ART STORAGE KITAKAGAYA] で開催した展覧会です。そのときは私がひとりで撮影に伺ったのですが、本当に手探りでした。撮影を受け入れる側も経験がないので、事前に使用する機材や配信方法、社会的意義など包括的にご説明が必要です。また、実際の撮影も既存の2D映像の撮影でいうフォーカスや画角という概念が存在しないため、被写体とカメラの距離や高さ、日照条件や鑑賞者の有無などが大事になってきます。感覚としては舞台演出に近く、展覧会全体の構成を観察・把握して、より自然に展覧会を訪れたときの感覚を残すように努めています。今では国内外50展近くの撮影を経験しましたが、展覧会という装置における身体性や記憶をアーカイブするための方法はまだまだ試行錯誤が必要です。

MASK - Mega Art Storage Kitakagaya, Japan 2017.11.3-26


山田:時代的には機材など技術的なものが、どんどん変わっている時代だと思うんですが、その辺りはどうですか?


辻:ART360°では、Insta360社のプロフェッショナル機材を使っていますが、この2年間ですでに3回のアップグレードがあり、解像度は 8K、色域は 10ビット にもなります。データ容量は当初から比較すると4倍以上になっており、美術館規模の展覧会だと一度の撮影で数テラバイトになります。ART360°では全ての撮影データを残すことで、未来の新たな提供方法への対応、大学などの文化研究に寄与することを想定しており、膨大なデータの保守管理も今後考えて行かなければならないテーマです。

ART360で使用している機材 右よりinsta360社titan pro2 oneX Oculus社Oculus Quest

山田:時代的にはこのVR市場っていうのは、大きくなっているんですか?


辻:VR技術は90年代に発表されて以降、一度忘れられています。それが、通信技術の進化に伴い、また注目を集めはじめました。過去から少し先の未来にかけての成長曲線をイメージしながら事業を舵取りを行っています。そもそも ART360° を始めた 2017 年時点では、360°カメラにしても、VRヘッドセットにしても、一般ユーザー向けの機器は多くは発表されていませんでした。コロナウィルスの影響によって、遠隔で身体的な価値を提供する必要性が高まっており、これから数年でさらに大きく変化していくと考えています。



営み続いてきたもの、積み重ねてきたものが結果として文化として継承されていく



山田:ART360°の拠点は京都にありますが、京都であることや関西圏など、エリアに感しては意識されていますか?


辻:あんまり京都を意識したことはないですが、東アジアにおける日本文化の立ち位置を明らかにしていくことは大切だと考えていて、海外の展覧会も撮影対象に含んでいます。多くの日本人が実際に体験できているのは国内の展覧会に限られます。異なる価値観や生活スタイルを背景とした展覧会を撮影することで、言語を介さない異文化間交流が実現でき、その経験が日本文化の発展にも寄与すると考えています。

クリフォード・ギアーツという文化人類学者がいるんですけど、文化っていうのは分厚い記述(Thick description)だといってるんです。文化という物があるわけではなくて、振る舞いやコミュニケーションなど、営みのなかで積み重ねてきたものが結果的に文化として継承されている。全てのものがいずれは朽ち、忘れられることが避けられない世界で、アーカイブという行為それ自体に人間という生き物の本能的な欲求が現れているように感じてなりません。しかし、デジタル技術の普及によって、SNSなど膨大なアーカイブが網羅的に行われています。これに関して自分自身は懐疑的で、何を、誰に、どのように残すのかについて個々人が意識的になることで変わる未来があると考えています。

現代において、展覧会は日々作られては数ヶ月で無くなっています。展覧会という装置を単なる空間や造形物としてではなく、人の動きや時間を含めた分厚い記述として残していかないと、アーティストが投げかける新たな概念や価値観の変化についての議論を、未来に繋ぐことができないのではないか。過去の遺産を継承するためには莫大な予算をつけることができますが、現代文化の保存に対しては多くの人を説得する材料を持ち合わせていません。それは一つに文化というものが、古いもので、国や社会を象徴していて、誰もが価値を認めるものという既成概念があるからではないでしょうか。そういった過去も含め、綿々と受け継がれてきた結果である目の前の出来事に対峙し、様々な解釈を与えていくことで見えてくるものは沢山あるはずです。どうやったらアーティストが提示する新しい世界の見方をより多くの人と共有し、考えるきっかけを作ることができるのか。展覧会を保存していくことで、それは実現できるのではないかと期待しています。


INTERVIEWEE|辻 勇樹(つじ ゆうき)

Actual Inc. 代表取締役 / ART360° ディレクター。京都精華大学卒業。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科エクス・デザインプログラムでは競技用義足のデザイン研究を行う。株式会社グランマにて発展途上国でのデザインリサーチに従事。渡米の後、2015年より京都を拠点に活動する。2017-18年 KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭 プロジェクトマネージャーとしてTOILETPAPER Magazine/Jean-Paul Goude などの展示マネジメントを担当。2018年より360°展覧会アーカイブ事業 ART360°ディレクター、2018年11月に Actual Inc. を設立。


INTERVIEWER|山田毅(やまだ つよし)

1981年 東京生まれ。2017年 京都市立芸術大学大学院美術研究科彫刻専攻卒業 

映像表現から始まり、舞台やインスタレーションといった空間表現に移行し、ナラテイブ(物語)を空間言語化する方法を模索、脚本演出舞台制作などを通して研究・制作を行う。2015年より京都市東山区にてフリーペーパーの専門店「只本屋」を立ち上げ、京都市の伏見エリアや島根県浜田市などで活動を広げる。2017年に矢津吉隆とともに副産物産店のプロジェクトを開始。2019年春より京都市内の市営住宅にて「市営住宅第32棟美術室」を開設。現在、作品制作の傍ら様々な場作りに関わる。