2023年12月、C.A.P.(特定非営利活動法人 芸術と計画会議)で新たな取り組みとなる「CAP STUDY-芸術鑑賞のための講座の実験-」が始まり、音楽・美術・ダンスという3ジャンルで講座が展開された。副題にある、「芸術鑑賞のための講座の実験」とは一体どのようなものだったのか。実際にCAP STUDYに生徒として参加した筆者の実体験をもとに、ダンス、音楽、美術のレポートをそれぞれ紹介していく。
本記事では、音楽の講座を振り返りながら、これからのCAP STUDYのあり方についても言及していく。(本文中は敬称略)
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音楽の講座で講師を務めたのは、音楽家のHirosこと中川博志であった。中川は、インド音楽理論の研究家であり、バーンスリー奏者(インドの横笛)としても知られている。下田とは、旧知の仲であり、C.A.P.には初期メンバーとして関わっていた過去もある。中川の講座は全3回全て、下田との対談形式で講座が行われた。今回のCAP STUDYの中で、対談形式で進行されたのは音楽だけだったが、これは中川が、下田の知識や学びのスタンスを参加者と共有しながら進めていきたかったからだという。
中川「下田さんは元々ロック少年、ベーシストでね。彼はジーベックに入ってすごい視野を広げたんですよ【※1】。で、僕も同様にジーベックで活動をしていて全然知らない音楽ジャンルを知るようになったんだけど、下田さんの飛躍は特にすごくて。いろんなものを学習して、それを使っていくという意識も強い人だからね。全く違う新しいジャンルが目の前にきても、これなんだろうって知りにいく。そうすることで自分の専門性も広がるはずなんですね。僕自身もそうだったから。」
現在C.A.P.のメンバーはファインアート系のアーティストが中心だが、初期のC.A.P.には、音楽家や様々な芸術ジャンルのアーティストがいたという。その頃のC.A.P.のいいところは、やはり異なるジャンル同士の交流と共創で、近年は全体の傾向としてそのようなものが減っているのではと中川は感じていたという。だからこそ今回のプログラムは、元々ミュージシャンで、現在はC.A.P.を通して特にファインアート領域を支えている下田を媒介にすることで、領域を横断しながら学ぶことの楽しさ、可能性に言及したかったそうだ。さらにC.A.P.で実施するということを念頭に、C.A.P.の現在のアーティストたちが何か感じてくれればとも考えて対談形式にしたそうだ。
中川「やっぱりアート活動にはいろんなジャンルの要素が含まれていて良いと思うんです。だから今回学びにきてくれる人とC.A.P.のメンバーに向けて、音楽の方からそういう楽しさを、下田さんの姿勢からも伝えられたらいいなと。僕もいろんなジャンルの人と交わったり海外に行ったりして広げてきたこともあって、「こういう音楽を知ってほしい」じゃなくて、音楽というものはなんて面白いんだということが伝わればと。そしてそれがもっと深くいくと、人間がなんでこんなものを始めたんだとか、そういうところまでいくと思うんですよ。」
中川の講座は総じて、音楽というものと「新しく」出会う内容だったと言える。
1回目の講座「西洋音楽を相対化してみる」では、中川の実体験に基づいた未知の音楽との出会いと衝撃、そして音楽に対する我々のアイデンティティはどこにあるのかという問いかけが中心であった。
講座はビートルズの「Norwegian Wood(邦題:ノルウェイの森)」を全員で聴くところから始まった。「Norwegian Wood」が生まれた1965年は、ビートルズが映画『HELP』でインド文化、特にシタール(北インド発祥の弦楽器)と出会った年でもあり、後にインド音楽に影響を受けた楽曲がいくつも作られている。
当時高校生だった中川が初めてこの曲を聞いた時、まずシタールの音色に驚いたそうだ。また当時、民族音楽学者の小泉文夫がやっていたNHKのFM放送の番組でも、インド音楽が紹介されており、なんだこれはと、自分の中に形成されつつあった音楽感のようなものにパラダイムシフトがおこったのだという。その後大学生になった中川は、海外旅行の途中、インドの列車内で演奏をしながら楽器を売る行商と出会ってバーンスリーを、インド北部のアーグラではシタールを購入し、本格的に自身でも演奏を始めるようになったそうだ。
我々がインド音楽について最初に教わったのは、「和声がない」ことだった。和声とは、リズム・旋律と並び、音楽の3要素のひとつと言われている和音の連なり、つまりハーモニーのことである。今日我々が聞いている「音楽」の多くにはハーモニーがある。それが当然だと思っていた我々は、衝撃をうけた。
中川は、さらにインド音楽には、楽譜もなければ、タイトルも無いことが多いと付け加える。タイトルとは商業的価値を持つようになってから、判別するためにつけられたものであるが、インドの伝統音楽はそもそも街中で即興的に行われたり、日常生活の中にあるものなので、商業利用する必要がないのでタイトルがないらしい。ではどうやって違う曲と識別するか。それは出だしの歌詞だけだという。歌詞もあるものとないものがあり、ないものはラーガ【※2】の名前だけで判別するという。ラーガとは数ある音程のうちどの音程を使うかと言うルール、つまり旋法のことである。
数十年前、インドに滞在していた中川が、インドの大学で最も驚いたのは、西洋音楽を聴く機会がほとんどなかったことだという。まず学校にピアノがない。富裕層はともかく、一般家庭にもピアノがないし、ベートーベンもバッハも聴く機会がない。そして現地の音楽を聞いても、楽譜がなく、タイトルがついていないものも多い。そんなインドで3年暮らす中で、最もショックだったのは、現地の人たちに日本の音楽について聞かれ、全く答えられなかったことだという。インドには固有の音楽がこんなにある。一方の日本では何が自分たちの音楽なのだろうと。堂々とこれだと言えない自分にショックを受けた中川は帰国後、日本の音楽とは一体なんなのか、雅楽や、落語、能楽など伝統文化をはじめとする様々な「音楽」を聞きながら探究をしていったという。
中川が日本の音楽をたどる中、最終的にたどり着いたのが「声明(しょうみょう)」であった。声明とは、僧が経典を唱える際に、さまざまな節をつけ、また一定のリズムを保つなど、音楽的な技巧を凝らすことで釈迦の言葉をより美しく彩る唱えのことである。
そしてその起源はインドに遡る。仏教が生まれたころ、釈迦やその弟子たちは教えを文字に残すだけではなく、口伝えに「語る」ことで人々に広めようとしていた。その中で、仏教の様々な知識を「経典」(お経)として文字に残すだけでなく、経典にリズムやメロディーを付けて多くの人に広めようとする動きが生まれたのが由来とされる。日本語による声明は平安中期以降に始まったと言われ、つまり1000年以上の歴史を持つ「お坊さんたちの音楽」と言える。
講座の最後には声明を全員で聞いた。声明を初めて聞いた筆者は、自分の知っている音楽とはあまりにかけ離れた声音に呆然とし、おそらく中川がインド音楽に出会った時のような衝撃をおぼえた。
中川「今は音楽っていう芸術に、自分の存在をかけて対峙するみたいなことってなくなりつつあるんじゃないかな。昔は何かを聞いた時に大きな衝撃を受けて、その道に入ろうって思ったりすることもあったはずだけど、今はBGM的に聞かれていることが多いように思います。聞きたいものをピンポイントで聞けますよね。昔はラジオや番組で紹介されていたんですよ。今と比べると不便かもしれないけれど、驚きや発見は多かったと思います。」
1回目の講座では、今まで触れる機会もなかったインド音楽、そして声明との衝撃的な出会いを体験し、自分が西洋音楽を中心として形成してきた「音楽感」のようなものが揺さぶられ、変化していく兆しをおぼえた。これはおそらくひとりでは出会えなかったもので、改めて「新たな鑑賞」の機会は、新たな人との出会いによっても広がっていくものなのだと感じるものであった。
2回目の講座「日本の音楽とインドの音楽」では、知られざるインド音楽、そして声明の世界を対比させながら価値観がさらに広がるような授業であった。冒頭に、声明の楽譜「博士(はかせ)」【※3】が配られ、「散華(さんげ)」【※4】という曲のものだと紹介された。「散華」は本堂にお釈迦様をお迎えする時、花を散らし、場を清める時に歌う声明だそうだ。中川によれば、非常にメロディアスな楽曲で、訓練を受けたお坊さんしかちゃんと歌えないという。我々は博士の読み方を習い、「散華」の楽曲をひととおり聞いたあと、それを全員で実際に歌ってみる。
独特の抑揚のある音を出すのに必死であったが、自分が普段は使わない音を出すことで、日常生活の中で、限られた音しか発していないことに漠然と気づかされた。古来より人間は、何らかの儀式の際、口上を述べたり歌を歌ったりしていた。その時に発する音というのは、日常会話のような抑揚ではなく、見えない何かに語りかけるため、特別な抑揚をつけて音を発していたのではと中川は指摘する。声明というのは当然お経がベースになっているので仏様に向けた歌である。日常会話はトーンも声量も、どこかブレーキがかけられているが、神聖な何かと向き合う時はそれらを解放し、自己に出せる限界で挑むのだろう。
中川「音楽って何か。それを考えさせられるものとして、声明はまだまだ可能性があるし、何かクリエイティブなことをしようと思った時に、知っていれば活かせるんじゃないかなと思うんです。」
また、歌う空間も重要である。中川は、神戸の飲み屋で出会った僧侶に連れられて、知恩院に行ったことがあるそうだ。その際、木魚があり、鐘があり、僧侶が座る場所があって、衣装も豪華なこの場所は、まるでひとつのステージだと感じたという。そうみるとすごく面白い空間に見え、この限定された空間でのみ行われる音楽を、人に届けられないかと僧侶たちと相談し、声明グループ「七聲会(しちせいかい)」【※5】が結成された。
その後、世界中で公演を重ね、特に欧州では熱烈なファンも多い七聲会だが、最初の公演は下田も働いていたジーベックホールだったという。そこでは「アジアの音楽シリーズ・浄土礼讃とインド音楽」と題し、声明とインド音楽のコラボレーションをおこなったそうだ。
講座で流された当時の音源では、郷愁感のあるインド楽器の旋律に僧侶の声が重なり、講座の空間に、極楽浄土にいるような音の世界が広がった。そして声明に親しみがなくても日本語で発声されるその歌は確かに自分たちの歌であるように感じ、同時に自分たちがインド音楽と手を取っているかのような奇妙な気持ちにさせられた。これはたった2回の講座であっても、自身のアイデンティティを音楽の側面でも認識し出したからかもしれない。
また、中川から提示される曲は、毎回自分の見識だけでは辿りつかないものが多く、世代の異なる相手との価値交換をすることの重要性にも気付かされる。同世代にしかわからない共感や喜びもある一方で、世代を超えた鑑賞体験の共有も重要だということを思い出させた。
中川「うちのマンションは年寄りがすごく多くて、独り身の方も多いんです。しかもこれからはもっと増えるじゃないですか。それをどうやって解決していくのか。僕は今麻雀をしてるんですけど、とにかく生活以外の何かしらの活動の楽しみみたいなものを、どこに見出せるかだと思うんです。それがあれば人と繋がれるし、コミュニティもできるし。
そういうものが神戸の街中にできてきたら、知らなかった人同士が街中で会って『やぁ』と。そういう人の広がりがあれば面白いし、C.A.P.もある意味ではコミューンだと思うんです。そんなコミューンの活動が神戸で広がっていくと、気持ちのいい、住みやすい街になるんじゃないかなぁ。」
第2回の授業風景
音楽最後の講座では、下田がメインのスピーカーとなり、そこに中川が補足を入れる形で、主にアメリカの実験音楽の作家たちが紹介されていった。インド音楽がアメリカの実験作曲家に大きな影響を与えたことを下田が紹介し、実験音楽とはなんだったのかが下田によって語られる。「実験音楽」という言葉は1950年代に使われ始め、55年に作曲家のジョン・ケージが、自身の音楽を称する言葉として使ったと言われている。講座ではジョン・ケージの「4分33秒」を初め、ラ・モンテ・ヤングの「弦楽三重奏」、テリーライリーの「in C」など実験音楽を代表する楽曲を順に聞いていった。
彼らが行った「実験」は、美しい音を作ることではなく、音を作るプロセス自体を音の現象として聞かせることに集中していた。インド音楽や声明とはまた違った特色(ジャンルレスであり、伝統的でなく、結果が予測できない)を抱える「実験音楽」もまた、我々にとっては新しく、戸惑いもあるものの、1回目、2回目と未知の音楽と出会っている経験から、すぐに分かろうとせずに、まずはどのようにこの音と向き合えばいいのか、聴覚を通して距離を探る姿勢になっていることにも気づいた。
中川「今って多分これいいなってなったら検索できるじゃないですか。バンドとかなんでも。ある意味ではすごいピンポイントで狭くなっているのかもしれない。チャンネルというのは、自分とは関係のないところから開いていかないと、新しいものって入ってこないんですよね。パーソナライズとかもそうだけど、なんでも選べて広がっているように見えて、実際は鑑賞者の想像力を狭めようとしているんじゃないかと。だからそういうことになりつつある現在をなんとかして、想像力の幅をどう広げていけばいいか、そのあり方を提供していきたいと思っていました」
講座の最後には、1998年から 2003年まで国際交流基金のプログラムとして実施された、「エイジアン・ファンタジー・オーケストラ」のコンサート音源が紹介される。これは各国の民族音楽に精通した音楽家たちが参加したオーケストラで、中国・日本に加え、その地にいるポップスターたちも加わりながらアジアを回って演奏するものだった。中川はバーンスリー奏者として参加している。各国の伝統音楽、そして文化が混じり合いながら音を作っていくさまをききながら、我々は自国の音楽とはなんなのか、また考えさせられた。
中川「音楽は聞いて「楽しむ」ことが最も重要な要素ですけれど、想像力を広げていく素材でもあるということを共有できればと思っています。いろんなミュージシャンが苦悩しながら新しいものを今でも生み出そうとしている。それは美術だろうが音楽だろうが同じだけれど、とにかくあくなきクリエイティブの欲求がある。それを音楽を通して共有できればいいなと」
音楽の講座はCAP STUDYのテーマである「鑑賞」を中心地におきながらも、その対象となる「音楽」がそもそも知らないもので、発見の連続であった。合わせて、異国の音楽を知りながら、同時に自国についても深く見つめ直す重要な機会となったことは確かだ。
私たちはそもそも、西洋音楽を中心とした音楽教育を受けてきている。明治時代に学校教育における音楽の基盤ができ、教室にはベートーヴェンやバッハの肖像画が飾られ、欧米から伝わってきた音楽を「古典(クラシック)」として聞いて育ってきた。今まではそのことになんの疑いも持たなかったが、中川の講座を通して、日本人として、さらに言えば自分というひとりの人間が、どう音楽を聴くのかというところに帰結した。
音楽との出会い方は、この20年で大きく変わっている。特に現代では、ストリーミングサービスが音楽との出会いの場となっている。視聴行動分析サービスを提供するニールセン デジタル株式会社は、音楽配信、音声ストリーミングジャンルの各利用状況を2023年7月に発表しているが【※6】、それによると日本で、「Spotify」を1,257万人が、「radiko.jp」を834万人が、「Amazon Music」を726万人が日々利用している。これは日本人口の約20%に当たる。気軽に音楽と出会える反面、パーソナライズされたサービスの中では、セレンディピティはある種、ほとんどないと言ってもいいだろう。
やや極端な物言いかもしれないが、あるのは、ストリーミングサービスでのザッピングと、パーソナライズによってカテゴライズされた好みの視覚化、そしてほとんど聞かなくなるお気に入りリストが残るだけだ。
音楽との本当の出会い方。それは人と出会い、話すことだというと大袈裟だろうか。しかしこと鑑賞においては、その音楽の背景や文化を知り、自分の文化と照らし合わせながら自分の視点で聴くことで、初めて「鑑賞」ができるのではないか。中川の授業はそんなスタートラインへと導いてくれるものだった。
C.A.P.が実施した今回の取り組みは、今年度(2024年)も継続して実施される。今回の3講座計9回の実験を経て、あらたにARTS STUDYとして内容、数ともにボリュームアップして近々その内容がリリースされる予定だ。場所もCAPのある神戸市立海外移住と文化の交流センターから、主に三ノ宮の中心地へと会場を移してプログラムを開催する。
芸術鑑賞のための講座は多くとも、芸術そのものへの問いかけから考えていく丁寧な講座は全国を探してもほとんどない。もちろんどんなアート講座も「アートとは何か?」という問いかけは行っているが、ほとんどは数十分の話で終わり、残りは方法論の話となることが多い。その中で今回の「CAP STUDY」で行われた全9回の実験では、徹底的に、それぞれの芸術領域への向き合い方を深めていくものだったように思えた。講師は3人とも、示し合わせた訳でもないのに、誰も鑑賞の方法論について説こうとしていなかった。これはそれぞれの領域で長く活動を行っていた3人だからこそ、音楽・アート・ダンスとは何かを突き詰めていく先に、本当の鑑賞があると信じていたからではないだろうか。また3者それぞれが、各芸術領域と鑑賞者の「自己」を接続することの重要性を提示していた。芸術の鑑賞とは、誰かの作ったフレームの中でするものではなく、あくまで自分の経験、観念、人間そのものをベースにして行うものなのだと。だからなおさら、自分と接続させるためにも、各芸術領域がなんであるかを知る必要がある。
今回の「CAP STUDY」は、あくまで実験ということもあり、学んだことをアウトプットできる機会は少なかった。2回目以降は、芸術を身体的に学びながら、アウトプットの機会も多いと、より充実した学びになるだろう。そして神戸を中心として能動的な鑑賞者の連帯が広がり、鑑賞者たちが各芸術施設、アーティストに接続し、都市のあり方を芸術で少しでも変えられたらどんなにいいだろうかと、そう思う。
関連情報
(URL最終確認2024年7月1日)
(URL最終確認2024年7月1日)
C.A.P.の歴史については+5の過去の記事を参照されたい。
アーティストの連帯が街に浸透するC.A.P.(芸術と計画会議)の試み<前編>
アーティストの連帯が街に浸透するC.A.P.(芸術と計画会議)の試み<後編>
(URL最終確認2024年7月1日)
中川のこれまでの活動等が詳細に掲載されている。
(URL最終確認2024年7月1日)
注釈
【※1】相原 信洋
(URL最終確認2024年7月1日)
【※2】ラーガについては以下のサイトに詳細が記載されている。
VOL.6IconHINDUSTANI MUSIC TERMS ラーガ&ターラ!いまこそ知りたい☆インド音楽用語と基礎知識
(URL最終確認2024年7月1日)
【※3】博士(はかせ)
「博士」という言葉は、かつて朝鮮半島、中国から日本に学術技芸を伝えた人を「博士」と言い、7世紀に国の役人養成機関に中国語の発音を学ぶ「音博士(おんはかせ)」が設けられたことから、声明の唱え方を正しく伝える楽譜を「博士」とよぶようになったといわれている。
(URL最終確認2024年7月1日)
【※4】散華(さんげ)
(URL最終確認2024年7月1日)
【※5】七聲会(しちせいかい)
(URL最終確認2024年7月1日)
【※6】Nielsen「ニールセン、デジタルコンテンツ視聴率のMonthly Totalレポートによる 音楽配信、音声ストリーミングジャンルの利用状況を発表」
(URL最終確認2024年7月1日)
1950年、山形県生れ。1981年~1984年インドのベナレス・ヒンドゥー大学音楽学部楽理科に留学、インド音楽理論を研究。大学のかたわら、バーンスリー(横笛)、ヴォーカルを習う。後にハリプラサード・チャウラスィヤー氏、故マルハール・クルカルニにバーンスリーを師事。自身の内外での演奏活動の他、聲明グループ<七聲会>のプロデューサーとして国内外の舞台公演制作、アジアの音楽を中心としたコンサートの企画制作の活動を続けている。訳書に『インド音楽序説』(東方出版、1994)がある。
+5(plus five) 編集長。
1988年京都府生まれ。京都外国語大学卒業後、学習塾の運営に携わりながら、海外ボランティアプログラムを有する、NPO法人のプロジェクトリードに従事。その後、ルーマニアでジャーナリズムを学び、帰国後はフリーランスのライターとして経験を積むかたわら、大手人材紹介会社でコンサルティング営業、管理職として組織マネジメントなどに携わる。現在は「+5」の推進をしながら、「言論空間の拡張」をキーワードに、アートと他領域を接続するメディアプロジェクト「dialogue point」のディレクションなどを行っている。