CAP STUDY|レポート① ダンス

CAP STUDY|レポート① ダンス

桐惇史
2024.07.25

2023年12月、C.A.P.(特定非営利活動法人 芸術と計画会議)で新たな取り組みとなる「CAP STUDY-芸術鑑賞のための講座の実験-」が始まり、音楽・美術・ダンスという3ジャンルで講座が展開された。副題にある、「芸術鑑賞のための講座の実験」とは一体どのようなものだったのか。実際にCAP STUDYに生徒として参加した筆者の実体験をもとに、ダンス、音楽、美術のレポートをそれぞれ紹介していく。(本文中は敬称略)

まずはCAP STUDYの立ち上げについての話をふまえて、「ダンス」の講座から振り返ってみたい。

「CAP STUDY ダンス」の授業風景

CAP STUDYとは何か

CAP STUDYは、副題の通り鑑賞を学ぶための芸術教育プログラムである。実験的に始められた本プログラムは、3ヶ月という期間で行われ、音楽・美術・ダンスの講座が各月1度ずつ開催された。CAP STUDYのディレクションを担当していたC.A.P.前代表の、下田展久にまず話を伺った。


下田「CAP STUDYは能動的な鑑賞者をどう増やせばいいか、それを考えるための実験的なプログラムです。C.A.P.はご存知の通り、アーティストの集まりです。アーティストたちがいちばん嬉しいのは、良質な鑑賞者がたくさんいることですよね。でも、良質な鑑賞者というのは、自然と生まれては来ません。だから自分たちで、まずは鑑賞者の方々にアートを分かってもらう努力をしようと。イメージしていたのは、アーティストもCAP STUDYを一緒にやることで、鑑賞者とアーティストが一緒に育っていくようなものでした。」


C.A.P.側のプロジェクトメンバーとしては、下田の他、C.A.P.の所属アーティストである、山下和也と、河村啓生がそれぞれ関わっていた。山下は、破墨プロジェクト【※1】をはじめラーニングプログラムを数多く作ってきた経験があり、今回は主に「美術」の講座の司会進行を務め、河村はレビュアーとして参加していた。CAP STUDYの構想自体は下田が持っていたのだろうか?


下田「実は2年くらい前から、「CAPのこれから」っていうミーティングを始めたんですが、その話し合いの中で、もっとC.A.P.で面白いものができるんじゃないかとなり、そのひとつのアイデアとして学校が上がりました。あとは2008年に、C.A.P.が一時的に海の方に拠点を移していた時に(STUDIO Q2)、アートアニメーションの相原 信洋先生【※2】もきっかけです。相原さんが『下田さん、ここ(Q2)で学校やったら面白いよ。やりたいことを色々やって、終わったらみんなで三宮で飲んで帰るってどう?』って言ってくれて(笑)。それが個人的にすごく頭に残っていて。良いなと思っていたんですけど、相原先生は海外で亡くなってしまい、その話は先生とできなくなっちゃって。でも伺った話でずっと心に残っていることもあって、今回僕個人としてもやろうと思えたんです。」


学校という立て付けにするなら、本来はもっと長期で運用できるようなプログラムとするのが普通だが、今回は、どのような学びのあり方があるのか、模索したかったそうだ。大学での授業も持ったことがある下田からすると、カリキュラム通りの内容というのはある種つまらなく思え、もっと興味を自由に掘り下げ、学びを通して人と繋がっていくような形にしたかったそうだ。


下田「C.A.P.は山の上にあって来にくいとか、天井が低いとか色々制約がありますけど、周りを見渡すとNPO法人DANCE BOX【※3】とか兵庫県立美術館とか、いろんな文化インフラが近くにあって。そういうところの人たちと一緒に、みんなで学びながら、素晴らしい鑑賞者を増やしていく。そういうビジョンも描きながら、ただの座学ではなく、能動的な鑑賞者を作っていけたら、すごく面白いんじゃないかなって。」


その状況を作るためにはどうすればいいか、地域のアートネイバーたちと対話を重ねたそうだ。その上で、ラーニングプログラムの「実験」から始めることに至ったという。


下田「あくまでこれは実験です。3ヶ月って結構あるようですけど、各講座3回ずつで1回90分。深く突っ込んでもすぐに終わってしまう。だから講師の方には、このジャンルで何を学ぶかっていう入口を紹介してくださいねってお願いしたんです。90分とかだとまともに紹介できないなぁという声もありましたが、まぁ良いんだと。もうちょっと聞きたいな、この先どうなるのかなっていう講座をしてくださいねって。」


そうしてC.A.P. STUDYは年の瀬を迎えた2023年12月にスタートする。

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即興でダンスする身体と場の鑑賞体験

ダンスの講座は、ダンスカンパニー「アンサンブル・ゾネ」代表の岡登志子が務めた。岡は、下田がジーベック【※4】にいた時からの知り合いで、ここ数年でまた接点ができ、今回CAP STUDYに誘われたそうだ。

岡とダンスとの出会いは、幼稚園の時に姉の影響で始めたモダンバレエだったという。踊ることもそうだが、見ることもかなり好きだったようで、ダンスに本格的に興味を持ったのは、当時モダンバレエの先生が踊った舞踊の舞台を見てからだそうだ。モダンバレエとは異なるリズムや間の取り方、身体の使い方にある種の恐怖を感じ、ダンスをもっと知りたいと思ったという。

それからアメリカのモダンダンスをはじめ、様々な舞台を見て、踊る中で少しずつダンスの見方を覚えたという。そしてドイツでピナ・バウシュのダンスを初めて見て、ダンスそのものだけでなく、舞台装置や衣装など、装置としてのダンスに非常に興味をもち、自身もドイツにいき、表現主義的なダンスを勉強し、帰国後は自身で活動を行っている。

岡は今回、講座を作るに当たって「体とどう向き合うか」を中心に考えたそうだ。


「やっぱりダンスのいちばん大きな要素は体ですし、まず体と向き合うことと。当たり前のことですがダンサーのダンスも、それを観る人にも体があります。まずはその体が何か、向き合うことが鑑賞の一歩目かなと思っていました。」

1回目の授業で即興のダンスを披露する岡登志子さん

「即興でダンスする身体と場の鑑賞体験」と題された1回目の講座はその言葉の通り、体という存在そのものを確かめるものだった。講座の前半に岡は、「ダンスは、身体をチューニングすること」という言葉を元に、体との向き合い方について話をする。例えばギターを弾く時、必ず最初にペグを回し、弦を引っ張ったりゆるめたりしながら音の高さを決めていくが、体のチューニングとはどうするのだろう?

岡は、漠然としているが「身体をいい状態に持っていく」ように自分の身体を少しずつ確かめていくことの重要性を説いた。岡に習いながら、参加者全員で右手、左手を伸ばし、それぞれの指を動かしてみる。全身を使うことに慣れている岡の動きはスムーズだが、体を動かすことに慣れていない筆者の体は、思うように動かない。岡は、体の一箇所が動けば、別の部位が動くという体の中の各繋がりを確認することが大事だと述べた。ダンスはこの繋がりを理解しながら、体の動きを広めていくそうだ。他の参加者のようにうまく動かない自分の体に一種のフラストレーションを覚えていると、もし周囲と同じようにできなくても、それでいいのだと岡は言った。

1回目の授業で岡さんの指導に従い、自分の体の様子を確かめる生徒たち

「同じ動きをやっていても人によって微妙に違ったりします。それは、その人の体の中から出てくる動きで、個性があり、人によって違うものだと思います。ダンスは体からの繋がりを感じることによって、動きが生まれるんですね。感情など体の中にあるものと身体をちゃんと繋げていく。それらを大きく、小さく、早く、緩やかになど様々な表し方で経験していくことで、自分の踊り体の中に蓄積していくんです。」


「ここはこうしよう、あぁしよう」と頭ではなく、身体という生きている肉体そのもので分かることが最も大事なのだと気付かされる。体の持つ可能性を少しでも広げた先にダンスがあるのだと。

第1回目のテーマには「即興」という言葉があったが、授業の最後には、岡が実際に即興のダンスを見せてくれた。体との向き合い方を聞く前に岡のダンスを見ていたら、おそらくその踊る意味や、評価の仕方を考える、表面的な「鑑賞」になっていただろう。音に合わせながら岡がその都度、体の中から動きを丁寧に引き出していくのをみて、自分の体を動かしながら岡の動きを確かめたくなるような感覚を覚えたのは発見だった。

岡は、即興だろうが振り付けだろうが、ダンスとしての本質は、その人の生きてきた体から出てくるものでそこに違いはないと述べる。ただ即興は、即時的に動きを生み出していくからこそ、丁寧に体の動きを繋げていく作業をしているそうだ。体の中から生まれる動きには、必ず自己が宿っており、どんなダンスでもそれを意識すると岡は述べていた。

そのような考えを形成するにあたって、自己の経験に加え、舞踏を生み出した大野一雄の存在は大きかったそうだ。講座では『大野一雄稽古の言葉』【※5】から大野の言葉が抜粋され、踊ることに対する姿勢、考え方などが紹介されると共に、生きていることと踊りがいかに密接しているかが語られた。そしてその近さに気づく時、いつも岡は感動するのだという。ダンスはその感動を確かめる手法なのかもしれない。

1回目の授業風景

ダンサーはダンスの舞台公演をどのようにつくるのか

1回目で体と向き合うことの重要性に気づき、2回目の講座「ダンサーはダンスの舞台公演をどのようにつくるのか」では、身体をどう鍛錬するのか。ダンスのメソッドを元に講座が進められた。


「私はいちダンサー、いち振付家で、あんまり人に教えるってことはやっていないんです。ただ、踊りって言葉にならないことを表現するものなので、やっぱり創作に向き合って考えていること、そのプロセスを知ってもらえるといいなと考えていました。それを通してダンスの違った面を見ていただいて、頭を使って考えるのとは違うところから、自由に少しでも見てもらいたいなということを意識していました。」


2回目の講座では、西洋ダンスの歴史が、丁寧に解説された。1600年代に主流だった民族舞踊の中からバレエが生まれ、産業革命と共に国家が近代化、都市化していく中でダンスも変容していく。岡が特に取り上げたのが、19世紀ドイツの田園都市運動であった。

元々イギリスから広がったこの活動は、「田園都市」を、都市におけるひとつのユートピアとするもので、都市が急速に形成されて拡大する中で生まれ、人々の生活の外的環境と内的環境の距離を、どう縮めるか問い直すものであった。ドイツは、イギリスより約半世紀遅れて産業革命が始まり、19世紀半ばには急激な経済成長、都市の発展が進んでいた。当時問題だったのは、農村地帯からの人の離脱と都市の流入で、多くの人々を迎えるインフラ整備も都市として進んでいない状態だった。貧富の差は拡大し、衛生環境の不備、犯罪数の増加など、都市として様々な問題をはらんでいたが、その現状を打破しようと始まったのが、「生活改善運動」であった。アプローチの方法は、住宅改革や衣服改革、女性運動など多岐にわたるが、それらの総称を「生活」とした運動であった。その中に、ダンスや表現運動もあり、都市そのものの改善だけでなく、自分たちの人としてのあり方についても問いながら自然回帰をうたっていた。

田園都市とは、都市の近郊、自然の中に作る数万人規模の都市で、都市と自然との距離感をうまく保った食住近接型の都市であった。菜食運動や禁酒運動、動物愛護など、人間としての生き方を模索する中にダンスもあり、自己探求のためのアプローチとして掘り下げられ、劇場が作られた。劇場では音楽に合わせて体を動かし、表現力を養う教育法として知られるリトミックが行われ、リトミックのための学校もあったという。

我々は歴史を学び、過去からダンスが人間の生活といかに密接であったかを再発見する。田園都市運動が盛んだった19世紀中頃、日本は江戸時代後期で、町人文化の発展とともに日本舞踊が庶民の間に広がっていた。特に歌舞伎文化の発展が目覚ましく、芝居の舞台を通して舞踊が盛んになり、各地で舞踊流派が形成されていた。またこの時代に盆踊りも発展し、催事の際には踊りと、ダンスは当時の人々の「ハレの日」を支えていたと言える。明治時代で西洋化が進んでも、踊りの文化は失われず、現代に受け継がれてはいるが、現在実生活の中で踊りに触れる機会はどれくらいあるだろうか。催事のための踊りも重要だが、田園都市運動の時のように、実生活と向き合うために体に向き合う機会は、ほとんど無いと言ってもいい。デジタル化が進み、より身体が拡張する現代こそ、もう一度自分の体と向き合うことが重要なのかもしれない。

講座ではその後、表現主義ダンスの創始者のひとりでもある、ルドルフ・フォン・ラバンの研究とメソッドの解説があり、彼の弟子であるクルト・ヨース、マリー・ヴィグマンとその作品が紹介された。岡は、クルト・ヨースの弟子であるジャン・セブロンから2年だけ、クルト・ヨースのメソッドを習ったそうだ。メソッドは体の各部位の繋がりや基本となる動きの幅など、身体を構造的に知っていくための方法である。単純に自分の中だけでなく、空間も身体で感じることで、体を知ることができるそうだ。自分の体の構造だけでなく、内在するエネルギーや、それを空間に拡張できることを知るメソッドは、繰り返すたびに感動すると岡は言う。

メソッドを元に舞台公演を作るとどうなるか。講座の最後には一例として、実際にアンサンブル・ゾネのダンサー、桑野聖子と松村有実によるダンスが行われた【※6】。ダンスは、近年の岡の研究対象でもある具体美術協会へのオマージュ作品で、田中敦子の作品へのオマージュとしてダンスが披露された。

桑野と松村によるダンスの様子。

「私は普段、体を使っていてすごく感動するんです。その感動を確かめるためにもメソッドがとても大切な時もあります。もちろん感動すること自体がすごいとかは言えないんだけど。感動することでスタートラインに立てるというか、自由にやれるような気がしています。」


第2回ではダンスのメソッドを元に体への理解が深まり、体は表現行為によってさらに拡張することを学んだ。さらに身体の拡張は連帯となれば都市とも接続し、合わせて誰か、あるいは何かを想像して体を動かすとき、空間や時間を超えて他者とのコミュニケーションが体でできることも知った。そのコミュニケーションが連帯となって何かを伝えようとする時、「舞台」ができるのだろう。

第2回の授業の様子

ダンスと美術:ASHIYA ART PROJECT 

最後の講座は、近年の岡の具体美術協会(以下、具体)への関心を掘り下げた活動でもある「AAPアシヤアートプロジェクト」【※7】の紹介から始まった。岡が海外に行った時、ヨーロッパでもどこでも、芦屋に住んでいると言うと、具体の名前が上がり、色々と聞かれることが非常に多かったという。しかし実体験として、芦屋にいて、具体が市民にとっての当たり前にはなっていないように感じたのだという。具体は絵画の可能性を拡張するため、ことさら身体を用いて制作を行っていたが、そこがダンスとの共通点でもあると岡は見出し、2018年から実験的なプロジェクトを続けている。

具体への知見を深めていく中で、いつか舞台を使用して具体へのオマージュ作品を作りたいと考えた岡は、具体とはそもそも何か、自分たちの体を使って身体的に学んでいくことが重要だと考えたそうだ。アンサンブル・ゾネのメンバーに加え、元CAPアーティストの画家・櫻井類も参加し、具体が活動していた芦屋の公園などで、時には具体の作家の真似をしたり、自分なりの再解釈などを加えながら、彼らが当時感じていた身体の拡張を、どうダンスに変換できるのか確かめていったという。

その例のひとつとして、講座では具体のメンバーで、アクション・ペイティングの手法で知られている白髪一雄が試みた、竹ひごによる身体感覚の拡張を、ビニール紐を用いて体験してみるという手法が紹介された。岡から手渡されたのは、長い棒にビニール紐がつけられた単純なもので、棒を振りながら紐の軌跡で空中に絵を描いてみるのだという。

講座当日は実際に全員で外にでて、冬の夜空に向かって棒をふってみた。最初は自分の腕の動きをゆっくり追ってくるビニール紐の動きになれず、不自由さを覚えたが、落ち着いて、空をなぞるように棒を降っていくと、ビニール紐が生き物のように空を泳ぎ出し、その動きの軌跡が自分の体とちゃんと繋がっていることに驚きと喜びを感じた。

教室に戻ってからは、AAPの実際の公演、「AAPアシヤアートプロジェクト 『GUTAIというなにか』」の舞台映像を鑑賞する。吉原治良や白髪一雄、田中敦子や村上三郎作品へのオマージュ演目があったが、身体で表現することで、作品のビジュアル的な側面だけでなく、制作のプロセスもよく見えたことが印象的であった。

講座の最後には、1回目の講座と同じく、舞踏家・大野一雄の言葉が紹介され、ダンサーの身体への向き合いかたが再提示され、全3回の講座に幕がおりた。


「やっぱり自分の体を、わかったつもりになっちゃうのがよくないなと思っていて。検索してわかることが増えましたけど、体は検索してもわからないんですよね。発見しなきゃいけないと思うんです。生きている体を踊りにするということはなんなのか。私は体を支配して踊ることなんてできないと思うんです。人の体は、頭ではなく個々人の体でものを言わないといけない。だからその人が、感じたことを体で理解していくことが大事だと思います。」


我々は日頃生きている中で、どれくらい自分の体について考えているだろうか。不調による体の変化に気付かされることや、運動をして体の節々が痛むことなどネガティブなタイミングで体を意識することはあっても、ダンサーでない限り、体を動かす中で喜びや発見、感動をおぼえることは極めて少ないように思う。しかしこれは、体を使う機会が単純に少ないというより、それそのものを意識する瞬間そのものが少ないのだろう。

講座全体を通して岡は、踊りと体、生命がどう繋がっているかを、繰り返し伝えようとしているように思えた。「ダンス」という行為は、「体」という人間が共通して持つものと対話する、重要なコミュニケーションの方法であるとも。

肉体は、それそのものが大きな生命力を有しており、ダンスを見るということは、その人個々人の生命の躍動を見ているのに等しい。体という生命に自己と他者、それぞれの視点で真剣に向き合う。ダンスの鑑賞とは、我々が日常生活の中である種忘れかけている身体のあり方を、自己の視点で再考し、自他ともに当然のようにある生命を視認することなのかもしれない。

「人の体はそれぞれ違うからこそ、その違い、個性を大切にする」

講座を通して岡が何度も述べていたこの言葉は、小さく不自由で瑣末に捉えていた自分の体が、誰にもない特別なものなのだと感じさせてくれるものだった。ダンスの鑑賞とは、その小さな発見から始まるものなのかもしれない。

第3回の授業の様子

→CAP STUDY|レポート② 美術の記事へ

→CAP STUDY|レポート③ 音楽の記事へ

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関連情報

C.A.P.(芸術と計画会議)

(最終閲覧:2023年2月22日14時00分)

CAP STUDY -芸術鑑賞のための講座の実験-

(最終閲覧:2023年2月22日14時00分)

C.A.P.の歴史については+5の過去の記事を参照されたい。

アーティストの連帯が街に浸透するC.A.P.(芸術と計画会議)の試み<前編>

アーティストの連帯が街に浸透するC.A.P.(芸術と計画会議)の試み<後編>

(最終閲覧:2023年2月22日14時00分)

注釈

【※1】破墨プロジェクト

不定期に開催されるので、公式facebookページをチェック。過去の内容も閲覧できる。

(最終閲覧:2023年2月22日14時00分)

【※2】相原 信洋

(最終閲覧:2023年2月22日14時00分)

【※3】NPO法人Dance Box

(最終閲覧:2023年2月22日14時00分)

【※4】下田はC.A.P.で就業する以前は、株式会社ジーベックで就業し、ジーベックホールの企画運営に関わっていた。

(最終閲覧:2023年2月22日14時00分)

【※5】大野一雄 (著), 大野一雄舞踏研究所 (編集)『大野一雄稽古の言葉』フィルムアート社(1997)

(最終閲覧:2023年2月22日14時00分)

【※6】アンサンブルゾネとは

桑野、松村など所属のダンサープロフィールも上記URLに。
(最終閲覧:2023年2月22日14時00分)

【※7】AAPアシヤアートプロジェクト

(最終閲覧:2023年2月22日14時00分)

INTERVIEWEE|

岡 登志子(おか としこ)

振付家/ダンサー

神戸生まれ。ドイツNRW州立 Folkwang芸術大学舞踊科卒業。アンサンブル・ゾネ主宰。

ドイツで習得したダンスメソッドを実践しながら、現代を生きる人間に共通する身体を通し、人間の実存を問う作品づくりを行っている。

2010年より大野一雄フェスティバルに参加。

2014年神戸長田文化賞受賞。

2015年文化庁新進芸術家海外派遣制度にて欧州公演。

2018年KOBE ART AWARD大賞、神戸市文化賞受賞。

近作に『Song of Innocence 無垢なるうた』、『緑のテーブル2017』、 音楽家・高瀬アキとの共同制作『即興戯曲 飛ぶ教室は 今』など。

下田 展久(しもだ のぶひさ)

C.A.P.[芸術と計画会議]前代表。

和光大学在学中にアルファレコードより「ムーンダンサー」リリース。エレキベースを演奏。1988年、神戸に移りジーベックホールで企画制作プロデュース。

1995年、阪神大震災の直後、フランスの音楽家から義援金の引渡し先について相談を受ける。藤本由紀夫さんの紹介でC.A.P.のミーティングに参加。C.A.P.はフランスからの義援金を利用してジーベックでCAPARTYを実施。C.A.P.に参加、2015年よりC.A.P.の代表となる。

INTERVIEWER|桐 惇史(きり あつし)

+5(plus five) 編集長。

1988年京都府生まれ。京都外国語大学卒業後、学習塾の運営に携わりながら、海外ボランティアプログラムを有する、NPO法人のプロジェクトリードに従事。その後、ルーマニアでジャーナリズムを学び、帰国後はフリーランスのライターとして経験を積むかたわら、大手人材紹介会社でコンサルティング営業、管理職として組織マネジメントなどに携わる。現在は「+5」の推進をしながら、「言論空間の拡張」をキーワードに、アートと他領域を接続するメディアプロジェクト「dialogue point」のディレクションなどを行っている。