【LOCAL ART +】 〜いま再読する地域のアート活動〜 vol.1 鹿児島 レポーター:新原なりか

【LOCAL ART +】〜いま再読する地域のアート活動〜 vol.1 鹿児島

久保孝彰(キュレーター)、さめしまことえ(美術作家)、黒瀬優佳(コミュニケーションディレクター)
2023.03.10
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「LOCAL ART +(ローカルアートプラス)」開始にあたって

「LOCAL ART +(ローカルアートプラス)」は、大都市圏から離れた地域のアートネイバー(芸術と社会を繋ぐ人々)の歴史と今を記録する、+5の新プロジェクトです。本企画では地域を、芸術祭やイベントなどの催事の観点だけではなく、「人」の視点で再読しようと考えています。総合情報サイトなどから日々発信される、展覧会情報やイベント情報の陰にある、地域の地道な芸術への取り組みや想いを、それが例え規模の小さいものであったとしても、対話を通して記録していこうとする取り組みです。
取材は立場の異なるアートネイバー数名から話を伺い、該当地域に関連のある記録者がレポーターとして記事をお届けします。編集部も含めた全員で、その地域が強みや魅力として持つ要素はなにか、あるいはその場所に何かをプラスすることで変わるものはあるのか、過去と現在を語りながら各地方地域の芸術を再考していきたいと考えています。
記念すべき初回は鹿児島県から。鹿児島に関係のある人もない人も、自分の出身地や関連地域のLOCAL ARTと重ねながら、ぜひご覧ください。(+5編集部)

取材の背景

インタビューの内容に入る前に、筆者の自己紹介から始めることをお許しいただきたい。私は、鹿児島県薩摩川内市に生まれ、19年間をその地で過ごした。その後は、京都、香川、東京と移り住み、現在は大阪で暮らしている。アートに本格的に興味を持ちはじめたのは、香川県の豊島で美術館スタッフとして働いていた頃から。その後、東京でアートメディアの仕事をして、今は大阪でライターとしてアートに関わっている。

ある時、これまでを振り返ってみてふと気づいたのは、私が触れてきたアートの現場は、「大都市圏」と「アートツーリズムの要所となっている地方」だけだということ。そのどちらでもない場所、例えば故郷・鹿児島のアートシーンは今どうなっているのだろう?試しに少しリサーチしてみると、県外からアクセスできる情報は予想以上に少なく、断片的な展覧会やイベントの情報などは目に入るものの、アートシーンのようなものを見渡すことは難しかった。そこで、帰省の機会を利用して、現地で取材を行うことにした。

取材に応じてくださったのは、私が鹿児島に住んでいた頃のほぼ唯一の現代アート体験の場であった霧島アートの森の学芸課長を務める久保孝彰(くぼたかあき)さん、私が鹿児島の文化芸術の情報を得るよすがとしてメールマガジンを購読しているかごしま文化情報センター(KCIC)を運営するマンモス株式会社(株式会社BAGN)の黒瀬優佳(くろせゆか)さん、鹿児島で夫婦で出版社「燦燦舎(さんさんしゃ)」を営みながら作家としても活動しているさめしまことえさん。それぞれ異なる立場で鹿児島のアートに関わる3名に、KCICでお話を伺った。

(レポーター:新原なりか)
今回取材に協力してくださった(左から)黒瀬優佳さん、さめしまことえさん、久保孝彰さん。
取材場所はKCIC。鹿児島市文化振興課にご協力いただき、同地での開催となった。

地理的、歴史的に見る鹿児島の文化の土壌

はじめに、鹿児島は地理的、歴史的にどんな背景を持つ場所なのかを確認しておこう。アートやその他の文化を育む土壌として、鹿児島には何があるのか。私の質問を受けた久保さんが「あまりにもいっぱいありすぎて……」と戸惑うほど、鹿児島は特徴の多い県だ。地理的に見れば、まず挙げられるのは離島が多いこと。県の南端の与論町と北端の長島町の間の距離は約600kmにもおよび、同じ県内でも地域によって多様な文化が育まれている。気候は温暖で、農業、畜産業、水産業いずれも高い生産量を誇り、食も豊か。県のシンボルとなっている桜島をはじめ、11もの活火山があり、温泉の源泉数は全国2位だ。

歴史的に見てみると、奈良時代の鑑真の上陸、室町時代の鉄砲の伝来やフランシスコ・ザビエルの上陸など、海外の人や物が入ってくる玄関口としての役割を古くから担ってきた。江戸時代には島津斉彬などの藩主が西洋の文化を積極的に取り入れ、反射炉を備えた日本初の工場群である集成館も作られた。藩校である造士館にも西洋の学問が取り入れられ、西郷隆盛や大久保利通など、明治維新の原動力となる人物を多数輩出した。他にも、鎖国中に藩がイギリスへ留学生を密航させる(薩摩藩英国留学生)など、その西洋志向は徹底していた。今もなお「進取の気風」「進取の精神」という言葉を県内ではよく耳にする。

明治時代は日本をリードする存在だった鹿児島。政界の要人を多数輩出しただけでなく、美術の面でも「日本近代洋画の父」と呼ばれる黒田清輝をはじめ、藤島武二、東郷青児など、日本の画壇で活躍した画家の出身地だ。当時から長らくアートシーンを牽引してきたのは公募展である。


久保:公募展の団体は今でもたくさんあります。やはり黒田清輝などの郷土作家の影響があるのか、鹿児島は油絵を描く方はけっこう多いですね。

久保孝彰さん

では、いわゆる「現代アート」が鹿児島で認知されはじめたのは、いつ頃からなのだろう。

久保:鹿児島で「現代アート」という言葉が聞かれはじめたのは、おそらく1989年に枕崎市で「風の芸術展」が始まった頃じゃないでしょうか。その頃から徐々に、「現代アートってこういうものなんだな」というのが鹿児島でも認知されるようになってきたように思います。

風の芸術展は10回目まで開かれて、その後「枕崎国際芸術賞展」【※1】と名前を変えて今も続いています。「青空美術館」として展覧会終了後に出品作品の一部を街中に設置するという取り組みも行っていて、これも今も続いているのですが、開始当時としてはかなり画期的でした。風の芸術展、枕崎国際芸術賞展ともに会場は「枕崎市文化資料センター 南溟館(なんめいかん)」【※2】なのですが、これをつくった当時の田代清英市長が芸術文化に非常に興味のある方でした。市の施設でこれだけ長く続いているというのは、市の理解があるからでしょうね。


現代アートに触れられる場所として、2000年には現在久保さんが学芸課長を務めている「霧島アートの森」がオープンした。霧島アートの森は、作品展示室やカフェを備えたアートホールと、広大な芝生の広場と樹林からなる野外展示空間を持つ美術館。鹿児島市の中心部から車で1時間強の県北部、湧水町・栗野岳中腹に位置する。世界中で活躍するアーティストによるサイトスペシフィックな作品を体験できるほか、企画展も継続して行っている。霧島アートの森は1992年に県が策定した「霧島国際芸術の森基本構想」のもとつくられた。同構想のもと1996年にオープンした「霧島国際音楽ホール みやまコンセール」との距離は車で30分程度。

久保:ふたつの施設を周遊するという面でも、いい立地なのかなと思います。

霧島アートの森。美術館の裏手には、整備された森が広がっており、パーマネント作品が展示されている。
作品:チェ・ジョンファ《あなたこそアート》(2000年)

アートプロジェクトの盛衰

2000年代には、県内でアートプロジェクトが盛んな時期もあった。代表的なものは、県本土の西側に浮かぶ甑島が舞台の「KOSHIKI ART PROJECT」(2004〜2013年)、桜島の旧旅館を使った「SA・KURA・JIMAプロジェクト」【※3】(2006〜2007年)、廃校を中心とした日置市吹上町全域を会場とする「吹上ワンダーマップ」(2009年〜 ※現在は「ゴミコレ吹上浜」として継続【※4】)など。日本の地方におけるアートプロジェクトの先駆である新潟県の大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」のスタートが2000年ということを考えると、鹿児島のアートプロジェクトの興隆は、全国的な広まりに呼応していたのではないかと久保さんは話す。

さめしまさんは、このアートプロジェクト全盛期を現場で経験したひとりだ。


さめしま:私は出身は静岡県なんですが、東京の美大を卒業した後、鹿児島市出身の藤浩志さんのアシスタントをしていました。藤さんが桜島のアートプロジェクトに関わることになって、それをきっかけにポンと桜島に移住したんです。「SA・KURA・JIMAプロジェクト2007」では作家としてインスタレーションを発表しつつ、事務局長としても関わりました。大規模なプロジェクトで、小山田徹さんや淺井裕介さんなんかが参加していたりして、勢いがありましたね。


しかし、2010年代以降、鹿児島県内でのアートプロジェクトは減っていった。


さめしま:作家が主導するプロジェクトが多かったので、作家自身がキャリアを積んでいくにつれて継続が難しくなってくるというのが要因としては大きいと思います。20代で独身の元気な時はできるけれど、それが30代後半とかになっていって、それでも続けていけるのかというところですね。助成金を取りながらやっていくので、その難しさもあります。


一方、現在も盛況が続くのは、参加者の応募型で、作品の展示だけでなく販売も行うイベントだ。2001年から続く「ナマ・イキVOICEアートマーケット」(2022年はイラストレーションに特化した「ナマ・イキVOICEイラフェス」として開催【※5】)は、地元テレビ局KTSの番組「ナマ・イキVOICE」に寄せられた 、作品発表の場が欲しいというメールをきっかけに始まったイベント。


さめしま:今でも鹿児島でクリエイター、アーティストとして活動している若い人たちにとっては、まずこの「アートマ」に参加するというのが最初の登竜門みたいになっています。


もうひとつ、2008年から続くのは「ash Design & Craft Fair」【※6】。鹿児島を中心とした南九州の多数の店舗(2022年は91店舗)を会場にしたイベントだ。ashにも実行委員として関わっている黒瀬さんはその盛り上がりに期待を寄せる。


黒瀬:イベント名にはデザインとクラフトを謳っていますが、特にここ2、3年でアートの分野からの出展が増えてきています。参加者によって出展の意味合いというか、どういう場として参加するかは違って、その各々の思いを大事にしてやっているので、幅は広がってきていますね。実行委員会としては、それをどうまとめていくかというところは、今後も考えていかないといけないなと思っています。


久保:会場が非常に広い地域にわたっているので、あちこちを巡って地域を再発見するのにもいい取り組みだなと思っています。


ashの姿勢にも表れていることだが、今回の3名のお話を聞いていると、アート、デザイン、工芸などの分野や、アートのジャンルにおいても現代アート、洋画、イラストレーションなどが並列に混ぜこぜに語られることをおもしろく感じた。まだ整理されるほど各ジャンルが成熟していないとか、各ジャンルの作家の母数が少ないために一緒くたになっている、などと見ることもできるだろうが、このような他ジャンルとの壁が薄い状態には新たな可能性も感じる。

上記で挙げた他にも、もちろん美術館での展覧会やギャラリーでの個展や大小さまざまな規模のイベントは多数開催されている。それらの情報発信やイベントの主催などを通して文化振興の取り組みを行っているのが、2013年に鹿児島市役所内に設置された「かごしま文化情報センター」(以下、KCIC)だ。2022年から運営に携わる黒瀬さんはKCICの役割をこう語る。


黒瀬:私たちが今掲げているコンセプトは「文化の地産地消」です。当然、県外には魅力的な企画がたくさんあるけれど、鹿児島にも実はあるよね、ということを市民・県民のみなさんにもっと知ってもらって、鹿児島の中から盛り上げていきたい。そうすると県外の人も、なんか今、鹿児島がおもしろそう、と思って訪れたり帰ってきたりする。そういう循環が大事なんじゃないかなと思って、このコンセプトを軸に動いています。イベントのチラシを持って立ち寄ってくださる方なんかも徐々に増えてきてはいますが、認知度はまだまだですね。芸術文化に関わる人たちのひとつの拠り所となっていければいいなと思いながら、日々活動しています。

かごしま文化情報センター。鹿児島市役所 みなと大通り別館1Fにある。
KCICの中には美術関連の図書や各種展覧会情報のポスターなど、誰でも気軽にアート情報にアクセスできるようになっている。

作家の苦境

鹿児島には、アート活動がさらに活性化していくポテンシャルはかなりあると、3人は口を揃える。その一方、作家として活動するさめしまさんは現状の厳しさも強く実感していた。


さめしま:現代アート、特に私のようなインスタレーション系の作家について言うと、鹿児島では非常に厳しくて、茨の道を進んでいるくらいの感覚がありますね。鹿児島って、価値の定まったものとかはっきりと値段が付けられるようなものに対しては支援を惜しまないんですけど、その点、現代アートってよくわからないものだったりしますよね。そういうものに対して応援したり価値を見出すということに関しては、厳しいところがあると思います。最低賃金が低く(2022年度は、全国最下位の同率33位で853円)人口も少ないので、作品を買う人の層もかなり薄い。女性議員の少なさに表れているように、物言う女性が受け入れられづらい環境も影響しているかもしれません。そんな中で家族や周りの人に応援してもらいながら作品をつくり続けていくというのは、かなり強い意志や作家どうしのつながりが必要になってくると思います。

さめしまことえさん

さめしまさんの言葉に、私が鹿児島で暮らす中で感じていた違和感がよみがえる。先述の通り、「進取の気風」は鹿児島県民の誇りとされてきた。しかし、今の鹿児島には保守的な空気を強く感じる。きつい言い方をすれば、江戸〜明治期の栄光に固執しているようにも思えるのだ。鹿児島における現代アートの苦境は、2021年に鹿児島市立美術館で開かれた特別企画展「フロム・ジ・エッジ ―80年代鹿児島生まれの作家たち」【※7】が、同館での現代作家展として14年ぶりの開催であったということにも表れている。もちろん、この展覧会の開催自体は県内での現代アートの広がりの機運として捉えられるし、長年の霧島アートの森を中心とする現代アートを広げる活動を過小評価するべきではない。しかしやはり、鹿児島市立美術館という県随一の公的な美術館で現代アートが長い間扱われてこなかったという事実は、鹿児島における現代アートの立ち位置を如実に映していると言えるだろう。同館は、島津氏の居城であった鶴丸城跡に敷地を持ち、立地の面でも多くの市民・県民や観光客にとってアクセスしやすい。つまり、鹿児島の街の中の、身近でかつ権威的・象徴的な場所に、現代アートは長らく不在であったということだ。


さめしま:若い人が東京に出ていってしまう、ということが本当に多くて。出れる人は出ている、という状況は少なからずあると思います。あと、経済的にも、制作費やギャラをもらって作品を発表する機会というのが県内では本当に少ない。助成金を取ってやる活動を別にすれば、今鹿児島で作品を発表するには作家がお金を払わなければならないことがほとんどなんです。

そんな中でも 〈やらなければいけなくて出てきてしまうアート〉みたいなものが、やっぱりあるんですよね。どうしても伝えなければいけないことがあって、それが別の方法ではなかなか伝わらないからアートを介して伝えなければならないという。例えば、古くから親しまれた石橋の撤去に反対する市民運動から出てきた1996年の「西田橋拓本活動」【※8】なんかはまさにそうです。先ほど出てきた「KOSHIKI ART PROJECT」の背景にも、島の人口がどんどん減っていく中で、それを少しでもつなぎとめたいという藁にもすがるような思いがあったと思います。私が参加した2021年の「生きる私が表すことは。鹿児島ゆかりの現代作家展」【※7】(長島美術館)にもそういった面があります。この展覧会には鹿児島出身、在住の女性作家6名が参加したのですが、その中には、私と同じように子育てなどで若い頃と生活が変わって作品をつくるのが難しくなる経験をした仲間も多くいました。私は《にぎい、こん!》というインスタレーション作品を出展したのですが、この作品は固定化された男女の役割への疑問や、女性の生きづらさがテーマとなっています。

フロム・ジ・エッジ ―80年代鹿児島生まれの作家たち
さめしまことえ《にぎい、こん!》
撮影:リアライズ

近年、女性の作家に焦点を当てた展覧会が全国でたくさん開かれています。今私たちがこの展覧会をやれば、その流れの中で紹介してもらえるんじゃないかという狙いがありました。さらに、「フロム・ジ・エッジ」展と開催時期を揃えて、あわせて見にきてもらうことも意図しました。全部すごく狙ってやったことで、たまたまのタイミングではなく、何年も強い思いで準備をしてきたんです。

情報発信、アートマネージャーの不足…… さまざまな課題

冒頭で書いた通り、今回の取材に向けての情報収集にはとても苦戦した。そのことを話し、県内外へ向けた情報発信に関する現状を聞くと、さめしまさんはこう語ってくれた。


さめしま:県内においてはアートシーンのようなものができていても、仲間内だけで作品を発表して終わってしまうということも多いのではないかと思います。あと、やっぱり作家が県外に出向いていくことのハードルが高いことも情報発信の妨げの一因かもしれません。県外に出るのには交通費や宿泊費がかなりかかるし、それを支援してくれる制度などがあればいいのになと思います。


内側でしっかりとコミュニティができていること自体は良いことでもあるが、そのつながりが強い分、内にこもってしまいがちだというのは、鹿児島で育った私も実感としてよくわかる。

コミュニティの強さには可能性もある。黒瀬さんが、こんなふうに語ってくれた。


黒瀬:コミュニティの中での人伝ての情報、いわゆるクチコミが強く機能していると感じます。横のつながりはとても強くて、それも同業の人たちの間だけじゃなくて、ジャンルを超えたつながりが多いんです。そこは県外の人からよく感心されたりもするので、鹿児島県民特有の気質というか土地柄なのかなと思います。なので、現代アートを鹿児島に根付かせたいと思ったら、上から持ち込むというよりも、作家がコミュニティの中に入っていって「あら、あなたアートやってるの?今度見せてよ」みたいな感じで広がっていく方が速いんだろうなと思います。

黒瀬優佳さん

アート活動のメディアへの露出は、県内においては盛んなようだ。


黒瀬:鹿児島ではテレビやラジオ、新聞などの従来のメディアが今もしっかりと機能していて、「テレビで見た」「新聞で見た」っていうことの影響力がかなり強いんですよね。なにかイベントをやったりすると地元のテレビ局や新聞社は必ず来てくれて、特集を組んでくれたりもします。


これに対する「それはもちろんとてもありがたいんだけど、もしかしたらそこで満足してしまうところがあるのかもしれないですね」というさめしまさんの分析には腑に落ちるところがあった。

そのほかに現状の課題を聞くと、子供の頃の体験の少なさが世代間で連鎖していることが挙がった。


さめしま:鹿児島ではアートに触れる機会が少なくて、特に県外まで見に行ったりする機会は圧倒的に少ないんじゃないかと思います。特に子供が楽しめる体験型のアート作品が少ないので、「美術というものは立派なもので、離れて静かに鑑賞するもの」みたいな意識で育っていってしまう。例えば大分県の別府の街であれば、アーティストが街で制作やパフォーマンスを行っていることが日常としてあるんですが、今の鹿児島ではそういうことがない。今の親世代も子供の頃からアートに親しんできていないから、子供をそういった場所に連れていく人は多くありません。それこそ霧島アートの森なんかは、子供がアートを体験するには絶好の場所だと思うので、もっとみんな行ってほしいなと思うんですけどね。


黒瀬:街を歩いていてアートにぶつかるということが少ないから、子供の頃からアートに接点を持てるかどうかが、全部親次第になってしまっていますよね。


他にも課題はある。大きいのは、宿泊場所とアートマネージャーの不足だ。


久保:霧島アートの森がある姶良郡湧水町には、現在活動している地域おこし協力隊の中にアーティストが3名いたり、京都芸術大学と連携協定を結んで、学生の作品を街に展示したり住民向けのワークショップを開いたりもしています。霧島アートの森としても、町の施設を借りてアーティストの公開制作を行ったり、アートラボ(後述)の取り組みの中でアーティストインレジデンスも行っていたりします。ただ、その時に課題になるのが宿泊場所で、リーズナブルに長期滞在ができる場所がない。制作や展示に使える場所はたくさんあるので、滞在場所の問題を解決すればもっと進んでいくと思うんですけどね。


さめしま:場所自体はけっこうあるんです。「吹上ワンダーマップ」では廃校やホテル、古民家などを使っていたし、鹿屋市で2018年まで開かれていた「やねだん芸術祭」では町内会の協力で集落全部、畑も人が住んでいる家も使って展示をしていました。鹿児島は自然は非常に多いし、空いている土地なんかたくさんあるから、場所には不自由しないんですよ。でも、その場所を提供する側の人たちへの働きかけを丁寧にできる人、つなぐ人が足りていないのが現状ですね。これまでのアートプロジェクトもアーティストランがほとんどです。


「つなぐ人」の不足は、黒瀬さんも感じている。


黒瀬:原田真紀さん(「生きる私が表すことは。鹿児島ゆかりの現代作家展」のキュレーターでもあるインディペンデント・キュレーター)が何人もいたらいいのにと思います(笑)。私も、作家と一緒に企画を考えたり、最終的なアウトプットを形にするお手伝いをしたり、広報をしたりと、いろんなところの立ち回りをやってきたんですが、そういったことができる人はもっと必要だなと思っています。KCICでは今年「アートマネジメント人材育成講座」を開講したのですが、応募はすごく多くて、やりたい人はたくさんいるんだなと実感しました。

これからに向けた取り組み

これからに向けて、希望の持てる話題もある。県外に出ていく作家も多いが、戻ってくることも増えていると久保さんは語る。


久保:今はSNSが発達していて、都会にいなくても情報は受け取ったり発信したりできるから、自分が居心地がいいところで活動するという感じなんでしょうかね。霧島アートの森でも、「アートラボ」という小企画展を2018年から毎年2、3回のペースで開いていて、鹿児島ゆかりの作家を積極的に紹介しています。

アートラボ 美術作家 平川渚 展「かなた/あなたとの会話」会場風景(2022年) 撮影:森山年雄
アートラボ イカ画家 宮内裕賀 公開制作交流「イカイカ天国」会場風景(2021年) いきいきセンターくりの郷(鹿児島県湧水町)

既存の美術館や博物館なども、これからに向けて動き出している。島津家の居館だった鹿児島(鶴丸)城の周辺には、鹿児島市立美術館、鹿児島県立博物館、かごしま近代文学館、鹿児島県歴史・美術センター黎明館など9つの文化施設が集まっていて、「かごしま文化ゾーン」と名付けられている。黒瀬さんは、それらの施設を横断する「かごしま文化ゾーン地域活性化実行委員会」に民間からのメンバーとして参加した経験がある。


黒瀬:個々の施設だけではなくゾーンとして、一日楽しめる魅力ある場所として魅せていくお手伝いをしました。その時、私に出されたミッションのひとつに、黎明館でアートの展示をするということがありました。黎明館には鹿児島の郷土資料が多く展示されていて、その中でやるにはどんな展示がいいかと考え、奄美大島と沖縄本島で植物染色を軸に作品制作を行うユニット・KITTANAIさんにお願いして、島文化をテーマにしたインスタレーションを展示してもらいました。美術館ではない場所でやることによって、見え方が違ってきたり、来るお客さんも違っていたりする。インスタレーションを見る機会って、鹿児島ではなかなか限られているので、年配の方も「なんやこれ!」って驚いていたり、子供たちが興奮して作品の周りを走り回ったりしているのを見て、こういう感動を味わえる場所を鹿児島にももっと増やしていきたいなと思いました。

鹿児島県歴史・美術センター 黎明館  KITTANAI 「ハベルハベラ」展
撮影:Yayoi Arimoto

これからにつながる動きとして、さめしまさんはアーティストランのスペースについて紹介してくれた。


さめしま:「トマルビル」【※9】という古いビルがあって、そこに期間限定で作家がアトリエを作ったり、ミュージシャンや劇団が入居していたりします。カフェや古本屋も入っていて、入居者たちが集まってイベントを開くこともあります。「レトロフトチトセ」【※10】というビルも、1階に古本屋やオーガニックのデリ、喫茶店があって、上はリフォーム可能な賃貸物件になっていて、そこにクリエイターが集まっていますね。

トマルビル

最後に、これから各自が取り組んでいきたいことについて聞いた。


久保:県内での霧島アートの森の認知度は高いんです。でも、現代アートというのは難しい、わからないものだと思っている方が多いので、それをいかに身近なものとして普及させるかというのが美術館の役割だと思って取り組んでいます。現代アートと地域の方々とのつながり、直接的な関わりを増やしていけたらと思っています。地道に続けていけば、現代アートっておもしろいものなんだと理解されて盛り上がっていくと思うのですが、そこまでは若干時間がいるのかなとは思っていますね。


黒瀬:KCICとしては、行政と民間、そして作家さんたちとしっかり協力してやっていくというのが一番大事かなと捉えています。それと、市民の方々がアートに何を求めているかをキャッチアップしながらやっていくことも重要だと思っています。自分たちだけが突っ走っても、鹿児島で見る、感じる人たちがついてこれないとなると、ずっと同じ課題にぶち当たったままなので、そこをしっかり引っ張っていけるようにしていかないとなと思います。


さめしま:若い作家を私たちの世代がサポートしていかなければという思いはあるんですが、全く手が回っていなくて。今の鹿児島の若い作家にはイラストレーション系の人は多いんですが、規模の大きなインスタレーションとか、社会に何かを問うような作品をつくっている人は少ない。それはやっぱり、子供の頃からどれだけのものを見てきたかというさっきの話につながってくるんですが、そういったことも含めて上の世代からの働きかけも必要なんだろうなと思っています。

                                      

取材を終えてからもずっと耳に残っているのは、さめしまさんが息を詰まらせるようにしながら語った「不利な状況はすごくあるんですけど、あるんだけど、でも、どうしても表現しなくちゃいけないものがあるから、知ってもらわなければ本当に息が苦しくなるようなことがあるから……」という言葉だ。「大都市圏」でも「アートツーリズムの要所となっている地方」でもない、いわば〈その他〉の地方にも 、アートを必要とする人々はたしかにいて、それぞれの制作をしたり、制作ができなかったり、限られた機会の中で鑑賞したり、鑑賞することすらも叶わなかったりしている。このような状況を、先述のような地域と比べて〈遅れている〉と見なすことは簡単にできてしまう。しかし、単に大都市や他の地方の真似をして〈追いつく〉だけが各地方における最適解であるとは当然言えない。最適解を見つけるためには、これらの地方を〈その他〉化している価値観自体を疑ってみることが必要となってくるだろう。これらの地方のことを取りこぼしたまま日本のアートシーンを語ってしまうことは、とても乱暴なことなのだと気付かされた取材だった。

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記事関連情報

鹿児島県霧島アートの森
(2023年3月10日14時30分最終確認)

かごしま文化情報センター(KCIC)
(2023年3月10日14時30分最終確認)

株式会社BAGN
(2023年3月10日14時30分最終確認)

燦燦舎
(2023年3月10日14時30分最終確認)

注釈

【※1】枕崎国際芸術賞展
(2023年3月10日14時32分最終確認)

【※2】枕崎市文化資料センター 南溟館
(2023年3月10日14時32分最終確認)

【※3】SA・KURA・JIMAプロジェクト
(2023年3月10日14時33分最終確認)

【※4】ゴミコレ吹上浜
(2023年3月10日14時33分最終確認)

【※5】ナマ・イキVOICEイラフェス
(2023年3月10日14時33分最終確認)

【※6】ash Design & Craft Fair
(2023年3月10日14時35分最終確認)

【※7】「フロム・ジ・エッジ ―80年代鹿児島生まれの作家たち」
(2023年3月10日14時35分最終確認)

【※8】「生きる私が表すことは。鹿児島ゆかりの現代作家展」
(2023年3月10日14時35分最終確認)

【※9】トマルビル
(2023年3月10日14時40分最終確認)

【※10】レトロフトチトセ

(2023年3月10日14時40分最終確認)

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INTERVIEWEE|
久保 孝彰(くぼたかあき)

霧島アートの森学芸課長。1995年から2020年3月まで高校の美術教員を務め、同年4年から霧島アートの森。直近の担当した展覧会に、「植松奎二 展「ナンセンスな旅への招待 - みることの夢」」(2022年)、「チェ・ジョンファ展「生生活活」〜あらゆるものは,輝くだろう〜」(2022年)などがある。


さめしまことえ

1979年静岡市生まれ、鹿児島市在住。旧姓名・浦田琴恵。多摩美術大学美術学部情報デザイン学科卒業。美術作家。桜島、別府、横浜、福岡など日本各地のアートプロジェクトに参加する。「SA・KURA・JIMAプロジェクト2007」事務局長(鹿児島・桜島)「別府現代芸術フェスティバル2009 混浴温泉世界」国内展コーディネーター(大分・別府)「KOTOBUKI クリエイティブアクション2008」(横浜・寿町)コーディネーター他。2014年に鹿児島で編集者の夫と出版社「燦燦舎」を立ち上げる。共著に『桜島!まるごと絵本』 『西郷どん!まるごと絵本』『新ぐるっと一周九州開運すごろく』他。


黒瀬 優佳(くろせゆか)

株式会社BAGN コミュニケーションディレクター。鹿児島出身。宮崎の大学に進学後、新卒で福岡に本社を置く広告代理店に入社。5年ほど勤務した後、東京の有限会社ランドスケーププロダクツに転職。同社のグループ会社である株式会社BAGNの鹿児島オフィスができたタイミングで鹿児島に転勤。現在は企業や行政事業、キャンペーンの企画・運営を担当する他、展覧会や公共施設のリニューアルの制作進行なども行う。鹿児島県内の地方創生事業にも参画。グループ会社マンモス株式会社が受託を受けたKCICの運営にも従事している。


INTERVIEWER|新原なりか
ライター・編集者
鹿児島県出身。大阪を拠点に活動するライター、編集者。香川県豊島の美術館スタッフ、ウェブ版「美術手帖」編集アシスタントなどを経てフリーランスに。インタビューを中心に幅広いジャンルの記事を手がける。