日本文化の古層をたどり、平和を発信するエコゾファーへ

日本文化の古層をたどり、平和を発信するエコゾファーへ

キュレーター・批評家|四方幸子
2023.09.18
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メディアアートの黎明期の立役者の一人であるキュレーター・批評家であり、現在、美術評論家連盟会長でもある四方幸子氏に、これまでのキャリアと今後の展望を聞くインタビューの後半は、2000年代から現在までの活動についてうかがった。

  

大学での教鞭と森美術館の立ち上げ

キヤノン・アートラボが終了し、しばらく大学の非常勤講師として働いていた。現在でも、多摩美術大学、東京造形大学、武蔵野美術大学、IAMAS、國學院大学大学院などで教えている。

大学との関わりは、当時、美術史家であり、写真やマルチメディアに至る広範囲なメディア芸術の批評を行っていた伊藤俊治にキヤノン・アートラボのアドバイザーを依頼していたことに始まる。伊藤に誘われ多摩美術大学で教えるようになり、1998年に新設された同大学の情報デザイン学科【※1】では2000年から三上晴子や久保田晃弘の主催する研究室(スタジオ5)に関わり始めた。その研究室は、毛利悠子、三原聡一郎、やんツーなどを輩出していく。その他、美術評論家の建畠晢の依頼により、多摩美術大学の共通学科でも現代美術を教え、その時の学生に谷口暁彦(現:多摩美術大学美術学部情報デザイン学科准教授)がいる。さらに、東京造形大学や京都造形芸術大学(現:京都芸術大学)情報デザイン学科でも教え、後者では2000年に開設された通信教育講座の教科書に長文のテキストを執筆している【※2】。


「「アート-批評-キュレーティング」と「未来のミュージアム」の2章を担当しました。前者では、美術批評の歴史も踏まえながら、21世紀を前にして批評とキュレーティングが独立しながらも相互に関係しうるものとして提示しています。後者では、アレクサンドリアのムセイオンやオックスフォードのアシュモレアン美術・考古学博物館から美術館の歴史をたどりながら、「驚異の部屋」や初の市民のための美術館であるルーブル、近代美術館、現代美術館、センターを経て当時最新のメディアアートセンターに至るまでカバーしました。美術史や美術館史、批評史など美術全般を科学技術や社会的な動向と結びつけながら集中的に調べたことがその後の土台となりました。」


80年代以降、思想や科学関係の書籍に触れ、同時に国内外の美術館で分野横断的にさまざまな作品に触れていたが、大学で教えることで美術の歴史を自分の中で体系化する作業につながった。


「私はキュレーションと批評の両方に関わっていたので、両者が異なりながらもつながっており、ともに自分を構成しているものと感じていました。批評は客観的なものであると一般的には見なされがちですが、そのようなものはありえないのではと思います。また批評では論理が、科学では論理や実証が重視されますが、いずれも最初に来るのは論理ではないのではないか。これまでにない出会いによるひらめきや衝動など、言語や論理以前のものから始まるのではないでしょうか。批評や科学においても、まず感じたことをしっかり受け止めることが重要なのではと。それはキュレーションでも同じだと思います。」


また、キュレーションと批評は、異質なものをつなげ合わせ、文脈をつける意味でも共通する。


「20世紀以降の美術や文化は、ダダイスムにおけるコラージュやウィリアム・バロウズのカットアップなど、世界のあらゆるものが「素材」となり編集可能なものへと拡張していきました。日常にある既存のものの発見や、構成を偶然性に委ねたり、編集という作業が重要で、そこに新たな創造性が見出されています。キュレーションは一種の編集とも言えて、時代背景、構想、空間や予算、アーティストとの対話や現場のオペレーションなど、偶然も含めてさまざまな要素をどう組み合わせるかで異なる意味や可能性が生まれます。それらを包合したものとして、ひとつの世界が提示される。批評も自ら選んだものを掘り下げたり、別のものと照合したりするなかで提示される創造行為ではないかと思います。」


 大学で教え、また自分の中で美術の歴史を勉強し直す中で、森美術館【※3】の開館に携わるようになる。


「森美術館開館の準備期間に、館長のデヴィッド・エリオット【※4】から、メディアアート関係で関わってほしいとお誘いを受けたんです。大学で教えながら、アソシエイトキュレーターとして、開館後1年までの2年間関わらせていただきました。最初に手がけたのは、2002年12月のプレイベント枠で「OPEN MIND」です。」

森美術館プレイベント オールナイトライブ「OPEN MIND」(2002)@THINKZONE(六本木)

秋田昌美(メルツバウ)@OPEN MINDライブ(2002年12月)
※「秋田さんからCDのためにいただいたオリジナル曲「Quiet Men & Noisy Animals」の説明の中に、”初めてベッドの上で作った曲” とあった。その歴史的意味を汲めず、CDのスリーブに結果的に入れなかったことを今も後悔していて、今さらですがお伝えします」(四方)

 「OPEN MIND」は、サウンドやノイズ、メディアアートの最新の動向を紹介するCDとライブからなるもので、秋田昌美(メルツバウ)に加えて、池田亮司、当時ATAKレーベルを開始したばかりの渋谷慶一郎らの音楽作品やクワクボリョウタ、エキソニモ、portable[k]ommunityらによるソフトウェア作品が収録されたCD(新作で構成)と同アーティストたちによるライブが2002年12月に開催された。


「開館記念展の「ハピネス」では映像を中心に10数作家を担当して、「六本木クロッシング」も、エキソニモ、田中功起など7、8のメディアアートや映像系の作家を担当しました。またイリヤ&エミリア・カバコフ展をメインで担当して(カタログも制作)、最初の巡回地ヴェネチアまで見に行き、カバコフ夫妻には色々とお世話になりました。」


また、並行してヴァージンシネマズ六本木ヒルズ(現:TOHOシネマズ 六本木ヒルズ)のロビー壁面含む館内2箇所で2003年5月から2005年3月まで月替わりで映像上映のキュレーションを行っていた。そこではgroovisions、タナカカツキ、D-Fuse、ages 5&up、藤乃家舞+志賀理江子作品などを紹介したという。

 YCAMの立ち上げとキヤノン・アートラボの継承

その後、2004年秋に森美術館からNTTインターコミュニケーション・センター[ICC]に移るが、それらと並行して、山口情報芸術センター[YCAM]【※5】にも関わっている。


「1997年に当時IAMAS学長を務めておられた坂根巌夫さんから推薦いただき構想に関わることになりました。阿部一直、高谷史郎、熊倉純子さんたちとともにソフトウェアプログラム委員として。メディアアートの制作と発表を前提とした山口市の新しいセンター構想で、設計者の磯崎新さんの、作り手やキュレーターらの意見を建築に取り入れたいというビジョンのもとに話し合いを持ちました。」


そこで四方は、アルス・エレクロニカのディレクターであるゲルフリート・シュトッカーやメディアアーティストのラファエル・ロサノ=ヘメルのレクチャーをアレンジするなど、実際のプレイベントにも関わっていく。それが2003年秋、山口情報芸術センター開館記念プロジェクトとなる、ラファエル・ロサノ=ヘメルの「アモーダル・サスペンション―飛び交う光のメッセージ」へと結実する。

山口情報芸術センター開館記念プロジェクト ラファエル・ロサノ=ヘメル「アモーダル・サスペンション―飛び交う光のメッセージ」(YCAM、2003)
共同キュレーション:阿部一直、四方幸子

「開館までの数年間、メディアアートの現在と未来を検討するために私の方でさまざまな場所や人を紹介をしました。実際に山口市の担当者の方々をオーストリア・リンツのアルス・エレクトロニカ・センターやドイツのZKMなどへお連れしました。アルス・エレクトロニカは当時、約20年のフェスティバル、10年余のコンペの実績を踏まえてセンターが開館したばかりで、モデルのひとつとしてあったんです。でも、山口とリンツとは社会や文化的背景、そして何より運営組織が違うこともあり、YCAMは独自の道を歩み始めました。」


そして、いまやYCAMもアルス・エレクトロニカのように確固たる地位と歴史を持つようになった。


「YCAMは、今秋に開館20周年を迎えますが、オリジナルの作品やシステムの開発も多く、海外にも知れ渡る存在となりました。同時に地域に根ざした活動やアジアとのネットワーク、産業や教育機関との連携も活発で、世界でも例を見ないユニークなセンターとなりました。これはYCAMに関わられてきた多くの方々の努力の賜物だと思います。開館以来の20年の成果は、私が想像していたものを遥かに超えて、とても多様で広がりのあるものになりました。」


YCAMの特徴のひとつは、制作や展示、パフォーマンスのための空間(スタジオ)だけではなく、ラボがあり、アーティストと一緒に制作する機能があることだろう。それはキヤノン・アートラボの経験が活かされたということだろうか?


「まさにそうですね。最初のキュレーターで、アーティスティック・ディレクターを務めた阿部一直さんは、キヤノン・アートラボで共同キュレーターをしていた人なので。キヤノン・アートラボは1990年代の企業による文化支援、2000年代のYCAMは市の施設ですが、YCAMにメディアアートの制作支援ができるInterLabがあるのは、アートラボにエンジニアが所属していたことに近い。その上YCAMは、空間があるのでじっくり制作し、長期の展示ができる。YCAMという公共のセンターでキヤノン・アートラボの実験精神が発揮されたのは、21世紀になってより広くメディアアートが受け入れられる時代になったことを意味しています。阿部さんは、高谷史郎、三上晴子、カールステン・ニコライなどアートラボに関わった作家に加え、高谷さんと中谷芙二子さんや坂本龍一さんとのコラボレーションという新たな展開も実現されました。」


現在は、ホー・ツーニェンのようなアジアの作家や、メディアアートの大がかりなインスタレーションではないメディアアート作品も取り上げているが、阿部の功績は大きいという。

カールステン・ニコライ+マルコ・ペリハン「polar m[ポーラーエム]」(YCAM、2010)

四方も、キヤノン・アートラボで開催したカールステン・ニコライ+マルコ・ペリハンの《polar》のコンセプトを継承し、環境の測定を発展させた「polar m[ポーラーエム]」を2010年にYCAMで阿部一直と共同キュレーションする(10年前と同じアーティスト、同じキュレーター)。本作では、自然放射線を検知する複数のガイガーカウンターからのデータがリアルタイムで可視化・可聴化された。展覧会終了翌月に東日本大震災が起こり、一種予兆的な展覧会だったとも解釈できる。 


「YCAMで制作された作品は国内外を巡回して高い評価を得てきました。InterLabの存在も大きく世界中のメディアアーティストにとって、YCAMは目標のひとつとなっています。YCAMは、プロダクションのプロセスを重視し、また最先端のリサーチや表現と地域の人々との連携という、通常両立しにくい活動を並行して行っている。世界でも例を見ないセンターだと思います。」

 自然の見え方を変えるICCでの取り組みと、共同創造の可能性を開くメディアアートプロジェクト

いっぽうで、四方は森美術館開館翌年にNTTインターコミュニケーション・センター[ICC]【※6】へと籍を移す。と同時に、インディペンデントでもメディアアートにより特化したプロジェクトを展開していく。

たとえば2004年のバルセロナのサウンド&メディアアートフェスティバル「SONAR」の東京版での展示、ライブ、上映で構成した「SonarSound Extra」(恵比寿ガーデンプレイス、2004)やロッテルダムのV2で開催した音と映像のイベント「四方幸子イブニング EnigmaAnagma」、2005年の東京ドイツ文化センターの「日本におけるドイツ2005/2006」枠で企画監修したバス+モバイルプロジェクト「MobLab:日独メディア・キャンプ2005」などである。

「MobLab」(Mobile Lab, Mob=群衆+Labの意味)は、日本とドイツの作家が「移動するバス」と当時最先端であった「モバイル技術」を念頭に3週間の旅の中でプロジェクトを発展させていく実験的なものである。バスへのモバイル機器の充填と合宿をIAMASの協力で大垣で行い、ICC、横浜トリエンナーレ、せんだいメディアテーク、YCAMへと移動し、各地で展示、ライブ、トークなどを展開しただけでなく、旅のプロセスで相互のコラボレーションが誘発され、また予測不可能な事態に直面しながら各自が経験を積んで行った。立ち寄る場所も自由度があり、大阪のIMI(インターメディウム研究所)など、プロジェクトの途中で先方の有志が興味を持ってMobLabを招聘し、ワークショップやイベントをともに行うなどの展開もあった。

「MobLab」は、このような即興的な出会いや創造を歓迎するプロジェクトだった。当時始まったGoogle Mapsで移動するバスの位置が開示され、アーティストのブログも展開、プロジェクト終了後は、旅の間に生成・出力したさまざまなデータを「Open Data」としてCreative Commons【※7】ライセンスを付け公開、誰でもこれらを新たな創造に活用できるものとした。Creative Commonsは、インターネットで爆発的にコンテンツが流通されるようになった時代に対応するよう、スタンフォード大学の法学者、ローレンス・レッシグが提唱した相互利用可能な共有(コモンズ)のルールともいえる。

それと同時にICCでは、センターの空間を活用した展覧会やイベントに向き合った。


「ICCでは、私なりのメディアアートのあり方を追求し、テーマ展やイベントを介して具体的に実現していきました。森美術館での経験を踏まえ、同じ空間を使って、動線とか構成などを来場者の知覚や体験を想定しながら、テーマに沿った展覧会のあり方をさまざまな側面から実験していったんです。」


1997年に開館したICCの10周年記念のイベント(Vol. 1-5)は、すべて四方の企画によるという。


「ICCの時の企画展は私にとって重要なものが数多くあります。特に「オープン・ネイチャー|自然としての情報が開くもの」(2005)、「コネクティング・ワールド|創造的コミュニケーションに向けて」(2006)、「ライト・[イン] サイト──拡張する光、変容する知覚」(2008)など。そしてやはり「ミッションG|地球を知覚せよ!」(オープン・スペース2009内企画展)ですね。後、「エマージェンシーズ!」は私が発案させていただいた若手紹介コーナーです。」

「オープン・ネイチャー|自然としての情報が開くもの」展(ICC、2005) 
左:高嶺格《海へ》(新バージョン、2005)、右:ロバート・スミッソン《スパイラル・ジェッティ(螺旋状の突堤)》(1970)
Photo:木奥惠三

この頃のテーマは、最先端の技術を使ったメディアアートというよりも、自然や地球環境を情報技術を使って表現するという試みが多いように思える。


「「オープン・ネイチャー」では、デジタル情報やテクノロジーが発達したとき、自然の見え方がセンシングシステムや可視化方法によって変わってくること、つまり情報の収集と可視化の問題、その精度や観測の問題を扱っています。それは「ミッションG」にも通じていて、自然も環境情報も、形態や輪郭ではなくて、情報のプロセス、いわゆる「情報フロー」でどのように生成して変化するかを重視している。あとやはり、観測と可視化の問題ですね。観測という方法、観測機材自体の限界や生じる誤差、データの可視化方法の恣意性など、メタ的な視点を別の層として含んでいる。自然や自然の見え方も、情報技術や人間の意図によって変わってしまうことを提示したかった。」


「オープン・ネイチャー」は、それまでの四方の知見を集大成した展覧会でもあったという。ノウボティック・リサーチから受けた都市を「情報フロー」として扱うという考え方を拡張し、自然や宇宙、精神にまで押し広げ、ノウボティック・リサーチ、カールステン・ニコライ、マルコ・ペリハンの新作、シェー・リー・チェンやアルミン・メドッシュとの共同キュレーションによるオンラインプロジェクト「Kingdom of Piracy(KOP)」の新展開など、それまでに関ったアーティストも招聘した。また、高嶺格の自身の妻の出産前の表情を写した映像作品《海へ》(新バージョン、2005)と、ロバート・スミッソンのランド・アートによる映像作品《スパイラル・ジェッティ(螺旋状の突堤)》(1970)を並置し、ミクロとマクロの情報の生成の問題を提起している。さらに、福原志保とゲオアク・トレメルによるユニットBCLの作品を日本で初めてキュレーションし、21世紀以降の合成生物学以降のバイオアートの状況やスペキュラティブ・デザインの動向を紹介している。


「私なりに、とりわけキヤノン・アートラボでの経験とネットワークを「オープン・ネイチャー」という枠組みで発展させたのがこの展覧会だと思います。」


ただし、ICCの歩みも順調ではなかったという。


「ICCは2005年に閉館の危機を迎え、2006年の前半に半年ほど休館しました。結果的に継続となり、学芸員の共同キュレーションで長期展示「オープン・スペース」と企画展を年間3-4本開催する体制になりますが、その最初の企画展が「コネクティング・ワールド」です。センターの中核テーマである「コミュニケーション」をテーマに、Web2.0の時代において、1940年代半ばにノーバート・ウィーナーが「サイバネティクス」で述べた「人と人だけでなく、人と機械、機械と機械とのコミュニケーション」をアルゴリズムまで延長しながら、その閉塞性をずらしていくノイズ的な方向性を創造的可能性として提示したもので、1970年代の映像からソフトウェア・アート、デジタル・ハッキング、周波数による創発的空間、作品ではないのですがgoo【※8】の検索キーワードストリーミング表示も含めました。」

「コネクティング・ワールド|創造的コミュニケーションに向けて」展(ICC、2006)
手前:エキソニモ《OBJECT B》、右奥壁面(左から):デニス・オッペンハイム《フィードバック・シチュエーション》(1971)、フィッシュリ&ヴァイス《事の次第》(1987)
Photo:木奥惠三

ここでも、最先端のメディアアートと、デニス・オッペンハイムやフィッシュリ&ヴァイスといった国際的なアーティストの現代アートの映像作品との並置に驚かされる。その後、Google EarthやiPhoneの登場で、人々の知覚が地球を覆うようになった時代に応答していく。


「2009-2010年の「オープン・スペース2009」内で行ったのが「ミッションG:地球を知覚せよ!」展です。ここでは2007年頃から始まっていた、世界中の個人が室内外に多様なセンサーを設置し、環境を計測しインターネット経由で共有する状況から、人々がともに自分ごととして地球を知覚すること、そしてグローバルに知が共有される可能性を提示しました。作品のほとんどは、来場者によってではなくリアルタイムで取得される環境データに応じて変化するため、自然という非人間的な存在によって稼働されている展覧会となりました。」

「ミッションG|地球を知覚せよ!」展(ICC、2009-2010) 
手前:鳴川肇《オーサグラフ:ISSロングターム・トラッキング》、床上:Pachube+M.K.I.《Pachube @ ミッションG》、奥の壁より右に:村上祐資+第50次南極地域観測隊+国立極地研究所《南極コーリング:昭和基地Now》、ダブルネガティブス アーキテクチャー《コーポラ・プロスペクト》、パクト・システムズ《コモンデータ・プロセッシング&ディスプレイ・ユニット - TOKYO STSTEMプロトタイプ》
Photo:木奥惠三
※女性が見ているのは、鳴川肇の開発した、矩形を歪みが少ない状態で3D球体に投射する「オーサグラフ」に関する模型

また、20世紀末には、インターネットの中から、 Linux(リナックス)などのオープンソースの気運や、Napster(ナップスター)やGnutella(グヌーテラ)に代表されるP2P(ピアツーピア)といった、情報共有の動きが始まっていたことも関係している。


「「パブリック・インタラクション」とか「オープン・コラボレーション」と私は呼んでいるのですが、共同創造に一貫して関心があるんです。「ミッションG」では、共同創造が環境とともに起きている。キヤノン・アートラボの頃から「始まりも終わりもない」という言葉をよく使っていたんですけれど、メディアアートは終わらない、常にダイナミックに変容し続ける世界自体と関係していると思います。メディアアートを見た後に、周囲を見ると自然を含めていろんなものがインタラクティブに繋がっていることに気づいたのですが、それを最初に感じたのが、1997年のクリスティアン・メラーの《ヴァーチャル・ケージ》です。」

クリスティアン・メラー《ヴァーチャル・ケージ》@キヤノン・アートラボ第2回プロスペクト展(東長寺講堂P3、1997)

クリスティアン・メラーの《ヴァーチャル・ケージ》は、キヤノン・アートラボ第2回プロスペクト展(1997)に招聘された。スモークを焚いていたこともあって、作品のメインの意図ではないが、人の呼吸や挙動までも可視化されていた。ノウボティック・リサーチ「IO_DENCIES:都市への問い」 は同じ1997年、キヤノン・アートラボ第7回企画展として開催されており、同じ頃、メディアアートの新たな可能性を直観したことになる。


「メディアアートは、私たちが普段気づかないけれど存在している流動的な世界を可視化してくれると強く感じたんです。」


つまり、世界はマクロとミクロの情報があふれているが、可視光線が限られているように、人間はほんの一部しか知覚することができない。その無限に流れている「情報フロー」を、デジタル技術を使うことで知覚化し、アートとして見せることができる。都市だけではなく、地球自体がひとつのメディアであり、メディアアートとして表現可能である、という認識につながっていく。そして人々はその創造に参加することができるのだ。 

東日本大震災とエコゾフィーの再発見

それらの四方の独特なメディアアート観はまだ共有されているものではなかったし、四方が上梓した「エコゾフィック・アート」という概念も提示されていなかった。「エコゾフィック」というのは、四方の造語であるが、「エコゾフィー」は、哲学者・精神分析家であるフェリックス・ガタリが『3つのエコロジー』(1989)という本の中で、自然・精神・社会をつなぐエコロジーとして提示されていた。


「1991年に翻訳が出て以来、ボイスの「社会彫刻」「人は誰もが芸術家である」と同じくらい重要な概念だと思っていました。私が最初にこの言葉を使ったのは、東日本震災の翌年、2012年の4月に立ち上げたトークイベント「サロン・エコゾフィー」です。マルコ・ペリハンと、キヤノン・アートラボの最後のプロスペクト展の作家ミヒャエル・ザウプが来日したときの2回だけの開催となりましたが。」


エコロジーとデジタル技術や地域の自然と人、人と人を結び付けていくアイディアは、この頃からはっきり輪郭を帯びてきているように思える。2010年に独立し、インディペンデントなキュレーターとして、各地の芸術祭のキュレーションと文化や生態系のリサーチが同時進行でなされていった。


「東日本大震災は、忘れられない大きな体験となりました。とりわけ福島第一原子力発電所の事故と大量の放射性物質の飛散は、この国が近代をどのように受容してきたかという問いを生み出し、日本というものに改めて向き合い始めました。日本を構成している生態系とか地勢、文化、歴史、精神、そしてその背後にある基層を調べることは、この列島の周辺流域を人や物などの情報フローから再発見することでもあるのだと。2012年以降は、水のリサーチも継続的に行っていますが、そのようなスタンスで地方の芸術祭やさまざまな展示やプロジェクトに関わるなかで、多くの出会いや発見がありました。

私はメディアアートのプロジェクトに加えて、各地域でコミュニケーションを活性化するプロジェクトを数多く手がけていますが、これらは共通しているんです。新旧の各技術の特性を読み取りながら一種のコミュニケーションのためのプラットフォームを公開し、人々が創造に関わることで「作品」が生み出される、ということにおいて。」

坂本龍一+真鍋大度《センシング・ストリームズ ー 不可視、不可聴》@モエレ沼公園、札幌国際芸術祭2014 
※本作は、チ・カ・ホ(札幌駅前通地下歩行空間)との2会場で展開。タイトルは、本作も含まれる「センシング・ストリームズ」展にちなんでつけられた。
Photo:木奥惠三
山川冬樹《リバーラン・プラクティス:石狩湾から札幌駅前通地下歩行空間へ遡上する》@チ・カ・ホ、札幌国際芸術祭2014 
Photo:木奥惠三 
毛利悠子《サーカスの地中》@清華亭、札幌国際芸術祭2014
Photo:木奥惠三  *チ・カ・ホとの2会場で展開

「札幌国際芸術祭2014」【※9】では、メディアアートとコミュニケーション・プロジェクトを担当、「水脈から創造脈へ」をコンセプトに、前者枠では「センシング・ストリームズ」展を企画、札幌における開拓の歴史やそれとともに失われた水脈をたどり、現代における人、水、電磁波などの情報の流れ(ストリームズ)をセンシングし可視化する新作により構成した。後者としては参加型プロジェクト「アート×ライフ」を担当し、COMMUNE、深澤孝史、IDPW(アイパス)、エキソニモらを招聘して、地域住民を巻き込んだ作品(それらの多くがプロジェクト)を制作した。その他坂本龍一+YCAM InterLab作品や、YCAMで制作された「コロガル公園」の札幌バージョン(初の屋外)を含め30数作品・プロジェクトを実施している。 

茨城県の県北エリアの広域で展開された「茨城県北芸術祭2016」では、「海」「山」エリアの後者(2市1町)を担当、各地域の地層、植生、生態系や歴史、文化などを踏まえた上で、コミュニケーション・プロジェクトや体験型インスタレーション、また科学技術と地域の産業(和紙、漆、発酵産業)と最新科学技術とを組み合わせた作品やバイオアートなど30数作品・プロジェクトを、いずれも作家のリサーチを支援しながら実施した。

原高史《サインズ オブ メモリー:鯨ヶ丘のピンクの窓》@ 常陸太田市 梅津会館(写真)および鯨ヶ丘地域、茨城県北芸術祭2016 
Photo:木奥惠三
田中信太郎《沈黙の教会、あるいは沈黙の境界》@大子町(旧:上岡小学校)、茨城県北芸術祭2016
Photo:木奥惠三

それから数年の時が経ち、新型コロナウィルス感染症が世界的に流行し、世界は危機的な状況に陥る。気候変動も2020年代から加速化していることを誰もが体感するようになり、「人新世」という言葉も認知されるようになった。ちょうどその時、ウェブマガジン『HILLS LIFE』 【※10】で連載を依頼される。


「コロナ禍のこともあって、ボイスやエコゾフィーのことをあらためて考えて、タイトルを「エコゾフィック・フューチャー」【※11】と即座に決めました。ただ、今春刊行した本のタイトル「エコゾフィック・アート」は、当初から考えていたわけじゃなくて、この連載や他の原稿、書き下ろしを含めて今春に本として刊行するときにエコゾフィーを形容詞として読み替えて、「エコゾフィック」という造語を構想したんです。」


著書の中には、これからの自身のテーマとして「人間と非人間のためのエコゾフィーと平和」が打ち出されている。ガタリは、自然を対象としていたエコロジーを、人間の社会や精神にまで拡張し、フィロソフィー(哲学)と組み合わせて、エコゾフィーと名付けた。四方は、さらにその対象を非人間にまで拡張している。


「以前から、非人間のことを考えていたんですが、2014年頃、「ものへの共感」というタイトルの展覧会を、韓国のACC(国立アジア文化殿堂)【※12】の開館記念展のひとつとして準備していたんです(本展は、ディレクターの突然の解任により実現せず)。東アジアのアーティストと自然と人間の関係、ものとの関係が欧米と違う様相を呈していることをテーマした展示で、そこではモノ、つまり非人間という存在との関係を掘り下げようとしていました。」


それはアートで言えば、「もの派」のような世界観であり、無作為の石や木、あるいは鉄といった加工した物質にまで精神性を見出す感性でもある。ただし、四方の場合は、それはマテリアルなものだけではなく、デジタル情報まで含んでいるのだろうか?


「「もの派」には共感しますが、「もの派」とは異なる時代における問題意識や世界観から出発しているように思います。デジタルデータも自分の中ではつながっているんです。」

「Forking PiraGene」関連トーク「Il y a … 存在著…」(オードリー・タン、四方幸子、シュー・リー・チェン/モデレーター@台北C-LAB)。会期中にオードリー・タン(台湾のデジタル大臣)と四方とのトークを実施。トーク全編の和訳は、四方の連載「Ecosophic Future」(HILLS LIFE DAILY)で前後編に分けて公開中(前編はこちら)。
トゥー=ツン・リー+ウィニー・スーン《Forkonomy()》の展示空間でのワークショップ (2020年12月19-20日) @ 「Forking PiraGene」、「LAB KILL LAB」プロジェクト、C-LAB台北 
共同キュレーション:シュー・リー・チェン+四方幸子 

主催:C-LAB   *《Forkonomy()》は、南シナ海に関わる政治、経済、環境などを浮上させる、リサーチを基盤にしたエコ・フェミニズムを包摂するメディアアートプロジェクト。「Forking PiraGene」は、デジタルコモンズを扱った「KOP(Kingdom of Piracy)」(2002-2006)の次の展開として、デジタルに加えバイオコモンズをテーマに5組の作家やリサーチャーによる新作で開催。「KOP」を開始した当初、オートリユス・タン(現:オードリー・タン)とイリヤ=エリック・リーが提案した2つの企画のひとつ、バイオデータを扱う「PiraGene」を起点に、20年後において再解釈、フォーク(派生)する試みで、展示に加えワークショップを数多く開催。
共同キュレーター:シュー・リー・チェン+四方幸子

日本文化の古層から辿るリサーチ

実は、四方は大学の頃、民俗学研究会に入っていて、口承文芸を担当し、山梨県内のフィールドワークを体験したこともある。キヤノン・アートラボに在籍中も、恐山や能登半島など、日本各地の突端的な地域を旅していた。メディアアートのキュレーションと対極と思われていた行為が、実は「極地」「未分化的」「境界領域」などという側面でつながっていたことに気づいたという。それらは長い時間をかけて織物となしているようだ。

著書の中では、エコゾフィーを拡張するイメージに加えて、ボイスの「ユーラシア構想」に拡張する「ユーラシア・パシフィック」のイメージが語られている。近年、通い続けている長野県の諏訪を含めた、近代以前の日本文化の古層を辿ってさまざまなリサーチが続けられている。


「日本を、ユーラシア大陸、そして太平洋という広域をつなぐ、双方からのデッドエンドと見ているんです。歴史的に日本へは、サハリン経由、またユーラシア大陸の極東部、朝鮮半島やそれより南部の広域から人やモノが流れてきた。そして東南アジアや太平洋からも、黒潮に代表される海流に乗って人やモノが流れ着いた。太平洋は、東日本大震災で被災した瓦礫が北米大陸の西海岸に漂着するなど、大きな流れがあり、回り回ってオセアニア経由で循環しています。日本へは、さまざまな地域から船でたどり着いた人々が、そこに留まり吹きだまった場所ではと考えています。日本文化を考えると、いろんなものを外から受容してきたけれど、日本からは何も発明がなされなかった。とはいえ、受容した複数のものを混淆させたり洗練させることに長けていて、そのことが結果的に独自の文化を醸成させてきた。日本を考えるにあたって、ユーラシアのものも太平洋から受け入れてきたのではないかと。」

「光の対話場」(2021)@対話と創造の森(長野県茅野市) 【※13】
構想・制作:N STUDIO, Inc.(新野圭二郎+三宅祐介*沼尾知哉)
Photo:NOJYO

四方は継続的に活動を通して試みてきたボイスのビジョンの更新を、2020年のコロナ禍の状況において何人かの知人と検討し始める。それが2021年のボイス生誕100年において、2つのフォーラムとして結実する。ひとつは、ALTERNATIVE KYOTO2021 キック・オフ・フォーラム「想像力という<資本> 来るべき社会とアートの役割」【※14】(主催:京都府、コロナ禍により映像配信)と対話と創造の森の設立記念も兼ねて開催された「精神というエネルギー|石・水・森・人」【※15】(主催:一般社団法人ダイアローグプレイス、長野県茅野市の対話と創造の森「光の対話場」からオンライン配信)で、いずれも企画実施を担当した。これらはいずれも、ラウリン・ウェイヤースが中心となり1991年に開催されたシンポジウム「Art meets Science, Spirituality in a changing Economy」の現代版と四方は位置付けている。ボイスはヨーロッパとアジアをつなぐ文化的、民族的な隔たりを、ユーラシア構想によってつなごうとした。四方は、それを日本にまで到達させることによって、大陸の循環と海洋の循環をつなごうとしている。そのキーとなるのが諏訪だというのだ。


「ここ数年、とりわけ諏訪・八ヶ岳地域を掘り下げているのは、「ユーラシア・パシフィック」が出会う重要な「蝶番」ではないかと思っているからです(アーティスティック・ディレクターを務める「対話と創造の森」の拠点も、長野県茅野市にある)。この地域は火山性で、古来からアニミズム的な文化が栄え、とりわけ縄文中期のユニークな発掘物からもそのことが推察されます。また自然信仰に根差したアニミズムの精神は、諏訪大社などを受け入れてきた土地でありながら、現在も強く根付いています。山の文化でありながら、歴史的には海洋文化との関係が深い。太平洋側と日本海側の両方からの影響を受けています。この地域にある諏訪湖は、大断層である中央構造線が東西に、フォッサマグナの西端の糸魚川-静岡構造線が南北に、その下でが十字を切っています。」 


つまり、地質的にユーラシアの延長にあるユーラシアプレート、南海トラフで別れるフィリピン海プレート、フォッサマグナで別れ、北米につながる北アメリカプレート、太平洋につながる太平洋プレートの4つのプレートの上にのっている日本列島の中心が諏訪であり、文化においても結び目というわけだ。そのような大胆な仮説、構想は、専門分野の分かれている学者ならできないだろう。


「キュレーターやアーティストは、全く別の視点で世界を見て提示することができる。学術的な方法とは異なる形で、未来へと向かうビジョンを示唆することができるかもしれない。」


何を目指してリサーチをしているのだろうか?


「結局、日本とは何か、そして日本から世界に何が貢献できるかということでしょうね。日本は現在経済的にも、そしてジェンダー平等など非対称の是正、気候変動、エネルギー問題などさまざまな領域で、世界の潮流に遅れをとっています。文化的にはいいものを持っているけれど、世界に先んじた提案や流れを自ら作り出すことには長けていない。日本特有のいいところと悪いところがある。それは日本の地勢や生態系と大きく関係していて、そこから日本人の精神性が形成され、歴史や文化を生み出してきたと思います。日本人は、外から受け入れたものを折衷して新たなものを生み出すことができるけれど、どの技術もシステムも、日本が発明したものはほとんどない。つまり発明や俯瞰、展望ができない、それは責任を持たない、ということにも通じるように思われます。日本は、近代化の時点で、先進国の仲間入りをするために、それまで連綿と保持していた伝統文化やシステムを否定してしまったと思います。その弊害が、20世紀の周辺国や地域の侵略や、近年では福島第一原発の事故への対応にあらわれているのではないかと。」

オープン・ウォーター  水(*)開く トライアル公演 山川冬樹「DOMBRA」(2020)@東京港海上
主催:オープン・ウォーター実行委員会 
※2012年から水のリサーチを継続(現在に至る)。2018-2021年の「オープン・ウォーター」プロジェクトでは東京の水をリサーチし、本公演と齋藤彰英個展「東京礫層:Tokyo Gravel」(iwao gallery、2021)を開催。2019年以降は東京水都・未来会議の委員を務める。
三原聡一郎パフォーマンス《L’aria del giorno(今日の空気)》@イタリア文化都市「プロチダ2022」、イタリア・カンパニア州プロチダ島テッラ・ムラータ地区(2022)
Photo:Leandro Pisano /Liminaria 
※2021-2023年に南イタリアのLiminaria【※16】と青森国際芸術センター(ACAC)【※17】の共同企画(キュレーター:レアンドロ・ピサノ /Liminaria、村上綾 /ACAC、四方)として展開する「EIR(エナジー・イン・ルーラル)」プロジェクト(ヴァーチャル視察+リアル滞在)の2年目として、南イタリアにアーティスト(三原)とキュレーター(四方)が派遣され、4地域を訪れた。3年目の今夏は、イタリアからの来日および日本の作家にリサーチを踏まえた新作を展示。
「プロチダ2022」にて、左より四方、ディレクター、三原聡一郎、レアンドロ・ピサノ

四方は、南イタリアを含めて、世界の地域文化も積極的にリサーチしている。現在、日本では30年以上続く不況の末、政治・経済に加えて学術・文化でも衰退し、自閉的な日本賛美論と悲観論が分裂している。都市と地方の格差も広がるばかりであるが、どうすればよいだろうか?


「日本の良さ、そして問題に向き合うこと、そしてそのためには、ここ150年余り日本が否定してきた近代以前の精神性や叡智にあらためて向き合い、近代システムの良いところと結合させていくことではないでしょうか。日本とは何か、に向き合い、この地域ならではの自然とともに生きてきた精神性や文化を引き出して、外に発信できないかと思いつつ、私は生き、仕事をしているんです。中央構造体とフォッサマグナの糸魚川-静岡構造線が交差する諏訪湖のある諏訪・八ヶ岳地域を、「ユーラシア」と「パシフィック」が交差する蝶番ではと直感的に感じていて、この地域を掘り下げているわけなんです。」


活動の初期から現在に至るまで、アート業界のために仕事をしているとは認識していない。とりわけ近年、アートがすべての領域の土壌に行き渡る地下水脈のようであってほしいと願っているという。


「誰もがボイスが言ったように、創造的に世界を見たり、何かをつくっていくことが重要で、それを見たり体験した人も、創造的になり何らかの形で発信していく、つまり「はじめも終わりもない」共同創造のスパイラル......それこそがアートなのではと思っています。そもそも近代以前は、アートや創造性は日々の生活の中に、人々とともにありました。近代を経ることで、そのような世界をあらためて見直していく時代に差し掛かっていると思うんです。」 


それは早い段階から、海外と交流を続け、最先端のアーティストを積極的に紹介してきた四方の経歴からは意外な答えに思える。


「欧米からは多くを学んでいます。と同時に世界のあらゆる価値観や日々の生活において、欧米の影響の下に無意識的にあることを、あらためて実感しています。美術においても同様で、あらゆるシステムや価値観が欧米中心的なフィルターにさらされている。これからは、その次、欧米のシステムや思想を吸収しながらも美術をより多中心的なものへと変容させていくこと、来るべき価値観や表現を開花させていく方向に向かう必要があるでしょう。それも含めて、日本そして世界のあり方に自分なりに関わっていければと思っています。」

美術評論家連盟会長と世界への発信

2021年、前任の会長である美術史家の林道郎が、自身の元学生へのハラスメントの告発を受け辞任する。急遽次の会長選挙となり、推薦を受けて四方は候補者となり、女性で初めての美術評論家連盟の会長に就任した。思えばそれは、黎明期のメディアアートに関わった時と同じように、誰もやらないことを自分で良ければ、と一歩を踏み出す挑戦だったという。

2019年から3年間、美術評論家連盟のシンポジウムの実行委員長や常任委員を経験した中で、微力ながら少しでも役に立てば、という思いからの決断だった。美術評論家連盟は、共同声明が目立ち、美術館の館長などを務める会員も多数在籍するため、権威をもった団体に見られているかもしれない。しかし、あくまで個人による「連盟」であり、そこにヒエラルキーはない。実態としては四方を含め、多くのインディペンデントな会員が活動を支えており、その多様な意見を反映する必要があった。7月末にリリースした自主メディア『美術評論+』【※18】もその一環だ。


「会長の任期は3年なので、後半期に入りました。外部発信としては『美術評論+』が多くの方々の協力によって先月立ち上がりましたが、会員それぞれが自主的に評論を投稿でき、批評が活性化していく場としていいかたちで育っていくことを願っています。見てくれた知人が、内容も充実しているし、自立的なメディアであることが重要だ、と言ってくれたことを嬉しく思っています。」



ただし、課題も多い。


 「他国との関係としては、アジア・パシフィック地域にある美術評論家連盟支部のコミュニケーションを活性化させたいと思っているんです。後、やはり海外への発信ですね。英語の問題もあって、日本の会員で海外で立ち回る人が多くない。また、優れた批評が書かれていても、日本語だから読んでもらいにくいという問題があって、何か方法がないだろうかと思っています。」


翻訳をするための助成金を得ることなども考えているという。実務をするボランティアが少なく、若い世代の会員は待遇が不安定で、報酬がない仕事を受けるのは難しくなっている。上の世代や常勤をしている会員は、仕事が忙しく、デジタル技術にも疎いという問題がある。近年、アートシーンでも存在感を表しているアジアとの関係も結び直す必要があるだろう。それらの課題も社会に合わせてアップデートしていくことができればと語る。四方が、アジアとの交流を活発にしていることも「ユーラシア・パシフィック」において日本自体を蝶番として見ていることとつながるだろう。



「欧米中心の価値観を、日本人は無条件に自明のものとして取り入れてきたけれど、この国の歴史をたどると、むしろ近代化された明治以降が本来の日本のあり方とは異なるように思われます。その辺を考慮して日本の基層を含めて考えていければと。」
 


近年、國學院大學大学院で教える中で、日本の歴史も見直しているという。四方は、学者ではなく、キュレーターや批評家、もっと言えば、「エコゾファー」という自覚のもと、人々をつなぎ、各人が創造力を発揮することで共同創造へと向かうことを 目指している。それはまた、人間と非人間の新たな関係をつくっていくことでもある。


「何かの気づきを新しく持ってもらえるような、そういうきっかけを作れるといいなと思っていて、あなたもできますよとか。誰でもそれぞれの可能性を持っているので、閉じずに開いてほしい。負のエネルギーじゃなくて、ポジティブなエネルギーをできるだけ皆さんに伝えたいと思っているんです。21世紀の現在において、第二次大戦後に提起された平和のあり方をあらためて問い直していく時期にあるのではと。ほとんどの戦争はエネルギーや資源の問題から起きているし、そこには所有とか開発の問題が絡んでいる。それはまた、人間を中心としたものです。これからの「平和」は、人間に加えて非人間のこと、そして地球や宇宙環境のことも考えていかなければならないと思います。日本の基層を掘り下げる中で、未来へ向かう新たな平和へのビジョンを見つけられるのではないかと願っています。」


「人間と非人間のためのエコゾフィーと平和」という四方が唱えるテーマにおける「平和」は、アートを通して実現されうるものであるという。


「コモンズ、そして共同創造。それがメディアアートから学んだことです。それを自分が関わっているさまざまな現場、そして日常においても発信していければと思っています。」

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 関連情報

美術評論家連盟(AICA JAPAN) 
(URL最終確認:2023年9月18日8時50分)

 

注釈

【※1】多摩美術大学 情報デザイン学科
 1998年に開講。いち早く「情報デザイン」を専門にした学科を立ち上げた。
(URL最終確認:2023年9月18日8時50分)

【※2】四方幸子「第4章 アート-批評-キュレーティング」(pp.132-157)、「第5章 未来のミュージアム」(pp.158-183)、『情報デザインシリーズ Vol.6 情報の宇宙と変容する表現』(京都造形芸術大学=編、角川書店、2000)

【※3】森美術館 
(URL最終確認:2023年9月18日8時50分)

【※4】森美術館初代館長。オックスフォード近代美術館、ストックホルム近代美術館、森美術館、イスタンブール近代美術館などの館長を歴任。紅専廠現代美術館(RMCA)キュレーター。

【※5】山口情報芸術センター[YCAM] 
 (URL最終確認:2023年9月18日8時50分)

【※6】NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]  
(URL最終確認:2023年9月18日8時50分)

【※7】クリエイティブ・コモンズ・ジャパン
(URL最終確認:2023年9月18日8時50分)

【※8】NTTグループが運営している検索エンジン。

【※9】「札幌国際芸術祭2014」
(URL最終確認:2023年9月18日8時51分)

【※10】『HILLS LIFE』 
(URL最終確認:2023年9月18日8時51分)

【※11】「エコゾフィック・フューチャー」
・最新記事はこちら
・バックナンバーはこちら 
(URL最終確認:2023年9月18日8時51分)

【※12】ACC(国立アジア文化殿堂)
(URL最終確認:2023年9月18日8時51分)

【※13】対話と創造の森 
(URL最終確認:2023年9月18日8時52分)

【※14】フォーラム第一部の基調講演にはオードリー・タンとラウリン・ウェイヤースが登壇、第二部のパネルディスカッションには、占部まり(内科医 /宇沢国際学館代表取締役)、岩崎秀雄(研究者 /アーティスト)、奥野克巳(文化人類学者)が出演、四方がモデレーターを務めた
・記録映像はこちら
(URL最終確認:2023年9月18日8時52分)

【※15】ヨーゼフ・ボイス生誕100年 / 対話と創造の森の設立記念フォーラム「精神というエネルギー|石・水・森・人」
2021年11月6日10:00-16:45 @ 対話と創造の森(長野県茅野市)
ゲスト:石楚三千穂(郷土史研究家・スワニミズム事務局長)、小松隆史(井戸尻考古館館長)、竹之内耕(糸魚川市立フォッサマグナミュージアム館長)、山川冬樹(アーティスト・パフォーマー)、
共同ホスト:四方幸子 新野圭二郎。トークセッション後、16:00より山川冬樹のパフォーマンスを開催。

【※16】Liminaria
(URL最終確認:2023年9月18日8時52分)

【※17】青森国際芸術センター(ACAC)
(URL最終確認:2023年9月18日8時52分)

【※18】『美術評論+』
(URL最終確認:2023年9月18日8時52分)

INTERVIEWEE|四方 幸子(しかた ゆきこ)

キュレーティングおよび批評。京都府出身。美術評論家連盟会長。多摩美術大学・東京造形大学客員教授、IAMAS・武蔵野美術大学非常勤講師。オープン・ウォーター実行委員会ディレクター。データ、水、人、動植物、気象など「情報のフロー」というアプローチからアート、自然・社会科学を横断する活動を展開。キヤノン・アートラボ(1990-2001)、森美術館(2002-04)、NTT ICC(2004-10)と並行し、資生堂CyGnetをはじめ、フリーで先進的な展覧会やプロジェクトを数多く実現。近年の仕事に札幌国際芸術祭2014、茨城県北芸術祭2016(いずれもキュレーター)、メディアアートフェスティバルAMIT(ディレクター、2014-2018)、美術評論家連盟2020年度シンポジウム「文化 / 地殻 / 変動 訪れつつある世界とその後に来る芸術」(実行委員長)、オンライン・フェスティバルMMFS2020(ディレクター)、「ForkingPiraGene」(共同キュレーター、C-Lab台北)、2021年にフォーラム「想像力としての<資本>」(企画&モデレーション、京都府)、「EIR(エナジー・イン・ルーラル)」(共同キュレーター、国際芸術センター青森+Liminaria、継続中)、フォーラム「精神としてのエネルギー|石・水・森・人」(企画&モデレーション、一社ダイアローグプレイス)など。国内外の審査員を歴任。共著多数。

INTERVIEWER|三木 学(みき まなぶ)

文筆家、編集者、色彩研究者、美術評論家、ソフトウェアプランナーほか。
アート&ブックレビューサイトeTOKI共同発行人。
独自のイメージ研究を基に、現代アート・建築・写真・色彩・音楽などのジャンル、書籍・空間・ソフトウェアなどメディアを横断した著述・編集を行なっている。
美術評論家連盟会員、日本色彩学会会員。