作品を整え、次世代へつないでいく 保存修復担当学芸員の仕事

作品を整え、次世代へつないでいく 保存修復担当学芸員の仕事

丸山 文絵
2025.12.15

美術館の学芸員というと、作品の研究や展覧会の企画に携わる仕事を思い浮かべる人が多いだろう。しかし実は、それ以外を専門とする学芸員も一定数いる。今回取り上げたいのは、作品の保存修復を専門にしている学芸員である。兵庫県立美術館は、国内でも珍しく保存修復専門の常勤職員が複数名配置されている。今回はその1人であり、長年ドイツで保存修復を専門に美術館や大学で学び、経験を積まれてきた岩松智義(いわまつ ともよし)さんに、お話を伺った。 

絵画修復との出会い

東京の大学で教育学を専攻していた岩松さんが、修復の世界に入ったきっかけは、ある展覧会でカタログを購入したところから始まる。


岩松:1枚のチラシがきっかけでした。東京の大学で教育学部にいたんですけども、たまたま、その世界遺産写真展の展示を見てカタログを買ったんです。そのカタログの中に絵画修復を勉強できる専門学校のチラシが入っていて、初めて絵画修復という世界があるということを知りました。


その出来事をきっかけに「絵画の保存修復を専門的に勉強できる日本の大学はないか」と探し始めたという。


岩松:当時は別の大学に通っていました。浪人までしていわゆる有名大学と言われるところの教育学部に進んだんですが、授業がそこまで面白いと感じられなくて。もともと美術への関心はあって。美術作品を人が見られる形に直して、再び公開することで多くの人に享受してもらうということに社会的な意義があるように思えたのかな。


調べていくうちに、山形にある東北芸術工科大学が、西洋絵画修復を勉強できると知り、進路を決めた。大学では、西洋絵画だけでなく、仏像や東洋絵画の修復、保存科学や美術史など幅広く学んだ。3年生から専門に分かれる中で、西洋絵画修復を選択した。卒業研究では、文献を調べ、そこに記されたワニスの材料を調合し、実際に塗布して乾燥後の見た目や劣化の仕方を観察したという。


岩松:15世紀から17世紀の間のヨーロッパの手稿本に記されている、ワニスの処方をいくつか再現する研究をしていました。「このワニスにはこの材料を」というふうに細かく記録が残されていて、それらを再現して、物性の違いや光沢の変化などを比較していました。実際に作って塗ってみて、光沢の違いや扱いやすさを確かめていく。ヨーロッパでは割とスタンダードな研究方法の一つなんです。

学生時代の岩松さんが、卒業研究でワニスを塗っている様子。

ドイツで学び、修復家に


東北芸術工科大学で西洋絵画修復を学び、卒論の担当教授の勧めもあり絵画の修復を本格的に学ぶ為に2004年に渡独する。最初の半年は語学学校でドイツ語を集中的に勉強し、その後美術館で研修したという。ドイツで保存修復の学部のある大学で学ぶためには、当時はその前提として、修復部門のある美術館あるいは修復工房、個人の工房で、1年ないし2年研修することが条件になっていた。

最初の研修先はニーダーザクセン州立博物館(ドイツ・ハノーファー)だった。総合博物館の中に、保存修復部門があり、そこの修復工房で1年間研修を受けたのち、バーデン=ヴュルテンベルク州のシュトゥットガルトの美術館(州立絵画館)でさらに1年研修を積んだ。


岩松:研修では、教わりながら1つの作品を自分で修復して、報告書を書くんです。どのように描かれ、どんな損傷があるのか、どんな処置をするのかという計画を立てて、実際に行った処置を書いていきます。使った材料や工程を、写真と一緒に記録を取って提出する。それが研修の大きな目的の一つで、他にも工房内での立ち居振る舞いや環境管理についても学びました。シュトゥットガルトの美術館は大所帯のところだったので、修復専門の広い部屋が複数あって、それぞれ研修生は僕を含めて3人と、4、5人の常勤の修復家が美術館にいました。

研修時代に美術館で使用していた顕微鏡。医療用の顕微鏡を使用する。
修復処置をした内容を記録している。
作品の保存のために貼られたフィルムをドライヤーで温めながら剥がす作業をしている。

その後、美術館での研修を経て、ケルン応用科学大学に入学。同学では、バチェラーとマスター課程を修了した。日本の大学でも修復を学んでいた岩松さんだったが、実技指導に大きな違いがあったという。


岩松:日本の大学で勉強したときは、先生の方針で修復の実技は教えてもらうことができなかったですね。中途半端な知識で修復してしまうと、作品が壊れてしまう可能性があるからと。その代わりに、素材の研究を中心にしていました。


日本では西洋絵画技法で描かれた絵画の修復を学び、ケルン応用科学大学では該当するコースが、絵画だけではなく、彩色木彫や現代アートの修復を専門とするコースだった。ドイツの大学は、他にも写真や版画等の紙作品の修復コースと、石彫や建物、家具、テキスタイルなど、素材ごとに細かく分かれたコースがあった。授業は所属するコースの授業だけでなく、他の分野も横断的に学ぶことができ、1年生の時から専門科目を選択できた。


岩松:ドイツでフリーランスとして働く時も、絵画しかやらないのでは、仕事が限られてしまう。修復の世界では、素材ごとに専門が分かれ、それぞれに高い専門性が求められますが、自分の学んだ範囲の中で、幅広く仕事を受ける必要があります。実際、フリーの修復家として働いたときには、絵画のほか教会所有の彩色木彫や祭壇、または現代美術などの保存修復に関わりました。ドイツの大学卒業後は、美術館や専門機関で働けないかなと思って、40箇所くらい応募しました。学生はたくさんいるけれど、募集自体が少なくて。だから、大学卒業後はフリーランスとしてどこかの工房に属したりして働くっていう方も多いですね。


最初に所属したのは、デュッセルドルフの個人工房だった。そこでは絵画の他、現代美術の修復にも携わったという。


岩松:5、6人のチームで、現代美術の作品が多かったですね。数ヶ月後、今度はケルンの個人工房に移って、同じように仕事をしていました。いきなり自分で工房を持つのは難しいので、しばらくは様々な工房に所属しながら経験を積むのがドイツでは一般的でした。教会の仕事の請負もあって、現地に赴いて作業することもありましたね。


ドイツで実際に働かれて、同僚の方とコミュニケーションや文化の違いに戸惑いや難しさは感じたのだろうか。


岩松:大学は、僕以外はみんなドイツ出身でしたね。一緒に働く分には問題ないんですけど、やっぱり自分が「外国人」であることを常に意識せざるを得ない。細かい差別や文化の違い、言葉の壁があって、なかなか溶け込むのは難しかったです。

ケルンの美術館にて。彩色木彫を修復をしている。

フリーランスから美術館の保存修復学芸員へ

2018年、14年ぶりに帰国。修復家としての活動を再び日本で始めようと、実家のあった宮城に拠点を置いた。宮城の美術館などに営業をかけ、手紙を送るなどしたが、手応えを得られなかった。


岩松:ドイツで修復の仕事を探していた時は手紙や資料を送ると、返事をもらえて、そこから仕事に繋がることが多かったんです。でも日本ではそうもいかなくて。今思えば、日本の修復工房とも繋がっておけばよかったかなと。挨拶に行ったり、見学させてもらったりしておけば、もう少しスムーズに活動できたかもしれません。ドイツにいた時はドイツで働くっていう風に考えていたから、日本でそのネットワーク構築の必要性を感じてなかったんですよね。でもなかなか外国で生活していくのは大変でした。13年くらい住みましたけど、やっぱり日本がいいなって。


その後、仙台に移り、借家の2階を修復工房として活動を始めた。同時にその頃、文化財保存支援機構の登録会員になった。2018年には盛岡の岩手県立博物館の敷地内に設けられた臨時施設で、東日本大震災で被災したアクリル絵画の修復プロジェクトに参加することになる。転機が訪れたのはその年だった。その時に現職の採用試験があることを知り、受験した。そして、現在に至る。

画像提供:兵庫県立美術館

フリーランスの修復家から美術館に採用になり、心境の変化などはあったのだろうか。


岩松:県立美術館ということは、県民一人ひとりのいわば財産を保存して残していくということになります。個人の方から依頼される修復と、その責任の重み自体はどちらも変わらないですけど、今あるものをちゃんとその次の世代まで継承させないといけないから、そういう責任は強く感じました。それから、安定した収入が得られるというのも大きかったです。フリーランスの修復家で生活していくのは難しい。美術館やギャラリー、個人コレクターの数は東京が圧倒的に多く、仕事として成り立つのは東京だと思います。西洋絵画の保存修復家として生きていくのは他の地域ではなかなか厳しいのが現実だと思います。


兵庫県立美術館の保存修復部門には現在、修復室、絵画用X線装置、蛍光X線分析装置などの施設・設備があり、そこに常勤の専門員が2名、非常勤が1名の3名が配置されている。阪神・淡路大震災を機に修復部門ができたが、前身の兵庫県立近代美術館【※1】だった当時から保存担当の存在はあったという。


岩松:震災前までの県立近代美術館で、現在のような専門の部署はありませんでしたが、作品の保存管理を担当されていた方がいたそうです。実際に簡単な処置をされていたものもあるので、体制としては、必要だろうっていうことだった。そういった土台があったからこそ、阪神・淡路大震災のあと、やはり設置をしようという流れになったのだと思います。


当初の案では県内にある他館の作品を受け入れる構想もあったが、現在は所蔵品を中心に保存修復作業を行っている。その修復処置は全体の業務の1割程度で、ほとんどは温湿度管理等、作品の保存環境を整えたり、貸出の調整などが中心となる。


岩松:基本的に美術館にあるのは、そこまで状態の悪いものはないんです。ただ、寄贈作品などは手を入れないといけないものがあったりします。他にも美術館に保管して何十年も経って処置が必要なものが出てきたりします。普段は主にIPM(総合的有害生物管理)【※2】を実施しています。定期的に彫刻の埃を払ったり、バグトラップを交換して、虫の数を館内の地図に書き込んだものを見て傾向を把握するとか。夏場は2週間に1回のペースで交換しています。冬場は虫の数自体が少なくなってくるんで、3週間に1回とか。温湿度も大きく変化がなければ、24時間である必要っていうのはあんまりないんですけど、でも変動してしまうので、24時間にせざるを得ない。

修復室にて作品のクリーニング 
展示室にて作品の埃払い
水を使った作品。埃などが入ってくるので、水の入れ替え作業中。
水を抜いてから中を拭いて消毒し、再び水を入れる。

岩松:特殊なケースですが、特別展 「関西の80年代」【※3】で作家から直接搬入された作品には、埃を取り除くなど細かい掃除をするときもありました。木枠に張っていない状態の物もあったので、こちらで木枠に張ることもありました。

キャンバスの状態で搬入された作品を木枠に張っている様子。

修復の現場では、見た目には大きな変化がなくても、内部構造を守る為に地道な作業が積み重ねられている。最近印象に残っていると語るのは、菅木志雄の《中律-連界体》という鉄パイプと木片からなる立体作品の修復だ【※4】。


岩松:鉄パイプ8本と木片8個で構成されている作品なんですけど、パイプは個性が少なく記録が特に大変でした。4分割して撮影し、180度回転してもう一度撮るという、アナログのCTスキャンみたいな作業でした。木片の損傷部分には樹脂を注入し、内部の構造を補強する処置を施しました。漏れがないように二度にわたり処置が必要だったんですけど、外見は大きく変わらない…。それでも保存上は大きな意味がありました。

修復室にて。木片の損傷部分に樹脂を注入している。


館内の環境を整え、展示作品のケアから修復と仕事は多岐にわたることがわかった。こうした業務を3人で担う体制は十分なのだろうか。


岩松:海外と比べると、この規模の美術館で修復担当が3人というのは正直少ないかなと感じます。そもそも修復業界は素材によって、専門が細かく分かれているんです。紙、写真、キャンバス画や板絵、彫刻、金工品などそれぞれに専門分野があります。海外の大きな美術館だと、デパートメントごとに分野が分かれているのが一般的です。一方で日本は、様々なジャンルの作品を所蔵しているにも関わらず、保存修復の担当が1人で全部見なければならない美術館も少なくありません。小規模の美術館であれば海外でも日本と同じ状況はあり得ますが、当館と同規模となると海外ではより細かく役割が分かれているのが普通ですね。


自分の専門分野以外の作品を扱う場合、どのように対応されているのだろうか。


岩松:専門家に相談したり、場合によっては外部に依頼せざるを得ないケースもあります。外注にするにしても、まず最初にこちら側で情報収集をして、しっかりリサーチを行います。館の所蔵品ですから、全部お任せするわけにはいかないんです。その処置がなぜ必要だったのかというのを私たちが把握していないと、必要以上の処置が行われてしまうことがあります。修復はやろうと思えばどこまでも手が加えられてしまう側面があるので、外部に依頼する際にも「どこまで行うか」という方針をきちんと伝えられるようにしています。
以前は修復というとアトリエにこもって、黙々と作業をするイメージがあったのですが、実際には人とのコミュニケーションが重要な仕事だと思っています。フリーランスの修復家であっても、所蔵者と「この作品を今後どうしていきたいのか」を話し合いながら方針を決めますし、作品に応じて学芸員や専門家と連携を取ることも欠かせません。意外かもしれませんが、修復は人と接する場面がとても多い仕事なんです。


昨今も国内各地で自然災害が続いている。館内で有事の備えはどのように対策されているのだろうか。


岩松:過去の事例や記録を読んだりしますね。地震が起きたときに、美術館内でどういうことが起きるのかとか、どういうことをしなきゃいけないのかっていうのを、報告を読んで学んだり。あとは、実際に自分で脳内でシミュレーションするっていうこともあります。展示する時は、地震が起こったら転倒しないかとか、それを防止する対策を考えてやったり。例えば、震災で彫刻の被害が多かったのもあって、当館では、作品を彫刻台と下からボルトで繋げていたり、彫刻台に重りを入れて動かないようにしています。作品が壊れるということもありますが、お客様の安全も考えないといけないので、彫刻の固定作業をすることは僕が入る前からこの館ではしっかりしていましたね。他にも必ず絵画は、ワイヤーで吊るのではなくて、壁に直接固定したフックにかけてもらうっていうのは、徹底しています。日本にいる限り、保存修復の仕事は常に震災のリスクと向き合わなければならない。今後も南海トラフ地震などが懸念される中で、不安はありますが、やはり備えはしておかないといけない。全国の保存修復の担当者も同じ思いを持っていると思います。

育休を経て


プライベートでは2024年に第一子が生まれ、育児休暇を約1年取得した。育児を経験したことで、岩松さんの中でも「仕事と生き方」のバランスに変化が生まれた。


岩松:ドイツでは育休に限らず、休むときはしっかり休む。バカンスやクリスマス休暇も1ヶ月くらい取るのが普通で、誰も何も批判しない。それが文化として根付いています。出産後に女性だけで乳児を育てるのは大変ですし、危険にさらされるという可能性もあります。自分自身も子供の成長を見届けたいという思いがありました。職場に負担をかけるのは申し訳ないけれど、この時期を逃したら後悔すると思ったんです。


復職後は、子供の体調不良などで、急に仕事を離れなければならいことが増えたという。


岩松:だから、できる時に前倒しで仕事を進めるようになりました。子育ては思っていた以上にマルチタスクなところがあるので、仕事でも時間の使い方や優先順位のつけ方が自然と変わってきました。


子育ても、表面では見えないところで支えることの連続だ。その姿勢は、作品を未来へとつなぐ修復の仕事にもどこか重なる。最後に岩松さんにとって修復とはどのようなものか伺った。大学で学んでいた時に先生が話してくれた言葉が今も印象に残っているという。


岩松:「修復っていうのは、運動会の大玉転がしのようなものだ」と。前の世代の人たちが修復してきたものを、自分たちの世代で作品が失われないように本質を保ちながら、環境を整えたり必要な処置を施して、次へつないでいく。修復家だけで完結するのではなく、いろんな世代の人たちが協力して、力を合わせて次の世代に引き継いでいく。僕たちの後の世代の人たちも今の記録を見ながら引き継いでいくと思うんです。その時に自分の仕事が役に立てばうれしいですね。

おわりに

同じ職場で働いていても、直接関わる機会がなければ、互いがどのような仕事をしているのかは意外と知らない。私は普段、事務所の机上に向かって仕事をすることが多いが、館内で作品のケアにあたる保存修復担当の学芸員たちの姿を時折目にすることがあった。そうした様子に触れるうちに彼らが担う専門性の高い仕事を、より多くの人に知ってもらいたいという思いが強くなり、今回の取材につながった。

保存修復は、これまで専門家の間で語られることが多かった領域だ。しかし、作品を未来へつないでいく活動としてより広く社会に共有される必要があるだろう。そのためには、美術館自らが発信の場を広げていくことが重要だ。例えば、館のウェブサイトに修復の過程や考え方を紹介するコンテンツを設けたり、学芸員やボランティアによるガイドツアーに修復の視点を取り入れることで、来館者に修復の意義を伝える機会を作ることができる。

設備や専門職員の充実した美術館であるからこそ、こうした発信の場を通じて保存修復の活動が広く共有され、次の世代へ美術館を支える仕事の価値が受け継がれていくことを期待したい。

【※1】兵庫県立近代美術館(1970〜2001年)

1970年に神戸市灘区原田通に開館。1995年の阪神・淡路大震災で被災。

移転を経て2002年4月に兵庫県立美術館として現在地に開館。近代美術館は建物の修繕を経て2002年10月から兵庫県立美術館王子分館 原田の森ギャラリーとして市民の作品発表の場となる。2012年11月に旧西館は横尾忠則現代美術館として開館。

【※2】IPM(総合的有害生物管理)

害虫やカビなどの有害生物による被害を防除するため、薬剤に頼らずに複数の方法を組み合わせて取り組む方法

【※3】特別展「兵庫県立美術館 開館20周年 関西の80年代」
  こちらのアーカイブは以下のサイトで公開されている。

ART360°|兵庫県立美術館開館20周年 関西の80年代

会期:2022年6月18日[土]-8月21日[日]

  

【※4】菅木志雄《中律-連界体》の修復

岩松智義 「菅木志雄《中律-連界体》の保存修復」

兵庫県立美術館『兵庫県立美術館研究紀要 第18号』2024年

(上記全URL最終確認2025年12月15日)

INTERVIEWEE|岩松 智義(いわまつ ともよし)

東北芸術工科大学で西洋絵画修復を学び、2004年に大学卒業とともに渡独。ドイツの美術館にて絵画保存修復の研修を経て現地の大学に進学し絵画、彩色木彫、現代美術の保存修復を学ぶ。大学院修了後にフリーランスの修復家として活動。2018年に帰国し、2019年より現職。

INTERVIEWER|丸山 文絵(まるやま ふみえ)

神戸市在住。メーカー職を経て、グラフィックデザイン、イラストの仕事など。ライター。
2022年より兵庫県立美術館 広報・営業担当 県政推進員。LAWS(Local Art Writer’s School)1期生。