【1期生】「自分で考え、選択し、行動する」 現代美術の世界を生き抜くために、大切な力を身につけた大学生活

【1期生】「自分で考え、選択し、行動する」 現代美術の世界を生き抜くために、大切な力を身につけた大学生活

ART IN TURN 01|岡田 満帆(おかだ みつほ)
Nov 9, 2022

美術家・矢津吉隆(やづよしたか)さんには、現代アーティストとしての一面と、アート複合施設kumagusuku【1】の経営者としての一面があります。多彩な顔を合わせ持つ矢津さんの生き方は、学生との接点も多く、Z世代と呼ばれる、現実主義的な思考を持ち、安定した人生を求める傾向にある今の学生にとって、憧れのロールモデルではないかと思います。そんな矢津さんのルーツ、特に「どのような大学生だったのか」を紐解くことは、学生の皆さんにとって今後のヒントになるのではと考えています。私自身も「大学院生活のこり約1年間をより良く使い切りたい」という思いがあり、このインタビューを通して、自分の学生生活を見つめ直したいと思います。

執筆者|岡田 満帆(おかだ みつほ)
取材日|2021年12月23日
矢津吉隆さん。京都市立芸術大学ラグビー部の部室前にて

やりたいようにやれる環境を探し続けた

岡田:今回は、矢津さんの大学生活についてお伺いしたいと思います。京都市立芸術大学の彫刻専攻に通われていたとのことですが、入学当初はどのような生活を送られていましたか?

矢津:入学する段階では専門が分かれていなくて、少し経ってから油絵なのか版画なのかとコースを決めるんです。僕は「彫刻コースに行きたいな」となんとなく思いつつ、入学してまず初めに総合基礎という授業を受けました。美術学科も工芸学科も混ざってグループワークをするという内容で、そのときに色々とつながりができました。小さい大学なので、早い段階でみんな仲良くなっていきましたね。

岡田:なぜ彫刻を専攻したいと思われたのですか?

矢津:受験の科目にデッサン・色彩・立体の3科目があって、その中でも立体が得意で楽しかったから、なんとなく彫刻かなと思ったくらいの話です。素材を限定することもなく、自由にやらせてもらえるのも良いと思いました。実際にやり始めると、予備校時代の粘土や紙とは違い、なかなかイメージが具現化されなくて、彫刻って難しいんだなと感じました。絵だったら描いていったら出来上がってくるけど、木彫とか、この作業いつまで続けたらこの形になんの?みたいな。

その中でも、樹脂は自分の思い通りになりやすかったので、メインの素材として使っていました。粘土で作ったオブジェをかたどって、それをFRP【2】や石膏に置き換えたり、さらに着色したり、そういうやり方を色々試していました。

岡田:大学生活を振り返って、印象に残っていることは何ですか?

矢津:1年生の間はラグビー部に入っていたので、昼休みも放課後も土日もラグビーばかりやって傷だらけになった記憶があります。ラグビー部の先輩には有名なアーティストも多くて、OBも情に厚く後輩想いな人ばかりで、先輩との絡みができたので良かったです。でも、あまり制作には打ち込めていなかったですね。先輩の家でずっと麻雀して、芸大祭では女装して美女コンテストに出て……先輩に言われるがままやっていました。

日々楽しめてはいたのですが、ラグビーに生活を支配されているのが不安になってきて、結局1年でやめました。有望視されていたんですけど、ちょっと違うなと思って。当時、ラグビー部の先輩に名和晃平【3】さんがいて、「辞めたいんですよね」と相談したら、「やりたいことやったらいいんじゃない」と言ってもらえました。

岡田:ラグビー部をやめて、学年が上がるとどう変わりましたか?

矢津:まず、2年生の夏に、予備校時代の友達と長編映画を撮りました。みんななんとなく芸大に行ったけど思っていたのと違うし、やりたいことができないっていう気持ちがちょっとずつあったんだと思います。「夏休みに合宿したら、なにか出来るんじゃないか」っていう軽いノリで始めて、めっちゃ頑張ったけど結局未完成に終わりましたね。監督をしていた友達が編集してみたら3時間になったとか、思っていたより大作になってしまい、まとめきれなかったのもあるのかもしれません(笑)。

でもこれがきっかけで、3年生の後半からは「Antenna(アンテナ)【4】」というグループに呼ばれて活動を始めました。校内のギャラリーで展覧会をしたり、関東の美術芸術大学と企画してグループ展をしたり、作ったものをなんとなく発表し始めたのがこの頃ですね。

あと、このタイミングで学校の外にアトリエをみんなで借りました。「学校の中じゃ自由にできないし外に借りちゃおうぜ」って少し背伸びしているのもあったんですが。拠点ができてからは、ほぼそっちにいましたね。土間でパソコン作業ができて、こたつでご飯食べたり、お酒飲んだり語らったりできて、半分共同生活みたいな。先生がいないので何も言われることなく、やりたいようにできました。当時、そういう人は周りにいなかったので、「Antenna頑張ってんな」みたいな雰囲気になって同学年の中では目立っていました。

岡田:特にやっていて良かったことは何ですか?

矢津:芸大祭で模擬店をやるんですけど、テントじゃなくて仮設の建物を作って店舗にする伝統があって、それを3年間やったのがいい経験になったと思います。自分たちでお店っていう空間をやりたいように作って、その中に人を招き入れて、お金を払ってもらって。Antennaのメンバーとベトナム料理のフォーのお店を出しました。別にアートフォ―でもなく普通のフォーなんですけど、空間自体はこだわって、楽しかったし面白かったし、新鮮な体験でした。

こういう形の、人との関わり方ってあるんだと知って、これがkumagusukuとか、未だに「場」を作っているものの原体験になっていると思います。子供の頃に秘密基地を作る感覚ですよ。みんなで借りたアトリエもそう、何かにつけて秘密基地作りたがるっていう感じ(笑)。

大学卒業後の2009年ごろ、Antennaメンバーと、大学の先輩にあたる金氏徹平【5】さんと

勉強できるのは大学生の特権

岡田:逆に、やっておけば良かったことはありますか?

矢津:そんなんもう山ほどある(笑)。 とにかく美術史の勉強は、単位さえ取れればいいみたいな感じでかなり疎かにしていました。しかも美術史の授業をあまり取らなくても卒業できて、避けて通ろうと思えば通れてしまって、学問として美術を学ぶっていうことを大学生の頃にほとんどしていなくて。ちゃんと哲学書や美術の評論を読むとか、そういうものに感銘を受ける経験は大学に通っているときにもっとしておけばよかったと思います。

あと、大学に途中から寄り付かなくなったので、大学の機材をフルに使って技術を学ばなかったのは勿体無かったと思います。今思えば大学の設備ってすごいじゃないですか。そういう恵まれた環境にいるときにもっとできたことって多分あって、そのことになかなか気づけなかったなと。当時は勉強なんかしてる場合じゃなくて、友達と一緒に何かもっと面白いことをすることの方が重要だと思っていたので、どっちが良かったのかは分かりませんって感じですね。両立するのは無理だったと思いますし。

でも、勉強できるのは大学生の特権なんですよ。社会に出てしまって、特に美術の世界だと、経験はできても勉強はできなくて。なかなか忙しいし、それどころじゃないというか。今になって勉強したい欲もあって、本当は僕も博士課程に行きたいんです。自分の論文も書きたいし、いつか漫画も書籍も出したいし、やりたいことはいっぱいあるんですよね。だから大学生の間に、思いっきり勉強できる環境があるのは恵まれたことかなと思いますけどね。

当時よく友達と溜まっていたという食堂の近くのベンチで取材を行った

先輩との出会いで感じた挫折と感謝

岡田:先輩に優秀な方がいたとのことでしたが、いわゆる挫折を感じたことはありましたか?

矢津:大いにありました。学生って身近な先輩の影響を受けやすくて、作風に関わってきたりするんですね。僕も在学中は特に名和さんの影響を受けて、使う素材やテーマも近いものがありました。でも影響を受けたが故に、「僕がやろうとしていることは、この人がやってくれているな」っていう感じもあって。名和さんの存在があったから、良くも悪くも現代美術の王道を進まなかった。

岡田:それは挫折なんでしょうか?

矢津:挫折とは言わないのかな。もともと王道に進みたい感覚ではなかったから、「やっぱり王道は無理やな」と思って。名和さんは在学中から大活躍してて、別格やった。金氏徹平さんも2つ上にいたし、なんなら後輩にも活躍してる人がいて……すごいみんな活躍していたんですよ。

岡田:感謝している人はいますか?

矢津:ヤノベケンジ【6】さんかな。大学時代にはほとんど関わりはなかったんですが、卒業して1年目の2005年、大阪府立現代美術センター【7】でヤノベさんが審査員のコンペがありました。受賞したら賞金100万円で新たに作品を制作して、ヤノベさんとふたり展を一緒に作り上げるというもので、それに僕らAntennaが選ばれました。

映像や立体、絵画など、色んな媒体を組み合わせて世界観を作り上げるAntennaの手法を面白がってくれて、「学生上がりの若手と」っていう雰囲気でもなく、ちゃんとふたり展としてガチでやってくれたんですよね。その時、たくさんのメディアに出れたし、当時の現代美術センターの動員記録を塗り変えるぐらい反響がありました。そこからAntennaはとんとん拍子に現代美術の世界に駆け上がっていくんです。ヤノベさんが僕を現代美術の世界に引きずり込んでくれました。

よくよく考えたら、その時のヤノベさんは30代後半で、今の僕より年下なんですよね。めちゃくちゃ早い段階で認められて、現代美術の道を爆走しているのがヤノベさんです。ヤノベさんの作品を手伝ったりしている中から、名和さんや金氏さんたちが出てきていて。僕たちの一歩先をずっと走っているのがヤノベさん。僕だけじゃなくて、関西の美術界に大きな影響を及ぼした人物だと思います。

ヤノベケンジさんとAntennaの展覧会パンフレット

自分で考え、選択し、行動する

岡田:大学生の頃の自分を振り返っていかがですか?

矢津:肯定したい気持ちも半分、「もっとやらなあかんこといっぱいあるやろ」と叱咤激励したい気持ちも半分あります。いずれにせよ、大学の頃の過ごし方が今後にも影響を及ぼすことは間違いないので、「人に言われたことをやるんじゃなくて、自分で考えて選択して行動しているか」は重要かなと思います。

そう考えると、大学の先生の言うことはあまり聞いてなかったですね。合評で漫画を出したら、「学校やめた方がええんちゃうか」って言われたこともありました。「漫画家になるとしても、芸大で違う経験を積めるのはいいことじゃないか」と言ってくれる先生もいたけど、基本的に上の世代は何も分かってないと当時思っていて、新しいことを始めるためには自分で選択するしかないと考えていました。

今振り返ると当然だと思いますが、大学に「してもらった」ことはあまりないですね。そこで出会った友達とか、起こった出来事はすごく重要だったけれど、それは大学が「どうぞ」と用意してくれたことではないように思います。特に彫刻科は、あまりレールを敷かれなくて、みんな自分勝手にやってる自由さがあって、それは今も変わっていないなと時々来る度に思います。こういう京芸の良さは移転した後も残って欲しいなと思うし、大学ってある意味こうあるべきなのかなって。

だから大学に自分の環境が作れなかったら外に作ればよくて、「大学の環境がこうだから僕にはできない」とか何の理由にもならないなって、今の学生を見ていても思います。やりたいんだったら外でやったらいいし、本気で大学を変えたかったら変える方法を見つけて変えたらいいし、なんか文句だけ言っててもしゃあないよね。今の学生は大学に求めすぎちゃうかな。大学なんて関係ないで!って思います。

京都市立芸術大学のグラウンドにて

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注釈

【1】kumagusuku

公式HP:https://kumagusuku.info/
(最終閲覧:2022年11月9日)

【2】FRP

Fiber Reinforced Plasticsの略で、「繊維強化プラスチック」のこと。軽量ながら弾性率が小さく強度の低いプラスチックに、弾性率が大きいガラス繊維などの強化材を混ぜることで強度を高めた複合材料。

【3】名和晃平

1975年大阪府生まれ。京都市立芸術大学大学院美術研究科彫刻専攻修了。Pixel(画素)とCell(細胞・器)が融合した「PixCell」の概念を基軸に、発泡ポリウレタン、ガラスビーズ、プリズムシートといった多彩な素材が持つ特性と最先端の技術をかけ合わせた彫刻制作、空間表現を行う。

【4】Antenna

公式HP:http://www.antennakyoto.com/
Facebook:https://www.facebook.com/kyoto.antenna
(最終閲覧:2022年11月9日)

【5】金氏徹平

1978年京都府生まれ。京都市立芸術大学大学院美術研究科彫刻専攻修了。フィギュアや雑貨、あるいは日用品など、日常的なイメージを持つオブジェクトをコラージュした立体作品やインスタレーションなどで知られる。

【6】ヤノベケンジ

1965年大阪生まれ。京都市立芸術大学大学院美術研究科修了。1990年代初頭より「現代社会におけるサヴァイヴァル」をテーマに、実機能をもつ機械彫刻作品を制作。21世紀に入ると「リヴァイヴァル」にテーマを移し、国内外で既成のアートの枠組を超えた活動を展開している。

【7】大阪府立現代美術センター

大阪市中央区にあった美術館。2012年閉館。

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INTERVIEWEE|矢津  吉隆(やづ よしたか)

1980年大阪生まれ。京都市立芸術大学美術科彫刻専攻卒業。京都芸術大学専任講師。京都を拠点に美術家として活動。作家活動と並行してオルタナティブアートスペース「kumagusuku」のプロジェクトを開始し、瀬戸内国際芸術祭2013醤の郷+坂手港プロジェクトに参加。2017年からは美術家山田毅とアートの廃材を利活用するアートプロジェクト「副産物産店」を開始。主な展覧会に「青森EARTH 2016 根と路」青森県立美術館(2016)、「やんばるアートフェスティバル」沖縄(2019)、「亀岡霧の芸術祭」京都(2018~22)など。2022年からはビジネスパーソンを対象とした実践的アートワークショップ、「BASE ART CAMP」のプロジェクトディレクターを務める。
・kumagusuku:http://kumagusuku.info/
・副産物産店:https://byproducts.thebase.in/
・BASE ART CAMP:https://base.kyoto/baseartcamp/

INTERVIEWER|岡田 満帆(おかだ みつほ)

ART IN TURN 1期生

1998年生まれ。京都工芸繊維大学大学院工芸科学研究科デザイン学専攻在学中。2015年から神戸アートマルシェのスタッフを経験し、アートマネジメントに興味を持つ。卒業研究では、アートECサービスにおける作品のカテゴライズ手法について研究し、現在はアート業界のDXについて勉強中。趣味はパン屋巡り。

CONDUCTOR|山田 毅(やまだ つよし)

只本屋代表・美術家・+5 メディアキュレーター

1981年 東京生まれ。2017年 京都市立芸術大学大学院美術研究科彫刻専攻卒業。映像表現から始まり、舞台やインスタレーションといった空間表現に移行し、ナラテイブ(物語)を空間言語化する方法を模索、脚本演出舞台制作などを通して研究・制作を行う。2015年より京都市東山区にてフリーペーパーの専門店「只本屋」を立ち上げ、京都市の伏見エリアや島根県浜田市などで活動を広げる。2017年に矢津吉隆とともに副産物産店のプロジェクトを開始。2019年春より京都市内の市営住宅にて「市営住宅第32棟美術室」を開設。現在、作品制作の傍ら様々な場作りに関わる。