ジャンルにとらわれない文化とエコシステムのこれから―MoN Takanawa: The Museum of Narrativesの開館に向けて

ジャンルにとらわれない文化とエコシステムのこれから―MoN Takanawa: The Museum of Narrativesの開館に向けて

久保田由香
2025.12.21

近年、テクノロジーや社会状況の変化により、複数の分野を横断した表現や実践が行われるようになってきている。

そういった時代背景の中で、東京・港区のTAKANAWA GATEWAY CITY(JR東日本・高輪ゲートウェイ駅)に、「伝統からマンガ、音楽、宇宙まで。文化の実験的ミュージアム」として「MoN Takanawa: The Museum of Narratives(モン タカナワ:ザ ミュージアム オブ ナラティブズ)」が2026年3月28日に開館する。

現在、MoN Takanawa の開館事業に携わる蒔野真彩(まきのまあや)さんは、文化とまちを軸に研究をしながら、地域のアートプロジェクトのインターンや海外での留学など、さまざまな経験をされてきた。第一線で新しい文化施設の立ち上げに関わっている蒔野さんに、これまでの経験とMoN Takanawa の開館に向けた想いを伺った。

蒔野真彩さん。高輪ゲートウェイ駅前にて。(筆者撮影)

文化とまちに関わるようになるまで


兵庫県神戸市出身で大学時代まで関西で暮らしていた蒔野さん。幼少期は人見知りで、アートとは少し距離があったという。


蒔野:今ではリーダー的なポジションだったり、みんなの前に立って話したりするのも好きだし得意なんですけど、小さいときはとても人見知りでした。幼稚園でごっこ遊びをしても余っている役でいいみたいな感じで。ただ、いろんな人と話すことは小さい頃から好きだったかなと思っています。高校までは運動部で、夏は真っ黒になってずっとグラウンドで走っているような学生でした。


―高校までずっと体育会系で、アートに触れる機会はなかったのでしょうか。

蒔野:いわゆる美術館的なアートというものにはそこまで関心がなかったんですが、音楽はずっと好きでした。中学校のときに音楽にハマって、特に歌を歌うことをやりたいと思い始めました。それからコンサートや路上ライブなど、音楽でいろんな人が集まる場をつくることに関心を持つようになりました。その発展形で、アートプロジェクトやコミュニティに関わるアートに興味が広がっていったように思っています。


―大学ではどのようなことを勉強されていたのでしょうか。

蒔野:大阪大学の人間科学部に進学しました。人間科学部を選んだ理由は、文理融合を謳っていたからです。英語で言うと、アートサイエンスですね。例えば、サルの研究を通じて人間の心理や行動学を探究するなど、文系と理系を分けずに人間について研究するところがとても面白そうだなと感じました。実際に入学した後、多文化共生の研究室に所属し、音楽社会学や地域研究について学びを深めました。


―研究の他に大学時代にされていたことはありますか。

蒔野:自分で曲を作ったり、ライブハウスで演奏したりと、神戸で音楽活動をしていました。ただ、二十歳になる手前で母親が病気で亡くなってしまったんです。そのとき、このままずっと音楽活動をやっていて楽しいのかなと考えるようになって。

路上ライブの様子

 

蒔野:同時に、音楽のアカデミアの世界にも興味を持ち始めるようになりました。今聞いている音楽がどういう背景を持っていて、どういったコミュニティで生まれてきたんだろうと。例えば、ブラックミュージックには黒人運動の背景がある。音楽ももっとやりたいけど、研究もしてみたいという気持ちになって、大学院に進学することを考え始めました。また、商業的に音楽を見るだけではなく、社会や文化といった視点で音楽に関わってみたら面白いかもしれないということも思うようになりました。


―音楽が軸になって大学院に進学することになったんですね。その後の活動につながる音楽以外のアートに興味を持つようになったきっかけはいつ頃だったのでしょうか。

蒔野:大学卒業後、東京大学大学院の多文化共生・統合人間学プログラムに進学しました。多文化共生という冠がついているように、周りの同級生たちの関心もバラバラなんですよ。私は文化芸術と地域について研究していましたが、ジェンダーやエスニシティなど、自分とは異なる研究をしている人が横にいるような環境でした。アートに関するジャンルについては、自分の中で最初から絞ってはいなかったのですが、修士のときは「プロジェクトFUKUSHIMA!」【※1】という震災後に始まったアートプロジェクト・活動で論文を書きました。

「フェスティバルFUKUSHIMA!2018」の様子

 

蒔野:音楽家の大友良英さんをはじめ、初期は坂本龍一さんや遠藤ミチロウさんが関わっていらっしゃったと聞きました 。そういった著名なアーティストと福島で暮らしている方たちが、音楽やアートを通して、福島の文化を再発見していくプロジェクトをやられていたんです。彼らが「何のために文化があるんだろう」「今、文化にできることは何か」ということを問い直していることに関心を持って関わり始めたのですが、大友さんをはじめ、このプロジェクトに関わっていらっしゃる方々がメディアアートや、音楽とテクノロジーの領域にいる方だったので、自然とそういった領域にも興味を持つようになりました。

地域のアートプロジェクトとエンタメの世界の両面から学ぶ

大学院時代、蒔野さんは実際に地域のアートプロジェクトにも自ら関わるようになった。


蒔野:修士の研究としては傍から見ていたのですが、地域のアートプロジェクトができていく過程に自分が関わったのは「科学と芸術の丘」【※2】が初めてでした。きっかけは、アーティストの清水陽子さん【※3】との出会いです。大学院で外部からいろんな現場で活躍している方を招いて講義していただく、次世代のリーダーを育成する授業があったんです。その中で、清水さんが講義をしに来てくださいました。アートサイエンスの領域で活動されている彼女の授業が面白く、この方のもとで働きたいと思い、授業終了後に「何かやらせてもらえる仕事ないですか」と清水さんに突撃したら「実は今、松戸で新しい芸術祭を立ち上げようとしていて。手伝ってみませんか?」とお話をいただいたんです。松戸に行ったこともないし、初年度なのでまだ世に知られていない芸術祭だったんですが、面白そうだなと思って関わらせていただくことになりました。また、講義の中で、清水さんがアルスエレクトロニカ【※4】のこともお話されていて、そこで初めてオーストリアにこんな面白い動きがあるんだということを知りました。


―科学と芸術の丘で蒔野さん自身はどのような関わり方をしていたのでしょうか。

蒔野:私はインターンとして、SNSで発信をしたり、科学と芸術の丘の立ち上げに関わった方々にインタビューをしてブログ記事にしたり、主に広報PRの一部を担っていました。他にもアーティスト用のお弁当を頼むなど、とにかく何でもやるという感じでした。

「科学と芸術の丘2018」展示の様子
写真:Hajime Kato

 

―その中で得たものはありましたか。

蒔野:科学と芸術の丘に関わる方々はコラボレイティブで、異ジャンルの人と一緒にやることに前向き、かつ上手く調整する力があると思っています。松戸市役所の職員の方も、清水さんのようにアート業界にいる方も、一緒になってつくっていく過程を、内側から見させていただいたことはとても勉強になりました。また、フェスティバルの立ち上げにはいろんな方が関わりますが、それをまとめあげる清水さんの力もすごいなと思って見ていました。


―他にもインターンの経験はありますか。

蒔野:科学と芸術の丘の後、西野亮廣さんが代表を務める「CHIMNEY TOWN」【※5】で1年ほどインターンをしていました。地域のアートプロジェクトに関わる中で、お金がないと続いていかないということも感じました。しっかりお金が回る仕組みってどうしたらつくれるんだろうと思っていた時期に、オンラインサロンによる新しいビジネスモデルで資金を集め、エンターテインメントをつくっている西野さんのことを知りました。文化事業ではなく、もう少しエンタメよりの世界のことを知りたいと思っていたこともあって、インターンに応募しました。

「CHIMNEY TOWN」のチームメンバーと

 

―CHIMNEY TOWNではどのようなことをされていたのですか。

蒔野:『えんとつ町のプペル』という絵本を使ってあらゆることをするチームに所属していました。展覧会やミュージカルをやったり、コーヒー屋を作ったりといろいろやっていたんですが、私はその中でも特に絵本のVRを作るというプロジェクトに関わっていました。これは全てサロンのコミュニティ活動なので、作っている過程を見せることをイベント化したり、クラファンをやったりもしていました。とにかくコミュニティを盛り上げることをやりながら、実際のVRコンテンツを作っていました。何でもやるぞという方たちだったので。

 

海外での経験がさらに視野を広げる


―その後、蒔野さんはオーストリア・リンツ市にあるアルスエレクトロニカへ研修に行かれたんですよね。

蒔野:科学と芸術の丘のインターンをしていたときに、当時アルスエレクトロニカ・フューチャーラボで活動されていた久納鏡子さん【※6】にお話を聞かせていただき、アルスエレクトロニカに行きたいと思うようになりました。なかなか行く機会がなかったのですが、2021年から、文化庁のメディア芸術クリエイター育成支援事業でキュレーター等海外派遣プログラムが実施されたんです。そこで、そのプログラムに応募をしたのがきっかけでした。私は、メディアアートに関心があったというよりは、まちと文化施設の関係に関心がありました。アルスエレクトロニカは、キュレーションとしてもトップランナーですが、40年以上アーティストに雇用を生み出し続けている経営や、地域との関係性を含めたエコシステムを学びたいと思って研修に参加しました。

「アルスエレクトロニカ・ホームデリバリー」(YouTubeチャンネル)のモデレーターを行う様子

 

―研修のときは実際にどういったお仕事をされていましたか。

蒔野:いちばん大きかったのは、毎年9月に開催している世界中からアーティストやリサーチャーを集める「アルスエレクトロニカ・フェスティバル」のチームにプロジェクトマネージャーとして入れてもらったことです。そのときはコロナ禍だったので、オンラインとリアルのプログラムが半々くらいでした。私はオンラインで参加するアーティストによるプロジェクトの窓口を務めたり、日本側の方とのコーディネートを行ったりしていました。また、ミュージアムでオーストリアの子どもたちを対象にワークショップを企画したり、アルスエレクトロニカからオンラインで繋いで日本の中学生に授業をしたり。

他にもいろんな部門のヘッドの方々を紹介してもらい、どのように部門をつくっているのかや、どうやってこの規模の文化機関を運営しているのかということをとにかくたくさんインタビューしました。研修の締めくくりの最終発表では、アルスエレクトロニカでもっとこうしたらいいんじゃないかというオンラインとリアルを融合したエコシステムをディレクターの方々にプレゼンさせていただきました。


―研修以外に大学院で留学もされていたとか。

蒔野:アルスエレクトロニカでの研修の後、そのまま交換留学で1年間、ドイツのミュンヘン大学にいました。博士課程では、まさにリンツ市を題材に都市再生と文化事業のことを論文にしようとしています。コミュニティという小さい単位より、都市という大きな単位で見たとき、どうしたら都市が生まれ変わっていくのか、そして文化事業や文化施設がどのような役割を果たすのかということに関心を持っています。

ドイツ留学中の仲間たちと

 

蒔野:リンツの他に、ビルバオやアムステルダムなど、先進的なまちづくりをしている都市がヨーロッパにはいっぱいあるので、留学した1年間はいろんな都市を旅してミュージアムを巡ることもしていました。


―今のお仕事につながることでこの経験は大きかったなと思うことはありますか。

蒔野:あらゆる出会いがつながっていると感じています。振り返ってみると、科学と芸術の丘や CHIMNEY TOWNでの経験は、現在の立ち上げ業務にもつながっているなと。アルスエレクトロニカの研修生や、今通っている大学院の主専攻のコース生としては1期生なんです。今の私と同世代は、アートサイエンスが当たり前になっていたり、働き方も自由だったりと、いろんな垣根が取り払われてきている世代なのかなと思っています。私はそういうときに立ち上がる新しいイニシアチブみたいなものに、いろんなご縁をもらって関わっていることが多いと思っています。ゼロイチで何かをつくるということは大変ですが、好きなんだろうなと感じています。

 

新しい文化と仕組みをつくっていく


―MoN Takanawa の開館事業に関わるようになったきっかけは何だったのでしょうか。

蒔野:留学中、そろそろ日本に帰ろうかなと思ったときに、今後何をしようかと迷っていて。研究は続けたいけど、実際に現場でものを動かすプロデューサーの仕事をしたい、かつまちにも関わりたいと考えていました。また、助成金で運営されているNPOではなく、事業性を持って活動している組織に行きたいと考えているときに、それが全部当てはまっていたのがMoN Takanawa を企画運営する一般財団法人JR東日本文化創造財団【※7】だったんです。

「MoN Takanawa: The Museum of Narratives」の完成イメージ
画像提供:JR 東日本
※パースは計画中のものも含まれるため、一部変更になる場合があります。

 

蒔野:日本に数年いなかったので、TAKANAWA GATEWAY CITYのこともあまり知らなかったのですが、社会的に意義のある文化事業をしつつ、しっかり経済も回していくというビジョンに共感して応募しました。2023年の2月に日本に帰ってきて、同じ年の4月から働いています。


―そのまま海外で活動する選択もあったのかなと思うのですが、日本に帰ろうと思ったのはなぜなのでしょうか。

蒔野:そのまま海外で活動することも考えたんですよね。オーストリアもドイツも好きだったから、このまま海外でアート系の仕事をやるのも良いかなと思って仕事を探したこともあったのですが、外に出てわかる日本の良さみたいなことも感じて。日本のメディアアート、アニメやゲームといったポップカルチャー、地方の多種多様な文化など、日本が持っている文化資産をもっと海外に出していけるのではないかなと考えました。また、ヨーロッパでまちづくりについて学んだからこそ、日本でやってみたいという気持ちもあって。せっかく吸収したものがあるので試してみたいと思い、日本に帰ってきました。


―具体的にMoN Takanawa ではどのようなことをされているんですか。

蒔野:主にミュージアムで行う企画全般を担う企画推進部の中の事業開発グループに所属し、開館年に行うコンテンツの企画、制作、プロデュースの仕事をしています。特にメインで関わっているのが、Box1000という地下の多目的ホールの企画です。

「Box1000」のイメージ
画像提供:JR 東日本
※パースは計画中のものも含まれるため、一部変更になる場合があります。

 

蒔野:Box1000は、パフォーマンスや音楽ライブ、インスタレーションを展開する空間で、MoN Takanawa としては、パフォーミングアーツをデジタルテクノロジーでアーカイブしたり、表現を拡張したりすることをやりたいと考えています。例えば、平面の画面ではなく、空間全体でマンガやアニメを原作にしたコンテンツを一緒にいる人たちで体験するような、新しいコンテンツを作ろうとしています。他にも、いろいろな方がコラボしたいと訪ねてきてくださることが多いので、その窓口も担当しています。機会があれば何でもやらせてもらっている感じですね。


―実際にお仕事されていて楽しいと思うことと難しいと思うことはそれぞれありますか。

蒔野:前例がないから、既成概念にとらわれずに新しいことに挑戦できるということも楽しめているポイントかなと思っています。MoN Takanawa では、伝統芸能やマンガ・アニメ、音楽や食などのあらゆる日本文化に、最新のテクノロジーを掛け合わせ、100年先に新たな日本文化を繋げていくことを目指しています。そのため、歴史も未来志向のものも、ポップカルチャーも伝統芸能も、あらゆるジャンルを体験していただける場所を提供していくので、業務を通じていろんな分野の方に出会えることも財産だと思っています。分野の違う方たちが集まっているということは、逆に大変な部分でもあります。それぞれの価値観が違うことも多いので、言葉ひとつとってもすり合わせていくことが必要で、新しいことに挑戦することゆえの難しさも感じています。


―蒔野さん自身はMoN Takanawa ならではの魅力をどのように捉えていますか。

蒔野:ジャンルを特定していないので、アートサイエンスだったり、伝統芸能とメディアアートが掛け合わさったりなど、いろいろなコラボレーションできる、生まれていく場所になるということです。    


最後に、2026年3月28日のMoN Takanawa 開館に向けた想い、そして開館してからのもっと長いスパンでの目標について伺った。


蒔野:
たくさんの人に来てもらってミュージアムとして盛り上げるという第1ミッションはありつつ、海外のミュージアムとも連携しようと考えているので、留学も経て感じた日本の良さも含めて、MoN Takanawa で生まれた新しい作品やコンテンツを世界に発信できればと思っています。また、アルスエレクトロニカでは、アーティストの雇用を生み出していたり、実験的なことをやる部門とお金を稼ぐ部門が上手くバランスをとって設計されていたりして、長期的にやれるプロジェクトや関われる人も増える仕組みが考えられていると思いました。MoN Takanawa でも、継続的な文化プログラムを行ったり、エンタメ・広告業界の方たちと文化芸術に特化した方たちが一緒に関わるようなプロジェクトを行ったりできるといいなと思っています。文化に対して助成金を増やすのではなく、文化でしっかりお金を生み出していく。かなり長期的な展望ですが、ゆくゆくはそういうエコシステムをつくっていけたらと思っています。

 

注釈

【※1】プロジェクトFUKUSHIMA!

東日本大震災と原子力発電所の事故を受け、福島出身/在住の音楽家と詩人を代表とし、集まった福島県内外の有志によって立ち上げられた。毎年8月に福島で行う「フェスティバルFUKUSHIMA!」のほか、インターネット放送局「DOMMUNE FUKUSHIMA!」の運営、学びの場となる「スクールFUKUSHIMA!」の活動などを継続し、プロジェクトは福島のみならず各地で展開されている。

 

【※2】科学と芸術の丘

2018年にスタートし、毎年秋に千葉県松戸市で開催している科学、芸術、自然をつなぐ国際フェスティバル。アルスエレクトロニカをはじめとした国内外のパートナーと連携し、国指定重要文化財の戸定邸を中心とした松戸市内を会場に展示やワークショップなどを展開する。

 

【※3】清水陽子

科学と芸術の丘の設立ディレクターでアーティスト。生物学と化学のバックグラウンドを持ち、企業のクリエイティブディレクター及びコンサルタントとしてキャリアをスタートし、その後に自身のラボを立ち上げ、科学と芸術を融合した革新的な技術やインスタレーションを開発し、世界中の企業、行政機関、ミュージアム、大学と協業。クリティブな街づくりや都市開発のプロジェクトにもディレクターやアドバイザーとして参画。国際イベント、会議、教育機関での講演も行う。現在は、アルスエレクトロニカ・アンバサダーも務める。

 

【※4】アルスエレクトロニカ

オーストリアのリンツ市を拠点に40 年にわたり「先端テクノロジーがもたらす新しい創造性と社会の未来像」を提案し続けている、世界的なクリエイティブ機関。アート、テクノロジー、社会をつなぐ出会いの場を創造し、横断的「未来」を提案している。

 

【※5】CHIMNEY TOWN

国内最大級のオンラインサロン『西野亮廣エンタメ研究所』などの運営を手がける企業。「エンタメをつくるエンタメ」をミッションに、こどもたちの笑顔をつくることを目指している。

 

【※6】久納鏡子

アーティスト、アルスエレクトロニカ・アンバサダー。これまでインタラクティブアート分野における作品を手がける一方、公共空間、商業スペースやイベント等での空間演出や展示造形、大学や企業との共同技術開発など幅広く活動している。

【※7】一般財団法人JR東日本文化創造財団

JR東日本が開発をすすめる「TAKANAWA GATEWAY CITY」の複合文化施設「MoN Takanawa: The Museum of Narratives」の企画運営を通して、日本の文化創造に貢献するための組織として2022年4月1日に設立。

 

(上記全てのURL最終確認:2025年12月21日)

INTERVIEWEE|蒔野 真彩(まきの まあや)

個人で音楽活動を行いながら、地域芸術祭や西野亮廣氏のもとでのエンタメ分野でのインターンなどを経験。文化庁メディア芸術クリエイター育成支援事業キュレーター等海外派遣プログラム1期生としてArs Electronicaでプロデューサー研修後、ドイツ留学。現在は東京大学博士後期課程で「文化による都市再生」を研究しつつ、MoN Takanawaで文化コンテンツ企画開発を担う。

 

INTERVIEWER|久保田 由香(くぼた ゆか)

1995年千葉県生まれ。大学卒業後、瀬戸内の島で美術館運営やアートプロジェクトの制作、エデュケーション業務に携わる。その後、アートや地域のプロジェクトを中心とした制作・広報などの領域で活動し、千葉県松戸市「科学と芸術の丘」でアソシエイトディレクターを務める。LAWS(Local Art Writer's School)1期生。