町と美術館の相互作用──はじまりの美術館 学芸員 大政愛さん

町と美術館の相互作用──はじまりの美術館 学芸員 大政愛さん

大野方子
2025.12.21

福島県のほぼ中央に位置する耶麻郡猪苗代町(やまぐんいなわしろまち)。日本で4番目の面積を誇る猪苗代湖と、静穏ながら現在も火山活動を続けている磐梯山(ばんだいさん)を有した自然豊かな地域である。町の中心部に佇む「十八間蔵(じゅうはちけんぐら)」は、明治初期の建立以来およそ140年間にわたり町の人々に愛されてきた。酒蔵から縫製工場、ダンスホールへと、時代の流れとともに役割を変え愛されてきたこの蔵は東日本大震災ののちリノベーションされ、2014年6月に「はじまりの美術館」として生まれ変わった。郡山市(こおりやまし)の社会福祉法人安積(あさか)愛育園を運営母体とし、障がいのある方の表現や現代美術家の表現、アートプロジェクトなど、人々の「表現」を広く紹介する企画展示を開催している。

この館の運営を担う、学芸員の大政愛(おおまさあい)さんにお話を伺った。大政さんの活動を辿りながら、地域とアートが互助的に作用して息づく現場を紹介したい。

はじまりの美術館外観 2025年9月撮影
(筆者撮影)

「表現」を通じて未知やはじめてと出会う場所

大政愛さん
はじまりの美術館内に併設される「ohaco cafe(オハコカフェ)」にて
(筆者撮影)

──はじまりの美術館の展示企画は、毎回全職員の協働で進行されているんですよね。

大政:はい。学芸員は私一名ですが、展示企画は私だけの仕事ではなく館長、企画運営担当の職員も担当します。都度の担当者だけが一人で企画を練り上げるということはせず、担当者が立案したテーマ・概要・出展作家の候補を三人で相談しながら、全体のバランスを調整しているのが特徴です。


──企画の練り上げではどのような点を大切にしていますか?

大政:アートとしての定義や普及というよりも、「表現」として紹介することです。作者がなぜその素材を選び、どう関わったのか。作者と周辺の人との関わりから、作品がどう育まれたのか。そうした多層的な相互関係の中に、表現の魅力があると考えています。それらの表現が展覧会のテーマに呼応したとき、鑑賞した皆さんがどう感じるか、問いかける気持ちをもって作り上げています。


 ──作品を出品される作家のキャリアも、かなり幅広いですよね。

大政: はい。作家として豊富な経歴を持つ方から、初めての発表となる方まで、出品歴に幅をもたせて構成しています。実績や肩書き、あるいは障がいの有無といったカテゴライズでの判断ではなく、「自分はこの表現をどう受け止めるか」。この場に集まった表現を前に、自分自身の心がどう動き、何を思うのか、皆さんに感じて、考えてほしいですね。それを見て一人でも「いいな」と思ってくれたら、この場に集まってきた表現はこの先も残っていくと思うんです。


──来館者の反応はいかがでしょうか?印象に残っているリアクションはありますか?

大政:展示内容が変わる度に足を運んでくださる常連さんがいらっしゃるんですけど、その方は「ここに来ると自分が知らない、わからないものに出会えるから面白い」と言ってくれます。先ほどの話とも関連しますが、当館の展示に作品を出品される作家を全て知る来館者はまずいない。だから必然的に新しいものをインプットする機会が生まれて、思考や出会いを広げることになるんですよね。


──まさに、外部のものさしによる評価で計り得ない「未知」と出会いにいらしてる。学芸員として非常に嬉しく、励みになりますね、

大政:そういう目的で美術館を訪れ、受け取ってくれる人が一人でもいるということが、本当に嬉しかったですね。

はじまりの美術館が人生初の美術館体験だという人も多いです。以前、初めて美術館に来た当時2歳ぐらいのお子さんが「ここは遊ぶ場所?」って訊ねてきたことがありまして。空いている時間だったので、その子の鑑賞に付き添いました。次第に創作意欲をくすぐられたのか、作品を前に「これ、描いていてみたい」と言って、紙と鉛筆を渡すと床に座って描き始めたんです。

この場所で初めての、あるいは未知の存在と出会い、刺激を受け、 心が動いて表現したくなってきた瞬間に居合わせる。来館者との距離がすごく近い分、そうした嬉しい場面にも多く立ち会えます。

「こつこつと手さぐる」展(2025年7月26日 - 2025年10月13日)館内に設置されていた出展作家・櫛田拓哉氏による「ねんど山」
展示会期中はワークショップやトークイベントの他に、来館者が参加できる造作コーナーや体験型の展示が常設されることも多い。
上:屋外に「素材の山」として設置されている粘土の塊
下:来館者が思い思いに成形したものが館内に集約された「造形の山」
(筆者撮影)
櫛田拓哉《こどものにわの作り方》2025年
櫛田氏が主催する五感を育むアートと学びを介在とした造形教室「こどものにわ」。その活動を体験できる展示として、「こつこつと手さぐる」展では展示エリアの一角に無数の紙コップが積み上がる。
上:《こどものにわの作り方》体験展示に使用する紙コップ
下:来館者の手により積み上げ、入れ替えられることで日々形を変え続ける。
(筆者撮影)

共同作業のコミュニケーション


──はじまりの美術館への着任以前の、大政さんの活動についてもお聞かせください。高校時代まで愛媛県松山市で過ごし、筑波大学の芸術専門学群に進学されています。アートの領域に進学を考えたきっかけは何でしたか?

大政:高校時代の共同制作中の体験です。自分の思い描いた通りに進行できないもどかしさから共同制作には苦手意識があったんですが、手を動かしながら会話していると、いつもよりスムーズなコミュニケーションがとれている実感が生まれたんです。皆で作品の完成に至ったことよりも、その過程で生まれたコミュニケーション体験の方が強く印象に残りました。その体験の中に個人制作の楽しさとは少し違う軸でのアートの可能性を感じて、芸術の領域で学びたいという思いが強まりました。


──なぜ筑波大学だったのでしょうか?

大政:高校の美術部顧問が筑波大学出身だったこともありオープンキャンパスに参加してみたところ、当時、芸術専門学群の自由単位科目として設置されていたアート・デザイン・プロデュース演習、通称「adp」【※1】の存在を知りました。地域の人々と共にアートやデザインとのであいから課題解決や共生の仕組みを考える演習科目で、「これだ」と思ったんです。自身の個人制作と、共同制作中のコミュニケーションとを並行して実践できる環境を志望して、筑波大学への進学を決めました。

 

──adpではどのような活動に取り組みましたか?

大政:adpの科目内に複数のプロジェクト・チームがあり、私は「アスパラガス」というチームに所属しました。アートやデザインで「病院の空気をおいしくする」ことをモットーに、筑波大学附属病院で活動するチームです。いわゆるホスピタルアートの活動は患者への癒やしの提供を目的とする部分が大きいと思いますが、アスパラガスの場合は彼らとの関係性をよりフラットにする取り組みが多く、私はその点に魅力を感じていました。


──フラットな関係性、ですか。

大政:単なる提供の構造にならないような設計というか、一方的にイベントとして持ち込み「開催してあげる」ことに終始しないよう意識していました。

例えば、学部一年生の時に先輩たちと取り組んだ「ホスピタウンのメリークリスマス」というワークショップ・プログラムがあります。様々な患者や医療従事者を内包した病院という環境を小さな街に見立て、街の皆でクリスマスを迎える準備をしようという趣旨のもと実行しました。私たちが時節に合わせたパーティーを計画して持ち込み実施するのではなく、皆で作り上げていくというスタンスです。


──確かに、「してあげる」「してもらう」という関係構造は、前者が献身や利他の側面を持つ一方で、対等な関係性に無意識のひずみを生じさせうる危うさも内包していますね。クリスマス当日までは、皆さんでどんな活動を実践しましたか?

大政:ささやかな造作ワークショップの積み重ねです。病室のネームプレートにつける小さな屋根飾りや、小麦粉を練って成形・着色して焼き上げたオーナメント、家型のランプシェードなどを作るんです。入院部屋の表札や点滴棒を飾りつけて、クリスマス当日は談話室の窓際にランプを灯しました。その時、ある患者さんが灯りを眺めながら、ご自身が救急車で搬送された当時のことをぽつりぽつりと話してくださったんです。その時に「患者」から「一人物」に戻れる瞬間が訪れたというか。賑やかに進行する共同作業ともまた異なる状況で、コミュニケーションがふっと生じる瞬間に立ち会えたことが大きな経験となりました。

繋がる「居場所」

──adp以外の活動としては、どのようなものがありましたか?

大政:今の自分の働き方と強く連鎖しているという点では、つくばでお世話になった美容院での展覧会と、東京都美術館×東京藝術大学の「とびらプロジェクト」【※2】での活動です。自分の活動を語る上では「居場所」での活動と表現しています。

私自身、高校時代から自宅と学校以外の「居場所」があったんです。松山市内にある「アートコア松山」【※3】という画材店で、購入目的でなくても人々が出入りし、コーヒーを飲み、お喋りして帰っていく。今思い返せば画材店らしくない画材店でしたが、私もよく立ち寄って梅昆布茶をいただいたりして、本当に大事な居場所でした。


──いわゆるサード・プレイスにあたる存在でしょうか。進学してつくば市へ移った後はどうでしたか?

大政:一時は自宅と大学の往復が中心となり、外界との繋がりが希薄化していく気がして精神的な停滞を感じていました。そんな中、友人が面白い場所を見つけたと紹介してくれたのが「poco a poco(ポコ・ア・ポコ)」【※4】という美容院です。店舗内の一角で、つくば市を拠点に活動する学生やアーティストの作品を展示したり、様々なワークショップや語り場などのイベントを実施していました。

美容院だけど、散髪目的でなくてもそこに集うことで、不思議と街の人たちとの交流が生まれる空間でした。店長も、人と人とを自然に紹介して繋いでくださる方でしたね。


──美容院であり、かつアートスペースの性質も内包していたんですね。そこで大政さんも作品を展示した、と。

大政:はい。poco a pocoともう一箇所の会場で、友人と共に「まちは呼吸している」という二人展を開催しました。店長が「筑波は学園都市という特性上、人の入れ替わりが多くて街に新しい風を運んでくれる。いろんな学生が出入りしてくれることは、この場所にとっても良いことだ」と話してくれたことがあって、その言葉から街を生き物に見立てた時に、動き続け入れ替わっていく人々が「細胞」のようで魅力的だなと思えたんです。

自分の表現を発表するための活動ではありましたが、地域の中で作品を展示し街の人々と会話する中で、私にとっては作品を介したコミュニケーションの楽しさの方が大きいと気付いたのもこの時期でした。この時の体験は、現在の働き方にもつながっていると思います。

「見る場所」から「会う場所」へ 

──「とびらプロジェクト」についてもお伺いします。参加のきっかけは何でしたか?

大政:大学図書館で見つけた告知のパンフレットの中に「アート」「コミュニケーション」という言葉があり、アスパラガスの活動イメージに近いものを感じて何かに活かせないかと考えたんです。アートフィールドとしての美術館での活動が、良いインプットの機会になればと思って応募し、アート・コミュニケータ「とびラー」一期生として活動しました。


──とびラーとしては具体的にどんな活動をされたのでしょう?

大政:アート・コミュニケータの基礎講座を受講した後、「のびのびゆったりワークショップ」というプログラムに加わりました。これは障がいや特性の有無に関わらずすべての子どもたちを対象とし、定期的に美術館に集まって活動する6回連続のワークショップです。私は子どもたちが安心して参加できる場を整えて、鑑賞や創作、対話といった活動をサポートする伴走者の役割を担いました。


──子どもたちに伴走する中で、印象深かったことを教えてください。

大政:私自身の美術館に対する認識が「作品を見に行く場所」から、「何かに・誰かに会いに行く場所」へと変化する実感を得たことです。美術館で開催される他のプログラムは一日限りのものが多いけれど、「のびのびゆったりワークショップ」では定期的に集い交流する、皆の居場所として美術館が機能していました。子どもたちと「また会えるのを待ってるよ」と、手紙を送りあうまでの関係を構築できた経験はありがたかったですね。

震災、一過性と当事者性

──東日本大震災の復興プロジェクトにも携わった経験をお持ちとのこと。よろしければ、震災当時のことも踏まえてプロジェクトに関わるお話しをお聞かせいただけますか?

大政:当時は学部一年生の終盤で、つくばでも大きな揺れを感じました。流通機能の停止を機に一度地元に戻りましたが、そこで聞く震災関連の話は遠い別世界の出来事のような扱いで、自分は真の意味での当事者ではないんだなという思いと、確かに体感した揺れの感覚の間で過ごしていました。

震災発生直後は色んなアーティストが支援プロジェクトを立ち上げ、ボランティアから現地入りする人も多かったけど、当時の私は「ただ行っても迷惑になるだろう」と被災地入りには消極的でした。それでもずっと福島のことが頭に残っていました。


──被災地としての福島を初めて訪れたのはいつでしたか?

大政:2014年の8月です。アーティストの北澤潤氏が震災直後 から福島県相馬郡新地町(しんちまち)で開催してきた「MY TOWN MARKET(マイタウンマーケット)」【※5】プロジェクトの、最終回のサポーターとして初めて被災地を訪問しました。

──実際に訪問してみた印象や、記憶に残っていることはありますか?

大政:私が訪れたのは震災から約3年が経過した時点で、仮設住宅を出て、それぞれに新しい住居へ移る人たちも多かったと思います。特に強く印象に残っている出来事としては、プロジェクト終了後の打ち上げですね。その場に参加していた現地の方が「プロジェクトも終わって、君はもう二度とここに来ることはないんだろうな」と、私に言ったんです。憤りや悲観からの発言ではなく、本当にポロッとこぼれ出た呟きのような一言だったんですけど。


──結構衝撃的な言葉でもありますね。

大政:はい。でも確かにその言葉の通りではあります。私はプロジェクトのメンバーとして現地を訪れ、プロジェクトを終えて去っていく者ですから。いろいろな関わり方がありますが、もし私が今後も福島に関わる機会があるとしたら、移り住むくらい自分事にしないと真の意味で関与できないのかなと考えるようになりました。

同時に、一時的な出入りで地域と関わることが自分に向かないことも実感しましたね。プロジェクトに限らず、もっと根幹的に、生きていく上で頻繁な移動の繰り返しが合わないタイプなんだと思います。


──大政さんが縁ある土地からさらに北上して移住するに至った背景には、活動における一過性と当事者性への問いがあったのですね。その上で、はじまりの美術館へと到達した経緯を伺えますか?

大政:「MY TOWN MARKET」と同時期ですが、2014年に日本財団のアール・ブリュット美術館合同企画展【※6】の事務局にインターンシップとして携わっていました。そこで同展会場の一つだったはじまりの美術館の館長と知り合いました。アスパラガスや、「とびらプロジェクト」での活動経験が美術館にマッチするのではないかということで、学芸員のポストにお声がけいただきました。少し迷ったけれど、もしここでお断りしたらきっと後悔するだろうと思ったんです。何度か実際に猪苗代へ訪問しながら考えて、福島に関われるのならばとお引き受けしました。

美術館を育て、町を育てる「寄り合い」

──地域との関わりに関連して、はじまりの美術館で取り組む「寄り合い」の活動についてもお聞かせください。

大政:「寄り合い」は美術館の開館以前、2013年から実施している美術館づくりの活動で、町民ワークショップの形式でスタートしました。「子ども」「食」「魅力発信」「ものづくり」の4班に分かれ、「美術館の設置後、どんなことをしてみたいか・どんな町になっていったら良いか」を話し合い、美術館オープニングでの成果物の披露を目指して活動しました。 

──「寄り合い」メンバーには、アートに特化した背景をお持ちの方も多いのでしょうか?

大政:むしろゼロですね。でも意図的な人選ではなく、メンバーを募集してみたら、偶然誰もいなかったんです。


── 一般的に美術館開設準備のコミュニティは美術関係者を募る傾向があるものとばかり思っていたので、偶然とはいえとても珍しい印象です。

大政:美術館も町も「寄り合い」の活動領域ですが、「寄り合い」の活動目的は「良い美術館の設立」ではなく、あくまでも「町の活性化」です。震災後の町をより良くして、拠り所となる場が欲しいという意識があったのでしょう。「震災による分断」と表現するのはやや過剰かもしれないけど、地域の人が集える場がないのは事実だったので、地域のハブとして機能する場所の需要が高かったのかもしれません。だから、結果としてそういう集まり方をしたんだと思います。

開館前の寄り合いの様子町に美術館ができたらどんなことをしたいか。「敷地内に秘密基地を作ってみたい」子どもチームは基地の模型を作り 、「猪苗代の食文化で皆をもてなしたい」食文化チームは餅米を笹の葉で巻いた猪苗代の郷土料理「ひしまき」を作った。

──開館後の活動内容や形式に変化はありましたか?

大政:開館当初は、より細分化したチームでの複数プロジェクトの同時進行を期待していたようです。でも町内のメンバーだけでは、人数や機動力の点で想定していた形での活動が困難だったと聞いています。

私が美術館に着任する以前のことですが、開館後に立ち上がったのが「猪苗代あいばせマップ」制作プロジェクトでした。発案者は町外から猪苗代へ嫁いできた女性で、自分が住む地域のことをもっと知りたいという思いがあったそうです。それから、遠方から猪苗代を訪れても、美術館だけを見て帰ってしまう町外の方も多くて。それってすごく勿体無い、自分たちが好きな場所を知ってほしいと考える方々が集い、町を盛り上げる地図を勘案しました。。街歩きに詳しい方と情報をまとめて、イラストや編集も全て「寄り合い」メンバーで手掛けています。

「猪苗代あいばせマップ」 発行:猪苗代盛り上げMAP作り部、初版発行:2016年3月
「あいばせ」は会津弁で「一緒に行こう」の意。A4用紙の両面にフルカラーで印刷された猪苗代町中心部の地図で、飲食店や地域の祭りの情報などが町民のコメントと共に掲載される。

大政:他にも美術館に着任した2016年の春以降は、「いなわしろ食かるた」の制作や、庭の環境整備にも取り組みました。毎年開館記念にあわせて開催するイベントではメンバーが各々得意なことや好きなことを実践して、美術館はもちろん、町を盛り上げる活動も担っています。

「いなわしろ食かるた」発行:いなわしろの食文化をつなぐプロジェクト、発行日:2019年6月1日
震災や少子高齢化の影響で失われつつある地域の食文化を継承するため、猪苗代町内の有志により制作を進行した。

 

「館の周辺に緑を増やしたい」というメンバーの声から、芝や紫陽花を植えてビオトープを作成。
裏庭ではさつまいもを育て、毎年焼き芋を実施している。

──2020年のコロナ禍で「寄り合い」の活動は変化しましたか?

大政:定期開催が困難になり活動リズムは変わりましたが、町と美術館を舞台にして、メンバーがやってみたいことを実践するスタンスは一貫してます。我々職員が活動を依頼するのでもなく、活動領域もアートに限定しない。ボランティアともスタッフとも異なる存在として、「寄り合い」メンバーと美術館の関係性も当初からずっと変わりません。


──この美術館は町の方々にとって、前段でお聞きしたサード・プレイスのような「居場所」になるのでしょうか。

大政:着任当初はそう思ってましたが、実際に関わり始めたらサード・プレイスとはまた少し異なる性質を持つ場だと実感してます。サード・プレイスは、家や職場と切り離されてるが故の居心地の良さがある意味重要なのかなと思っていて。でも、ここは町の皆さんの日常生活や仕事と切り離されず、少しずつ繋がっている。猪苗代には自営業の方も多くて、この美術館が接地点となって初対面同士の方々が繋がり合うこともあります。思いがけない方向へと話が進み、仕事でもそれ以外でも新たなことが始まったりするんです。


──人々の営みや仕事と地続きの場所として、美術館で予期せぬ化学反応が起き、町を盛り上げる新たな価値が生まれる現場となっている。地域との関わり方や活動の広がり方は、前半でお聞きした展示企画の練り上げ方にも共通するものを感じました。

大政:そうですね。「寄り合い」の活動も展示企画も、既に価値づけられたり「こうあるべき」と定められたものを目指して作るのではなく、皆で相談して手探りしながら進んでいる。だからこそ、今のこの美術館の姿なんじゃないかと思ってます。

未知の存在としての「表現」に出会える場として、そして町のハブ的な存在として、新たな何かがはじまる所。これからもそうした美術館でありたいですね。 

はじまりの美術館内、ohaco cafe(オハコカフェ)
(筆者撮影)

注釈

【※1】筑波大学・大学を開くアート&デザインプロデュース adpヒストリー

【※2】東京都美術館×東京藝術大学 とびらプロジェクト

【※3】画材|愛媛県|松山市|アートコア松山|額

【※4】つくば市 美容室 poco a poco

【※5】MY TOWN MARKET - junkitazawa

【※6】日比野克彦監修 アールブリュット美術館4館による合同企画展|日本財団

関連情報

はじまりの美術館

社会福祉法人 安積愛育園

unico file - さがす・であう はじまりアーカイブス

画像提供

はじまりの美術館

INTERVIEWEE|大政愛(おおまさあい)

愛媛県松山市出身。2014年筑波大学芸術専門学群洋画コース卒業。2016年東京藝術大学大学院美術研究科先端芸術表現科修士課程修了。同年よりはじまりの美術館学芸員。アート・コミュニケータ、アートミーツケア学会理事。

INTERVIEWER|大野方子(おおのまさこ)

熊本県熊本市出身。2013年より福島県に在住。同県内の美術館で学芸員として勤務。LAWS(Local Art Writer's School)1期生。